小鬼と猫
『オニは~そと!フクは~うち!』
あぁ、ほら。
『オニは~そと!フクは~うち!』
ほら、また。
『オニは~そと!』
ボクが何をしたって言うんだ。
宵の口。路に並んだ大店は店を閉め、人気の無くなった江戸の町。漂う夕餉の香り。聞こえてくる声は路地の奥、長屋の方から。楽しそうな、家族の、ヒトの、声。
色の抜けた髪、赤く濁った瞳。人々はボクのことを『オニ』と呼ぶ。
ただ色が違うだけ。心も体もヒトのそれと何が違うのか、ボクには分からない。
「オニは~そと!フクは~うち!」
あぁ、ほらまた。今日は何故かボクを追い出そうとする、声。襲ったことなど無いというのに。
行く当てもなく、砂利道に足をこすらせ歩いていると、道の向こう、揺れる提灯の灯——ヒトだ。ヒトに見つかると厄介だ。そう思い、慌てて近くの曲がり角に身を潜めた。気付かれないことを祈りながら様子を窺っていると、聞こえてきたのはヒトの悲鳴。
「うわぁ!やめてくれ、不幸になんざなりたくねぇ……!」
ヒトは大声で叫ぶと、ざざざざ、と足音を響かせながら駆けていった。舞い上がった土埃が収まるのを待ち、そっと路に出る。そこにいたのは、
「……ネコ?」
にゃあ、と小さく鳴いたのは薄汚れた黒猫。不揃いの毛並みに、ぴんと立った耳、ゆらりと動く細長い尻尾。こんなに小さなケモノに、ヒトは怯えたというのか。
「おまえ、あのヒトを不幸にするの?」
黒猫は静かに、ボクをそのくるりとした瞳の中に映している。
「ヒトを不幸にするなんて、おまえのほうが、よっぽどオニじゃあないか」
路の真ん中、しゃがみこんで、黒猫の頭にそっと手を伸ばす。ネコは抵抗することなく、ボクに頭を差し出す。撫でてやると気持ちよさそうに揺れる尻尾。ぐるぐると喉を鳴らすネコは可愛かった。
夜の帳が落ちた江戸の町。漂う夕餉の香り。ボクらはヒトに疎まれていた。
小鬼と猫