宗派の儚2️⃣
宗派の儚2️⃣
-教団設立-
夏の家に潜んだ二人は房事の限りを尽くした。そして、すぐに敗戦となり戦争は終わった。盛夏の正午だった。しかし、山脈の深奥の狭隘な部落はひっそりと佇んでいて、何一つ変わらなかったのである。ただ、夏だけが激変した。
草也は夏に般若信経と幾つかの経を暗唱させて陰陽五行を教えた。夏はその全てをすらすらと飲み込んだから、草也は、時々で、その利発に感服する。草也はあの占い女をなぞっていて、秋の中頃には夏はその域に達した。そして、草也は刑務所の中で、長年、夢想していた宗教団体の構想を完璧に整えた。すると、もはや、二人にとってこの地に留まる理由は何もなかったのである。
僅かの間に生涯分程の閨房を重ねて、絆を契ったと確信したにも関わらず、二人はそれぞれが重大な秘密を隠し持っていた。
草也は過去の一切を夏に語らなかったのである。
そもそも、草也とは何者なのか。某地の醤油屋の次男である。幼年から野球一途で、某私大に進むと野球部のエースピッチャーだった。三年の時に仲間の喧嘩の仲裁に入って相手方の一人を殴り倒した。その男が数日後に死んだ。傷害致死の判決を受けて服役し、勘当された。
四四年の冬の恩赦で出獄して流浪の最中、北国の寺に身を寄せた。その住職は欲の権化で、高利貸しをすりばかりか、女に出鱈目な占いをさせて、夜毎、凌辱した。たまりかねた女が坊主を殺害し、目撃した草也と交合して口止めを懇願した。草也は女と共に死体を埋めた。そして、女に五〇〇万を貰って逃亡したのだ。そのあてどない放浪の峠越えに、夏と出会ったのである。
あの貴子という占い女はどうなったのか、と、時折、忌まわしい記憶が草也の脳裏をよぎるのであった。
それでは、草也との閨房の時々に夏が喘ぎながら語った、「本当の事」とは、事実なのだろうか。
そもそも、女という生き物は、挿入をされながら男にどれ程の真実を告白するのか。いったい、交接は真実の発露なのか。草也と夏の情事は真実を証明する証拠だったのだろうか。
釈迦は嘘を人間の根源の罪として厳しく戒めた。だから、そもそも、嘘は人間の根源を形成しているのではないか。嘘は事実を遥かに越える虚偽と装飾で人を形成して、真実を覆い隠すのではないか。
事実、夏には絶対的な秘密があったのである。
夫が戦死して間もない四四年の夕間暮れに、夏と義父が同衾しかけたところを、旅の青年に目撃された。曲解した青年が裸の義父を夏から引き剥すと、打ち所が悪く義父は即死してしまった。豪雨の夜半に激流に義父を投棄して、狂おしい抱擁の果てに青年を逃がしたのである。義父は数日後に発見されたが、事故死で処理されたのであった。この秘密は絶対に知られてはならない事だった。
「あの青年は悔悟に苛まれてはいないだろうか。せめて、事故死で処理された事を知らせたい」と、夏は偲ぶのである。
あの占い女とその青年が邂逅カイコウして、お互いの秘密を隠したまま四年間を同衾し、秘密を守るために女が自裁するなどとは、夏には知る所以もなかったのである。
慌ただしく採り入れを済ませた二人は焦土の首府に立ち、下町に焼け残った一軒家を借りて、「親鸞顕彰会」の看板を掲げた。その脇に、「困り事無料相談」の札が下がった。こうして、二人は、いよいよ、その存在を世間に明らかにしたのである。
何人目めかの女の客に夏は占いを施した。暫くして、占い通りの結実を得て歓喜した女が、幾人もの知り合いを引き連れて来るなどして、程なく、二人は盛況を迎えた。新聞広告も多いに効果があった。
-金蛇経-
教団設立間もなく、地元のある区会議員の妻が入会した。蓉子といい、五十前の豊満な女だったが、狐顔で草也の趣味ではなかった。蓉子は夏の説教にいたく感銘して、宗派の教義こそが求めていたものだと、強く共鳴した。蓉子はある小さな新興宗教を脱会したばかりだと言う。熱心に通いつめ、その都度に入会希望者を同行した。その中には優れた者も多く会の草創に寄与した。しかし、夏は蓉子の言動に不純があると、渇破していた。
ある時、蓉子が極秘で相談があると、草也を誘った。とある昼下がりに自宅を訪ねると、奥まった家に女は一人だ。夫は視察で不在なのだと言う。女は浴衣である。夫の愚痴をひとくさり言うと泣き出した。草也の脇に座り直して、しなだれる。来春に迫った三度目の苦しい選挙情勢や、夫の不甲斐なさをなじった後、草也の手を握って切り出した。「実は選挙資金も厳しいの」続けて、「会も益々のようだし、こう言うのも何なんだけど、私も随分と貢献していると思うの」「選挙資金をご協力いだけないかしら?」と、懇願するのである。草也は不粋な女だと思った。この議員に献金したところで、教団には何の利益もないではないか。すこぶる評判の悪い男だったのである。
ただ、無下に断るわけにもいかない。草也は女の状況に同意したり、政治活動を禁じている教義で釈明したりしながら、一計を案じた。「そういうわけで資金の協力はできかねるが、ご恩には報いなければならない。貴方の苦しい心情も救済したい。ところで、古代仏教の秘法に金蛇経というものがある」と、切り出すと、女が金蛇教の詳しい教えを望んだ。「通常なら五十万の布施を頂くものだが、あなたに限っては、特別に功徳しよう」と、言うと、蓉子は動揺の色を示していたが、しばらくの沈黙の後、「よろしくお願いします」と、頭を下げた。それしか取り繕うすべがなかったのか、ただ信じたのか、欲望なのか、草也は計りかねた。「いいですね。釈迦に伝わる上代の救済秘法なのですよ。洩らすと地獄に堕ちますよ」と、念を押すと、女は深く頷いた。
草也は西を向いて経をあげた。そして、経を続けながら立ち上がり、すばやく全裸になった。一物をしごくと忽ちに硬直して、草也の手を離れて天を仰ぐ。草也は経をとなえ続ける。座って見上げる蓉子の視線が釘ずけになっている。程なくして、草也に促された蓉子が男の足元に座した。草也が、大きく開けた女の口に触れる事もなく、口中に射精した。大量の精液を、むせながらも、女が飲み込んだ。蓉子の裾は乱れて太股があらわだった。弛緩し切った肉だった。短い説法の後に、股間に手を落とし呆然と座る蓉子を残して、草也はうやうやしく辞したのだった。
その後、蓉子からの相談は途絶えた。教団がさらに拡大すると、この女の存在感は薄れた。夫はかろうじて当選したが、間もなく収賄不祥事で議員辞職に追い込まれると、蓉子は人知れず地方に転居したのであった。
その後、草也はこの出鱈目な「秘法」を何度か駆使したのである。
-勃興-
一九四七年の暮れには、会員は一万に達しようとしていた。
組織形態を更に整えると、拡大はいっそう加速の兆しを見せた。
夏は会長、草也が事務総長として一切に辣腕を奮った。そして有能な人材も育ちつつあった。この頃は、既に、山の手に手頃な施設を構えるまでになっていたが、教団の資力というよりある会員の好意によるものだった。
月の収入は二千万を越えたが、救済の実務をする専従職員の確保を最優先にした。この時、専従職員はニ十人になっていた。
二人の生活は清貧だった。二人は組織運営の哲学として、生活は質素を肝要とした。慢心を慎んだのだ。草也は自分の車は持たなかった。ただ、背広とシャツ、靴は夏に従って、それなりに仕立てた。草也の背は一八〇センチあり体重は八〇キロ。いつもは作務衣だったが、夏は草也の背広姿に惚れ惚れと見入った。当時、売り出し中の映画俳優の赤木圭次朗よりいいと、夏は言った。
草也はヘビースモーカーで両切りのピースを好んだ。ウイスキーはニッカ一辺倒で酒豪だ。食べ物に好き嫌いはない。何かを身に着けるのが嫌いで、もちろん、時計も、財布すら持たない。低い声で、ある地方の特徴的な訛りが所々に出る。特別な趣味は持たなかったが読書家だった。歴史、哲学書、仏教一般、釈迦、法然、親鸞と、ことごとくの書物を読破して、知的好奇心が旺盛だ。書くことが好きで、仕事に関するものはもちろん、俳句、短歌をし、詩も書いた。
夏がすすめた鼻髭が良く似合った。その体躯、風貌からして、三十の青年にはまるで見えなかったであろう。
「君子豹変す」「常に準備せよ」この警句を重視した。
草也の性の趣向は夏しか知らない。そして、その過去は誰も知らなかったのである。
夏は、さらに、豊潤な魅力を輝かせて、時には妖艶ですらあったが、倫とした佇まいは凄みすらあった。そして、既に神格化されていたのである。
あらゆる不安を包み込むたおやかさ、すべての惑いに共鳴する艶やかな声。ルノアールの絵から抜け出たような女なのである。
夏は贅沢は一切望まなかった。しかし、草也の食事と身なりにだけは心を配った。
普段は紫の作務衣しか着なかった。化粧も薄かった。宝飾は一切しない。食事も質素だった。広くもない庭を掘り返し野菜を作った。出来る限り会員と食事を共にした。こうした姿勢が会員の信頼をさらに増したのである。
特別な時は、白絹の一重に紫の羽織と袴。肩までの髪を金のしおりで束ね紫の鉢巻きを巻く。占いはもうしない。
二人は、やはり、ある会員の好意で、施設と地続きに自宅を構えたが、借地、借家である。年代を経たものだっから、台所は夏のために、風呂は二人の秘め事のために改装した。入浴を共にするのが二人の日課だった。二人の性愛は何一つ変わらなかった。むしろ濃厚になっていくのである。二人は風呂で小便をしあうのが好きだった。
-代議士の妻-
代議士の邸宅は、とある高級住宅街の奥まった一角にあった。戦時中は高級官僚として働き、戦後、国会議員になった代議士の、その妻の依頼で法事を行うのだ。
草也が読経を始めと、低く力のある声が朗々と流れる。しじまに草也の声だけが響き渡る。暫くすると、妻を不思議な感覚が襲う。全身の神経が優しく痺れる感覚だ。意識が朦朧としてくる。そして下半身が熱い。ほてっている。
読経が止んだ。妻が茶をいれると、ソファに座った草也がぎこちなく溢して、僧衣の股関が濡れた。草也が立ち上がり妻が拭く。硬直した肉の感触が妻を撃った。妻にはあの痺れる感覚が、未だ、まとわりついていた。草也を見上げると、頷いた。白日の夢の中の出来事なのか、と、女は思った。
草也が僧衣をたくしあげ、妻が草也の下着を引き下ろすと、揚揚たる隆起が暴れた。二人は秘密保持を確認して交合した。草也がこの時に行ったのが咽淫法という秘術で、北国の山中である修行僧から会得したものである。草也には目的があった。妻は承諾した。
後日、草也は代議士に呼ばれた。「女房から聞いてる」「若いのにたいしたもんだ」「わしの選挙をやってくれんかね」と、小太りの代議士は台詞の様に言い回した。草也が承諾すると、「望みは何かね?」と言う。「宗教法人の認可にご尽力を頂けないでしょうか?」と、懇請すると快諾した。こうして、代議士の妻はその務めを、存分に果たしたのだった。
-女優-
ホテルの一室で、女優と草也はウイスキーのオンザロックを飲んでいる。
草也が考えていたより小柄で清楚な女だった。青いワンピースに小粒の真珠のネックレスを着けただけだ。ただひとり信頼するお手伝いの女が、倫宗の熱心な信徒だったのだ。今や、女優は一介の悩める相談者に過ぎなかっが、凛として誇りを失ってはいない。だが、これも特有な演技なのかと、草也は疑った。
女優が話し始める。気丈なのか。涙も見せずに、自らの心理の情景を絵描きのように描写するのだった。
女優は苦悶していた。雑踏で見いだされて初主演での絶賛、興行の成功、海外での受賞、何もかもが衝撃のデビューだった。だが、監督との醜聞が報道され、突然の結婚も短期間で破綻して、立て続けの艶聞も発覚した。裏切りや人間不信。作品の失敗。酒に逃げていつしか溺れた。
「救われるのかしら?」「どうしたら楽になれるのかしら?」と、女優の瞳が草也にすがる。
草也は「金蛇法」と言った。草也の淡々とした説明に、女優の見開かれた目が驚愕する。草也を凝視し続けて、怒涛のような沈黙が長く続いた。熱い視線を草也が涼やかに受け入れる。視線が絡まる。そして、女優はついに頷いた。
草也の低い読経が続いて、暫くすると、女優は真裸になってベッドに横たわった。雪国の肌に陰毛が森を繁らせている。滑らかな丘に縦に切れた臍。椀を伏せた乳房。赤い乳首。
読経のなか、足を開いた女優に草也が挿入した。そして、女の全てを解放した。読経の高まるなかで女優は悶絶し果てた。
この女優が芸能界布教の先駆けとなった。草也は女優の求めに応じて金蛇法を施術したのである。
-認可-
翌年の春、予カネて、申請していた宗教法人認可の許可を得た。宗派名を、「倫宗」とした。翔子を代表として、「同胞(ハラカラ)総代」と称した。女性信徒達は、「姉様」と慕った。草也は、敢えて、無役となった。「親鸞顕彰会」は残したが、ここからも草也の名を外した。すなわち、表だった活動の一切から草也の名が消えたのである。実際は、重要な決済には関与もしたが、翔子の判断はいつも的確だった。
草也は執筆に専念することとしたのである。まず、「親鸞論」を脱稿して、「草也」の名で上梓した。会員から熱烈な評価を得た。草也は「草也先生」と呼ばれるようになった。そして、秘められた草也の野望が育っていた。
草也は役職からも外れて、一切を無給とした。この時、会員は一万であった。出版部をつくり、ニ万部を発刊する。一冊ニ千円。売上は四千万。印税として草也にニ千万。年五冊で一億。これが草也の独自の資金であった。会員が増えれば自動的に増えた。草也の著作は教団の必読書なのである。
-草也の本音-
草也が夏に言った。「日本のあの時のあの状況はおぞましい限りだった。原爆が投下された○○(長崎)や○○(広島)、唯一の地上戦の舞台となった○○(沖縄)。この首府の空襲。無謀な殲滅戦。特攻隊。そうして、ニ〇〇万もの国民が死んだんた。殺されたんだ」「それなのに、どうだ。戦争裁判で何人かが責任を取らされたが。最高責任者の御門はどうだ?一瞬に、神から人間に衣替えしたばかりか、薄笑いでへらへらと行幸しているではないか。俺は絶対許さない」「開戦は軍部の圧力でやむを得なかったなどと責任を転嫁して憚らない卑劣な…。あの戦争は確信してやったんじゃないのか。勝つと信じて国民を殺したんだ。情状酌量などない。御門こそを死刑にしなければならないんだ。俺はそう思う。しかし、決して、そうはならないだろう」「俺達を裁くのはこの国の法律だ。しかし、俺はこの国を認めていない。だから、新しい国を創る。その為に教団をつくったんだ。いわば、俺の教団は新しい国なんだ」「教団には法がある。俺はこの法に従う。だから、この国の法律には従わない」「しかし、俺たち自身の法律、すなわち教団の法律には従わなければならない。すなわち、釈迦の教えだ。悔い改める、肝心なのはこの事だ」「悔い改めればすべてが許されるんだ」夏は深く頷いた。
草也
労働運動に従事していたが、03年に病を得て思索の日々。原発爆発で言葉を失うが15年から執筆。1949年生まれ。福島県在住。
筆者はLINEのオープンチャットに『東北震災文学館』を開いている。
2011年3月11日に激震と大津波に襲われ、翌日、福島原発が爆発した。
様々なものを失い、言葉も失ったが、今日、昇華されて産み出された文学作品が市井に埋もれているのではないかと、思い至った。拙著を公にして、その場に募り、語り合うことで、何かの一助になるのかもしれないと思うのである。
被災地に在住し、あるいは関わり、又は深い関心がある全国の方々の投稿を願いたい。
宗派の儚2️⃣