奇想短篇小説『右から二番目の鰐』

奇想短篇小説『右から二番目の鰐』

「突然、何かが見えたんです。まだ足を踏み入れたこともない庭園が遠くに見えました。そこへ行くまでの途中にはいろいろありそうでしたが、とにかく、初めて見る庭園がありました」
(カズオ・イシグロ『チェリスト』)

第一章 私はまぎれもなく一匹の叩かれ師です (鰐の話)

 
 僕の仕事はちょっと他人には言いづらいところがある。世間的に見て、それはいくぶん身体的にも精神的にも不健全なものであるからだ。かと言って、仕事内容が法に触れているというわけではない。けれども僕の父のように長くこの仕事を続ける者はほとんどいない。先週も僕の同僚がひとり、辛さに耐えきれずに辞めていった。最近の若いもんは根性が足りんと職場の先輩は揶揄していたが、辞めていった彼の気持ちは僕には痛いほどわかる。僕だって辞められるものなら今すぐにでも辞めてやりたい。けれども僕にはこれといって取り柄もないし、他にやりたいことも思いつかないので仕方なく今の仕事を続けている。生きていくには働かなくてはならない。税金だって払わないといけない。しかしそれにしても僕たち(わに)にまで労働と納税の義務があるなんて、この国はどうかしていると思う。まあ、そんなことを言ったところでこの国のシステムは一ミリも変わらない。
 僕は「叩かれ師」をしている。「師」と言うと、なんだか敷居の高い職業に携わっているように聞こえるけれども、まったくそんなことはない。ゲームセンターの片隅に置いてあるワニ叩きゲームの鰐をやっているだけだ。父も同じ「叩かれ師」だったが、今はもう定年でリタイアしている。定年を過ぎてまでやるような仕事ではないし、それに偏屈で昔気質な父にもそれなりの老後のプランがきちんとあるようだ。
 ここで念のためにワニ叩きゲームの説明をしておく。ワニ叩きゲームは1980年代の終わりがけから稼働が開始した業務用アーケードゲームのことで、五匹並んだ鰐を制限時間内にできるだけ多くハンマーで叩いて撃退するという内容である。高度な知能を有している人間が開発したゲームにしては非常に単純で野蛮なゲームである。知性のかけらも感じられない。けれどもこのゲームのおかげで僕は今こうして世知辛い世の中で仕事にありつけているわけだ。しかし、現在は日本のアミューズメント市場全体が低迷しており、ワニ叩きゲームどころかゲームセンター自体の店舗数も激減している。そんな状況なので時代遅れで将来性もない「叩かれ師」の職に就く鰐なんてほとんどいない。優秀な鰐たちのなかには大手企業に就職し、スーツにネクタイという姿でデスクワークに従事している者もいる。高度資本主義経済の只中にいれば鰐だってそうなる。ダーウィンの進化論である。それに、鰐らしく川で泳いでいても危ないだの汚いだのといろいろと迷惑がられるだけだ。
 僕が叩かれ師になった理由はいたって単純だ。そこには子どもの頃からの夢とか燃え(たぎ)るような野望とかいったものは何も介在していない。ただ、大学を卒業してから父の知り合いの紹介でゲームセンターで働くことになっただけのことだ。当時、大学の同級生たちは就職活動にやけにのめり込んでいたが、僕にはみんなと同じようにはできそうになかったので、楽な道を選んだというわけだ。実際にそのゲームセンターに行ってみるとせっかく用意してきた履歴書はいらないと言われ、かたちだけの面接が終わると、訳も分からないままその日からすぐに働き始めることになった。ちなみに叩かれ師になるには、厳しい師匠について山奥やら滝壺やらで修行をしたり、あるいは毎日何時間も勉強してややこしい名前のついた難しい試験をパスして資格を取得する必要もない。叩かれ師になりたければ、ただ自分からそう名乗ればいいだけだ。「私はまぎれもなく一匹の叩かれ師です」と。まあ、そんな鰐はよほどの物好きか、のっぴきらない理由があるかのどちらかである。しかし父が言うには昔はそうではなかったそうだ。叩かれ師は弁護士や医者と同じくらいみんなに尊敬されるような職業だった、と父は酒を飲みながらよくそんなようなことを言う。まるでこのあたり一帯はむかし海だったんだとジオグラフィカルな秘密を打ち明けるように。要するに昔は今よりもっとシンプルでわかりやすい時代だったということだろう。
 僕の勤めているゲームセンターでは叩きに来る客は数えるほどしかいない(まあ他店舗でも同じような状況なのだろうけど)。今の時代、スマホゲームも充実しているし家庭用VRゲームもあるくらいだから、わざわざゲームセンターまで足を運んで、昭和の匂いがこびりついたようなワニ叩きゲームをしに来る客はそうそういない。来るとしても無邪気な子供や暇を持て余しているカップルや酔っ払った大人や物珍しさに惹かれた外国人観光客が、「お、いっちょやってみるか」という程度のスタンスで叩いていくくらいだ。それでも、なかには二週間に一回だとか一ヵ月に一回というようなペースで叩きに来る変わった客もいたりする。そういう床屋の固定客のようなのがいないと商売にならないところもある。
 僕が叩かれ師をはじめたのはだいたい十年前になる。ずっと同じ店舗で叩かれ続けている。もちろんはじめは叩かれることに慣れていなかったので、家に帰ると全身あざだらけになっていた。風呂場でいつも泣いていた。母はいつも心配してくれていたが、筋金入りの叩かれ師だった父はいつも知らん顔だった。だから母の無条件の優しさが僕をいっそう苦しめることになった。なんだって僕は鰐だからという理由でこんな辛い思いを毎日しなければいけないんだ。あんまりじゃないか。僕は神様なんてこれっぽっちも信じていなかったが、他に怒りのはけ口が見つからないので仕方なく便宜的に神様のことを恨んでいた。けれども、どんな人生にも試練が用意されているという健気な考えのもと、めげることなくそんな生活を十年近く続けているとやがて皮膚も硬くなり身体的な痛さは今ではもうほとんど感じなくなっている。この状態が正常か正常でないかと問われたら、きっとこれは正常ではないのだろうけれど、こればっかりは仕方がない。どんな職業でも特殊な環境なり状態なり癖がつきものである、それがいくら他人から見て奇妙で理解しがたいものであっても。
 しかし、ここ数年になってとうとうこの仕事を続けることに限界を感じるようになってきた。誰かに叩かれ続けるというのは身体的にだけでなく精神的にもやはり参ってくる。こんな生活を続けたところで自分の身をダメにしてしまうだけじゃないか、そう考えるようになった。埃が毎日確実に積もっていくのと同じように、僕のなかで名状できない負の感情が大小さまざまな陰鬱な山を形成していった。そんな僕に対して父はある日、説教じみた口調でこう言った。
「朝から晩まで叩かれ続けて、それに慣れていくと、濃い霧が徐々に晴れるように、ある瞬間から苦痛が喜びに変わっていく。苦痛をある一定のラインまで積み上げていくと湧き上がってくる特殊な感覚にやがて取り憑かれる。そこに愉しさを見出す。叩かれて叩かれて叩かれつづける。それを経てやっと一人前の叩かれ師になれるんや」
 父のその言葉には鰐としてのそれなりの重みや威厳のようなものを感じられなくもなかったが、僕にはどうしても父の職人的哲学を理解できなかった。申し訳ないけれども。そこには息子に対して語られるべき言葉がいくつか省略されているか、あるいは意図的に隠されているような雰囲気があった。それはちょうど海底世界をとらえた画素の粗い映像を見せられ、それがいかに美しいかを熱く語られたうえでさらにそれに対して深い理解と同意を求められているようだった。
 特にこの数年間は、不吉な暗雲が空を埋め尽くしていくように、この仕事に対する多くの疑問が僕の頭を重く支配するようになった。たとえばまず、鰐を叩くことをゲームにして楽しむ人間たちの倫理観を僕はどうしても受け容れられない。ガンジーだってきっとそうだろう(しょせんはゲームだからということで非暴力を謳うガンジーですらもやはり笑顔でハンマーを手にするのだろうか。いや、そんなことはない。なんたって彼はガンジーなんだから)。あるいはいったいどのような性質の人間がこんな趣味の悪いサディスティックなゲームを考えついたのか。その人間はいったいどんな精神状態にあったのか。家庭環境のせいなのか。ある種の個人的なトラウマが起因しているのか。それとも人間がもともと有している本質的な野蛮性が発露した結果なのか。そして何よりも重要なのは、なぜそれが鰐である必要があったのか、ということだ。鴨でも蛙でもいいじゃないか。他にいくらでも代わりになる動物がいるじゃないか。人間と鰐にそれほど深い因縁はないはずだ。それならゴミ袋や畑を荒らすカラスのほうがよほど人間に嫌われているはずだ。そこには彼らが叩かれるだけのまっとうな理由がある(たぶん)。あとそれに、きつい仕事のわりには給料はたいした額でもない。やりがいもなければ誇りも持てない。女の子にも自慢できない(仕事は何してるのと聞かれたときはパン屋で働いていることにしている)。雇用保険も厚生年金にも加入できない(これは最近知って驚いた)。いったいこんな仕事を誰がすき好んでやりたがるんだ。もうやってられない。とまあこういう具合に無限に分裂するアメーバのように疑問がさらなる疑問を生み、それらの疑問の蓄積がフラストレーションとなり、やがて大きな不協和音のオーケストラとなって僕を憂鬱で惨めな気分にする。
 しかし不愛想な露天商のようにこれだけいろいろと不満や葛藤を並べ立てたところで、結局のところ僕にはここ以外の他に行き場がない。たいした才能も野心もなければ、思い切って何かの行動を起こすための勇気も持ち合わせていない。そういうふがいない自分自身にため息をつきながら、今日も僕は重い足枷をはめられた囚人のような足取りでゲームセンターへ出向く。いってきます。

第二章 そこで夢が終わる (無職の男の話)

 
 おれが無職になったのは半年前のことだ。金型の製造販売の会社を辞めたのは、平たく言えば、まじめに働きすぎたせいで神経が伸びきって使いものにならなくなってしまったからだ。会社なんかでまじめに働いたところで、自分には何の得にもならない。ただ使われて使われて使われるだけだ。おれはそう考えるようになった。今は次に進むための回復期間のようなものだと自分では思っている。失業手当と前職でためておいた貯金を切り崩してだらだらと生活している。いささか変な言い回しではあるが、ぴったりな表現が他に思いつかないからあえてそのまま言わせてもらうと、無駄な時間をきちんと無駄に過ごす期間というのは人生において必要になってくる、遅かれ早かれ。だが、もちろんみんながみんなそうではない。ある種の人間にとっては必要不可欠ということであり、そういう人間はその期間をちゃんと経ておくことで長い目で見るとあとあとになってあの時にグウタラしておいてよかったなと思える時がきっと来るとおれは考えている。そこには耐震強度の高いリフォーム住宅のようにしっかりとした根拠はこれっぽっちもないのだけれど。
 このだらだらとしたおれの生活のなかにもそれなりのリズムがちゃんとある(集中していないと聴きそびれてしまいそうなくらい小さな音かもしれないが)。リズムがなきゃどんな生活だって成り立たない。リズムがない生活なんて生活とは言えないとさえおれは思っている。そんなものを抱えているぐらいだったら、おれならお金を払ってでもそれをさっさと粗大ゴミに出してしまう。たとえ回収業者が困った顔をしていてもだ。
 冗談はさておき、無職の人間がいったいどんな生活を送っているのか少しくらいは気になると思うので、おれのリズムあるささやかな生活についてここでざっと紹介しておく。
 朝八時くらいにゆっくりと起きてまずは顔を洗い口をゆすぐ。バナナを一本と買いだめてあるランチパックをトースターで焼いて朝食をとる。その時に温かいココアやジャスミン茶を飲むこともある。そしたら猫の額くらいの広さのベランダに置いてある植物に水をやり、洗濯や床掃除をする。それから身支度を整える。自転車に乗って駅の近くのトレーニングジムへ行く。そこで二時間たっぷり汗をかいて、ジムのシャワールームで身体を洗い、そのまま駅前の雑居ビルで昼食をとる。だいたいいつも蕎麦か餃子かハンバーガーを食べる。気分次第ではビールを飲んだりする。昼食を済ませてからそのまま自宅に戻ってこれまで読めなかった本を読むか、あるいは帰り道の途中にあるスーパーで食料を買い込んでから帰宅して本を読むこともある。いずれにせよ帰宅したら本を読む。あとは週に一度、申しわけ程度にハローワークへ求人を探しに行く。少しでも就職活動のようなことをしていないと失業手当をもらえなくなるからだ。あるいは気分が良ければゲームセンターへ行き、ワニ叩きゲームをする。あれは憂さ晴らしにはもってこいのゲームだ。何も考えずにただハンマーで叩けばいい。単純明快だ。これを考えついた人間は天才かもしれない。ワニというのがまた良いアイディアだ。夕食は自宅で簡単に済ませてから(だいたいボンカレーでそこにスパムを入れたりする。白米は事前に炊いてある)、近所の銭湯へ自転車で行く。基本的に移動は徒歩でも自動車でもない。徒歩は好きだが、いかんせん移動に時間がかかる。だからと言って自動車には乗りたくない。運転が苦手だからということでもない(うまいわけでもないが、人並みだ。事故を起こしたこともない)。だが、自動車という乗り物に対してはなぜか昔からそれほど良い感情を抱けない。理由はそれなりに思い当たるが、それをここで持ち出すとずいぶんと話が長くなるからやめておく。徒歩と自動車のちょうど中間にあたるのが自転車で、それがおれの主な移動手段だ。話をもとに戻す。銭湯でさっぱりしてから帰宅し、それからテレビ番組や映画を夜中まで観る。それでそのままソファーで眠ることが多いのだが、ときどきちゃんとベッドで寝ることもある。そして翌朝の八時ごろにまた目を覚ます。そこからまたこれまでだらだらと述べてきたことをだらだらと繰り返す。以上が失業してから半年間のおれのささやかなリズムに則った生活に関するあらましである。

 そのようにして大きな乱れもなくおれは生活のリズムをキープしながらだらだらと日々を過ごしてきたのだが、数週間ほど前からおれの平穏な生活に何かが介入し始めたような気配を感じる出来事が持ち上がった。それについて話してみようと思う。
 その日は天気も良く、昼間は冬場にしては暖かかったから、おれはずいぶんと清々しい気分だった。いつものように駅近くのジムで汗を流した後、これもいつものように駅前の雑居ビルで昼食にチーズバーガーとフライドポテトを食べた。それから気分が良いので憂さ晴らしにゲームセンターでワニ叩きをすることにした。
 ゲームセンターの入口の自動ドアが開くとさまざまなゲーム音が店内からさざ波のようにこちらに押し寄せてきた。人気の太鼓ゲームや大きなぬいぐるみの入ったUFOキャッチャーやハンドル付きの本格的なレーシングゲームには目もくれず、まっすぐにワニ叩きへと向かった。自慢じゃないが、このゲームセンターのワニ叩きのハイスコアは文字通りおれが叩き出している。嘘じゃない。ちゃんとゲーム台の電光掲示板にも表示されている。
 それからおれはワニ叩き台の前に立ち、いったん呼吸を整えてから、コイン投入口に百円玉を入れた。付属のハンマーを手に取り、鰐が潜む穴に意識を集中させた。そしてお決まりの安っぽい効果音とともにゲームが始まった。おれは頭で考えるよりも先に手を動かし、鰐たちを完膚なきまでに叩き潰していった。
 しかし、ゲームの最中にふと何かがいつもと違うことに気がついた。叩いても叩いてもなんだか手応えがない。おれはそこでいったん手を止め、ランダムに出てくる鰐たちをしばらく見ていると、どうやら右から二番目の鰐がまったく出てきていないようだった。そうこうしているうちにそのままゲームが終了してしまった。真偽を確かめるためにおれはもう一度百円玉を入れてゲームを再開したが、やはりその鰐だけは出てこなかった。電気系統か何かの故障かと思い、右から二番目の穴を覗き込むと、そこはただの空洞になっていた。おれは自分の目を疑った。しかし何度見てもそこには鰐の姿は見あたらなかった。つまり五匹の鰐のうちの一匹がいなくなっているということだ。いやいや、そんなはずはない。
 そこでおれは近くを通りがかった若い男性店員に声をかけた。彼はゲーム台をしばらくチェックしていたが、どうやら故障の原因を突き止められないようだった。それから彼は困った表情でこちらに顔を向け「お客さま、申し訳ございません。はっきりとした原因はわかりませんが、たしかにワニが一匹いなくなっているようです。店長を呼んで参りますので、こちらで少々お待ち下さい」と言った。おれは店長なんて呼ばなくていいよと言おうとしたのだが、彼はすでに店のバックヤードへ向かって走り去っていた。おれは仕方なくその場で待ちながら自分のハイスコアが表示されている電光掲示板を眺めていると、奥から小走りで中年の男とさっきの若い店員がやって来た。中年の男がまず口を開いた。
「お客様、この度は大変申し訳ございませんでした。わたくし店長の岩井と申します。お支払い頂いた料金はすぐに返却させていただきます。さっそくで恐縮ですが、おいくらでしたでしょうか?」
 おれは二回プレイしただけなので料金は二百円だった。だが、鰐が一匹出てこなかったくらいでたった二百円をわざわざ返却してもらうのはなんだか気が咎めるので、おれは岩井店長の申し出を丁重に断ることにした。「たかだか数百円のことですから、返却していただかなくても大丈夫ですよ。ゲーム台が直ったころにまた遊びに来ますから」
 おれが優しくそう言うと岩井店長は少し安堵の表情を浮かべ、こう言った。
「ああ、そうでしたか。ほんとうによろしいのですか? ああ、そうですか。ありがとうございます。代わりと言っては何ですが、コインゲーム用の硬貨を五十枚ほど無料で差し上げられますが、いかがでしょうか? ああ、結構ですか。かしこまりました。それではまたお客様が楽しんでいただけるようになるべく早く修理させていただきますので。業者に確認してからでないとはっきりとしたことはお伝えできませんが、おそらく再来週には修理できるかと思います。この度はご迷惑をおかけし誠に申し訳ございませんでした。それでは失礼いたします」
 それから岩井店長は来た時と同じように小走りでバックヤードへと戻っていった。えらく真面目な人だな、とおれは思った。
 一方であとに残された若い店員は申し訳なさそうな表情のまま、手にしていたチラシをワニ叩きのスコアボードのところにセロテープで貼り付けた。それから彼はこちらに一礼し、去っていった。貼り紙には「故障中」と黒のマジックで書かれていた。その貼り紙を見ていると、失踪した猫の行方を捜して少女が泣きながら電柱やブロック塀にペタペタと手製のチラシを貼る情景が頭に浮かんだ。この子を見かけたらお電話ください。その少女の手製のチラシには一枚だけ鰐の写真が混じっている。猫も鰐も見つかるといいな、とおれは心からそう思った。
 それからおれはいなくなった鰐のことがどうしても気になって翌週もゲームセンターに行ってみたが、ワニ叩きのスコアボードにはまだ「故障中」の貼り紙が残っていた。そこで近くにいた女性店員に状況を聞いてみると、このゲーム台の部品を製造しているメーカーは今はもうほとんどなくなっていて修理は難しいかもしれない、ということであった。たしかにこのゲーム台はもうずいぶんと古びているようだったので、それもまあ仕方のないことだと思い、おれはそのまま退店した。まさに諸行無常とはこのことだ。
 鰐が失踪してから二週間が経ったが、やはりまだ鰐のことが頭から離れなかったので、おれはもう一度ゲームセンターへ行ってみることにした。するといつもそこにあるはずのワニ叩きがゲーム台ごとなくなっていた。そこにはゲーム台が長年置かれていたせいでできた四角い痕跡のようなものだけが残されていた。ゲーム台がなくなったのと同時に、おれがここに来る理由もなくなってしまった。これでは憂さ晴らしもできない。おれはあの古いゲーム台に対してそれなりに愛着を抱いていたので、少し暗い気持ちになった。店員にゲーム台がどうなったのかを尋ねることもできたが、あえて聞かないでおくことにした。
 その日の夜に銭湯へ行った。そこには仕事終わりの男たちが大勢いた。おれは撤去されたゲーム台のことをぼんやりと考えながらかけ湯をして洗い場へ向かった。すると湯気で曇った湯船の中に何か見慣れないものが見えた。よく目を凝らしてみると、驚いたことにそこには鰐がいた。肩まで湯に浸かり、ずいぶんとくつろいでいるようだった。だが、周りの人たちは鰐のことをなぜかまったく気にしていないようだった。ひょっとするとあの鰐はここの常連なのかもしれない。しかしおれもここにしょっちゅう来ているのだが、なぜこれまで一度もあの鰐に出くわさなかったのだろうか。いや、あるいはもしかすると、ジブリアニメのトトロみたいにおれにしかあの鰐は見えていないのかもしれない。そんなことを考えながら洗い場でシャンプーをしていると、おれは急に物語の主人公になったような気分になった。ゲームセンターからワニ叩き台がなくなった日の夜に、おれは鰐と銭湯で出会った。そこにはきっと何かつながりのようなものがあるはずだ。考えすぎかもしれないが、もしかするとあの湯船に浸かっている鰐が、あのワニ叩きゲームからいなくなった右から二番目の鰐なのかもしれない。おれはそう推測した。そしてここから何か奇妙なストーリーが展開していくことになるのかもしれない。だが、おれが洗い場でリンスをしながらそんなとりとめのない妄想をふくらませていると、さっきまでの期待とは裏腹に、鰐はこちらに目もくれず先にすたすたと脱衣場へと出ていってしまった。
 その夜、おれは夢を見た。夢なんてふだんはろくに見ないし、見ていたとしても起きてすぐに忘れてしまうのだが、あの夜に見た夢は不思議と今でも鮮明に覚えている。それは妙にリアルな感触のある白昼夢のようだった。
 銭湯で見かけた鰐が、つまりワニ叩きゲームから逃げ出した右から二番目の鰐が、おれを見つめている。何も言わず、二本足で立って、ただじっとこちらを見ている。もしかするとそいつは鰐なので人間の言葉を話せないだけかもしれない。その目はこちらに何かを訴えているように見える。「僕があそこから逃げ出したのは、いろいろと理由があるけれども、そのうちの大きなファクターに関して言えば、多少なりとも君にもその責任がある」そう言いたげに見える。よしてくれよ。それは君が選んだ仕事だろ。おれのせいにするんじゃない。鰐の右手(あるいは右前脚)にはワニ叩きゲームのハンマーが握られている。気がつくと、おれはワニ叩きゲームの鰐になっている。ポジションは右から二番目。おれは他の鰐たちが叩かれている無慈悲で鈍い打撃音を洞窟の中でビクビクしながら聞いている、まるで塹壕に身を潜めて敵の砲撃が止むのを辛抱強く待っている兵士のように。叩いているのは、逃げ出したあの鰐だ。そしていよいよおれが洞窟から出る番になる。おそるおそる見上げると、ハンマーを持ち上げて狙いを定めている鰐と目が合う。ピンと張り詰めた間があり、鰐は息を止める、ちょうどおれがワニ叩きでいつもそうしているのと同じように。そしてそれとほとんど同時にハンマーがおれの頭上に振り下ろされる。そこで夢が終わる。

第三章 ちょうど今日の鰐みたいに (無職と長身と小太りの話)

 
 無職の男の交友関係は控えめに言ってかなり狭い。友人と呼べるのはいつもつるんでいる地元の男友達が二人だけである。長身の男と小太りの男で、ふたりとも眼鏡をかけている。無職の男は中肉中背でとりたててこれといった特徴もない平凡な外見で、映画を観るときにだけ眼鏡をかける。ズッコケとまではいかないが典型的な男三人組だ。彼らは生き血をもとめるヴァンパイアのように気がつけばどこからともなく集まり、みんなが寝静まったころにマクドナルドやラーメン屋に赴き、飢えた欲望を心ゆくまで満たして闇夜に消えてゆく。そしてたまにはふつうに銭湯で裸の付き合いをする、というのがだいたいの彼らの行動パターンである。特に心躍るような交友関係ではないが、三人ともそれはそれで楽しんでいる。あとはここにひとりくらい気さくでかわいい女の子がいれば言うことないんやけどな、というのが三人の決まり文句である。言うまでもないが、三人ともガールフレンドはいない。長身の男はミニシアター系の映画館で働いていて、たびたび夢に見るほど綾瀬はるかのことを愛している。小太りの男は私立の小学校で教鞭をとっていて、写真集を買い占めるほどの広末涼子ファンである。無職の男は二人に比べてそれほど芸能人に関心があるわけではないのだが、強いて言えば宮沢りえがタイプらしい。
 ある夜いつものように三人で集まり、ドン・キホーテでガチャガチャをしたり何をするともなくただ店内をふらふらしたあと、夜もすっかり冷え込むようになってきたし銭湯にでも行くかということになった。しかし、これから行こうとしているその銭湯はじつは無職が鰐を目撃した例の銭湯であった。無職は銭湯の話題になったのでこの前の鰐の件を友人ふたりに告白しようか迷っていたところ、運転していた小太りが何食わぬ顔で「この前その銭湯で鰐見たで」と言った。あまりに平然と小太りが鰐のことを打ち明けたので、無職は呆気にとられた。助手席に座っていた長身が先ほどの小太りの発言に対してどんな反応をするのかを無職は固唾をのんで無言で待っていた。
「それ誰のネタなん?」としばらく間があってから長身が半笑いで尋ねた。
 長身は小太りの言ったことはたんなる冗談で、どこかのお笑い芸人のコントか何かだろうと勘違いしているようだった。
「いや、ネタとかやなくて、ほんとに見たんよ、鰐」と小太りが言った。
 無職もここで打ち明けることにした。
「じつはおれも銭湯で見たんよ、鰐。おんなじやつかどうかはわからんけど。おれにしか見えてないんかと思ってちょっと嬉しかったんに」
 無職はその銭湯の鰐と撤去されたワニ叩きゲームとの関連についてはまだ個人的推測の域を出ていなかったのでここでは伏せておくことにした。
「なんかジブリみたいやな。清い心の子どもにしか猫バスが見えへんのとおんなじやな」と長身が言った。「てことは俺みたいな薄汚れた精神の持ち主には残念ながらその鰐は見えへんやろな」
「まあ、そうゆうことや」と小太りが言った。「たしかこの前もこれぐらいの時間やったと思うで、もしかしたらおるかもな、鰐」
「なんか楽しみになってきた」と長身が遠足の前日の子どものように言った。
 運転していた小太りが車内の音楽を沢田研二の『勝手にしやがれ』に切り替え、アクセルを強く踏み、加速した。

 銭湯の駐車場はやけに混みあっていた。三人はやっとのことで少し離れたところに駐車スペースを見つけた。各自で持参したお風呂セットを抱えて店内へ歩を運んだ。券売機でチケットを三人分まとめて買ったところ、今日はいつもより料金が安かった。今日は月替わりのイベントで入湯料が安くなっているようだった。客がやたらと多いのも無理はない。
「鰐も大人料金なんやろか」と無職がチケットをカウンターのスタッフに渡しながら横にいる二人に言った。
「どうやろな。たぶんその鰐の大きさによるやろ」と長身が生物学的見地からきちんとした根拠を持って学会論文を発表するように冷静に答えた。
「俺がこの前見た鰐は成人男性くらいやったと思う。子どもではない」と犯人の特徴をうろ覚えのまま話す目撃者Aのような口調で小太りが言った。
 無職が赤色の暖簾に入ろうとするという定番のボケをかましたが、長身と小太りは何の反応もせずにさっさと男湯へ入っていったので、無職も何事もなかったかのように少し遅れて青い暖簾をくぐった。
 脱衣場に鰐がいるかもしれないということで、三人はしばらくロッカーを探すふりをしてうろうろしていたが、どうやら鰐はいないようだった。
「鰐って脱衣場でなに脱ぐんやろな」と無職が尋ねた。「うろこ取るんかな」
「なんかそれシュールやな」と小太りがうろこを取り外す鰐の姿を想像しながら言った。
「まあ、脱ぐもんはないけど、財布とか貴重品をロッカーにしまうんとちがう?」と長身が当たり前のことを言った。
 裸になった三人はかけ湯をしてから、おのおの別の場所へと向かった。無職はそのまま洗い場の風呂椅子に座り、タオルを使わずに手で身体を洗った。長身と小太りは中央にあるそれほど熱くない湯船に浸かった。身体を洗い終わった無職が中央の湯船で二人に合流した。
「洗い場には鰐おらんかったわ」と無職が二人に報告した。
「ここにもおらんみたいやで。今日は来てないかもな、残念やけど」と小太りがまったく残念そうな顔をせずに言った。
「いや、もしかすると露天風呂かサウナにおるかもな」と長身が二流私立探偵のように可能性を示唆した。
 その直後に鰐がサウナから出てきて、そのまま水風呂にザブンと入った。それを見ていた無職と小太りは互いに顔を見合わせ、それから長身の顔をじっと見つめた。今の見たか、というふうに。だが、長身は何のことだかさっぱり分かっていないようだった。
「いや、もろおるやん、鰐」と無職が長身になかばあきれたように言った。「あ、もしかしてお前見えてないんか」
「精神が薄汚いでな。そりゃしゃーないわ」と小太りがひとりで納得した。
「いやいや。お前らもたいして俺と変わらへんやん」と長身が言い返した。「お前らに見えて俺には見えんて。ちょっとひどない?お前らほんとは見えてへんのに協力して俺のこと騙そうとしとるだけやろ?」
「声がデカいわ。鰐に聞こえてまうやろ」と無職が注意した。
「さっきサウナから出てきて、いまは水風呂で体を冷やしとるとこや」と小太りが長身のために状況を説明した。「鰐やけどめっちゃ馴染んでて、なんかまったく違和感ないわ」
 たしかにな、と無職は思ったが口にはしなかった。
 しばらくすると鰐は水風呂から出て、またサウナに入っていった。その間に長身と小太りは洗い場に行き、無職はそのまま中央の湯船で鰐の動向をうかがっていた。
 なんか張り込みみたいやな、と無職は雨の車中であんぱんと牛乳を持った刑事を思い描きながら心のなかでそう呟いた。
 洗い場から二人が戻ってくるころにはすでに鰐は脱衣場へと向かおうとしていた。張り込んでいた無職は二人に目で合図して、少し後で風呂場を出た。
 脱衣場にはもうすでに鰐の姿はなかった。三人は生乾きの髪のまま、雑に服を着てから入口のカウンターへと足早に向かった。
 ちょうど鰐が施設内にある食堂に入っていくところが見えたので、三人はそのまま鰐の後を追い、食堂へ入っていった。
 店内は座敷とテーブル席に分けられており、鰐は奥のほうにある四人掛けの座敷にひとりであぐらをかいて座り、メニュー表を丹念に吟味していた。三人組は鰐のいる座敷からちょうど向かい側にあるテーブル席に座ることにした。三人とも夕食はあらかじめ済ませていたので、運転者の小太り以外は軽いつまみと生ビールを頼み、小太りは天津飯を注文した。注文を取ってくれたウェイターは二十代前半くらいの可愛らしいボブヘアーの女の子だった。かわいい、と三人とも瞬時に思ったのだが口にはしなかった。彼女は注文を繰り返し確認してから、忙しそうに他の席の注文を受けに行った。
「おまえ家で飯食べてきたんと違うん?」と無職は念のために小太りに尋ねた。
「愚問やで、それ。天津飯は別腹や」と小太りは一年は三六五日あるという自明の理を告げるかのように答えた。
「鰐なに頼んだんかな」と無職がそれを無視して二人に尋ねた。
「少なくともたぶん肉やろ。がっつり。鰐やでな」と小太りがアマゾン川で水しぶきをあげながら捕食している鰐の猛々しい姿を想像しながら言った。
「ヴィーガンやったりして。まあ俺には見えてへんけど」と長身が珍しくユーモアのあることを言った。
 長身は心の中でこの鰐の一件はたんなる二人の悪ふざけだとしか思っていなかったので、ちょうど保護者が子どもの遊びを遠くから見守るような心持ちで、まあ今回は付き合ってやるか、というような穏やかな結論に至っていた。というのもこれまでにも何度か無職と小太りはこういった類の無益な悪ふざけを長身に対して仕掛けることがあったからだ。
 しばらくしてからウェイターの女の子がトレイにのせた料理を鰐のほうへと運ぶのが見えたので、無職と小太りは怪しまれない程度にトレイにのっている料理を観察していた。
 一方で鰐の見えていない長身はどうやらトレイにのっている料理も見えていないようで、たんにウェイターの女の子が空いた座席を掃除しに行っただけだと思っていたようだった。
「鯖の味噌煮定食や、あれ」と無職がトレイの上の料理を見ながら言った。
 鰐が鯖の味噌煮定食を食べる瞬間をかいま見るというのは、なんだかこの世界の成り立ちを根本から覆してしまうような新事実を発見したみたいな気分だな、と無職は無言で思った。ガリレオガリレイみたいや。
 鰐は運ばれてきた鯖の味噌煮定食に対してきちんと両手を合わせた。それから背筋をまっすぐに伸ばし黙々と丁寧に一口ずつ白米と鯖を交互に食べ、ときどき小皿の漬物を齧った。
「ちゃんと箸で食べるんやな」と小太りが感心したように言った。
 長身はあいかわらず何のことだか分かっていないようだった。
 しばらくすると三人の料理が運ばれてきた。しかし運んできたのは先ほどの可愛らしいウェイターではなく、厨房のおばちゃんが水滴のついたままの手でおつまみとビールと天津飯を持ってきた。そして、お待たせしましたも何も言わずにテーブルに料理を置いていった。最初の話に戻るが、その日は銭湯のイベントがあったので同じ施設内にあるこの食堂もとても忙しいようだった。
 鰐が食事を終えて席を立ったので、三人も急いで食事を終わらせ、鰐の後を追った。鰐は自転車で銭湯まで来ていた。鰐は五年前から銭湯の近くの安アパートに一人で暮らしている。父と母が暮らす実家は同じ市内にあり、アパートから自転車で十分ほどの距離にある。職場のゲームセンターもアパートのすぐ近くにある。そのアパートの前まで尾行してきた三人は車内から様子をうかがっていた。スピーカーからは小さな音で佐野元春の『SOMEDAY』が流れていた。
「どうやらここに住んどるみたいやな」と小太りが言わなくてもわかることを言った。
「まあ、そうゆうことやろな」と長身がそんなこと言わなくてもわかるという声のトーンで答えた。
「一人暮らしやな。たぶん」と無職がそんなこと言わなくてもわかるということを分かったうえで呟いた。
 長身は二人の悪ふざけがなかなか終わりそうにないので、ここで適当に発言してそれに対して二人がどう返してくるのかを試そうと面白半分でこう切り出した。
「さっきからずっと考えとったんやけど、なんでお前らには鰐が見えて俺には見えへんのか分かったわ」ここでいったん間をおいて二人の反応をうかがっていたが何も言わないようなので長身は話をつづけた。
「ジブリ理論で考えると、二人にあって俺にないものは子どものような純粋さということになる。でも逆に考えてみると、俺にあって二人にないものと言えば、それはたぶん身長や。つまり身長の高い人間は鰐を見ることはできない、ということやと思う。まあそうなる理由はよくわからんけどさ。どうや?」と二人に長身なりの仮説を提示してみたが、長身本人も途中から自分が何を言っているのかがわからなくなっていた。
 それから短い沈黙のあと、無職がひどく真面目な顔をして標準語でこう言った。
「神様はたぶん、その人にとって見る必要があまりないことは見えないようにあらかじめ設定しておくのかもしれない。だから見えていることだけがすべてではなくて、見えていないところにもちゃんと何かが存在している、ということだと思う。むしろ見えていないことのほうが見えていることよりも何倍も多いのかもしれない。そういうものが気まぐれにひょいと目の前に現れて、おれたちの人生に何かしらの彩りを与えてくれるのかもしれない。ちょうど今日の鰐みたいに」

奇想短篇小説『右から二番目の鰐』

奇想短篇小説『右から二番目の鰐』

〈あらすじ〉 ゲームセンターのワニ叩きゲームからワニが一匹いなくなった。叩かれることに嫌気がさしたワニと、ワニを叩くことを生き甲斐にしていた無職の男。ワニはいったいどこへ行ったのか。無職の男は生き甲斐を取り戻せるのか。ラストはちょっと奇妙でどこか温かい、西川真周の小説処女作。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-22

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  1. 第一章 私はまぎれもなく一匹の叩かれ師です (鰐の話)
  2. 第二章 そこで夢が終わる (無職の男の話)
  3. 第三章 ちょうど今日の鰐みたいに (無職と長身と小太りの話)