かかし大海を知らずも

書肆彼方

かかし大海を知らずも

 そびえる無機質なジッグラトをうらめし、あぢきなくさびし公園の追懐にのまれる。
〝さびし公園〟というのは彼いわく遊具がひとつのみ、もしくはしけたベンチだけの広場で、ほとんど手入れもされず、申しわけなさ程度に存在している公共広場を指した。ようするに近所の子どもすら見むきもしない忘れ去られた公園のこと。
 街をよく逍遥(さんぽ)する彼はそんな場所をいくつか知っていて、わたしを公然と秘密の花園へ招待してくれたのだ。
 なかでもわたしたちのお気に入りはブランコだけのさびし公園。ささくれた錆止めの赤いペンキがペリペリむける支柱、キンと冷えた上腕骨みたいな鎖に髪と皮膚をもっていかれないよう気をつけながら、ギゴッチョ、ギゴッチョと座板を押し引き、若い男女がしょうもない言葉のキャッチボールを飽きもせず一日中楽しんでいた。
 彼がきっかけを投げると、わたしはゆるく返す。始まりは空をさまよう雲の像だったのが、いつのまにやら読んだ本のあとがき、どっかで耳にした音楽の断片について語る。暗記していたエリュアールの『自由』はいったいどこにあるのかと、口にするのもはばかられるくらいの場所まで掛け合い、ときおり通行人を見つけてはポーの『群集の人』に倣って、きっとこんな性格だとか、社会的立場や収入のレッテルと家族の人数に年齢、老後はこうなって、果ては子供たちの醜悪な遺産争いなど、舞台俳優よろしく演じていると小腹がすく。
 図ったようにじゃんけんして勝ったほうが近所のお惣菜屋さんで男爵コロッケを、敗者はほの甘くてやわらかめのコッペぱんをパン屋さんで買う。なぜかって、パン屋さんはちょっぴり遠いから。コロッケぱんにすればって思うかもしれないけど——ちなみにコロッケぱんは〝パン〟じゃなくて〝ぱん〟よね——端的に言えば、パン屋さんのコロッケが絶望的なまずさで、いつからか別々に買うルールがわたしたちの国会で議決された。いっとき小倉マーガリンコッペにサンドすると甘じょっぱくておいしいとか、イチゴジャムコッペは欧州風などとふざけていたけど、だんだんバツゲーム要素が強くなったのでフォーマルに落ちついた。
「ねえ、あの自転車。きっと放浪者(ワンダラー)よ」
 なにげなくそう言うと、公園のすみっこにあるサドルが抜かれたおんぼろ放置自転車は手製コロッケぱんを半分こして頬張るわたしたちの注目の的になった。
「ああ」彼はコロッケにテロリとたれる中濃ソースを気にしながら口を開く。「使役を解かれた哀れなロバかな。主人から見捨てられ、今やひとりぼっち」
 包み紙の乾いた音にブランコがきしむ二重奏。ぼう然と立ちつくすロバの姿に、わたしたちはパンを食べ終えるまで感傷にひたっていたのだろう。
「ペシミスティックね。でも好き」わたしはラードとソースで染みた包み紙をキレイにたたむ変なクセを恥じつつ、「だって、あなたの夜にはアルキオネがまたたいてるもの」。
「じゃあ、ぼくたちはカワセミだ」
〈ううん、違う。あなたはオオワシでわたしがカワセミよ。わたしの知らない宝物をいつも彼方(はて)から運んでくる。そして、宝箱を開けるのも、のぞくのだって世界でわたしだけ。だから池のほとりで待っていられる。深閑とした森の朝露 耳をすませ、ただあなたの歌を慕い求めた。丸める碧い翼、水面で波打つほてったくちばし。あなたは知っているのでしょう、何もかも、何もかも〉
 宵の口、公園がいっそうしんみりした雰囲気になれば街はいよいよ目覚め、どこからかキンピラの匂いでもして、「帰ろっか」と彼はつぶやく。
 わたしは前後に揺れる舟のリズムをずらし知らんぷりしていると、彼の帆船がうしろから追いかけて、抜きつ抜かれつの熾烈な競争が始まる。ついにピタリ足並みが揃うかぐらいの一瞬、逃げるように大海原へ飛びだせば、フック船長も続けて着岸した。
 ひゃっこい両手に白い息をあて、ちら見してから彼のブルゾンの少したるんだ脇ポケットに右手を突っこむ。彼は他人から触られるのが苦手で、手をつなぐなんてもってのほか。だから甲が重なり合う仕様。
 さびし公園からほんの数メートル、つぶれかけた駄菓子屋そばにベテランの自販機はうなりをあげていた。24時間営業お疲れさまと感謝の気持ちをこめ、軽く会釈して彼は小銭を投入。微糖コーヒーボタンに向かう人差し指をのけ、すかさずまあまあ好きなホットココアボタンがわたしの親指で押される。ガガアタゴドンと吐かれたあっちあちのスチール缶を取り出して開缶するまでが彼の仕事。とろとろココアを左手のホッカイロにしながら飲むのはわたしの役割。川そばの二階建て木造アパート前で、お別れの挨拶に甘ったるくて飲めなくなった残りのアイスココアをプレゼントするのはわたしの優しさ。乙女のおでこに缶をコツンとあて、まずそうに飲み干すのは彼の虚勢。
 そういえば帰り道、わたしたちは何を話していたのだろう。わたしは何を考えていたのかな、あんまり覚えていない。まあそんなもんか。
 住人がわたしだけの寂れたアパートは親切な年配大家さんのはからいで白熱電球が弱々しく照らされ、暗がりの道に建つ灯台のよう。もしかして彼が振り返るかもとか、首は曲げずに眼球を横いっぱいギリギリまで寄せるゲームをしていると、カサカサ音にドキッとして、まさかと思ったら野良猫の影が雑木から、おまんま欲しさに鳴いてるだけ。なんだか冷めて今日はもうおしまい。
「わたしってなに?」
 いつか耳に届かないくらいのかすかな音で、いや、もしかするとただの空気だったのかもしれない程度に、そんな問いかけをしたことがあった。関係がギクシャクしてたわけではないし、彼が冷たいとか、めんどくさく(・・・・・・)なったわけでもない。そもそも煩わしさでいえばわたしのほうが一枚も二枚も上手だし。だから子供が親に尋ねるみたいな漫然とした成長の問いかけかなって。
 彼はいつもより穏やかだった。あやまろうかと思ったけど、取り立てて悪いことしたわけではないからいいやって。喉にかかった魚の骨みたいにすごく後悔したけど。あんまりの後悔に胸の奥まで痛くてどうしようもないけど。でも、よくある伝統的愛情表現なら「ふーん」ってなっていただろうし、もしかすると聞こえてなかったとか、彼は答えられない質問には沈黙で応じることがよくあったから。そうやってわたしは自分を慰撫したいだけなのかも。なんだかいいわけばっかり、バカみたい。
 ほの暗い部屋、毛布をすっぽりかぶって丸座卓に頭を預ける。ゆがんだガラス窓ごしに街灯が川でフラダンスしてた。ほろりと水滴がこぼれる前にパンがティンクと面影を探しにくればいいのに。

 天まで届くほど長い両端の鎖をにぎりしめ、初めはゆっくり、でもだんだんと大振りに。ブランコは全身になじんで血が巡り、やがて一体となる。まるで霧の上で巨人が足踏みしているみたいに、ほんの少しのあいだだけ彼の顔と交わり、すぐにまた去ってゆく。
「ねえ、見て! あっちでカカシがわたしたちをのぞいてるわ」
 視線の先には白いコットンシャツに紺色ズボン、ボーラーハットをかぶったおしゃれなカカシが過去に飲まれまいと必死にこらえている。
 かつて大都市へのぼる鈍行の車窓で流れたカカシも同じように立っていた。広大な畑、海を背に終始わたしを見つめ、必死になにかを訴えているようで、苦悩でもなく、悲痛でもない。ただ遠くでかすむ夢について教えてほしかったのだと思う。
「かかしは潜水なんてするのかしら?」
「畑の中のかかしは大海を知らない」
「そっか。でもわたしたちのことは知っているはずよ。ずうっとこっちを見ているもの」
「どうだろう。ぼくには彼が無為に見えるんだ」
「あのカカシには守るものはないし、戦う相手だっていないわ。存在意図がわからなくて、視界に入ったわたしたちに意味を見いだそうとしているのよ」
「彼が自他を意識しているように思えない。いや、彼女なのかもしれない。そもそもカカシを性でとらえるものなのかな」
「あなたらしい見解ね。側面からなでる推論。でも、わたしにとって大切なのはあのカカシが今どう思っているかよ。そうすればなにをしたいのかを推し量れる」
「そうしてきみはいいコいいコして頭をなでてあげるの?」
「それで満足するならね。かわいいでしょ、カカシって」
「ぼくもカカシだったらよかったのかな。そろそろタイミング、合わせたほうがいいかい?」
 彼はわたしが知りたかった真意にふれずに、あえて観点をそらす。でもそれはおせっかいな優しさで、車の運転のように衝突を避けるためだった。本当の彼は情熱的なのに、表に出さないのはわたしのため。グイグイくる人がどうにも苦手で、手をつなぐのは悪くないけど引っぱられすぎるのもいや。わがままなわたしに文句ひとつ言わない。わたしはあやまったことなんてないけど、彼はいとも簡単にごめんねって言えるし、どうしたらいいのってパッシングせず進路をこころよくゆずってしまう。いったいわたしはどちらの彼を好きなのだろう。合わせてくれる彼とまっすぐな彼。彼はわがままなわたしと素直なわたし、どちらが好きなのかしら。
 くつ飛ばしで決めたかったけれど今は裸足だからできない。それなら、やってくる彼を抱き止められたら最初のわたしと彼、ダメなら最後のわたしと彼にしよう。
 伸ばされた舳先は風を切って降下する。地を舐め空へ上昇、頂点で手をほどくとわたしの体は放物線を描き宙を舞う。メアリーポピンズのつもりで優雅に着地を決め、振りむいてお辞儀し、「おつぎはそちらの番」。
「いいよ、ぼくは」なんて言いながら誘いに乗る永遠の少年(ロストボーイ)は、競って大きく振りあげ、ブランコごと雲の中へ消えてゆく。なんだか彼、がんばり過ぎたみたい。
 予想外の展開にとまどい、ソワソワ彼の落下地点を探す。手を大きくあげてあちこち動き回る姿を見られたら恥ずかしいかも。わたし、久しぶりの再会でそっけない態度をとっていたし、彼と歩いているときも「あっそ」なんて、つっけんどんだ。そのくせ気づいてほしいから髪をバッサリ短くしてツバキ色の派手なノースリーブのワンピースとか、見事な自己顕示欲ぶり。
 やがて捕球よりいつまでも落ちてこない彼が上空で何をしているのか、どうにも気になってきた。まさかわたしに隠れて、おもしろいなにかを発見していたらどうしよう。たとえば、まっ白なクロスが敷かれたテーブルを囲んでおかしな帽子屋や三月ウサギに眠りネズミとティーパーティを楽しんでいたら、わたしがいないなんて考えられない! くつ飛ばしなどすっかり忘れ、早く彼がもどってきてのお願いに変わる。
 もどかしく感じていると、彼は体を広げてスカイダイビングを終え、あおぐわたしのもとに落ちてきた。彼はあまりにも大きすぎて受け止めきれず、ふたりとも倒れてゴロゴロ転がってしまった。結局どっちなんだろう、もうどうでもいいけど。
「わかったんだ!」
 子供みたいに興奮している彼。もしかして魚の骨の答えかしら。それともわたしの知らない風景を見たのかも。なんだかこっちまで高揚する。
「なにが?」と、わたしはあくまで平静に。
「かかしのこと!」
 あまりの突飛な言葉にくつくつ笑ってしまった。だってアリスにオズが登場してくるんですもの。
 彼は気にせず、そんなわたしをそばに、そして強く、そしてふわって。
「やっと……やっと」耳をなで、心をこそぐる彼の声。
 わたしはこの返事を最初(はじめ)から決めていた。
「おかえりなさい、あなた」
 ここちよい無言の風。彼はわたしをのぞきこみ、うなずく。
「どうかきみに聞いてほしい。雲海を抜けるとアトモスフィアが色をもっていたんだ。それは……」
 ね、やっぱりあなたはオオワシで、わたしがカワセミ。

かかし大海を知らずも

かかし大海を知らずも

知り合いの子供とアスレチックで忍者修行して右足が池に.まだ見習いらしい. 『Lord Mayo』Cherish The Ladies 『Above the Clouds』Cyndi Lauper

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日 2020-03-01

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