スイッチ

荒谷 犬五郎

私の命の時が止まりました。失くした自分の破片を探しに、私は歩き始めます。

2010年8月20日午後3時20分。海市発東京行き帝航空機67便は東京空港に着陸予定のおよそ10分前に突然レーダーからきえた。卯月山に墜落、乗客乗員262人全員が死亡した。

2010年8月19日午後10時。北国の海市に住む我が竜田家(築20年一戸建て借家)では、わたし(寿50才)の突然の東京行きに、息子の虎太郎(大学4年生)と娘のかんな(短大1年生)を、しっかり巻き込んで準備が進められていた。
発端は。東京に単身赴任中の夫(公太郎47才)からの電話だった。
「ああーなんだか熱があるみたいで…」
「大丈夫なの?」
「ああ…さっき吐いた」
「そうなんだ…水分を取らないとね。それと、まず熱を測ってみようか。」
「うん、熱は今測ってる。ああーうん38度だって。お母さんが冷蔵庫に入れててくれた、KPウォーターを少しずつ飲んでる。しんどいから布団敷いて横になってた。うう〜」
「う〜ん…ちょっと心配…明日飛行機が取れたら、行こうかな。とりあえず、胃腸薬を飲んでから解熱剤を飲んでくれるかな。」
「う〜ん ちょっと待ってね、胃腸薬PPと解熱剤GGだね。うんわかったちゃんと飲んで寝てたら治ると思うから、無理して来なくていいからね。」
「うん、わかったわかった、とりあえずゆっくり寝てね。なんかあったら、夜中でも電話ちょうだいね。それじゃお休みなさい。」
「うん、おやすみ」
私は携帯を握りしめて、対面式になっている台所とリビングを歩き回っていた。
音もなく、虎太郎が2階から降りてきて、私の行く手をふさいだ。
「ほれ、明日の飛行機のチケットが取れたぞ。」
と、私の顔のまえでプリントアウトした紙を、
ひらひらさせている。
「おっ、さすが虎太郎くん。仕事が早いですなー」と、私はありがたくそのチケットを受け取った。
「8月20日、13時50分発 帝航空機67便 東京着15時30分か、いいんじゃない。」と、いつの間に来たのか、かんながのぞきこんでふんふんと頷いていた。

濃い緑に覆われた山の中を、沢山の人達が歩いている。母と子、父と子、おじいさん、おばあさん、背広姿の人、スーツ姿の人、ラフな格好の若者達、子ども達、帝航空の制服姿の人達。 そして 私も…
飛び散らかった鉄の破片、いたる所で何かがくすぶっている。その中に、無惨な姿で散在する動かぬ人、人、人。
その中に、私達は自分を探して歩いている。

8月20日午後1時晴れ
海空港は、沢山の人、人、人、でごった返していた。夏休みも残すところあと10日とあって、親子連れの姿が目につく。見送りの人達も沢山いた。
よく昨日の今日で席が取れたものだと、虎太郎に心の中で感謝した。
ようやく、席に落ち着く。私の席は3人席の通路側だ。お隣は、赤ちゃんを抱っこしたお母さんが座っていた。その隣、窓側に男の子がお行儀良く座っている。この騒がしい中でも、お母さんのうでの中ですやすや眠っている赤ちゃんに、愛好を崩しながら
「かわいいですね、10ヶ月くらいですか?」と、つい声を掛けてしまう。
「あっ、はい、当たってます。10ヶ月になったばかりです。涼です、よろしくお願いします。
こっちがお兄ちゃんの蓮です。蓮もちゃんとごあいさつして。」と、蓮くんの手に優しく自分の手を重ねる。
「うん、蓮です。1年生です。」と、その小さな体と顔を一生懸命に私に向けている。かわいい、そして凛としている。
少し話をした所によると、お盆に海市に里帰りしていた蓮くん一家でしたが、お父さんが仕事の都合で、一足先に東京の家に帰ったとの事でした。
蓮くん親子と楽しく話をしていたら、気持ちの良い睡魔が私を包み込んで、
「ごめんなさい、とっても眠たくなってしまいました…」そのまま、私は眠りに落ちてしまった。

午後3時20分
突然の爆発音が、体中を貫いた。私は目が覚めているのかいないのか、、、全く状況がのみ込めていない。まるでスローモーションの様に、私が。多分全てが落ちて行く。
体が何か強い力で押しつけられる。
「苦しい・・・」遠ざかる意識の中で、私は蓮くんを捕まえようとしていた。空中に放り出された蓮くんを、お母さんの手が追いかけていた。その手に見えた銀色の指輪が視界から消えて行く・・

緑深い森の中に広がる残酷な光景。その中に、私は私を探していた。静けさの中ゆっくりした足取りで私達は、自分を探していた。
見つけた
その体は泥と血にまみれて、不自然な形に折れ曲がり横たわっていた。回りには至る所に鉄の塊が燻って散在していた。左腕が途中から失くなっている。目を閉じたその顔もまた、泥と血にまみれている けれど、
わかる 私だ・・
うんうんと頷く 私
「頑張った 頑張った、もういいよ。」と言葉をかけていた。
一人また一人、自分を自分の破片を見つけては、
「良く頑張った よしよし」
「ゆっくり休んでね」
「もう頑張らなくていいんだよ」
「良かった、やっと見つけた」
「今まで、ありがとう」
「うーん、あともう少しだけ生きたかったかな」
などなど、口にしている。誰もがとても穏やかな顔をしていた。自分に小さく手をふる子どもの姿もあった。「バイバイ」優しい言葉が飛び交っている。それから、一人また一人、優しい光りに包まれ静かに消えて行った。

(イ コ ウ・・・)
子供の声が、聞こえた。
小さな手が、私と手を繋ぐ。
「うん、行こうか。」
その小さな手に引かれながら、私は再びゆっくりと歩きだした。



なんか 暗い 夜なのか?
いや違う。カーテンの隙間から光がはいっている。う〜んとここは・・・
ここは、海市にある私の自宅竜田家ではないか。その二階にかある、6畳半の和室に私はいた。
私と夫の寝室だ。という事はこの布団を頭までかぶって寝ているのは、夫の公太郎なのだろう。枕元には、ラップが掛かったままのおにぎりとお茶がお盆の上に置かれている。かんなが作ったものだろう。美味しそうだね。今って、いつなんだろう。私は今布団の足下に立っているけど、お父さんが見たら怖がるだろうなと、思ったらその瞬間私は今度は枕元に座っていた。これもまた、怖いかもと思っていたら、
深いため息をついてお父さんが、布団から顔をだした。赤い目と赤い鼻それに、ぼろぼろの肌に無精髭。あれまあ、全く精気と言うものが感じられない。まあ、そうだよね・・・お父さんだものね・・・ と私がため息をついていると
ぶわ〜〜くしょん と家中に響きわたる大きなクシャミ、引き続き ブウウ〜と、なんとも遠慮というものが欠落している、オナラの音
人は、どんなに落ち込んでいようと、生理現象は止められないものなのですね。なるほど。
でも、いつものお父さんだね、安心したよ。
いつもみんなから、「うるさい」 「くさい」 「あっち行って」と、嫌われ続けてきたお父さんの音。私は思わず吹き出してしまった。
その時、ゆっくりした動作でお父さんが体を起こした。
「えっ…うそ… おかあさんが笑っている…気がする…」と小さく呟いている。
私は嬉しくなって、
「うん、そうだよ、私だよ。気のせいなんかじゃないよ ほら、目の前に居るよ。」と大きな声で答えた。
「お母さん…もし、居るんだったら…会いたいよ、話がしたいよ…」
「うん、私も話がしたいよ、お父さん。」
「会いたい・・お母さんに会いたい・・」
お父さんの目から、涙がこぼれた。
そうか、…私は見えないし声も聞こえないんだね。
私は、そっとお父さんの涙に、頬に触れてみた。触れているのに 触れていない、指先を見てみると、濡れていない。わかってはいたけれど、辛い・・・
「あれ・・」と、自分の頬に手を置くお父さん。
「お母さんの手だ。ああ〜なんか暖かい・・・
ほっとする。」
その手の上に、私の手を重ねてみる。
このまま、どうかこのままでいさせて。私は目を閉じた。
その瞬間、目の前に映像が写し出された。 何処かの学校の体育館。そこに横たわる人 人 人・・・ 白い布が掛けられている。
卯月山の中、森の中で、優しい光りに包まれて消えて行ったみんなだ。
その中に私がいる。
お父さんと、虎太郎、かんなが、傍で泣き崩れている。
あんな悲惨な姿の自分を見つけても、涙なんか出なかったのに、家族の悲しみと痛みに、涙が込み上げてきた。
「ごめん みんな・・・」
次に写し出されたのは、私のあ葬式の様子だ。 私は、私の写真の横に立っている。
悲しみに包まれた空気が、痛い。
私の姉(時)がこっちを見ている。
写真の私ではなく、横に立っている私を。
おお〜 やっぱり見えるのか。昔から、他の人には見えないものが見えると、言っていたっけ。それで幼い頃の私と兄(と言っても私達は双子だ)を、心底びびらせていた。
それではと、私は姉に手を振ってみた。姉は頷くと、小さく手を振り返してくれた。兄(犬五郎)が穏やかな顔でその様子を見つめていた。
次に写し出された映像は、虎太郎とかんなが父を気遣いながら、しっかり前を見つめ生活している様子だった。頼もしい姿に、口元が緩む。そんな私と虎太郎の目が、一瞬合ったような・・・
そして、再びお父さんの頬に置かれた手の上に手を重ねている私。お父さんの手が、ぽとんと膝に落ちた。その手を追いかけて私の手が、お父さんの膝を通り抜けた。
膝に置かれた自分の手を、じ〜と見つめながら、お父さんが話し出した。声を絞り出すように・・
「ごめん、お母さん 助けてあげる事ができなかった。怖かったよね。苦しかったよね。何も出来なくて、傍にいてあげる事も出来なくて、本当にごめん・・」
きゅっと目をつぶり、唇を噛みしめている。
声は届かないけど、私が答える。
「うん、でもそれは無理だったよ。お父さん・・誰にも助ける事なんか、できなかったよ。本当に突然の出来事だったから。私はあの時、とっても眠たくなって、気がついたら全てが落ちて行っていた。だから私は怖いとか、痛いとか、助けてとか、そういうものが全くなかったんだよ。だって、気がついたら、死んでいたんだもの。私の寿命だったんだと思う。お父さんと虎太郎とかんなのおかげで、今まて本当に、毎日がたのしかった。とっても幸せな人生だったよ。だからね、死んだ今も、私は後悔なんかこれっぽっちもないよ。」
私はにっこり笑って、お父さんを見つめた。
うん、うん、とお父さんが頷いている。声は聞こえなくても、思いは届いたのかな。ひどい顔だけど、穏やかに口元が「ありがとう」と動いていた。

私の手を、小さな手が繋ごうとしている。
かわいい
「うん、行こうか。」
私は見えない小さな手の子に、声を掛けて再び歩きだした。その時、遠くの方から、ぶわ〜〜くょんとブウウ〜という音が、やはりセットで聞こえてきた。


なんだろう・・・むせかえる様な・・・
鉄のにおいかな?
いや違う、これは・・・血の匂いだ
ここはいったい なんなの?
果てしない闇の空間に、ぼんやりと何かが浮かび上がってきた。やがて、スポットライトに照らし出されたように、誰かがパイプ椅子に座っている。 荒い息づかいが聞こえてきた。何て事を…
「やめて!」
しっかり声は出たのだろうか、私は椅子に座る誰かの、右手に握られたカミソリだけをしっかり見据えて、掴み取ろうとした。
「切れるぞ!」
強い力が、私の手首を掴み動きを封じる。
カミソリを持った右手を高く上げて、左手だけで私の動きを止めている。その足元には血だまりができていた。リストカット
無数に切り裂かれたズボンは血で濡れている。白かったであろうシャツも切り裂かれ赤く染まっている。腕、手、顔、首あらゆる所が切り裂かれていた。
目と目があった。驚いたような、困ったような、その顔を、知っている。私はこの子を知っている。
「早川君・・・」
私の声が掠れる。私の手首を掴んでいた、早川君の手が離れた。
「その、カミソリを私にちょうだい。」
やっとの思いで、私はそう告げると、右手を差し出した。カミソリを握る右手を私に差し出すが、握ったその手が開かない。
「離れないんだ・・・離したくても、勝手に手が動いて自分を切りつけてしまう。俺の意志でこんな事してる訳じゃない・・・」がっくりとうなだれる早川君の手を、私は両手で包みこんだ。カミソリを持つ手がゆっくりと開いた。その手のひらからカミソリが消えていった。
早川瑛。そう君は私の娘、かんなをいじめた張本人だった。かんなが中学2年の出来事だった。
早川瑛、その悪ぶりは中学1年の時から有名だった。大した理由もなく、気に入らないというだけで、いじめが始まる。3人の子分を従え、しつこく、陰湿ないじめだった。同じクラスの子達は自分がターゲットにならないように、見て見ぬふりを決めていた。かんなは、いじめられている子に普通に声を掛けて普通に接していた。
そんなかんなが、ターゲットにされるのは目に見えていた。かんなは、そんな理不尽極まりない事がまかり通ってたまるか、と強く思っていた。しかしそんな強い意志で臨んではみても、毎日続く罵声、罵倒は少しずつかんなの心を蝕んでいった。友達も一人また一人と去っていった。
私達が、かんなの様子がおかしいと思い、いじめを知ったのは3ヵ月も後の事だった。私は何度も担任を訪ねて、いじめのグループ4人の名前を聞き出した。良い関係を築いていた母友にも働きかけ、やっと学校が動き出した。そして、かんなへのいじめは終わった。4人グループのクラスへのいじめも失くなった。しかし、早川瑛の悪が失くなった訳ではなかった。
中学3年になり、いじめからも解放されて、高校への入学も決まった。私は平穏な日々を過ごしていたつもりだったが・・・
かんなの心と体は血まみれになっていた。
ずいぶん後になって、かんなが少しずつ話してくれた。いじめが終わってからの方が学校へ行くのが怖かったと。すれ違う人達が急に私を罵声罵倒してくるのではないかと、怖くてたまらなかったと。かんなは外へ出る事が出来なくなった。

「早川君、何故君は私の前に現れて、君自信を切りつけているの?」
うなだれ、深く息を吐き出してから早川君が話し出した。
「あんた、竜田かんなの母親だろ・・あんたも死んだのか?」
「うん、そうだよ。飛行機事故でね。」
「そうか、そういう事か。かんなもこんな風に、自分を傷つけていたという事か」
「そうだよ・・・」
「俺は死んでから、何度も何度も呼び戻されている・・・まるで地獄だよ。目が覚めると、俺は、俺がいじめていた奴等に、俺自身がなっていた。解るか?俺に俺がいじめられているんだ!まったく、訳がわからねーよ。」
「うん?どういう事」と、私は尋ねた。
「最初に目が覚めた時は、裸の俺に、俺が嬉しそうにホースで水をかけていた。俺は訳がわからなくて、腹が立って俺に殴りかかろうとした。だが俺は悲鳴を上げながら丸くなっている事しか出来なかったのさ・・・気を失うまで延々とだ。」
早川君の顔がみるみる青ざめ、全身が血ではなく水で、びしょびしょになっていた。床も水でびしょ濡れになっていた。小刻みに震えながら早川君は、頭を左右に振ると、再び深く息を吐き出してから話しを続けた。
「次に目が覚めた時は、コンビニで万引きをしていたよ。三件目のコンビニでやっとガム1つを、ポケットに入れる事が出来た。流れる汗を拭う事も出来なくて、転びそうになりながら走って走って、俺の所まで行くと、ポケットからガムを取り出し土下座しながら俺が俺に差し出していた。」
「はあー 誰がガムを取ってこいって言った。ビールっつーたろうが、まったく、馬鹿はつかえねーなー」と、ガムを握った手を踏みつけられた。 俺は「ごめんなさい ごめんなさい」を、繰り返すだけだった。
早川君のかおが苦痛と屈辱に歪んでいた。その手は赤黒く腫れ上がり、土に汚れぐしゃぐしゃになったガムが握られていた。
「そして まただ・・・今度は学校の体育館の倉庫に、口に雑巾を突っ込まれて転がっていた。俺がニヤニヤしながら俺を見下ろしていた。何度も何度も腹を蹴られた。声にならない悲鳴をあげながら、涙を流す事しか出来なかった・・・それからそのまま倉庫に閉じ込められた。冬だったよ。」
海市の冬は厳しい。最低気温が-10度以下になる事など、めずらしい事ではなかった。
雪が舞い降りてきた。次第に激しくなり、吹雪となって全てが雪で真っ白になった。早川君の姿も吹雪にかき消されていった。雪が止んだ。何事もなかった様に、早川君がパイプ椅子に座っていた。切り裂かれた跡もきれいに失くなっていた。
「あんたも、俺が憎くて復習したくて、俺の前に現れたんだろう?ざまあみろって思ってるのか、もっと苦しめと思っているのか?俺をいたぶりたいなら、さっさとやれよ!」
私は吐き出す言葉を探していた。
「俺は死んだんだぞ、バイクで転んで高速道路から弾き飛ばされて、無惨な死に方をしたんだ・・もうそれで十分だろう?それでもまだ気がすまないのか? 復習したりないって言うのか・・・」
そうだった、
私は確かに、早川瑛を心底憎んでいた。
しかし、今君が目の前に現れるまで、私は早川瑛を、憎しみを忘れていた。
4年前、私の娘かんなは、さっきの君の様にカミソリで自分を切り裂いていた。リストカットなんて、そんなあまいものではなかった。手の届く所は全て切り裂かれていた。
「死にたい 死にたい」
毎日、かんなが口にしていた言葉。取り上げても 取り上げても、かんなの手には、カミソリ、カッター、ハサミ・・・が握られていた。
私はかんなが、死のうとしてカミソリを手にしていると思っていた。が、そうじゃなかった。
生きようとして、生きるために、死のうとする自分を切り裂いていた。
そんな出口の見えないどん底の中で、もがき、苦しみながら、かんなはぎりぎりの所で踏みとどまり、前を見ようとしていた。それを、私に教えてくれたのは、虎太郎だった。私と公太郎がおろおろするなかで、虎太郎は日常を見失う事なく、今迄通りにかんなと接していた。食事もとらずに部屋にこもったままのかんなに、私ががオロオロしていても。
「かんな、ご飯だぞ」とのんびり声をかける。
「あとで」と絞りだす様にかんなが、答えると
「うん、わかった。」と普通に答えていた。
「だとさ、聞こえたよね。」と、私に顔を向けた。
「うん、わかった」と私がため息をつく。
「かんなは、死んだりしないよ。」
「そんな事、わからないよ。」
呑気に断言する虎太郎に腹が立ってきた。
「かんなは、死にたいとは言っているけど、そんな自分を認めてはいない。って言うより許せないんだと思う。かんなが、切り裂いているのは死にたいと思ってしまう自分なんだよ。」
う〜ん と腕を組む私。
「まあ、あれだけ派手にやられたら、普通に心配するよな。」と、頭を掻いている。その時、
ぶわ〜〜くしょんと 家中に響き渡る大きなクシャミ、ブウウ〜と なんとも遠慮というものが、欠落しているオナラの音と共に、公太郎が帰って来た。
「おお〜 お父さんはクシャミとオナラが、いつもセットになってるよな。」と、虎太郎が真面目な顔で言うので、私は笑ってしまった。
私の中の塞き止められたドロドロした物が、大河となって流れだした感覚が確かにした。
私もかんなと、前だけを見て1ミリでも前に進みたいと思った。早川君への復習など思い描いている場合ではなかった。そんな事に費やす、時間もエネルギーももったいない。
「早川君、今君に起きている事全てが君への復讐だと思っているの?」
返事がない。
「私はそうだとは思わないよ。君が傷つけた子達は、絶望の中から歯をくいしばり、ボロボロになりながらも、やっとの思いで這い上がり今を生きているよ。でも、君はどうだろう・・・
相変わらず体を、心の痛みを怖がり一歩も自分の足では前に進めないでいる。人を傷つける事で安心を得ているだけ、君が君を都合よくごまかしているだけ。」
早川君の目が私を睨み、ふてくされたように、そっぽを向いた。
「ちゃんと自分が傷つけ、自分の血を流せ、自分て痛みを感じてみろ、そして、絶望の中から歯をくいしばってボロボロになりながら、這い上がって来てみろ・・・そう言う事だと私は思うよ。」
早川君が、小さく息を吐いた。
「そっか、君は気が付き始めていたんだね?だから私の前に現れた・・・」
早川君が、静かに深く深呼吸をする。
「そうなんだろうな・・・」と、皮肉っぽく笑った。君が薄れて行く、ボウーと光を放ってそして消えて行った。

2010年7月20日朝
パンをかじりながら、かんなが新聞をみていた。
険しい顔になり、新聞をわしづかみにして見いっている。
「まだ、そんな事を・・・」
そのまましばらく項垂れていたが、さっと新聞を閉じずんずんと洗面台に行き、ガシガシと歯を磨きだした。
「行って来ます。」と、しっかり声を出し家を出ていった。
バイク事故を起こした早川瑛の、死亡を知らせる記事が載っていた。

小さな手が触れてくる。可愛い。
「うん、行こうね。」
マッタク シンデカラサ ブツブツ、、、
なんか、ぶつぶつと聞こえたけど、まっいいか
「切れるぞ」と、確かに早川君はいった。


懐かしい、
ここは、私が生まれた空谷家だ。
目の前の布団に横たわっているのは、私の父(牛五郎)だ。その枕元に並んでちょこんと座っているのが、幼い私と兄(犬五郎)だ。幼い私と兄の傍に母(今)が、布団を挟んで、向かい合わせに姉(時)がすわっている。その回りを囲む様に、沢山の大人達が俯いて座っていた。幼い私と犬五郎は、4歳の冬に父を亡くしている。
母が、父のおでこを、頬を優しく撫でている。父も母もなんて若いのだろう。
「さあ、時もちゃんとさよなら、しようね。」と、姉の手をふわりと父の手の上にのせた。
「うん」と姉が頷いて小さな両手で父の手をにぎる。そのまま父の耳元で何か囁いている。次に母は、犬五郎と幼い私の手を父の手の上にのせると、自分の両手で優しく包んでくれた。犬五郎と幼い私がじっと母の顔を見ている。母が、うんうんと頷いている。そして犬五郎と幼い私は、亡くなった父の顔を不思議そうに見つめた。
私も一緒に触れてみたい・・・
私は、おそる おそる父の手に触れてみた
その瞬間

まだ幼い姉が、前を走っている。
「時、転ぶんじゃないぞ!」
「うん、わかってる。」
姉が満面の笑顔で振り向いて答えると、ぐんぐん走って行ってしまった。
この声はひょっとしたら、父の声? 4歳で父を亡くしている私は、父の声の記憶がない。
オオー! 虎太郎の声とそっくりではないか。顔も似てる。私の顔は父ゆずり、犬五郎の顔は母ゆずりと、良く言われていたっけ。
私が繋いでいる、この大きな手は父の左手だ。右手で犬五郎の手をしっかり繋いでいる。
えーと、これは・・・2歳くらいの私に50歳の私が重なっている、という事ですか?
うーーん、とても不思議な事だけど、とても楽しい、そして嬉しい!

「さあ、着いたぞ!」
父が笑顔で私達の手をぱっと放した。
ここは、小さい頃犬五郎とよく遊んだ公園だ。うん、覚えてる。
「まって」「まって」
私達は走り回っている姉めがけて走り出していた草の匂い、まだ少し冷たい空気、桜の蕾が今にも開こうとしている。
父はポケットから携帯用の、といってもポケットからはみ出すくらいに大きいラジオを出すと、スイッチを入れた。良く耳にする「ラジオ体操」の音楽が流れてくる。私達3人は、父をめがけて走った。
「よおし、みんな上手に出来てるぞ!」
嬉しそうに、体を動かしながら父が誉めてくれる。公園を散歩していた、おじいさんお婆さん、ベビーカーを押していた、若いお父さん、ジョギングしていた、お姉さん達が、いつの間にか私達と一緒にラジオ体操に参加していた。
「ああ〜」 何だかこれから楽しいことがありそうで、気持ちがワクワクしてくる。

場面が変わってしまった。私と犬五郎は布団の中にいた。3才くらいかな。二人とも小さい頃はすぐに熱をだして二人そろって布団の中にいる事が多かったと、母が言っていた。そして、しみじみと「丈夫になったこと」と、顔をほころばせていたのを思い出した。片方が熱を出すと、必ずもう片方も熱を出す、もうこれは双子の宿命みたいなものです。
おっと、私が布団を抜け出して熱でふらつく足で母か父を捜している。台所に立つ父を見つけると
赤い頬っぺたに、熱い息をはきながら「とうさん」とにっこり笑って父にぎゅっと抱きつく。いつの間に来たのか、犬五郎も一緒になって父に抱きついている。私を追いかけて来たんだね。
「こらこら、二人とも熱があるんだからちゃんと寝てなさい。」
父の声が何だかくすぐったい。父は、困った顔で手を拭き終えると、二人を軽々と抱き上げた。ぐったり体を預ける私達を、布団まで運び寝かしつける。と、そのまま布団ごと台所のすぐ近くまで、ずりずりと引きずっていってくれた。
「ここなら、父さんが見えるだろ!おとなしく寝てるんだぞ。」父の優しい声。私と犬五郎は、顔を見合わせて嬉しそうにうんうんと頷いた。そうだった、父はとても料理が上手だったと、母が言っていた。手際よく料理をする父を見て、なるほどと納得した。
「よーし、出来たぞ! 食べれるといいな。」
お盆に、小さな茶碗、スプーン、小鉢、コップを二つずつ乗せて、父が二人の枕元に置く。私と犬五郎を布団の中に上に座らせるとカーデガンを着せてくれる。
「茶色のカーデガンはひさ、青いカーデガンは犬五郎と」
「よし!」と自分も胡座をかくと、
「さあ、犬五郎から食べてごらん」
小鉢の卵味噌をスプーンでお粥の上にのせて、軽く混ぜ合わせる。そのままスプーンで少しだけすくうと、父がフウフウしてから犬五郎の口へと運ぶ。犬五郎が飲み込むのを見てから
「よしよし、えらいぞ!」と頭を撫でている。犬五郎がどや顔で、私をみた。
「つぎはひさの番だよ!がんばれ。」
私は待ってましたとばかりに、大きな口を開けたかったのに喉が痛くて半分も開ける事が出来なかった。そんな私に父は、根気よく少しずつ少しずつお粥を食べさせてくれた。どや顔の犬五郎も心配顔になって私を見ていた。二人で仲よく熱が出ても、犬五郎は1日も寝てれば治まるのに、私の熱はなかなか下がってはくれなかった。犬五郎はペロリと完食したのに、私は半分食べるのが精一杯だった。薬をのみ終えると、すぐに眠ってしまった。大好きな卵味噌のお粥なのに、残念だ!
お米から炊いたお粥、鰹節が入った卵味噌、風邪をひくと母が良く作ってくれた。どんなに食欲がないときでも、これだけは食べる事が出来た。
母の味だと思っていたけど、そうか、父が母に教えた母の味だったのか・・・って何だかややこしい・・・

再び場面が変わった。
父のあぐらの中にすっぽりと納まり、仰向けに寝ている私。4才くらいかな。右の鼻の穴には脱脂綿が突っ込まれていた。私は本当に良く鼻血を出す子でもあった。おとなしく、うつらうつらしていると、父の体が揺れた。どんどんと背中を叩かれているみたいに。私がのけ反って父の背中の方を見ると確かに背中をどんどんとされていた。犬五郎が父と背中合わせに寄りかかり、オモチャの飛行機で遊びながら頭を父の背中にごんごんとぶつけていた。父は、されるがままに本を読みながら体を揺すっていた。よしよし今日の犬五郎は自分で、自分の鼻の穴にちり紙を突っ込み私の隣に割り込んで来ることはしないようだ。一安心していると、目の前に父が読んでいる本の背表紙が見えた。50歳の私には読める。
「河童」芥川龍之介 と
私は18歳の時に、芥川龍之介に心酔してしまい、芥川龍之介全集なるものを、ローンを組んで全巻揃えたていた。そうか芥川好きは、父さん譲りだったのか・・・そのまま私は父のあぐらの中で眠ってしまった。これは4才の私が見ている夢。 この夢は・・・
4才になったばかりの私と犬五郎が、2階の窓から下を見ている。地面と2階の窓の真ん中くらいの所に、人一人が何とか歩けそうな板がくくりつけてあった。
「このまどにつかまって、あしをのばしたらちょうどあのいたのうえに、おりれるかなぁ?」
私が呟く。
「う〜ん、おりれるかもしれないね。よし、じっけんしてみよう!」
犬五郎が楽しそうに、私の顔を覗きこんで答えた。
「じゃあ、ひさがいぬごろうのてを、ぎゅっとつかんでいてね」
「うん、わかった」と、私は窓のさんにかけられた犬五郎の手をぎゅっと上から押さえた。犬五郎が体を外に出し窓にぶら下がった。でも、板までは絶望的な距離があった。
「あぁもうだめだ、ひさひっぱって!」
私は、犬五郎の手をありったけの力で引っ張ったがどうすることも出来ず、二人ともそのまま2階の窓から落ちてしまった。
「ああ〜」
うめき声とともに、父のあぐらの中の私が目を覚ました。この夢は私が20才になるまで、何度も何度も見ていた夢だ。
「大丈夫だよ。」と、父がのぞきこんで声をかけてくれた。この頃の父は、体調を崩し家でゆっくり過ごす日が増えていた。私の家は、果物屋を経営していた(近所でも美味しいと評判だった)が店に立つのは母に任せっきりになっていた。事務的な仕事は、父が全てひきうけていた。
4才になったばかりの頃、私と犬五郎は2階の窓から転落するという、空谷家にとっての大事件である大事故を起こしていた。しかし、その時の事故の記憶も、その後どうやって助かったのかという記憶も私には全くなかった。記憶にはないのに、その事故の後から二階の窓から犬五郎と一緒に落ちていく夢を何度も見ていた。そして必ず落ちていく途中で、うなり声と共に目を覚ましていた。その事故の半年後に父は失くなった。なぜ私の事故の記憶が失いのか、なぜ父は亡くなってしまったのか、それは私が20才になった時に母が全てを教えてくれた。
再び、私の目の前には布団に横たわる父がいた。母がゆっくりと犬五郎と私の手を離した。そっと涙を拭うとじっと前を見つめる母。その横顔は凛として美しかった。
その横顔は・・・
「いこう!」小さな手が私の両手に触れてくる
うん?・・ 二人・・・
「そっかー、一緒に行こうね。」


まぶしくて、目を開くことが出来ない。
日の出の太陽は、なんて眩しいのだろう!
額に手をかざして薄目を開けてみる。そこは見慣れた海バスのバス停だった。向こうからゆっくり歩いて来るのは私の良く知っている母、空谷 今53才の誕生日に私達がプレゼントした、明るいグレーのコートを上手に着こなしている。この頃の母は青海胃腸外科医院で調理師の仕事をしていた。毎朝この海公園前バス停から始発のバスを利用して通勤していた。桜の花びらが風で運ばれてきた。海公園の桜が満開だ。母が足を止める。風に舞う桜の花びら、海公園のみごとに咲いた桜に見とれている。母が「きれいね」と呟いている。
北国海市の桜の開花は遅く、咲くのは5月半ばころだ。
そうか、母の最後の朝は大好きな桜に見送られていたんだ。良かった。
私が20才の年5月13日午後4時、母はくも膜下出血で倒れた。青海胃腸外科医院では対処出来ず、すぐに海市立病院に搬送された。
私が海市立病院に着いた時には、母は既に手術室の中だった。姉の時と双子の兄の犬五郎が手術室の前で私を迎えてくれた。
「かなり難しいらしいよ。」と犬五郎が静かに言った。
「難しいって、何が?」ととがった声の私。
「うん、今は手術が無事終わる事だけを祈ろう。」姉の言葉に私は頷いた。
5時間後、手術は終わった。ベッドに横たわる母は、頭は包帯でおおわれ、体は沢山の管に繋がれ、口には酸素マスクがつけられていた。何かを報せる機械が世話しなく点滅している。
「朝までに目覚めてくれるといいのでが・・・」
担当の医師が、厳しい表情で私達に告げた。私達は母が目覚めてくれる事を信じて朝を待つことにした。
「時、犬五郎、寿、起きなさい。」
いつの間に寝てしまったのだろう・・・
私は、母の声で目がさめた。ベッドの上で母が正座をしていた。包帯も管も酸素マスクも無くなっている。背筋を伸ばし正座するいつもの母が微笑んでいた。私は、声が出せないでいた。
「起こして悪かったね。ちゃんと話しておきたくてね。」
姉と犬五郎が私を挟んで静かに座っていた。
「さてと、父さんが亡くなる半年前、そうひさと犬五郎が4才になったばかりの時・・・」
まだ4月なのに風が心地よくて、2階の窓を全部開け放していた。その窓からひさと犬五郎は落ちてしまった。犬五郎は運よく草地に落ちて、かすり傷ですんだのだけれども、ひさはごつごつした石がばらまかれた上に落ちてしまった。ひさの体の下から血がみるみるまに広がっていった。父さんがすぐに救急車を呼んだ。そして、海市立病院に運ばれそのまま手術室に運ばれて行った。手術が終わり包帯まみれでストレッチャーに横たわるひさの息は、酸素マスクの下で今にも消え入りそうだった。
「最善を尽くしましたが、24時間もつかどうかです。」と辛そうに医師が告げた。
「大丈夫、ひさは絶対に死なせない。」父さんのつぶやく声が母さんには聞こえた。
父さんは、空谷家の能力者としての血を受け継いでいた。
空谷家は、能力者としての不思議な力が遺伝子の中に組み込まれていた。ゆえに空谷家の血を受け継ぐ者はその能力をも受け継いで行かなければならない。その能力は千年以上も昔から受け継がれてきたものと、言われていた。その能力とは、命の時に触れる力。命の時を与える事、命の時を止める事、命の時を入れ替える事等が出来る力とされている。
その持てる力の全てを使い父さんは自分の残された命の時をひさに与えた。しかしそれを受け取るひさ自身がとても弱く不安定だった。それで父さんは、ひさを名前の力で強くしようとした。生まれた時は、久と書いてひさ、父さんの命の時を与えられてからは寿と書いてひさ、と漢字を変えた。寿という漢字には命の時を保つという意味がある。
空谷家の昔からの約束事に、男の子が生まれたら生まれ年の干支を名前の一字にする事。女の子が生まれたら時に関わる、時の流れを連想させる名前をつける事。とある。能力者の力を受け継ぐ者はその力が暴走しないように名前に力を与える。生まれ年の干支の一字が、その暴走を押さえる力を持っていた。厄介な事に能力者の力には匂いが在るという。普通は誰にも感じることの出来ない匂いを、感じ嗅ぎわける力を持つ者が存在していた。その者は嗅ぎ師と呼ばれて千年以上も昔からその時の権力者に仕えていた。能力者の力の匂いを隠す事ができるのは時に関わる、時の流れを連想させる名前を持つ者とされていた。
「それから父さんは、この事実を寿が20になるまで、絶対に知らせてはならないと私達三人に約束させたんだよ。知らないでいる事が寿を救うと言って・・・」
父さんの命の時を与えられた事で寿にも匂いがついてしまったんだ。その匂いが消えるのが寿が20才になった時だそうだ。それまでは、時が寿についてしまった匂いを消していてくれた。
犬五郎はまだ4才だったけど、父さんの話を心と身体の全部で必死に受け止めてくれた。
「久は4才の時の事故で亡くなってしまった。今寿に残っている命の時は、父さんの命の時なんだよ。」
不思義な事に私は驚く事もなく、母の言葉がすーと心に身体に染み込んでいった。染み込んだ言葉が温かく全身に行き渡っていくのを感じていた。時と犬五郎のかたが、ごつんと私の肩に触れた。
「うん、父さんに心から感謝です。母さんに感謝だね。あと、時姉と犬五郎にもね。」私は大きく息を吐いた。時と犬五郎の肩がごんごんと私の肩にぶつかってきた。
「うん。母さんはみんなと一緒に過ごす事が出来て、本当に幸せだった。思い残す事は全く無い。これからは父さんと一緒にみんなを見守るから、時、犬五郎、寿、思う存分生きて行くんだよ。」
母のベッドの傍でパイプ椅子に腰掛けたまま、思い思いの格好で寝ていた私達が目を覚ました。
朝日の中で桜の花びらが舞っていた。母は眠っているかの様に、息を引き取っていた。
海公園前バス停には、いつも顔を合わせるメンバー三人が母を迎えていた。楽しそうにお喋りしながらバスに乗り込む。
私は、イカナイデと叫んだつもりなのに言葉が出ない。手を伸ばしたくても体が動かない。突風が桜の花びらを容赦なく吹き飛ばし、私はその渦巻く花びらで何も見えなくなってしまった。
風が止んだ。顔を覆っていた手を下ろししながら目を開けると、ここは卯月山・・・
飛行機事故があった場所。今は野っ原みたいな空間が広がって、回りの木々の中に山桜が見えている。誰かが歩いてくる。逆光で良く見えないけど、片手で小さい子の手を引きもう片方の腕の中には赤ちゃんが・・・
蓮くんと涼ちゃんだね。そして、お母さんは私の母、空谷 今、の若い頃の姿。こちらに近づいて来るにしたがい、私の知っている母に、蓮くんと涼ちゃんは産まれたばかりの赤ちゃんに戻り、母の両手にしっかりと抱かれている。可愛い。男の子と、女の子の双子だったんだね。
虎太郎が2才になろうという時に、私は授かったばかりの小さな命を失ってしまった。すぐにでも追いかけようとする私の手を、しっかり握り引き止めてくれたのは虎太郎だった。
「おかあさんは、いっちゃだめだよ。」と虎太郎(オカアサンハ キチャダメダヨ)と小さな声が確かに聞こえた。その小さな手と手が、私に生きる覚悟をさせてくれた。
「公太郎さんが、寿の妊娠を知った時に・・・
(え~と馬年だから男の子だったら蓮馬。うん、なかなかカッコいい。で女の子だったら涼夏。うん、可愛い。)
正座をして、ちゃんと墨をすって筆で二つの名前を和紙に書き記していたんだよ。だから寿の命の時が終わる間際に、蓮馬は4才の姿で、涼夏は赤ちゃんの姿で会わせる事が出来たんだよ。公太郎さんに感謝だね。」と母が微笑んでいた。
優しい光が母を蓮馬を涼夏を包み込んで行く。そして消えて行く。母が後生大切に着けていた銀の指輪が仄かに輝いた。その仄かな耀きの中から小さな光が二つ弾け飛んだ。その二つの光は私の両手の平にゆっくり静かに舞い降りて、そのまま私の両手に溶け込んだ。ほのかに光る両手を抱き締めてみる。可愛い、お帰り蓮馬、お帰り涼夏・・・
さあ、私も優しい光に包まれ・・・ しかし
そこでスイッチが切られたようだ。
父が押したラジオのスイッチの様に、ブワンと忘れ物を取りに来たかのようにある場面に会いに来ては、また誰が押したのかスイッチが切られたようにプツリと何も無くなってしまう。それは、私が優しい光に包まれ消えるその時まて続くのだろう。たぶん・・・

スイッチ

スイッチが入りました 。ブワン

「もうー 荒ってば!」
「へっ・・ああごめんごめん、夢中になってた。」
クラス当番だった私が、やっとクラス日誌から顔をあげた。
ここは、私が通っていた高校。
高校3年生の私に、今の私が重なる。
書く事が大好きだった私は、たとえクラス日誌であろうが、一旦書き始めたら最後夢中になって周りが見えなくなってしまう。親友の文澪が仕方ないなあ〜という顔で。
「田中先生の所に、一緒に原稿を届けに行こうって言ったのは荒だからね。」
「うん、確かに。」と私が頭を掻く。

文澪は、図書局の局長をしていた。その顧問をしていたのが現代国語の田中先生だった。いつも穏やかで、声を荒げている姿を見た事がない。田中先生は自費で「ひとみ」という詩集を発行していた。
3年生になって初めての現代国語の時間、勿論担当教師は田中先生。
「今日は自己紹介の意味も込めて作文を書いてもらいます。何を書いてもいいです。何枚でも自由です。」
何を書こうかな〜と、私はワクワクしながら原稿用紙にむかった。
「かったりー」
「マジかよー」
「一行でもいいんですか?」
前後左右のうるさい男子のやじも耳に入らない。最初に配られた2枚の原稿用紙が埋まり、3枚目の原稿用紙をもらいに席を立つと、木下 文澪も席を立っていた。4枚目も5枚目も同じタイミングで取りに来るものだから、なんか可笑しくなって二人で吹き出してしまった。その日の帰りに文澪から声を掛けられた。
「私は、木下文澪です。荒谷さんは文章を書くのが好きかなって思ったんだけど?」
「うん、大好きだよ。」と満面の笑顔で私が答える。
「やっぱりー、私も大好きなんだよ。」と嬉しそうに、文澪も笑顔で答えた。
「それでね、私は詩を書くのも好きで、田中先生が発行している「ひとみ」という詩集に投稿しているんだけど、荒谷さんも一緒に投稿してみませんか?」
「おっ凄いね、うん、是非是非お願いします。」
詩は小学生の時から書いている。私は時間さえあれば文澪のいる図書館に入り浸った。

「ごめん ごめん、よし行こう。」
日誌を担任の机の上に置いて鞄をかかえると、はや歩きで図書館へと向かった。旧校舎から建物ごと移設された古いままの図書館は、新校舎の中でここだけが時の流れを異にしている。その古めかしい入口の戸をガラガラと開けると・・・
白い霧に覆われて何も見えない。文澪は、と振り向いても、そこも白い霧に覆われて何も見えなくなっていた。その霧の向こうから、ゆっくりとした足音が聞こえてきた。
「荒谷さん、待ってましたよ。」
「えっ、田中先生ですか?」

卒業式前日、私は高校生活最後の原稿を田中先生に手渡した。
「荒谷さん、いつも素敵な作品を届けてくれてありがとう。卒業してからも、もし時間が出来たら、また作品を届けに来てくださいね。楽しみに待ってますよ。」といつもながら穏やかな先生に
「はい、きっと届けに来ます。待っててください。」と私は自信を持って答えた。
それなのに、私は卒業後一度も田中先生を訊ねる事はなかった。勿論、忘れていた訳ではなかった。そのうちに、そのうちにと思っていたら月日は流れて。そして、文澪から電話で、田中先生が亡くなられたと知らされた。

「先生ごめんなさい、私は・・・」言いかけた私に、穏やかな先生の声が重なる。
「何故荒谷さんが、謝るのですか? 謝らなくてはいけないのは私です。待ってますと言ったのに
イヤー考えが甘かったようです。自分が死ぬことを全く考えていませんでした。」
先生は静かに笑った。そして
「さあ、手に持っている原稿を貰いましょうか。」田中先生が手を差しのべてきた。
いつの間にか50才に戻った私が、原稿を手にしていた。田中先生に届けようとしていた原稿を。
「はい、やっと渡す事ができます。」
私から原稿を受け取ると、霧の中を先生が歩いて行く。私も一緒に歩いて行く。
「先生、初雪かずらという植物をご存知ですか?」
「ほう、素敵な名前ですね。どんな花が咲くのですか?」
「花は咲かないのですが、葉っぱが淡いビンク・・・」

スイッチが切れました 。 プツリ

スイッチ

飛行機事故で私達262人全員が死亡した。 気がつくと、緑深い森の中を私達は静かに歩いていた。一人また一人、自分を自分の破片を見つけては、優しい光に包まれて静かに消えて行く。だが、私 竜田(旧姓空谷)寿は、無残に横たわる自分を見つけたものの、小さな手が触れてきて、その手に引かれて再び歩き出した。 暗い部屋で泣き暮らす、夫のもとへ 娘をいじめていた、故早川 瑛との対峙 私と双子の兄犬五郎が4才の時に亡くなった、父 との思い出 等々、失くしたものを探しに来たかのように、色々な場面と出会う。そして、空谷家に受け継がれる、父牛五郎の不思議な力とは、(イ コ ウ・・・)と私に触れて来た、可愛い手とは・・

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