身を嗜む

MK3

身を嗜む

 ある朝、めかしこんだ父がこう言った。
「行ってくる」
 はて、どこへ?
 
 ピシッと身だしなみを整えている。
 ジャケットやネクタイは身に付けていないまでも、
その姿はカジュアルシーンにおける、正装といった出で立ち。
 そんな出で立ちでの外出となると、考えられるのは地区の役員会絡み。
 しかし、会が始まるのは年に数回規模の総会であっても早くて午後、
数か月単位の例会なら夜が定番だ。
 他に何か……好きな演歌歌手のコンサートとか。
 だとしても開場時間が昼前なんてこと、まずあり得ない。

 隣にいる母も不思議そうな顔をしている。
妻でも読めぬ夫の行き先とは、果たして。
「ほだな格好して、どさいぐのや?」
 母が尋ねると、父は真顔でこう返した。
「映画だ」
 さらっとそう答えた。

 亡くなった父方の祖父しかり、
我が家の男は外出となるとTPOに合わせた……
 いや、必要以上に身なりに気をつけ出かけている。
 家から歩いて数十秒、斜め向かいにある床屋へも、
ピシッとよそ行きに着替え出向くほどの徹底っぷり。

 古希を過ぎた今も一人で店を切り盛りする女性店主さんには、
嫁いできた直後から現在に至るまで、母が長年お世話になっている。
 二人が親しくなったのは、旦那さんが母の叔父であるため。
僕からみれば母方の祖母の従弟、大叔父にあたる。
 それゆえ気苦労の多かった祖父母健在時から、
夫婦揃って母に目をかけてきてくれた。
 
 僕ら兄妹も幼少期からかわいがってもらい、
『床屋おんちゃん、床屋おばちゃん』という愛称を使っている。
 大人になった今は『~くん』と名前で気を使ってくれるが、
小さい頃はあだ名であった『まーちゃん』と呼ばれていた。

 散髪をお願いしていたのはもちろん、
夜たまに母がお邪魔する際ちゃっかり付いていき、
床屋に付き物の少年向け漫画雑誌を、
閉店後の店内で読み更けることも多かった。

 そんな長年お世話になってきた床屋も、
大学生となり色気づくと足が遠のき、美容室へ通うようになった。
 在京時、散髪は生活圏内で済ませていた。
 帰省時、おばちゃんの元へ出向くのは東京土産を渡すため。
 縁はどんどん薄くなっていった。

 しかし帰郷後、再びおばちゃんへ散髪を託すこととなる。
 動機はずばり、禿げたため。
 両サイドと後頭部を残すのはオヤジくさくて嫌、スキンヘッドには抵抗がある。
 以上の難癖と我儘から、今では三分刈りの丸坊主が定番となった。

 そんなある日、僕は部屋着で髪を切りに行った。
 するとおばちゃんがこう言った。
「~くん、いくら近所だからって、
格好はちゃんとしてくるものだよ?」
「あなたのお父さん、いつもちゃんとしてくるよ。
おじいちゃんもそうだったし」

 この時初めて散髪する際、
亡き祖父も父も身なりに気を使ってきたことを知った。
 自分が恥ずかしくなった。
 おばちゃんの友達だろうか、
店の端にある待合室のソファに、高齢の女性が座っていた。
 この方も僕が知らないだけで、
我が家のご近所さんかもしれない。
 家名に泥を塗ってしまった……
そんな苦い思いを味わうこととなった。
 
 外見は内面の一番外側、鏡ともいう。
 田舎だから、近所だから、馴染みの店だから。
言い訳はいくらでもできる。
 だが一歩でも家を出ればそこは公共の場。
社会の一員である以上、身も心も引き締めなければ。
 格好つけるならそれができてからだ。

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  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-02-13

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