金の雨
「俺の嫁さんは山に好かれてんだ」
山奥の小さな町に赴任してきた郵便局員は、配達で訪れた村はずれの家で男と話していた。この家の主人である男はまだ若く、見た目は30歳ほどだった。家業はキノコ栽培で主にシイタケを栽培しているらしい。配達に訪れた見知らぬ郵便局員に、まぁ少し休んでいけと縁側でお茶を出した男は唐突に話を始めた。
「山に好かれている、ですか」
「そう。嫁さんは町に住んでた人でさ、山なんか入ったことない人だったんだ。初めてこっちの村に来た時も踵の高い靴でよ、歩きづらいのなんのって。ははは」
「はあ」
「そんなんだからよ、山になんか入りたくないんだと思ってたら、俺が山に入るときに一緒に行くって言うんだよ。だから連れてったらもうすごくてよ」
「なにがすごかったんですか」
男はすこし勿体ぶるようにお茶を一口飲んで言った。
「あれは歓迎されてたな。山に」
「歓迎」
「ああ。あいつが斜面をすこし滑れば、都合よく枝がある。腹が減ったと言えば、ぼとりとアケビが落ちてくる」
「それはそれは……」
「山を下りている途中で小雨が降ったんだけどな、俺は結構濡れてるのに嫁さんはちっとも濡れてないんだ。丁度枝があったからなんて言っててよ、俺も同じ道を通ってたんだけどな。他にも、山の川に釣りに行けば、嫁さんだけもう入れ食いよ。じゃんじゃか釣れちゃって、あの時は村中に配り歩いたな。そんなことが嫁が山に入るたびにあるんだ。最初の頃は偶然だと思ってたけどよ、俺とじゃなくても、近所の婆さんと山菜採りに行ったり、隣の家の嫁さんと軽く山に散歩に行ったりした時もそういうことがあったらしい」
郵便局員はすこし躊躇ってから、こう口にした。
「奥さんは、その、山となにかご関係があるんじゃないですか。直接じゃなくてもご先祖様とか……」
「多分そうだろうな」
「え、」
「この辺りでは年に一度、山神に祈りを捧げに行くんだ。神主さんが先頭になって、お供え物持ってさ。俺の嫁さんの話は神主さんも聞いてたみたいでよ、まぁ小さい村だからな。嫁さんも一緒に山に連れてったんだよ」
「女性も参加できるものなんですか」
「さあな。でももうよそ者でもないし、普段から山には入ってるわけだから」
「そうですね、すみません」
「いや、それで祠に着いて祈りも終わって引き返そうとした時に、ぱらぱら降ったんだよ。金の雨が」
「金の雨」
「嫁さんだけに降ったらしい。葉の隙間からぱらぱら金色の雨が降って、本人は綺麗って喜んでたらしいんだけど、周りはもうあんぐりよ。わはは」
男は大きく口を開けて笑った。
「それって、雨に日光があたって金色に見えたとか……」
「ああ、俺もそう思ったけどな、あの日はどんよりした曇りで少しも日は射さなかったらしい。まぁいつものごとく帰りは綺麗に晴れたらしいがな。それに嫁さんのコートのフードに入ってたんだよ、金の雨」
「どんな感じでしたか」
「なんか蜜を固めたような感じだったな。蜂蜜とか樹液とかそういうの。嫁さんがティッシュに包んで置いといたんだが、いつの間にか溶けるように消えてた」
「なんだか不思議ですね」
「なあ、本当にな。歓迎、祝福、いいことだから心配はないけどな」
「あの、さっき言ったご先祖が山神に関係あるとかどうとかは……」
「あれな、わかんね」
「え、そうなんですか」
「ああ、嫁さんの家のことも聞いてみたけど、関係ありそうな人はいないし、嫁さんも思い当たることはないらしい。ただ、なんとなく山に好かれるのも分かると言うか、」
その時、遠くから澄んだ声が聞こえた。
「ただいまー!」
大きな布バックを持った女性が大きく手を振っていた。
「嫁さんだ。おかえりー! あのバック、またなにか拾ってきたな。この時期は柿か栗か……」
郵便局員は眩しさに目をぱしぱしと瞬かせて、ああ、と呟いた。
「山に好かれるのもわかります」
「そうだろう。わはははは」
金の雨