宗派の儚7️⃣

草也

宗派の儚7️⃣


-翔子-


 「ばか御門。何を言ってるのか、わかりゃしない。国民を殺したの、あいつだろ?。あんな奴こそ、死んじまえばいいんだ」
 シフヤのバラックの小汚ない居酒屋で、酔い潰れた女がくだを巻いていた。初めての客だ。
 その日。一九四五年八月一五日の暮色は、未だ、気狂いした様有り様で蒸し暑かった。正午の御門のラジオの声が、様々な情念を渦巻かせて薄汚れた街を覆っているのであった。
 芳醇な女が揺らす豊かな乳房を覆う薄手のブラウスに、汗が染みている。 
 居合わせた眼光の鋭い初老の男が、やがて、女を連れ出した。男はこの界隈を取り仕切る侠客である。禿げ上がった赤ら顔の店主が深々と頭を下げた。
 夜半、宿で目覚めた女が、「お礼よ」と、男の男根を握った。「すっぽりくわえて。口をこうして。吸ったり、締めたり、噛んだり。根元を指でゆっくり揉むのよ」だが、男は萎えたままであった。
 朝、男の背中一面に登り竜の刺青があるのを、女は初めて知った。別れ際に男は紙幣を握らせた。女は突き返せずに呆然と座り続けていた。
 この女。翔子。ニニ歳。
一年前に夫の戦死公報を受け、半年前の地方都市の空襲では両親が焼死していた。兄はニ年前に戦死している。戦争に係累の悉くを奪われ、依るべき夢の何一つもない女だった。
 女は紡績工場で働き、空襲で焼失後は首府に出て、小料理屋で働いていた。

 「シフヤ振興会」の小さな看板が掛かったバラックの事務所に入った男に、子分が茶を入れた。
 男の名は青柳で、通り名を「龍」という。茶をすすりながら、「あの女は快楽の天女なのか、ただの堕ちて行く女なのか」と、考えていた。侠客にして社会主義者であり、剣と射撃の名手だ。北九輝と親交があり二二二事変に関与した男。北の無念を晴らすため御門の暗殺を企てた男。紀世に南条暗殺を指示した男である。暗殺失敗後はシフヤの大衆の森に潜伏した。戦後は、この一帯の闇市を子分の楠と共に支配した。後に楠はヤクザの組長になり青柳の闇の世界を補佐した。青柳は、期せずして、不動産業や芸能プロも手がけている。
 やがて、翔子と再会する。草也とも再会して、六〇年国防条約定の政局に深く関与するのである。


-遺体-

 小料理屋で働いていた翔子は、暫くして、誠実な運転手と巡り会って同居したが、十日後、入籍する間もなく事故死した。
 一九四六年。翔子がニ三歳の晩夏。異様に蒸す夜である。貧相な借家で、簡単な飾りつけを終えた葬儀社が帰った。
 翔子は茫然と棺の前に座り続けている。視線が凝固して涙はない。暮色がゆっくりと闇に変わった。
 小電球の薄明かりの下で、女がぼんやりと遺体の下半身を剥いた。凍った視線が股間に突き刺さっている。
 すると、ふらふらと真裸になり股がっでしまったではないか。やにわに、豊かな女陰を擦りつけ始めたのである。
 丸く豊かな尻が痙攣して、忍び泣きが貧しい一間に響いた。女の尻に汗を受けた葵の痣が咲いている。
 その時、貸家の窓の破れ目に燃え盛る目があった。通夜に出向いてきた真宗の僧の榊原である。榊原は、暫くの後、大きな咳払いをして改めて借家の前に立った。


-榊原-

 榊原の野心が紀世の野望を発火させたのだろうか。二人の欲望が化学反応したのだろうか。何れにせよ、二人は倫宗の乗っとりに乗り出していた。
  榊原は真宗首府本願寺派の事務局でシンラン研究に没頭する学僧であった。
 真宗には、早い時期から戦争を巡って派内に論争があった。当初は戦争反対派が圧倒的に優勢だった。シンランの業績からしてもそれ以外にはない、と、榊原は確信していた。しかし、二二二事変を期に潮目が変わった。軍部が絶大な権限を掌握すると、世論と同様に派内の論議は一変したのである。そして、派があの戦争を容認して徴兵制度を遂に認めた時、榊原は宗派を去った。  
 寺を持たなかった榊原は托鉢の旅に出た。今となっては、大衆に乞食しながら、大衆の声を聞く事のみが宗祖シンランの教えに叶うのだと、信じたのである。論争を通じて、数は少ないが、戦争に反対する強靭な集団も形成されていた。信徒の一部の強い支持もあった。その中には社会主義者もいた。
 榊原はロシア革命に惹かれていった。シンランを一宗教人を超えた苛烈な革命家として捉えようとしていた。仲間と交わりながら、榊原はシンランの源泉のイハラギをくまなく乞食し、やがて北上して、北国の山中で紀世と出会ったのである。
 二人は当初から気があった。旅を共にする内に、紀世は胸の内の全てを榊原に開いた。榊原も知る限りの確信を教えた。暫くして、自身の都合で別れはしたが、紀世は折に触れて気にかかる青年であった。
 榊原はシンランがそうした様に、人々と交わり人々と語り合いながら、北国の乞食の旅を続けた。
 そして、終戦を迎えた。同志の僧が急死したと知らせがあって、榊原は首府に戻りその寺の住職となった。本寺は、やむを得ずそれを許した。だが、敗戦して民主化したとはいえ、本寺の方針に真っ向から反対した榊原の履歴は、簡単には消えなかったのである。
 そんな折りに、榊原と紀世は再会した。紀世は南条暗殺未遂という秘密を告白した。だが、榊原には取り立てて衝撃ではなかった。彼自身が幾度も夢想したからである。
 倫宗という新興宗教の拡大と共に、紀世の事業は発展を続けていた。榊原は倫宗の実質的指導者の草也という男に興味を引かれていた。シンランの捉え方や戦争に対する草也の態度には殆ど同意できたからだ。
 榊原と紀世の強い靭帯の確信は反国家であった。二人は、戦後の国家は南条に全ての責任を被せただけで何も変わっていないと、考えている。その根元は御門制なのである。
 紀世は青柳と共に御門の暗殺を謀議し、南条暗殺を実行したあの時の高揚が忘れられなかった。事業の拡大に反比例して、言い知れぬ喪失感が深まるばかりだったのである。
 榊原はもっと明確に革命を思い描いていた。もちろん、革命の主体が組織された労働者である事に依存はないが、シンランの教えを通じて大衆を組織して、革命に寄与する事が自身の使命だと考えていた。その夢を実現する手法として、勃興する倫宗は極めて魅力的に思えた。次第に、二人はこの宗派の乗っとりの謀議に没入していったである。


-昏睡-

 榊原の話に紀世は生唾を飲んだ。夫とはいえ遺体と自慰をした女がいるというのである。衝撃を受けた。どんな女なのか、見てみたいという衝動に駆られた。
 やがて、榊原の寺で翔子の亡夫の一回忌が行われた。紀世は隠れて翔子を覗き見た。
 榊原が読経を続けている。紀世の視線が翔子に釘付けになって、瞬時にして囚われた。
紀夫は満たされない思いに煩悶していた。既に事業は軌道に乗っていた。国家と対峙して暗殺者となった戦中のあの高揚した精神の記憶が、豊かになるにつれて紀世を飢えさせた。そして、妙との関係に飽いていた。一夜限りの女もいたが射精の対象でしかなかった。
 今の方が貧しいのではないかとすら思えた。戦争を指導した者は言うに及ばず、戦争に熱中した大衆にも、一変した世相に憤怒もしていた。俺とこの国の闘いは未だに決着していないと、紀世は思った。
この女は違うと、直感した。あの小百合の様に特別な存在だと思った。あの日々の記憶がまざまざと蘇った。この女となら、あの反逆の道を再び歩めるかも知れない。この女を抱きたいと、激烈に思ったのである。
紀世は睡眠薬を用意していた。法事が終わり、榊原が勧めた茶を飲んだ翔子は、しばらくすると昏睡した。
紀世は榊原の手をかりて翔子を北の部屋に運んだ。榊原が去ると翔子の貧しい衣服をすべて剥いだ。
甘い香りが漂う。寝息を忍ばせる女は菩薩顔である。慈愛に満ちた眼差しは安らかに閉じられている。ふくよかで張りつめた乳房の呼吸。桃色の肌に紫の乳首。隠匿の柔らかい腋毛。滑らかにくびれた腹。丸い臍。盛上った陰丘にこんもりと繁る若草の漆黒。丸く豊穣な尻には桔梗の痣が刻まれている。
紀夫はウィスキーを飲んだ。渇いた喉に激痛が走った。
目覚めると、翔子は布団の中で真裸だった。体温が伝わってきた。脇に男がいた。男も真裸だった。
翔子は、暫く宙を見た。小さな窓に夕闇が落ちようとしている。短い過去を何度も反芻した。
 向き直って男と視線を絡めると、男は謝罪し、電撃的に得た思慕を痛切に囁くのである。
 翔子の驚きと怒りを柔らかく包み込もうとするのだった。女の否定が滑らかに溶けようとする。翔子は次第に男の囁きが呪文の様に思えてきた。
 やがて、囁きが遠くなる。陶酔が神経を走った。茫洋として薄い幕に覆われた様に身体が火照ってきた。「裸なんだ」と、改めて思った。
 男は今の身上を語った。過去には触れない。「もう金で苦労はさせない」「俺の女になってくれ」と男が言った。瞬間、女の脳裡に打算が走った。そして、それを否定した。
 しかし、女は戦後の漂流を続けていた。一人きりだった。過去への怒りだけが孤独を支えていたのである。女は貧しくてこころは乾き、身体は飢えていた。そんな女を求めている男がいるのだ。女は確信が創れるかも知れないと思った。そして、鋭敏な身体が反応していた。囁きながら、男の勃起が翔子の繁みを刺していた。翔子は男を見つめたままその隆起を握った。
 二人は初めての口付けをした。そして、翔子の陰道が紀世の陽根を包み込んだ。小百合の構造と同じだと男は思った。
この時、一九五〇年。翔子は二八。紀夫が二七である。
紀世は翔子に小さな古書店を用意した。翔子は二階に住んだが同居はしなかった。翔子はそもそも読書が好きだった。貪るように読んだ。夜毎に紀世と交合を重ねて、次第に同化していったのである。
 
 
草也

 労働運動に従事していたが、03年に病を得て思索の日々。原発爆発で言葉を失うが15年から執筆。1949年生まれ。福島県在住。

 筆者はLINEのオープンチャットに『東北震災文学館』を開いている。
 2011年3月11日に激震と大津波に襲われ、翌日、福島原発が爆発した。
 様々なものを失い、言葉も失ったが、今日、昇華されて産み出された文学作品が市井に埋もれているのではないかと、思い至った。拙著を公にして、その場に募り、語り合うことで、何かの一助になるのかもしれないと思うのである。 
 被災地に在住し、あるいは関わり、又は深い関心がある全国の方々の投稿を願いたい。

宗派の儚7️⃣

宗派の儚7️⃣

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更新日
登録日 2020-02-15

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