焦墨
一
浅草を上野の方に少し外れたところに来た。
浅草という街は、古くから碁盤の目のように道と道とが交差した間に建物が建っているような作りをしていて、ここら一帯もそのように作られていた。ただ、周りの区画よりも少し錆びついた様子で、道の隙間にトタンの長屋が置かれるように建っていたので、それが迷路のようであった。
狭く先の見えない路地というのは、心の奥底に眠る探究心を擽るようで、なかなかどうして立ち寄りたくなるものである。小径を進むにつれて庇の影が折り重なっていき、昼間でも宵の口ほどに暗くなった。海の底に潜って行くようだ。そして、海の底には古本屋があった。
「こんな辺鄙(へんぴ)なところにある店が、それも売り物が古本となるとなおさら、よく潰れないものだ。一度店主の顔でも拝んでやろう」そんな悪戯心を持った物好きに支えられているに違いない。かくいう私もその一人であった。
からんからんとやけに音の鳴る引き戸を開けると、黴とタバコ、それから古びた紙の臭いがもわりと外に逃げだした。
中では、ちょうど人一人分くらいの間を開けて、本棚がいくつか並んでいる。棚は空間を区切るためだけにある様子で、そこに詰められるだけの本が詰められていた。本棚の上にも天井にすんでのところで届かないくらいの高さまで本が平積みされている。どうやら商売する気などもとより無いと見えた。
本は、全てが調子を合わせたように色褪せていた。
「日に焼けたんだよ」
奥のカウンターで店主と思しき男が言った。
私がこの路地に迷い込んだときから日差しを忘れていたくらいだから、彼の口に咥えられた煙草が本の色を奪ったのではないかと思ったが、口には出さなかった。代わりに、
「それは何をやっているんですか」
と店主に訊いた。
店主は私の質問に一旦手を止め、
「本を書いているんだ」
と答えた。
彼は私をからかう様子もなく平然と答えていたが、私にはどうにも本を書いているようには見えなかった。それは、彼が新品の本を右手に持ち、埃を払うように、かつ丁寧な弧を描くように律動していたためである。
本を振っているのだ。
しかし、ふざけているわけでもなさそうなので、もう少し突き詰めてやることにした。どういったものを書いているのか、どういう工程で物語になるのか、どのようにしたら読めるのか、矢継ぎ早な私の質問に、彼はやはり滞りなく答えた。
「随筆めいた物語、あるいは物語めいた随筆というべきだろうか。作者不明の物語というのがあるだろう。古くから伝わる本であるとか、説話集、落語や講談といったものがそうだ。うちはそういった類のものを集めている店で、これにもいくつか種類がある。単に作者についての記録がない場合とか、作り手が名前を偽っている場合とかね」
確かに、私の周りにある本を見ても、二代目烏亭焉馬、柳亭種彦といった名前が並んでいる。私の知る名前ではないものの、他にも古い演芸家と思われる名前が多くあった。
「あとは、架空の作者を立ち上げて名前が適当に充てがわれることがあるだろう。これは説話集なんかに多くて、幾人もの無名の語り手が実体の無い架空の名前に収斂して、一つの存在として新しく表れる、というわけだ。詠み人知らずじゃ格好つかないからね。さしづめ私は名前を持ったその実体といったところだ」
口承文芸や大衆演芸のような水物の文学が文字に書き換えられるということは、それまで形を持たずに浮遊し続けてきた物語が本という物質に収まるということに等しい。入り組みつつも類型化された言語の規則を辿って、漂っていた概念が形を成すのである。
彼の円弧を描いた律動は、そのために過不足なく必要な工程なのだという。
「人の思考というのは、言語の規則に限りなく接近しつつも、上滑りするように翻るものだ。ものを言ったり書いたりすることで表せるのは、人の思考のうちほんの一握りでしかない。そもそも言葉のように整然としていないだろう。だから、その全てを紙と筆で書き表すことは不可能と言っていい。ただ、唯一ある瞬間だけ、身体という障壁によって保たれていた揺れ、渦巻き、堰き止められていた思考の所記が形を失い流れ行くことがある。これを逃せば空気に溶けて跡形もなく消えてしまう、その寸前に本で掬いとるんだ」
本というのは言語によって織り、編まれるものであるから、言語に相似し、なおかつ言語という形を取ることができる思考を捕まえるには本は適した道具なのだ、と男は続けた。
隔たりを忘れ、たった今思考でなくなったそれらは、文字という形でちょうど文庫本一冊ほどに収まり、それが作品となる。
なるほど、この男は作家であるらしかった。
「作者不明の本にいくつかの類型があるといったが、俺は自分が本を執ったものが一番面白いと思うね。手前味噌かもしれんが」
店主は私に然灯という名の本を薦めてきた。
***
二十半ばの若い頃、ある日の夜のことだ。高校を卒業してそのまま就職した俺は、たまの休みがあれば旅に出るというのを繰り返していた。温泉地を巡っては酒を飲み、土産に提灯を買って帰るというのが旅の決まりだった。
その日の夜も、例のごとく旅館で一人晩酌をするつもりだった。
いつもならテレビを見ながらビールに柿の種ってところだったが、その日はひどい雨で、旅館のあたりが停電していた。
そのせいでテレビもつかなければビールも冷えていないというから、俺は仕方なく蝋燭の火で一晩過ごすことになった。
部屋の中はやっぱり真っ暗闇で、その蝋燭だけが頼りだった。
「とんだ災難だよ、これじゃあ落ち着くものも落ち着かねえ」
なんて独り言なんか言っていると、息がかかって蝋燭の火がぐにゃりと揺れた。火が揺れると、机も灰皿も一緒になって揺れた。蝋燭が消えたら俺まで消えるんじゃないかという気がした。
ビールが冷えてないとはいえ、柿の種だけを延々と食べるわけもいかないし、どうしようか。そう頭を悩ませていたところに、女将さんがやってきた。
「ご迷惑かけて申し訳ありません。こちらお詫びです、よかったら」
そうやって差し出してきたのは日本酒、四合瓶。地獄に仏っていうのはまさにこれのことだ。女将さんに礼をすると、そそくさと居間に戻って酒瓶とぐい呑を並べた。
蝋が溶け出していたから、二本目を付けておくことにした。
清開というその日本酒をとくとくとぐい呑に移して、手首を返してくっと呷った。
なんとも飲みやすく、柔らかい口当たりでよく回る。瞬く間に体が火照ってきた。
「これは気持ちいい。うまいじゃないか。良くない酒に出会った、これじゃ飲みすぎちまうよ」
酒瓶を見ているから注ぎたくなるのだ、と思って、俺は視線を八方に散らした。
夜景を見ようにも外は深い藍色の雨空だ。蝋燭の火は見ていて飽きないが、ふとした拍子に吹き消したくなる衝動にかられる。一本目はもうちびになっていて、どろりどろりと白く溶け始めている。
それから目に止まったのが、掛け軸だった。贋作か真作かなんて俺にわかったことではないが、とにかく美しい掛け軸だった。
掛け軸には夕景の葦の上に飛ぶ雁が描かれていた。こういったのは芦雁図といって、よくあるモチーフらしい。蝋燭の暖かい光もあって、本当の夕焼けのようだった。
「昔の偉い絵師の方が泊まられた際に、戦場ヶ原を見て描いたそうです」
部屋に案内されたときに女将さんが言っていたのを思い出した。その時はちっとも引っかからなかったのに、今になって目が離せない。
あまりに魅力的で、しばらくじっとして見ていた。
雨音が葦の擦れる音に、雷鳴が雁の鳴き声に聞こえる頃には、俺はたしかに夕陽に照らされていた。
葦に映る影が風に揺れた。空気がうまいと思って、俺は羽織の袖に入れた燐寸と煙草に手を伸ばした。
側薬を擦って火をつけると、ちりちりと頭薬が燃える。煽られて消えないように手を風防にして、煙草の先に火をやった。煙草の先がじわりと灯って、燃えた順に灰になっていった。
土手に立っていた。背の高い葦の半分くらいの高さの土手だ。
どちらが前かわからなかったが、とにかく思うように歩いた。
指先から立ち上る紫煙の先を辿ると、そこにはやっぱり高らかに鳴く番の雁がいた。
しばらく進むと、川が見えてきた。そこにかかる桟橋の手前に、女が立っている。
「この川を一緒に渡ってはくれませんか」
女は桟橋に停めてある渡し船を見やって言った。どうも向こう岸まで女ひとりで漕ぐのは難しい様子だった。たしかに、向こう岸がどのくらい遠いかもはっきり見えないほどだった。
女は幸の薄そうな見掛けをしていたが、却ってそれが艶めかしく映った。物憂げな表情が美しさに拍車をかけて、とにかく別嬪だった。
薄紅色に花びらが小紋としてある夏紬は、奥に肌色が仄見えている。袖から見える手は白く、右手は口元に添えられていた。左手ははらりと落ちるようにしてあり、その先にしなやかな柳腰がある。それからすらりと脚が伸びて、しまいには足がない。
たまげた、足がないじゃないか。
急に寒々しい気分が立ち込めてきて、ようやく俺は気がついた。ここは冥途に違いない。この女は未亡人で、主人の後を追ったとか、そんなところだろう。なぜだか腑に落ちる気持ちもあった。
で、あれば、眼の前に流れるこの川は噂に聞く三途の川ってやつなのではなかろうか。
いや、少しまて。親父が生きていた頃、聞いたことがある。三途の川は地獄の入り口ではなかっただろうか。たしか善人は三途の川なんてものをそもそも渡らないって話だった。
なるほど、それじゃあこの女はとんでもない極悪人ってことになる。今度は女が恐ろしい化物に映った。
同時に思っていたのは、なんで俺まで地獄に行かなければならないのかってことだった。この女はどうか知らないが、俺は齷齪(あくせく)働いてたまの休みに羽根を伸ばすだけの日々だ。思い当たる悪事といえば、孝行しないうちに親を死なせてしまったことくらいだし、そんなことで地獄行きだなんてことでは、地獄がいくらあっても足りないに違いない。
同行をためらう俺に、女はゆっくりと繰り返した。
「この川を、一緒に、渡っては、くれませんか」
いくら美人の頼みでも聞ける話と聞けない話というものはあるのだと、この時初めて知った。きっぱり断ってやろう、俺は思った。
その時だった。
ちょうど背中の後ろの方から、ぱちぱちと何かが弾けるような音が近づいてくる。振り返ると、歩いてきた葦の畑が一面赤々と燃え上がっていた。
立ち上る火に捕まった雌の雁が、羽を焦がして落ちていくのが遠くに見えた。片割れの雄も追うように火に飛び込んでいった。きゅるきゅると擦るような音で鳴いた。
桟橋の方では、女がいつの間にか船に乗り込んでいて、こちらへ来いと手招いている。
「くそ――
***
「どうだ、面白いだろ。最も、捕った文字だと知っているからこそ面白いという側面があるのが弱いところだけれど」
店主の声で、はっと我に返る。時計は少し進んでいて、冷や汗が私の頬をなぞった。
彼の言い分は俄に信じがたいものではある。そうだというのに、私には明らかな実感が生まれてきていた。やはり目の前の男は作家なのである。
男は未だメトロノームのように本を振り続けている。
おそらくあれを開けたらインクがじわりと浮かび上がってくるのだろうと思われた。なるほど、私は催眠にでもかかったのではないかというほど、彼に魅了されているのである。振り子の錘となっている本は、積まれているものに比べると、輝くほど艶やかに白かった。
私は彼に、私に罹る病について打ち明けることにした。
二
勢いよく空に放たれた水が、視界の下端に白い線をすらりと伸ばす。それらは、一定の高さまで到達するとそれ以上高くは昇ってこなかった。両脇には風に揺られる木々が黒くあった。禿げた木もいくつかあったが、葉の繁ったほうが断然多く、それが黒く映ったらしい。葉が擦れる音と水の噴く音で耳が一杯になる。ざあざあと耳を撫でる音は白く濁った砂嵐のようであった。
ぼうっとして、ただ前方を見つめていた。
噴水と木の他には雲だけがある。そのため、視界は白と黒が入り交じるのみであった。ぼってりとした曇天は、しかし平板な灰色というわけではなく、白が多いところも、黒と言ってもいいところもあった。褪色した風景がさらにぼうっと霞んだ。どんよりと鈍い気持ちがして、曇という字の読みはこれによるのだとわかった。
やがて、手前の噴水を宙から水が湧き出て下に流れ落ちているように錯覚しはじめた頃、水が描いた白線が音とともに消えた。すると、代わりにちぐはぐな装いの館が現れた。さっきまで私がいた場所だった。
コンクリート造りの上に瓦屋根をのせたちぐはぐな館は、名前を東京国立博物館という。茶道具、刀剣、仏像、染織。ありとあらゆる日本美術がずらりと並ぶ美術館である。
壁一面に張り詰められたガラスの、さらに向こうに鎮座する芸術品の数々を見たところで、私には何が素晴らしいのか判然としなかった。そのせいで、ここにあるということと、添えられた文字列によってのみ、そのものの価値を知るのであった。
そもそも、一介の学生に芸術のなんたるかを知れというのも土台無理な話であろうから、開き直って無知を誇ることくらいしか私にはできないのである。それが知れただけでも実りではなかろうか。
そうやっていつものごとく自らを宥めていた矢先のことである。
あるひとつの絵が目に留まった。
私が足を踏み入れたその一角には、襖絵が三つあった。全て円山応挙という墨客によるものである。大胆な波の絵と、山水に仙人がいる絵、私の目に留まったのは、梅の木が枝の先まで描かれた比較的質素なものであった。題を梅図襖という。
一体何に惹かれたのだろうかと、部屋の中央に四角く置かれた黒革の腰掛けに落ち着いて、その襖を眺めた。
日に焼けた襖が四枚連なっている。
岩の奥に聳える幹が伸びやかに枝を伸ばしていた。周りには靄がかっていて、根元に映る岩肌の他にはその梅しか見えない。枝は奥も手前も皆が蕾を蓄えていて、そのうえ全てに雪がかかっていた。
昨日降り積もったのだろう。私は思った。
なかなか降り積もる雪を見ることはない。いつもならば、空から踊るように降る雪に手を差し伸べたところで、指に染み入るようにしてじわりと溶けてしまう。するりと手を抜けていった雪も、アスファルトの上で同様に溶けて流れてしまうのだ。雪降の日にはいつも、こいつはどこまで雪でいられたのだろうかと思う。ただ、指先を濡らす水がもう雪と呼べないのは確かであった。
依然、枝が悠揚と横たわっている。岩肌は少し濡れていて、踏むと滑り落ちそうだった。
命の雄々しさを雄弁に語りながら、しなやかに撓み、蜿蜒と伸びる梅は、それでいて嫋やかな女のようであった。
近寄って触れでもすれば、やはり指先でじわりと溶けてしまうのだろうか。心做しか少し肌寒さを感じた。
近づいてみると、靄や雪だと思っていたところには余白があるのみであった。吐息で鼻先が白く曇って、ガラスの存在に気づいた。濃淡で表された立春の絵には、どこまでも奥行きが続いているようだった。
竦めた肩がこの水墨画の圧倒的な描画技術をありありと物語っていた。今この襖の中に在ったのだとすら思わせるくらいで、それほどに没入していた。
しかし、技術だけで言えば隣にある絵も変わらないはずであろう。だから、私がこの襖絵だけに釘付けになっているのにはまた別の理由があるような気がした。
しばらくして閉館の案内が流れるまで、これをぼんやりと見つめていた。
それから上野公園の噴水広場に場所を移したところで、茫然とした気持ちのままであった。
噴水の水が下から出ているのか、上から落ちているのかが判別つかなくなっていた。
依然、褪色した視界の中で思考を巡らしている。目の前に広がる光景は、梅図襖によく似て、まるであれを敷衍した世界の中に私がいるようである。私の生きる世界はもとより襖の中に内包されていたものではないだろうか。いや、実際には、このような日の梅を描いたのがあの絵なのだ。きっとそうだろう。どうあれ、私の思考は応挙の襖絵に支配されているらしかった。
なぜ私はあの絵なのだろうか。
灰色に渦巻く思考の中で、それこそが私の至上命題なのだと感得するのであった。
明くる日から、色彩が欠けた。あるいは絵を見たときからもう欠けていたのかもしれない。
視界ははなから白か黒かの濃淡のみで構築されているかのようで、眼は鮮やかさという概念をぽかんと忘れてしまっていた。これはこれで豊かにも思えた。私がずっと前からこのような運命的な欠陥を求めていたためである。
ただ、次第に体が熱を帯びて、炎のようにぼうっと立ち上った感触があった。これが心地よくなかった。
しばらく放っておいたところで、この奇妙な病は治る気配を見せなかった。
梅図襖だ。あの襖絵に要因があるというのが私にははっきりと判っていた。しかし、それがどのように作用したのかはてんで解らなかった。
***
「そんなもの俺に分かるわけがないだろう。医者に診てもらえ」
店主の反応は至極当然のものであった。自分の執筆作業を止める気すらないように見えた。
「もちろん私もそう思いましたよ。だから医者にも掛かりました」
私は既にうんざりするほどの白衣を見てきたのである。
はじめは内科に行った。解熱剤をもらったが、効果は無かった。効果が出ないと内科医に話すと、眼に問題があるのかも知れないと言われた。言われるがまま眼科へ行った。指でひん剥かれた眼にライトを当てられたり、いくつかの色見本を見比べたりした。眼科医は私に色覚異常の症状があるとして、なにか神経系や脳に異常があるのかも知れないと言った。脳神経外科へいくと、あなたに異常は無いと言われた。加えて、あるいは精神疾患の可能性があると言い、紹介状を書いて渡した。気狂いだと思われたのは不本意ではあったが、やはり私は言われるがまま精神科へ出向いた。案外、この精神科が手蔓を与えてくれた。
精神科医は私の話を一度飲み込み、そして自分の解釈を述べ始めたのである。
***
「可能性をあげるのであれば」
医者は、二つの絵を並べて言った。
「あなたは西洋的な価値観から開放されたのかもしれませんね」
私が見た襖絵の写真と、さっきまで壁に飾られていたどこか外国の街並みの絵がある。無論、私にはどちらもが白黒に映っていた。
「あなたが見たこの絵にこそ原因があると考えましょう」
ようやく襖絵を問題の根源に据えた話のできる相手に出会えたことで、多少なりとも心が躍った。
「あなたの見た襖絵が、あなたにとって何であったのか。それを知ることは困難でしょう。そこで、逆に襖絵が何でなかったかを考えてみるべきではないでしょうか」
医者は左手に持った西洋近代絵画を見せて言った。
「ここに描かれているのはシャンゼリゼ通りというパリにある通りで、いわゆる風景画というやつですね。遠く凱旋門まで続く道に奥行きが感じられるのは、線遠近法と呼ばれる数学的に構築された遠近法によるものです」
蔦の這ったような金属の額に、フランスの街並が収まっている。たしかに写真のような画面を持っていて、手前から奥へと、道が一点に集まっていく構図だった。
「パースペクティブや、透視図法とも呼ばれるこの遠近法は、西洋の近代絵画によく用いられます。写真や映像にも用いられるこのルールは、視覚によって得られる情報を出力するのに適していました。数学的で合理的な正しさを持ったこの方法は、いかにも西洋らしいと言えます。どのような人でもこの裏打ちされた絶対性の中に生きています。現に、どのような人間もこの絵画を見て、視界を写し取ったようだと思うでしょう」
対して、と次に医者が渡してきたのは梅図襖の写真だった。こちらにも奥行きは存在する。
「水墨画は東洋の芸術です。こちらは空気遠近法や三遠、六遠といった方法で遠近感を表しています。掠れだとか、暈しだとかを利用した方法ですね。あえて西洋絵画とは対立的に評すれば、論理よりも感性を重視していると言えるのではないでしょうか。つまり、これはあまりに簡単すぎるかもしれませんが、あなたはあの絵を見た瞬間、それまであなたを支配していた科学的な真理から開放され、東洋的な感性に囚われ直したということではないでしょうか」
と結論づけた。
要は、このぼうっと呆けた視界は東洋的な見方なのかもしれない、ということであるらしかった。
「私の仮説を前提として、さらに実際的な、あるいは詳細な解釈を突き詰めたいとお考えでしたら、私の伝手で紹介できる人がいるかもしれません。色の話には彼が最適だ」
そう言って最後に、彼は私に寺の坊主を紹介した。坊主といえども、上野にある大きな寺院の偉い坊主だというから、僧侶か、あるいは和尚と呼ぶべき人である。
そういったわけで私は、徳の高い坊主の待つ寛永寺へ行くことになった。
寛永寺の門先で坊主は懇ろに応対してくれた。黒い袈裟を着て、白い箒で道を掃いていた。実際には紫の袈裟に緑がかった山吹色の竹箒だと思われた。
「学生さんに仏教の紹介をしたり、説法をしたりするときには、あえて仏教から遠いところから話を持ってきたりするものなのです」
坊主はそう前置きをして、私に問いかけてきた。
「あなたは感覚質という言葉を知っていますか、あるいはクオリアとも呼ぶ概念です」
Aの見ている赤が、Bの思う所の青であるかもしれないという話は聞いたことがあった。
言語などの伝達手段によって、例えばりんごが赤いということは公然の事実であると確認されている。しかし実のところ、BはAの呼ぶところの青としてりんごが見えているのに、それを「赤」と呼んでいるにすぎないという可能性は否定しきれないのだという。このような、個人が内側に持つ感覚のことを感覚質、もしくはクオリアと呼ぶらしいという話であった。
「本当にあなたが東洋の水墨画的視覚に囚われてしまっていて、そのため視界から色彩を失ったのだとしましょう。感覚質という言葉を用いて言い換えれば、それまでの色相や彩度を主軸に構築していた感覚質Aから、明度を主軸として捉える感覚質Bに突然変異的に移行してしまったということになります」
「たしかにそうですね、ただ」
それでは私の熱病を捉えることはできない。
「百歩譲って、私達が世界をそれぞれ違った捉え方をしているとしても、認識の齟齬は発生しないのではないでしょうか。全世界の人間が人口通りの見え方を持っているとしたら社会が成り立ちません」
「その通りです。たとえ絵画の手法が異なったとしても、りんごが赤でレッドでルージュだということに疑問を持つ人はいないでしょう。それに、あなたは既に様々な医者に掛かっておられるから、記憶や視神経に異常があるとも言えません」
しかしながら、色の感じ方が国や時代によって異なる場合はあります。と坊主は続ける。
「進めの信号は緑色をしているのに、どうして青信号と呼ぶのか疑問に思ったことはありませんか。他にも、木々は緑の葉を生やすのに青々と茂ると言います。これは、青というのが元々黒と白の間を指す語彙であったためだと言われています。意味の広さを考えれば、少なく見積ったとしても現在でいう緑と青については同じ単語で表していたことが想像できますね」
同じように、と坊主はさらに続けた。
「同じように、緑と青を混同して捉える言語は現在でも多く存在します。そこで、とある言語学者が、その言語を使う人と緑と青を意味する語彙を持つ言語を使う人とを比べて実験をしました」
学者は緑と青、それから緑と青のちょうど中間の色を用意した。民族Tはそれらの色全てについて一種類の言葉しか持たず、対して民族Uは緑と青という語彙を知っていた。学者はこれが三つを色彩の順に並べ、それから、三つの色を比べた時、真ん中に置かれた色は右と左どちらの色に似ているか、と聞いた。
Tはそれぞれが等間隔に異なる色だと答えることができたのに対し、Uは真ん中の色は緑に似ていると答えた。U が青を青だと認識するより先に緑を緑と判断したために、そこに引っ張られたのである。
「簡単に言えば、言葉が物事の感じ方を歪めてしまうということです。とはいえ、言葉を知らなければ赤も青も同じだ、ということではありません。花や鳥が、それに大地や空までもがこんなに鮮やかな彩りを持つのですから」
「しかし、実際に私の体を這うように熱が出ていて、視界からは色相や彩度といったものが抜け落ちてしまっています。さっきあなたが言ったように私の言語野は何ら異常をきたしていないし、夕暮れの太陽が橙であることを私は覚えています」
天辺にあった太陽がもう目のくらいまで落ちてきていた。ここまで時間を費やしたというのに、わからないという事実をただ歴然と思い知らされただけなのだろうか。
私が陰陰滅滅とした表情を浮かべていると、坊主は鷹揚な態度で話を続けた。
「あなたの現状をこの世の理に当てはめれば、どうやっても矛盾が生じてしまいます。ここでようやく仏教の話をしましょう。詰まるところ、私はあなたのそれが阿摩羅識へ至る修行なのではないかと考えます。私ども天台宗には九識、という考え方があります。眼識や耳識といった、いわゆる五感をそれぞれ五識と呼び、六個目が意識です。その先は末那識、阿頼耶識、阿摩羅識と続き、全部で九つです。阿摩羅識に至ること、それすなわち成仏であります」
私にはこれが異界の言葉のように響いたが、坊主は曇りのない顔であった。それが厳然たる事実であり、全ての解なのだといった様子で、これを言い残すと境内へと消えた。
了然としないままではあったものの、私は彼の言葉を解釈することが快気へ至る端緒であると確信した。そうせざるを得なかった。これも、偏に彼が和尚であるからというだけなのかもしれないが、理解できないながらも妙に腑に落ちたような感覚を無視することなどできなかったためである。
寛永寺へ訪れたその次の日からは、頭の中で悶々としながら、ただ上野へ通う日々が続いた。
まっすぐ応挙の絵のある一間へ向かっては、はじめにそうしたように、閉館までぼうっと視界の中央に襖を捉えるのが決まりだった。
のべつ熱は体を這っていた。じきに体内に蓄えられた熱と、体を纏う熱の境が分からなくなってきていた。
ただ、雪化粧した梅を見る間だけ、熱が剥がれるように落ち着くのであった。
腰掛けに浅く座り、上体を前傾させて襖を眺めた。待春の梅は焦点を失った視野に心地よく、何よりも綺麗に映えた。
三
「あなたがさっき言っていた、思考の容れ物というのが、つまり意識ということなのでしょうか」
私は再び店主に尋ねた。
依然彼は律動を続けていた。
「寛永寺の和尚さんに話を聞いてから、私はずっと思考を巡らせてきました。どうやら私の罹る原因不明の熱病には、言語だとか、意識だとかが密接に関わっているらしいというのは間違いありません。その上で、さっき読ませてもらった本のおかげで、何か掴めたような気がするのです」
「つまりどういうことだ」
男は作業を止める様子はなかったが、話を聞いてくれるようであった。
「おそらく、さっきの本の主人公にとっての芦雁図と、私にとっての梅図襖は同じだと思うのです。つまるところ、私は私以前の私を捉えようとしているのではないでしょうか」
「話を急ぎすぎていないか。君の思考を整理して話し直してくれ。さっきも言ったが、言語は思考のために編まれた道具に過ぎないんだから。丁寧に頼むよ」
私は注意して順序立て、自分の考えを説明していった。
まず鍵となるのは、梅図襖が絵であるという事実である。
色を持つ全ての物質は、光を伝って眼に届く。眼が色や形によって、それがどのようなものであるかを判別すると、意識も同時に働いて、それがなんというものであるかを判別する。つまり、細分化して捉えれば、見るという行為は眼と意識が個別に働いて行われているのである。普段、このことについて考えることはあまりないが、絵を見る場合にはこれが顕著に現れる。
絵は、平面的な視覚情報の塊として眼に映るが、意識の上では実体を持つ何かとして浮かび上がる。絵の具の点在した布を眺め、それがフランスの街並みであるとなんの不思議もなく言わしめる。無論風景画でなくとも同じで、著名かつ極端な例をあげるならば、ダリの記憶の固執では溶けた時計がそこにあるように映り、エッシャーの滝では滝の水が登るように映るのである。
人は、絵を見る時になってようやく眼と意識がずれて働いているということを理解するのである。
普通、たとえ理性的な解釈の中で眼と意識の跛行(はこう)を捉えたところで、景色を見てもこれを感じることはない。そのような五感と意識を繋ぎ止める役割を担うものを一般的な語彙で表すと、無意識というのが妥当であろう。また、これは和尚の言った末那識にあたる。
視覚でものを捉える時、眼が色や形を見て、意識がその秩序を知覚し、そのものの実体を体内でイメージ化するというプロセスを経るように、音や香りといったものもそれをなぞって私の中に取り込まれる。五感によって外界から認識されたものが、意識によって統合され、私の中に起こる。
見方を変えれば、この時、同時に私という存在が規定されると言える。色や声や香りや手触りといったあらゆるものを知覚することによって、外と内、世界と私とが隔てられるのだ。感覚器官によって得られた空間把握が、物理的な隔たりを感知することで、ようやく私は私の意識上に私を捉えることができるのである。
この時、私と私でないものたちを分ける以前に、私の五感と意識を能動的に働かせる主体が無くてはならない。それこそが末那識なのだ。
絶えず細胞の入れ替わりが行われる身体において、断続的に私が私である以上、過ぎゆく刹那の全てで末那識による私の誕生が繰り返し行われているに違いない。
つまり、
「つまり、私以前の私というのが、末那識ということなのかな」
男はなるほど、といったふうに言った。続けて、
「目は色を、耳は音を、意識は秩序を対象とするものだろう。であれば同じように、末那識も何かを対象とするはずだ。さて、末那識は一体何を対象とするんだろうね。我々が認識している私より前にあるべきとされる私には、一体何が見えていると思う」
男は淡白に尋ねてきた。
そう。末那識には他の識と同じような対象があって然るべきである。そして、それは今私が感じているものに違いない。私の体を這う熱は、私以前の私が見たものを今の私が意識上に感じた結果なのだ。
「霊界とか、仙界と呼ばれるようなことなのではないでしょうか。冥界や三途の川は知らないが、あなたの本の話によれば女の幽霊というのは確かに居るみたいですし」
現在の私は未だに霊界と顕界(げんかい)との間に浮遊していて、襖絵によって生まれた眼識と意識との齟齬(そご)が治っていないということになる。認めたくないものだが、現状を整理するに、私が死にかけているということだ。
「うむ。君が言いたいことは分かったよ。これは最後の質問だが、なんで他の絵や美術品ではなく、あの襖絵だったんだろうね」
そこだ。それこそが私の至上命題であった。
私は、店主の男に答え合わせをするようにして考えを説明した。私が辿り着いた結論はこうだ。
絵にはいくつかのルールがある。例えば、精神科医が言っていたように、奥行きを作るためには透視図法や空気遠近法といったルールが用いられる。何をモチーフにし、それをどのように具現化するのか。絵を作る工程の中で発生するあらゆる観点について事細かにルールが制定される。それは評論家や画家自身にもわからない、体系化されていないものも含めれば無数にあるだろう。
そういったいくつもの法則が絡み合って一つの絵が生まれる。その意味で言えば、たとえ模作や贋作であったとしても、この世に二枚と同じ絵は無いのである。
その無数の作品のうちの一点が、それに紐付けられた一人に特別に作用するとしたらどうだろうか。あるいは、世界の構造は元来空間的表現力を持った平面図が個人固有の末那識に暗号的に作用するようになっていて、私にとってのそれが偶然あの梅図襖であった、とか。
「うーん、惜しいね」
男は規則的に円弧を描いている。
「あの応挙の水墨画と君とが運命的に紐付けられている、というのはたしかに間違いじゃあない」
遠くにあるものへさよならを告げるように、
「もっとも、ここには俺の恣意性も関与するのだけれど、それも含めて運命ということだ」
一定の間隔を外れることなく、手を振り続けている。
「君のそもそもの間違いは、俺に見初められてしまったということかもな」
からん、
容れ物が音を立てて散った。
焦墨