Canopus

水野葵

  1. 序章 おとぎ話
  2. 第一章 少年フィリップ(1)
  3. 第一章 少年フィリップ(2)

序章 おとぎ話

むかしむかしのお話です。

この世界の片隅に一匹の龍が住んでいました。それはそれは美しい龍でした。
うろこは黄金(こがね)色に輝き、爪は鋭く、角は真珠のようにつややかでした。
たてがみは豊かで、ひげは長く、海よりも深い青い目をしていました。
そして、その首には大きな宝珠(たま)が八つ、飾られていました。

あるときのことです。
欲深な人間が十人、首の宝珠を狙い、龍に争いをしかけました。
それはそれは激しい争いでした。十人と龍は七日七晩争い続けました。
そして、八日目の朝、龍はその姿を消しました。
十人は手分けして探しましたが、ついに龍を見付けることはできませんでした。

あとには八つの宝珠とひと振りの(つるぎ)が残されました ―――――。

第一章 少年フィリップ(1)

 あなたがもし日々の生活に疲れ、どこか遠くに出かけたいと考えているのなら、海辺の町“アケルナル”を訪ねてみるといいだろう。国のはずれにある小さな田舎町で、春には色とりどりの美しい花が、夏には新鮮な海の幸と果物が、秋には真っ赤に燃える紅葉が、冬には雪が ――― と、いいたいところだが、アケルナルは温暖な地域にあるため、真冬でも雪が降ることはまずない。だが、暖炉脇で語られる宿屋の老婆の昔話は温かく、きっとあなたの心を慰めてくれるだろう。町の住人は皆明るく穏やかで、客人を熱心にもてなそうとするはずだ。その親しみ深い様子をあなたはきっと気に入ることだろう。

 さて、そんなのどかな町の北外れにひとりの少年が暮らしていた。少年は迷い子だった。十余年も前になるだろうか、エリダヌス川のほとりに倒れている迷い子を旅の商人が見付け、この町の老夫婦が引き取った。迷い子は赤い玉の髪飾りをつけ、上等な絹の衣装に身を包み、古びた横笛を握りしめていた。身分の高い家の子息に見えたが、迷い子を訪ねてくる者はついぞ現れなかった。

 まだ幼い少年を引き取ったのはアケルナルの町長夫妻だった。子どものいない夫妻は後継ぎができたとたいそう喜び、それはもう熱心に教え育てた。
「あなたはお養父(とう)さまの養子(こども)であることを忘れてはなりませんよ」
と、町長夫人は繰り返し少年に言い聞かせ、
「立ち振る舞いに気を付けなさい。お養父さまの恥になってはいけません」
と、礼儀作法を厳しくしつけた。町長もまた、
「勉強に励みなさい。立派な紳士になって、早く私の後を継いでおくれ」
と、隣町から有名な学者の先生を呼び寄せ、少年の家庭教師につけるほどだった。
 ただ、いささか夫妻の熱心が過ぎた。もとより飽き性の少年は勉強から逃げ回り、いつしか夫妻をも避けるようになった。そして二年前のある夜、とうとう少年は家を飛び出し、町外れの古い木こり小屋に逃げ込んだ。少年は小屋で寝起きするようになり、どれだけ夫妻が言い聞かせても家に戻ろうとはしなかった。

 町の住人は少年に同情的で親切だった。年頃の男の子にしては小柄で幼く見えるが、少年は町の誰よりも速く走ることができた。住人はしばしば少年を呼び止め、
「ちょいと浜まで走っておくれよ。うちのひとったらまた弁当忘れたの!」
「隣町のおっかさんに手紙を届けてくれないか。女房に子どもができたんだ!」
と、おつかいを頼んだ。少年がおつかいを終えると
「ご苦労さま。今日も助かったよ。お礼に何か食べたいものはあるかい?」
と、夕飯をたっぷりごちそうしてやるのだった。町で最も大きな船の親方などは
「よう、坊主。明日の漁の具合はどうだ? ん?」
と訊き、少年の返事が良いといたく喜び、お駄賃をはずむのだった。
「なあに、坊主の勘はよく当たるんだ」
 年のわりに素直で愛嬌のある少年を町の住人は可愛がり、あれこれとかいがいしく世話を焼いた。少年もまた、そんな住人を信頼し、この気ままなひとり暮らしを存分に楽しむのだった。

 黄金(こがね)色の長い髪と青い()を持つ少年は、名前をフィリップといった。

第一章 少年フィリップ(2)

 その日は朝から嫌な予感がしていた。
 目を覚ましたフィリップはざわざわする胸を抑え、それまで見ていた夢を思い出そうとした。怖い夢だった。けれど、それ以上はどうしても思い出せなかった。フィリップが思い出そうとすればするほど、夢は記憶の隙間からこぼれ落ちてしまうのだ。ただ、とても怖い夢であることだけははっきりと(おぼ)えていた。
 フィリップは諦めてベッドから立ち上がり、床に落ちていたタオルで ――― 少年(こども)の多くがそうであるように、フィリップもまた“片付け”という行為に必要性を感じていなかった ――― 顔を拭くと、パンとチーズだけの簡単な朝食を済ませた。それからいつものシャツとズボンに着替え、長い髪をひとつにまとめて赤い玉の髪飾りをつけた。すっかり身支度が整うと、フィリップは小屋を出て町に向かった。胸騒ぎの収まる様子は全くなかった。

「おう、坊主。今日もおつかいか?」
 フィリップが浜辺を歩いていると船の親方に呼び止められた。親方は若い船夫(せんぷ)と甲板の掃除をしていたようで、手には大きなバケツとデッキブラシを持っていた。フィリップは二人に挨拶しながら船に近付いた。
「親方、ペシュールおじさん見なかった?」
「なんだ、あのじいさん、また弁当忘れたのか?」
 親方はあきれたように笑い、デッキブラシの柄で海岸の西を指した。
「じいさんならあっちの岩陰で釣りしてるぜ。なんでもタマンがいるんだとよ」
 フィリップがお礼を言うと、親方は「いいってことよ」と歯を見せて笑った。
「そんなことより、坊主、また漁の具合を見てくれよ」
 フィリップは「わかった」とうなずき、親方の乗っている船 ――― 町で最も大きな船を見た。いつも通り立派な船だ。二本の帆柱は高くそびえ、長い竜骨は堅く頑丈そうだった。
「どうだ? 明日は大漁か? ん?」
「いつもと同じ。悪い感じもしないよ、船からは」
 でも、とフィリップは続ける。
「明日は町にいたほうがいいと思う。ぼく、すごく怖い夢を見たから」
「夢? そりゃまたどんな夢だ?」
「わからない。思い出せないんだ。でも、すごく嫌な感じがする」
 嫌な感じかぁ、と親方は頭の後ろをぼりぼりかいた。
「坊主の勘は当たるからなぁ…」
と、小さくうめく。三年前になるだろうか、フィリップが嵐の到来を言い当てたことがあった。ひどい嵐だったが、季節外れなこともあり、町の誰も予測することができなかった。ただ、フィリップだけがしきりに「嫌な感じがする」と言っていた。それから親方はフィリップの言う“嫌な感じ”を信頼するようになった。
「仕方がねぇ。明日の漁は諦めるか」
 親方はため息をつくと若い船夫を振り返った。
「おう、マラン。聞こえてただろ? 明日の漁はやめだ。お前、今日はもうあがって船のやつらにそう伝えな」
 それまで適当に甲板を磨いていた船夫は「へい、親方」と元気よくうなずき、いそいそと掃除道具を片付け始めた。親方は「現金なやつめ」と苦笑いをした。
「ところで、坊主。お前さん、晩飯の当てはあるのか?」
 船夫にバケツとデッキブラシを渡しながら親方が言った。
「うちに来るか? ちょうどいい腸詰めが手に入ったんだ」
「ありがとう。でも、養父(とう)さんたちのところに行くから…」
「なんだ、実家(いえ)に戻るのか?」
 親方は少し驚いた様子でフィリップを見た。違うよ、とフィリップは首を振る。
「ただの約束。九曜日の夜は養父さんたちとご飯を食べることになってるんだ」
 そうか、と親方は目を細めてまじまじとフィリップを見た。
「可愛がられてるんだなぁ、お前さん」
「まさか! お行儀が悪いとか、勉強しなさいとか、いつもお小言ばかりだよ」
 フィリップは思い切り顔をしかめた。うんざりした口調で続ける。
「ぼくが仕事を継げればそれでいいんだ、養父さんたちは」
「懲りねぇな、町長たちも」
 親方はまたあきれたように笑い、むくれているフィリップの頭をなでてぐしゃぐしゃにした。それからポケットに手を突っ込み、サビついた銅貨を五枚取り出すとフィリップに握らせた。
「ほらよ、坊主。引き止めて悪かったな。それでうまいもんでも食べな」
 フィリップは親方にお礼を言い、若い船夫に手を振ると、海岸の西に向かって歩き出した。

Canopus

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八つの飾り珠と大剣をめぐるファンタジー。 ※この作品は小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n4203fz/)にも掲載されています。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-01-29

Copyrighted
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