心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その10 雪降るチベット

一月十一日

 時計を見たら、ちょうどアラームが鳴った。
 ヘッドランプの明かりでそろそろと準備していたら、るりちゃんが、「まりちゃん、電気点けていいよ」
「ごめん、起こしちゃった?」
「大丈夫」彼女はチベット服を羽織るようにして、ベッドに腰かける。「オム・ターレ・トゥッタレ・トゥレ・ソーハーって唱えるといいんだよ」
「なんの、おまじない?」
「ドルジャン、グリーンターラーのマントラ。それ」私が首から下げたガウを指さした。「ターラーって、救うものって意味。苦しみの海を渡るのを、助けてくれる人」
 私はガウを握りしめて、「うん。いろいろ、ありがとね」
 マフラーを首に巻くと、バックパックを背負ってるりちゃんと一階に下りた。
 るりちゃんが大声でアローと叫んで、奥から眠そうなツェラン・ツォが出てくる。「ギョジ?」
 扉が開くと、明け方の空気の冷たさ。
 私は振り返って、「デモォ!」
 るりちゃんとツェラン・ツォが、「デモシェ!」

 大通りに何台かタクシーは停まっていたけれど、歩いてバスターミナルに行くことにした。ターミナルまでは、ずっとゆるい下り坂。まだ真っ暗なのに小学生がみんな教科書を音読しながらゾロゾロ通りを歩いて、私を見るとハローと言ってくる。
 ターミナルの待合室入り口には、絨毯みたいな分厚い布が垂れ下がっている。中に入ると、暖房が効いていた。
 ちょっと時間があったから、待合室の椅子に座ってバスの発車を待った。待合室を行き来するお客さんのほとんどは白い帽子の回族(フイズー)かモコモコになったチベット人で、みんななぜか大きさの割にとっても重そうな尿素と書いた袋を引きずるようにして、たまに袋の口から蹄の付いた足がニョッキリ出ていたりする。
 ふらりと駐車場出たら、レコン行きバスにはお客さんが乗り始めていた。私もトランクルームにバックパックを押し込んでから、バスに乗リ込む。私の隣に座ったのは、白い髭が立派な回族のおじいさん。

 七時半発のバスが、なんとか二十分遅れで発車。窓ガラスは真っ白く凍って、外の景色は見えない。明け方の寒いときに走りだすバスは、ザムタン以来。あれは、何日前のことだっけ。るりちゃんと会ったのは、何日前だっけ。日本を出たのは、もう遠い昔のような気がする。
 峠をひとつ越えたのに、そんなときに限ってノブさんのルンタはトランクルームの中。途中ウトウトしながらだけれど、景色はそんなに変わらない、茶色の乾いた世界。いくつか村を通りすぎて、お昼前にはレコンに着いた。

 レコン、同仁(トンレン)は県の名前で、町自体はロンウォ鎮と呼ぶ。青海(チンハイ)省マロ・チベット族自治州の中心なのに、そんなに大きな町のようには感じない。北側が新市街、ロンウォ寺を中心にした南側がチベット人街。
 ターミナルには西寧(シーニン)行きのバスが何台も停まっているし、ここから西寧へ行くのには困らないだろう。町にはバックパッカー向けのゲストハウスのようなところがないから、るりちゃん指定の宿もナントカ賓館(ビングアン)というふつうの中国式。三人部屋、トイレはべつで、シャワーはあるんだかないんだか。青海省も、大きな建物は暖房が効いている。一番窓側のベッドの横にバックパックを置いて、まず何か食べようと町に出る。入るのはやっぱり、回族食堂。

 宿に戻ると、入り口側のベッドにバックパックが立てかけてあった。私と同じくらいのサイズ、カバーのところどころには、黒いガムテープが貼ってある。
 どこの人だろう。
 と思っていたら、開けっ放しにしてあった入り口から入ってきた男の人が、「あら、ごきげんよう」
 日本人だった。ノブさんには悪いけれど、彼とは違って小ザッパリした感じ。
「こんにちは」
 私が言うと、「佐々木です。よろしく」
「どうも。松島です。どちらから?」
「西寧。あなたは?」
「逆方向、ラブランから来ました」
「あらほんと、ぼくと逆」
 初めは、なんかとっつきにくい人だなと感じた。あんまり話をしたくなさそうな雰囲気で、でも、私もそんなに話好きなほうではないから気にしないというか、むしろ余計な話をしなくてすむのがありがたいかもしれない。
 バックパックを開けて荷物の整理をしていたら、「松島さん、どこかお出かけします?」
「あー、いえ。夕方まで、引きこもり」
 彼は派手な色使いのお坊さんの頭陀袋のような鞄を持って、「では、ごきげんよう」
 ロンウォ寺見学にでも行くんだろうか。私はいつものようにゴロゴロと考えごとをしながら、気がつけば夕方。なかなか起きないるりちゃんといっしょにいたときのほうが、活動的だったかもしれない。

 ドアがノックされて、ハイハイと言いながら鍵を開けると、佐々木さん。
「あらやだあんた、どこにも行ってないの?」
「あ、はい、すみません。出不精なもので」そろそろ、晩ごはんに行こうとは思っていた。「佐々木さん、ごはんいっしょにどうですか?」
 いいえけっこう、とか言われるかと思っていたら、「いいわよ。何にします?」
 私はなんだか食べ物にこだわることもなくなっていて、佐々木さん任せにしたら、回族食堂に行くことになった。
「ぼくは中華より、イスラム料理が好き。カシュガルで食べたラグメンとか、おいしかったわあ」
 歩きながら話してみると、最初の印象とは違って意外と話好きな人のようだった。入ったのは新市街の中にいくつかある回族食堂のひとつで、食べるのは、私も佐々木さんも拌面(バンメン)
 佐々木さんも日本で働いてお金を貯めては世界各地を旅しているそうで、今回は韓国から始まって、中国、それからやっぱり、ラサを目指しているらしい。一方的に自慢話をするでなく、人の話を聞くのも上手い。
「佐々木さんは、なんで今回チベット行こうって思ったんですか?」
 そういえば、ノブさんもるりちゃんもチベットにばかり来ていたけれど、佐々木さんはアフリカとか南米とかいろんな場所に行ってるのに、なんで今回はチベットだったんだろう。
「そうねえ、インドとか行くと、あちこちにいるのよね、チベット人。それに、今ほら、鉄道のあれでブームみたいなもんでしょ? 今回、飛行機使わないで大西洋見に行くのがぼくのテーマだから、中央アジア行ってもよかったんだけどね、中国来たら、みんなチベットチベット言ってるじゃない? それでぼくも、行ってみようかなって」
 ブームなんだ。知らなかった。そういえば成都(チェンドゥ)でも、宿の掲示板にラサ行きのツアーメイトを募集する張り紙がいくつもあったっけ。でも佐々木さんは流行りに流されたとかそんな風でもなくて、たぶん、彼なりの深い理由があるんだろうと思う。
 ただひとつ、どうしても気になることがあって、気になってしょうがなくて、勇気を出して聞いてみた。
「あのう、佐々木さん。佐々木さんは、そのう、おか、ま、さん、ですか?」
「おかまじゃないわよゲイよ! なによその微妙なスタッカート、感じ悪い。あんた感じ悪い」
 いろんな人が、いるもんだ。でも彼は、自分がゲイであることをまったく隠そうとしていないで、というか、なんでゲイであることを隠す必要があるんだろうとか考えて、恥ずかしいとか、そう思ってしまう自分が恥ずかしくなった。
 佐々木さんは、言葉はきついけれどあとあとまで尾を引くような感じでなくて、あまり気にはならない。
「そんで、あんた、なんでチベットなの?」
 人に聞いたんだからもちろん私も答えるべきなのに、まだその答えを、きちんと人に説明できない。
「まあ、なんというか、あこがれてたんですよ。前から。そんで、いろいろと、巡り合わせというか、そんな感じでようやっと」
「ふうん」
 彼はそれだけ言って、でも、なんだかすべてを見抜かれているような気がした。怖いようで、なんでも相談に乗ってくれそうな、不思議な感じ。
 食べ終わると、私はまっすぐ宿に帰ったけれど、佐々木さんはどこかに寄り道して、ノブさんみたいに串焼きを食べながら帰ってきた。
「あんたもひとつ、どう?」
「あっ、ありがとうございます」
 佐々木さんと同じ、激辛だった。

一月十二日

 なかば佐々木さんに連れ出されるような感じで、ロンウォ寺に行った。
 国道だか省道だか、広い舗装道路の両側に仏像屋さんとか仏画屋さんとかチベット語の看板の出ているチベット人向け商店が並んで、門前町といった感じ。ここもチベット服姿の人が多くて、女の人のチベット服はツォエで見たような襟付きタイプ。
 佐々木さんがいちいち仏画屋さんで足を止めているのは、どうやらその方面に興味があるらしい。

 ロンウォ寺はコウちゃんの言うオープンクラスタ型とエンクローズド型の中間というか、高い塀に囲まれたいくつかの建物が集まっている風で、境内全体を囲む塀はないけれども、僧坊やらお堂やらの白い壁が迷路のよう。
 コウちゃんのノートには、『ロンウォ・デチェン・チュンコルリン、AD一三0二、サムテン・リンチェン建(サキャ)、十七C、シャル・ケルデン・ギャムツォがゲルク・ゴンパとして再建』と、書いてある。
 お坊さんはまばらだし、本堂入り口は閉まっていた。そこの三メートル以上はある高い壁に描かれた大きな壁画を見上げると、佐々木さんは立ちどまる。鞄からノートと鉛筆を取りだして何かを描いているようで、悪いと思いながらも後ろからチラッとそのノートをのぞき込んだら、壁画の手とか足とか、細かい部分をいくつもスケッチしてあった。
「アートだわ」私にポツリとそう言って、また絵を描く作業に戻る。「こういうのって、手足の比率がどうだとか、ぜんぶ細かく決まってるらしいの。でもキッチリ決まってるようで、やっぱり描く人によって個性が出るのよね。上手い下手ってあるし、同じ人が描いたものでも、顔見るとやっつけで描いたんだろうなとか、なんとなくわかるの。不思議よねえ」
「佐々木さん、詳しいんですか? 仏画とか」
「前にネパールで見てね、なんかいいわあって思ってたのよ。すてきじゃない? タンカっての? チベットの仏画がいろいろ売ってて、ぼくも描いてみたいって思ってたわけ」
 あとでノートを見せてもらったら、ほかにもチョルテンとか柱と梁の組み合わせとか、いろいろスケッチしてあった。

 お寺の西側の丘に登ると、ロンウォの町が一望できる。一面乾いた茶色の景色。比較的標高が低いからなのかストーブから出る煙のせいなのか、空の青さが今までより薄いように感じた。
 それから町に下ると、回族(フイズー)食堂でお昼にしてから佐々木さんと分かれて、私は新市街のほうを歩き回った。
 町外れに歩くと、まだ建てている途中の四角いビルと真新しい政府関係の建物がいくつかあるけれど、歩道を歩いているのは、ポツンと私ひとり。車もほとんど走っていない。
 西部大開発。ノブさんが言ってたっけ。たとえば、緑豊かな四川(スーチュアン)省の故郷を離れてこういう殺風景な場所に出稼ぎに来るのって、どんな気分なんだろう。

 冷たい風が吹くようになたから、宿に帰ることにした。
 部屋に戻っても佐々木さんは帰っていなくて、私ひとり。町の様子はあれだけ寒々しかったのに、建物の中は暖房が効きすぎるくらいだった。

 地図とコウちゃんノートを広げてこれから先の予定を考えていたはずだったのに、佐々木さんが帰ってきて目が覚めた。
「あんた、寝てばっかねえ」
「あ、なんか、すいません。どうも、いくら寝ても寝足りなくて」
「あやまんなくてもいいけど、そんなに寝てたら、目え腐るわよ」
 ごもっとも。「すいません、佐々木さん、晩ごはんは?」
「小腹的な感じだけど、今でもいいわよ。この町、夜早いし」

 帰ってきたばかりの佐々木さんとまた外に出ると、行くのは、また回族の食堂。ンガワあたりから白い帽子の回族がやたら目に付くようになっているし、最近、拌面(バンメン)ばかり食べている。
「そういや、あれです。カムで会った人がチベット詳しい人で、言ってました。チベットの仏画って、描き方細かく決まってるのに上手い下手があって、ネパールのとか、ひどいって」
「カムって、イケメンの国?」
「なんかそうらしいですけど、私よくわからないです。すみません」
「まりちゃんあんた、いちいちあやまんなくてもいいわよ」
「ああ、すいません」
「だからね、もう、いいわ」
「よく言われます。謝りすぎだって」
「まあ、謝んないのよりはいいんだけどね。そうね、確かにカトマンで店先に売ってるのは、どうかっての、多いわよね。だから、チベットのはどうなのかなって思ったの。ここらへんって、アートの国らしいじゃない?」
「レコン芸術、って言うらしいですね。私、初めてだしわからないんですけど、ロンウォ寺の壁画見てると、すごいのかなあって。佐々木さん、絵描く人なんですか?」
「失礼ね。ぼくは本業のアーティストよ。二丁目とかは、あくまでも副業だから」
「二丁目? 新宿の?」
「そう。アートだけじゃあ、なかなか食べらんないのよ、今の時代は。ゲイも大変なの」
 水商売の人だから、人の話を聞くのが上手いんだ。「アートって、どっちの方面の?」
「大学じゃあ彫刻やってたけど、最近は絵が中心。頼まれればデサイン関係のプロデュースとかもするし、あんたわかんないだろうけど、けっこうな値段で買ってもらえるのよ。ぼくの絵」
 アートかあ。コウちゃんはチベットの写真で、何がしたかったんだろう。
「まりちゃん、ぼうっとしない」
「あ、はい。特技があるって、うらやましいなあって」
 佐々木さんはそれ以上は何も言わないで、仕事で慣れてるんだろうか、私が考え込んであんまり話をしたくないときには話しかけてくることも少なくて、そういう細かい気使いがふつうにできるのがまた、うらやましい。
 昨日と同じように私が先に宿に帰ったあと、佐々木さんはまた、激辛の串焼きを食べながら戻ってきた。

一月十五日

 やっぱり佐々木さんに連れ出されるようにして、ロンウォ周辺の小さいお寺を回ってすごした。ニェントー、ゴマル、センゲション、トキャ。
 佐々木さんは、お寺に行くたびにアートだわを連発しながらノートにいろんなスケッチを描いて、とくにロンウォの北のセンゲション村は芸術家の村だそうで、村のヤンゴ寺とマンゴ寺、二つのお寺では僧坊とか在家の人の家まで行って、熱心に仏画の描き方を研究していた。

「佐々木さん、仏画の絵師になるんですか?」
 お昼どき。もう、毎日連続で回族(フイズー)食堂。
「そうねえ、レコンのアートは、ちょっと勉強してみたいわねえ。カトマンドゥの街角で売ってるのよりは、はるかにクォリティが高いもの」
「そういう、仏画とか勉強するところって、あるんですか?」
「ぼくが聞きたいわよ。カトマンドゥにはあるみたいだけど、チベットはどうなのかしらね。あるんなら、しばらくこっちで勉強してみたい」
「佐々木さんは、チベットの魅力ってなんだと思いますか?」
「イケメン」
 もっと、高尚な答えが返ってくると思っていた。「アートとかと、どう関係があるんですか?」
「やあねあんた。ゲイってのは、人生そのものがアートなのよ」
 なんだか、意味がわからなくなってきた。
「それはそうとまりちゃん、明日はどうすんの?」
 私は次の町に移動しようと思っていたし、佐々木さんも、そろそろ移動のはず。
西寧(シーニン)に、行こうかと。佐々木さんは?」
「そうね、夏河(シアハア)に行こうかしら。朗木寺(ランムースー)って、どんな感じ?」
「タクツァン・ラモ、いいところでしたよ。妖精みたいな、日本人の子がいるかも」
「あらやだ、イケメン?」
「いえ、女の子」
「やだあ、女なんて。気持ち悪い」
「はあ」

 最後に二人でロンウォ寺をグルグル回ってから、宿に帰ってお互いの知っていることを教え合った。私は佐々木さんから西寧のことを聞いて、佐々木さんに私が話すのは、ラブランとタクツァン・ラモの宿とか、おいしかったごはん屋さんのこととか。
 佐々木さんは明日早いから、二人で早めに晩ごはんに行った。彼は毎日激辛の串焼きを食べながら、宿に戻ってくる。二人ともほとんど無言でパッキング。私はやっぱり、知らないところに行くのが不安というか佐々木さんと別れるのが寂しいのか、なんとも言えない気分で、佐々木さんのほうも私に気を使っているのかどうか、あんまりしゃべらない。しゃべりだしたら、止まらない人なのに。
 そんな佐々木さんの、大人なところと毒のある中にも気配りのある話し方が好きになっていた。佐々木さんに好きと言っても、気持ち悪いと言われるだけだろうけれど。

一月十六日

一月十六日

 目が覚めたら、佐々木さんはもう出たあとだった。
 最後にさようならを言いたかったのに、起こしてくださいとは言ってあったけれど、私が熟睡していたのを見て起こさないことにしたんだろうか。
 不安なはずだったのに、久しぶりにアラームにも気づかないくらい熟睡していた。

 レコンから西寧(シーニン)行きのバスは午後まで頻発しているから、余裕を持って準備して、十時くらいにバスターミナルに行った。
 切符を買って私の乗るバスを探したら、エンジンを回していてほとんど満員。ドライバーに急かされてバックパックをトランクルームに入れると、まだ出発時間には十分くらい余裕があったのに発車。

 道はものすごくよくなって、高速道路みたいな高速道路。景色は乾いたまま、茶色い丸裸の山々が遠くまで続いている。

 ウトウトしたと思ったら、もう西寧の町。三時間で着いた。コウちゃんのノートには五時間と書いてあったから、道がよくなって時間が短縮されているんだろう。こうやってどんどん便利になって、でも、便利さと引き替えに失くなっているものもあるんだろうか。私にはわからない。

 チベットの言葉で、スラン。中国語では、西寧。青海(チンハイ)省の省都で、成都(チェンドゥ)以来の大都市だった。
 バスターミナルは電車の駅のすぐ近所、ユースホステルが市内にあるはずだけれど、タクシーに乗るのが面倒になって佐々木さんが泊まった駅前のホテルに泊まることにした。ツインで六十元。中シャワートイレだし、お湯がジャバジャバ出て暖房完備。
 駅前の回族(フイズー)食堂でお昼にしてから、町の中を探索する。車の多さに、目が回りそう。大きなスーパーで買い物をしてから宿に帰ると、久しぶりにシャワーと洗濯。中途半端な時間に晩ごはんに出たあと、部屋でコウちゃんノートを見て明日からの計画を立てる。だんだん眠くなって、そういえば、ひとりだけですごすのは久しぶりだった。

一月十七日

一月十七日

 夜明け前から起きて、窓の外の駅前広場をずっと眺めていた。
 小さいころは明け方の青い景色がだんだん色づいて街が起きだす様子を家のベランダから見ているのが大好きで、私が住んでいたのはマンションの四階だったから、親にはよく心配された。
 二重になった窓を通しても、外の寒さが強烈なのがわかる。どこに行くのか、大きな荷物を持って広場を行き交う人たちの吐く息は白く、みんな足早。高原から下りてきたままのようなチベット服の集団がウロウロしているかと思うと、白い帽子の回族(フイズー)は、なぜか揃えたように同じような黒いコート姿。電車が着いたのか、駅からゾロゾロ人が出て客待ちのタクシーに拾われると、西寧(シーニン)の街に散っていく。

 駅前の中華食堂で、久しぶりに油条(ヨウティアオ)豆漿(トウジャン)を食べた。
 日が十分に昇って暖かくなってから、今日はマルツァンダク寺に向かうことにする。歴史的に重要らしいマルツァンダク寺は日本で買ったガイドブックにはちょっと解説があるだけなのに、コウちゃんノートにはこと細かく地図やら詳しい行き方が書いてある。

 バスターミナルから出たバスが駅からちょっと離れた路上で客待ちをするから、そっちで平安(ピンアン)行きのバスに乗った。ターミナルから乗るより、何元か安いらしい。満員になると、バスは走りだした。高速道路のような、料金所のある立派な道。寝る間もなく平安の町に着いた。

 中国語で、平安。チベット語では、ツォンカ・カルとかツォンカ・デカムとか言うらしい。でも、チベット人も平安とふつうに中国語で呼んでいることを、あとになって知った。
 平安県は今のダライ・ラマ十四世の出身地だそうで、ラサから見ると、ずいぶんな辺境の出身なんだなと思う。チベットというよりは回族ばかりが目立っていて、モスクとミナレットのイスラム文化圏のようだった。

 コウちゃんノートに従ってバスを降りて、大通りから互助(フーズー)県に向かう道を歩く。
 ツォンチュ川に架かる橋を渡ると、行政上は互助県。平安県は開放だけれど、互助県は本当は非開放地区らしい。
 目の前にはメサみたいな赤い岩山、その切り立った壁のような岩肌にへばりつく白い建物がマルツァンダク寺。そこを目指して、畑の間を通る細い道を通る。
 改めて近くで見ると、村のはずれに突然大きな岩山がそそり立っていて、こういう地形ってどうやって造られるんだろう。
 壁を白く塗られたお寺への参道を登る。ほとんど垂直な山肌に、真四角にくり貫かれた部屋が見えた。天井に何か絵が書いてあるのが見える。その部屋にたどり着く道は見あたらないから、昔のお堂の跡だろうか。
 一息ついて先に進むと、お地蔵さんのようなシュールな黄色い仏像。頭が大きくて、大きな左の掌をツォンチュ川に向けているのは、川の氾濫を押さえているらしい。コウちゃんノートになんでも書いてある。その仏像をさらにデフォルメした、かわいい絵も描いてあった。
 また一息、お寺のこぢんまりとした白い建物は、周りの岩山と半ば一体になったよう。お堂が二つの小さいお寺で、でも九世紀からの歴史がある由緒正しいお寺らしい。
 お堂の扉は開いていたのに人の姿は見あたらず、るりちゃんみたいに仏像の前にお賽銭を置いて帰ることにした。

 平安の大通りに戻ると、ちょうどバスが西寧、西寧と呼び込みをしながら走っている。おなかが空いていたから平安の町で何か食べて帰ろうと思っていたけれど、目の前のバスに駆け込んで西寧に帰ることにした。

 西寧駅前からちょっと離れてみようと思って、歩き回って見つけたファストフード屋さんで久しぶりにハンバーガーを食べたころには、もう午後も遅くなっていた。
 またスーパーに寄ってから宿に帰ると、今日もシャワーと洗濯。変な時間にお昼だったからおなかは空かず、夜は買ってきたお菓子をつまんで済ませると、コウちゃんノートを眺めているうちに眠くなる。

一月十八日

 駅前広場を眺めて日が昇るのを待ってから、今日は、クンブム寺見物に行く。
 市バスを変なところで降りてしまって、地図とにらめっこしながら、ようやく路上で客待ちをしているクンブム寺行きのバスを見つけた。

 チベット語でクンブム・ジャムパリン、中国語では塔爾寺(タアアルスー)。このへんでは一番のゲルク派の巨大僧院だそうで、でも、コウちゃんノートにはほとんど何も書いていない。
 いつものように、満員になるとバスは発車。巡礼なのか、チベット服のおばあさんはバスが走りだしたとたんにビニール袋に吐いている。私はすぐに眠くなって、起きたらルシャルの町の中だった。クンブム寺はルシャル、中国語で湟中(ホアンジョン)の町のはずれにある。
 バスは繁華街から脇道に入る。ガタガタの細い道だけれども、両脇にはチベット寺の屋根にのっている金色の鹿とか法輪を売るお店が並んでいた。クンブム寺の正門前が終点。広場になっていて、おみやげ物の屋台がいくつか出ていた。
 同じバスに乗っていたチベット服の集団に混じって、階段を上がった正門の中へ。巡礼のチベット人はそのままクンブム寺の境内に入っていった。私は、チケット売場で入場料を払う。
 冬で寒いからなのか、観光客はまばら。というか、お坊さんもまばら。全体的に閑散とした感じが寒々しい。お堂自体は立派で、金色の仏像とか柱の鮮やかな朱色とか、外の世界は荒涼としてるのに、お寺の中はどこも極彩色。
 順路に従って一通り回って、出口へ。門を出ると、民族衣装を着て記念写真を撮る写真屋さんが声をかけてくる。言葉がわからないし興味もないから、適当に愛想を振りまいてお土産物街みたいな商店街に入った。麗江(リージャン)的な、チベットのものなのかよくわからないアクセサリーは中国の観光地共通だ、と洋子さんが言っていたっけ。

 お寺の中と同じように閑散としている門前町でお昼ごはんにしてから、ルシャルの町中のチベット商店を冷やかし気味に覗いて、行きと同じように路上で呼び込みをしていたバスに乗って西寧(シーニン)に帰った。
 なぜか市内の中心から少し外れた路上が終点で、そこからまた地図を見ながらさまよっていたら、ファストフード屋さんが目に留まる。日本では滅多に行かないのに、いつもと違った味が恋しくなってまたハンバーガーを食べる。市バスに乗って宿まで帰ろうと思っていたら、市バス乗り場を探しているうちに駅前にたどり着いていた。
 今日は食べすぎたから夜は昨日の備蓄分のお菓子にしておいて、歩いて疲れたのか、シャワーを浴び終わったらすぐに眠くなった。

一月十九日

 昨日歩きすぎたみたいで、疲れてなかなか起きられない。それでも、佐々木さんには怒られるだろうけれどもるりちゃんの標準よりは早いくらいの時間には、油条(ヨウティアオ)をかじりながら豆漿(トウジャン)をすすっていた。

 今日は、西寧(シーニン)の市内にあるチベット寺に行くことにする。
 ケーバミ・スムギ・ラカン。
 コウちゃんノートに省政府の裏と書いてあって、青海(チンハイ)省政府の建物は見つかったのに、その省政府裏への行き方がわからない。正門前には緑色の制服の衛兵が立ってるから、なんとなく関係者以外は入ってはいけない雰囲気。お寺があるはずのブロックを二周してようやく、警察の派出所の奥に小型のマニ車が並んだ建物に気がついた。
 入っていいのかなと思いながらも、コルラしている人が見えたから、ごめんくださいと言いながら派出所の門を潜る。数珠を繰りながらマニ車を回してコルラするチベット服のおばあさんがいて、チベット寺なんだと確認。
 私もところどころ飛び飛びでマニ車を回しながら、お寺を一周。正面ポーチ部分がガラス張りになっていて、その正面に向かって一心に五体投地礼を繰り返す人がいる。
 このお寺は、建物は新しいけれど歴史はマルツァンダクと同じくらい長いそうで、美術品じゃあないんだから仏像の古さで信仰の価値は決まらないと言ったのは、ノブさんだったかるりちゃんだったか。
 靴を脱いでガラス戸を開けて、中はやっぱり、大きな仏像があって派手派手なチベット風。コウちゃんノートには、ラモ・デチェンの支店と書いてある。ラモ・デチェンってお寺は、どこにあるんだろう。

 そこを出てから、ちょうどお昼ごろだし、近所のファストフード屋さんでハンバーガーを食べる。なんか私、一度決めたら同じものばかり食べている。
 午後はまた、地図を見て迷いながら、べつのお寺に行った。クンブム寺の支店らしい。大通りから奥に入ったところにあってわかりにくいのに、コウちゃんは、どうやって知ったんだろう。
 午前中のと同じくらいの、小さなお寺。赤いチベット袈裟のお坊さんはいたけれど、中庭でたくさんの線香が燃えている様子は、香港か台湾のお寺のようだった。

 スーパーに寄ったり市場を眺めたりして、今日も市バスに乗ろうと思っていたら、駅前までたどり着いてしまった。

一月二十日

 あと一週間したら、ビザを延長しようと思った。
 一週間どこに行こうかと考えたけれど、朝起きたときの気分で、居心地のいいラブランに戻ることに決めた。

 西寧(シーニン)からラブラン行きのバスは一日一本、七時半発車。バスターミナルに行ったら、まだシャッターが開いていない。ガタガタ震えながらターミナルの営業が始まるのを待って、バスに乗り込んだころには、寒さと眠さで意識が半ば朦朧としていた。
 寒気は収まらないし車に酔って気持ち悪くなっていたものの、バスそのものは順調。峠を越えて甘粛(ガンスー)省に入ると、雪が降ったらしく真っ白な景色。

 七時間ちょっとで、ラブランに着いた。バスターミナルの外でお客さんがみんなバスから降りだして、私も凍ってツルツルの道をおっかなびっくり歩いてバックパックをトランクルームから引っ張りだすと、その場で客待ちをしていたタクシーに乗った。
 天気は快晴なのに、とにかく寒い。ついこの間まで泊まっていた宿に戻って入り口の扉を押し開けると、ツェラン・ツォがストーブの前に座って、お茶を飲んでいる。ニコニコしながら何か言ってくれるけれど、何を言ってるのか私にはわからない。
 ツェラン・ツォに前と同じ部屋に案内されると、るりちゃんのベッドには私が出たときのまま、脇に彼女のバックパックが置いてある。るりちゃん以外には、誰も泊まっていないらしい。ほのかに、チベット線香の香り。前と同じベッドを占領することにして、お昼を食べていなかったから荷物を置いたら外に出ようかと思っていたのに、体調がすっかり悪くなって外に出る気力がなくなっていた。

 布団をかぶってベッドに横になっていたら、るりちゃんが帰ってきた。
「おかえんなさい」
 それだけ言って、私を見てびっくりするでもなく静かに微笑んでいる。その笑顔を見たら、なんだか涙が出そうなくらいの安心感でいっぱいになった。安心感と、懐かしさ、暖かさ。
 何を話していいのかわからずに、私はひとこと、「出戻っちゃった」
「たぶん、まりちゃん来るだろうなって思ってた」
「夢で、見た?」
「そうじゃないけど、予感。すぐに会えるだろうなって」
 自分のベッドに座る彼女のチベット服の腰には、小さめのショルン。
「買ったんだ」
 私が指さして言うと、「そうそう、前から欲しかったんだけどさあ、たまたまふらっと入ったお土産物屋で見て、チョー欲しくなって、買っちゃった。まりちゃん行った次の日」
「そういや、佐々木さんて人に会った?」
「佐々木、ねえさん? うん。面白い人。そうだ、レコンで日本人の女の子に会ったって言ってた。まりちゃんだろうなって思ってたけど、やっぱりそうなんだ」
「ラブラン行くって言ってたから、ここに泊まるといいって言っといたの。でも初めて会ったとき、ビックリした。おかまさんだとは思わないもん」
「おかまじゃなくてゲイでしょ? でも、ラブランはツーリスティックでいやだって言って、二日いただけでタクツァン・ラモに行っちゃった。私、ゲイの知り合いがいるから、会った瞬間なんとなくこの人ゲイなんだろうなって思ったけどさ、まりちゃん、なんで佐々木さんゲイだってわかったの?」
「なんか、仕草とかがいちいち私より女っぽいし、それに絵に描いたようなおねえ言葉だし、思い切って聞いてみたの。そしたら、おかまじゃないわよゲイよだって」
 お互い十日間の出来事を報告しあって、笑いあって、楽しい時間はあっと言う間。
 るりちゃんに誘われて、よく行っていた回族(フイズー)食堂で晩ごはんにしてから宿に戻ってストーブを囲んでまたおしゃべり。寝る前には、恒例のジャンケン。私が電気を消した。 

一月二十一日

 なかなか外が明るくならないと思って外を見ると、雪が降っている。
 粉のような白い雪がさらさらと風に吹かれて窓の外を斜めに降るのをながめていたら、るりちゃんが起きた。うんっ、と大きな伸びをしてから、またチベット服をかぶって横になる。
「さみい」
「るりちゃん、佐々木さんに目が腐るって、言われなかった?」
「言われた。でも、もうとっくに頭が腐ってますよって言ったら、佐々木さんチョーうけてた」
 私もるりちゃんのように横になって、頭から布団をかぶった。
「まりちゃん、風邪?」
「うん。鼻水止まんない」
 昨日のバスで、すっかり体調を崩したらしい。鼻水は止まらないし、熱っぽくて頭がぼうっとしている。
「天気予報じゃあ、ドカドカ降るってさ。中国内地も大雪だって」
 そう言いながらるりちゃんは起きあがって、二人ぶんのコーヒーを淹れる。
「ありがと」身体を起こしてホーローカップを両手で抱えながら、「私のビザ、二十九日で切れるんだよね。あと八日」
 るりちゃんは、ベッドに戻ってチベット服をマントにすると、「金曜日にツォエに行ってみるのはどうかな? まあ、蘭州(ランジョウ)なら楽勝なんだけど。延長したらラサ行くんだよね? 電車? バス?」
「どっちがいいのかな?」
「楽なのは、電車。蘭州かスランなら何本もあるし、中国暦でももうすぐお正月だから電車混んでるけど、こっちからラサ行くのはガラガラだと思うよ」
「許可証は?」
「なに食わぬ顔で切符買えば、問題ないって。バスは寒いし、自分のタイミングでトイレ行けないし」

 半日、部屋の中でるりちゃんにラサ行きのヒントをもらいながらすごした。
 お昼になって、鼻水は止まらないままだけれどごはんを食べようと外に出ると、限りなく微妙な薄日が差す天気。ときどき、本当に粉のような雪が降る。
 歩道のツルツルしたタイルに雪が積もると滑りやすくなっていて、二人で慎重によたよたと歩きながら、なんとかるりちゃんの知り合いのお店までたどり着いた。るりちゃんと食べる素朴なパンケーキの味は、格別だった。

 天気が悪くて寒いとかでなく、道が滑りやすくて危なっかしいから外を出歩きたくなくなって、二人でときどき支え合いながら宿に戻る。
 ツェラン・ツォとるりちゃんからチベット語を習っていたら、夕方。おなかも減ったし、しょうがないと外に出るけれど、宿から一番近い回族(フイズー)食堂で拌面(バンメン)を食べたらすぐに帰って、またるりちゃんとおしゃべり。
 天気が悪かったから、シャワーからお湯は出なかった。シャワー用のお湯は、太陽熱で温めているらしい。るりちゃんは、もう三日シャワーを浴びていないと言っていた。
 鼻水は流れっぱなしだし、るりちゃんは下の階でツェラン・ツォとテレビを見ていたけれど、私は先に寝ることにした。

一月二十二日

 大雪だった。空はいつまでも暗いままだし、本格的に雪がドカドカと降っている。
 今朝はボイラーも止まっているようで、起きたら部屋の中まで寒い。ベッドに座って、今日も窓の外をじっと見つめていた。
 モゾモゾと起きあがったるりちゃんに、「外、大雪」
「フィルの瞑想癖が移ったかと思った。風邪は?」
「なんとか。熱っぽいのはなくなったけど、まだ鼻水止まんない。夜中、鼻詰まって息苦しくなって起きた」
 今日もるりちゃんが、私のぶんもコーヒーを淹れてくれた。
「ありがとう」ホーローカップを受け取って、「るりちゃん、手鼻ってできる?」
「まあ、シャワーのときに練習しないことはないけど、そこはやっぱりほら、日本の女子として、最低限守んなきゃならない部分があると思うのね」
「るりちゃんの最低限って、どうなんだろうね」
「やあ、何それ? まりちゃん、けっこう辛口」彼女はコーヒーをひとくち飲んで、「まりちゃんさ、朝ときどきじっと外眺めてること、あるよね」
「ちっちゃいころからのね、癖。お母さん、よく心配してた。この子、窓から飛び降りるんじゃないだろうかって。こう、夜から朝になってく瞬間てさ、いつ見ても飽きないんだよね」
 ラブランパンを二人で分け合って、朝ごはん。
「まりちゃんのお母さんって、どんな人?」
「変な人だよ。でもお父さんといっしょにいれて、すごく幸せそう。躾は、厳しかったなあ。ごはんは残さず食べなさいとか。ケーキ作るのすごく上手なの。作って食べるからさあ、若いときの写真見るとすごい細いんだけど、今は絵に描いたような肝っ玉母さん。前、お父さんが冗談で言ってた。詐欺だって」
「家族、仲いいんだね」
「るりちゃんとこは?」
「うち? うちは、ふつう」
 それだけ答えて、あとが続かない。やっぱりこの子は、自分のことを話したくないらしい。るりちゃんが話したくないならと、私もそれ以上は何も言わないでおいた。

 これだけ大雪だと、まったく外に出る気にならない。るりちゃんとツェラン・ツォと、ストーブにあたってすごすしかなかった。
 昼になってごはんを食べに出たけれど、風も吹いていて、顔に当たる雪は痛いくらいだった。るりちゃんはもう毎日チベット服で、今日は朝からメガネをかけている。
「珍しいね、外出るときもメガネなんて」
「ファッション、ファッション」
 一番近所の中華屋さんで食べることにして、るりちゃんが扉を開ける。
「でもさあ、こういうとこだと、弱点もあんのよね、メガネだと」私を振り返って、「ほら」
 メガネが曇って、真っ白になっていた。爆笑する私に、「でも、おいしいからついついやっちゃうんだよね。アブーが、彼って目がいいからね、そういう小道具って悔しいって言われた」
「おいしいってか、ずるいよ。そういうので笑い取るの」
 彼女はケラケラ笑ってから、私たちのやり取りを不思議そうに見ていた店のおじさんに砂鍋(シャーグオ)を二つ注文した。
 るりちゃんの向かいに座って、私は思った。彼女が家族の話はぜんぜんしないのにアブーの話をするときは積極的なのは、もしかしたら、るりちゃんが好きなのは彼女のぬらりひょん、アブーかもしれない。
「こんだけ大雪だと、何もできないねえ」
 そう言って、ぼうっと外を見つめるるりちゃん。私も外の景色を眺める。雪は降り続いていて、外を歩く人はチベット服を着ていても寒そう。湯気の立つ砂鍋がテーブルに置かれると、るりちゃんがまたメガネを曇らせながら私を見てニヤニヤする。
「だめだよ、るりちゃん。二回目は、もうつまんない」
「ちぇっ、アブーなんか、何回やってもゲラゲラ笑ってくれるのに」
 じゃあ、アブーに見せてあげなさいな。「なんで、アブーといっしょにラサにいないの?」
「私はアムドにいるのが楽しいし、アブーはラサで用事があるし。予定が合えば遊んでてもいいけど、無理にお互いの都合を合わせる必要もないし。って感じかなあ」
 私は、コウちゃんとずっといっしょにいたかった。でも、彼がチベット行きの準備をしているときの楽しそうな顔を見ると、行かないで私といてとは、言えなかった。
「べつに付き合ってるわけじゃないし、あんまりいっしょにいる理由もない。見てるとおもしろい人だけど」
 つかず離れず、なのか。でも、アブーのことを話するりちゃんの目はいつも輝いていて、アブーのほうがどう思っているのかは会ってみないとわからないけど、るりちゃんはアブーのことが好きでたまらないんだと思った。
 会ってみないとわからないけど。
 私は、アブーに会いに行くらしい。
 そう考えながらニヤけていたみたいで、「まりちゃん、何を思い出し笑いしてんの?」
「ううん、なんでもない。私もメガネほしいなって」

 さっきよりも、雪が積もっている。歩道より車道のほうが滑らないのがわかって、車道の新雪を踏みしめながら宿まで帰った。
 ストーブの前でお茶を飲むか、るりちゃんと交代でメールを見るくらいしかすることがない。晩ごはんは昼にスーパーで買っておいたカップ麺とかそんなので済ませて、今日はるりちゃんも早めにベッドに入る。ジャンケンは、私の勝ち。
「この雪、いつまで降るんだろうねえ」
 電気を消してベッドに戻るるりちゃんに言うと、「当分降るみたいだよ。でもラサは晴れてるって。ひどいのは、中国の内陸みたい」
「私、ずっと東京だからさ、小さいころとか、雪降るの楽しみだった。学校お休みになったりして」
 そういや、るりちゃんの出身ってどこだろう。私はこれだけ仲良くなったと思っているのに、彼女には秘密が多くて、私は彼女のことを何も知らない。
「初めてここ来たときも、雪降って寒かったよなあ。あの人と会ったとき」
 私に話しかけているようでもあり、ひとりごとのようでもあり。
「アブー?」
「ううん。ロマの人。アブーとは、ラモで会った。まりちゃんと会ったときみたい。私、キルティのリンコルにいたらチベット服着たアブーが歩いてきてさ、わざとカタコトの日本語で話しかけてきたの。日本語上手ですねって言ったら、お父さんは日本人だって。当時の私はまだウブだったから、てっきりハーフなんだろうなってすっかり信じ込んでて、でもあとで、お母さんは日本人ですとか言いだしてさ、それって百パーセントピュア日本人じゃん、みたいな。そうやって人をおちょくるのが大好きだからさ、ときどき、ムカつく」
「ロマの人は?」
 るりちゃんは静かになって、話したくないんだろうかと思ったら、「ソナム・ヤンチェンって人。チベット名だけど。アブーとは前から知り合いだったみたいでね、二人でたまたま入ったレストランに彼女がいて、ああって感じで。今日みたいな、大雪の日」
「その人、今はどうしてるの?」
 話の流れで聞いた質問だったけれど、るりちゃんは、彼女には珍しい深いため息。そしてポツリと、「二00五年の、ロンドン。たまたま、たまたまだったんだって。たまたま、いつもと違う時間。いつもと違うバス。そこに爆弾があって、それだけ。爆弾だって。人間の運命なんてさ、つまらない偶然で、決まっちゃうんだよね」
 突然、るりちゃんが泣きだした。号泣だった。私のときにるりちゃんがそうしたように、私もるりちゃんが落ち着くのを待つ。
「るりちゃん?」
「うん、大丈夫。ごめん、なんでもない」
 なんでもないはずがないし、謝るのは私のほうだ。「あの、ごめんなさい」
「いいよ、もう大丈夫。大丈夫」そう言って、大きく息を吸ってから、「彼女の同居人からメールが来て、私そのとき日本で住み込みのバイトしてたんだけど、もうなんにも考えられなくなっちゃって、でも仕事は途中で投げたくなかったからさ、日中ひたすら働いて、夜はぼうっとして、みたいな。そんで、仕事の期間終わったら、もう抜け殻。知り合いの家で、完全引きこもり。一時期ごはんも食べらんなかった」
 長い沈黙。
「あのう、るりちゃん?」
「ごめん。いろいろ思い出しちゃって、つい。でももう、とっくに整理ついてることだから。アブーがよくしてくれてね、ロンドンまで連れてってくれたり」
 やっぱり、アブーはるりちゃんにとって特別な存在なんだろうなと思う。そしてもう一人、彼女には特別な人がいたけれど、その人を突然亡くしていて、彼女は心の整理がついたと言っているけれど、実は笑顔の合間にときどき陰を見せる理由になっているのかもしれない。
「まりちゃんと同じでさあ、ソナム・ヤンチェンも、初めて会った気がしなかった。そんで彼女、私のことすんごいかわいがってくれて」
「好きだったんだね。その人のこと」
「うん。ほんとに、お母さんみたいだった。お母さんみたいって言うと、そんな歳じゃないって怒るんだけどね」
 それから、二人とも無言になった。

一月二十三日

 雪は降り続く。
 八宝茶(パーバオチャ)をすすっていたら、るりちゃんがゆっくりとベッドの上で身体を起こした。私に向かってニッコリいつもの笑顔だけれど、目が真っ赤だった。寝ながら泣いていたんだろうか。胸が罪悪感でいっぱいになる。
 何も言わないでるりちゃんのチベットカップにコーヒーを淹れてあげると、彼女はまた優しく微笑んで、カップを受け取った。
「るりちゃん、あのさ」
 何か言わなくてはと思ったら、るりちゃんが、「今日も、大雪だねえ」
 やっぱり、彼女の心の中は見えない。でも、昨日の話題はもう終わりということだろうか。るりちゃんの身の上話は、るりちゃんが話したくなったらまた聞けばいい。とりあえず、今日明日の話題に切り替えた。
「私、あさってツォエに行こうと思ってたのに、大丈夫なのかなあ」
「この雪じゃあねえ、さすがにバス止まるかもね。あとでバス駅、行ってみる?」
「そうだね、食料も買い貯めしとかないと。なるべく外出ないでもいいように」

 ラブランパンを食べてから、町に出た。歩く人はまばらだし、車もほとんど走っていない。新雪をサクサクと踏みしめながら歩いてバスターミナルに着くと、駐車場の門は閉まっているし、おまけに鎖と南京錠。
 それを見たるりちゃんが、「ありゃりゃ、バスも止まっちゃったよ」
「こういうことって、よくあんの?」
「うん。最近うるさいみたいよ。まあこんな天気のときに乗っても、運ちゃんチェーンしたがらないし、危険だもんね」
 回族(フイズー)食堂でお昼、スーパーで買い物をして危なっかしく歩きながらようやくの思いで宿に着いたときには、実際歩いた距離の三倍くらい疲れた。
 午後は昨日のようにメールを見るかお茶を飲むかで、それとひたすら、チベット文字を練習しながらすごした。買ってきたお菓子をボリボリつまみながらだったからおなかが空くこともなくて、いい時間になったら、自分たちの部屋に引きあげる。
 ジャンケンは、また私の負け。
 電気を消しておやすみと言いながら布団にもぐり込んだら、るりちゃんが、「まりちゃん?」
「なあに?」
「私ね、人に涙見せたのって、まりちゃんで三人目」
 るりちゃんには悪いけれど、彼女にも人並みにというか、人並み以上に脆い部分があったことに安心したし、それを私には見せてくれたことがうれしかった。でも、あとの二人って誰だろう。
「るりちゃんてさ、不思議な子だよね」
「何が?」
「なんでもない。なんでもないよ。お互いいろいろと、さ」
「おあいこだよ、これで。おやすみ」

一月二十四日

一月二十四日

 目が覚めたら、私がいつもしているように、るりちゃんがベッドに座って窓から外を眺めていた。
「雪、どう?」
 ベッドに寝たままそう聞くと、「昨日よりは、小降り。まりちゃん、風邪は?」
「うん、まだ鼻詰まるけど、だいぶよくなった」
 私も起きて、窓の外を見る。一瞬降っているのかわからないくらい、はらはらと細かい雪が舞っていた。
 るりちゃんを向いて、「よくなるのかなあ、天気」
「まりちゃん、私が早起きするから天気悪いとか、思った?」
 鋭い。なんでわかったんだろう。「ううん、ぜえんぜん。お正月からるりちゃん早起きするから今年は大雪なんだろうなとか、そんなことこれっぽっちも考えてないよ」
「風邪で寝込んでしまえ」立ちあがって、「お茶がいい?」
「ううん、コーヒーでいい。ありがと」

 どこにも出たくないというか出られない天気は続いているから、今日も一日ストーブの前ですごすしかなかった。太陽が出ないから、シャワーも浴びられないし洗濯もできない。
 午後になると、晴れてはいないけれどなんとか雪はやんで、町の様子を見に外に出た。道が滑りやすいことには変わりないから、何回も転びそうになりながらバスターミナルにたどり着く。門は開いていて、タイヤのチェーンをジャラジャラさせながらバスが走っていた。
「今夜降んなきゃ、大丈夫そうだね」
「るりちゃんの言葉、信じた。私、明日行くね」
 ラブランからツォエのバスは朝から夕方まで頻発しているし、一時間くらいで着く。切符は明日バスに乗るとき買うことにして、ラブラン寺のほうに戻った。コルラしようかと思ったけれど、あちこち積もって踏み固められた雪が凍っていて、途中で挫折して宿に帰った。

 明日の午前中にツォエに着いて、午後公安局でビザ申請。早いところでは一日でやってくれるそうだから、その日に受け取れたら、次の日に蘭州(ランジョウ)西寧(シーニン)から電車に乗ろう。

 ストーブの前でるりちゃんに、ラサのことやらこれから先の旅に必要な情報を教えてもらう。
「アブーの連絡先、教えとくよ。いろいろと力になってくれると思うよ。でもチョー人見知りだから最初コミュニケーションに困ると思うけどさあ、本当はすごい面倒見いい人だから」
「コミュニケーションに困るなら、私もチョー人見知りだもん。何話していいんだか」
「じゃあ、紹介状書く。ちょっと待ってて」
 彼女は部屋に戻ると、ノートと本を何冊も抱えて戻ってきた。テーブルの上で、本とノートを行ったり来たりしながらチベット語で手紙を書いているらしい。ツェラン・ツォが珍しそうにのぞき込むと、恥ずかしがって書きかけの手紙を両腕で隠す。
 やがて完成すると満足げに折り畳んで、「絶対直されるんだけどさ、私にしては、名文。これアブーに見せればいい。あと、メールも送っとくね。日本の女子が行くから、世話してあげてって」
 渡された手紙を開こうとすると、「やあん、見ないでよ、恥ずかしい」
「恥ずかしいも何も、私、見てもわかんないし」
 最初から最後まで、チベット語だった。考えながら手紙を書いているときのるりちゃんは本当に楽しそうで、るりちゃんはアブーのことが好きなんだ、そう確信した。
 べつに付き合ってるわけじゃない、らしい。でも、るりちゃんにとっては、特別な人のはずだ。
 アブーはるりちゃんを、どう思っているんだろう。いや、私、この二人の関係を知ってどうするんだろう。でもアブーに会えば、コウちゃんのことがわかる。
「ラサに着いたら、メールするね」
 私のメアドと日本の携帯番号、実家の住所をメモ帳に書いて、そのページをちぎってるりちゃんに渡した。
「そういや私のメアド、教えてなかったよね」
 そう言いながら、るりちゃんが何か書くまねをして紙を探しだしたから、私のメモ帳に書いてもらった。そういや、また会おうねとか言っておきながら、お互いメアドの交換もしていなかった。やっぱり、お互いまたすぐに会えるのがわかっていたのかもしれない。
「私、家なき子だけど日本のケータイは使えるからさ、電話で連絡取れる」
「てか、るりちゃんて、日本にいるの?」
「そうとも言うけどね、六月には帰ってるよ。夏、住み込みのバイトとか行くだろうけど」

 それから前みたいに二人言葉少なくなって、私は部屋に戻るとパッキング。るりちゃんはまだツェラン・ツォと話をしている。日記を書いて、歯を磨いて。るりちゃんも部屋に戻った。そして最後のジャンケンは、私の勝ち。
「るりちゃんは、どうすんの? これからさ」アブーに会いに行かないの?
 彼女はチベット服をすっぽりかぶりながら、「お正月の行事はこっちのほうが盛りあがるからさ、それ見てから考える」
「ラサには、行かないの?」ラサに行って、会いたい人に会えばいいのに。
「そうね。前も言ったけど、なんとも。気分で。まりちゃんは、ネパール抜けてインド?」
「カトマンドゥまでは行こうかと思ってるけど、わかんない。ラサで決める」
「まりちゃん?」
「うん?」
「何か、見つかるといいね」
「何が?」
「コウちゃんの、なんかとか」
「そう、ね。うん」ありがとう。そして、るりちゃんも、アブーと会えるといいね。「るりちゃんは、チベット好き?」
「うーん、どうだろうね。世間一般から見ると、チベット好きだと思われてるんだけどさ、どうなんだろ。まだ、わかんないや」
 わかんないや、か。何回も、ずっとチベットばかり来てチベット語習ってて、チベット服着て。それでもわかんないんだ。
 ちょっと間を置いてるりちゃんが、「わかんないって、答えになってないよね」
「うん、いいよ。ありがと。おやすみ」

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その10 雪降るチベット

心の中の雪の国~私のチベット旅行記~ その10 雪降るチベット

二00七年十月、私は旅にでた。目的地は、チベット。

  • 小説
  • 短編
  • 冒険
  • 時代・歴史
  • 全年齢対象
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登録日
2020-02-04

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