日曜日のくじら

 シアン色の空には、小鳥と、透明なくじら。
 白い、りんかくだけの、まるで線画のような、くじらが泳ぐ日は、ふしぎと、街が、おだやかな空気に満ちて、図書館の、談話室の、窓際のテーブルから、たまごサンドをたべながら、そんな日の、街の様子を、みている。
 快晴。
 ひざしはあたたかく、春の陽気、にも関わらず、気分が晴れないのは、きっと、これのせいだねと、苦々しく微笑む、せんぱいの、左手に巻きついた、深緑の蔓と、ちいさな赤い薔薇。ぼくは、図書館で借りた、じょうずな薔薇の育て方、という本の表紙をなぞり、せんぱいを憂鬱にしている原因である、左手のそれが、どうか永遠に、せんぱい、という苗床に、棲みついていてほしいと、願っている。
 赤い薔薇は、せんぱいの、血を吸ったかのように、赤々として、指の上で花開いている。
 ゆびわみたいだと思うと、どきどきしてしまう。こわいくらいに。
 薄茶色の、せんぱいの髪が、太陽の光を浴びて、かがやいている。きれいだ。きれいだ、という、ありふれた感想しか述べられないのだが、余計な言葉は必要ないほど、せんぱいは、きれいだ。ひとつ七十七円の、紙パックのカフェオレを飲んでいても、絵画のなかのひとのようだ。
 なんだか悪意を感じるよ、その本。
 せんぱいが、ぼくの借りた例の、じょうずな薔薇の育て方、という本を一瞥し、口角を緩やかに持ち上げたまま、みじかい溜息を吐く。
(吐息も、薔薇の香りがするのだろうか)
 そんなことを、ぼくは想いながら、たまごサンドを、はぐはぐとたべている。
 日曜日の午後の、図書館の談話室は、貸し切り状態で、ぼくと、せんぱいしかいなくて、売店のおばさんは、カウンターの向こうの椅子に座ったまま、うたたねをしている。時折きこえる、ぶーん、という音は、ジュースを冷やしている冷蔵庫の音で、空を泳ぐ、シアン色に染まったくじらは、きまぐれに、おおきく、旋回をする。
 みえるはずのない水しぶきが、みえる。

日曜日のくじら

日曜日のくじら

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-11

CC BY-NC-ND
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