不可思議な国3️⃣

不可思議な国3️⃣
  
私が異民になったわけ


-国会前デモ-

 安保法案の参議院審議が大詰めになって、突然に国会前集会の報道が始まった。それまではほとんどなかった。マスコミのアリバイ工作なのか、バランスシートなのか。事件が起きると関係者を調べ尽くす、例の、ゲスの野次馬根性なのか、私などには理解が及ばない。

 シールズやママの会の代表もプライムタイムで見た。
 組織されていない個人が立ち上がった、新しい市民などと、誰かが言う。かって菅も、年越し派遣村のリーダーの某もそういわれた。
 誰だって最初は個人だ。私の組織化は居酒屋で一人を口説いて子分にした。それを繰り返した。それだけのことだ。今はインターネットで集結できるというが、本当にそうだろうか。
 シールズやママの会は法案に反対しているグループだけではないのか。この後、彼らがどこに向かうのか、私の関心はそこにある。
 集会で中核や革労協の活動家が逮捕された。こういう古色蒼然も混じっているのだ。
いろいろいるが、連合はどうしているのだろう。
 シールズが、次は参議院選だと言った。落選運動もするらしい。それもいいだろう。落選運動はかってもあった。いずれにしても、その途端に、彼らは既成政党の草狩り場になる。山本太郎がそうであったように。


―犬の話―

 「駐留米軍は番犬だと思えばいい」と、吉田茂は言い放った。サンフランシスコ講和条約と引き換えの日米安保条約制定に反対する勢力に反駁したのだ。
 しかし、その例えで言えば、番犬の飼い主は紛れもなくアメリカだ。日本ではない。番犬はアメリカから派遣されたのだ。日本を守るためにか。結果としてはそうかも知れない。しかし、第一義はアメリカ防衛である。
 朝鮮戦争やベトナム戦争がそうであった様に、日本は社会主義勢力の侵攻を防ぐ防御線なのだ。その為にはもちろん、日本そのものが社会主義国になるなど論外だ。
 だから、朝鮮戦争を契機に、違憲論議がありながらも、警察予備隊から自衛隊を創らせたのだ。武装放棄を明記した憲法は、自衛武装、専守防衛に解釈変更された。
 世界の情勢の変化と共に、アメリカの日本政策は変わるのだ。
 そこに吉田の短慮と誤算があった。しかし、彼が対米戦争に反対して、非力ではあったが戦争終結を画策し、総理としては復興と講和独立、戦争放棄、平和国家を希求したのは事実だろう。それに比べたら、孫の麻生太郎の思想や所作などは紙くずみたいなものではないか。こんな者が副総理で永らえているのだから、この國などはポンチ絵程の陳腐だとしか思えないのである。
 アメリカからすれば日本犬は小さくて弱いが、真珠湾を奇襲攻撃し、特攻を躊躇なく行い、世界で初めてアメリカに噛みついた醜く狂暴な狂犬だろう。
 だから、二度までも原爆を投下できたのだ。今の北朝鮮の様なものだったのか。
 北朝鮮の病原菌はキム一族独裁のチィチェ思想だ。日本の狂犬病の病原菌は天皇制だ。
 戦後は、戦勝国に天皇制廃絶の論議が高まる状況だった。ソ連は勢力拡大を図っていた。マッカーサーは日本統治を独占する為に、天皇主権を否定する憲法を創らせた。一方で、占領軍統治を円滑に行う為に、天皇を国民統合の象徴とした。妥協の産物だ。
 狂犬日本をアメリカの様な国にする為の国民主権の憲法だ。大部分の日本犬達は喜んだ。自由党や民主党も賛成した。
 しかし、五五年に保守両党が合同してできた自民党は、自主憲法制定を党是とした。
その天皇がいち早く狂犬病から回復して、「人間宣言」をした。マッカーサーは安堵したのだろう。
 だから、日本を犬小屋に閉じ込めて、徹底した従順化を図ると同時に、日本以上に世界で最も危険な、社会主義という狂犬のソ連や中国から資本主義世界を守る一環として、強力なアメリカ犬を日本に駐留させたのだ。
 こうして、日本は経済と文化の餌をふんだんに与えられ、アメリカの従順な飼い犬になる様にしつけられていった。そして、日本の大部分の犬達は、かつての振る舞いを反省し、アメリカ文化に溺れ、戦争放棄の憲法に従って、自らは小屋から出ようとはしなかった。
 そして、戦後七〇年。アメリカに完全な飼い犬と認められた日本は、今やボス犬を助けて、敵の犬の群れと戦う任務が与えられたのだ。
 世界の各地に、アメリカも手を焼く新しい狂犬が現れたからだ。
 その為には、小屋からは絶対出ないとしてきた、憲法解釈を変えなければならないのだ。
 そもそも、朝廷の血統で、徳川に蹂躙され続けて、尊皇攘夷という狂犬になりイギリスと戦争までしたバカ犬の、長州犬の安倍が、尊米攘中、北朝鮮と言わんばかりに、「北朝鮮犬と中国犬が急激に狂暴になり、遠吠えが段々に近づいている」「韓国から逃げてくる母犬と子犬を守らなくていいのか」「自分の小屋を守るために、少しぐらい外に出て戦って、何が悪いか」「中東から石油が来なくなれば凍死する。地雷掃海は当然だ」「座して死を待つのか」「親分のアメリカ犬が危険な時に、助けるのは子分の義務だ。そうしなければ危ない時に助けてもらえない」と、わめめいた。弱い犬ほどよく吠えるとは、よく言ったものだ。
 そして、小泉が自衛隊のイラク派遣を決定した時に、「アメリカの要請に応えなければ北朝鮮事案で協力してもらえない」と、主張したのと同じ論法だ。
 安倍は憲法を改正しないで、小屋から出られる憲法解釈を編み出したのだ。
 公海でアメリカの船が北朝鮮から攻撃されれば、日本は北朝鮮を攻撃するのだ。北朝鮮と戦端を開く先制攻撃だ。まさに憲法違反ではないか。
 しかし、こんな事が現実にあり得るのか。まず、北朝鮮と韓国が先端を開くのだ。その瞬間に米軍も戦闘する。まさに、米韓の集団自衛だ。北朝鮮は壊滅するだろう。北朝鮮の戦艦が公海まで来て米戦艦を攻撃するなど、安倍の夢想に過ぎないのである。
 これからは、日本はボスのアメリカの命令に従い世界のどこにでも行き、なんでもするのか。とりあえずは模様見に、後方担当なのか
 自民党はみな賛成した。しかし、野中や古賀、山崎など歴代幹事長経験者が語気を強めて反対する。国民の六割や野党は反対して盛んに吠えはしたが、仲間内で噛み合ったりして、統一した闘いはしなかった。
 参議院の論議は、安倍がはぐらかし野党は追求不足のまま、終いには、まず終了時間を決め、それにあわせて発言時間を制限した、珍妙な、まさに犬の知恵の話し合いで、多数決で安部の考えを認めたのである。
 断固として廃案に追い込む唯一の戦術であるフィリバスターや牛歩は、野党は自ら放棄した。
 この小屋の犬達は、自分の事だけを考えて、毎日笑い暮らしたいために、公憤や抵抗、闘争、革命というものが、ある事さえ忘れ去ってしまったのだ。
 法案成立の翌日、日本は連休の行楽に突入し、テレビは笑いに溢れている。
 安倍は別荘でゴルフに興じている。内閣支持率に変化はない。めでたしめでたしか。
 戦後七〇年だ。例えば、七〇年後に、私には卑小にしか見えないこの男は、歴史からどんな審判を受けるのだろう。
 国会前集会には五〇〇人が結集して、参議院選挙まで闘いを引き継ぐ事を誓ったという。敬意は表するが、彼らが平和を守るための闘う勢力の主体になれるかどうかは、私にはわからない。
 安保法案を巡るこの国の一連の事態をなんと呼ぶか。「闘い」と言う者がいる。私は全くそうは思わない。
 反対する者は憲法違反だと主張した。だったら、法案に反対すると同時に、憲法を守るために闘わなければならない。憲法とはそういうものだ。
 彼らは闘ったか。全く闘ってはいない。ぬるま湯の様な弛緩した日常で、憲法九条の解釈は変更されたのだ。

 四三年前に、私は全国展開しているある企業で労働組合を結成した。今でいうブラック企業だ。会社は否定し切り崩す。
 凄まじい攻防の果てに組合は私一人になり、解雇された。私は法廷闘争と同時に日常的に闘い、解雇を撤回させ職場復帰した。
 憲法には団結権が規定され労働組合法もある。しかし、憲法や法律を主張しているだけでは、労働組合は創れない。あらゆる叡知を発揮して、確固と団結し、不屈で熾烈に、場合によっては人生をかけて闘わなければ創れないし、維持できないのだ。
 憲法を守るというのは莫大なエネルギーを要する闘いだ。腑抜けの代理民主主義だけで守れる様な生易しいものではないのである。
 
 
 -クリスマスとバレンタインデー-
 
 どちらも大嫌いだ。資本に踊らされているばかりなのではないのか。我慢ならない。
 ケーキもチョコレートも欲っした時に食う。恋人や家族との交流もそれなりにはしたつもりだ。
 クリスマスやバレンタインを無視、あるいは、軽視する事が、人間の機微を度外視しているなどと思われたら、たまったものではない。大概にしろと言いたい。
 最近はハロウィーンまでが加わっての、渋谷のばか騒ぎなどは、この国が何一つ変わっていない証左ではないのか。

 
-東京電力-

 この状況で今さら回顧談でもあるまいが、必要な事は書く。
 県連合は一九九〇年に結成した。会長は自治労、電気労連、電力総連(東北電力)と続く。
 自治労の会長とはほどほどに、電機と電力とは際どい鞘当てもした。電力などは私と金属連合の書記長を不倶戴天の敵と言ったと、聞いた。私は他の幾人かからも、山賊、海賊の類いと揶揄された。
 ある事案を地労委にあげた時、電機が労働委員だった。混迷した審議の果てに、彼は私を廊下の隅に呼んで、なぜこんな面倒くさいのを持ってくるんだと、恫喝した。私は声を低めて、出来ないんなら労働委員なんか辞めてしまえと、凄んだ。彼は青ざめて謝罪した。県連合の会長などはこの程度の器なのだ。結局、彼は解決策を示せず、最後に公益委員が私の見解を求めた。私は経営委員を説得して
、当初の思惑通りに解決した。電機は万座の中で赤面した。
 後に、電機のある難儀な争議で事務局長に乞われ、中央本部を介して解決を助けた。電機の会長は電話で謝意を告げただけだった。
 九三年に千葉県で放射能漏洩事故が発生した。東京電力の下請けの核燃料棒製造会社で、ウランが爆発したのだ。死者が出て放射能は福島まで飛んだ。落花生の出荷が止まった。
 私は随所で、元請けの東京電力の下請けいじめを批判し、福島原発の危険を訴えた。電労が激怒したと聞いた。この男も労働委員だった。
 ある事案で労使協調を露にぶちあげ、中小の争議を知り尽くした経営委員からたしなめられたこの男は、東北電力に籍をおいて賃金をもらい、専従の県連合会長で高給をはみ、労働委員の報酬と栄誉も得ていた、と聞いた。これはある産別幹部から酒席で聞かされた話であり、真偽のほどはわからない。だが、仮に事実だとしたら、いわゆる、「ヤミ専」であって、労働法違反である。こんな者が原発を告発できるわけがないではないか。この男は公明党、社民党との共闘を福島方式だと豪語したが、自公連立政権が出来ると、瞬時に、崩壊した。
 県連合は村長選や村議選にまで関わって、自民党反主流を民主党に組織したのだ。もちろん、産別幹部は入党を勧誘されたが、私に誘いはなかった。
 総評にいて連合に籍を移した幹部達は人間性まで豹変したように見えた。彼らは、手のひらを返した如くに、「数こそ力だ」などと、臆面もなく放言するのであった。
 労働界の再編で失職した者も随分いる。社会党の崩壊では書記局の数人が自裁したと聞いた。悲喜こもごもだ。

 金丸と社会党書記長の田辺が、建設省技官某を福島県の知事選に擁立した。社会党と連合が推薦したが、県労協は紛糾して自主投票となった。対立候補は郡山の佐藤栄作久だ。
 私は自主投票、事実上の佐藤と判断した。何人かから翻意を強要され恫喝もされた。そして、佐藤が当選した。私は不埒な負け戦などはやらないのである。
 佐藤はブルサーマルに反対した、ただ一人の知事であり、東電のずさんな業務を批判して内部告発を奨励した。保安院の独立を主張した。自民党の参議院議員の時は凡としていたが、原発には一家言を持っていた。
 そして、佐藤は収賄で逮捕され、無実を主張して闘ったが有罪となった。難解な事件で、原子力村の策謀が囁かれたものだ。佐藤も異民の一人だったのだろう。


草也

労働運動に従事していたが、03年に病を得て思索の日々。原発爆発で言葉を失うが15年から執筆。1949年生まれ。福島県在住。

筆者はLINEのオープンチャットに『東北震災文学館』を開いている。
2011年3月11日に激震と大津波に襲われ、翌日、福島原発が爆発した。
 様々なものを失い、言葉も失ったが、今日、昇華されて産み出された文学作品が市井に埋もれているのではないかと、思い至った。拙著を公にして、その場に募り、語り合うことで、何かの一助になるのかもしれないと思うのである。 
 被災地に在住し、あるいは関わり、又は深い関心がある全国の方々の投稿を願いたい。

不可思議な国3️⃣

不可思議な国3️⃣

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-14

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