宗派の儚8️⃣

宗派の儚8️⃣

 
-夏の秘密-

 一九六一年八月。
 夏が新天地に定めた地は裏列島特有のフィーン現象だから、狂気の沙汰の猛暑だ。
 しかし、夏は実に乾いて飢えていた。
 潤いを求めた夏は草也の骨を女陰に入れて自慰をした。しかし、それは草也自身でありながら、最早、草也である筈もなかった。いとおしいが、乾燥し尽くした白々しい骨なのであった。
 翔子とも慰めあったが、かつての様に、翔子の生々しい身体の甘美に溶け込む事は出来なかった。
 小百合を別れを惜しむ様に抱きしめた。
 そして、田山の酔いに逆らわなかった。
 女教祖に興味深々の青年代議士の松河にも身体を開いて証明してみせた。
 しかし、身体が濡れるのは瞬時の事であり、夏のこころは、いつも、一粒の砂のように乾いていたのである。その砂が裏列島の風に晒されていた。
 草也の死で、夏は金色の蛇の神話から解放された。草也との悪夢から解き放たれた。そして、心も身体も裸の女に戻ったが、その裸が飢えていた。
 かつての夏は虚構の夢の中でも満たされ、潤っていた。虚構を実体と信じ込んでいたからである。草也と二人で夢に向かって疾走して、成就した。夏は満ち足りていた。虚構こそが現実だったのである。それでは、今いるこの地は虚構なのか、実相なのか。
 教団の施設建設が進んでいる。夏に従う信徒達は新しい夢に向かって邁進しているかに見える。しかし、夏は、その夢が希望とは決して思えないのだ。草也と夏の営為がそうだったように、これも怪しい蜃気楼ではないのかとしか、今では思えなかった。
 夏は過ちを重ねて繰り返すほど、愚かではない。だから、流れる日々の虚ろな現実に身を処すしかなかった。夏の身体は求めるままに、求められるままに開いたのである。しかし、夏の心は、密やかに封印されていた。

 北国山脈の山奥の夏の生家は貧農で狭かった。だから、度々、父母の秘匿の営みを目撃した。二人は貧しさを互いの身体で補う為に交わったのか。両親のない今となって、夏は思うのである。
 日常ではあまり会話もない両親が、特に無口な母親が繰り広げる痴態は、夏には異国の奇怪な儀式に思えた。
 そして、夏の身体が感応して、初めて性感に気付いた。ああした戯れから自分が産まれたと知ってからは、幼くして性に興味を持った。
 初めて性交したのは一〇歳の時である。近所の子供たちとキノコ採りに入った里山で、二つ上の上級生に挿入された。快感を感じた。
 紡績では監督との戯れを妙に見られている。翔子や貴子の女達とも抱き合った。
 もう一人の青年工員とも関係があった。組合活動の仲間だった。
 夏の不義理は男二人の知るところとなり、三角関係は修羅にまみれて破綻した。夏は逃げるように紡績を辞めた。
 夏が初めて愛したのは青年工員だったが、成人の夏の膣に最初に侵入したのは、中年の好色な現場監督だった。悋気な妻を持つこの男は、仕事を餌に夏を犯して、その身体に溺れたのである。貧しい女工の夏に抗う術はなかった。そして、この男によって、夏の若い身体は悲惨に熟れたのであった。
 生家に戻り結婚までの短い間に、出征直前の幼馴染みに身体を与えもした。
 見合いをして結婚すると、穏やかな夫を激しく求めた。夫が戦死した後は、意に反して義父に犯されたが、やがて、淫湿な疼きが同意して、爛れた交接を重ねた。
 それを目撃した類が、勘違いして義父を投げ殺したのだ。類と抱き合った後に、義父の遺体を激流に投げ捨てたのだった。
 山脈の深奥にただ一人取り残された夏は、草也と出会うと、新たな夢を孕もうと性獣の様に交わった。しかし、淋しい淫熟な雌が孕まされたのは、宗派で擬装された醜悪な夢だった。産み落としたのはホウネンやシンランの衣をまとった鬼子の教団だったのである。
 草也とは夜毎に同衾した。そして、二人の肉欲が産んだその教団の災いで、草也は謀殺されたのではなかったのか。
 草也の死で二人の夢から覚めた夏の渇きは、煉極に咲く永遠に救われない毒の花の様だった。
 そして、この町の町長と夏の交合が、凄惨な事件の発火点となった。


-腹上死-

 この年の六月。
 改定国防条約が成立すると、総統が退陣して、田山が推した岩橋が新総統に就いた。田山は念願の幹事長の椅子を手に入れた。
 しかし、野党や与党内の反岩橋勢力は、国民の信任を求めて解散総選挙を要求した。世論も後押しをする。小派閥の田山は権力基盤が脆弱なまま、瞬時にして厳しい政局に直面していた。
 教団施設のあるこの地は田山の選挙区である。町長の椚原クヌギハラは田山の選対委員長だ。夏の新教団の土地も、その関係で椚原が取り計らったものだった。
 海岸から四キロ程入った五万坪の土地が夏の新天地だった。夏は草也の莫大な秘密遺金を隠し持っている。施設の建設が急速に進んでいた。

 田山から緊急の電話があった。椚原の動向に不審があると言う。田山の強敵である前総統派の対立候補と、椚原が内通している疑いがあると、言うのだ。田山の足許に火がつこうとしていた。
 椚原は戦中から長く町長を務め、田山に総選挙出馬を勧めた人物でもある。7〇歳で県政界の重鎮であった。
 夏は椚原との面談を田山に約束した。
 二日後、新築間もない夏の自宅で対座した椚原は、改めて、この女の妖艶さに息をのんだ。
 この時、夏は三八歳である。薄紫のワンピースは女の豊穣を隠し切れない。それを誇張する為に、敢えて、選んだのだ。胸から腹にかけて桔梗の花が咲き乱れている。ブラジャーをしていないから、欄熟した乳房の頂上に乳首が突起を現している。腹のうねりに淫媚の薫りを漂よわせながら、恭しく頭を上げると、漆黒の瞳を見開いて椚原を見つめた。
 「ご用件を伺おうかな」と、椚原の声が掠れると、「率直に申し上げます。先生と鹿野麗子の事で御座います」と、夏が言い放った。麗子は老舗旅館の女将で、県の教育委員もしている。夫もある。「先生はご存じなかったでしょうが、麗子は、実は、私共の信徒なのです」椚原の顔が歪んだ。
 半月程前、麗子の旅館に宿泊した椚原は、麗子の不倫を材料に不義を迫った。初めは拒んでいた女だったが、やがて、応え、淫らに交わった。あれは合意の行為であった筈だと、椚原は改めて確信した。
 だが、夏が続ける。「麗子は、もちろん、自身の非を恥じております。悔いてもおります。でも、先生の理不尽に泣いてもおります」「そもそも女の身体は不条理なもの。麗子の様な熟れた女なら尚更の事。身体が応えたといっても、それは女の身体だけの事。先生程の方ならとうにご存知の筈ですわ。麗子の心は断じて応えておりません。ありていに申して、これは卑劣な犯罪ですわ」椚原は生唾を呑んだ。「どうしようと言うのだ」「こうした時局ですから、私は大事にすべきでないと申しております。菩薩心こそが肝要だと申しております」夏が目を見開いた。「麗子も私の指示に従うと申しております」椚原が身を乗り出す。
 「今、田山先生は中央政界で厳しい状況と苦闘されております。足許が揺らいでは大望の成就はなりません」「田山先生が次の選挙で落選なとどいう事になれば、この選挙区はおろか、この国の大損失になるでしょう」夏は一気に弁舌した。
 椚原の背筋が凍りついた。田山は内通を知っているに違いない。女との一夜を借りての、これは田山の慇懃な恫喝なのだ。地元の後輩とはいえ、与党の幹事長であり、その権力は絶大だ。反総理派候補との内通は極秘でなければならなかった。にもかかわらず、目の前の女が察知している旨を仄めかしているのだ。
 「いかがでしょう。これまで以上に、田山先生の選挙にお力添えを頂けないでしょうか」
 椚原は観念した。もともとは、内通は椚原の金銭欲からでた事であった。田山との間に利害対立があってのものではなかったのである。
 「先生の今までのご支援に感謝して三億をお受け取り頂きたいと、田山先生が申しております」椚原は確信した。田山は何もかも知っている。椚原が反総理派候補陣営から受領していたのは一億だった。椚原は同意した。
 夏が一息入れて、紅い唇で続けた。「先生にこんなご無礼を申し上げる以上は、私にも覚悟は出来ております」と、熱い息を吐いた。「教祖の女に興味はおあり?」


-夏の死-

 椚原は夏の腹の上で死んだ。押しのけると、今の今まで夏に挿入されいた醜い股間を晒して、男が仰向いているのである。心筋梗塞に違いないと、夏は思った。そして、咄嗟に、これは世に言う腹上死なのではないか、決して明らかには出来ない事態が勃発してしまったのだと、悟った。
 あの時と同じだった。死体を隠さなければならないのだ。夏は、人生で二度も死体と直面した。もし、あの時、類という若者と逃げていたら、どんな人生を歩んだのだろう。どんな夢を見たのだろうと、夏は思いもした。
 そして、我に返った。死体を隠さなければならないのだった。類はいない。自分一人で背負わなければならないのだ。
 しかし、遺体は重かった。翔子が浮かんだが即座に打ち消した。教団を継がせる翔子に、こんな愚かな罪を共有させてはならない。あの類と同じ目にあわせてはならないのだ。
 夏は遺体と一夜を過ごした。そして、教団の下働きをしている知恵遅れの頑強な若者、猛タケルに考えが至った。
夏は遺体を布団で念入りに包むと、猛を呼んだ。
 薄紫の浴衣の裾を乱しながら、夏がウィスキーを勧める。教団で一番偉いと思っている夏の陰謀など図れない愚鈍な若者は、ウィスキーに夢中だった。やがて、意を決した夏は、猛に向かって座り直して、浴衣の裾を腰までまくりあげて、股間を開いた。夏が淫熟した股間を指であからさまにすると、深奥の朱が覗く。酔って肉欲が純化した猛は視線を光らせて喉をならした。
 この愚鈍な大男の性器は巨根だった。未だ、潤わない女陰が軋んで、裂けた。夏は悲鳴を挙げた。青年は挿入させると、あっという間に大量に射精した。夏は出血していた。
 拷問の様な瞬く間の交接の後に、夏は、「これは本堂の仏様への大事なおそないなのよ」と、猛を諭した。そして、建築が進む本堂の床下に埋めるように命じた。
 猛が埋め終わるのを見届けると、激痛に耐えて、約束通りに、再び、身体を与えた。
 猛は夏の身体に狂喜した。この二十歳の青年は性欲の塊で絶倫だった。性欲だけが彼を生かしていた。それだけに生きていた。
 青年は一六歳の春に強姦未遂事件を起こした。それ以来、青年の母親は、我が子の性欲を自らの膣で受け止めていた。
 父親は黙認し、救いを求めて倫宗に入信したのであった。母親の死後、扱いに窮した父親が教団に乞い、夏は青年を預かった。母親以外に猛を抱いてくれたのは夏だけだったのである。
 その後、夏は三度、身体を与えた。猛にあの出来事を他言する素振りは見えなかった。夏は安堵した。
 そして、以後は猛を拒否した。青年の巨根は苦痛以上の拷問だったのだ。挿入されると女陰が裂ける音がした。快楽などひとかけらもない。青年にとって、夏の膣は射精の為の玩具だった。こんな知恵遅れの性獣に、玩具として扱われる屈辱に、夏は耐えられなかったのである。
 性交を許すまでは青年に慈悲を感じていた。しかし、それは嫌悪に一変した。こんな悲惨な性交をされたのは初めてだった。夏を犯した紡績の監督や義父でも、夏の身体を褒めた。愚弄な若者は夏の股間を切り裂いて、ただ射精するだけだった。
 夏は、飢えた虎に身を投げ出す決意のシャカの法話を思う。だが、長く倫宗の教祖でありながら、夏は、いかにも、生身の女であった。苦痛に耐えてアミダニョライに身を託すなどという事も出来なかった。そうした自身を悟ると、嫌悪はいっそう強くなった。夏に拒否されると、青年は叱責された犬の様に従順に従った。
 猛は夢というものをみることはなかった。しかし、母親が死ぬと一変して、毎夜、奇妙怪奇な夢をみるようになったのだ。そうしたある深夜、その夢は現れた。
 光りのなかに女神がいるのである。だが、姿はない。ただ、微笑んでいるのがわかるのだ。感覚で存在を実感しているのである。
 猛は油絵を描いているのだ。すばらしい出来だ。官能すら感じる。その瞬間、女神がひと筆を画き入れると、絵がさらに官能を放って、未だ、感じたことのない激しい甘美が猛の身体を貫いた。最早、何もなくていい。この感覚の記憶があれば、母親がいなくとも生きていけると、確信した。
 すると、天使が現れて、この女に惚れたなと、言う。そこで目覚めた。それ以来、猛は悪夢にうなされる事はなくなっていた。青年はなこの夢を信じる事によってのみ、現実を平穏に生きる事が出来たのである。
 しかし、夏が猛を再び現実に引き戻した。夏は生身の女神だった。夢に閉じ込められていた性欲が、再び、解放されたのだ。そして、青年の貪欲な性欲は屈折し、鬱血して内向した。そして、教団の仕事を理由に断る夏を説得する術を、青年は知らなかった。
 性交をしていない時の夏は怖い母親だった。何一つ抗いは許されないのだ。
 猛の短絡な知恵は、次第に教団を嫉妬するようになった。夏の仕事が無くなれば、いつでも相手をしてもらえるのではないかと、考えた。あのおそないを埋めた、あの本堂が夏にとって一番大事なのに違いないと思った。あの夜、夏は二度も射精をさせてくれたのだ。あれが無くなれば夏の仕事も無くなるのではないのか。猛は知恵の限界で結論を得た。
 そして、その年の暮れ、猛は仁王立ちで夏を抱き寄せながら、本堂に放火した。夏の絶叫も、この男の狂気の本能には届かない。
 目の前で、自分の欲望を阻害する本堂が激しく炎上し始めた。これからはいつでも夏にして貰える。もうすぐ、夏に射精できる。猛を激しい恍惚が襲った。立ち登る炎と猛は同化した。自身が燃え盛る炎だと感じた。
 一瞬、猛は夢を見た。炎のなかで、死んだ筈の母親が女陰を開き猛を招くのだ。懐かしい女陰だ。猛は身体が沸騰して、その場に仁王立ちで釘付けになり、大量に夢精した。夏は青年の腕の中で身動きできずに、絶叫し続けていた。
 二人の焼死体は無意味に重なって発見された。
 そして、翔子の指示で焼け跡を整地していた作業員が、白骨化した、もう一つの遺体を掘り出したのである。
 椚原は失踪として処理されていたが、金歯から椚原と断定された。夏の関与が疑われた。週刊誌に夏の記事が躍った。
 翔子は教団を解散したが、紀世の元には戻らなかった。紀世にとっても教団を失った翔子に、最早、魅力も未練もなかったのだった。
 そして、あの老人が死んでいた。解き放たれて、阿修羅の入れ墨も彫り上がった宮子から、新教団統合の提案が出されようとしていたのである。
 既に、岩橋総統は衆議院を解散して総選挙が行われていた。田山は幹事長として陣頭指揮したが、野党に肉薄される結果となった。田山自身はトップ当選だったが、幹事長に再選はされず入閣もなかった。岩橋は半年後に病死した。
 翔子のもとには、典子とその娘の継子と十数人が残った。
 その中に小百合がいた。夫の町長が教団から多額の収賄をしていたが、教団の分裂抗争の中で全てが露見した。夫は小百合を離縁した。小百合は夏に心酔する信徒だった。夏を失った今、翔子に従っていたのであった。
 翔子は、夏から託された草也と夏の多額の秘密資金を手にしていた。翔子は生まれて初めて、自らの夢を自らで描こうとしていたのだった。

 
草也

 労働運動に従事していたが、03年に病を得て思索の日々。原発爆発で言葉を失うが15年から執筆。1949年生まれ。福島県在住。
  筆者はLINEのオープンチャットに『東北震災文学館』を開いている。
 2011年3月11日に激震と大津波に襲われ、翌日、福島原発が爆発した。
 様々なものを失い、言葉も失ったが、今日、昇華されて産み出された文学作品が市井に埋もれているのではないかと、思い至った。拙著を公にして、その場に募り、語り合うことで、何かの一助になるのかもしれないと思うのである。 
 被災地に在住し、あるいは関わり、又は深い関心がある全国の方々の投稿を願いたい。

宗派の儚8️⃣

宗派の儚8️⃣

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-16

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