彼も今宵は幻想電車に

彼は埼玉県の南部にある辺鄙な土地に住んで いる。今にも崩れそうだがなかなか崩れよう としない広くて古い屋敷にすんでおり、庭に は和洋様々な雑草が所狭しと生え常住人間の 空間を奪うことに精を出していた。彼はひげ をたくわえることを趣味としていた。今まで たくわえた髭はゆうに2000を超えていた。家 はひげで溢れかえっており、そんな調子だか ら中にはぴげやびけが混じったりしているの だった。彼はひげで散らかる床の上にあぐら をかき、「ひげが邪魔くさくてしゃあないわ い」とのたまいつつも、ひげに囲まれた生活 にそれなりに幸せを感じていた。 彼はひねくれものだった。うまいものをまず いといい、嬉しいときに泣き、痛いときに平 気な顔をし、寂しいときは孤独を好いた。人 は彼のひねくれっぷりに恐れをなし、なした 恐れで愛想でつかしたり、つかしたと思った らついたのは悪態で、ため息と餅をつきつつ 屁理屈をこね、煙と餅を海苔でまいて餅を喉 につまらせて暴言を吐いた。要は苦いものと して扱われていたのだった。

ある晩彼は無性に小便がしたくなり、ひげを 掻き分けながら廁に向かった。廁へ向かう途 中庭をチンチラ電車が横切ったので彼は顔を しかめた。チンチラ電車とは夜な夜な人の家 の庭を横切る幻影で、子供と老人にしか見え ない。提灯をいやというほどぶらさげ、車体 は山吹色で所々魚の鱗を模した模様が描かれ ている。車窓からは藤の花がたれ下がり提灯 の光を愉快に受けていて、また先頭には毒々 しい色の光るキノコを行灯としてぶら下げて いる。中から赤やら鶯やら、派手ないろの着 物を着た子供がこちらを見てきゃあきゃあ喚 いていて喧しい。彼らはチンチラ電車に見入 られた人間たちで、ああして捕まったからに はもう二度とうつしよには帰れない。子供の 形をとってはいるが、その実殆どは老人だ。 チンチラ電車は老いた心や弱い心を狙い、心 の持ち主を連れ去ってしまう。彼の妻もチン チラ電車に見入られた。故に彼はそれを忌み 嫌うようになったのだ。

彼も今宵は幻想電車に

彼も今宵は幻想電車に

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-10-31

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