ファインダー越しの軌跡

ごめん、そんな約束、僕には守れない。


「自由に動いていいよ」


僕は彼女にそう言うと、ファインダーに集中する

いつものやりとりだ

作った表情ではなく、自然な、素の表情が撮りたい

毎日の中で、ふたりで過ごす時間の中で
僕だけに見せる表情が撮りたかった

彼女が病気になった時からは強くそう思うようになった

ファインダー越しから伝わる、彼女の生気

それは日に日に弱くなっていた

毎日撮る、それは僕にとって日課であるとともに
彼女の経過観察でもあった

医者からの外出許可が難しくなってきた頃
彼女が海に行きたいと言った


彼女は車椅子からゆっくりと立ち上がり
波打ち際までそろりそろりと歩いた


「自由に動いていい?」

彼女がそう言った


動く というにはとてもおぼつかないものだったが
それでも

「いいよ」

と、ファインダーを覗く


すると彼女がゆっくり走りだした


裸足で砂浜を蹴り
海からの風を全身で受けながら
とても気持ちよさそうに
とてもうれしそうに
声をあげて笑っている

こんな表情はしばらく見ていなかった

心配する気持ちを持ちつつも
僕はファインダーに集中した
何度もシャッターを押した
彼女が滲んで見えなくなっても
僕は何度も、何度もシャッターを押した
彼女は、とても綺麗だった

それからしばらく経つと、彼女はベッドから起き上がれなくなった

「もう撮らなくていいよ」

と彼女は言った

「もういいんだよ」

と彼女は言った

その日、僕は彼女にひとつ約束をさせられた



1カ月後

彼女の棺の前に僕は居た

彼女を映したデータを手に持ちながら
未だ棺に入れられずにいた

彼女との約束
「私が死んだら私のデータをすべて残さず棺に入れて」

ごめん・・・
そんな約束、僕には守れない
彼女と過ごした日々を
彼女のひとつひとつの表情を
ふたりで居た証を
失うなんて、僕には出来ない


棺の前から一歩も動けない僕を見て、
彼女の母親が、僕の手からそっとデータを取った

「あの子の最後の愛情だと思うんですよ。
あなたに、生きてほしいから。歩いてほしいから。」

そう微笑みながら、僕の代わりにそっと棺に入れた

祭壇には、あの日海で笑っている彼女の顔が

「生きて。歩いて。」

と、そう僕に言っているようだった

僕の記憶の中にだけ、彼女が残したたくさんの表情がある

僕はずっと、歩き続ける

彼女の分まで。彼女と共に。

ファインダー越しの軌跡

ファインダー越しの軌跡

  • 小説
  • 掌編
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-11

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