宗派の儚 総集編

宗派の儚


-執筆にあたって-

 ニニ〇一一年三月一一日、
一四時四六分。激震(東日本大地震)が発生。僅か、三〇秒ばかりだったが、まさに、震天動地。ストーブを消してトイレに駆け込んだ。
 ことごとくを飲み込む大津波の映像が流れる最中、翌一ニニ日、一五時三六分、原発(福島第一原発一号機)が爆発した。震撼し混乱した。その後も次々に爆発して、やがて、雨混じりの放射能が降り注いだのである。
 その数日後、私は日本人である事を拒否した。あの狂気の情況で精神の平衡を保つには、唯一の自衛の方策であったのである。
 同時に日本語も否定した。いかにも曖昧な極東の果ての究極の混合言語。辿り着いた民族の乱交が産み落とした猥雑な言葉。生存の危局に伝える術を持たないこの国の卑小な感性の言語文化。私にはそうとしか思えなかったのである。
 もし、私が、私の原初の北方の、縄文の、起源の言葉を持ち得ていたら、私の思索を、もっと、多彩に自在に唄えたであろうか。あるいは、ただ、悲痛と復讐の唄を呟いただけなのだろうか。
 あれから四年が経過したニニ〇一五年の初夏。何れにしても、与えられた日本語で恥辱にまみれながらこの叙事詩を書き始めるしか、私には方途がないのである。
 私は日本人として刻印されながら日本人である事を拒否した、いわば異人である。
 私は精神の孤児、囚われびと、反逆者、異端、アカ、辺境のひと、国家の転覆を夢想する犯罪者であったのだ。
 そして、異人を宣言した私は真の自由人になったのである。
 私ひとりだけの共和国の独立を祝って、登場人物の一人、生多という北の山脈の深奥に潜む女にカムイの古謡を詠わせよう。



『異風の時』

青春と呼ばれた柔らかな犯罪があった。
ある日、涙を曳いて北に縦走して行った。
ひとびとの優しいこころだけを撃ち抜きたいと願っていた。

私たちは、誰が彼の視線に有機的だったろう。
私たちの生活のすべてで公判と懲役の匂いがしていたから。
ただ目を落として彼が行きすぎるのを待ったのだった。

今日、北の海に、再び、異風のざわめきが立ち上がる。

彼が、彼がまた渡って行くのだ。


 私は確信の異人である。そして、異風の吹き渡るのを待っている。その時はきっと近い、と夢想している。
 あの日を契機に、人間の根源に立ち返って異民の側に身を置いた人々、国家の辺境で闘い続ける決意を固めたすべての人々に、この寓話を捧げる。


-目次-
始めに
草也と夏
桔梗
新風土記
神の国
金色の蛇


-始めに-

 一九四五年八月一五日。敗戦のこの一日を挟んで、この国の国民は陰惨な過去を忘失して復興に邁進し始めたのである。しかし、戦渦の怨念を棄てずに国家と対峙し続ける人々の幾つかの群れがあった。私はそれを『異民の群像』と名付けよう。これは彼らの強靭で儚い一瞬の叙事詩である。


-草也と夏-

 出会い頭の、初めての抱擁の衝撃的な余韻が鎮まる間もなく、二人は新しい性愛の激流に泳ぎ出して行くのであった。
 北国山脈のザオウの始原の山中だ。
 一九四五年八月十一日。昼。
快晴であった。

 「所詮、御門の始祖などは半島の政争に敗退した、得体も知れない流浪民なんだ。貧民の海女に惚れて后にしたのだっている」股間の男の頭を押し返した女が、「だって、戦死した夫は御門の赤子だから、皇軍の兵士で名誉の戦死だから御門神社に祀られて、神様になるって言われたのよ。違うの?」と、覗き込む。「どんな死に方をしようが、死んだら誰だって骨になるだけじゃないか?」「その骨だって骨箱には入ってなかったのよ」「こんな戦争は負けるに決まっている。六日にはナガサキ、九日にはヒロシマに、途方もなく巨大な爆弾が落とされて瞬時に壊滅したそうだ。首府はとうに、主要都市も焼け野原だよ。オキナワには敵国が上陸している」「敗戦はそんなにすぐなの?」「まあ、数日だろうな」「あなたはどこから来たの?何でそんなことを知っているの?」男の眉間に深いシワが鋭く走った。「わかったわ。もう、何にも聞かないから。…続きをやって」男の舌が、再び、股間に這った。


-桔梗-

 左の足首に下着がよじれている。傍らには女の野良ズボンと野良頭巾が丸まっている。
 藪の奥深くのニ畳ほどの草むらの二人に、八月の日差しがけたたましく降り注いでいる。時おりそよぐ風もなま暖かい。いつもの夕立が近いのか。
 山脈を潜った細い清水が小さな窪みに溢れて流れ出ている。傍らに女の背負う籠と、放浪の旅人である男の大きなリュックが置かれていた。
 この日、二つの飢えた魂が出逢い激しく交わって渾然となった。貧しい二人であったが、混沌が極まった状況に、始祖として立ち現れようとしていたのである。
 渇き切った二人は互いの夢を互いに孕ませて、新しい夢を産みだそうとしていた。その夢を確信にして歩み出そうとしていた。
 その為には、飢えた二人には原初としての激しい性愛が必要だったのである。
 男は漂流の果てに復讐と言う希望を体系化しようとしている。女は悲痛を原始の山中に埋めようとしていた。二人とも絶望の海を漂ってはいたが、生きようとはしていたのである。しかし、状況は切迫している。二人はお互いをこの認識で共有したのかも知れない。
 だが、男は女にあらゆる性を求めるだけで、甘美の瞬間を安らごうとしただけなのかも知れない。だが、女は全てを受け入れながら、欲望の激流の中で昇華されようとしていた。
 男の営為は御門を否定したことで国家から拒否されていた。女は男と交わり魂の一部になることで共犯になろうとしている。聡明な女は直感でそれを感じ、比護として身体の全てを開いたのである。


-新風土記-

 さあ、二人を名付けよう。女は夏。ニニ八歳。どういう女かは、この後、さらに、女自身に語らせよう。
 男は草也。ニニ六歳。サタケ刑務所に五年間服役して本を読みあさった。同房の男から無政府主義の色彩を帯びた社会主義を教えられて、別の男からは仏教を学んだ。親鸞の歎汝抄を繰返し読み、般若信経と幾つかの経を暗唱した。陰陽五行をものにした。出所後は旅の僧と滝行もし密教を会得した。各地を流転して、戦争に従わない反逆者の一群と交わった。そして、再び、ある殺人事件に関与していた。虚無な知性を漂わす頑強な大男である。

 私は本書を執筆している、自称、「ニ代目草也」だ。
 「ニ代目」にして「初代」の産みの親とはどういう事なのか。綺談の実相は次第に明らかになるだろう。
 御門制を否定して拒否する私だから、対峙して例示すれば、初代草也と夏は、イザナギとイザナミだろう。後に登場する紀世と翔子はスサノオとアマテラスに比肩する。
 では、私はといえば、これらの万物を創り出した大神ということになる。大神にしてニ代目草也なのである。
 また、この、今ある現実で、国家反逆者として生きた果てに、原発爆発を契機に自らこの国の国民を離脱して「異民」宣言をした男。この国に対峙して、「カムイ共和国」を創出しようと企図する男でもある。すなわち、この物語は、過去を探り、隠された歴史の傷から確信を得て、この弛緩した現実を革命し、分析で得た未来から過去や現実を鳥瞰する、時間と空間を超越した物語である。即ち、自由な精神を持った辺境の民が奏でる苛烈な反徒の歌なのである。
 私は、時折、独白しよう。そうして、この渾然とした世界を再構成しよう。

 こうして二人は宗派の夢の世界に旅立つのである。
 二人よ。雄々しく生きよ。幸あれ。はなむけに君たちの未来から歌を贈ろう。


《カムイ革命》

縄文の断層が絶叫し
海が裂き砕け
風が泣き狂い

溶解し炎上した原子炉の醜裸がのたうつ

ニニニニ秒の炸裂が世界を激転させた

三月の大気のおぞましい裂傷から、放射線が降り落ちる
雨水が凶弾に豹変する

太郎の屋根に
次郎の夜に
花子の夢に
放射線がさわさわと降り注ぐ

いわき平に
安達太良に
阿武隈に
猪苗代に

富士のふもとに放射能が降り積もる

恥辱の裸体に放射線が突き刺さる
細胞の連結が切り刻まれる
最終兵器が自然を仮装する

カムイの地が核に占領された一瞬
人民に対する国家テロがいままた発動した瞬間
世界史に烙印されたFUKUSHIMA

神経が呪縛する
言葉が凍結する
自尊が暴虐される

侵略され処刑され拘束され晒され詐取され強奪され差別され嘲笑され収奪され犯され簒奪され蹂躙され殺戮され占領され同化され支配され赤裸々に搾取され続けた私達の大地と歴程
私達のひとりひとり
ひとりひとりの慟哭
ひとつの赤涙

歌は止み
花は散り
屈辱の杯に毒が注がれ
絶望の馭者が疾駆する
死の共鳴が切迫を奏でる

それでもなお獣達の科学は羞恥を隔絶しようとする
隠蔽の美学を掲示する

総理の無謬の嘘を自らが嘲笑する
官房長官の虚空の重層から困憊が巣だつ
CMに打ち切られる記者会見
絶叫する情念のさまざま
継ぎはぎの幻想を矢継ぎ早に出産する情報

真裸の構造の頂上で天皇が祈祷する
異形の神仏が一斉にたち現れる
カルトが経済の整合に憑依し闊歩する

権力の枢密が暴露される
弛緩仕切った傲慢が豪奢な非日常に目が眩んでいる
無様な当為者たちの怠惰な弁明の破綻

この幻想体の核心は蜃気楼の神話だ
真実の探偵は禁断なのだ
情緒が波頭を漂流し論理は帰港しない
模糊こそがこの神族の同一なのだ

そして矛盾の均衡が再び始動しようとする
嘆息と絶望がまたたく間に現実に氷解し満開の春を彩る

さあ、もはや、アテルイよ、出でよ
清原、藤原、義経、甦れ
将門よ、起て

政宗よ、目覚めよ
榎本よ、土方よ、共和の夢を語れ独立の唄を指し示せ
奥羽越列藩同盟よ、翻れ
名もなき反逆の人々よ、葬送の祭司となれ

辺境の民よ
エミシの民よ
縄文の民よ
漂泊の民よ

北方の樹々の息吹よ
南方の潮の流転よ
異民の君よ

歴史に潜み悠久の森に息つく戦士達よ
遼原の朝日にたち現れよ
縄文と弥生の抗争をつぶさに演出せよ
君達こそがこの日のために生きたのだ

今こそ、私達の誇りに呼応せよ
公憤を支柱とせよ
状況を憤怒で刺し貫け
草の魂に火を放て
桓武と田村麻呂に繋がる謀略と系譜をなぎ絶て

ピリカよ、弱き者を率いて山脈の奥深き楽土に密め
豊潤な骨盤に奇跡を孕め
白き乳房で希求を繋げ

青い狼達よ
革命の山河に季節と共に雌伏せよ
叡知を集結せよ
情念を論理に変換し歴史を貫く矢を放て
革命の科学を構築せよ
倫理の草種を蒔け

強者達よ
真夏の昼
自らの大地に自ら存れ

類が想起する生存の科学を探求せよ

ヤマトと非和解的に対峙し措定せよ
世界と靭帯する共和国を設計せよ

さあ、もう五月、青龍が翔びたつ
いまこの時、カムイ革命が始まったのだ


-神の国-

 夏が草也に無防備に尻を向けて股がった。「重くない?」すると、ずっしりとしたその尻の片側に、鮮やかに刻印された桔梗の痣が、草也を睥睨しているのである。女が猛る隆起をつまんで濡れた陰道に導くと、尻の桔梗の蕾が一輪、幻惑の様に花開くのであった。いったい、この文様にどんな神話が秘められているのか。その神話が男にとってどんな意味があるのか。そして、原初の男女がそうした様に、この女と新たな神話を創るのか。「馬鹿女って言って」そうだ。この女となら創れるかも知れない。「亭主を殺された腐れ後家って言って。戦争を疑わなかった愚劣な女って。勝つって信じたとんまな百姓って。御門を信じたでれすけって、散々に苛めて…」女も創りたいのだ。「もっと強くしっぱだいて…」遠くから女の声がする。懇願しているのだ。「責めて。浅はかな女を苛めて…」御門もこうして幻想を創ったのか?この女となら出来るかも知れない。

 男のリュックには一〇〇万の束が五つ忍んでいる。あの占い女が坊主を殺したのを目撃し、女と交合し、遺体を埋めた男に口止めにくれたこの金。昨日、見た金色の蛇。男を見据えていたあの蛇は何かの予知なのか。「いったわ。狂うほど。何回も…」今朝も見た。二度もあんな蛇を見るものなのか。この女と出会ったのはただの偶然なのか。「未だ、こんなに硬いわ。もう、誰にも騙されないように、これで教えて。」「あなたが、新しい御門よ。私が后になるわ。ここが二人っきりの神の国なのよ」


-金色の蛇-

 頑丈な体躯、何物かを射ぬくような目、意志の強さを示す口元。男の何もかもを女は気に入っていた。一目で虜になってしまった。そして性戯も男根そのものも衝撃で、女の身体に深く刻まれた。何よりも、男が漂わせる無頼な空気に魅了された。それでいて時おりみせる知的な表情も好きだった。
、確かに流浪しているに違いないこの男は、いったい、何処に漂着しようとしているのか。何を求めているのか。女は知る術もなかったが危険な香りをかいでいた。
 女は男の求めに応じながら自身の変化を感じていた。身体はもちろんだが、男といる事でもっと大きな変化がたち現れるのではないかという、言い知れぬ予感があった。
 例え、男の言う通りにこの戦争が終わったとしても、女の暮らしぶりは何一つも変わらないだろう。相も変わらずに山脈の奥深くに埋もれていくのだ。幾人かの係累の死の記憶も既に乾き切って儀式ばかりとなった。そうして、女はただ一人なのである。だから、今までにない無類の変容を求めようとしているのかも知れない。
 到底、女のところに留まるような男ではない、と、思えた。しかし、女はこの時こそ自らの感性を信じようとも思った。男とは結ばれる因縁なのだ、という激しい啓示を感じるのだ。女は幼い頃から勘が鋭かった。
 女は男の求めのすべてに応じ話し続けた。しかし、それはただ性戯の現れであり、真髄から発せられたものなのかは女自身も判然としなかった。とりわけ、あの出来事だけは絶対に言えない事だった。
 この愛しい男とすべてを分かち合いたいと願ったから、真実も嘘もその為には同じ価値だったのである。

 清水の溜まりで二人は汗を清めた。
 その時、金色の蛇が現れて、暫く鎌首をもたげていたが、やがて、流れを下っていく。男は不思議な光景だと思った。女が、「ここの主なの。遭遇するのは稀だから、とっても縁起がいいのよ」「あなたが昨日いた小さな祠は金蛇神社っていうの。そこの守り神なのよ」と、男の口を吸った。そして、「三回目だわ」と囁いた。「金蛇様に三回出会うと必ず願いが叶う、っていう伝説があるのよ」と、満面の笑みで、「これで三回目なのよ」と、言うのである。男は不可思議な驚きに囚われた。
 風が二人の裸になま暖かい。もうすぐ、いつもの夕立がくるのだ。


-教団設立-

 夏の家に潜んだ二人は房事の限りを尽くした。そして、すぐに敗戦となり戦争は終わった。盛夏の正午だった。しかし、山脈の深奥の狭隘な部落はひっそりと佇んでいて、何一つ変わらなかったのである。ただ、夏だけが激変した。
 草也は夏に般若信経と幾つかの経を暗唱させて陰陽五行を教えた。夏はその全てをすらすらと飲み込んだから、草也は、時々で、その利発に感服する。草也はあの占い女をなぞっていて、秋の中頃には夏はその域に達した。そして、草也は刑務所の中で、長年、夢想していた宗教団体の構想を完璧に整えた。すると、もはや、二人にとってこの地に留まる理由は何もなかったのである。

 僅かの間に生涯分程の閨房を重ねて、絆を契ったと確信したにも関わらず、二人はそれぞれが重大な秘密を隠し持っていた。
 草也は過去の一切を夏に語らなかったのである。
 そもそも、草也とは何者なのか。某地の醤油屋の次男である。幼年から野球一途で、某私大に進むと野球部のエースピッチャーだった。三年の時に仲間の喧嘩の仲裁に入って相手方の一人を殴り倒した。その男が数日後に死んだ。傷害致死の判決を受けて服役し、勘当された。
 四四年の冬の恩赦で出獄して流浪の最中、北国の寺に身を寄せた。その住職は欲の権化で、高利貸しをすりばかりか、女に出鱈目な占いをさせて、夜毎、凌辱した。たまりかねた女が坊主を殺害し、目撃した草也と交合して口止めを懇願した。草也は女と共に死体を埋めた。そして、女に五〇〇万を貰って逃亡したのだ。そのあてどない放浪の峠越えに、夏と出会ったのである。
 あの貴子という占い女はどうなったのか、と、時折、忌まわしい記憶が草也の脳裏をよぎるのであった。
 それでは、草也との閨房の時々に夏が喘ぎながら語った、「本当の事」とは、事実なのだろうか。
 そもそも、女という生き物は、挿入をされながら男にどれ程の真実を告白するのか。いったい、交接は真実の発露なのか。草也と夏の情事は真実を証明する証拠だったのだろうか。
 釈迦は嘘を人間の根源の罪として厳しく戒めた。だから、そもそも、嘘は人間の根源を形成しているのではないか。嘘は事実を遥かに越える虚偽と装飾で人を形成して、真実を覆い隠すのではないか。
 事実、夏には絶対的な秘密があったのである。
 夫が戦死して間もない四四年の夕間暮れに、夏と義父が同衾しかけたところを、旅の青年に目撃された。曲解した青年が裸の義父を夏から引き剥すと、打ち所が悪く義父は即死してしまった。豪雨の夜半に激流に義父を投棄して、狂おしい抱擁の果てに青年を逃がしたのである。義父は数日後に発見されたが、事故死で処理されたのであった。この秘密は絶対に知られてはならない事だった。
 「あの青年は悔悟に苛まれてはいないだろうか。せめて、事故死で処理された事を知らせたい」と、夏は偲ぶのである。
 あの占い女とその青年が邂逅カイコウして、お互いの秘密を隠したまま四年間を同衾し、秘密を守るために女が自裁するなどとは、夏には知る所以もなかったのである。

 慌ただしく採り入れを済ませた二人は焦土の首府に立ち、下町に焼け残った一軒家を借りて、「親鸞顕彰会」の看板を掲げた。その脇に、「困り事無料相談」の札が下がった。こうして、二人は、いよいよ、その存在を世間に明らかにしたのである。
 何人目めかの女の客に夏は占いを施した。暫くして、占い通りの結実を得て歓喜した女が、幾人もの知り合いを引き連れて来るなどして、程なく、二人は盛況を迎えた。新聞広告も多いに効果があった。


-金蛇経-

 教団設立間もなく、地元のある区会議員の妻が入会した。蓉子といい、五十前の豊満な女だったが、狐顔で草也の趣味ではなかった。蓉子は夏の説教にいたく感銘して、宗派の教義こそが求めていたものだと、強く共鳴した。蓉子はある小さな新興宗教を脱会したばかりだと言う。熱心に通いつめ、その都度に入会希望者を同行した。その中には優れた者も多く会の草創に寄与した。しかし、夏は蓉子の言動に不純があると、渇破していた。
 ある時、蓉子が極秘で相談があると、草也を誘った。とある昼下がりに自宅を訪ねると、奥まった家に女は一人だ。夫は視察で不在なのだと言う。女は浴衣である。夫の愚痴をひとくさり言うと泣き出した。草也の脇に座り直して、しなだれる。来春に迫った三度目の苦しい選挙情勢や、夫の不甲斐なさをなじった後、草也の手を握って切り出した。「実は選挙資金も厳しいの」続けて、「会も益々のようだし、こう言うのも何なんだけど、私も随分と貢献していると思うの」「選挙資金をご協力いだけないかしら?」と、懇願するのである。草也は不粋な女だと思った。この議員に献金したところで、教団には何の利益もないではないか。すこぶる評判の悪い男だったのである。
 ただ、無下に断るわけにもいかない。草也は女の状況に同意したり、政治活動を禁じている教義で釈明したりしながら、一計を案じた。「そういうわけで資金の協力はできかねるが、ご恩には報いなければならない。貴方の苦しい心情も救済したい。ところで、古代仏教の秘法に金蛇経というものがある」と、切り出すと、女が金蛇教の詳しい教えを望んだ。「通常なら五十万の布施を頂くものだが、あなたに限っては、特別に功徳しよう」と、言うと、蓉子は動揺の色を示していたが、しばらくの沈黙の後、「よろしくお願いします」と、頭を下げた。それしか取り繕うすべがなかったのか、ただ信じたのか、欲望なのか、草也は計りかねた。「いいですね。釈迦に伝わる上代の救済秘法なのですよ。洩らすと地獄に堕ちますよ」と、念を押すと、女は深く頷いた。
 草也は西を向いて経をあげた。そして、経を続けながら立ち上がり、すばやく全裸になった。一物をしごくと忽ちに硬直して、草也の手を離れて天を仰ぐ。草也は経をとなえ続ける。座って見上げる蓉子の視線が釘ずけになっている。程なくして、草也に促された蓉子が男の足元に座した。草也が、大きく開けた女の口に触れる事もなく、口中に射精した。大量の精液を、むせながらも、女が飲み込んだ。蓉子の裾は乱れて太股があらわだった。弛緩し切った肉だった。短い説法の後に、股間に手を落とし呆然と座る蓉子を残して、草也はうやうやしく辞したのだった。
 その後、蓉子からの相談は途絶えた。教団がさらに拡大すると、この女の存在感は薄れた。夫はかろうじて当選したが、間もなく収賄不祥事で議員辞職に追い込まれると、蓉子は人知れず地方に転居したのであった。
その後、草也はこの出鱈目な「秘法」を何度か駆使したのである。


-勃興-

 一九四七年の暮れには、会員は一万に達しようとしていた。
組織形態を更に整えると、拡大はいっそう加速の兆しを見せた。
 夏は会長、草也が事務総長として一切に辣腕を奮った。そして有能な人材も育ちつつあった。この頃は、既に、山の手に手頃な施設を構えるまでになっていたが、教団の資力というよりある会員の好意によるものだった。
 月の収入は二千万を越えたが、救済の実務をする専従職員の確保を最優先にした。この時、専従職員はニ十人になっていた。
 二人の生活は清貧だった。二人は組織運営の哲学として、生活は質素を肝要とした。慢心を慎んだのだ。草也は自分の車は持たなかった。ただ、背広とシャツ、靴は夏に従って、それなりに仕立てた。草也の背は一八〇センチあり体重は八〇キロ。いつもは作務衣だったが、夏は草也の背広姿に惚れ惚れと見入った。当時、売り出し中の映画俳優の赤木圭次朗よりいいと、夏は言った。
 草也はヘビースモーカーで両切りのピースを好んだ。ウイスキーはニッカ一辺倒で酒豪だ。食べ物に好き嫌いはない。何かを身に着けるのが嫌いで、もちろん、時計も、財布すら持たない。低い声で、ある地方の特徴的な訛りが所々に出る。特別な趣味は持たなかったが読書家だった。歴史、哲学書、仏教一般、釈迦、法然、親鸞と、ことごとくの書物を読破して、知的好奇心が旺盛だ。書くことが好きで、仕事に関するものはもちろん、俳句、短歌をし、詩も書いた。
 夏がすすめた鼻髭が良く似合った。その体躯、風貌からして、三十の青年にはまるで見えなかったであろう。
 「君子豹変す」「常に準備せよ」この警句を重視した。
 草也の性の趣向は夏しか知らない。そして、その過去は誰も知らなかったのである。

 夏は、さらに、豊潤な魅力を輝かせて、時には妖艶ですらあったが、倫とした佇まいは凄みすらあった。そして、既に神格化されていたのである。
 あらゆる不安を包み込むたおやかさ、すべての惑いに共鳴する艶やかな声。ルノアールの絵から抜け出たような女なのである。
 夏は贅沢は一切望まなかった。しかし、草也の食事と身なりにだけは心を配った。
普段は紫の作務衣しか着なかった。化粧も薄かった。宝飾は一切しない。食事も質素だった。広くもない庭を掘り返し野菜を作った。出来る限り会員と食事を共にした。こうした姿勢が会員の信頼をさらに増したのである。
 特別な時は、白絹の一重に紫の羽織と袴。肩までの髪を金のしおりで束ね紫の鉢巻きを巻く。占いはもうしない。
 二人は、やはり、ある会員の好意で、施設と地続きに自宅を構えたが、借地、借家である。年代を経たものだっから、台所は夏のために、風呂は二人の秘め事のために改装した。入浴を共にするのが二人の日課だった。二人の性愛は何一つ変わらなかった。むしろ濃厚になっていくのである。二人は風呂で小便をしあうのが好きだった。


-代議士の妻-

 代議士の邸宅は、とある高級住宅街の奥まった一角にあった。戦時中は高級官僚として働き、戦後、国会議員になった代議士の、その妻の依頼で法事を行うのだ。
 草也が読経を始めと、低く力のある声が朗々と流れる。しじまに草也の声だけが響き渡る。暫くすると、妻を不思議な感覚が襲う。全身の神経が優しく痺れる感覚だ。意識が朦朧としてくる。そして下半身が熱い。ほてっている。
 読経が止んだ。妻が茶をいれると、ソファに座った草也がぎこちなく溢して、僧衣の股関が濡れた。草也が立ち上がり妻が拭く。硬直した肉の感触が妻を撃った。妻にはあの痺れる感覚が、未だ、まとわりついていた。草也を見上げると、頷いた。白日の夢の中の出来事なのか、と、女は思った。
 草也が僧衣をたくしあげ、妻が草也の下着を引き下ろすと、揚揚たる隆起が暴れた。二人は秘密保持を確認して交合した。草也がこの時に行ったのが咽淫法という秘術で、北国の山中である修行僧から会得したものである。草也には目的があった。妻は承諾した。
 後日、草也は代議士に呼ばれた。「女房から聞いてる」「若いのにたいしたもんだ」「わしの選挙をやってくれんかね」と、小太りの代議士は台詞の様に言い回した。草也が承諾すると、「望みは何かね?」と言う。「宗教法人の認可にご尽力を頂けないでしょうか?」と、懇請すると快諾した。こうして、代議士の妻はその務めを、存分に果たしたのだった。


-女優-

 ホテルの一室で、女優と草也はウイスキーのオンザロックを飲んでいる。
 草也が考えていたより小柄で清楚な女だった。青いワンピースに小粒の真珠のネックレスを着けただけだ。ただひとり信頼するお手伝いの女が、倫宗の熱心な信徒だったのだ。今や、女優は一介の悩める相談者に過ぎなかっが、凛として誇りを失ってはいない。だが、これも特有な演技なのかと、草也は疑った。
 女優が話し始める。気丈なのか。涙も見せずに、自らの心理の情景を絵描きのように描写するのだった。
 女優は苦悶していた。雑踏で見いだされて初主演での絶賛、興行の成功、海外での受賞、何もかもが衝撃のデビューだった。だが、監督との醜聞が報道され、突然の結婚も短期間で破綻して、立て続けの艶聞も発覚した。裏切りや人間不信。作品の失敗。酒に逃げていつしか溺れた。
 「救われるのかしら?」「どうしたら楽になれるのかしら?」と、女優の瞳が草也にすがる。
 草也は「金蛇法」と言った。草也の淡々とした説明に、女優の見開かれた目が驚愕する。草也を凝視し続けて、怒涛のような沈黙が長く続いた。熱い視線を草也が涼やかに受け入れる。視線が絡まる。そして、女優はついに頷いた。
 草也の低い読経が続いて、暫くすると、女優は真裸になってベッドに横たわった。雪国の肌に陰毛が森を繁らせている。滑らかな丘に縦に切れた臍。椀を伏せた乳房。赤い乳首。
 読経のなか、足を開いた女優に草也が挿入した。そして、女の全てを解放した。読経の高まるなかで女優は悶絶し果てた。
 この女優が芸能界布教の先駆けとなった。草也は女優の求めに応じて金蛇法を施術したのである。


-認可-

 翌年の春、予カネて、申請していた宗教法人認可の許可を得た。宗派名を、「倫宗」とした。翔子を代表として、「同胞(ハラカラ)総代」と称した。女性信徒達は、「姉様」と慕った。草也は、敢えて、無役となった。「親鸞顕彰会」は残したが、ここからも草也の名を外した。すなわち、表だった活動の一切から草也の名が消えたのである。実際は、重要な決済には関与もしたが、翔子の判断はいつも的確だった。
 草也は執筆に専念することとしたのである。まず、「親鸞論」を脱稿して、「草也」の名で上梓した。会員から熱烈な評価を得た。草也は「草也先生」と呼ばれるようになった。そして、秘められた草也の野望が育っていた。

 草也は役職からも外れて、一切を無給とした。この時、会員は一万であった。出版部をつくり、ニ万部を発刊する。一冊ニ千円。売上は四千万。印税として草也にニ千万。年五冊で一億。これが草也の独自の資金であった。会員が増えれば自動的に増えた。草也の著作は教団の必読書なのである。


-草也の本音-

 草也が夏に言った。「日本のあの時のあの状況はおぞましい限りだった。原爆が投下された○○(長崎)や○○(広島)、唯一の地上戦の舞台となった○○(沖縄)。この首府の空襲。無謀な殲滅戦。特攻隊。そうして、ニ〇〇万もの国民が死んだんた。殺されたんだ」「それなのに、どうだ。戦争裁判で何人かが責任を取らされたが。最高責任者の御門はどうだ?一瞬に、神から人間に衣替えしたばかりか、薄笑いでへらへらと行幸しているではないか。俺は絶対許さない」「開戦は軍部の圧力でやむを得なかったなどと責任を転嫁して憚らない卑劣な…。あの戦争は確信してやったんじゃないのか。勝つと信じて国民を殺したんだ。情状酌量などない。御門こそを死刑にしなければならないんだ。俺はそう思う。しかし、決して、そうはならないだろう」「俺達を裁くのはこの国の法律だ。しかし、俺はこの国を認めていない。だから、新しい国を創る。その為に教団をつくったんだ。いわば、俺の教団は新しい国なんだ」「教団には法がある。俺はこの法に従う。だから、この国の法律には従わない」「しかし、俺たち自身の法律、すなわち教団の法律には従わなければならない。すなわち、釈迦の教えだ。悔い改める、肝心なのはこの事だ」「悔い改めればすべてが許されるんだ」夏は深く頷いた。


-官僚の女-

 「ああ」と、挿入の瞬間、大蔵官僚の女が顔を歪めて、自らの指を強く噛んだ。首府の中枢、老舗料亭の奥まった一室で、日本の政治の闇が情交に及んでいるのである。

 一九五一年、八月一五日。やはり、異様に蒸し暑い昼下がりだ。
 「一億ある」と、男が傍らの紙袋に視線を流した。「本当にありがとうございます」改めて居住まいを正した女がうやうやしく浴衣の身体を折った。湯あみをしたばかりで、未だ髪が乾き切っていない。頭カブリを起こすと、「古沢もいたく感謝申しております」と、言う女の視線と、その女を舐め回す男の視線が、互いの思惑を秘めて淫湿に絡み合う。
 男は田山栄山。裏列島選出の代議士だ。与党副幹事長で三三歳。未だ少数だが、同士を糾合して派閥を形成しつつある。イガグリ頭に大きく見開いた鋭い眼、巨根を思わせる張り出した鼻、分厚い耳と厚い唇。いかにも精悍な男である。
 ダミ声が、「頑張ってもらわんとな」と、女を舐め回した。
女は列島中央部選挙区の候補者の古沢某の妻、由子(よしこ)である。帝大卒の大蔵省課長で四五歳の才媛だ。
 田山はしわがれた咳払いをすると、「せっかちでな」と、女を急かした。官界一の美貌だと言われる狐顔の女は妖艶に、しかし、ぎこちなく笑むと、立ち上がってするすると浴衣を払い捨てた。下着を着けていない。「ほう」と、田山が息を吐く。着痩せする女だと思った。「帝大出の女か。初めてだ」と、ウィスキーをグビリと流し込んだ。
 田山は裏列島の寒村に、子作農の長男として生まれた。国民学校しか出ていない。首府に出て建設現場で働いた。人の何倍もの働きぶりが認められて、零細な建築会社の経営者の娘婿となった。終戦を 事業を拡大した後継社長として迎えた時にはニ七歳である。田山は戦後の混迷する政治を見据えて、考え続けていた政界への進出を決断した。
 四六年の総選挙に地元から初出馬したが最下位で落選した。翌年の電撃解散、総選挙で初当選を果たした。凄まじい謀略の果ての辛勝であった。次の改選ではトップで当選して、現在、ニ期目である。その図抜けた剛腕が中央政界でも評を得つつあった。
 そんな田山には帝大出の女などは、さらさら無縁の存在である。議員になってからは出会う機会もあったが、学歴コンプレックスもあったから、女として意識した事などはなかった。その帝大出の女が、いま、真裸で異様な風景を作ろうとしているのである。田山を不可思議な快感が襲っていた。
 田山に命じられた女が、紙袋から取り出した紙幣を座卓に敷いた。崩れ始めた淫奔な尻が揺れる。乳房はそれほどではない。四〇半ばだと聞いたが、その年で泳ぎにでも行ったのか、地肌と日焼けの跡が対照的だ。この状況で夏休みでもあるまいに、官僚とはそんなものなのかと、田山は舌を打った。びっしりと敷き詰め終わると、女が座卓に仰向けに横たわって、怖ず怖ずと両の足を開く。田山の視線が鋭角になる。
 股間に陰毛はまばらで黒ずんだ地肌を曝している。陰唇が乾いている。腹の脂肪が脈を打つが、さほど肉感的ではない。
 そもそも、田山は私設秘書の世都子の様な豊満な身体が好みなのである。そして、互いの情欲を共に謳歌する、赤裸々な交合が趣味なのだ。
 女を金で買うというのはこんなものかと、露な状況でも高邁な誇りを保とうとする由子の気丈に、いささか気落ちもしたが、敷き詰めた紙幣に横たわる裸体という異様な雰囲気が、性欲を刺激した。
 この一億は古沢への最終の追加選挙資金であった。運輸審議官に上り詰めて政界入りを望んだが、現職が居座っていて保守党の公認が取れない古沢を、田山は事実上の田山派候補として擁立したのである。しかし、いざ実戦に入ると、古沢は予想した以上に弱い候補者だった。田山は、既に、ニ億を投じていた。最終資金の一億は、田山の女で政治資金を取り仕切る私設秘書の世都子に因果を含まされた由子が、身体で受領する事となったのである。
 由子は青白い顔をそむけて長く吐息を吐いた。「さすがにいさぎいいもんだ」と、呻きながら、田山は浴衣から男根を抜き出して女に股がり、乾きも構わずあたふたと挿入した。「金も女も使いでがあるのう」と、うそぶくと、そむけた女の顔が醜く歪んだ。田山が瞬く間に二段に膨れて波打つ女の腹に射精した。
 「領収書がわりだ」と、田山は由子の薄い陰毛を引き抜いた。こうして、プライドも身体も引き裂かれて、戦場の真っ只中に引きずり出された由子の選挙戦は、新しい局面に入ったのである。


-刎剄-

 女が一億と共に辞して暫くすると、田山の女の艶福な女将が告げた。草也が現れた。
 売りだし中の少壮代議士と、勃興した新興宗教教団の実質的指導者が初めて対座したのである。
 「取り込みでしてな」と高笑いをしながら、派手な浴衣の田山がウィスキーを奨める。女がいたな、無礼な奴だと、草也が、改めて田山を見据えた。構わずに田山が、「お呼びだてして恐縮でした」と、声を改める。「率直に申し上げる」「宗派の施設、あそこの借地権を手放して頂きたい。代わりにチチフに一〇万坪を用意する。すどっかいですな。如何ですか?」と、畳み掛けて、草也を見据えて手をついたかとみるや、「この通りです」と、深々と頭を沈めた。念のいった男だと草也は思った。「お手をおあげ下さい」「承知しました」と、草也が続けた。
 詳細は、既に、田山の秘書の土肥から聞いていたのである。悪い話ではなかった。夏も同意している。終局の儀式なのであった。
 田山は満面の笑みで、「気に入った。これからは刎剄の交わりをお願いしたい」と、言う。「こちらこそ」草也が頭を下げた。「出来た、出来た」「よっしゃ、よっしゃ」田山が高笑してウィスキーを飲み干した。
 田山が関与した都市開発予定地に草也の教団施設があった。田山は草也の過去を、サタケ刑務所を出所したところまで調べ上げていた。何よりも、この男が率いる宗教法人が魅力だった。田山の選挙区でも信徒が急速に拡大していたからである。俺などよりも強大な権力を持っている、田山の直感が草也の利用価値を確信したのだ。
 こうして、草也は政界の深い暗部に足を踏み入れたのである。


-選挙-

 一九五一年。夏。
 初秋に投票の衆議院選挙は、ワンマン総統による突然の解散にも拘わらず、最終盤の過熱した情勢であった。とりわけ、ここクンマ選挙区は熾烈を極めていた。定員は四名。政権党から四名と公認を外れた無所属が一人、野党からニ名が出馬していた。野党の一議席は事実上の指定席だったから三議席を与党の五名で争うのである。
 総統が属する大派閥から現職と新人、総統と対立する中派閥から中堅の現職、無派閥だが長く県政に君臨する老練の現職、そして、総統派閥に籍を置く田山が後押しする、無所属の古沢であった。
 古沢は運輸省審議官を退官した首府帝大卒の五ニ歳で、亡き祖父が知事であった。県政界の抗争の果ての出馬であった。妻は紙幣を敷きつめて田山と交合したあの女、大蔵省課長の由子である。夫の命運を懸けた選挙に、由子は敢えて退官しなかった。夫婦揃って政治の利を狙ったのである。
 しかし、古沢の情勢は下馬評以上に厳しかった。田山も事実上の派閥の旗揚げだったから、重要選挙区であった。背水の陣なのだ。最終追加資金の場があの真昼の料亭での交合だったのである。
 そして、投票一〇日前の深夜、由子は後援会会長の遠藤という老人にも身体を開いていた。この夜が初めてではない。
 出馬に反対する勢力との抗争が緊迫するある日、老人は由子の身体を求めたのであった。遠藤は実力者である。由子は唇を噛んで同意した。「政治とはこうゆうもんだ」老人は由子の女陰を弄びながらほくそえんだ。与党でありながら反知事派の長老県会議員である。七ニ歳。シワだらけの手が由子の乳房を凌辱している。四五の高級官僚の女は、好色なこの男にとって格好の餌食だった。「あの金は昨日からばらまいている」「無派閥の爺と熾烈に競っているんだ」「まあ、なんとかなるだろう」と、うそぶく。 由子も県議も、派手な布団の上で真裸に赤い長襦袢を羽織っている。暫く乳房をなぶりながら、「あの若造が…」と、田山をこき下ろす。この選挙を仕切っててているのは自分だ、と、女に同意を強いているのだ。女はその証として、求められるままに男の小汚い口を吸った。だが、由子の老人に対する侮蔑は、老人の執拗な翻弄によって淫熟な裸に変容してしまうのである。
 県議は布団に大の字になり口淫を求める。太鼓腹の下で男根が萎えていた。高級官僚が県議に覆い被さり男根にまとわりつく。女の湿潤な女陰は県議の舌で、さらに遊ばれる。男は勃起しない。しかし、膣は由子の意思に反して、夥しい蜜を老人の口に垂れ流す。喘ぎ声すら発しながら、女は萎えた陰茎を含んだまま、恥辱の極みで愉悦に達してしまった。
 起き上がってカメラを取り出した男が、「わしの趣味でな」と、女の同意を強制した。由子に断る術はない。県議は性具も取り出す。それから、女は耐え難い屈辱の痴態で、しかも性具に攻めたてられながら絶頂に達する無様さを、写真に刻印されたのであった。

 由子は秘書に内定していた青年とも交わっていた。これは自ら身体を開いたのである。
 時折、屈折した愁いを漂わす青年は特攻の生き残りだった。青年は直情に代議士を目指していた。戦争の悲惨を怒りに満ちた野望に変換させていた。
 由子は青年の凄烈な野心に引かれた。大学や官僚にはいなかった男であった。
 青年には若い妻がいる。由子の飢えた心はそれすら愉楽の源だった。
 夫は候補者になると、必定、他の候補者との比較の対象となったが、明らかに見劣りがした。政治は麗句をまとってはいるが、本性を剥き出しにした闘いである。とりわけて選挙戦は、当選のために死活を懸けた文字通りの戦争であった。
 命を懸ける者が二人いれば選挙は勝つとも言われるが、古沢陣営には田山と草也以外にはいなかった。現地の選挙事務所は弛緩していたのである。古沢にもその気概が欠けていた。古沢は大衆の前に立つのは初めてだった。それまで侮蔑していた大衆の視線は彼を丸裸にした。侮蔑される対象に成り変わったのだ。それが古沢には恐怖だった。由子に繰り事を言う陰茎は、粗末に萎えていた。由子の夫への信頼は急速に冷めていった。失望はおろか侮蔑すら湧いた。
 だからニ〇も若い青年の性に、若い勃起に由子は狂喜した。自ら開脚して淫熟した秘処をめくった。そして、青年との性器の結合に溺れた。老人や田山に侮蔑された直後、その屈辱を洗い流す為に、膣に住み着いた飢えた獣を満たす為に、まだ乾かない陰道に青年を導いたのである。由子は自らの身体で自らの極秘の選挙戦を闘っていたのであった。
 由子の動向は、事務所に配置した腹心から田山に逐一報告されていたが、田山は黙認した。
 古沢は最下位で辛勝した。田山は胸を撫で下ろした。田山派は全国で八名が当選した。小所帯ながら新派閥として産声をあげ、田山は総統への一歩を踏み出したのであった。
 草也は全国で田山派を強力に支援した。政治活動はしないという教義を、強権で変更したのである。夏も同意した。信徒は夏に従った。とりわけ、クンマ選挙区は、県内信徒はもとより、全カントウに動員を指示した。信徒達は入れ替わり立ち替わり個別訪問をして、執拗に訴えた。街頭演説会を頻繁に行った。草也と夏は姿を現さなかったが、信徒に人気の婦人部長の弁舌が爽やかだったから、動員された信徒達は熱狂した。忽然と姿を現した宗教団体にマスコミも選挙民も驚いたが、真宗の一派と知らされて、むしろ、支持が拡大した。有権者の送迎も替え玉投票もした。しかし、信徒達は手弁当で金銭には一切無縁だった。
 首脳の総括会議で田山は、詳細に分析した報告書を手に睥睨して、「勝因が教団にあるのは誰の目にも明らかだ」として、草也を激賞した。地元後援会の不甲斐なさをなじり、暗に遠藤の会長辞任を求めた。腹心に変えるべく画策したのである。老人が激怒して反発して、沈殿していた新たな権力争いが露になった。だが、田山の迫力と論理の前に老人は劣勢だった。
 そして、老人と田山のトップ会談が開かれた。老人は自らの権限の維持を求めて、由子のあの写真を持ち出した。田山は即座に一億で買い取った。
 こうして、由子は田山の性具となった。由子は田山の気まぐれな凌辱に応えながら、青年秘書との交わりに救いを求めた。 青年秘書は国会議事堂の会議室で、由子のスカートをたくしあげパンティをずり下ろした裸の尻を割って男根を挿入し、「この国に復讐するんだ」と、囁いた。
 由子の愛欲にまみれたニ年は瞬く間に過ぎた。夫の新代議士は田山の忠実な下僕となった。勃起不全は回復しなかった。由子との抱擁は絶えた。
 県議の老人は、間もなく収賄疑惑で逮捕され、失職して有罪となった。
 古沢はニ年後の次の選挙には立候補できなかった。田山が候補者を差し替えたのである。新しい候補者は秘書のあの青年であった。「権力は知恵と力で盗み取るもんじゃよ」と、田山は言い放った。
 青年はトップ当選した。前回以上に教団が力を示した。由子は退官し離婚したのであった。 その後の由子と青年代議士との関係は誰も知らない。元夫であり一期ニ年の元代議士は間もなく投身自殺した。
 青年代議士は再選を重ね、田山派の中核となり、長く田山を支えた。
 草也と田山の靭帯は、これらの選挙闘争を通じてより強く結ばれていったのである。
 
 
-紀世-

 一九五一年。この頃、倫宗の信徒は五〇万に達していたから、住宅街の施設は手狭になって近隣から苦情も出ていた。草也にとっても田山の提案は渡りに舟だったのである。
 古イニシエから霊峰の言い伝えがある高峯山という峯から東に広がる、峰ガ原という一〇万坪の原野が教団の新天地である。田山の圧力で国有林の払い下げを受けたのだ。西から東南に清流が流れ下る。列島の半分を横断する大河の源流のひとつだ。
 草也はこの地を『高峰山真宗倫宗本山』と、名付けた。  教団施設を建設する為の建設会社を設立して、信徒の建築技師を社長に据えた。この男は集成材を研究していた。それを支援していたのが、橘材木首府支店長の紀世である。集成材研究の投資は将来性を見込んでの事だった。紀世は株で大儲けをして裏金融もやっていたから、その資金をつぎ込んでいたのだ。全ては、北の国の本店には内密であった。

 汗の浮いた女の顔が愉悦に歪んだ。駐留軍の横流しのハムが股間を犯している。女は北の山脈の訛りもとれてバーのママに収まっていた。資金はもちろん男が出している。
この瞬間、女は男の奴婢であった。或いは、女自身の性癖が密かに望んだのだろうか。
ウィスキーをあおる男は桜庭紀世である。
 一九四九年の暑い夏だ。
 不様に拡げられた女の両足の先に、紀世が株で儲けた大金が無造作に転がっていた。
 「あの日も暑かった。そして、この女陰を見ていた」

 その時。一九四五年八月一五日。紀世はニ三歳だった。北国山脈の山懐の射撃の師、マタギの源蔵の小屋にラジオはない。電気が通っていないのだ。敗戦の報せが本村の役場から届いたのはその日の夕刻である。
 翌日の昼、紀世と源蔵の娘の妙は、いつもの滝の淀みで秘密の営みを繰り返している。
 「これからどうすんの?」「わからない」紀世は南条総裁の暗殺未遂からニ年間、この集落に潜んで、思い立つと旅に出た。「ここら辺は何も変わらないだろう」「また、首府に行くの?」妙の茂みを撫でる紀世は初めての男だった。そして、ニ一の女は男に溺れている。しかし、男は妙と所帯をもつ気など豪もない。そもそも、結婚を否定していた。それを承知で、妙は自らが隠微に身体を開いたのである。紀世は源蔵に対する懺悔も、さらさら、なかった。
 妙は普段は楚楚としていたが、紀世と交わる時は全身が性器と化す。既に何千回も性交した女の様に熟れていた。性の好奇が新たな性戯を習熟させた。
 そして、若い二人はそれだけで獰猛だったが、終戦の気分が欲望を高揚させていた。
 妙は去年までクンマの紡績工場で働いていた。空爆で会社が焼失して帰ってきたのである。その時には、処女でありながら、同輩の女達の秘術によって膣はおろか尻まで習熟していた。だから、妙の尻は、いとも容易く、紀世の勃起を飲み込んで、交互の挿入に絹を裂く様に嗚咽したのである。
 妙は紀世に促されて、隔離された悲惨な、そして女達の花園の秘密を明かすのであった。
 「紡績では、とっても可愛がってくれた姉様がいたの。会社の夏祭りの夜、その姉様と監督が嵌めてんのを見たわ。工場の隅で抱き合ってキスしてた。そのうち、姉様が後ろ向きになって浴衣をたくしあげて。何かにつかまって尻を突きだした。監督が下着を脱がせたら、姉様の桃色のおっきな尻がむき出しになった。監督のは黒かった。それを姉様のに入れたの。姉様は泣いてた。そして向き直るとしゃがんで監督のを舐めてた。その後、すぐに姉様は辞めてしまった。…夏姉様。今頃、何をしてんだろ…」
 「紡績はそんな事ばっかりだったんだもの。女同士で何でもやったけど、あなたのこれがいい。何時間も遊んで。何でもやっから。ああ」
 妙は一年後に源蔵が死去すると、紀世を追って首府へ出た。そして、紀世の女になったのだった。

 一九四三年の秋。御門外苑で初めての学徒壮行会が行われた。首府帝国大学の学生の紀世は一九歳である。社会主義に傾倒していた。徴兵が眼前に迫っていた。
 「大本営発表はすべてが嘘だ。この戦争は必ず負ける。こんな戦争で死んでたまるか」
 紀世はクンマの織物業の実家に戻った。裕福で紀世は長男である。婿の父親は、「お前は大事な後取りだ。徴兵逃れを議員に頼む」とまで言ったが、暮れも近いその夜、紀世は金庫からニ〇〇万を取り出すと、代わりに長文の手紙を置いて、その足で出奔したのであった。
 北に向かう夜汽車に座って、「俺は絶対に死なない。仲間を殺し、国民を殺し続けるこんな国はいらない。成敗しなければならない」と、寒風を切り裂く窓ガラスの顔が蒼白だった。
 やがて、北国山脈の吹雪く山中に、猟銃を構える紀世の姿があった。麓の町で身支度を整えて分け入ったのだ。この時期の峠越えは、紀世ほどの体躯でも難儀の連続だった。しかし、撃ったばかりの山鳥を焼きながら、紀世は大笑を吐いた。紀世の豪放と楽観が北の山脈に木霊する。紀世は、「まんざらでもない」と、鮮血の滴る山鳥にかぶりついた。

 やがて、山脈の懐深い源蔵の家に紀世はたどり着いた。源蔵はマタギ集落の領袖だ。何も聞かずに紀世を迎え入れた。紀世は猟銃の名手の源蔵から射撃の訓練を受けた。「筋がいい」と源蔵の目が輝いた。めきめき腕をあげて、春の熊獲りでは手負いの山の主を紀世が仕留めた。その頃には、眉間を射抜く名手の腕前であった。絶賛されて信頼が深まった。
 そんなある日、乞食僧のなりをした男が現れて、源蔵が快く迎えていた。
 男は梅島といい、源蔵の目を盗んで紀世を説得するのあった。
 梅島は元陸軍中佐。アイツの出。無政府主義者で確信のテロリストである。
 そして、二人は首府に向かった。源蔵にはすべてが秘密だった。


-小百合-

 首府では青柳が待っていた。青柳は二人に南条総統の暗殺を打ち明けて、冷厳に指示した

 南條の家系は能の一派で、祖父はナンフ藩の藩士だった。
 南條は、一九四一年一ニ月八日の開戦時に総統だ。「敗けを認めない限りは負けてはいない」という、極限の精神論の権化で、あの忌まわしい戦陣訓を作った。四四年七月にサイパン陥落の責任をとって退陣した。
 青柳は、北国の血を引くこの男を抹殺しなければ北国人の恥辱だと確信した。紀世は改めて決意を固めた。

 その夜、紀世の床に裸の女が滑り込んだ。歳上の女は紀世を艶やかに導くのであった。
 紀世は初めてだった。身体を解いた後に、小百合が語った。
 小百合は北国の貧農の娘である。母親は早くに死んで、後妻が二人の男児をもうけた。ある凶作の秋に、父親に僅かな金で売られた小百合は、一五で女郎屋に身を沈めた。
 二十の時に青柳の目に止まって水揚げされ、忠実な女になった。紀世を抱けと指示されたのだ、と、言う。「でも、好きでなければ断ったわ」そう言って紀世の口を吸った。小百合の唇は甘かった。二十三だと言った。
 青柳は、すでに、南条の日課を綿密に調査していて、南条の自宅の近く、通勤路である御門通りの仕舞た屋シモタヤを借りて古書店を開いていた。小百合が主人である。

 二人はその古書店の二階で密やかに接合しながら、機会を待った。
 小百合は、身体を売って凌いできたとは思えない、気品の漂う顔立ちをしている。崩れのない着痩せする身体で肌は白く、「カムイの血よ」と、言った。アテルイが先祖だと毅然と言うのであった。カンム御門の命で東国やエミシを侵略したタムラマロと戦って斬首された遠い先祖の、「その血が流れているの」と、言った。太股の痣を示して、「リンドウよ。カムイの守り花なの」とも、言う。俺にはマサカドの血が流れている、と紀世が言うと、「反逆者同士ね」「だから、こうなったのかも知れないんだわ」と、続けた。
 そして、母から教えられたという唄を唄った。

なぜ新しい唄が唄えるの
カムイの土地が奪われたというのに
恋人が殺されたというのに
ヤマトに犯されたというのに

 
そうよ、そうよ
違う、違う
これは復讐の唄
神に誓う神との契りの唄
隷属を拒む唄
ヤマトにまつろわぬ唄
反逆の唄
そうよ、そうよ

 
 小百合は紀世に夜の世界の全てを教え込む様に、性戯を繰った。
 「女というものはこんなに柔らかいものなのか」と、紀世は思った。夜半、月明かりに裸を晒して、再び二人の股間が結合した。今しがたより艶かしく、紀世の猛る隆起を小百合の膣が、得体の知れない獣の様に奥深く包みこむ。「あなたのは妖しい刀よ」と、途切れ途切れに、「女郎上がりが言うんだから間違いないわ」と、紀世の上で悲しく微笑んだ。紀世はいとおしいと思った。小百合が、「あなたにあげられるものはこれしかない」と、抜き取った陰毛を守り袋に入れて、「私の分身よ」と、耳朶に囁いた。


-敗走-

 そして、その機会がついに到来した。
、その朝のその瞬間、紀世の銃の標準は確かに南条の眉間に据えられていた。 しかし、紀世の必撃の一発は、南条の車馬の前に飛び出した幼子によって、射ち損じ、失敗した。護衛が血眼に辺りを見回す。
 かねての謀議通り、梅島が、「俺が盾になる」と、叱咤して紀世と青柳の二人を逃がしたのであった。
 梅島は警備兵に射殺されたのではないか、逃げおおせた紀世は疑った。「逃げ延びていて欲しい」小百合は祈った。 全マスコミに箝口令がしかれ、直ちに陸軍秘密組織が捜査を開始した。
 青柳らは、てんでに、首府から遁走した。紀世は、漸うに源蔵の家に辿り着いたのであった。
 

-闇結社-

 一九五七年、初春。その日、風邪気味の草也は夏の気遣いに促されて、近所の病院に出かけた。待合室で、たまたま、ある週刊誌が目に止まった。女優のスキャンダル記事である。草也が驚いたのは、その女優が所属する芸能プロダクションの社長の写真だった。「シフヤの稀代の不動産王の暗躍」と、見出しが打ってある。名前は変えていたが、その男は、草也が流浪している時に出会って共に滝行をした男、まさに、あの青柳ではないのか。

 草也はツキシの料亭で青柳と再会した。その後も何度か懇親を重ねたが、青柳は過去の一切を明かさない。すなわち、侠客にして社会主義者であり、剣と射撃の名手。北九輝と親交がありニニニ事変に濃密に関与した男。北の無念を晴らすために御門暗殺を企図して、紀世に南条暗殺を指示した男である。暗殺失敗の後は執拗な追跡を欺いて、シフヤの大衆の森に潜伏したのであった。
 戦後は闇市を子分の楠と共に支配した。後に、楠はヤクザの組長になり青柳の闇の世界を補佐した。青柳は戦後復興の怒濤に乗じて、一帯の不動産業界の重鎮となった。芸能プロも手がける。
 草也も、一切、詮索しなかった。もちろん、自分の過去にも全く触れない。
 その頃、田山から草也にある相談があった。シフヤを選挙区にするある代議士がトラブルに巻き込まれ、右翼団体『日本皇道連合』の街頭宣伝攻撃、いわゆる誉め殺しを受けていると言うのだ。いつになく田山がこぼした。
 草也が青柳に相談し、青柳が組長の楠に指示した。そして、楠が早々と解決したのである。
 田山が三人を行きつけの料亭に招いた。「我々にも必用だな」と、慨嘆した田山の指示で、彼らは政治結社『共立社』を設立した。楠の配下の某が代表である。
 総統を目指す少壮派閥のリーダーの田山。新興宗教倫宗の実質の指導者の草也。不動産王にして裏組織を采配する青柳。ヤクザ組長の楠。総会屋の芝原。青年代議士の松河という、田山連合ともいうべき闇組織がこうして誕生したのである。彼らは月に一度、第一火曜日に定例会をもったから、この結集体を『一火イッピ会』と呼んだ。
 この後、反田山の与党長老の竹島が率いる『日本皇道連合』は、ことごとく草也と敵対した。会長の栃石は戦中の大陸で諜報機関を率いて、戦後はその隠匿資金を元に与党の一角に食い込んだ。また、フグジマ出身の国家主義者の栃石は、大陸の情報と引き換えに駐留軍の諜報機関と通じていて、あの松元事件にも関与していた。


-姉妹相姦-

 一九五七年、初夏。
 教団の祝賀会に招待されていた紀世は驚愕した。演壇の町長の隣に小百合が座っているのである。隣席に聞くと町長婦人だと言う。小百合はめったに人前には出ない。選挙でもそうだった。忌まわしい過去が発覚するのを恐れたのだ。
 南条の暗殺に失敗した青柳は、小百合と共に首府から逃走したが、間もなく、舞い戻って、親子を装ってシフヤに身を潜めた。
 その小百合を見初めた男がいた。青柳は小百合をある商店主の養女にして嫁に出した。その男がチチフのこの町の町長になっていたのである。
 その日は夫に懇請されて、止むを得ずに壇上に座ったのであった。
 祝宴になり紀世が小百合に近づいた。小百合も驚いたが、紀世が「話がある」と、言うと、躊躇わずに頷いた。紀世が連絡先を教えた。
 次の日の朝、小百合から電話があった。
 その日の午後、ホテルのロビーで落ち合った二人は、何も言わずに部屋に入ると抱き合った。 
 小百合が泣きじゃくる。涙と喜悦で二人は懐かしい性交を共有した。小百合に貞操観念がなかったのではない。しかし、南条暗殺の状況で結んだ二人の性の記憶に勝るものは、二人の世界にはなかったのである。
 小百合が話し始めた。結婚して間もなく、ある老婆が訪ねて来た。「お前の父親はサタケの橘山林木材という名家の前社長だ」と、言うのである。「今、後を継いでいる初江は異母姉だ。亡くなる直前の母親から頼まれたのだ」と、言い、「証拠は太股のリンドウの痣だ」とも、続けるのだった。既に、小百合を女郎に売った義父は何も知らずに死んでいた。
 小百合は自分に女の係累はないと思っていたが、異母姉がいたのだ。だが、自身の忌まわしい過去が重くのし掛かって、訪ねられずにいた。「あなたは橘木材の首府支店長だったと聞いたわ。姉を知ってるでしょ?どんな人なの?」と、言う。
 初めての女であり初めて恋した人と、山中で犯した女が、母親が違うとはいえ姉妹だったと、いうのである。紀世はその奇縁に震撼して罪の深さを悔いた。そして、「貴女と同じく、とても優しい人だ」と、絞り出した。
 小百合は、教団の副会長の宮子は一緒に女郎をしていたのだとも、言うのであった。


-亀裂

 一九五七年、夏。教団の婦人部長と副会長が性交している。四ニ歳の淫奔で乱熟した陰唇が、四八歳の男根に股がっている。女の好きないつもの体位だ。
大柄で肉付きのいい真っ白な女の背中に、赤と紫と青の大輪の牡丹の入れ墨が咲き乱れている。
 その入れ墨に届く髪がほどけて、淫奔な乳房がたわわに揺れる。広げた右の太股には漆黒の森に向かって、金色の蛇が鎌首をもたげている。
 女は発情した獣の卑しい声を発し続けている。慣れ親しんだ互いの性器が、二人の靭帯を示す様にしっかりと結合していた。二人は両の手を握り、既に絶頂のただなかにある女が、割れた媚乱な尻を上下に激しく揺すって、男根に射精を急いている。女はシンランの直系の血縁だとうそぶき、旧教団では女帝と言われた猛女である。
 いったい、この女は何者なのか。戦中の国粋主義者であり皇道派右翼某の情婦であった。その前は女郎である。その右翼に水揚げされたのである。
 ある時、お告げを受けたとして、突然に神がかりになった。右翼がこれ幸いに真宗の寺を詐取して、秘密裏に祈祷を始めたのである。
 終戦の間際に男は死んだが、弟子の高森を色仕掛けで篭絡して、戦後、真宗分派に衣替えしたのである。全ては高森の知恵であった。女は宮子という。

 一九五七年、夏の総選挙。
 ある選挙区で候補者支持を巡って、教団の県組織の内部が対立して分裂の様相を呈した。田山派と反田山派の抗争が原因だった。草也は教団副会長の高森に調整を指示した。迂闊だが、高森が反田山派と内通しているのを、未だ、知らなかったのである。高森は反田山派支持示で動いた。
 激怒した草也が直接、指導に乗り出し、強権を発動して田山派の候補者を支持する事でまとめた。しかし、この事件は、草也と高森副会長の亀裂を教団内外に鮮明にして見せた。
 高森のメンツは丸つぶれだった。草也の豪腕に対しても不満が鬱屈した。事案は解決したものの大きな遺恨を残したのであった。
副会長の高森は、元浄土宗反主流派の一派、「浄土宗常陸本願寺派」の長でもあった。ムサシ一帯の一〇万の信徒を率いて、草也の「浄土宗倫宗」と合併したのである。この合併で倫宗信徒は八〇万に拡張した。
 だから、高森は五人の副会長の中では別格なのである。教団の実力者なのだ。宗教界でも切れ者との評が高い。夏に次いで圧倒的に人気の婦人部長とは、旧組織から肉体関係が続いていた。高森には家庭があったが公然の秘密だった。

「あの若造が。戦争も満足に知らんくせに」と、高森が吐き捨てると、「悔しかったでしょう」と、女が男根を撫で上げた。「本でも書いてりゃいいものを。しゃしゃり出て」「あなた。それが問題なのよ。聖人面して、教団からはびた一文報酬を受けていないって、放言してるけど。出版局を押さえて莫大な印税を手にしてるのよ。それを田山に流してるんだわ。今度だって、私たちの仲間を切り崩すのに随分と配ったって、専らの噂なのよ」女の指が亀頭を転がす。「その通りだ。このままじゃ示しがつかん」男の意志が陰丘を這う。「計画では一〇〇万と踏んでいたが、潮時かもしれん」秘穴を探る。「合併はしたが、そもそも、真宗の正統は俺達なんだ。合併は倫宗を乗っとる方便だったんだからな」女の指が同意した。「夏も外には一切、出ん。これまで選挙を仕切ってきたのはお前じゃないか。まあ、我が方にとってはその方が好都合だったんだが…」陰穴に指が入った。「お前の人気は絶大だからな」女が続ける。「いま割るとすれば半分は固いわよ」女がほくそ笑んだ。「一〇万から四〇万か。不足はないが、一度、ユカワラの先生にご教授を仰ごうか?」「私の役目なんでしょ?」「俺達の願望が目前なんだ。この身体以外に、あの老人を満足させるものはないじゃないか?」「半分で割って総崩れにして、いずれはみんな頂くのよ」と、女が男の下腹に頭を沈めた。「その通りだ。一〇〇万構想の実現だな」と、男は男根を女の口に導く。
そして、反田山勢力の陰謀の手も密かに伸びていたのであった。

 
-国会突入-

 一九五九年、初秋。草也は全学協委員長の唐津と密かに会っていた。正念場だと判断したのである。情勢の帰芻を握る青年に食指が動いた。
 草也の傍らには一億の紙袋が置かれている。唐津はその評とは違い、極めて繊細な若者だった。日々、緊迫する状況の頂上に立っているのだ。震幅し動揺が走るのも当然である。歴史を左右する情況の命運が掛かっているのだ。時代の足音が少壮革命家の双肩にのし掛かっていた。
 唐津は国会突入の計画を詳細に説明した。草也は同意して満足だった。成功するだろうと確信した。「窮したらいつでも来い。骨は拾ってやる」と、草也は言った。

 六〇年国防条約闘争の学生部隊を主導した、新左翼政党の「日本革命協議会(革協)」に、草也は多額の秘密資金を投じていた。学生運動をさらに激化させて、世相を混乱させるのが目的だった。それは田山の策謀だった。この騒乱に乗じて総統を退陣に追い込む腹なのである。岩橋を新総統に据えて、自分は幹事長に座る。総統を目指す田山の策略であった。田山は総統派閥に属しながら岩橋と密かに内通していたのである。
 岩橋は小派閥の領袖に過ぎない。経済に通じ親大陸のリベラル派で、大陸との国交回復を悲願にしていた。基本政策の概ねで岩橋と田山は合致していた。ただ、それを実現するための戦術が違った。岩橋は何事にも平和主義で争いを好まなかったが、田山は手段を選ばない武闘派だ。
 当然、草也の行動は岩橋には何も知らされていない。そうして、田山派と総統派の対立が激化していった。その政界を揺るがす抗争は各方面に波及した。そして、臨界に達しようとしていたのである。

 一九五九年一〇月××日。
「日本労働組合(日労)」がゼネストに突入して五日目。日本全土が騒然として、革命前夜の様相を呈していた。とりわけ、国会を包囲する人民は日増しに増加した。
 ××日。日労と全学協の共同指令で動員された組合員、学生、そして、市民の一〇万人が国会を包囲した。これに全国から結集した右翼集団が対峙する。草也が設立した共立社の構成員もいた。この両者を完全武装した機動隊の大部隊が包囲している。まさに、戒厳令下の様な状況である。
 最も国会正門近くに陣取った革協が主導する学生部隊は総勢五〇〇〇名。これに向けて、唐津のアジ演説が始まった。演説の途中から、あちこちで機動隊や右翼との小競り合いが始まった。唐津が扇動したのだ。演説が終わると本格的な激突になった。
 演壇を降りた唐津は暫く状況を見ていたが、その時、「女子学生が殺された」と、ハンドマイクが絶叫した。「今だ」唐津は子飼いの決死部隊に、かねて打ち合わせの指示を発した。直ちに、一斉に火炎瓶が飛んだ。たちまち、機動隊員の二人が火だるまになった。固く閉ざされていた権力の砦の鉄の門扉が、いともたやすく引き倒された。
 決死部隊が火炎瓶を投げながら、議事堂をめがけて先陣を切って疾駆する。他の学生部隊が後に続く。
 日労の労働組合は門外に留まったままだ。国会を汚してはならないという、革新党の国会議員指導部の指示であった。市民は学生のあまりの過激さに戸惑っていたのである。
 議事堂正面は幾層のおびただしい機動隊で防護されていた。随所に放水車が配置されている。行動隊がたどり着き機動隊と対峙したその瞬間、鋭く笛がなり、一斉に放水が始まり、同時にガス弾が発射された。火炎瓶とゲバ棒、ヘルメット以外は無防備な学生部隊は、瞬時にして崩れていく。ガス弾は水平発射された。警棒や盾でやみくもに殴り倒す。学生の死者は3名、負傷者や逮捕者は多数にのぼった。
 始終を見届けた唐津は修羅場を脱出した。
しかし、大衆は国会包囲を解かなかった。ハンガーストも随所で行われた。
 包囲2日目には老人が焼身自殺して、日労が抗議の遺書を発表した。衝撃が全国を覆った。
 しかし、一方では厭戦感が漂い始めていたのである。日労が全学協の国会突入を批判し始めると、闘いは、じわじわと分裂の様相を呈してきた。日労は、明らかに国会審議に重点を移し始めた。学生運動は孤立しつつあった。
 六月二三日。新国防条約が与党の強行採決で成立すると、直ちに総統が辞任して、岩橋が新総統に選出された。そして、岩橋は田山を幹事長に任命したのである。


-唐津と典子-

 唐津に逮捕状が出ていた。
 その唐津はチチフの教団施設の一角に潜伏しているのであった。
 世話をしているのは、あの類の初恋の人、典子である。典子は師範学校を卒業後、教師の職を得た。やがて、同僚の信徒に誘われて教団に入信した。日も経ずに、夏に気に入られて出家し、夏の秘書になっていたのである。
 唐津と巡り会ったこの時、典子は三〇歳であった。唐津とある男が重なった。初恋の人、類である。孤独で何者かと真っ向から対峙している男。彼方を見ている男。自らは典子に近ずかない男。唐津は類の再来だった。
 典子は唐津に告白した。二人はおずおずと身体を重ねた。典子は処女だった。
 唐津は依るべき前途を見失っていて、全てに怯えていた。射精をためらう唐津に、「あなたの子供が欲しいの」と、典子が促した。
 唐津は典子の寝顔を見ている。寝息すら甘い。菩薩顔である。つぶらな瞳は安らかに閉じられている。豊満な身体。ふくよかで張りつめた乳房の呼吸。白い肌に赤紫の乳首。滑らかにくびれた腹。縦長の臍。盛上った丘に柔らかく繁る薄茶の森。豊かな太股。丸く豊かな尻。
 唐津は声を圧し殺して泣いた。しかし、健康な女体も恋心も、唐津を留める事は出来なかった。唐津のニヒリズムと迫る捜査がそれを許さなかったのだ。教団も幾つかの派閥が出来て、対立も目立ち始めていた。草也は内通を懸念した。
 三日潜伏したばかりで、唐津はある島に逃亡した。そして、間もなく自裁したのである。遺書はなかった。
 やがて、典子は健康な女の子を出産した。継子と名付けた。
 
 
-刺青の女-

 一九五八年。冬。
 教団の婦人部長、四ニ歳の宮子が、納入業者の資材会社社長、三五歳の紀世と交合している。
 紀世に背を向けた宮子が浴衣を脱ぎ落とすと、むっちりと張った真っ白な背中に、赤と紫と青の大輪の牡丹の刺青が咲き乱れているのである。息を飲む男に、「どう驚いた?」と、女が声を重ねて、その入れ墨に届くばかりの豊かな髪を揺らして、向き直った。すると、太股にも入れ墨があるのだった。黒々と繁った陰毛が覆う股間のすぐ下で、金色の大蛇が鎌首をもたげて、女陰に向けて紅い舌を出しているのだ。 
 女が両の手で豊かな乳房を挟んで揺らしながら、「私は、本当はこんな女なのよ」と、宣告した。男は、再び、生唾を飲んだ。確かに、平素の風情とは一変している。「この女は化け物かも知れない」と、紀世は震撼した。「いったい、どういう生き方をしてきたんだ」小百合からは、元は女郎だったと聞いていた。食指が動いたのはその地位と履歴にあった。野望を手に入れる為には存分に利用できる価値がある、と、紀世は判断したのだ。だが、この刺青には、さすがの紀世の情欲も萎えた。そういう趣味は男にはなかったのだ。
 しかしと、思い直す。「この女を征服しなければ教団は手に入らないのだ。高森は邪魔だ。どんな手だてを使っても、女を高森から引き剥がさなければならない。その為には俺の性技を駆使するしかないのだ」
 この夜、日頃の礼をしたいと、アカサカの料亭に女を誘ったのだった。半島渡りの媚薬を忍ばせて、隙を見て女のグラスに落としたのである。
 紀世が宮子の身体と刺青を称賛すると、「もっと、言って」と、女が身悶えして応える。紀世が隠微な言葉を連ねて女を攻め続けると、女の目には淫悦な光りが煌めいた。男が刺青を激賞しながら横たわった女の裸を舐め回す。宮子はのたうち回った。身体全体を、かって感じた事のない熱く痺れる快感が襲っていた。
 その異様な感覚は酒席の途中から芽生えていた。普段にも増して、宮子は肉欲の獣に化した。耐えきれなくなった宮子が結合を求めるが、紀世はそれを許さない。膨れた陰核、丘、穴に媚薬を塗った。暫くすると、宮子は激しく痙攣する。紀世が用意した前後の穴を責める性具を付けさせた。宮子の悶絶がさらに激しくなった。
 紀世はウィスキーを飲んで眺めながら、「いったいこの女は幾人の男と、どの様な戯れを重ねたのか」「高森に満たされているのか」「女王然とした女の弱点は…」などと思案を重ねる。女は紀世の眼前で絶頂を繰り重ねていたが、やがて、静かになった。
性具を外して、小水だと言って起き上がろうとする。紀夫はそれを許さない。洗面器にさせた。女は大量の小水を注いだ。
 女を用意した紐で巻き上げて、再び、性具を付けると、嬌声が掠れて絶え絶えになる。
 宮子が男根を懇願し続ける。紀世が女の口に含ませた。巧みだ。紀世はこらえた。これは闘いなのだ。欲と欲、肉と肉の戦争なのだ。
さらに、女が挿入を乞うが紀世は許さない。陰茎を吸わせながら女陰を貪った。四ニ歳の淫奔で乱熟した陰唇が紀世の口にある。割れて姿を現した陰洞から蜜が吹き出てくる。宮子が男根をくわえたまま尻を痙攣させて、再び絶頂を迎えた。
 紀世は女にウィスキーを含ませた。女が顔を歪めて挿入を懇願した。紀世はここだと思った。同意を示すと狂気して、「私が上になるから」「それが好きなの」と、言った。だが、紀世は許さない。諦めた女が、「好きなようにして」と、仰臥して挿入ばかりを懇願する。とうとう勝ったと、紀夫は思った。男に組みしかれた女陰に男根が侵入した。しかし、宮子にとってそれは屈辱の体位だったのである。
 宮子は北国の貧農に生まれた。奔放な母が浮気のあげく離縁された。宮子は、「誰の子かわからない」と、母と共に叩き出された。母が、やはり、貧しい男と再婚した。その義父が早熟な宮子を犯したあげく、女郎に売りとばしたのである。そして、数えきれない程の客に組みしかれ射精された。水揚げしてくれた右翼の男との騎乗位で、宮子は初めて満たされた。入れ墨はその男の独占欲が入れさせた。
 紀世の下で、宮子は発情した獣の卑しい声を発し続けている。しかし、この体位に残虐な宮子の歴史がある事に紀世は気付いていなかった。宮子の欲望は母親の血を引いたのかも知れない。
 しかし、圧倒的に後天の悲惨な体験が、この女の肉欲を形成していたのである。宮子は貧困が孕んだ化け物だったのか。
紀世は絶頂のただ中の宮子に勝ち誇って射精した。
 暫くすると、宮子が、「今度は私の番よ」と、紀世に指示した。宮子は紀世に股がって自ら挿入した。二人は両の手を握り、絶頂のただなかにある宮子が、割れた媚乱な尻を上下に激しく揺すって、男根に射精を急く。
 紀世を言い知れぬ不安が襲った。「この女は化け物だ。俺の自由になる女じゃない。いずれ邪魔になる」と、確信した。
 紀世は、寝物語で翔子の処遇を頼んだ。「あなたの女なの?」紀世は否定して、再び、交わった。こうして、翔子が宮子の秘書になる事が決まったのである。


-嘘-

 一九五九年。一月。宮子の秘書になって間もなく、翔子は夏と再会した。翔子は三七歳、夏は四三歳である。
 泣き崩れた夏の号泣が止まない。こころが全身で震えているのだ。傍らの翔子は夏の声を聞きながらあの夏の日を思っていた。
 夏と翔子が初めて抱き合ったあの暑い日に、やはり、夏は号泣していた。「姉様」と、呼びかけると、夏は翔子を抱き寄せた。夏の身体が熱かった。薄いワンピースを通して汗の濡れがわかる。私もそうなんだろうか、と翔子は思った。翔子も薄いワンピースだ。私の熱さを、私の汗を姉様も感じているのか。その時、夏が翔子の唇に唇をあてた。夏の唇も熱かった。そして、柔らかかった。翔子は唇にそうされるのは初めてだった。親にもされた記憶はない。翔子は処女だった。夏が唇を吸った。翔子に電気が走った。翔子は唇を離して、また、「姉様」と、言うと、夏は答えずに翔子の顔を引き寄せて、また、唇を吸った。
 この時、夏はニ四歳。翔子が一八歳。二人は裸になって抱きあった。夏が翔子の乳房を揉む。翔子も夏の乳房を撫でた。二人は乳首を吸いあい、女陰を撫であい、吸いあい、指を入れあった。

 「姉様」と、翔子が、再び、声をかけると、泣き止んでいた夏が顔を上げた。「紡績のあの時みたいに慰めてあげるわ」と、翔子が言う。「私にはそれしか出来ないもの」そうして、二人のこころは、再び、抱きあったのである。
 夏は、何故、号泣したのか。草也の命が燃え尽きるという予言を得ていたからである。夢で金蛇様のお告げを聞いたのだ。だが、誰にも言えなかった。草也に言える筈もない。予期せぬ翔子との出会いで緊迫の糸が切れた。
 この予言は天罰ではないかと、夏は考えていた。
 夏はあの金色の蛇をニ回しか見ていなかったのである。「三度見たから願いは必ず成就する」と、言ったのは、草也の心を捕らえるために咄嗟についた嘘だった。その嘘を罰せられて草也は死ぬのではないのか。天寿を全うできないのではないか。自分が嘘をついたことの金蛇様の祟りではないのか。夏はそう考えたのだった。
 そもそも、自分と草也の夢は嘘から始まったのか。夏はそうも疑った。いったい、二人が追い求めてきたものは何だったのか。夏は、この先も、金蛇様には全てを否定されるのではないか、という不安に苛まれていた。
 夏は翔子に全てを話した。翔子は夏を裸で抱き止めた。しかし、翔子は夏に何も話していない。
 翔子は紀世から密命を指示されていたのだった。紀世は教団の乗っとりを図っていた。その野望の為にだけで宮子と交わっていた。しかし、紀世は宮子を、露ほども信じていない。いつ裏切るか、得体の知れない女なのだ。何れは排斥しなければならないと、腹に据えていた。では、夏や宮子に代われる女は誰か。翔子しかいなかったのである。だから、教団の内部を秘かに探るように翔子に指示をしていたのだった。
 宮子は紀世の底意などは豪も知らない。
 そして、紀世と宮子の関係を翔子は、全く気づいていない。
 紀世には翔子と夏の関わりを知る由もない。
 そして、草也は、それらの人間模様には一片の関心すらなかった。その草也に、夏に与えられた予言の危機が迫っていた。
 草也も金色の蛇を三度見たと思い込んでいた。しかし、実際は二度しか見ていなかったのである。三度の内の一回は、夏の陽の光を受けただけのありふれた大蛇を、金色だと思い込んだだけの、錯覚なのであった。


-草也謀殺-

 一九六〇年、四月。
 「四千名の特攻隊学徒が死を持って守ろうとしたこの国を、あいつらは玩具にして玩んでおる」「田山は国賊だ。その手先のあの草也という男。極左派を操って政権転覆を図るとは。今度という今度ばかりは許せん」「我が日本に不要な害毒だ。わかるな」
 日本皇道連合の理事長室で、栃石が鋭い眼光で腹心の目を射った。「承知しております」と、黒ずくめ男が答えた。
 それから三日後、常用している都内のホテルの一室に草也はいた。フロントからの電話が、田山事務所から電話だと告げた。田山の電話はいつも本人だ。おかしいな、と怪訝を飲み込みながら受話器を取ると、妖艶な声が話し出した。田山から指示を受けた事。田山は最重要案件で現在総統と協議中である事。この件に付き総統の会談終了後、草也に相談したい事。自分は田山の派閥秘書である事。極秘なので自分の自宅に××時に来て欲しい事。自分は田山の女であり自宅も極秘だから遠方でタクシーを捨てて欲しい事。そして、住所を言った。
 草也は承知した、と受話器をおいた。時計を見るとあまり時間がない。草也はタクシーに乗り込んだ。部屋には、明日、夏に渡す誕生日の贈り物の包みが残されていた。

 指定された家の扉を叩くと、妖艶な女が草也を導いた。

 翌日の朝、ホテルの近くで草也の轢死体が発見された。
 夏は翔子と共に遺体を確認した。予言の通りだった。涙は出なかった。呆気ない最期だと思った。
 所轄警察は早々とひき逃げ事件として処理しようとしていた。
 だが、田山は違った。確かに派閥事務所の秘書は田山の女だった。しかし、電話もしていないし、住まいも草也がタクシーを降りた場所とは全く違う。草也は、とある商店街の一角でタクシーを降りており、その後の足取りは一切わからなかった。
 遺体は明らかに轢死を示していた。死亡推定時刻も発見時間と一致していた。だから、警察は、草也が何者かの指示でホテルを出て、戻る途上でひき逃げされたのは間違いない、と判断していた。
 誰が誘オビきだして、草也がどこに行ったかは、田山が絡んでいる以上、高度な政治問題だった。
 警察の態度はそうだろう、と田山も思う。しかし、田山の派閥事務所をホテルのフロントに名乗らせたのは、田山に対する警告であり、明らかな挑戦だと考えた。これだけの事が出来るのはあの男しかいない、と、田山は確信した。あの男の指示で皇道連合が動いたのだ。実行犯は末端だろう。次の標的は自分なのだ。
 さて、どうするか。反撃こそが最強の防御だ。何よりも、草也を無駄死にさせてはならん、田山はそう考えた。
 田山は派閥秘書を解任して某所に隠匿した。そして、ある新聞記者を呼んだ。
 数日後、ある週刊誌に衝撃的な記事が躍った。「巨大新興宗教の実質指導者謀殺の闇」週刊誌は飛ぶように売れた。

 田山は夏に全てを話して復讐を誓った。
 夏は、関係者の反対を頑なに押しきって、草也の葬儀はしなかった。ヒタチの海に散骨したのである。典子だけが従った。
 草也は闘いの真っ只中で死んだ。遺書は無かった。
 既に、遺骨の一つは守り袋に、草也の男根の大きさのもう一つは、夏の隠し場所の奥深くに秘匿されていた。
 週刊紙や新宗教評論家によって、短い時間で、極秘に伏していた草也の履歴は概略が暴露されようとしていた。
 草也はヒタチの醤油屋の次男であった。スポーツマンで野球で某私大に進んだが、仲間の喧嘩の仲裁に入り傷害致死で服役した。四四年の恩赦で出獄。四六年に夏と共に倫宗を設立した。
 夏の履歴にも取材の手が迫っていた。
 そして、遂に草也との関係を暴露した女が出た。あの区会議員の妻である。肉体関係はないと言いながら、草也のあの秘術を赤裸々に語ったのである。教団支配を企む宮子が、あの男の指示で捜しだして金を与えたのである。世上は驚き教団批判が沸騰した。教団内の草也の信頼は一気に失墜した。そして、その矛先が夏に向かおうとしていた。


-闇将軍-

 その男は苦虫を噛み潰していた。草也の事件は週刊誌に端を発して取材合戦となった。
 戦後、雨後の筍の如くたち現れた新興宗教の中でも、一〇〇万の信徒で隆盛を極めた倫宗の実質的指導者の死は、それだけでも関心を引いた。その上、少壮武闘派代議士の田山が絡んでいたのだから、格好の話題であった。
 国防条約改定闘争の激化に合わせて政局が一気に流動化していた。野党や革協など新左翼、日労など労働組合、全学連など大学生、文化人、そして広範な大衆の間に、国防条約反対の声は満ち満ちていた。内閣打倒のスローガンも加わっていた。
 情勢の帰趨は多数派の与党の動向にかかっていた。総統は条約改正は政治生命を掛けてやり遂げる決意である。総統派の大勢はそれを支持した。
 総統の派閥に属しながら、小とはいえ新グループを率いている田山の微妙な動きを、この男は注視していた。反総統派は日和見だったし、中間、無派閥もいる。野党からの様々な利害を絡めて攻勢が激しくなってもいた。
 田山の動きが情勢を帰趨させる分水嶺になると、この男は判断した。それだけは避けなければならない。政局の主導権を田山などの若造に握らすわけにはいかない。男は総統を捨てて、岩橋擁立を決断した。そして、田山の息の根を止めて教団を支配する目的で、草也の謀殺を指示したのである。

 入れ墨師が帰った。羽二重の朱の布団に宮子の裸があった。豊満な片の乳房に阿修羅の手が彫られかけている。女の全身を阿修羅が犯すという構図なのだ。
 女の陰穴から一筋の淫液が染み出ている。女は針を受けて苦痛を装いながら、絶頂に達していたのである。そういう身体と性癖だった。
 襖が開いて、その男が現れた。杖をついた痩駆の和服が椅子に座ると、宮子を見下ろした。鋭い眼光が新たな紋様を突き刺して、「さすがに彫り竜だわな」と、男の目は笑わない。「胸が済んだら左の太股に俺の一物を彫り込んでやろう」「お前の新しい男がどんな顔をするか、見ものだな」と男が言う。宮子は息を呑んだ。この老人は全てを知り尽くしているのだ。女が、「……」と、媚びるが、男は答えずに、「そうなったお前がどの様にその男と交わるのかなるのか楽しみだ」「お前が誰に抱かれようが構わん。抱かれた話を聞くのが俺の楽しみだからな」「だが忘れるなよ。教団は俺のものだ」女は背筋が凍った。宮子は擦り寄って男の股間にうずくまり、皺だらけの卑小な陰茎を口に含んだ。昼日中、ユカワラの静まり返った一室で日本の闇が造られていた。


-倫宗分裂-

 遂に、倫宗が分裂した。 教団のある派閥の首謀者が、宮子の不業績を週刊誌に告発したのである。それを引き金に倫宗は四分五裂した。一〇〇万信徒が分解したのだ。脱退した者ニ〇万。宮子派が四〇万。他の数派に三〇万。夏に従うのは一〇万であった。
 宮子と数派の間で教団施設の奪い合いが凄まじかった。夏は教団施設を明け渡した。
 夏は最も信徒が多い裏列島の港町に居を移した。そこは田山の選挙区でもあった。翔子と典子は夏に従った。

 教団大紛糾の最中。その日、紀世は宮子と交わっていた。宮子の乳房の彫りものが、会うたびにその姿を鮮明にしてくるのである。つくずく恐ろしい女だと思う。「俺には付きというものがないのか。宮子を手に入れ、翔子を配したのに。南条暗殺のあの時のあの幼子の様に。目の前で教団奪取の夢が崩れようとしている。しかも、あんな幼子ではない、もっと得体の知れないものが俺を覆っている。俺の野望を叩き潰そうとしているのだ。それは何なのか。この女は高森とも別れていない。この女の確信の源泉は、いったい、何なのか」勃起を宮子の女陰に深々と沈めながら、紀世の思案は止むことがない。
 女が何度も絶頂に達した果てに紀世が射精しすると、宮子が言った。「翔子はあなたの女でしょ。とうに知っていたわよ。そんなのはどうでもいいの。あなたのはなかなかの物よ。いつでもしてあげるわ。でも教団は私のものよ」「あなたの若さがいいわ。堪らない。でも野望を持つには、未だ、若すぎるのよ。先の戦争を率いたのは私達なのよ」

 夏について○○(新潟)に行くつもりだと言う翔子と、紀世は激しく交わった。紀世は青柳や梅島と再会していた。三人の関係は極秘にしていたが、草也の死後、青柳に頼んで田山と面識を得た。田山は草也の後継になれ、と指示した。新たな後ろ楯を得た紀世は、だから、宮子の教団を、未だ、諦めてはいなかったのである。俺の武器は若さだ、と思った。宮子との関係は続けておいて損はない。いずれ、機会があるだろう。その前に高森を何とかしなくてはならない。いざとなれば謀殺すら考えなければならない。宮子教団の奪取は田山も望むところなのだ。そして、この女、翔子も若い。夏は田山の庇護を受けているが憔悴し切っている。夏を継ぐのは翔子だ。裏列島に離れても、この女には今まで以上に性技を凝らさなければならない、と考えていた。
 再び、翔子を抱き寄せた。「あなたを愛してるわ」「でもいまは姉様のそばにいたいの」紀世は翔子のニイカタ行きに同意した。翔子の愛の囁きに満足したからである。しかし、翔子が言う「姉様」が持つ深い意味を見過ごしていた。女同士しか知らない痴態で、夏と翔子しか知らない泌戯で二人が深く結ばれているのを、この男は、皆目、知らなかったのである。
 そうして、翔子は裏列島のニイカタに旅だったのだった。


-翔子-


 「ばか御門。何を言ってるのか、わかりゃしない。国民を殺したの、あいつだろ?。あんな奴こそ、死んじまえばいいんだ」
 シフヤのバラックの小汚ない居酒屋で、酔い潰れた女がくだを巻いていた。初めての客だ。
 その日。一九四五年八月一五日の暮色は、未だ、気狂いした様有り様で蒸し暑かった。正午の御門のラジオの声が、様々な情念を渦巻かせて薄汚れた街を覆っているのであった。
 芳醇な女が揺らす豊かな乳房を覆う薄手のブラウスに、汗が染みている。 
 居合わせた眼光の鋭い初老の男が、やがて、女を連れ出した。男はこの界隈を取り仕切る侠客である。禿げ上がった赤ら顔の店主が深々と頭を下げた。
 夜半、宿で目覚めた女が、「お礼よ」と、男の男根を握った。「すっぽりくわえて。口をこうして。吸ったり、締めたり、噛んだり。根元を指でゆっくり揉むのよ」だが、男は萎えたままであった。
 朝、男の背中一面に登り竜の刺青があるのを、女は初めて知った。別れ際に男は紙幣を握らせた。女は突き返せずに呆然と座り続けていた。
 この女。翔子。ニニ歳。
一年前に夫の戦死公報を受け、半年前の地方都市の空襲では両親が焼死していた。兄はニ年前に戦死している。戦争に係累の悉くを奪われ、依るべき夢の何一つもない女だった。
 女は紡績工場で働き、空襲で焼失後は首府に出て、小料理屋で働いていた。

 「シフヤ振興会」の小さな看板が掛かったバラックの事務所に入った男に、子分が茶を入れた。
 男の名は青柳で、通り名を「龍」という。茶をすすりながら、「あの女は快楽の天女なのか、ただの堕ちて行く女なのか」と、考えていた。侠客にして社会主義者であり、剣と射撃の名手だ。北九輝と親交があり二二二事変に関与した男。北の無念を晴らすため御門の暗殺を企てた男。紀世に南条暗殺を指示した男である。暗殺失敗後はシフヤの大衆の森に潜伏した。戦後は、この一帯の闇市を子分の楠と共に支配した。後に楠はヤクザの組長になり青柳の闇の世界を補佐した。青柳は、期せずして、不動産業や芸能プロも手がけている。
 やがて、翔子と再会する。草也とも再会して、六〇年国防条約定の政局に深く関与するのである。


-遺体-

 小料理屋で働いていた翔子は、暫くして、誠実な運転手と巡り会って同居したが、十日後、入籍する間もなく事故死した。
 一九四六年。翔子がニ三歳の晩夏。異様に蒸す夜である。貧相な借家で、簡単な飾りつけを終えた葬儀社が帰った。
 翔子は茫然と棺の前に座り続けている。視線が凝固して涙はない。暮色がゆっくりと闇に変わった。
 小電球の薄明かりの下で、女がぼんやりと遺体の下半身を剥いた。凍った視線が股間に突き刺さっている。
 すると、ふらふらと真裸になり股がっでしまったではないか。やにわに、豊かな女陰を擦りつけ始めたのである。
 丸く豊かな尻が痙攣して、忍び泣きが貧しい一間に響いた。女の尻に汗を受けた葵の痣が咲いている。
 その時、貸家の窓の破れ目に燃え盛る目があった。通夜に出向いてきた真宗の僧の榊原である。榊原は、暫くの後、大きな咳払いをして改めて借家の前に立った。


-榊原-

 榊原の野心が紀世の野望を発火させたのだろうか。二人の欲望が化学反応したのだろうか。何れにせよ、二人は倫宗の乗っとりに乗り出していた。
  榊原は真宗首府本願寺派の事務局でシンラン研究に没頭する学僧であった。
 真宗には、早い時期から戦争を巡って派内に論争があった。当初は戦争反対派が圧倒的に優勢だった。シンランの業績からしてもそれ以外にはない、と、榊原は確信していた。しかし、二二二事変を期に潮目が変わった。軍部が絶大な権限を掌握すると、世論と同様に派内の論議は一変したのである。そして、派があの戦争を容認して徴兵制度を遂に認めた時、榊原は宗派を去った。  
 寺を持たなかった榊原は托鉢の旅に出た。今となっては、大衆に乞食しながら、大衆の声を聞く事のみが宗祖シンランの教えに叶うのだと、信じたのである。論争を通じて、数は少ないが、戦争に反対する強靭な集団も形成されていた。信徒の一部の強い支持もあった。その中には社会主義者もいた。
 榊原はロシア革命に惹かれていった。シンランを一宗教人を超えた苛烈な革命家として捉えようとしていた。仲間と交わりながら、榊原はシンランの源泉のイハラギをくまなく乞食し、やがて北上して、北国の山中で紀世と出会ったのである。
 二人は当初から気があった。旅を共にする内に、紀世は胸の内の全てを榊原に開いた。榊原も知る限りの確信を教えた。暫くして、自身の都合で別れはしたが、紀世は折に触れて気にかかる青年であった。
 榊原はシンランがそうした様に、人々と交わり人々と語り合いながら、北国の乞食の旅を続けた。
 そして、終戦を迎えた。同志の僧が急死したと知らせがあって、榊原は首府に戻りその寺の住職となった。本寺は、やむを得ずそれを許した。だが、敗戦して民主化したとはいえ、本寺の方針に真っ向から反対した榊原の履歴は、簡単には消えなかったのである。
 そんな折りに、榊原と紀世は再会した。紀世は南条暗殺未遂という秘密を告白した。だが、榊原には取り立てて衝撃ではなかった。彼自身が幾度も夢想したからである。
 倫宗という新興宗教の拡大と共に、紀世の事業は発展を続けていた。榊原は倫宗の実質的指導者の草也という男に興味を引かれていた。シンランの捉え方や戦争に対する草也の態度には殆ど同意できたからだ。
 榊原と紀世の強い靭帯の確信は反国家であった。二人は、戦後の国家は南条に全ての責任を被せただけで何も変わっていないと、考えている。その根元は御門制なのである。
 紀世は青柳と共に御門の暗殺を謀議し、南条暗殺を実行したあの時の高揚が忘れられなかった。事業の拡大に反比例して、言い知れぬ喪失感が深まるばかりだったのである。
 榊原はもっと明確に革命を思い描いていた。もちろん、革命の主体が組織された労働者である事に依存はないが、シンランの教えを通じて大衆を組織して、革命に寄与する事が自身の使命だと考えていた。その夢を実現する手法として、勃興する倫宗は極めて魅力的に思えた。次第に、二人はこの宗派の乗っとりの謀議に没入していったである。


-昏睡-

 榊原の話に紀世は生唾を飲んだ。夫とはいえ遺体と自慰をした女がいるというのである。衝撃を受けた。どんな女なのか、見てみたいという衝動に駆られた。
 やがて、榊原の寺で翔子の亡夫の一回忌が行われた。紀世は隠れて翔子を覗き見た。
 榊原が読経を続けている。紀世の視線が翔子に釘付けになって、瞬時にして囚われた。
紀夫は満たされない思いに煩悶していた。既に事業は軌道に乗っていた。国家と対峙して暗殺者となった戦中のあの高揚した精神の記憶が、豊かになるにつれて紀世を飢えさせた。そして、妙との関係に飽いていた。一夜限りの女もいたが射精の対象でしかなかった。
 今の方が貧しいのではないかとすら思えた。戦争を指導した者は言うに及ばず、戦争に熱中した大衆にも、一変した世相に憤怒もしていた。俺とこの国の闘いは未だに決着していないと、紀世は思った。
この女は違うと、直感した。あの小百合の様に特別な存在だと思った。あの日々の記憶がまざまざと蘇った。この女となら、あの反逆の道を再び歩めるかも知れない。この女を抱きたいと、激烈に思ったのである。
紀世は睡眠薬を用意していた。法事が終わり、榊原が勧めた茶を飲んだ翔子は、しばらくすると昏睡した。
紀世は榊原の手をかりて翔子を北の部屋に運んだ。榊原が去ると翔子の貧しい衣服をすべて剥いだ。
甘い香りが漂う。寝息を忍ばせる女は菩薩顔である。慈愛に満ちた眼差しは安らかに閉じられている。ふくよかで張りつめた乳房の呼吸。桃色の肌に紫の乳首。隠匿の柔らかい腋毛。滑らかにくびれた腹。丸い臍。盛上った陰丘にこんもりと繁る若草の漆黒。丸く豊穣な尻には桔梗の痣が刻まれている。
紀夫はウィスキーを飲んだ。渇いた喉に激痛が走った。
目覚めると、翔子は布団の中で真裸だった。体温が伝わってきた。脇に男がいた。男も真裸だった。
翔子は、暫く宙を見た。小さな窓に夕闇が落ちようとしている。短い過去を何度も反芻した。
 向き直って男と視線を絡めると、男は謝罪し、電撃的に得た思慕を痛切に囁くのである。
 翔子の驚きと怒りを柔らかく包み込もうとするのだった。女の否定が滑らかに溶けようとする。翔子は次第に男の囁きが呪文の様に思えてきた。
 やがて、囁きが遠くなる。陶酔が神経を走った。茫洋として薄い幕に覆われた様に身体が火照ってきた。「裸なんだ」と、改めて思った。
 男は今の身上を語った。過去には触れない。「もう金で苦労はさせない」「俺の女になってくれ」と男が言った。瞬間、女の脳裡に打算が走った。そして、それを否定した。
 しかし、女は戦後の漂流を続けていた。一人きりだった。過去への怒りだけが孤独を支えていたのである。女は貧しくてこころは乾き、身体は飢えていた。そんな女を求めている男がいるのだ。女は確信が創れるかも知れないと思った。そして、鋭敏な身体が反応していた。囁きながら、男の勃起が翔子の繁みを刺していた。翔子は男を見つめたままその隆起を握った。
 二人は初めての口付けをした。そして、翔子の陰道が紀世の陽根を包み込んだ。小百合の構造と同じだと男は思った。
この時、一九五〇年。翔子は二八。紀夫が二七である。
紀世は翔子に小さな古書店を用意した。翔子は二階に住んだが同居はしなかった。翔子はそもそも読書が好きだった。貪るように読んだ。夜毎に紀世と交合を重ねて、次第に同化していったのである。

 
-夏の秘密-

 一九六一年八月。
 夏が新天地に定めた地は裏列島特有のフィーン現象だから、狂気の沙汰の猛暑だ。
 しかし、夏は実に乾いて飢えていた。
 潤いを求めた夏は草也の骨を女陰に入れて自慰をした。しかし、それは草也自身でありながら、最早、草也である筈もなかった。いとおしいが、乾燥し尽くした白々しい骨なのであった。
 翔子とも慰めあったが、かつての様に、翔子の生々しい身体の甘美に溶け込む事は出来なかった。
 小百合を別れを惜しむ様に抱きしめた。
 そして、田山の酔いに逆らわなかった。
 女教祖に興味深々の青年代議士の松河にも身体を開いて証明してみせた。
 しかし、身体が濡れるのは瞬時の事であり、夏のこころは、いつも、一粒の砂のように乾いていたのである。その砂が裏列島の風に晒されていた。
 草也の死で、夏は金色の蛇の神話から解放された。草也との悪夢から解き放たれた。そして、心も身体も裸の女に戻ったが、その裸が飢えていた。
 かつての夏は虚構の夢の中でも満たされ、潤っていた。虚構を実体と信じ込んでいたからである。草也と二人で夢に向かって疾走して、成就した。夏は満ち足りていた。虚構こそが現実だったのである。それでは、今いるこの地は虚構なのか、実相なのか。
 教団の施設建設が進んでいる。夏に従う信徒達は新しい夢に向かって邁進しているかに見える。しかし、夏は、その夢が希望とは決して思えないのだ。草也と夏の営為がそうだったように、これも怪しい蜃気楼ではないのかとしか、今では思えなかった。
 夏は過ちを重ねて繰り返すほど、愚かではない。だから、流れる日々の虚ろな現実に身を処すしかなかった。夏の身体は求めるままに、求められるままに開いたのである。しかし、夏の心は、密やかに封印されていた。

 北国山脈の山奥の夏の生家は貧農で狭かった。だから、度々、父母の秘匿の営みを目撃した。二人は貧しさを互いの身体で補う為に交わったのか。両親のない今となって、夏は思うのである。
 日常ではあまり会話もない両親が、特に無口な母親が繰り広げる痴態は、夏には異国の奇怪な儀式に思えた。
 そして、夏の身体が感応して、初めて性感に気付いた。ああした戯れから自分が産まれたと知ってからは、幼くして性に興味を持った。
 初めて性交したのは一〇歳の時である。近所の子供たちとキノコ採りに入った里山で、二つ上の上級生に挿入された。快感を感じた。
 紡績では監督との戯れを妙に見られている。翔子や貴子の女達とも抱き合った。
 もう一人の青年工員とも関係があった。組合活動の仲間だった。
 夏の不義理は男二人の知るところとなり、三角関係は修羅にまみれて破綻した。夏は逃げるように紡績を辞めた。
 夏が初めて愛したのは青年工員だったが、成人の夏の膣に最初に侵入したのは、中年の好色な現場監督だった。悋気な妻を持つこの男は、仕事を餌に夏を犯して、その身体に溺れたのである。貧しい女工の夏に抗う術はなかった。そして、この男によって、夏の若い身体は悲惨に熟れたのであった。
 生家に戻り結婚までの短い間に、出征直前の幼馴染みに身体を与えもした。
 見合いをして結婚すると、穏やかな夫を激しく求めた。夫が戦死した後は、意に反して義父に犯されたが、やがて、淫湿な疼きが同意して、爛れた交接を重ねた。
 それを目撃した類が、勘違いして義父を投げ殺したのだ。類と抱き合った後に、義父の遺体を激流に投げ捨てたのだった。
 山脈の深奥にただ一人取り残された夏は、草也と出会うと、新たな夢を孕もうと性獣の様に交わった。しかし、淋しい淫熟な雌が孕まされたのは、宗派で擬装された醜悪な夢だった。産み落としたのはホウネンやシンランの衣をまとった鬼子の教団だったのである。
 草也とは夜毎に同衾した。そして、二人の肉欲が産んだその教団の災いで、草也は謀殺されたのではなかったのか。
 草也の死で二人の夢から覚めた夏の渇きは、煉極に咲く永遠に救われない毒の花の様だった。
 そして、この町の町長と夏の交合が、凄惨な事件の発火点となった。


-腹上死-

 この年の六月。
 改定国防条約が成立すると、総統が退陣して、田山が推した岩橋が新総統に就いた。田山は念願の幹事長の椅子を手に入れた。
 しかし、野党や与党内の反岩橋勢力は、国民の信任を求めて解散総選挙を要求した。世論も後押しをする。小派閥の田山は権力基盤が脆弱なまま、瞬時にして厳しい政局に直面していた。
 教団施設のあるこの地は田山の選挙区である。町長の椚原クヌギハラは田山の選対委員長だ。夏の新教団の土地も、その関係で椚原が取り計らったものだった。
 海岸から四キロ程入った五万坪の土地が夏の新天地だった。夏は草也の莫大な秘密遺金を隠し持っている。施設の建設が急速に進んでいた。

 田山から緊急の電話があった。椚原の動向に不審があると言う。田山の強敵である前総統派の対立候補と、椚原が内通している疑いがあると、言うのだ。田山の足許に火がつこうとしていた。
 椚原は戦中から長く町長を務め、田山に総選挙出馬を勧めた人物でもある。7〇歳で県政界の重鎮であった。
 夏は椚原との面談を田山に約束した。
 二日後、新築間もない夏の自宅で対座した椚原は、改めて、この女の妖艶さに息をのんだ。
 この時、夏は三八歳である。薄紫のワンピースは女の豊穣を隠し切れない。それを誇張する為に、敢えて、選んだのだ。胸から腹にかけて桔梗の花が咲き乱れている。ブラジャーをしていないから、欄熟した乳房の頂上に乳首が突起を現している。腹のうねりに淫媚の薫りを漂よわせながら、恭しく頭を上げると、漆黒の瞳を見開いて椚原を見つめた。
 「ご用件を伺おうかな」と、椚原の声が掠れると、「率直に申し上げます。先生と鹿野麗子の事で御座います」と、夏が言い放った。麗子は老舗旅館の女将で、県の教育委員もしている。夫もある。「先生はご存じなかったでしょうが、麗子は、実は、私共の信徒なのです」椚原の顔が歪んだ。
 半月程前、麗子の旅館に宿泊した椚原は、麗子の不倫を材料に不義を迫った。初めは拒んでいた女だったが、やがて、応え、淫らに交わった。あれは合意の行為であった筈だと、椚原は改めて確信した。
 だが、夏が続ける。「麗子は、もちろん、自身の非を恥じております。悔いてもおります。でも、先生の理不尽に泣いてもおります」「そもそも女の身体は不条理なもの。麗子の様な熟れた女なら尚更の事。身体が応えたといっても、それは女の身体だけの事。先生程の方ならとうにご存知の筈ですわ。麗子の心は断じて応えておりません。ありていに申して、これは卑劣な犯罪ですわ」椚原は生唾を呑んだ。「どうしようと言うのだ」「こうした時局ですから、私は大事にすべきでないと申しております。菩薩心こそが肝要だと申しております」夏が目を見開いた。「麗子も私の指示に従うと申しております」椚原が身を乗り出す。
 「今、田山先生は中央政界で厳しい状況と苦闘されております。足許が揺らいでは大望の成就はなりません」「田山先生が次の選挙で落選なとどいう事になれば、この選挙区はおろか、この国の大損失になるでしょう」夏は一気に弁舌した。
 椚原の背筋が凍りついた。田山は内通を知っているに違いない。女との一夜を借りての、これは田山の慇懃な恫喝なのだ。地元の後輩とはいえ、与党の幹事長であり、その権力は絶大だ。反総理派候補との内通は極秘でなければならなかった。にもかかわらず、目の前の女が察知している旨を仄めかしているのだ。
 「いかがでしょう。これまで以上に、田山先生の選挙にお力添えを頂けないでしょうか」
 椚原は観念した。もともとは、内通は椚原の金銭欲からでた事であった。田山との間に利害対立があってのものではなかったのである。
 「先生の今までのご支援に感謝して三億をお受け取り頂きたいと、田山先生が申しております」椚原は確信した。田山は何もかも知っている。椚原が反総理派候補陣営から受領していたのは一億だった。椚原は同意した。
 夏が一息入れて、紅い唇で続けた。「先生にこんなご無礼を申し上げる以上は、私にも覚悟は出来ております」と、熱い息を吐いた。「教祖の女に興味はおあり?」


-夏の死-

 椚原は夏の腹の上で死んだ。押しのけると、今の今まで夏に挿入されいた醜い股間を晒して、男が仰向いているのである。心筋梗塞に違いないと、夏は思った。そして、咄嗟に、これは世に言う腹上死なのではないか、決して明らかには出来ない事態が勃発してしまったのだと、悟った。
 あの時と同じだった。死体を隠さなければならないのだ。夏は、人生で二度も死体と直面した。もし、あの時、類という若者と逃げていたら、どんな人生を歩んだのだろう。どんな夢を見たのだろうと、夏は思いもした。
 そして、我に返った。死体を隠さなければならないのだった。類はいない。自分一人で背負わなければならないのだ。
 しかし、遺体は重かった。翔子が浮かんだが即座に打ち消した。教団を継がせる翔子に、こんな愚かな罪を共有させてはならない。あの類と同じ目にあわせてはならないのだ。
 夏は遺体と一夜を過ごした。そして、教団の下働きをしている知恵遅れの頑強な若者、猛タケルに考えが至った。
夏は遺体を布団で念入りに包むと、猛を呼んだ。
 薄紫の浴衣の裾を乱しながら、夏がウィスキーを勧める。教団で一番偉いと思っている夏の陰謀など図れない愚鈍な若者は、ウィスキーに夢中だった。やがて、意を決した夏は、猛に向かって座り直して、浴衣の裾を腰までまくりあげて、股間を開いた。夏が淫熟した股間を指であからさまにすると、深奥の朱が覗く。酔って肉欲が純化した猛は視線を光らせて喉をならした。
 この愚鈍な大男の性器は巨根だった。未だ、潤わない女陰が軋んで、裂けた。夏は悲鳴を挙げた。青年は挿入させると、あっという間に大量に射精した。夏は出血していた。
 拷問の様な瞬く間の交接の後に、夏は、「これは本堂の仏様への大事なおそないなのよ」と、猛を諭した。そして、建築が進む本堂の床下に埋めるように命じた。
 猛が埋め終わるのを見届けると、激痛に耐えて、約束通りに、再び、身体を与えた。
 猛は夏の身体に狂喜した。この二十歳の青年は性欲の塊で絶倫だった。性欲だけが彼を生かしていた。それだけに生きていた。
 青年は一六歳の春に強姦未遂事件を起こした。それ以来、青年の母親は、我が子の性欲を自らの膣で受け止めていた。
 父親は黙認し、救いを求めて倫宗に入信したのであった。母親の死後、扱いに窮した父親が教団に乞い、夏は青年を預かった。母親以外に猛を抱いてくれたのは夏だけだったのである。
 その後、夏は三度、身体を与えた。猛にあの出来事を他言する素振りは見えなかった。夏は安堵した。
 そして、以後は猛を拒否した。青年の巨根は苦痛以上の拷問だったのだ。挿入されると女陰が裂ける音がした。快楽などひとかけらもない。青年にとって、夏の膣は射精の為の玩具だった。こんな知恵遅れの性獣に、玩具として扱われる屈辱に、夏は耐えられなかったのである。
 性交を許すまでは青年に慈悲を感じていた。しかし、それは嫌悪に一変した。こんな悲惨な性交をされたのは初めてだった。夏を犯した紡績の監督や義父でも、夏の身体を褒めた。愚弄な若者は夏の股間を切り裂いて、ただ射精するだけだった。
 夏は、飢えた虎に身を投げ出す決意のシャカの法話を思う。だが、長く倫宗の教祖でありながら、夏は、いかにも、生身の女であった。苦痛に耐えてアミダニョライに身を託すなどという事も出来なかった。そうした自身を悟ると、嫌悪はいっそう強くなった。夏に拒否されると、青年は叱責された犬の様に従順に従った。
 猛は夢というものをみることはなかった。しかし、母親が死ぬと一変して、毎夜、奇妙怪奇な夢をみるようになったのだ。そうしたある深夜、その夢は現れた。
 光りのなかに女神がいるのである。だが、姿はない。ただ、微笑んでいるのがわかるのだ。感覚で存在を実感しているのである。
 猛は油絵を描いているのだ。すばらしい出来だ。官能すら感じる。その瞬間、女神がひと筆を画き入れると、絵がさらに官能を放って、未だ、感じたことのない激しい甘美が猛の身体を貫いた。最早、何もなくていい。この感覚の記憶があれば、母親がいなくとも生きていけると、確信した。
 すると、天使が現れて、この女に惚れたなと、言う。そこで目覚めた。それ以来、猛は悪夢にうなされる事はなくなっていた。青年はなこの夢を信じる事によってのみ、現実を平穏に生きる事が出来たのである。
 しかし、夏が猛を再び現実に引き戻した。夏は生身の女神だった。夢に閉じ込められていた性欲が、再び、解放されたのだ。そして、青年の貪欲な性欲は屈折し、鬱血して内向した。そして、教団の仕事を理由に断る夏を説得する術を、青年は知らなかった。
 性交をしていない時の夏は怖い母親だった。何一つ抗いは許されないのだ。
 猛の短絡な知恵は、次第に教団を嫉妬するようになった。夏の仕事が無くなれば、いつでも相手をしてもらえるのではないかと、考えた。あのおそないを埋めた、あの本堂が夏にとって一番大事なのに違いないと思った。あの夜、夏は二度も射精をさせてくれたのだ。あれが無くなれば夏の仕事も無くなるのではないのか。猛は知恵の限界で結論を得た。
 そして、その年の暮れ、猛は仁王立ちで夏を抱き寄せながら、本堂に放火した。夏の絶叫も、この男の狂気の本能には届かない。
 目の前で、自分の欲望を阻害する本堂が激しく炎上し始めた。これからはいつでも夏にして貰える。もうすぐ、夏に射精できる。猛を激しい恍惚が襲った。立ち登る炎と猛は同化した。自身が燃え盛る炎だと感じた。
 一瞬、猛は夢を見た。炎のなかで、死んだ筈の母親が女陰を開き猛を招くのだ。懐かしい女陰だ。猛は身体が沸騰して、その場に仁王立ちで釘付けになり、大量に夢精した。夏は青年の腕の中で身動きできずに、絶叫し続けていた。
 二人の焼死体は無意味に重なって発見された。
 そして、翔子の指示で焼け跡を整地していた作業員が、白骨化した、もう一つの遺体を掘り出したのである。
 椚原は失踪として処理されていたが、金歯から椚原と断定された。夏の関与が疑われた。週刊誌に夏の記事が躍った。
 翔子は教団を解散したが、紀世の元には戻らなかった。紀世にとっても教団を失った翔子に、最早、魅力も未練もなかったのだった。
 そして、あの老人が死んでいた。解き放たれて、阿修羅の入れ墨も彫り上がった宮子から、新教団統合の提案が出されようとしていたのである。
 既に、岩橋総統は衆議院を解散して総選挙が行われていた。田山は幹事長として陣頭指揮したが、野党に肉薄される結果となった。田山自身はトップ当選だったが、幹事長に再選はされず入閣もなかった。岩橋は半年後に病死した。
 翔子のもとには、典子とその娘の継子と十数人が残った。
 その中に小百合がいた。夫の町長が教団から多額の収賄をしていたが、教団の分裂抗争の中で全てが露見した。夫は小百合を離縁した。小百合は夏に心酔する信徒だった。夏を失った今、翔子に従っていたのであった。
 翔子は、夏から託された草也と夏の多額の秘密資金を手にしていた。翔子は生まれて初めて、自らの夢を自らで描こうとしていたのだった。

 
  -完-
 
 
草也

 労働運動に従事していたが、03年に病を得て思索の日々。原発爆発で言葉を失うが15年から執筆。1949年生まれ。福島県在住。
  筆者はLINEのオープンチャットに『東北震災文学館』を開いている。
 2011年3月11日に激震と大津波に襲われ、翌日、福島原発が爆発した。
 様々なものを失い、言葉も失ったが、今日、昇華されて産み出された文学作品が市井に埋もれているのではないかと、思い至った。拙著を公にして、その場に募り、語り合うことで、何かの一助になるのかもしれないと思うのである。 
 被災地に在住し、あるいは関わり、又は深い関心がある全国の方々の投稿を願いたい。

宗派の儚 総集編

宗派の儚 総集編

  • 小説
  • 中編
  • 恋愛
  • ミステリー
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-21

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted