ぼんちゃん

親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしている。
と始まるのは夏目漱石の坊っちゃん。うちのぼんは確かに親譲りの無鉄砲さも持ち合わせてはいるものの、なんと言うか強い意思のようなものが無く、何となく周りに歩調を合わせながら、そこから抜きん出ようと企んでいるようである。
特に此といったものを持っている訳ではないのにプライドは高く、理想を口にするものの具体的な計画は無いといったごく普通の子供である。
ぼんの口癖は「あのゴミ共」とか「大丈夫、余裕」「俺は天才」等で、周りの人間を見下すというか、そんな感じの事を家の中では大威張りで言っている。

そんなぼんが、ひょんな事から妻が若い頃に使っていた古いフェンダーのストラトを物置小屋で見つけたらしく、それを引っ張り出していじくり始めた。
「なぁオカン、これ玄て、もう駄目なん?」
「あんた弾くのん?替えんといけんよ」
「わかった。ほんなら玄買うてきたら教えてな」
とその日から、ぼんはフェンダーのストラトに夢中になった。
二階の部屋から聞こえてくる不協和音、ノイズ、ハウリング、奇声と時たま何をやっているのかドスンドスンという響きを伴った音。兎に角今までひとつの事を根気よく続けた事など無かったのにギターにだけはのめり込んだ様子だった。
ぼんは学校から帰ってくるなりギターを弾き、いや弾くというか鳴らしまくり、曲なんていう代物には程遠い音の塊を生産していた。

そんなうちのぼんは、高校を卒業して、周りの皆が進学だの就職だのとソワソワしながら新しい世界へ踏み出していく時期に、そのフェンダーのストラトと少しばかりの金を握りしめて上京してしまった。親の心配も、何処吹く風よ?とばかりに、そこは坊っちゃんのように、うちのぼんは、うちのぼんちゃんは行ってしまった。

3月17日(火)
東京到着。住むところを探す為に中央線阿佐ヶ谷駅に降り立つ。不動産屋〖アークホーム〗で部屋を探そうとしたら職業を聞かれ、今は無いと言うと断られた。
「くっそがぁ、どないせぇっちゅうねん。ほんなら仕事探すか」
コンビニでパンとコーヒーと求人情報誌を購入。適当にやれそうな仕事のところへ電話してみると
「お住まいはどちらですか?」
と聞きさくりやがるから、今は、無いと言うと断られた。
「くっそがぁ、どないせぇっちゅうねん」
考えを整理してみると、住むには仕事が必要であって、仕事をするには住所が必要という事は、えっとどゆこと?
しようがないから新宿駅で一晩を過ごす事に。

3月18日(水)
早朝、駅構内の柱のところに立っていると、作業ジャンパーのいかつい男が寄ってきた。
「あんちゃん、仕事か?」
「いや、あの、え?」
「今日は瑞江の現場でガラ出しで日当8000円」
「俺、大丈夫ですん?」
「行くならこい。あそこのバンに乗れや」
と言われバンに乗り込んだ。
バンの中には4人の汚い男達が乗ってた。臭かった。少ししてからもう1人乗り込んできて、さっきのいかつい男が運転席の扉を閉め、車は走り出した。
車内は臭かった。凄く臭かった。皆、無口だった。午前7時過ぎに現場へ到着した。車から降りると現場事務所みたいなプレハブが建ってて、そこの脇にある簡易喫煙所に臭い5人は慣れた感じで歩いて行った。
自分達を連れてきたいかつい男は現場事務所から出て来て
「途中で逃げるなよ」
と低い声で言ってまたバンに乗って何処かへ行った。
現場事務所の前に色々な職人達とか訳のわからん人とか現場監督達なんかがぞろぞろと集まりだして何かを待っていた。すると現場監督連中の中でも若くて頼りない感じの男がラジカセを持ってきてスイッチを入れた。
髭面や金髪、若かったりオヤジだったり太っていたりヤンキーみたいだったり、各々が各々の職種の作業着で全くやる気のないラジオ体操がどんよりと行われていた。
本日の作業内容の確認やら搬入車両の種類や時間、各種連絡事項、所長の挨拶などがあり最後に安全コールという間抜けな事を唱和し現場が動き始めた。
「おい、寿のお前達はこっちな」
と乱雑に呼ばれた。どうやら俺達のようで、寿というのは会社の名前か何かだなと直感した。
連れてこられた現場では破壊活動が行われていた。ゴゴゴゴゴゴゴゴ、ガガガガガ、どんがらがっしゃんどんがらがっしゃんと電動の削岩機でコンクリートをあちらこちらで砕いていた。
俺ら6人は、その砕かれたコンクリートを袋に詰め搬出する作業が仕事だった。
各々担当現場を振り分けられ、そこの担当職人の指示に従い作業を開始した。俺の担当職人は絵に描いたような、ザ現場の労働者って感じで声がデカくて荒々しい人だった。ゴリラみたいだった。
「おい、ネコ探してこい」
と言われ、訳がわからなかったから聞き返した。
「猫?」
「ネコ早く探してこいボケっ」
猫なんて何すんだ?と思いながらも現場を探した。忙しい時の表現で、猫の手も借りたいというのがあるけど、まさか本当に猫に仕事を手伝わせるのか?あちこち探したけどガガガガガゴゴゴゴ鳴ってる現場に猫はいなかった。仕方なく
「すんません、猫おらんすよ?」
と言うと、ゴリラは軽く辺りを見回して
「あそこにあるだろがボケっ」
と怒鳴った。ゴリラが指差した方に目を向けると、一輪車がポツンとあった。
あとでわかったことだけど、現場で一輪車の事をネコ車と呼ぶらしく通称ネコとなっている。
午後5時になりようやく労働は終わった。身体はボロボロになりコンクリートのカスで毛穴や鼻の穴などの穴という穴は白くなった。

あのいかつい男がやって来て1人1人に封筒を渡した。封筒を受け取るとあの5人は男の帳面にサインをしてから各々何処かへ消えて行った。自分の封筒を見ると栗山オサムという見知らぬ名前が記してあった。
「あの、コレ…」
「ああ、うちのに登録しといたから、とりあえずお前は栗山オサムな、帳面にサインしてくれ。栗山でな」
そう言うと男は帳面を差し出した。
「明日も仕事あるしやりたいならまたあそこで待ってろ。じゃお疲れさん」
封筒には寿総建と書いてあった。中には8000円入っていた。こんなもう仕事絶対やらないと心に決めた。

4月7日(火)
四畳半のボロアパート北斗荘の102号室で暇をもて余していた。あれから住むところを探してここに決めた。職業は会社員として会社の名前は株式会社寿総建と書いた。
会社員が平日の昼間からアパートでゴロゴロしてるわけはないけど借りてしまえばこっちのもんよ。適当に日当を稼ぎフラフラしていた。

5月11日(月)
世間では連休も明け、大体の人達は日常が始まる月曜日、急に焦りを感じて飛び起きた。
「そうだギターだ。俺何しとん?」
アパートを出たのは午前10時過ぎだった。兎に角何処へ行く?楽器屋だ、楽器屋へ行けばそれなりの奴がおるわいな?と思いお茶の水の楽器店にヌゥォォオオっと入店。平日の午前中に店を開けたばかりの楽器店には掃除をするアルバイト店員しかいなかった。
楽器店の壁には、ライブを告知するチラシや音源のリリース情報が貼ってあり、それと共にバンドメンバー募集の貼り紙もあった。連絡先が書いてある所を手当たり次第に引きちぎり、次の楽器屋へ、更に別の楽器屋、レコード屋、サブカルチャーを取り扱う本屋などにも赴き引きちぎりまくった。ポケットの中は紙屑みたいなので一杯になった。
ビールと木綿豆腐を買ってアパートに帰宅した。木綿豆腐に醤油をぶちかけ、それをアテにしてビールをごくり。
ポケットの中の紙を畳の上にぶちまけ、ビールをごくり。100件近い連絡先がそこにはあった。
「ヌフフフフ、よし明日これ等に電話したろ。バンド組んでデビューや」
ビールをごくり。豆腐をパクり。ビールをごくり。豆腐をパクり。ビールをごくり。ビールをごくり。

5月12日(火)
目が覚めると時計の針が変な方向を向いていた。あり?4時?は?なんなん?もっかい寝よ。
午後4時を回っていた。

5月13日(水)
バッチリ目が覚めた。真っ暗だった。午前2時だった。
「ああ良く寝た。体調バッチリやんけ、だけど電話するにはちと早いか」
と冷蔵庫からビールを取り出してプシュっ。
「きぃぃぃ、寝起きにビールは効くわぁ。旨っ」
と午前2時から飲み始め6時頃には高鼾。

バンドは人気を博していた。ライブ会場には観客が押しかけ、最高のサウンドでギターが鳴っていた。高まる感情と共に客席へダイヴするとゴツンと鈍い音と共に壁に頭を打ちつけた。
「痛っ、いってぇぇぇ」
頭を押さえながら時間を見てみると昼の12時を過ぎたところだった。
「マジっすか?まぁ、まぁ、まぁ、セーフやろ、さぁさぁ電話すんぞ」
ここでゲップが出た。ビール臭かった。
兎に角、かけまくった。ほぼ繋がらなかった。平日の昼間である。普通は仕事なり学校へ行くなりパチスロ行くなり競艇行くなりしている頃であるが、繋がる奴もいた。
90件程電話をかけ8人と繋がり、その中の3人と逢う事になった。

5月16日(土)
新宿の西口出て右に行った直ぐのところにエスカレーターがあって、それに乗って降りたところにちょっとした待ち合わせ所みたいな雰囲気の場所がある。
午後7時に行くと髪が長く、腰くらいまで伸びていてライダースを着込みズタボロのブラックジーンズを履いた目付きの悪い男がタバコを吸っていた。絶対ひとりはアイツだと確信した。何て声掛ける?何故か俺は自分の事をオサムだと言っていた。
「えっと、バンドの、募集の、その、人?」
すると目付きの悪いこの男は口から煙を吐きながら
「オサム?」
と言った。俺はオサムじゃないけどオサムだった。だから
「そうそうそうオサム」
とか言ってると、金髪のツインテールに白いキャミソール、足元はドクターマーチンの可愛い女の子が近付いてきて
「アンタがオサムなの?」
と喋りかけて来た。可愛い、はっきり言ってめっさタイプだ。ちょっと舞い上がって、またさっきみたいに
「そうそうそうそうオサム」
と言ったものの、声は完全に裏返っていた。
全く気付かなかったが、奥のベンチにひとり座って文庫本を読んでいるスキンヘッドが居た。マーチンにジーンズにTシャツで、そのTシャツには[鶴は千円、亀はワイでまんねん!]と書いてあった。

西口の居酒屋に入った4人はテーブルにつき、とりあえず自己紹介的なやつを始めた。
「えっと、俺オサム、歳は18、曲も作るよ」
そこで生ビールが4杯運ばれてきた。直ぐに口をつけたのは、あのツインテールの子だった。
「ひぃぃ旨っ、冷えてるわ、あっわたしカミヤマカスミ17よ。ヨロピク」
「お前ダメやんか?高校生かや?まっいっか」
オサムは、ちょっと焦ったがそう大した事でもないかと思い直した。髪が長く目付きの悪い男が
「俺、ケンジ19コンビニでバイトしてる」
「わたし高校生じゃないよ。夜の仕事ちゃんとしてるもん」
とカミヤマカスミが被せ気味に横入りした。
今まで一言も言葉を発しなかったスキンヘッドが口を開いた。
「山頭…かず お、21歳、経理の仕事してる」
「うっそー経理出来んの?すごーい。さんとうって面白い苗字ね、一番歳上だしスキンヘッドだし、う~ん、カシラって呼んでいい?」
またカミヤマカスミが入ってきたが、可愛いから誰も文句を言わない。
「キャミ子」
カシラがふと言った。オサムとケンジは顔を見合せて爆笑した。
「なにそれぇ~」
「はい、決まりな。ケンジ、カシラと」
オサムは笑いを我慢して
「キャミ子」
またオサムとケンジは爆笑した。カシラも笑っていた。なんか良い感じだった。スタジオに入る日どりを決めこの日は解散した。
が、この時誰も気付いてなかった。

5月22日(金)
初めてスタジオに入る日だ。音合わせの為に決めた3曲をあれから部屋で練習していた。セックスピストルズのプリティヴェイカント、ストゥジーズのアイフィールオールライト、クラッシュのホワイトライオットどれもパンクの教科書の1ページ目に書いてある様な曲ばかりだ。
スタジオに行くとケンジが来ていて受付の前のロビーでコーヒーを飲んでいた。ギターケースが傍らにあったが、ベースが入っていると思った。ケンジに手を振り自販機でコーヒーを買うとカシラが入ってきた。ギターケースを担いでいた。そのあと直ぐにキャミ子もきた。ギターケースを抱えていた。当然オサムのケースの中にもストラトキャスターが入っている。 そこで初めて気が付いた。
「ちょっと待って、なんなん?えっと俺ギターやん?」
「嘘でしょ?わたしギターだよ」
キャミ子が驚いた。
「何でお前らギターなんだよ?」
ケンジが言うと、カシラが
「全員ギター」
と変な間で喋った。

オサムは電話で話した時もバンドとしか言っておらず、初めて会ったあの夜も訳のわからないあだ名や好きなバンドの事で盛り上がり、全員が勝手にあいつはベースだ、あいつがドラムでと決めつけていたのだ。なので今日はスタジオにギタリストしか居ないという事態に陥ってしまった。
そうこうしているうちに予約した時間がきて、4人のギタリストはスタジオへ入った。
嗚呼、最悪だ。何で全員ギターなんだよ、せっかくバンド組めたと思ったのにと思っているとケンジが
「しゃーねーな、したら俺ベースやれるから」
と言うと、いつの間にかマイクのスイッチが入っていてキャミ子が
「ケンジさいこう!」
とシャウトした。かなりのキンキン声だった。
カシラはスタジオを出て行った。スタジオの空気が重くなった。
再びスタジオのドアが開きカシラが入ってきた。手にはスティックを持っていた。
「受付で買ってきた」
とカシラは呟いた。何か知らんけど形だけはバンドになった。各々慣れないセッティングをし、オサムが、プリティヴェイカントのイントロを弾き始めると、カシラが入ってきた。うっそーんカシラってドラムやれるやん。ケンジもきた。なんだよなんだよ!テンションが上がってきてキャミ子のヴォーカルが入ると、これが初めて音を出すバンド?っていうくらいにバッチリだった。
「良くね?」
キャミ子が言うと、みんな頷いた。ストゥジーズもクラッシュもイケていた。バンドは暫くこの3曲を繰り返し演奏した。
2時間はあっという間に過ぎた。スタジオを出た。みんな顔がホッカホッカしていて心なしか笑顔だった。全員ギターを持っていた。そしてこの前の居酒屋へ向かった。
乾杯のあといつものようにキャミ子が一番に喋り始めた。
「良いよね?やるよね?もうわたしバンド名も決めてきたし」
「やるよ、俺は」
ケンジが言うと、カシラも小さく頷いた。オサムも異存は無かった。続けてキャミ子が
「バンド名ね、苦虫のハラワタにしようと思うんだけど」
と言って周りを凍りつかせた。ケンジが
「苦虫のハラワタって、まじかよ?なんで?」
「何でって何でもよ」
キャミ子は小学生みたいに受け答えた。オサムは一応カシラに尋ねてみた。
「カシラどう思う?」
するとカシラは、半笑いで
「悪くない」
と言った。今度はケンジが聞いてきた。
「オサムはどうよ?苦虫でいいのかよ?」
オサムは少し考えたけど、バンド出来たし、ギターも弾けるし、キャミ子可愛いしと思い。
「パンクっぽくて良いんやない?苦虫のハラワタ」
と言うと、ケンジも諦めたみたいに
「はいはい、じゃそれでいこう」
となった。キャミ子は満足そうにビールを飲み干した。

6月30日(火)
苦虫のハラワタは、あれからリハーサルを重ねて少しずつオリジナル曲も増えていった。
この日のスタジオでは、キャミ子が新しい曲を作ってくるという事だった。オサムとカシラがセッティングしているとケンジとキャミ子が一緒にスタジオへ入ってきた。セッティングが終わるとキャミ子が
「じゃ、わたし作ってきたから、とりあえず歌うから、オサムのギターちょっと貸してね」
そう言ってギターを手にすると
「タイトルはね、ハラワタカッサバキ」
キャミ子がギターを弾きながら歌い始めた。なんともアナーキーな曲だった。サビに突入すると、今日たった今、初めて聞いたはずの[ハラワタカッサバキ]なのに、ケンジがコーラスをいれている。
「カッサバキ!カッサバキ!」
キャミ子とケンジの一体感は高まり、何か盛り上がってエンディングを迎えた。
なかなか良い曲だったが、キャミ子とケンジは完全に付き合ってた。

7月6日(月)
カシラから電話があって、8月最初の週にライブが決まりそうだという事だった。この日もオサムは北斗荘でギターをシャカシャカやりながらビールを飲んでいるところで、それを聞いてテンションがあがりビールを飲みまくった。

7月7日(火)
ライブの日どりが決まったみたいでミーティングをする事になり、いつもの居酒屋へ。
珍しくカシラから話し始めた。
「8月6日の木曜日に新宿のノックアウトでライブ決まった。対バンは店のブッキングだからまだわからない、出番はトップでチケットノルマが1500円のチケットを20枚、どう?」
「もう決めたんでしょ?やるわよ」
キャミ子は張り切った。そして
「ノルマ以上売れたらどうなるの?」
と聞いてきた。カシラは何やら紙を取り出して確認してから
「50枚までが半額バック、50枚以上は100%バック」
「へぇーそうなんだぁ~」
キャミ子は、そう言った。オサムはチケットを売るあてなど無く、そんな事を聞くキャミ子が不思議だった。
「で、今何枚あるの?」
と言うキャミ子に、カシラは
「50枚」
と、信じられない枚数を口にした。オサムは慌てて
「ちょっと待って、タンマタンマ、いきなり何で50枚も貰ってくんの?」
するとカシラは
「俺、いける」
と言い、キャミ子も
「わたしもいける」
と言い放った。オサムの頭の中は数字で一杯になったけど、何の数字なのか途中から分からなくなった。

土曜日の深夜、もう日付もかわった頃、杉並区高円寺付近の環七をバイクと車で爆走する集団有り。其の数、約100台、世田谷を地元とする爆走連合山頭火だ。
先頭で指揮をとるのは総長のサンヘッド(18)、JR中央線を越え直ぐ右に右折、高円寺駅北口ロータリーに集結。サンヘッドはZⅡに股がったまま正面を見据え一言。
「解散!」
それを合図に、お疲れ様でしたと口々に叫んでバイク、車は散っていった。

8月6日(木)
平日の午後6時、新宿のライブハウスノックアウトの入り口近くの歩道はヤンキーで一杯だった。ヤンキーだけじゃなく、学校帰りの女子高生、ライブハウスなんかに全く関係無さそうなサラリーマン大まかに分けてこの3種類の人間がノックアウトの開場を待っていた。

オサム達、苦虫のハラワタがノックアウトに到着したのは午後の2時を回っていた。ノックアウトでは本日のトリを演るバンドがリハーサルをしていた。アンプ類はバンドが持ち込んでいるようだったし、演奏は上手かった。年齢は30代くらいだろうか、ルックスは最低で往年のハードロックみたいな曲を演っていた。
リハは度々ギタリストが中断し、PAに細かい指示を出していたが、何を言っているのかサッパリわからなかった。その曲を終え、ギタリストはPAに向かって
「良くなったじゃん、最高よ」
と、得意気にサムアップしたが、はっきり言って中断前と全く変わっていなかった。
逆リハな為に、苦虫のハラワタの連中は最後にリハーサルである。当然ホールの床に座って酒盛りを始めた。
その間も、あと2バンドのリハーサルは繰り広げられ、そのバンドマン達も拘りの事柄をネチネチ試し、最後は満足したように
「じゃ本番宜しくお願いします」
なんて言って一旦楽器などを楽屋に片付けていた。
オサム達は今日が初ライブで、特にオサムは全てが初めてだった。聞き慣れない言葉が飛び交うが、カシラやケンジは普通に対応していた。何でわかるん?カミテってなんよ?ソデとか?オサムには理解できなかったがPAから遂に振られた
「じゃギターさん音出してもらえる?」
オサムは[ハラワタカッサバキ]のイントロを弾きまくった。
「はいOK」
と、軽くPAが言った事も耳に入らずにもうBメロまで達していた。キャミ子に肩を叩かれるまでわからなかった。するとまたもやPAが
「他の音色あるかな?」
と、聞いてきた。オサムは軽くパニクっていた。
ホカノオンショクって何だ?ホカノオンショク?
そこでケンジが
「いや、音アレだけなんで、ディストーションだけでクリーンも無しです」
と言ってくれた。キャミ子がひとしきり叫んで
「じゃ曲でください」
の指示に、カシラのカウントが入りオサムの渾身の曲、[ゴロゴロ魂]が始まった。
ゴローさん!ゴクローさん!ゴロゴロゴロゴロ魂転がせイエーイ!
先程のバンド達は何に対して不満を述べてたのだろう?オサムは不思議だった。こんなに良い音で演れて最高やんけと思った。
「何かあったら言ってくださーい」
というPAの声に、ケンジが
「ベースにスネアとヴォーカル下さい」
と言い、カシラまでもが
「ギター少し欲しい」
と言っている。なんだこりゃ?そしてキャミ子までもが
「自分の歌をもうちょっと返して」
なんて言う始末。
「あとは大丈夫かな?じゃあとワンコーラスくらい」
と言われ、みんなに目配せしてバンドで一番新しい曲の[御存命ガーデン]をワンコーラスやってリハを終えた。

午後6時30分ちょうどに開場となり入り口に溢れていた客が次々とノックアウトに飲み込まれていった。
その光景に驚いたのはオサムと本日の対バン達だった。楽屋に居た対バンの1組はメンバー同士で話していた。
「お前チケット何枚捌いたよ?」
「いや、全然売れなかった」
「お前は?」
「バイト先で1枚」
「だよなぁ、何?今日凄くねぇか?リハ見てないけどあいつらの客か?」

トリを務めるバンドは自分達のリハが終わったら直ぐにノックアウトを出ていったからまだこの状況を把握していない。

オサムはメンバーに聞いてみた。
「結局チケットどんくらい売れたん?」
「わたしは、どうだろ?50?60くらいかな?」
「は?なんでそんなに捌けるん?」
「カシラは?」
「あー70くらい」
「ちょっと、なんなん?はぁ?凄くない?ちなみにケンジは?」
「俺は2枚」
それを聞いてオサムは何か安心した。対バンの連中の客はまだ来てないみたいだけどキャパ150程のノックアウトは、ほぼ満員になっていた。

午後7時になりフロアの照明が消え、フランク・シナトラのマイウェイが流れ始めた。
カシラとケンジが先にステージに行くと客席がどよめいた。野太い声で次々と「押忍」と聞こえる。オサムがギターアンプの所まで行く間も声が聞こえ、興奮してきたヤンキー達は奇声を上げ始めた。カシラが軽くシンバルを叩くと一斉に
「うおぉぉぉぉぉおおお!」
と地響きみたいな歓声が起こった。各楽器のセッティングが終わる頃マイウェイがフェイドアウトして、オサムが[ハラワタカッサバキ]のイントロを弾き始めた。その直後にキャミ子がひらりと現れると、さっきまでの野太い歓声から「キャー」とか「ギャー」とかの黄色い歓声に変わった。
キャミ子は輝いていた。子悪魔的だった。滅茶苦茶可愛かった。少しエロかった。曲はサビに到達すると、観客は一斉に
「カッサバキ!カッサバキ!」
と歌った。オサムもヤバかった。もう、くぅぉぉおおってなった。ストゥジーズのカバーもオリジナルの曲も大いに受けた。最後の曲[ゴロゴロ魂]が終わるか終わらないうちに、もうチョェェェエエエエってなってたオサムは客席へダイヴした。
ステージを去る間際に、キャミ子は
「次のライブも来てねぇ」
と手を振ると、観客はみんなキャミ子に惚れた。カシラがドラムから立ち上がると
「最高ぉぉぉっす!」
「押忍!お疲れ様っす!」
「走りてぇぇぇえええ」
などの叫び声があがり、その中の何人かは
「サンヘッドぉぉぉぉおおお!」
としきりに発狂していた。

その頃ようやく本日トリを演るバンドのメンバーがノックアウトへ帰ってきた。満員のフロアの熱気に気持ちが高ぶった。
「マジか?やべーな、こんなに客入ってんじゃんか」
とそこにフロアからヤンキー達が溢れ出てきた。
「どけ!おらっ」
「嗚呼、最高だったわ総長」
「ダぁぁぁ、もうあああ、ちくしょー」
「あの娘なに?可愛くね?」
「カスミ先輩ヤバ~い」
「レオンちゃんまた指名だな」
「山頭火復活じゃい」
各々口にしながらノックアウトを出て行き入り口付近にたむろした。

満員の観客が待っているステージへ次のバンドがウキウキしながら出ていくと、フロアには2人の身内が居心地悪そうに隅の所に突っ立っていた。さっきまでの熱狂のライブが嘘みたいだった。3曲目が終わったところで眼鏡のヴォーカルがメンバーとフロアの2人に向かってMCを始めた。
「あのさ、今日はもう止めにしない?」
後日、このバンドは解散したという。

高級な機材、楽器、それにテクニック、知識の全てを持ち合わせているバンド。それが本日のトリを飾るバンドだった。曲を作る才能とルックスは最低だった。観客は3人だったと聞いた。

苦虫のハラワタのライブは大成功だった。が、その集客力には些か疑問があった。キャミ子はカシラに聞いてみた。
「カシラさ、あんた何者?あいつらナニ?」
「昔のツレ」
カシラは小さく答えた。さっきまで来ていた客の男と話していたケンジがこっちへ来て
「アンタさ、山頭火の総長やってた?」
と、ちょっと躊躇しながら聞いた。カシラはコクりと頷いた。
「俺の後輩に高山って奴がいて、今は烏山辺りで走ってるらしいんだけど、解散した山頭火の伝説は半端なくて、何でサンヘッドさんと一緒にバンドやってんだ?って」
それにはカシラは答えなかった。
つかキャミ子、お前も何だ?オサムが尋ねた。
「わたしのは、ほら、お店にくるお客さんだよ。ライブにきてぇ~って言ったら、レオンちゃんの為ならぁってチケット買ってくれたの。あ、お店ではわたしレオンだよ」
「あの高校生達は、ナニ?」
「ああ、あれは同級生だったり、先輩とか後輩とか、蒲田のねネットワークっていうやつ」

ライブハウスで精算すると苦虫のハラワタの集客は134名。ノルマ分を差し引き114名。50枚まで50%、50枚から100%バック。チケットは1枚1500円なのでギャラが14万円を超えた。
「でさ、次はいつライブ入れる?苦虫のハラワタ凄いね、これから伸びるよ」
とノックアウトの店長はノリノリだった。カシラは、また連絡するからと言ってノックアウトを出た。

やっと入れる店が見つかった。平日木曜日とはいえ新宿界隈の居酒屋はそこそこ混んでいて、ライブの打ち上げ場所探しに四苦八苦していた。苦虫のハラワタは4人なのだけど、ライブを見に来ていた客というか元暴走族の連中やキャミ子の店の常連、先輩後輩なんかが50人程ゾロゾロと着いてきたからだ。
呑んでチョンマゲという名の居酒屋で打ち上げはカオスと化していた。カシラのもとには元暴走族のヤンキー達が途切れることなくやってきて、挨拶をし、御酌をし、近況報告をし、泣いたり笑ったり怒ったりしていた。キャミ子のところには、キャミ子の先輩後輩がおしかけたり、キャミ子の店の常連のサラリーマンが上手いことアレしようと寄ってきたりして、そのサラリーマンの頭をキレたケンジが割ったりしていて、更にヤンキー同士の喧嘩が勃発したり、目の据わった奴がオサムに音楽論を語ったりしていた。
血、嘔吐物、ヨダレ、小便、ビール、日本酒、その他あらゆる液体を散乱させて打ち上げは終了した。

10月16日(金)
初めてのライブから苦虫のハラワタはノックアウトで1回、下北沢のウーバーで1回のライブをやっていた。
初ライブの後、苦虫のハラワタはライブに来ていた者達によって色々な方向へ拡散されていた。
9月にノックアウトでやった2回目のライブは更に動員を増やして160人以上の観客が詰めかけた。キャミ子のキャラクターというかルックスが際立っていた事もその要因の1つではあったが、オサムの作るパンキッシュでありながらもキャッチーなメロディ、キャミ子の奇天烈な詞、ケンジとカシラのしっかりとしたリズム隊がバランス良く調和されていて、そこに刺激的なイメージというか暴走族絡みであったり、キャミ子の圧倒的な可愛さが合わさり人気は鰻登りだった。
ただ、その暴力的というか暴走族的というか、そういう要素が変な方に拡散してしまって下北沢ウーバーでのライブは滅茶苦茶になって結果ライブは途中で中止になってしまった。
ケンジの後輩である高山のチームBLACKxWINDOWは世田谷烏山を拠点にしていた。わりとそこに近い調布をホームとする佐川鉄率いる佐州連合とは敵対関係にあり悉く揉めていた。2つのチームとも人数は10名も居ないくらいではあったが暴走族も最近では細分化が進み、まして都会のチームは大体そんな感じだった。
佐州連合の佐川の耳に、高山達BLACKxWINDOWが下北沢のウーバーという店に屯しているという情報が入った。もちろんそれは誤報であり高山達BLACKxWINDOWの何人かが、苦虫のハラワタのライブを見に行くというだけのものだった。
苦虫のハラワタのライブが始まり3曲目にさしかかった時に大幅に勘違いした佐川達佐州連合の内7名がメリケンサックや特殊警棒を仕込みウーバーの店内に飛び込んできた。
受付をやっていたスタッフが慌てて佐川達の後を追い、制止しようとしたが直ぐに殴られ床に転がった。観客が騒ぎだし、若い女の子が悲鳴をあげた。高山が佐川に気付き飛びかかった。が、佐川達は7名いて高山は歯が立たなかった。
ステージの上からその騒動に最初に気付いたのはケンジだった。演奏途中でベースを投げ捨て客席へダイヴして高山の元へ行き乱闘騒ぎとなった。カシラもゆっくりとフロアに降りて佐州連合の1人を殴り倒した。すると元山頭火の連中が加わってきて佐州連合はボコボコにされた。
ステージの上ではオサムとキャミ子が突っ立っていて、ギターアンプとベースアンプはハウっていた。
キャミ子の友達の後輩の女の子が乱闘に巻き込まれ顔を殴られ、足も打撲し気絶した。ウーバーの店内は騒然とした。救急車は全部で3台到着し5名が病院へ搬送された。ケンジと後輩の高山、佐州連合の佐川ともう1人、それにカシラと元山頭火の6人が警察署に連行された。

そして今日は事件後初のミーティングになった。いつもの居酒屋ではなくファミレスだった。
「あのさ、申し訳なかった」
ケンジが頭を下げた。続いてカシラも
「迷惑かけた」
うつむきがちに言った。オサムは場の空気を何とか取り繕うとして言葉を考えたけど上手い言葉が見つからなかった。キャミ子が
「でも、まぁみんな怪我しなかったし、ね、ね、」
警察の介入でBLACKxWINDOWと佐州連合は解散させられた。が、また新たなチームで争い事が起こるのは明確だった。
「あの子大丈夫?」
オサムが、ようやく口を開きキャミ子に尋ねると
「まぁね、でも親とか学校とか大変だったみたいで停学中だってさ」
「あの馬鹿佐川が」
そう言ってケンジがテーブルを叩いた。水の入ったグラスが一瞬浮き上がり、グラスの中に波紋が広がった。
「次のライブどうする?」
オサムが力なく言った。
「今までみたいにはチケット売れないだろうし、カシラの周りや高校生なんかはライブに来れないよね?」
そう言ってキャミ子は溜め息をついた。なんとなくメンバーに会えた安心感でこの日のミーティングは終わった。

10月27日(火)
カシラは前もって連絡をせずにノックアウトへ行った。次のライブを決める為だ。ウーバーでの一件はノックアウトの店長も知っていた。
「派手にやったなぁ、どう?絞られたっしょ警察?」
「まぁ…」
「一部、週刊誌にも載ったからなぁ、うちとしても暴力沙汰はゴメンだけどさ、これでまた人気出たんじゃん?」
「いや…」
「12月の頭辺りにワンマンやる?」
「無理、もう今までみたいにチケット捌けない」
「俺はさ、まぁこう見えてもこの業界長いからさ分かるんだわ。こうなると、雨後の筍っていうかさ実際音楽とか興味無い連中まで面白がって来るんだわ、大丈夫大丈夫。だけど、あとは君らがどうなのか?そのさ、バンドとしてまだギラギラしてるかどうか?そこなんだわ」

12月8日(火)
苦虫のハラワタは新宿のライブハウスノックアウトでリハを終えたばかりだった。
「ワンマンって、ワンマンやんな?」
オサムが訳のわからない事を言った。
「今日って、チケット捌いてないやん?」
オサムが続けた。するとキャミ子が
「なんかね店長が言ってたよ。チケット、そこそこ売れてんだって、知り合いからもね、チケット買ったって子から連絡きたって言ってた」
「今日ってジョン・レノンの命日だな」
ケンジがボソッと言った。

キャバクラで働くキャミ子のところへ最近変な客が来るようになった。お酒を飲む訳でもなく、レオンを指名して質問したり、写真を撮らせて欲しいと言ったり、叱って欲しいと嘆願したり、そういうちょっと気持ち悪い客が1人や2人じゃないらしい。
ママに相談しても、お客が来るのは良いことだからと真面目に話は聞いてくれなかった。
どこで撮影したのかわからない写真が雑誌や同人誌みたいなものに掲載されるようになっていた。キャミ子は2次元愛好家というか、ヲタク達のアイドル的な存在にもなりつつあった。
ちょっとした変化は他のメンバーにもあった。カシラは経理の仕事をしている。ほぼ黙々と1人で仕事をこなす。出来上がった資料や計算書等を上の者に確認して貰い席へ戻ろうとしたときに、丸山課長に呼び止められた。
「この間さ、何日か休んだじゃない?アレって…」
と言って、何やら週刊誌を取り出した。ページを捲り、ゴシップ記事が掲載されてる誌面を見ながら
「コレって山頭君、君じゃないよね?」
ややピンボケではあったものの、ウーバーで暴れている姿が写っていた。
「ち、違い…ます」
歯切れが悪かったが、そのまま席へ戻った。
ケンジはコンビニでバイトしている。店に来る特に高校生くらいの子達は男女関係なく、ケンジを見ると指差したり、うつむいて笑ったりしているように感じた。
オサムは、もう絶対やらないと思っていた工事現場での日雇いの仕事をたまにしていた。新宿駅で寿総建の仕事に行く事もあれば、違う派遣での現場仕事の事もあった。だからオサムだけには、そういう変化は皆無だった。

開場時間が近付くにつれノックアウトの前には人が増えていった。多少暴走族風な者も見られたが、ほとんどの客は、何か訳わからないような、アイドルのコンサートにいるハッピを着た奴のようなのが居たり、ひたすら自慢のカメラの具合を確かめている奴とか、明らかにそういうのとも違う種類の人間とか、スーツを身に纏った者達とか色々なジャンルの人が集まっていた。

ライブスタート直前、フロアは満員だった。が、なんかいつもと様子が違った。
ケンジのベースがゆっくりリフを刻み、カシラのビートが加わる。あの印象的なオサムのメロディに乗ってステージ袖からキャミ子が飛び出してきた。
「ごきげんよう!みんな元気ぃぃぃぃ」
そこで一斉にフラッシュが光り、一心不乱にシャッターを切る者達がステージ前へ押し寄せた。
苦虫を喰らえ!毒虫が!苦虫を喰らえ!毒虫が!
キャミ子はモニターの上に片足を乗せ、毒虫コーリングを歌い始めた。
手に手に光る棒を持って踊る者達、壁際で腕組みをして傍観しているスーツ族、写真撮りまくるカメラ小僧、ステージからダイヴを試みる音楽ファン、フロア中程でグルグル回り始める奴ら、色んなものが一緒くたんになって異様な雰囲気になった。
バンドは調子をあげすぐさま次の曲[ハラワタカッサバキ]に突入した。カッサバキ!カッサバキ!とフロアも大合唱になりボルテージは高まる。色々ぐちゃぐちゃだった。
カバー曲を挟み[御存命ガーデン]が始まると興奮したヲタクが2人ステージへ上がってしまった。ひとりは、上がったはいいけどどうして良いか分からずオロオロしながらそろっと客席に消えた。もうひとりは顔が高揚していて、キャミ子を見つめていた。嫌な予感がした。
御存命のうちにやっとけよ!ガーデンは大歓迎!大歓迎!
ヲタクはキャミ子を抱きしめた。そしてなかなか離れなかった。ケンジが演奏しながら近付きそのヲタクに蹴りを入れた。キャミ子から離れたヲタクを今度は客席へ蹴り入れた。
通常パンクのライブでは、こんな事は日常茶飯事なのだけど、この日は違ってた。ヲタクはヨロヨロしながら足から先に客席へ飛び込んだ。飛び込んだ所にはカメラ小僧が陣取っていて、ヲタクの足はカメラを踏みつけていた。パニくるヲタクとカメラ小僧達。ケンジは薄ら笑いを浮かべ演奏を続ける。
もう何も見えない発狂したカメラ小僧そしてパニくりまくるヲタク。手足をバタつかせ良い歳したオッサンが子供みたいに泣きじゃくる。すると別のカメラ小僧のカメラや顔や身体に手足が当たりカメラ小僧達の発狂が増幅されていき、見たことのない気持ち悪い争いが始まった。
バンドは気にせずライブを進行する。壁際に立っていたスーツの者達が何やら機材を出してヲタク達の事を撮り始めた。それはプロフェッショナルなカメラや機材で、彼らはマスコミの人間だった。
ライブも終盤にキャミ子は観客を挑発するように見下ろしてケンジに近付き
「愛してる」
と言ってケンジの口唇にキスをした。さっきまで半狂乱だったヲタク達は呆然とステージを眺め、マスコミの者達はの様子を捕らえた。

しんと静まり、オサムはカシラの方を見た。カシラはカウントを刻み、オサムがイントロを弾き始めた。キャミ子とケンジはまだキスをしている。歌が入るタイミングでキャミ子もケンジも演奏に加わった。
目が変になってる観客達がステージへ上がろうとした時、ケンジは片っ端から蹴り捲った。オサムも蹴った。結果大乱闘に発展した。
待ってましたとばかりにマスコミは取材の如く映像を撮り、リポートを始めた。

12月9日(水)
朝のワイドショーでは昨夜のノックアウトの映像が流れていた。全体の事柄から世間が食い付きそうな事だけを切り取り、面白おかしく放送されていた。

テレビを見ていた妻に呼ばれ画面を覗くと、うちのぼんが暴れていた。
「あらららら、あの子ちゃんとバンドやってたのね」
妻は、ちょっと嬉しそうだった。テロップに凶悪バンド苦虫のハラワタ!とあった。泣きじゃくるヲタク達や逃げ惑う観客、ステージ上でキスをするメンバー、カオスな世界が画面の中で展開されリポーターが嘆いていた。

12月24日(木)
オサムはみんなに連絡して、あの居酒屋で待っていた。待ってる間考えた。何やったっけ?何しとんだっけ?クリスマスイヴやんけ。
そこにカシラが入ってきて
「鶴は千円、亀は俺でまんねん」
そう言って椅子に座った。カシラはオサムを見つめ一言
「失業した」
と言って笑った。ケンジとキャミ子も来たけどキャミ子はお店が今日は忙しいからと顔だけ出して仕事に行った。オサムは何を話していいかも分からなかったけど
「あのあと実家から連絡あってん、オカンは笑てた。そんで、そんで、あり?何やったか?」
出てきたビールをケンジが一気に飲んだ。
「俺さ、俺らさ、俺らっていうのは俺とカスミな、俺カスミと籍入れる事にしたから」
居酒屋の外にバイクの爆音が聞こえてきた。その音は次第に数を増し店の中に居てもバイクの数が何十台もあるのが分かる程だった。カシラは
「じゃ行くわ」
とコップの水を飲み、テーブルにトンと置き
「面白かったな、な」
そう言ってそのまま店を出て行った。店の外からはしきりに、押忍、押忍という声が聞こえバイクの爆音と共に夜に溶けていった。
「ケンジあのな、俺オサムじゃないんよ」
「何言ってんの?」
「まっいっか、ハハハ、俺は栗山オサムです」

1月9日(土)
「ああ、よう寝たわ、さてと、先ずは」
と冷蔵庫を開けビールを手にした。
「ビール発明したやつ尊敬するわ、旨っ」
つい一週間前まで正月だったなんて信じられないくらいにテレビ番組の中も今では正月の雰囲気は全く無かった。壁際にはオカンのストラトがこっちを見てた。頭の中には、苦虫のハラワタの楽曲が流れていた。そして気付いた。
「そうだ、ストラト、オカンに返さんきゃ」

2月5日(金)
オサムは中央線で東京駅へ向かった。何となく9時頃出る新幹線に乗ろうと思っていた。新幹線乗り場へ行く前にちょっと八重洲口の方に廻ってみた。
午前8時過ぎ、八重洲口は通勤通学、旅行客、一部酔っぱらいなどの人でごった返してた。
ひとしきりにそれを見て初めて東京駅に降り立った時の事を思い出した。
「1年くらい前かぁ、まっしゃーない帰るか」
新幹線乗換口へ向かおうとした時、後ろから肩を叩かれた。
振り向くとそこにカシラが居た。
「カシラ、どうしてん?」
カシラはちょっと照れ臭そうに
「バイクも売った、無職、だから帰る」
「帰るって、何処に?」
「お前の地元、山頭って家あるだろ?」
オサムは、ちょっと考えた。山頭っていったら、あの山頭?いやいやいやいや、あの山頭は地元では有名な県議会議員だし……って?
「えええええ、カシラの家って、あの山頭?」
カシラは頷き、切符を買いに行った。

2人共、新幹線では無口だった。地元の駅で降り別れた。

ただいまの声と共に、うちのぼんが帰ってきた。ギターを持って帰ってきた。顔つきが少したくましくなっていた。
「オカンこれ」
とストラトキャスターを手渡してくれた。
「もういいの?」
ぼんは、暫く黙っていたが
「あのさ、飽きた」
と言って、二階の部屋へ上がって行った。
わたしは妻と顔を見合わせて笑った。

夏に便りが来た。ケンジとキャミ子いやカスミからで、子供が生まれると書いてあった。
カシラとはあれっきりで逢っていない。

さてと、次は何をやろうか?



ぼんちゃん

ぼんちゃん

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-02-01

Copyrighted
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