原発婚の果て ー爛れた絆ー
原発婚の果て 爛れた絆
「今風にだったら原発婚とでも言うの?それにしても、何て忌々しい1年だったのかしら。あの原発の、あの爆発みたいに狂気の結婚だったのよ」
原発が爆発してすぐに、潤子は、勤める調剤薬局チェーンのある女性上司から見合いを薦められた。
その街は原発が集積した海岸からは六〇キロも離れていたが、あにはからんや、風向の災いで、思いの外に高濃度の放射能が造作もなく降り注いだのである。潤子は、忽ちのうちに、異民族に変幻された如くの疎ましい疎外感に襲われて、すぐに身に付いてしまった。何事も全てが信じられなくなってしまったのである。
広告を中断したテレビは絆のメッセージを、連日、垂れ流している。一人では生きていけないのだ、絆が大切だと力説して、急に世話焼きになった女性上司に言われるまでもなく、潤子も独り身の不甲斐なさを痛感していた。
相手は市役所で働く、やはり、婚期を逸した五〇に近い男だった。
暫くした異様に蒸す昼下がり、見合いの席を立ってバラの咲き乱れる中庭で二人きりになると、求婚した男は汗にまみれた手で潤子の手を握った。上司からは堅実だと聞いていた男の、思いがけない唐突で大胆な行動に、女の心が訳もなく煌めいてしまったのである。女はときめく恋愛などは、今さら求めてはない。ただ、乾き切った砂の様な心情に染み透る水滴を欲していた。
状況を考えて、数少ない親族と上司だけの式をあげて、新婚旅行は休日を利用して温泉に一泊するばかりにした。
潤子は購入した自分のマンションはそのままにしておいた。
係累のない男の住まいでの初めての夜は、熱帯夜だった。男が風呂に誘ったから潤子も応じた。女の豊満な肉体の隅々までを洗い上げて舐めまわす男に、女は驚いたが、全身で快感を感じていた。
「堅物だって評判だった、しかも、四八歳の主人が目覚めちゃったの」
男の精神も屈折していたのか。ある日、独白する様に、「原発が爆発して政治の出鱈目を痛感してしまった。今となっては、役所の仕事などには、さしたる意味もない。辞めはしないが、もう楽しみはこれだけだ。これからの趣味はお前なんだ」と、耳朶に囁くのである。そして夜毎、潤子の身体を求めるのだった。本当の閨房はこんなに楽しかったのか、と、女も耽溺する術を覚えていった。
「乳房を揉まれながら背後から挿入されて、厭らしいビデオを見せられるんだもの。本物のよ。さんざん性交した後に、痙攣しながら虚ろに喘いでいる女の顔に、二人の男が同時に射精するのよ。私もあんな顔をするんですって。だから、ビデオの女を真似て私も股がったわ。私のはぬるぬる。主人のもいつになく太くて固くて熱いの。ぴったりはまったわ」「わたしは口を半開きにして歯を覗かせて、喘ぐのが癖らしいの。よだれも。普段は家事も非の打ち所のないしっかり者の女なのに、法悦の時は人が変わった様にふしだらになるんですって。主人はそんな堅実の堕落を見て興奮するんだって。私の唇は性器の形に似てる、っても言ったわ。熟した桃みたいだって」「眼鏡を取ると、何とかっていう昔のセクシー女優に似てるって。決して美人ではないけど、男好きのする顔なんですって。やりたがりの身体だって。確かに太りぎみだとは思うけど、そんな身体ってあるのかしら」「セックスしているビデオを見せながら、もっと演技しろ、ベロを出せ、ふしだらに喘げって。自分で乳を揉め、って」「裸にしてバナナを食べさせるのよ。フィラチオの訓練なんだって…」「私、お酒は一滴も飲まないし。もちろん、タバコも吸わない。ついこの前、半年前よ。主人と結婚するまでは、信じられないでしょうけど、本当に処女だったのよ。もちろん、夫も信じる筈がなくて。出血もしなかったろ、って。四一ですもの、処女膜なんて、とうの昔の知らないうちに破れてしまっていたんだわ。猜疑ばかりの夫が、私の男性遍歴を執拗に聞き出そうとするんだもの。もう、辟易したのよ」「だって私、オナニーが大好きだったんだもの」
女は性交に馴れて、一時は、これが絆の真実かとも思った。しかし、男の性戯がエスカレートすると、次第に違和感が芽生え始めた。男が頻繁に求めるフィラチオが、実は女は好きではないのである。まして、口内射精など考えられない。どうしても馴染めないのは自慰を強要される事だ。秘め事だから自慰なのではないのか。それを見て楽しむと言う。これでは、ただの隷従ではないか。性の玩具の様なものだ。何よりも自分を大事にしてきた女は、次第に堪えられなくなった。ある満月の暁に、男が女のアヌスを求めた。女はもう限界だと悟った。
女は、暫くぶりに自慰をした。快楽のコントロールが一番できるのは自分だと、改めて確信した。
バブル崩壊の最中が青春だった。女は勝ち組になると決意した。大学で薬剤師の資格を取り、ある大型調剤薬局チェーンに就職できた。次の目標はこの位置を手離さない事だ。一心に仕事を続けて安定した生活を守りきる、その事そのものが人生なのだ。自分の城が欲しかった。切り詰めて貯金をした。工夫が金で残るのが楽しかった。三八歳の時にマンションを購入した。女は誰にも隷属せずに、人生の大半を大過なくやり過ごしてきたのである
夫との違和に気付いたその頃に、他県から転勤してきた来た青年の挙動が気にかかった。献身的な働きぶりに潤子は次第に惹かれていったのである。
ある日、潤子は、「あなたとは合わない」と、考えたあげくの卑語を放って家を出た。衝撃の一言で失意の奈落に陥った男は、簡単に離婚に同意した。
「絆は大切よ。みんながそう言ったもの。でも、当たり前の事だけど、誰彼となく結べる絆なんて存在しないでしょ。あの原発爆発で、いったい、どれ程の新しい絆が結べたのかしら。だいたい、五〇年前の原発立地の時から世論は分裂していて、家庭不和や離婚まで引き起こしていた土地柄なんだもの。私には絆はおろか、この県は粉々に、いっそう分裂したとしか思えないわ。絆の大合唱も瞬く間に終息したでしょ?」「そして、絆というものがこんなにも爛れたものだとは思わなかったわ」
この街では放射能の除染は未だに行われていない。抜本的な対策は手付かずなのだ。そして、この潤子という女は平穏だった人生を、確かに翻弄されたのである。だが、もちろん、東京電力の補償の対象外なのであった。
-終-
草也
労働運動に従事していたが、03年に病を得て思索の日々。原発爆発で言葉を失うが15年から執筆。1949年生まれ。福島県在住。
筆者はLINEのオープンチャットに『東北震災文学館』を開いている。
2011年3月11日に激震と大津波に襲われ、翌日、福島原発が爆発した。
様々なものを失い、言葉も失ったが、今日、昇華されて産み出された文学作品が市井に埋もれているのではないかと、思い至った。拙著を公にして、その場に募り、語り合うことで、何かの一助になるのかもしれないと思うのである。
被災地に在住し、あるいは関わり、又は深い関心がある全国の方々の参加を願いたい。
原発婚の果て ー爛れた絆ー