素にして透くが白ではない

素にして透くが白ではない

 ここ最近、白湯を飲むようになった。
 食事時、喉が渇いた食間、おやつの際も白湯である。

 思春期以降約20年変化のなかった体重、49キロ。
 それが帰郷後、新たな環境への適応に苦戦、
ストレス解消と称して暴飲暴食へと走り、
そこへ運動不足が重なった結果、大分増えた。
 最重量時はプラス20キロにまで達し、
今はそこからマイナス5キロで治まっている。
 
 体重増に伴う体型変化の最たるもの、それはお腹。
ぽっこり膨らんでしまっている。
 在京時、ストイックに励んだトレーニング。
 その成果である割れた腹筋は跡形もなく、
変わってぽよんぽよん、お餅のような弾力性をもつ有様。

 このように腹部の筋力が衰え脂肪が付き、
以前と比べ、断然胃腸が弱くなった。
 脳と腸は直結の関係にあるため、
ストレスを感じた際に腹を壊す割合も多くなり、
排泄の頻度が増え、トイレへ何度も駆け込むようになった。
 現在は月一ペースでお医者様へ通い診断を受け、
日に3度薬を服用し胃腸の負担を緩和している。

 食生活では刺身や卵などの半生食、
甘いものは控えるよう気をつけている。
 飲み物もしかり。
 キンキンに冷やすなどもってのほか。
常温に近いものを選ぶように気をつけ、
ジュースでもお酒でも炭酸系は家では飲まない。

 ストレス解消を口実に週一ペースだった外飲みは、
数か月前から月2へと回数を減らすようにした。
よく飲んでいたハイボールの注文は減らし、
近頃は芋焼酎のお湯割りや白ワインを好んで飲む。

 幼少期から実家での朝食や夕食では、
成分無調整牛乳が食事のお供になっていた。
 幼稚園を経て義務教育に至る給食で出たのも牛乳。
 高校から大学、そして地元の企業へと就職、
後に上京し一人暮らしを始め、飲食に遷り変わりが生じても、
食卓に並ぶ飲み物と言えば牛乳、その意識は変わらなかった。
 
 そんな鋼鉄の掟も体質の変遷には膝を屈する。
 牛乳を飲むと、決まってお腹がゴロゴロいうようになった。
 食事を終えるとトイレに駆け込む姿が目立ち始め、
時には不躾ではあるが食事中に席を外すこともあった。
 温めれば何とかいける。
 だが、僕にとってご飯のお供は冷蔵庫直送。
 グラスが透明から白へと変わる、
その過程を味同様、愛おしく感じてきた。

 しかし背に腹は代えられない。
 日常生活への支障を避けるのはもちろんのこと、
脳と腸とが密接な関係性を持つ以上、
自らの頭で考える、思考を止めてはならない。
 
 そして試行錯誤の日々は始まった。
 まずは野菜ジュース、
次にアセロラドリンクを試してみた。
 どちらも美味しい。
 問題は料理の風味を消しかねない濃さ。
 食後に飲むのならば十分ありだが、
食事の合間となると少し個性が強い。

 そこで考えたのが、
以前から食卓で両親が飲んでいた白湯。
 これまでの僕の認識は水を温めただけ、
味も何もないただのお湯、それが白湯であった。
 が、飲み続けると甘さを感じ始めた。
グイグイ前には出てこない、控えめな印象。
 また食後は口に残る味を整理してくれる。

 長らく牛乳党一筋であったが、
思わぬところで転換点が訪れた。
 かといって牛乳が嫌いになったわけでなく、
離れてむしろ恋しい気持ちは募る。
 今生の分かれでなし、逢える日はきっと来る。
 飲料のバリエーションが増えたのは良いこと。
 そう前向きに捉え、今宵も白湯を飲む。

素にして透くが白ではない

素にして透くが白ではない

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-22

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