児童書と私
児童書と私
小学生の頃から読書が好きだった。
昼休みや放課後、学校の図書館へ出向いては、
海外の児童書を中心に貪るように読み耽っていた。
家には一冊もなかった外国の本。
異国の事情、食や宗教、教育など、
多種多様で自国とは全く異なる文化に好奇心をそそられ、
インク紙がこぼれたインクをグングン吸収するように、
知識の水をゴクゴクと飲み干していた。
「メアリー・ポピンズ」に「タンタンの冒険」、
「大どろぼうホッツエンプロッツ」といった、シリーズものを好んで読んだ。
ライス・プティングや贅沢クッキー、焼きソーセージにザワークラウト、
見たことはもちろん、聞いたことすらない食べ物が文中のあちこちに出てくる。
とても興味深かった。
注釈を読んでも十分には納得できず、
登場人物のリアクションからおそらくこんな感じかなと想像した。
ドイツでは蒸かしたジャガイモが一般的なんだな、
イギリスには甘くてほっぺの落ちそうなお菓子がいっぱい。
遠い世界における日常の風景を物語から思い描く。楽しかった。
時がたち思春期を経て大人になると、
離れていた時間が愛慕を育んだのであろう、
再読願望が心の底から湧き上がってきた。
子どもの頃は理解しきれなかった部分、
読み込めなかった箇所も今なら堪能できるはず。
そして僕は大人買いを始めた。
その過程で「大どろぼう~」シリーズが、
児童演劇における題材として使われていることを知る。
なるほど、道理で難しかったわけだ。
僕の記憶が正しければ、
当時読んでいたのは戯曲の台本として脚色されたもの。
一行ごと、冒頭に登場人物の名前が記載されてあり、
また、注釈がやたら多かった点を不思議に思っていた。
現在流通しているシリーズは児童書の王道形式であり、
小学生だった自分が読んでいたものとは違う。
こんなにスラスラと読めるお話ではなかったはず……
「タンタン~」シリーズは大学生時代から、
社会に出て地元の企業で働いていた頃まで、
機と懐をみては買い揃えてきた。
勤務先が書店であったため退勤時買って帰ったり、
時には同業他社の店舗へ休日出向き、
敵情視察兼勉強のため歩き回る、そのついでに購入したり。
大判でオールカラー、1冊千円オーバーの代物。
早々気軽に買えるものでもなかった。
それゆえ、物語が上下巻に渡れば続きが気になる。
しかしそれもまた、ひとつの楽しみであった。
冒険と銘打つだけあって危機一髪の場面が多く、
またその前後が上手く描かれていることから、
ハラハラドキドキする気持ちは大人になっても変わらぬまま。
巨匠S・スピルバーグにより映画化された時は、
一報に驚く一方、納得したことも覚えている。
あれだけ見せどころ多々でキャラ立ち見事であれば、
原作のファンでなくとも一映画として十分楽しめる。
そして不朽の名作として映画版も名高い「メアリー~」シリーズ。
こちらは上京前、持参品に読み物を求めていた際思い出し、
新書サイズの岩波少年文庫版を、これも大人買いした。
改めて読み返すと、登場人物への印象は小学生時代から変化はなかった。
大人は大人らしく、子供は子供っぽくとリアルな設定がなされており、
ストーリー展開にも強引さがない極上のファンタジー。
分類としては児童書だが小説として出来が非常に良く、
むしろ海外文学に位置付けたほうが適切では、と個人的に思う。
説明描写の場面は手短ながら分かりやすく、
会話のパートでは台詞のセンスとテンポの良さに唸らされる。
一人暮らしに寂しさを感じると手に取った。
現実と地続きのエンタメに、空想へ逃げることなく心が癒された。
時代を、世代を超えて愛される児童文学。
その訳を幼少期と青年期、異なる視点から、
好奇心と衝動に駆られ、作品に触れることで教えられた。
出合えた奇跡に感謝し今後も読み続けたい、僕はそう思っている。
児童書と私