ふくらみ、はじけて

あおい はる

 きのうのことは、もう、わすれました。
 お正月のおもちが、まだ残っていて、あ、おしょうゆをつけて、海苔を巻いて食べよう、と思ったときに、一瞬だけ、きのうの、やまださんの顔を、思い出したけれど、すぐに、あたまのなかは、おもちに、支配されました。オーブントースターにて、約四分、焼けたら一分ほど、おいてください。
 やまださんは、駅のひとで、いまどきめずらしい、切符を切るタイプの、駅のひとで、やまださんの、あの、純白の手袋、使い込んで、何度も洗濯をしたような、やや毛羽立った感じのある、手袋に覆い隠された、やまださんの手のことを、ぼくは、ときどき、想像している。指の、正確な長さ、太さ、形、関節のふくらみ、爪の様子、手の甲の、血管の浮き出方、などを。テレビをつけると、世界は、きょうも、かなしみと、怒りに、満ちていて、みんな、きっと、やさしさとか、愛なんかを、求めていると思うのです。たとえば、それが、上っ面だけの、偽善だったとしても。
 赤々と色づく、オーブントースターのなかで、おもちの切れ込みから、おもちのなかみが、次第に、あらわになっていきます。白い膜のような、それが、皮を突き破り、あらわれる様は、なんだか、すこし、こわいようにも思える。おもちに、カフェオレ、という組み合わせは、なかなか悪くないので、スティック状の、インスタントの、カフェオレを、マグカップにあけて、電気ケトルで沸かした湯を、注ぎます。やまださんには、きのう、恋人はいますか、と、たずねました。ぼくのことを、やまださんは、通学定期券ではなく、わざわざ切符を切らせる学生客と、認知していたはずです。あいさつをかわす、顔見知り程度の、つまりは、一駅員と、ただの客、という間柄でありながら、不躾に、恋人の有無をたずねたとき、やまださんは、一瞬、おどろいたように、目を丸くしたあと、困ったように、けれど、どこか、照れくさそうに、あはは、と声を出して、苦笑いを浮かべました。
 チン、という音と共に、オーブントースターのなかの赤みは失せ、室内灯を消したときのような静けさを、たたえた。一分ほど、おいてください。あはは、という返事だけで、恋人の有無は、結局、わかりませんでした。帰ってきたときも、やまださんは、なにごともなかったように、おかえりなさい、と言い、けれども、その微笑みは、やはりどこか、困惑が滲んだものでした。扱いに困る、という感じの。
 もちろん、困らせたいわけではなくて、純粋に、(純粋?)、まぎれもなく、とは断言できないけれど、決して、困らせたり、不快にさせたりするつもりはなく、それは、やはり、純粋に、素直に、やまださんのことが、気になるからなんですよ。
(と、いう前置きをしていれば、)
 
 ぷくりとふくらんだおもちが、わずかにしぼんで、一分。六十秒。ぼくが、乱暴に、オーブントースターをあけたら、いびつにふくらんだおもちが、ちいさくはねた。

ふくらみ、はじけて

ふくらみ、はじけて

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-02-08

CC BY-NC-ND
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