下宿の魔女、もやしを作る(粗忽長屋翻案)
落語 粗忽長屋の翻案
類は友を呼ぶ、なんていう言葉があるが、大昔からそんな言葉があるだけあっておおまかに確からしい。例えば料理屋だってそうである。価格帯や料理のジャンル、店の大きさや立地条件によって店側が来る人を選び、結果似通った人が集まるというカラクリだ。
それは例えばアパートでも同様である。たかが30、40km遠くに来ただけで何かが変わるとか思ってしまうようなそそっかしい輩が裸一貫で東京へやってくると、大抵は下町の下宿へと収まるものなのだ。
「ごめんください」
そういって下谷長屋という名のアパートを訪ねたのも、これまたシャツにジーパンと手元に財布だけという男だった。
木造の引き戸をガラガラと開けて出てきたのは大家らしい大男。この男、名を大木熊吉という。現在25にもなるが定職につかず、親から譲り受けた長屋の大家をすることで生計を立てている、いわゆる無精者と呼ばれる類の人間である。なまじ外に出なくても暮らせてしまうものだから、自室でごろごろとしているうちにぶくぶくと太ってこの有様というわけだ。
そんな男が
「どちらさま」
なんていいながらのっそりでてくるものだから、もやしみたいな小男は手元のチラシをくしゃくしゃにするほど震え上がってしまった。
「そのチラシは、もしかして入居希望者か」
たしかにもやしの手元には入居者募集とでかでかと筆で書かれたチラシが握られていた。
「え、ええそうです。お恥ずかしい話、夢を求めて東京に出てきたものの、金もなければ宿もない。加えてよくよく考えてみれば大した夢も持っていないものですからなにもできなくてさまよっていたのです。そんなところで目に飛び込んできたのがこのチラシというわけです。こんなに風情のある東京の町を、しかも月2万円で借りれるなんてもはや運命を感じるほど。ひとりで勝手に盛り上がって申し訳ありませんが、ところで空室はありますでしょうか」
このもやし、腕っ節に自信がないかわりに口が達者になったタイプ。
「君は随分とそそっかしい人みたいだね。昔はそういうの粗忽者とかいったらしいけど。で、空室の件だけど、もちろん空いて。空室がないとチラシを出さないからね。ようこそ下谷長屋へ」
なんの手続きもなしに入居者を入れてしまうものだから無精者というのは仕方がない。しかしもやしも
「ありがとうございます。では早速」
なんて部屋も聞かないまま門戸をくぐるのだから粗忽者というのもこれはこれで仕方がない。
それに加えてもやしの隣人となる女も
「新しい人?よろしくどうぞ。それでは急いでいるから」
なんてすんなり受け入れてしまうのだからもうこれはどうしようもない。
下谷長屋に住むものは全てこんなようなもので、順応性が高いというかアンテナが低いというか、ともかくうまく回っているようであった。
「ごめんください。これを見てほしいの」
そうやって隣人がもやしの家に訪ねてきたのは、もやしがコンビニのバイトに就いてレジ打ちができるようになった頃の話である。
長屋に住む人々とはまあそれとなく仲良くなり、夕餉にお呼ばれするなんてことも増えてきた頃合だが、もやしはどうにもこの隣人とは仲良くなれていなかった。以前ちらりと家の中が見えた時には何やら薄暗い中に魔法陣やしゃれこうべなんかがあったから、もやしは密かに彼女を魔女と呼んでいた。部屋に敷かれた六芒星の中央にもやしを生やしていたから、家庭菜園のために部屋を暗くする必要があったのだろうか。なんとも不思議な人である。東京にはいろんな人がいるんだな、なんてものの範疇には収まらないだというのはもやしも十分にわかっていたから、二人が会話をする機会もあまり訪れなかったというわけである。
しかしこの魔女絶世の美女。中身に目を瞑れば誰もが求める女性である。
お近づきになれるなら儲けもんじゃあないか。あっちから来るならば退ける理由はない。そういうわけでもやしは魔女の持つ木箱を受け取った。
魔女が目を輝かせて促すものだから、焦ってもやしは木箱の蓋を開けた。
「うわっ」
思わず飛び退いたのも無理もない。木箱に入っていたのはつるんと白いしゃれこうべであった。
「な、なんですかこれは」
「これはかの有名な頼朝公の頭蓋骨よ。頭のいい人ってのは頭が大きいと言われているけれど、歴史に名を残す人っていうのはやっぱり違うわね」
「は、はあ。しかし……。申し上げづらいのですが、木箱の中にずんとあるこの骨は、どうにも自分と変わりないように思えるのですが」
たしかにこの髑髏骨、成人男性の平均といったほどの大きさしかない。
「何を言っているの、あたりまえじゃない。だってこれは頼朝がまだ鬼武丸と呼ばれていた頃のものだもの。私がさっき召喚したの」
何を言い出すかと思えばこの女、手元の髑髏が幼少期の頼朝のものだとか。
なるほどたしかに、魔女は小顔である。
焼き魚。それはもういうまでもなくうまいものである。特に秋刀魚なんかを焼いたらその香りだけでヨダレが溢れ出てしまうほどであろう。昔の将軍様なんてものは、毒やら骨やらを取り除いたものを食べていたものだから、まるまる1匹焼いたさんまにハマりにハマったなんて話もある。
下谷長屋でも焼き魚はよく作られるから、もやしは夕餉に、さんまやら鯖やら鮎やら鰆、
さまざまな魚をご馳走になった。
もやしははじめの頃、各部屋から煙が上がっていると火事かと思って駆けつけたものだが、最近はようやく焼き魚を焼いているのだと学習した。そそっかしいのも大概にしてほしいものである。
それだから、肝心な時にも1階角の熊吉の部屋から今日も煙が上がっているな、なんて珍しく呑気に構えていた。嗅いだことのない香りだな、なんて思っていたがそれもそのはず。立ち上る黒い煙は火事の煙であった。なんて間の悪い男だろうか。
さて、被害の中心である熊吉は、未だ自室でふて寝していた。不思議に思っても、なんだか背中があついな、くらいなものである。火種はすぐ後ろにあるというから、無精者というのも大概にしてほしい。
そんな中、冷静に火事だと気づいたのが帰宅直後の魔女である。がらがらと引き戸を引いたら目前が熱く赤いではないか。
「火事よ火事」
近所にも聞こえるように大声で叫んだ。
魔女の声にようやく反応して出てきたもやしは熊吉を救うべく火に飛び込んだ。まさに飛んで火にいるというやつである。もやしの勇猛果敢(猪突猛進と言うべきか)な行動により、どうにかこうにか熊吉は救われたのだった。
事件の頻発する下谷長屋で、最も大きな事件が起こったのは、火事の翌々日あたりのことである。
その日は三社祭の中日であった。三社祭とは浅草神社の大きな祭り。日枝神社の山王祭や神田神社の神田祭と並んで江戸の三大祭りと呼ばれていたらしいほどの大規模なものだ。それゆえ街の内外から多くの人がやってくる。
「それにしても人が多すぎやしないか」
地元の祭りに青年会として呼び出された熊吉は、例年の比にならないような異様な人だかりに足止めをくらっていた。
「ちょっとすみません、先を急いでいるので」
そういって群衆の中をわけいると、その先には細い焦げ付いた男が転がっているではないか。ところどころが焼けているが顔はいくらか無事らしい。それにしてもなにやら見覚えがある。これはもしやもやしじゃあなかろうか。手元にもやしも持っているし。
熊吉は急いでもやしに電話をかけた。
『はいもしもし、どうしました熊吉さん』
『おう、お前ちょっと親疎通りに来てみろよ、お前がいるんだ』
『なんですかまた。自生のもやしがあるなんて話じゃあないでしょうね』
『そんなバカ話で俺は慌てないだろうが。とにかく来いよ』
たしかにそうだ。もやしは仕方なく親疎通りまで出てくると、なんだか異様なひとだかりにぶつかった。細いからだを利用して器用にするすると抜け出すと、本当だ。熊吉と自分がいるではないか。不思議なこともあるものだ。
「こりゃあ僕じゃあないですか」
「そういっただろう。じゃあちょっと持ち帰ろうか、これ」
「いやいやいやいや、なにをそそっかしいことを言っているんですか熊吉さん。勝手に持って帰ったらなんかしらの犯罪でしょう」
「うるさいやつだなお前は。何を呑気に。お前なんだからお前が持って帰るのが筋だろう。口を動かさないでほら、頭を持て」
長屋まで戻ってくると、ちょうど入口で出会ったのは隣人の魔女である。
「あら、それはこの前のもやしくんじゃない」
「それ?この前の僕?何を言っているんですか」
「いやね、この前もやしくんが大家さんを助けて死んじゃったじゃない。だから新しいのを作ったんだけれど、死んじゃった方がうまく処理できなかったみたい」
なんとも不思議というのは連鎖するものである。
「この前の火事?ああ、あの時助けてくれたのはお前だったのか」
熊吉は相変わらずである。
「あのねえ、小顔なのもいい加減にしてくださいよ」
「何を急に褒めてるのよ照れるじゃない」
「全く褒めていませんよ。一体全体どういうことだって言うんですか」
煮えくり返ったもやしに対して魔女は冷静な様子。熊吉がどうでもいいやと投げ出して自室に戻っていくのを尻目に問答は繰り返される。
「どうもこうも、そっくりそのままその通りよ」
「じゃあ、じゃあ喋っている僕が僕なのは確かですよね」
「ええ」
「それと、熊吉さんを助けたのも僕のはずです」
「間違いないわ」
「そうしたらこの焦げた僕はたしかに僕ってことになりますが、すると僕を抱えて喋っている僕はどこの誰なんですかね」
「あなたはもやしよ」
下宿の魔女、もやしを作る(粗忽長屋翻案)