地球最期の日
僕は砂漠特有の暑苦しさに目を覚ました。いつも風の吹いている、白い家の二階。僕はベッドから出た。
地球上を襲った急激な砂漠化は、たった一つだけ、幸いをもたらした。砂漠に住むことが僕の夢で、その夢が遠い外国へ移り住まなくても実現できるということである。
僕は都会を離れて、誰もいない砂漠のオアシスのそばに一軒だけ家を建てた。周りはいつも風の吹いている、白い家。僕の夢は実現していた。
朝食にトーストを焼く。焼け過ぎたので、遠い都会にいる母の言葉を思い出した。
「焦げたものを食べると癌になるよ」
癌か。でも、そんなことはどうでもいい。今となっては。
どうせ、僕は今日死ぬのだから。いや、正しく言えば、地球は今日死ぬのだ。
何故そんなことが僕に分かるのか。僕は長い長い時間考えてきたが、とうとう答えを得られないまま、今日、地球最期の日が来た。
トーストと簡単な卵料理だけの朝食を終えると、二階の露台へ長椅子を持って行った。
そして、そこに横になって、最期の時を待った。
地球最期の日になって、客がやって来た。鮮やかな水色の髪の若い女性で、切れ長の目の美人だった。
「今日は最期の日ですから、お別れを言いに来ましたの」
彼女は澄んだ声で言った。僕は長椅子を引きずって、家具の一つもない部屋へ彼女を案内した。
「なるほど、お別れだな。地球が死んで、僕も君も死ぬ。でも、その前に出会いの挨拶もして欲しいものだな」
僕は彼女の、深い海の色の瞳を見つめて言った。彼女は微笑むと、長椅子の僕の隣に座った。
「ええ、そうね。はじめまして」
「お初にお目にかかります……でも、どこかで逢ったような気もするけど?」
彼女はただ微笑むだけで何も答えなかった。
「気のせいかな。お嬢さん、僕の名前は……」
彼女は、僕の言葉を遮るように、首を横に振った。
「この世での名前などにどんな意味や価値があるというの?それより、あなたのことをよく知りたいわ」
彼女はとても興味ありげに僕を見た。
僕は他人に自分の身の上を話すような面倒くさい真似は大嫌いだった。
しかし、どうせ僕は(そして、彼女も)もうすぐ死ぬのだし、とにかく、彼女はとても魅力的だった。
「じゃあ、知りたいことを質問してくれ」
青髪の娘に言った。
「なぜ一人で住んでいるの?」
「人間が嫌いだから」
「でも、あなたも人間でしょう?人は孤独では生きられないって言うじゃない」
彼女は不思議そうな顔をして言った。
「僕は特別さ。言うなれば、異端児かな。気違いって言った人もいた。君も僕が気違いだと思うかい?」
「いいえ……でも、あなたは一人ぼっちで寂しくはないの?」
「寂しいよ。でも、僕は寂しいのが好きなんだ」
僕の答えに、彼女は面白そうに笑った。他の連中みたいに、顔をしかめたり、僕を哀れむように首を振ったりせずに。
「やっぱり、おかしいかな。でもね……」
僕はまるっきり無意識のうちに言った。
「二人で住むのもいいな。君がずっとここにいてくれるなら」
僕のその言葉を聞くと、彼女は笑うのをやめてしまった。
「それはできないわ。だって、今日がどんな日なのか知っているでしょう?」
彼女は瞳を曇らせて、悲しげに言った。
「僕と君の出逢いの日。そうとだけ考えよう」
僕は彼女を慰めようとして言った。
「魂は永遠さ。地球が死んだ後でも、君と僕が信じていれば、離されたりはしないさ」
青髪の娘は堅く引き締めた表情を少し和らげた。
「まるで、宗教家か詩人みたいに言うのね」
「そう、僕は詩人なんだ。都会じゃ認められなかったけれど、一つだけ受けたのがあるんだ」
「どんな詩?」
彼女の瞳に明るい色が戻ったので、僕はホッとした。
「〔幻の少女への恋文〕というんだ。自分の夢に出てくる少女を愛してしまった男の話なんだ……」
幻の少女への恋文
光の陰るとき
僕はまた、旅に出る
あの麗しの恋人を見つけるために
限られた夜のうちに
彼女はいつもそこにいる
蝶の吐息をついて微笑み
虹色の光をあびて微笑み
水晶の唄で想いを語る
ただ、僕一人のために
偉大なる光よ
夢の人と現つ人は
永久にめぐり逢わぬ運命なのか
彼女は陽炎のごとき幻の少女
僕は紺碧の大地
やがて、光に満ちる朝が来れば
引き離される悲しきおきて
偉大なる光よ
夢の人と現つ人は
永久にめぐり逢わぬ運命なのか
「悲しい詩」
青髪の娘は言った。
「そうだね」
「あなたは本気で、〔幻の少女〕を愛しているの?」
彼女は唐突に言った。
「詩の主人公は、彼女を愛しているようだね」
「いいえ。答えになっていない。あなたは彼女を愛しているの?」
彼女は僕をからかって聞いているんだろうと思ったが、彼女の目は真剣だった。
(たしかに、この詩は僕自身のことを書いている。そのことがなぜ彼女に分かったのだろう?)
「なぜ黙っているの?本当の気持ちを教えて欲しいだけなのよ」
彼女に顔に不安の色が浮かんだ。僕は答えた。
「彼女を愛している。彼女を失いたくなかったから現実を捨ててきたんだ」
彼女は短く沈黙した。彼女の横顔をじっと見つめているうちに、僕はようやく彼女が誰なのかに気がついた。
「その通りよ、愛しい人」
彼女は僕の考えを察したかのように、微笑んだ。
「その言葉が聞けてよかった。私が毎夜あなたに逢いにきていた〔幻の少女〕なのよ……」
突然、彼女は崩れるように倒れ、僕は彼女の身体を受け止めた。
「しっかりしろ。君……」
僕はまだ彼女の名前を知らなかった。
「アース。それが私の名前よ」
「アース(地球)だって?」
アース嬢は僕の腕に上体をもたせかけたまま、ゆっくりとうなづいた。
「今度は私が自分のことを話す番ね。私が生まれたのはもう四十数億年も昔。私は〔世界〕を見守りながら生きてきたの。生き物が、特に人間たちが誕生してからは楽しかったわ。でも……」
彼女は悲しい目で僕を見た。
「人間たちの〔文明〕は、ゆっくりと私を蝕んでいったわ。海や空や大地は醜く汚れ、他の生き物たちは苦しみながら死んでいった。かわりに、奇妙な石や鉄の塊がどんどん広がっていったの」
アースは咳き込んだ。マグマの色の血が一筋、彼女の口から滴り落ちた。
「私は人間たちに、もうやめて、と何度も叫んだわ。私の震えは大地震となった。私の涙は大雨となった。でも、私は人間を恨んではいないの」
アースは苦しそうに息をしている。
「もう分かったよ、アース。具合がよくなるまで、静かに休めよ」
「駄目よ。今すべて話さなくては。今日が私の生きていられる最期の日なのよ」
彼女は力なく微笑んだ。
「ただ、私は寂しかった。みんな、私を神として崇めてはくれたけれど、誰も恋人のように愛してはくれなかったわ。寂しくて、あなたに語りかけたの。あなたは私を愛してくれた。ありがとう、さようなら」
彼女は目を閉じた。
「アース、なぜ君は人間が憎くないんだ?人間さえいなければ、君はもっと生きられただろうに……」
(偉大なる光よ。せめて死んだ後には僕を彼女のそばにおいて下さい)
その時、太陽が一際明るく輝いたように見えた。
家が激しく揺れ出した。いや、地球が揺れているのだ。とうとう、地球最期の時がやってきたのだ。
「死よ。早く訪れてくれ。僕は彼女の崩れる姿は見たくない……」
宇宙に浮かぶ、青水晶のような星。美しく、孤独な地球。その星が、今、消える……
僕は一体、今どこにいるのだろう?そして、何が起こったのだろう?
まるで長い夢を見た後のように、頭が晴れない。しかし、僕はここを旅立つつもりだった。
いつも風の吹いている、白い家を出て、僕はどこへ行くのだろうか?
「ずっと、遠い所よ」
アース嬢は、僕のすぐそばにいた。
そう。僕は彼女を連れて、旅に出るんだ。
「そうだったね。さあ、急がなくては」
しかし……彼女が〔世界〕を監視していたから、人間たちは生きていられたのだ。もし、彼女が去り、地球が人間の世界を見守ることをやめてしまったら、人間は滅びてしまうのではないか?
「何をしているの?早く行きましょう?」
「アース。地球である君が行ってしまったら、世界はどうなってしまうんだ」
彼女はじっと僕の顔を眺めて、クスクスと笑い出した。
「地球?何の話をしているの。きっと、変な夢を見たのね」
夢だったのか、それとも、彼女が自分のことを忘れているのか。
いずれにせよ、〔世界〕や人間たちは、僕を追放して、地球をさんざん苦しめてきたのだ。連中だどうなったって気にしてやる必要はない。
僕とアースは、静かな砂漠を歩き始めた。
地球最期の日