銭の重みと仏ごころ
ある一人の僧侶の話ー2
ある 一人の 僧侶 の話ー2
僧侶が厄介になっている寺自体は、古びてはいたが 山奥に建てられたとは思えぬほど、立派な造りで、
境内も広かった。なぜ、こんな山奥にポツンと、まるで忘れ去られたかのように、修復もされることもなく、この寺は存在し続けているのか。
僧侶は、まだ何も住職から聞かされておらず、なんだかとても不思議な気がしてならなかった。
この当時、寺といえば、幕府に庇護されているのは当然なことだったが、この寺に限り、とても幕府から大事に扱われているとは、どうしても思えなかった。まさに、忘れ去られたかのように、山奥にポツンだった。
そうこうしているうちに、日は天井に差し掛かっていた。僧侶は、背負い籠に詰め込んだ野菜を売りに寺を出て山を降りた。籠には、般若湯を入れるための土瓶を、しっかり紐で縛り付けていた。
また、僧侶は野菜など売ったことがなかったので、
収穫した野菜を丁寧に、一つ一つ井戸端で洗った。
本人としては何の気なかったのだが、洗っている間に、普通の八百屋では、これほど洗ったものを、 売るなどしないだろうなあ。と、ふと思うと、いや、これはいけるかもしれぬ。と、自分のやっている作業が、むしろ、売上を伸ばしてくれるのではないかと思い始めた。
よく洗った野菜を売る。これは買うほうとしては、
一つ手間が省ける。むしろ、この事を売り文句にしたらいいのではないのか、と、いうことに気づいた。
案の定、山を降りて町へ入ると、最初に出会った通行人に、丁寧に洗ってある野菜はいかがですか?。
と、尋ねると、相手は、まず若い坊さんが物売りをしていることをに驚いたが、洗ってあるのかねー。
それは珍しい。と、野菜を一つ買ってくれた。
僧侶は、自分の思惑が当たったので、嬉しくなり、
今度は声に出して、丁寧に洗った野菜はいかがですかー。と、売り歩いた。すると、若い坊さんが、 洗ってある野菜を売っていることを珍しがって、 人々が集まってきて、籠に入れた野菜は、瞬く間に売れてしまった。
僧侶は 、自分の思惑が当たったことに喜び、これはいけるかもしれぬ。と、坊さんらしからぬことを考え始めていた。
僧侶の修行の旅も、最初に旅立ってから、かれこれ五年の月日が経っていた。その間、食うや食わずの生活だったため、初めて手にした銭の重みが、僧侶の清い志を歪め始めていた。
あー。銭があれば何でも買える。なんとありがたいことか。心の中で僧侶は、銭をたくさん持つということは、大事なことではないかと思ったりした。
しかし、かといって、いや、待てよ。このままで行くと、自分が思い描いた道から外れてしまうのではないか?。という自分もいる。
野菜を売れば、銭が増える。そうすれば、世間から見放された、あの寺を盛り返すことができるかもしれぬ。だが、そうすれば、御仏の道から外れてしまうのではないか?。僧侶の中で葛藤が始まっていた
僧侶は、思わぬ自分の商才に気づいた己を忌まわしく思いつつ、銭が増えていく心地よさを排しきれなくなっていた。
そして、銭のあるなしの視点から自分を考えた時、
今までの自分は、貧しかった。などという結論に達してしまった。
銭が増えれば、寺は助かる。だが、僧侶としての道に外れてはおらぬか?。般若湯を酒屋で買って、 帰る道すがら、同じことでひとしきり、僧侶は悩んでいた。
僧侶は、寺に帰ってきた時、思い切って、住職にそのことを相談してみた。すると、思わぬ答えが返ってきた。
住職は、良いのではないか。何も悪いことをしているわけでもあるまい。その方が、寺も助かる。むしろ、どんどんやってくれまいか?。と、あっけらかんと言うのだった。
そしてまた、住職は、今は、そなたが救い主に見える。などと言って、僧侶を拝んだりした。
僧侶は、これにはまいって、おやめくだされ。私は修行中の身でございますぞ。と、制止すると、謙遜なさいますな。ホッホッホッホッと、笑いながら行ってしまった。
僧侶は、本当にこれで良いのであろうか。と、思いながらも、収穫した野菜をまた丹念に洗い始めた。
そんな僧侶の気持ちとは裏腹に、よく洗った野菜は下山して町に着くと、すぐに売り切れてしまうほどの人気を得た。現代では考えられないだろうが、 ただ収穫した野菜を丁寧に洗っただけで、お客は喜んだ。
一つには、この当時、そんなことをして野菜を売っていた者が、いなかったのだろうということが推測される。
また、僧侶としては、ただこの方が親切であろうという思いで始めたことだったが、あの坊さんの野菜は、ホコリを少し払えば、すぐに料理に使えるという、噂が町中に広がったためでもあった。
だが、その噂を聞きつけて、すぐに真似をする八百屋が出始めたが、僧侶程、丁寧に洗わなかったため
人気は出なかった。
町に着けば、すぐに売り切れてしまう野菜であったが、僧侶一人で、背負い籠に積めるだけの数だったので、せいぜい一日に二度町へ来るのが精一杯で、
労力の割には 、儲かる商売でもなかった。
そうとはいえ、銭は少額であったが確実にたまっていった。また、僧侶も、ひたすら忙しい毎日を送っていたので、この仕事を始めた頃の悩みなど、吹っ飛んでしまっていた。
さらに、端境期を考えて、苗を植えたり種をまいたり、自分で作れる野菜は全部育てて売った。
遠くで見ている住職は、その大車輪のごときの働きを、若いということは、すごいことじゃなあ。などと思いつつ、暖かく見守っていた。
銭の重みと仏ごころ