宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十一話

まえがきに代えたこれまでのあらすじ及び登場人物紹介
 金子あづみは教師を目指す大学生。だが自宅のある東京で教育実習先を見つけられず遠く離れた木花村の中学校に行かざるを得なくなる。木花村は「女神に見初められた村」と呼ばれるのどかな山里。村人は信仰心が篤く、あづみが居候することになった天狼神社の「神使」が大いに慕われている。
 普通神使というと神道では神に仕える動物を指すのだが、ここでは日本で唯一、人間が神使の役割を務める。あづみはその使命を負う「神の娘」嬬恋真耶と出会うのだが、当初清楚で可憐な女の子だと思っていた真耶の正体を知ってびっくり仰天するのだった。



金子あづみ…本作の語り手で、はるばる東京から木花村にやってきた教育実習生。自分が今まで経験してきたさまざまな常識がひっくり返る日々に振り回されつつも楽しんでいるようす。
嬬恋真耶…あづみが居候している天狼神社に住まう、神様のお遣い=神使。一見清楚で可憐、おしゃれと料理が大好きな女の子だが、実はその身体には大きな秘密が…。なおフランス人の血が入っているので金髪碧眼。勉強は得意だが運動は大の苦手。
御代田苗…真耶の親友。スポーツが得意でボーイッシュな言動が目立つ。でも部活は家庭科部。クラスも真耶たちと同じ。猫にちなんだあだ名を付けられることが多く、最近は「ミィちゃん」と呼ばれている。
霧積優香…ニックネームは「ゆゆちゃん」。ふんわりヘアーのメガネっ娘。真耶の親友で真奈美にも親切。農園の娘。真耶と同じクラスで、部活も同じ家庭科部に所属。
嬬恋花耶…真耶の妹で小三。頭脳明晰スポーツ万能の美少女というすべてのものを天から与えられた存在だが、唯一の弱点(?)については『宗教上の理由』第四話で。
嬬恋希和子…真耶と花耶のおばにあたるが、若いので皆「希和子さん」と呼ぶ。女性でありながら宮司として天狼神社を守る。そんなわけで一見しっかり者だがドジなところも。
渡辺史菜…以前あづみの通う女子校で教育実習を行ったのが縁で、今度は教育実習の指導役としてあづみと関わることになった。真耶たちの担任および部活の顧問(家庭科部)だが実は真耶が幼い時天狼神社に滞在したことがある。担当科目は社会。サバサバした性格に見えて熱血な面もあり、自分の教え子が傷つけられることは絶対に許さない。無類の酒好きで何かというと飲みたがる。
高原聖…真耶たちのクラスの副担任。ふりふりファッションを好み、喋りも行動もゆっくりふわふわなのだが、なんと担当科目は体育。渡辺とともに木花中の自由な校風を守りたいと思っている。
池田卓哉…通称タッくん。真耶のあこがれの人で、真耶曰く将来のお婿さん。家庭科部部長。
篠岡美穂子・佳代子…家庭科部の先輩で双子。ちょっとしたアドバイスを上手いことくれるので真耶達の良い先輩。
岡部幹人…通称ミッキー。家庭科部副部長にして生徒会役員という二足のわらじを履く。ちょっと意地悪なところがあるが根は良いのか、真耶たちのことをよく知っている。
屋代杏…木花中の前生徒会長にしてリゾート会社の社長令嬢、キリッとした言動が特徴。でもそれとは裏腹に真耶を着せ替え人形として溺愛している残念な部分も。しかし性格が優しいので真耶からも皆からも一目置かれている。
(登場人物及び舞台はフィクションです)

 ちょっと遅めに起きた朝、廊下で真耶ちゃんと出くわした。同じ屋根の下に住んでいれば普通のことだ。が。失礼なことに私は思わず噴き出してしまった。
「ぶっ! なにその顔!」

 スポーツの応援とかでよくフェイスペインティングってのをやるけど、それを通り越し、顔全体を緑に塗ったくっている。お笑い番組とかで時々ある感じのやつ。ついついツボに入って、くっくっく、とやっていて内心怒られるかとも思っていたが、
「似合います?」
と、予想外の答え。横から花耶ちゃんも現れて、
「似合う?」
と。そしてこれまた緑に顔を塗っている。これまた笑ってしまったのが、この反応はかえって上々のようだ。それにしても…。
「いったい、何が始まったの?」

 「お待たせー! うわっ、もうメイクしてるの? 相変わらずふたりともノリノリだなぁ」
突然現れたのは屋代さん。いや私が寝ていて気づかなかっただけか。私のきょとんとした顔に気づいた屋代さんが、事情を説明してくれた。
「おはようございます。あ、なんでこんなことしてるのかって思ってるでしょ? 実は、年賀状の撮影なの」
年賀状。ああ、十月だからちょっと早いけど、年末に近づくと印刷屋さんも混雑するし、今のうちに準備しておくのは悪くないかも。でも、真耶ちゃんと花耶ちゃんのこの顔…。
「ちなみに、これ今までの年賀状。ほら」
と、屋代さんがトランプの手札を広げるようにして見せてくれた歴代年賀状の数々を見て、私は不覚にもまた笑ってしまった。

 「こうやって毎年、あたしたちが干支に変身して写真撮るんですよ」
活き活きした顔で解説する真耶ちゃん。撮り始めたのはキリが良くねずみ年から。翌年の丑年あたりから着ぐるみのボリュームが増し、鼻輪をつけるなどお笑い要素が増えてくる。そして、
「これがいわゆるエポックメイキングな寅年」
と言って屋代さんが左から三番目のハガキを抜いて見せてくれる。収まりきらなかった笑いがまた激しくなった。
「どうせなら顔も塗ったほうが楽しいし、動物っぽいじゃないですか」
真耶ちゃんと花耶ちゃんの顔が黒と黄色のトラ柄にペインティングされている。そしてハガキの中から、ノリノリの雰囲気が伝わってくる。これ以降ウサギ、今年の辰といったふうにシリーズは続き、来年の巳年に備えたヘビの衣装が準備できているというのだ。
 ちなみにすべては屋代さんのご好意によるもの。貸しスタジオを押さえているというかそこはお金持ち。お屋敷の中に写真室があってそこを使うのだそうだ。
「普段は会社の製品とか撮ってるんだけど、毎日使うわけじゃないし」
と言う屋代さんが一番楽しそうだが…車が用意してあるからってことで三人はそれに乗り込む。私もスタジオ見学を勧められたが、楽しみはあとにとっておきたいと断った。
 本当の理由は、現場に居合わせたら笑いで腹筋が持ちそうにないからなのだが…。

 久しぶりに学校に顔を出してみれば、いつになく校内の雰囲気が良くない。ピリピリとかギスギスとかではないが、どうにも穏やかではない雰囲気が感じ取れる。
「ハロウィン休み今年からナシってどいういうことよ?」
「村の伝統っしょ? 伝統をどうたらこうたらっていう文部科学省の方針に反乱でも起こすつもりなの?」
生徒たちの言葉の端々に、批判的な口調が目立つ。たまたま居合わせた苗ちゃんに事情聴取。
「あああづみさん、ちょっと聞いてよ! 今年からハロウィンが休みじゃなくなったの!」
ハロウィン。確か十月三十一日がその日に当たるはずだ。でも。
「その日って、祝日とかじゃないよね?」
私の問いは愚問に聞こえたようだ。苗ちゃんはちょっとムッとした顔で、
「木花では休みなの!」
と。

 「ああ。木花の小中学校ではハロウィンも休校にするのが慣例だったからな」
むくれた顔の苗ちゃんと一緒に家庭科室に行くと、すでに渡辺先生が座って雑談をしていた。こちらでも話題はもっぱらハロウィンのこと。
「というか、二学期になってから発表ってずるいでしょ! 年間計画表に毎年載せてないのを逆手に取るなんて!」
苗ちゃんと同じく憤っているのは篠岡佳代子さん。ハロウィン休みはあくまで「慣例」であり、木花村独自のものなので年間計画表では登校日扱い。そのかわり夏休み前の終業式を計画表より一日延期させることで授業日数を調整していた。
 そんな手の込んだ事をいちいちしていたのも、数年前からそのへんの監視が厳しくなったためだという。もともと授業日数はちゃんと確保するよう休みを配置していたからその点で問題はないのだが、周りの市町村でやっていないことを木花村だけやるのはどうか、という意見が村議会で出てきて、それによって学校側が建前上の計画表をいじることで逃れていたのだった。
 「ところが、だ。例の奴らが、な」
奴ら、と渡辺先生が言うのは教頭先生を始めとする一派。もともと自由な雰囲気が特徴だった木花中に、管理と統制を持ち込もうとしている張本人。彼が中心となってこれを問題視。そして二学期になってから、
「十月三十一日も平常通り授業を行う」
と発表したのだった。
 「反対するスキを与えないってのがズルい! ムカつく!」
「だな。やり方が卑怯だ。まあ正当な手続きでやってきても当然反対するけどな」
本来なら、教師を批判する苗ちゃんをたしなめる立場であろう渡辺先生も同調する。
「まぁあの人達のやり方が気に食わないのもあるが、これは木花村の伝統であり文化だからな。それを尊重する教育をせよ、というのが文科省のお達しだろ? それに反するのはおかしいじゃないか」
以前も問題になったが、文部科学省は「伝統と文化の尊重」という方針を学校教育に取り入れようとしている。そしてこの中学校にある自由な雰囲気は木花村の歴史が育んできたもの。いろんな国の人々が移り住み作られたこの村。だからいわゆる日本の「伝統」とは異なった伝統が根付いた。もちろんおおかたの日本人がそうだと感じる「伝統」にこだわる人にとっては面白く無いだろう。そしてその筆頭が教頭先生であり、主任先生だ。
 幸いなことに、校長先生は村のリベラルな雰囲気を尊重してくれているので教頭一派の暴走は抑えられている。ただリベラルだからこそ教師たちの意見を尊重し民主的手続きを経て物事を決定する必要があり、そうすると教頭や主任の反動的意見も取り上げざるを得なくなるというパラドックスに陥る。渡辺先生や高原先生は言うまでもなく木花村に花咲いた自主自立の精神を強く支持するが、多くの教師は日和見的だし、場合によっては教頭側についたりもする。そして今回教頭サイドの多数派工作が功を奏し、ハロウィン休みは廃止となってしまったのだった。

 「でもハロウィンってそんなにこの村に根付いて…ってああ、そうですよね」
村の人口の中の結構な割合で欧米に先祖を持つ人が住まう木花村。ハロウィンという習慣が普通に行われていて何の不思議もない。
「そう。それこそ何十年って歴史があるの。戦争で一時途絶えたみたいだけど、それだけ長い伝統行事ってことよね」
今は夕食の時間。希和子さんは私の愚問にも丁寧に答えてくれた。戦争で中断、ということは戦争が始まる前にはすでに行われていたということ。昭和のはじめにはすでにその習慣があったという記録が残っているそうだ。
「希和子さんが学生の頃も、ハロウィンは休みでしたか?」
「当然。みんな気合入れて準備して、本番ははっちゃけたのなんのって。だから木花の大人にとってはいい思い出だし、それを休みでは無くするというのには反発も大きいのよ。もっとも」
希和子さんが、カレンダーを横目で見ながら言った。
「ウチはその準備だけしてるわけじゃないんだけど、ね。というか、ひとつお願いしようと思ってたのよ」

 紅葉真っ盛りの木花村。標高が高いので当然その進みは平地より早く、山の上の方にはすでに落葉を終えた木々が見える。秋。目に美しい紅葉もさることながら、作物の豊かな実りに恵まれた季節。
 渡辺先生が、久しぶりに天狼神社にやってきた。
「よっ」
特定の生徒の家に頻繁に訪れるのは公平ではないという理由で神社への訪問を自制している先生であるが、たまに希和子さんが氏子のお宅からお酒を貰ったりするとすぐさま連絡が行き、それに応じてすぐ飛んでくる。でも今日はそういう理由ではない。
「フミ姉おひさー。つか毎年ありがとうね?」
「あー気にすんな。あ、でもこっちのご相伴(しょうばん)に預かれるというなら遠慮はしないぜ?」
「分かってるってば」
右手で(さかずき)をつまむポーズをする渡辺先生と、苦笑する希和子さん。なんだかんだで飲むことに変わりはないらしいが、メインはあくまで神社のお手伝いなのだ。
 秋といえば神社にとっては重要な季節。多くの神社では、収穫の喜びと感謝の気持ちを神様に伝えるべく祭りが行われる。天狼神社の例大祭は神宿しという名のもと夏のうちに終わっているが、木花村には嬬恋一族が管理する祠が幾つかある。その中の一つが作物の実りに礼を捧げるために存在し、天狼神社とそこを中心とした祭りが行われるのだ。
 もちろん私もお手伝いをさせていただいている。昨晩の希和子さんのお願いというのはそのこと。実際は希和子さんと村の人達が中心になってかなり段取りは進んでいるのだが、やはり神社の住人と元住人は精力的に動いたほうがいい。当然、この二人もだ。
「花耶ちゃーん、そこもうちょっと右ねー」
「はいよー。お姉ちゃんちゃんとキャッチしてよ?」
社務所の脇に脚立を立てて飾り付けをしている嬬恋姉妹。年少の花耶ちゃんが上に登っているのは一見危なっかしいが、真耶ちゃんの運動神経の無さを知っている身としては上らせるのは怖いし、かといって大人の腕だと入れるのが難しい隙間に縄を通したりするので、花耶ちゃんがヘルメット完全装備で作業をしている。なかなか手慣れたものだと感心する。
「そんなに豪華な装飾はしないけどな。祭りをやってるぞというサインは出さなければ。人間のためにも、神様のためにもな」
私たち大人も準備に余念が無い。事務的なことや金銭的なことは私たちの仕事。書類を整理しているとひときわ賑やかな一団が到着した。
「こーんにーちわーっ! よしフミちゃん先生いる! 御代田苗ほか四名、手伝いをすると宿題免除と聞いて飛んできましたー!」
するか、と苗ちゃんのおでこを軽く指で小突く渡辺先生。彼女たちも神社の掃除などの職務がある。そして何より、大人も子供も一緒になっての、この祭り独特の重要な仕事がある。その主役が、この時間のバスで来るというのだが…。
 「こ、こんにちは…」
あらかわいい。
「お、鬼塚ゾーラです。よろしくお願いします」
ちょこんと頭を下げて挨拶をしてくれた。私たちも挨拶を返す。
 ちなみにこの鬼塚さん。私は彼女のお姉さんのことを知っている。
「こんにちは。妹がお世話になります」
シュッとした顔立ち、スラっとした体格の女の子。彼女が鬼塚さんのお姉さんのほうで、中学二年生。バスケ部の部長をするなどスポーツで活躍している。彼女を見つけた苗ちゃんが声をかける。
「あ、ロリ子先輩こんちわー」
「…ミィ、その呼び方やめてくれよ」
色白の頬が一気に赤くなった状態で鬼塚さんが苗ちゃんに言う。彼女の名前は鬼塚ロリータ。おじいちゃんを除いて皆アメリカ家系なので英語名を付けられているのだが、ボーイッシュな外見とのギャップがコンプレックスであるらしい。逆に妹のゾーラちゃんは勇ましい語感とは逆に可愛らしい外見。
 「あ、ゾーラちゃん、ロリータ先輩こんにちは。秋祭り、よろしくお願いします」
遅れて出てきた真耶ちゃんも挨拶する。だからロリータはやめろってという鬼塚さんだが、慣れっこなのでそれほど怒っているわけではなく、お約束という感じだ。
「この大役をやらせてもらえるのは名誉なことだし、ゾーラも喜んでるよ。よろしく頼むな?」
はい、とうなずく真耶ちゃん。ただ肝心のゾーラちゃん、カタさが抜けていないというか、大役と聞いて緊張しているのか。真耶ちゃんが肩に手をやって優しく諭す。
「大丈夫、大変な仕事だけどあたしたちが助けるから。それにあたしたちも一緒に大変な思いするから」
このときはそんな真耶ちゃんが頼もしかった。しかし祭りの実際を知って、私は甘っちょろいものではないと驚愕しつつも、ああこの村なら、そしてこの神社ならアリだな、とも実感する内容だった。
 祭りの準備は着々と進んでいた。一方で中学校ではハロウィン休みを巡って喧々囂々(けんけんごうごう)の議論が続いているようだった。私は最終的には学校からは部外者なので、気にはなるけど黙っていた。そのかわり神社での作業に没頭していた。まだ教員としての採用試験も続いていたが、取ってつけて言う程度にウエイトは下がっていた。どのみち学科は受かるのだ。面接がダメというだけで。色々悩んでも改善しなかったのでもう何も考えず行く事にした。それでかえって良くなれば儲けものではないだろうか? と開き直ればかえって肩の力が取れて好結果になるのではと思うのだ。

 いよいよお祭り当日の十月三十日が来た。
 前日まで私も準備に奔走していたわけだがさすがにゆうべは早く寝た。だって今日は日の出と同時に起床、神事が始まるのだ。コートがないと外に出られないほどの冷え込み。にもかかわらず多くの人が神社にやってきている。私は炊き出し係を担当しており、社務所の戸を開け広げた状態ですいとん鍋の番をしている。多少なりとも火に当たれる役目を割り当ててもらえたのはありがたい。
 神官が入場するとの情報が町会長さんによってもたらされると、ザワザワしていた境内が瞬間的に静まり返る。そして宮司としての装束に身を包んだ希和子さんが神妙な面持ちで本殿の前に歩み寄る。希和子さんは本殿に向かって祈りを捧げると再び向き直り、目で境内を覆う森の奥に合図をする。
 程なくして、境内の雰囲気が再び変化する。そして、森の奥からふたりの巫女が現れ、誰もが息を呑んだ。

 真耶ちゃんと花耶ちゃんの巫女装束を初めて見た。

 着物は白、下には赤い袴。装束の色使いは他の神社のそれと共通しているが、そのデザインが非常に特異なものだとすぐに気づいた。腰よりも高いところで縛られた帯はふんわりしたリボン結びとなって下に垂れる。白衣の下は防寒対策もあるだろうか、真耶ちゃんはハイネックのシャツ、花耶ちゃんはタートルネックのセーター。そして何より珍しいのはその足元と頭部。なんと草履ではなく黒い編み上げのブーツを履いている。頭には帽子。耳まで隠れるようになっていて両サイドから紐が垂れているのは寒さへの備えだと思うが、上にちょこんと付いた動物の耳も面白い。オオカミを模したのだろう。
「暖かい時期にはあれがカチューシャになる。あとウサギバージョンもあるぞ? 色々使い分けるのだ」
渡辺先生に似た男口調で解説するこの人は岡部医院の校医さん。というか三年の元副会長、岡部くんのいとこだ。神社の神事では必ず立ち会うのだという。
「ここの祭りでは医者の手が必要な局面もある。もちろんほかで急患が出ればそちらに行くが」
天狼神社の一連の儀式がかなりハードであることは聞いている。ただ今は穏やかかつおごそかに事が進んでいる。
 真耶ちゃんと花耶ちゃんが両手に持った御膳を眼前に掲げる。これは庭先の田んぼで作られた米を炊いたもので、神様に捧げられる。しばしのお祈りが続いた。二人の巫女はいったん退場するが、まだ境内の誰も動こうとしない。すぐにもう一人の主役がやってくるという段取りを皆知っているからだ。

 そして、森の中に消えた二人の巫女が、真ん中に主役をはさんだ形で戻ってきた。境内はさっきとはまた違った、華やかな雰囲気に包まれた。
「ゾーラちゃん、大丈夫? ゆっくりでいいからね」
しかしゾーラちゃんと真耶ちゃんから話しかけられたのは…。

 ゾーラちゃんを一回り大きくした、リスだった。

 天狼神社の秋祭りでは、神官と二人の巫女の他に、村の中から選ばれた一人の少女が神使の依代としての役目を果たす。もちろんここの神使はあくまで真耶ちゃん。でも木花村の神社は天狼神社だけではない。他にも色んな動物を祀った祠が村内に点在し、その中の一つがリスを神使に持つ栗姫神社。この秋祭りはそこと天狼神社を同時に奉るもので、栗姫神社の神使が人間の姿を借りて祭りに参加するというしきたりなのだ。
 そしてもちろん、天狼神社がらみで人間が神に仕えるとなると、必ずすべきことがある。それは真耶ちゃんが毎年やっているという神宿しの儀をみれば分かるというもの。

 昨晩のうちに今年の神使であるゾーラちゃんのお着替えは行われた。早朝から始めるのは本人も大変だし時間がかかるので儀式のスタートが遅れるという理由だ。寒いというのもある。早くも暖房の季節だが、あえて着替える部屋は暖房を切っている。言うまでもない。厚着になるからだ。
 競泳用の水着を着た上からタイツ素材の上下を着る。手には布手袋。足にはストッキング。更にその上からジャンプスーツみたいのを着て腰のラインを調整する。さすがにこのサイズの全身タイツは準備していないというか本人の心理的抵抗を考えてのことだ。頭には水泳キャップをかぶったのち、同じ素材で耳を隠し、ひもがその両端から下がっている帽子をかぶる。同じ形状でニットのやつを女の子がよく冬にかぶっているが、こちらは紐をしっかりあごで結ぶ。さらに上半身にはハイネックのスポーツウェアを着る。これで首まわりの汗をしっかり吸い取るようにするのだ。
 もうお分かりだと思う。ゾーラちゃんはこれからリスの着ぐるみを着るのだ。
「これでいいかな…いや、もうちょっとボリュームが欲しいかな。やっぱりこれ使わないとね」
希和子さんはそう言うと、何やら袋の中から取り出した。
「ちょっと重いけど、我慢してね」
アンコ、と希和子さんは言っていた。ランドセルを前後反対に背負うようにすると、胸周り全体がボリュームあるウレタンに囲われたようになる。華奢な体のゾーラちゃんが丸っこいシルエットになるために、これを使って着ぐるみをふくらませるのだ。胸だけでなく二の腕やももにも同じような形でアンコが装着される。かなり重そうだ。足にレインブーツをはくと、下ごしらえが完成。
 「お、重いよぉ…」
ゾーラちゃんが声を上げる。姉の鬼塚さんが心配そうにしているが、真耶ちゃんの表情のほうがもっと心配そうだ。同じ着ぐるみ経験を持つ者としてつらさが分かるのだろう。
「あたしのオオカミさんも、アンコいっぱい入れるの。あたしやせっぽちだから…」
ゾーラちゃんの身体を右からしっかり支えて立ち上がらせる真耶ちゃん。左からは鬼塚さんがしっかりホールドしている。いよいよ着ぐるみの着用だ。
 リスの着ぐるみは到底一人では着られない。背中から潜りこむように入るのだが、大人に持ちあげられないと入り口に届かない。何とか下半身を着ぐるみの中に入れると頭を潜り込ませる。着ぐるみを正面から見ると可愛いリスの顔の下からゾーラちゃんの顔が覗いた。真耶ちゃんと鬼塚さんがゾーラちゃんを支えたまま前に回る。すると後ろから針と糸を持った大人が二人。
「さあ、もう後戻りは出来ないからね」
ゾーラちゃんが、うん、と強くうなずく。それを確認した二人の大人が、さっきまで開いていたリスの背中を縫い始める。
 そう、なんと、この着ぐるみは背中を糸で縫い閉じてしまうのだ。これは祭りが終わる三十日の夜までこのまま。これこそが今日の祭りの神使の大変な所。このため神使候補はふるいにかけられるというか、これがなければ希望者は殺到するだろう。そしてこの条件でも引き受けたゾーラちゃんはそれだけ強い意志を持っているということ。事実今回の候補者は彼女だけだったそうだ。背中がすべて強固に縫い終えられた。縫い目は見えないよう、もこもこのファーの中に巧妙に隠される。

 朝の儀式は、真耶ちゃんがリスの着ぐるみに身を包んだゾーラちゃんをしっかりハグし、神使としての力を授けるところで終わる。このあと学校を挟んで午後から行事の続きが行われるのだが、その学校が大問題だったりする。だってゾーラちゃんはリスの着ぐるみのままなのだから。当然一人で登校はできないから複数人が付きそう。小学校二年生であるゾーラちゃんをエスコートする筆頭は花耶ちゃんと花耶ちゃんの友達。もちろん大人も必要なので何人かついていく。私もその中に選ばれ、今日は小学校に付き添うことになった。
「気をつけてね」
そういう鬼塚さんと、ゾーラちゃん。そこには心配をしつつも、妹の頑張りを信頼する姉の姿があった。

 通学路にはゾーラちゃんの友達が続々合流する。かわいいー、とみんなでゾーラちゃんに抱きついたり。人気者だ。特にふわふわ揺れるしっぽは人気が高いが、着ている本人は大変だ。なにしろしっぽは形崩れを防ぐために重いし、その重さを支えるために下半身は固めの素材で作られていて歩きにくい。それに足が短いリスの特徴を再現しているので歩幅が短い。とりあえず手伝いの大人の中で一番若いし、祭りの参加は今年初めてなので他にやれる仕事の少ない私が一日教室で付き添うことになったのだが、教室の一番後ろで椅子に座ってゾーラちゃんの背中で揺れる、巨大な尻尾を眺めているくらいしかやることは無かった。

 放課後。なんだかすごく気疲れしてしまった。学校の授業を一日着ぐるみで過ごしたゾーラちゃんのほうがまだ元気が残っているくらいだ。途中音楽の授業や理科の自然観察なんかもあったのに、周りのサポートもあって何とかこなしてしまったのには脱帽する。
 さて。ここからお祭りは再開される。天狼神社には真耶ちゃんが夏の神宿しで産みだした幸運の種があるとされる。それを分け与えられた神使(つまりここではゾーラちゃんのこと。授けるといっても実体はないので儀式で仕草をするだけだが)が栗姫神社に赴き、一年分の幸運の種を置いてくることで完結する。その経路はどうでもいいし、休憩や道草も構わない。だからこそゾーラちゃんは途中で学校に出席することも出来たのだ。そして学校の放課をもって、学校から栗姫神社までの行幸が再開されるのだ。
 午後ともなると見物客も増えてくる。近隣の小中学校からも見にやって来るのもあって、行列はゆっくりゆっくり進む。まぁゾーラちゃんはこの恰好のせいでゆっくりしか歩けないのだが。しかしそのゆっくりした歩みの間にもどんどん見物人はふくれあがる。いつの間にか真耶ちゃんたちも合流している。部活動などやっている場合ではないという風情だ。
 途中何度かの休憩をはさみ、二時間近くかけて栗姫神社に到着。本当に左右の狛犬がいるべき場所にはリスがいる。ここで神使が運んできた幸運の種を本殿の中に収める祈りが行われ、ひととおりの儀式は終了する。だがしかし、ゾーラちゃんのリス装束はまだ解かれていない。
「これからがお楽しみなのよ」
大仕事を終えた希和子さんが言う。自分も神官として今までやってきたけど、このあとはいちイベントの参加者として楽しむつもりだ、と。

 小休止。いったん人出が引いたがすぐ戻ってきた。しかし。
「リスがいっぱい…」
なんと。ゾーラちゃんのみならず沢山の子どもたちがリスの着ぐるみを身にまとって現れた。なんかこないだのお月見を思い出す。ただあれは一時廃れていたのを真耶ちゃんが発起人として復活させた。こちらは神事だからということでずっと生き残ってきているのだという。
 たくさんのリスの中にあってゾーラちゃんの場所がわからなくなりはしないかとも心配したが取り越し苦労だった。神使はリスの着ぐるみの上に巫女装束を着込んでいて、おでこのあたりに前天冠(まえてんかん)という髪飾りを付け鈴を手に持つなど、神に仕える正装をしているから目立つ。むしろ天狼神社の巫女の衣装より巫女らしいくらいだ。もっとも真耶ちゃんたちもオオカミを形どった帽子の下には前天冠をしているし、かんざしを付けることもあるんだそうだ。本人たち曰く金属製で重いのが逆に気持ちが引き締まっていいんだとか。
 栗姫神社の神使は栗割姫、または胡桃割姫とも呼ばれる。リスを漢字で書くと「栗鼠」。木の実が好きなリスの習性が表現されているのだが、後者は西洋の童話にインスパイアされた名前だろうとは、歴史を専攻したよしみで村の歴史にも詳しい渡辺先生の見解。だからゾーラちゃんも栗もしくは胡桃の形をしたぬいぐるみを抱いている。と、やはりリスの恰好をした苗ちゃんがゾーラちゃんの持つ栗のぬいぐるみを借りてニヤニヤしながら、
「でもリスが栗を持ってるってことは、栗と…」
「それ以上言わない!」
優香ちゃんがすかさず突っ込み、渡辺先生が呆れ顔をしている。くっくっくと笑う苗ちゃんの、言いたいけど途中で遮られたことの意味が分からなかったので聞いてみたが何故かはぐらかされた。

 子どもたちは神社を離れ、集落の家々を巡回する。大人たちはリスたちに木の実を振る舞うのが習わしで、もちろん子供相手に甘~い栗が多いが、他にナッツ類もあるのが木花村らしい。最近ではアーモンドチョコレートやピーナッツキャンディーなども使われるそうだ。ただ…。
「でもこれって、要するにハロウィンじゃないですか? 家々を回ってお菓子をもらうって…」
私の疑問がもっともだと言ってくれつつ、渡辺先生が応対してくれる。
「でもお菓子をくれないからっていたずらはしないからな。それにハロウィンはハロウィンで楽しまないと。面倒な事はひとまとまりでいいけど、楽しいことが二つあったら一つにまとめちゃ勿体無いだろう。というか、なんで秋祭りがこの時期か、ってことだよ。木花はこの時期もう初冬みたいなものだからな?」
渡辺先生が指を立てて、ここ重要って顔をする。
「答えは一つ。似たような内容の祭りを連続した日程にして、勢いで二日間突っ走るんだよ」

 「でも、真耶ちゃんは今回着ぐるみじゃないから楽でよかったね」
と私は、巫女服の上にコートを着た真耶ちゃんに話しかけた。でも何か寂しそうな気がするので、
「あ、でも本当は着たいの?」
と聞くと、
「あ、はい」
という答えが返ってきた。大変でもなんでも、もこもこ着ぐるみを着るのが大好きであるらしい。しかもキリスト教会の家の子でありながらしっかり神道の儀式に参加しているお花ちゃんが補足してくれた。
「あ、真耶も昔はこれ着てたんだよ。まだ天狼神社の神使が小さくてこれを着られる体格の時には、事前にまる二日着て神使の力を植えつけてたから。あ、でもそのかわり、あづみさんが試験でいない間に花耶ちゃんが三日着て間接的に神使の力を込めてるから」
つまり神使として必要な力はあらかじめ真耶ちゃんか花耶ちゃんの手によって着ぐるみに込められているということ。その期間は神使だと二日、神使と近しい存在なら三日。だから今朝方の真耶ちゃんによるハグは形式的なんだそうだ。
 しかしこれを数日着続けるってどんだけ激務なんだろ…。真耶ちゃんはだからこそ自分も着るつもりだった。ところが真耶ちゃんが成長期に突入、余っていた気ぐるみの中に着られるものが無くなってしまったのだ。ゾーラちゃんと一緒に大変な思いすると約束したのにと悔やんでいたが、当のゾーラちゃんが、
「真耶さまは夏にすごい暑い思いしたからあたしのなかま」
と言ってくれたのが救いだったろう。

 というわけで、楽しいイベントの一つ目は無事終了。栗割姫を中心に据えた一団は天狼神社に到着。簡単なお祈りをした後、ゾーラちゃんの衣装がようやく解かれる。縫われた糸が慎重に抜かれていき、じっとりと汗に濡れたゾーラちゃんの背中が現れる。大人が二人がかりで腰を抱えて引っ張りだす。
「は、はぁ…」
顔から湯気を出して上気したゾーラちゃんの顔は真っ赤。でも元気そうだ。そこに駆け寄ったゾーラちゃんの姉、鬼塚さんの安堵の表情。それを見た途端、ゾーラちゃんの目からみるみるうちに涙が流れ落ちる。
「お姉ちゃん…あたし、やったよ…」
「うん、偉いぞ…よくやった、よくやった…」
日頃男勝りな言動の目立つ、凛々しさのある鬼塚さんまで大粒の涙をポロポロ流す。この儀式は神事であると同時に、神使を務め上げた本人と近しい者の成長を約束してくれるのだと希和子さんが言う。私もすっかり感動してしまっている。
 だが。明日に迫るもう一つのお祭りはどうなるのだろう。不意に思い出した。結局ハロウィン休みは認められなかった。先生方も生徒たちも表向きそれに従ったように見える。でもなんだろう。私は何かあるのではという胸騒ぎがして仕方ないのだ。

 翌朝。私の予感は見事的中してしまった。
 祭りの翌日くらいゆっくり休みましょう、そういう理由で朝のお勤めは行われず、その分ゆっくり寝るようにという希和子さんの配慮に甘えていたのだが…。
 「いや、だから知りませんってば! 無責任? そんなこと言われても…とにかく、うちが生徒たちを扇動した事実などあり得ません! …まぁでも、あなた方の言い分を聞くつもりだってありませんけどね!」
早朝からいきなりけたたましく電話が鳴り、それに応対した希和子さんの語調がだんだん荒くなっていったことですっかり目が覚めてしまったのだった。
「…ど、どうしたんですか? いきなり」
「ああ、あづみちゃんおはよう。いやそれが、大変でさ…」
と、希和子さんが私に事情を説明してくれかけたところで、今度は私の携帯にメールが届いた。

本文:起きてるなら今すぐ学校来てみ? 面白いものが見られるぞ。 渡辺

 というわけで、早速着替えると自転車を走らせたわけだが…。
「一体、何だって言うんだ! そんな格好で学校に来ていいはずがないだろう!」
「今日はこういう恰好をする日なんです! そんなことも知らない先生こそ非常識です!」
「知らないのではない! 学校ではするなと言っているのだ!」
「だったら学校を休みにすればいいでしょう? そうすればこの恰好で登校する必要だって無いんですから!」
学校の前がちょっとした騒ぎになっている。校門を背にしてそれを守るように立ちはだかっているのは教頭先生と主任先生を中心とした反動派の先生方。そしてそこに詰め寄って抗議しているのは生徒たち、と思いきや…。

 魔女やら。
 骸骨やら。
 カボチャやら。

 生徒たちが皆、ハロウィンの扮装をして登校して来ているのだ。当然そんなのは認められないと気色ばむ教頭先生。しかし彼が怒れば怒るほど生徒たちの抗議の声も高くなる。しかも、
「がんばれー!」
校舎の中からも声がする。ちゃっかり早めに登校した子たちが声援を送っているのだ。先生たちが校舎の方に気を取られると校門側の生徒たちが騒ぎ出し、あわよくばフェンスを乗り越えて侵入しようとする。
 当然私のよく知る生徒たちもこの環の中にいる。苗ちゃん、優香ちゃんは特に元気で、先程口論をしていたのも主にこの二人だった。今は代わって三年生の屋代さんと岡部くんが交渉のテーブルに付いている。さすがは元生徒会長と副会長。話の進め方も冷静だ。しかし、
「引退した生徒会役員が何を…」
若い先生がぼそっとつぶやいたそれは、案外通る声だった。学生時代応援団をやっていたため管理と統制を旨とした教頭先生の学校改悪案にも共感していたのだが、そのキャリアゆえの地声の大きさが仇になった。
「…冗談じゃない! 役員をやめたら発言するなってんですか! 言論妨害でしょう! 言論の自由は憲法で保障され…私たちが憲法を通じて政府にそれを守れと命じた結果その自由が保障されているんです!」
誰もがますますエキサイトしていった。私はどうすればいいだろう? こういうとき大人として適切な対応とは…オロオロし始めたその時だ。
 「おお、私の教えたことをちゃんと使ってくれてるじゃないか。憲法は国民から国家への命令。まあちょっと無理のある使い方ではあるがな」
渡辺先生登場。ああちょうどいいところに来てくれました! 私は一体どうすれば…。
「え? それはチミの思うとおりにしろ、だな。悪いが」
あ、はい。確かにそれくらい自分で考えろってのは分かってます、でも…。とりあえず校門から死角になる木の影で見張るしか私には…。
「ま、すぐに答えは出るだろうな。今の膠着状態を解きほぐす突破口がお出ましだ」
 という渡辺先生の言葉どおり、集団がざわっとなった。そして教頭先生が生徒の一団とは別の方向に声を上げた。
「あ、高原先生! 何とかしてこの集団を沈め…てはくれんのだな…」

 「とりっく~、おあ~、とり~と~!!」
いつもののんびりリズムでハロウィン仕様の挨拶とともに登場した高原先生。案の定仮装で来ている。
「うわっ、高原先生かわいい! シンデレラですか?」
「そうよ~。靴もちゃんとガラスなの~」
生徒の問に答える先生のお召し物はふりふりの豪華なドレス。普段からそういう服を着ている先生だから違和感はないが、いつものよりもっとグレードアップした乙女ぶりで、金髪縦ロールのウィッグまで装備している。それはまぁ教頭先生にしてみれば呆れるわけだ。
「あのう私~、出勤してきたんですけど~、中に入れてもらえないでしょうか~」
「あのね高原先生! 着替えて出直してきてください!」
「ええ~? せっかくのハロウィンだからおめかししてきたのに~」
「いや、それがいかんのですよ!」
 二人の押し問答が続いている間にも人だかりはどんどん膨らんでいく。生徒ばかりではなく保護者や村の大人たちも増えてきた。無論、この村の伝統たるハロウィン実施への支持を異口同音に叫んでいる。
「こんなことが続くなら、うちの子を学校にはやれませんな!」
「うちの野菜給食に使ってもらってたけど、他の問屋さんとか当たろうかしら」
「ウチが請け負ってた職員室の雨漏り修復、やめちまおうかな~」
次第に経済制裁みたいな話になってきた。さすがに大人の言うことはえげつないというか…でもそれによって教頭先生の怒りは頂点に達したようだ。しかも今日に限ってストッパー役をしてくれそうな校長先生が出張でおらず、全権を教頭先生が握っているときている。教頭先生は息を吸うと、主任先生の手からメガホンを奪い去り、
「とにかく! 諸君らを校門に入れるわけにはいかない! いい加減にして、解散しろ!」

 「…言質は取りましたよ」
あまりの教頭先生の剣幕に一瞬静まり返った集団。しかしそれにめげず、屋代さんたち数名の生徒が声を合わせてそう言った。そして。
「ロックアウトじゃあ仕方ない」
さっきまで私の隣で戦況を見物していた渡辺先生が木の影から姿を表してそう言った。
「私の大学でも昔はあったらしいねぇ。学生運動にエキサイトした学生を教授会が締め出すってのが。まぁ彼ら活動家については賛否両論あろうが公立の中学校でそれをやるとは穏やかではないですなぁ。まぁいずれにしろ…」
「いやそんなつもりで言ったわけでは…私はただ…」
制服に着替えて出なおせ、それくらいの意味で教頭先生は言ったのだろうとは思った。だが渡辺先生はあえてその解釈はせず、誤解を生む教頭先生の発言の揚げ足を取るように続ける。
「いや、教頭おっしゃいましたよ? 校門に入れない、って。みんな、言質取ったってことは、それなりのことはしているんだろう?」
「はーい!」
先生の質問に対して、多くの人が手に機械類を持って返事した。ICレコーダーにビデオカメラ、最近はスマホでも録音できる。それらによって発言の証拠はしっかり記録されたというわけだ。
 「つうかさ…」
ふと何か気づいたらしい苗ちゃんが一言、
「校門に入れないってことは、授業受けられないってことじゃん、つまり…」
それに呼応して沢山の生徒が声を上げる。
「今日は休みだ!」

 でも結局、授業はとり行われた。慌てた教頭先生が、
「あ、あわわわ、ちょっと待て、今の発言は撤回する! 今開けるから、押さないで入ること! 服装については…わ、私は何も見ていない!」
として校門を開放、みんな学校に入ることとなった。このため学校は異例の事態に。魔女や妖怪が教室で授業を受けるという珍光景が繰り広げられたのだった。私も渡辺先生に案内されてこっそり見学させてもらったが、その光景は笑えるが、でもなんか可愛らしい。でもみんな真面目に授業を受けているのには感心した。また別のクラスでは、
 「俺だってこんなことを言いたくないんだ…」
「じゃあ言わなきゃいいじゃないですか」
悪く言えば揚げ足取りだが、よく言えば理路整然と相手の矛盾を突く。そんなスタイルでまたしても若い先生をやり込める生徒たち。そしてそれはまさに一年B組。渡辺先生はしたり顔だ。
「たまには自分の教育を自画自賛しても良さそうだ」

 放課後。さすがに私は昼前に学校内を離脱していたが、なんか気になってこの時間を狙って見に来た。
 午前中はすべての子が仮装しているわけではなかったのだが、昼休みに衣装を取ってきたりで気がつけばほぼ全員が制服を脱ぎ捨て変身していた。真耶ちゃんも最初は制服で登校したうちの一人だ。やはり先生に逆らうというのに抵抗があったのだろうし、苗ちゃんたち友人もそれを受け入れていた。決して考えの押し付けはしない子どもたちだ。
 小学校も放課している。向こうは制服がなかったのでなし崩し的に仮装のままでの授業になだれ込んだそうだ。アニメ映画に出てくる羽のついた妖精の恰好をした花耶ちゃんが合流。ただこうなると一人制服の真耶ちゃんが浮いてしまう。
「どうするの?」
思わず聞いてしまった。真耶ちゃんはそわそわした感じで答えた。
「うん、すぐ準備します。えっとね、昔ひいおばあちゃんたちが住んでた家があって、そっちに衣装があるから寄って来ます!」

 学校のない子どもたちはみんな朝から気合い入りまくりで、皆仮装したまま村中を闊歩(かっぽ)している。日本人にありがちな恥ずかしがりな部分は微塵も感じられず、見知らぬ観光客にも進んで手を振るし、カメラを向けられれば寄っていってポーズをとる。
 かようにして昼間のうちから村中に異界の生き物が氾濫している状況なのだが、この上さらに夕方からパレードがあるのだという。
「いやぁ、今朝はビックリしたけどねぇ。まさかウチが今日の中学校での反乱をそそのかしたとか言われちゃあ」
昨晩子どもたちが集まった折に何か動きがあったのではないかなんて濡れ衣着せられても困るわよねぇ、と語る希和子さんの口調がどこか白々しい。
「ま、電話が来ることは分かっていたけどね。でも私たち大人が言わなくても正しいと思ったことはやるわよ? あの子達。というかフミ姉こそ察知しててたのに泳がせてたんじゃないの?」
じろっと、横にいる渡辺先生を見やる希和子さん。先生は何のことかなー、とあからさまにごまかす風で口笛を吹こうとしている。と、その時。
「ほれ、来るぜ、もうすぐ」
これまた露骨な先生の話題そらしだったが、でも実際パレードがやってきたのでここは会話を中断するほうが適当だ。早速迎えることにする。

 相変わらずオープンで気後れのない子どもたちが、あちこちに愛嬌を振りまく。仮装のレベルも相当高い。前に優香ちゃんが言っていた、仮装はこの村の伝統だと。そう考えればなるほどハロウィン休みを設けたほうが村の伝統に則っているということになるのだろう。
 面白いのは、日本のお化けも充実している点だ。ろくろっ首やら唐傘やら一反木綿やら。異世界の生き物をモチーフに仮想するという西洋のハロウィンの傾向を日本流に解釈すればこうなるわけで、つまり西洋の習慣をただ真似するだけではなくちゃんと消化して自分たちのものにしているということだ。
 見慣れている一団が来た。ドラキュラの扮装をしているのが優香ちゃん。その横でカボチャをかぶっているのは苗ちゃんだろう。切れ込みの目鼻からかすかに見慣れた顔がのぞく。お花ちゃんは日本の幽霊。西洋人の顔立ちに白装束と三角布というのが意外によく合う。花耶ちゃんはそのそばで猫の扮装をしている友達と歩いている。その後ろには今度は悪魔の恰好をしたゾーラちゃん。同じコーディネートの鬼塚さんも一緒だ。
 となると、残るは一人、なのだが。着替えてくるといっていたけど、もう間に合ったのかしら…。

 …ぶっ。

 いや、一瞬本人とは分からなかったけど…。

 落ち着いた清楚な雰囲気と、あと、この光景は、デジャブ…。

 「真耶ちゃん、また顔塗っちゃって…」
河童ということで、全身緑のウェットスーツみたいのに身を包んだ真耶ちゃん。それに飽きたらず、顔を緑に塗っている。しかも地肌が全然見えないほどの厚塗りだ。顔面がテカテカしている。
「年賀状でやり始めてから、クセになっちゃったらしいの」
と言う希和子さんも失笑を隠せない。観客にもかなり受けているようだ。それでもしっかり女の子らしさを忘れずスカートをはいて、頭のお皿にはリボンを付けていたりするのだが、それがなおさら笑いを誘う。後ろに続く家庭科部の面々、特に池田くんと岡部くんのコンビがしきりにからかっているので「やめてよ」的な仕草をするにはするが意外とまんざらでもなさそうだ。
 「でも、幸せそうだから、いいですね」
「うん。まあ普段真面目すぎるくらいだから、たまにこうやって羽目を外したいんでしょうね。それでいて他人に迷惑のかからないはっちゃけ方ってところが真耶ちゃんらしいけど」
希和子さんの言うとおりだ。緑色に塗られて表情はよく分からないように一瞬思えるが、その奥、心のなかの笑顔が見える気がした。

 結局、来年からはハロウィン休みが復活することとなった。そして今度からは村内すべての小中学校で正式な休校日として認められた。村の人々からの猛反発が効いたようだ。生徒にとっては何よりだが、教頭一派にとっては面白く無いだろうとは思う。
 生徒たちは狂喜乱舞。昨日もなんだかんだで一日仮装を楽しめたので心残りはないだろう。皆、日常に帰っていった。ただ、一人だけ月が替わってもハロウィンを引きずっている子がいた。
「うーん、お化粧取れないよぉ…」
調子に乗って緑に顔を塗ったくりすぎた真耶ちゃんは、それが取りきれずにいた。今日も学校から帰って来るなり姿見とにらめっこしてはため息を付いている。それにしても、取れない顔料ってどんなものなんだろう、と思っていたら。
「お姉ちゃん、これ使ったみたいなの」
花耶ちゃんが手にしているのは顔料ではなく、緑のペンキだった。
「河童の衣装が置いてあった部屋に一緒にあったみたいで、使っちゃったんだってさ。ペンキって人体に使っちゃダメなの知らなかったみたい…」
半分呆れた顔の花耶ちゃん。そしてため息をつく真耶ちゃん。
「もう、ハロウィンは懲り懲りなのかな? 真耶ちゃんは」
とこっそり花耶ちゃんに聞いてみたが、何言ってるのという顔で答えられた。
「そんなわけないじゃん。お姉ちゃんのことだからペンキが取れたら今の失敗を忘れて、今度はクリスマスに備えてトナカイやりたいとか言うんだよきっと」
なるほど。意外とそそっかしい真耶ちゃんならやりそう。今度は赤ペンキを鼻に塗らないように隠しておいたほうがよさそうだ。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十一話

 ペンキを顔に塗るのは絶対真似しちゃダメですよ! 警告しましたよ! いいですか!
 さて。ハロウィンにあわせて物語の中の日にちもハロウィンです。最近は首都圏だとあちこちでハロウィンパレードが行われるようになりましたね。作者もそのうちの一つをこないだ取材と称して観てきましたが、まぁ今の子供達は楽しそうに歩いてますね。ただハロウィン直近の日曜日が雨だったのはちょっとかわいそうだったかな。作中みたくハロウィンが学校休みになると楽しそうですね。
 しかしまぁ、自分で考えた登場人物たちとはいえ、呆れるほど好き勝手やってくれちゃってる連中ですよね。相手の言葉尻を捉えるやり方が果たしていいのかどうかわかりませんが、嘘とかは言ってませんからね。まぁ正義を貫くには戦略も必要なのかな、ってことで(いいのか)。

宗教上の理由・教え子は女神の娘? 第十一話

村のはずれの神社に住まう嬬恋真耶は一見清楚で可憐な美少女。しかし居候の金子あづみは彼女の正体を知ってビックリ! ハロウィンをテーマにした一作、何とか当日に間に合いました! でも真耶たちのハロウィンが普通に終わるはずもないってことで、今回もひと波乱ありそうな…。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-31

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5
  6. 6
  7. 7
  8. 8