母へ
この日、日本中が猛暑に襲われ、私の暮らしている東京都練馬区では、最高気温は37・9度、今年一番の暑さとなった。
歌舞伎町の漫画喫茶で、深夜勤務のアルバイトとして働いている私は、平日はたいてい夕方か、時には暗くなるまで眠っている。しかしこの日ばかりはあまりの暑さのために寝てもいられず、珍しくまだ昼間の明るいうちに目を覚ました。そしてせっかく起きたことちだし、久しぶりに布団でも干そうかと思って、縁側に出た。そして何気なくサッシ窓を閉めた――それが私の運の尽きだったのである。
その瞬間、なぜだか不吉な予感がした。
私は慌てて今閉めたばかりの窓を開けようとした。しかしどういうわけだかそれが――
――開かない……。
縁側のサッシ窓は、全面曇りガラスになっていて、外からだと中の様子が全く分からない。しかしこれはどうやら私は、外に締め出されてしまったらしい。
――なんで開かないの? どうして?
あまりに突然の出来事に、私は軽いパニックに陥った――と同時に、顔、胸、脇、体中からどっと汗が湧いてくる。
焦った私は何とかこれを力づくでこじ開けようと、指も折れよとばかりに、思い切りサッシを引っ張った。しかし、引っ張っても駄目、押しても駄目、小指一本分の隙間すらできないのである。まるで私が目を離した一瞬の隙に、腕っこきの職人がやって来て、はんだ付けでもして帰ったかのように。
――とにかく一回落ち着こう、と私は自分に言い聞かせた。誰も鍵をかけていない窓が、突然開かなくなる理由とはなんだ…?
……そして間もなく私が導き出した答えーー
――これは恐らく、私の部屋が尋常じゃないほど散らかっていたために、この窓を勢いよく閉めた拍子に、近くにあった何かがパタンと倒れて、それがつっかい棒になってしまったのではないだろうか?
――うん。そうに違いない。私はそう確信した。だって他にどんな理由があるというのか?
(実はこれは、先に答えを言ってしまうようで悪いけれども、原因はつっかい棒でも何でもない。ただ単に、この年期の入ったサッシ窓の、クレセント(三日月)鍵が緩んでいて、窓を閉めた時の衝撃で、それがくるりと回転して、勝手に鍵がかかってしまったのである。なんだ、真相を知ってしまえばそんなことか――まるでチープな密室トリックのようじゃないか――と私も思ったが、しかしこの時点での私には、まさかそんなことが起きていたとは、全く知る由も無なかったのである……)
――こうなったらこの窓ごと外すしかあるまい。
引き続き涙ぐましい努力を続けていた私は――その間も汗は留まることを知らない――両側からサッシを掴むと、上下左右にがたがたと揺らし始めた。ふすまの要領でこれを外そうと考えたわけである。
けれどもこれは、やればやるほど外れるどころか、サッシで指先が傷ついていくだけであった(そもそも窓の構造上、閉めた状態で外側から外せるわけもなかったのであるが)。
そしてここに至ってようやく私も、ここから中に入るのは不可能だ(ガラスでも割らない限りは)という結論に達したのである。
ただ一つだけ、私の住む部屋が一階だったことだけが、私にとっての唯一の救いとも思えた。でなければ事態はもっと深刻な様相を呈していたかもしれない。
その場はとりあえず一旦諦めて、私は縁側から地面に降り立った。そして胸の高さほどの塀をよじ登ると、アパートをぐるりと回って表玄関に立った。
しかし案の定、玄関の扉にもしっかりと鍵はかかっている。しかしそれを知ったからといって、私が今まで以上に動揺するとか、そういうことはなかった。すでに混乱の極み(ピーク)は通り過ぎたのである。それに私は玄関の扉には、端から期待してはいなかった――私は寝る前にはしっかりと鍵を確認してから眠るタイプだったからである。
玄関の左手には台所の窓が、右手には風呂場の窓がついている。どちらの窓も開きっぱなしになっていたが、どちらにも泥棒よけの頑丈な格子がついていた。ドライバーでもない限りは、これを外すのは困難だろう。
こうなったらもう、残された方法は、アパートの他の住民たちが帰るのを待って、大家に連絡をとってもらうしかない……。
アパートには計六部屋(一階に三部屋、二階に三部屋)ある。
まず一階の一号室のドアを叩いた。ここに引っ越してきた時にすら、挨拶にも行かなかった顔もよく知らない隣人に、助けを求めるということに対しては、若干の不安を感じていた。また汗だくのTシャツと、トランクスという格好を人前にさらすということに対しても。しかし私は、もう今さらなりふり構ってはいられない(背に腹はかえられない)のであった。
しかし、何度か叩いたところで、どうやら一号室の住人は留守らしい、と分かった。それでも一度目の緊張感を乗り越えたことで、少し気が大きくなっていた私は、それから二号室(これは私の部屋だから除く)、三号室、四号室……と、二階の六号室まで次々に叩いていった。
ところが、どの部屋からも全く反応がないである。
あまりの反応のなさに、もしや居留守でも使われているんじゃないか、という疑いが胸に湧いてきた。そこで私はしばらくそのまま隣人のドアの前で、じっと耳を澄まして立っていたが、やっぱり留守は本当のようである。人のいる気配は全く感じられない。
こうして私は、ここからしばらく、まるで忠犬ハチ公のように、真夏の炎天下のもとでただひたすらに住民たちの帰宅を待つはめになってしまった。
あんなに心細い経験は、上京したての頃に、全財産の入った財布を失くしてしまった時以来である。
そうしてどのくらいの時間そうしていたかとか、はっきりしたことは、時計を確認することすらままならなかった私には、何とも言えない。感覚的にはとてつもなく長く感じたが、それでもたぶん、実際には三十分くらいだったかもしれない。
そのうちに私には、別のことが心配になり始めた。
すっかり汗でTシャツが体に張り付いて、気持ちが悪いことや、朝からまだ何も口にしていないこと、でもそれよりも何よりも心配だったのが――熱中症である。
この夏は特に暑かったので、校庭で部活に励んでいた学生や、通勤中のサラリーマン、家で留守番をしていたお年寄りなどが、突然熱中症で倒れて、救急車で搬送されるというケースが頻発した、という情報くらいは、テレビっ子の私が知らないはずもなかった。
その時は対岸の火事くらいのつもりで見ていたが、今、それはまさに私のいる状況そのもののように感じられた。
そこでとうとう私はこれ以上ここで待つことは断念して、近くの交番に助けを求めることに決めた。交番まで行くことができれば、きっとそこで電話を借りることができるだろう。そうすれば鍵屋を呼んで開けてもらうことだってできる。そう考えたのである。最初からそうすれば良かったのだ。
アスファルトの道路に、素足で立つと、すぐに、足の裏にこんがりと焼き色がついてしまいそうな熱さを感じた。私はやけどをしないように、なるべくその上を、限りなく接地時間を短くするような走法で駈けて行った。
途中で、女子高生の集団とすれ違った。彼女たちはまるで刑事のように目ざとく私を見つけた。まず一人が私を見つけ、それからその情報はすぐに仲間たちに伝わった。すると彼女たちはお互いに目配せし合いながら、クスクス、クスクス、と笑い始めた。私はそれまで、クスクス、という笑い方は、漫画かドラマの世界の話だけかと思っていたので、こうして本物のクスクス笑いを見た瞬間には、なぜだか軽いショックを覚えた。しかし私は笑われてうつむいてしまうのもシャクだったので、自分が今、素足でアスファルトの上を走っていることも、汗だくのTシャツにトランクスという格好であることも、そんなこと全部知っていますよ、といった風に、顔を上げ、胸を張って彼女たちの前を通り抜けた。そうすることで私は、彼女たちに、私はこれをわざとしているのだ、といういわば嘘のアピールをしたわけである。彼女たちが果たして私の嘘を信じてくれたかどうかはわからないけれど。
とにかくこうして無事に関門を通過した私は、駅前の大通りに差し掛かかった。すると交差点ではタイミングよく信号が青に変わったので、私はそのままのスピードで、それを斜めに突っ切ることができた。こうして人混みに混じってしまえば、私の格好もそれほど目立たないように感じられた。そしてここまでくれば交番までは目と鼻の先である。私は結局家から一度も止まらずに、交番までの距離およそ800メートルを走破したことになる。
ハアハアいいながら交番に飛び込むと、まだ学生腐さが抜けきれていないような、随分若い警官が、何事だ! という様子で、椅子から飛び上がった。
私は息を整えつつ、彼にこれまでの経緯を話して、電話をお借りすることはできないか、と頼んだ。警官は、それは大丈夫ですけれど、本当に事件ではないのですね、と、何度も念を押すように私に確認した。
私はただ布団を干していただけで、これは全くもって事件ではないと、彼に念入りに説いてやった。それでも彼は職業上完全に私を信頼することも、また安心することもできないらしく見え、どこか煮え切らない態度を私に取り続けた。でも私はそれで不愉快な気持ちになったわけでは少しもなくて、逆にそれでこそ日本の警官だと彼を誇らしく思った。
そうしてようやく義務的な問答の種がなくなると、それで彼も納得したのか、鍵屋なら何個かありますから、それならどうぞ、どれでもお好きなものを――と言って、私から見て左手の壁を指差した。なるほど、壁には鍵屋のシールが貼ってあった。そこには鍵屋だけではなく、――電気屋、ガス屋、便利屋――などのシールが、ペタペタと貼ってあるのだった。いくつものシールの中から、私は少なくとも三軒の鍵屋を見つけた。私はその中から一番地味なシールを選ぶと、書かれている番号に電話をかけた。
トゥルル、トゥルル、――三コールほどで、ガソリンスタンドの店員のようなハキハキした声の男が出た。私は先ほどこの若い警官――今もさりげなく私を観察している――に喋った話を、電話口の男に再び繰り返した。すると鍵屋は、警官とは違いすんなりと私の話を理解して、それならだいたい三十分ほどでうかがえると思います、と言った。
電話を切って、私が礼を言って帰ろうとすると、警官はなおも、本当に事件ではないのですね、とでも言いたげな顔をして私を見つめていた。
再び家に戻ってくると、玄関の近くに、さっきは気がつかなかった小さな日陰を見つけた。私はすとんとそこに腰を下ろして、鍵屋の到着を待つことにした。
約束通り三十分ほどで、原付バイクに乗った三十歳前後の鍵屋が、スイマセーン、お待たせしましたー、と言いながら元気良く現れた。妙に腰が低く、軽いノリの男で、私のイメージしていた鍵屋とは全然違っていた。私のイメージでは、鍵屋というものは、もっと寡黙で秘密主義的なイメージだったのだが。あるいは彼はまだ新人の鍵屋だったのかもしれない。
鍵屋は私の説明を聞くと、すぐに仕事に取り掛かった。
まず鍵屋は、商売道具の入った鞄を取り出すと、中からダウジングに使うような二本の細い棒のようなものを取り出した。そしてそれを二本とも起用に鍵穴に差し込むと、一本は固定したまま、もう一本のほうで、分厚いステーキでも切るようにガリガリと鍵穴をこすり始めた。そして一分か、あるいはもっと短かったかもしれないが、カチャンという懐かしい音とともに、意外に呆気なく鍵は開いた。
鍵屋はそれを見て、客前で手品を披露し終わった後のマジシャンのような顔付きで、鍵が壊れていないか確かめて下さい、と私に言った。
言われた私の方は、もちろん反対する理由もなく、彼に言われるがままに、ドアを開けて、内側から、扉についているボタン式のロックをかけると、再びバタンとドアを閉めた。
そこで私は自分が間抜けな失敗を犯してしまったことに気がついた。まだ鍵を部屋の中に置いたままだったのである。私は鍵屋に申し訳ない気持ちで一杯になった。しかしそのまま彼に真実を隠しているわけにもいかずに、私は彼のいる方向へ向き直ると、両手を広げて彼の顔を見つめた。そしてドラマの後半に、とうとう追い詰められた犯人が、決して嫌いではない警官に、自分が犯した罪を告白する――ような気持ちで、私は自分がドアの鍵を持ってないことを白状した。だからあなたを呼んだわけでして……、と言い訳めいたことを付け加えながら。
ところがそう言われた当の鍵屋は、いえいえ、私が言ったことですから、気にしないで下さい、と逆に恐縮して、そのことでは微塵も私を責めようとする素振りは見せなかった。 それを見た私は、すぐに彼に対する第一印象を修正して、意外に彼はこう見えてなかなかのナイスガイだと思うことにした。
こうして鍵屋は再び、まるでデジャヴのようにしゃがみ込むと、カバンから商売道具の二本の細い棒を取り出し、再び器用にそれを鍵穴に差し込んだ。
けれども今度は、一度目よりもずっと短い時間でーーガリガリカチャン、ぐらいに簡単に鍵が開いた。それを見て私はまた意外に思った。そして本当は彼は、一度目もやろうと思えばこんなふうに、簡単に鍵を開けることができたんじゃないか、という軽い疑いを抱いてしまった。でも、さっきあんなに私によくしてくれた彼に、それを言うのは野暮というものだ。恐らく一回目はいわゆる鍵屋的なパフォーマンスというやつで、つまりあんまり簡単に鍵を開けてしまっても、後でお金を請求する時に気まずいのじゃないかしら、と私は考えて、一応納得することにした。もちろん鍵屋でもなんでもない私には、本当にあれがパフォーマンスであったかどうかなんて、未だに真実は分からないのだけれど。
いずれにしろ私は役目を終えた鍵屋をそこへ立たせたまま、一人で部屋の中へ入った。家の中はひんやりとして薄暗く、そして誰かに荒らされたかのように散らかっていた。しかし私は、この部屋がついさっきまで完全な密室であったことを知っていたので、それがだれの犯行であるかはすぐに分かった――私の犯行であるーーだから私はそれを見ても毛筋も慌てることはなかった。
そうして私はガラクタとゴミの山を乗り越えながら、真っ直ぐに本棚へと向かった。そして本棚の上から二段目の棚にしまっておいた銀河鉄道の夜のDVDを手にとると、そのケースをパカッと開いた――するとテレビドラマでもよくある回想シーンのように、私の脳裏にもある記憶が、まるで昨日のことのように蘇ってきた――
――あれは今から一ヶ月ほど前のことだった。三月に起こった東北の大震災以降、全国各地では未だに余震が続いていた。いつどこに再び大地震が起きても不思議ではない。そんな緊迫した状況の中で、日本中の人々が、ちょっとした揺れにも恐怖を感じ、起きている人はテレビを付け、眠っている人でさえ目を覚ました。
そのうちに今度は東京が危ないらしい、という噂が流れ始めた。今までも何度も囁かれてきた噂だが、今度のはほんとのほんとに危ないらしい、という話だった。
それがたぶん、田舎にいる母親の耳にも届いたのだろう。三十を過ぎても未だに職を転々として、いつまでたっても夢見がちな息子を心配していた母親は、息子の性格上、非常時の備えなどまったくしていないことも見抜いていた。だから母は私に黙って、勝手に非常時用の食料や懐中電灯、電池やコンパスといったものまでを揃えて、ぎっしりと段ボールに詰めて、宅急便で送ってきたのである。
送られてきた段ボールを開くと、荷物の一番上には封筒がそえてあって、中には――このお金は、これから先何かあった時のために、使わずにとっておいて下さい――と書かれた手紙と、それと一緒に現金一万五千円が入れられていた。私は黙ってそのお金を封筒から抜き取ると、自分に対する情けなさと、母への感謝を静かに噛みしめつつ、それをどこかに置き忘れたり、また泥棒に盗まれないようにと、一番いい隠し場所を考えようと思った。そしていろいろ考えたあげく、私はそのお金を、一番自分が愛している銀河鉄道の夜のDVDケースの中にしまったのである。
鍵屋は、一応、と言って、私に身分証の提示を求めた。それから律儀に領収証まで書いてくれた。
領収証の内訳は、解錠、出張費込み、と書かれていた。
しめて一万二千円なり。
――母さんごめんね。
母へ