福島考察

福島考察

ｰアブクマの乱ｰ

　八世紀末の列島の、北への関門の盛夏。
　カムイ族の地、イズミの里からなだらかに繋がるナカ山の中腹。眼下に大川を見張らかしながらイバラキからの南風を受けている。
　烈しく繁る森の山毛欅のいつもの大木が二人を包摂している。二十歳の英傑のアブクマは、隣部落のイシイの娘で同い年の愛人、ノリの親しんだ芳醇な尻と蜜合しながら、猛将の友人イワキの報告を反芻していた。
世間で秀でた女傑のノリが、湧水の溜まりの近くに、ずいぶん以前に石組みで作った竈には、先ほどアブクマが一帯では並ぶ者がいないという弓の技量で射落したばかりの山鳥の脂が、二人の情交の様に炎炎と焼かれている。
　ヤマト王権のオオキミの命を受けた倭の先遣軍の到来が迫っていた。只今は氾濫したトネ川の水際で、鎮静を待って最新装備の精鋭、五〇〇の兵を留めているのだ。その背後には、勇将フジノマロが率いる五千の正規軍がムサシノ辺りまでに迫っている。ヤマト王権と列島の中央一帯を支配する由緒あるアカギのワカタケル王権とは、和議の折衝が煮詰まっていた。
　けたたましい欲情の名残で山鳥の脂を食みながら、円らな瞳を曇らせてノリが聞いた。「なぜ倭人は攻めてくるのか？」「金の石や砂が欲しいのだ」「それは何だ？」「光る石や砂だ」「そんな物は見た事がない。ここいらでは採れないのではないか？」「北の奥のイワテ族の地のいたるところに、特に、キリキリという地には有り余るほどあると聞いた」「そんな石に何の価値があるのだ？」
「我々の馬や熊の胃、位のものか。或いは、倭人にはそれ以上に貴重な宝玉なのかも知れない」「だからといって、争いを禁じた平和な我々の地を、居丈高に無慈悲に攻めるとは。抵抗した者は皆殺しと聞いた。なんと野卑な連中だろう」「そもそも倭人には獰猛な血が流れているのだ。海を隔てた半島から攻め上がり、列島の西の我々の同胞を無惨に攻め滅ぼして征服したのだ。鉄という物でできた石よりも硬い武器を持っている。老人や男児は容赦なく殺し、女は犯して孕ませ、女児はその為に奴婢として育てると聞いた。強欲なあの者達はカムイの血を根絶やしにして、この地を収奪して、思いのままに支配しようとしているのだ」

、次の日にアブクマは久し振りに寡婦のハツを抱いた。夫は去年の春に手負いのヤヤマという大熊の一撃で打ち殺されていた。しきたりの一冬の喪が明けたこの春、自らアブクマに爛熟してしまった身体を開いたハツはイワテ族の女だ。寡婦が最も勇猛な若者の子を孕む事も、性が秘されるものではなく生きる活力の源泉として捉えられるこの地のしきたりだ。潤沢で豊満な乳房を持つハツの妖艶な交わりの姿態を想像して、ノリは微かな嫉妬を抱きながらも容認せざるを得ない。

　その後に、アブクマはかねて捕らえていた倭人の僧で、ソウリンと名乗る頑健な男の作業場を訪ねた。
四十に近い僧は新たに鍛造した鉄の矛を誇らしげに披露する。
　ソウリンは仏教の話をする。
倭人のナラという都の模様や情勢も詳しく伝える。オオキミ始め倭人の武人達は、カムイの民を、倭にまつろわぬ者、エミシと侮蔑して呼んで、力での征服を壮語している。しかし、文人の多く、とりわけ仏教の僧は、民はみな等しいという仏法の法理で融和を説いていると言う。
アブクマはこの男の利用価値以上に、その人品に興味をそそられていた。
　ソウリンは半島のクダラ国から渡ってきた。僧になる前はシラギ国で鉄を鋳造する職人だった。クダラとの戦いで捕囚となったが、仏法に触れて出家し布教の為に渡来したのだった。
　アブクマの総軍は各族から参集した勇猛な千人だ。最高指揮官はナスという最長老で、アブクマはそれに次ぐ実戦部隊長の位置付けだ。
　その年の初秋。ついに、北方のカムイと西方の倭軍の、列島を二分した初めての戦争の火蓋が切られた。
アダタラがニ〇〇人で応戦したタナグラベツの激戦は、敵兵五〇〇を倒したが圧倒な兵力にやむなく後退した。
　次いでアサガワを決戦の場としたが死闘の果てに敗退した。
後退して、それから半年間の一冬を持ちこたえたイシカワの砦も、遂には撃ち破られた。
　その状況を見定めた様に、遠くイズモ族の異人の血統の、大川を挟んで北に隣接するイワセ族の裏切りが発覚した。オツジ滝に渡した巨大な葛橋を、アブクマ自らが切り落として両岸で両軍が対峙している。イワセ族の背後には倭の有力武官の田村麻呂との内通が伝えられている、ミハル族の陰謀があった。
必定、アブクマは二正面作戦を迫られたが、最早、その余力はない。
　ついに、アブクマはイズミを決戦の死に場と定めた。ノリやハツ、女子供、老人達を東方の奥深いゴサンショベツを越えてナコソの海に逃した。やがて、死を賭したイズミの戦いは熾烈を極めた。タナノトリデを拠点に遊撃を繰り返し、残兵三〇〇で三千人の倭軍を迎え撃ち、一〇に渡って激闘を重ねた。アブクマ一人が殴り倒し射殺した敵兵は三〇〇にのぼる。しかし、遂に、アブクマは、あわや、絶命の危機に直面したが、イナワシロやアサカ、アダタラなどの側近に助けられた。ソウリンと数十名の同胞を引き連れナコソに退いたアブクマは、ノリやハツと合流し、他の者はナコソ族に託して、沿岸を火の玉の様に北上したのである。

　やがて、イワテの南部に辿り着いたアブクマは、この地の若き指導者、猛将で知と情の人、アテルイと会合し、二人は肝胆を契り固い盟約を結んだのである。

　「なんて白い男なんだ」アブクマは息を飲んだ。アテルイもアブクマも大男で頑健だ。容姿も似ているが、「やはり俺とは違う部族なのかも知れない」と、アブクマは改めて確信した。互いに通じない言葉すら多々あるのだった。時おり通訳をするのはアテルイの叔父のオニだ。毛深い大男である。儀式用の装束なのだろうか、アテルイもオニもきらびやかな衣装を身に付けている。アブクマが見たことのない原色の紋様が、金や銀の糸をふんだんに使って描かれている。
　アテルイは三〇〇〇人程のア族の実質的な酋長である。父親が病に臥しているのだ。オニは後見人である。
アブクマ達が辿り着いた五月のこの夜は満月だった。黄金の光が降り注ぐ広場の中央で、三人は対座している。近くに薪の櫓が組まれて炎が立ち上っている。その回りを、ニ〇〇名程の老若男女が踊りの輪を作っている。皆がとりどりの花で身体を飾っている。
　アダタラ達の脇で、とりわけ優美な五人の若い女達が、炎に照らされて唄を歌う。透明で潤沢な声だ。人々は掛け声をかけて和しながら、無心で踊り続けるのだった。
　
ｰピリカの唄ｰ

ピリカ、ピリカ、ピリカ
火の娘、ピリカ
神の娘、ピリカ
部族一の器量よし
働き者で優しい娘
それだけで幸せなのに
それだけだったら幸せなのに
傷ついた敵の若者を匿った女、ピリカ
裏切り者の女
悲しさに目覚めた女
里に帰れずに黒百合になった娘、ピリカ
朝露はピリカの夢の涙
ピリカ、ピリカ、風が渡るよ
戦だ、戦だ、血の臭い
ピリカ、ピリカ
また若者が傷ついている
ピリカ、ピリカ
ピリカ、ピリカ

ホーイ、ホーイ、ホーイ
カムイ、カムイ、カムイ
戦だ、戦だ、戦だ、カムイ
森の神、カムイ
若者の神、カムイ
最強の勇者
弓と槍の達人
歴戦の強者
カムイ、ホーイカムイ、ホーイ
出でてピリカを救え
カムイ、ホーイカムイ、ホーイカムイ、ホーイ

　アテルイがアダタラの杯に再び酒を注いだ。それで口を湿したアダタラは、故郷での倭軍との奮戦をさらに語り継ぐ。アテルイは北方民族の血を引く白い顔を赤らめて、アダタラの果敢な戦記に引き込まれている。アテルイは戦略家だ。大局を把握して鋭い質問を投げ掛ける。アテルイは、やがて迫り来るであろう倭軍の戦力の分析に気を注いでいるのだ。
オニも時おり、通訳以外に話に割り込む。彼も老いたとはいえ、近辺に鳴り響いた勇者である。一七歳でイワという伝説の手負い熊を打ち倒した武勇は、今なお語り継がれている。酒も強い。オニもアダタラの勇猛に魅されているのだ。
　彼らの傍らで、山鳥や猪、鹿の肉がふんだんに焼かれていて、ひときわ麗しい女がいそしんでいた。オニの娘でリンドウという。
　その時、一人の老女が甲高く叫んだ。すると、火の竜巻に一斉に薪が放られて月を焼くほどに火炎が立ち上ぼり、女達の唄はいっそう調子をあげた。

-花祭り-

ヨーイ、ヨーイ、ヨーイ
風祭り、花祭り、山祭り
ホーイ、ホーイ
熊、鹿、猪
ヨーイ、ヨーイ
野うさぎ、山鳥
ホーイ、ホーイ
風祭り、花祭り、山祭り
ホーイ、ホーイ、ホーイ
カムイ来い、カムイ来い、カムイ来い、カムイ来い
ホーイ、ホーイ、ホーイ

ｰジャジィ・カムイｰ

あっちの虹のほうさ、おら、いってみでえ

あらほどのはしのてっぺんさ、おら、のぼってみでえ

にしゃがめんげぇ、いっぺいめんげぇ。

んじゃがら、にしゃど一緒にとんでぎで、わだりで。

んだげんちょ、あのめろは、わがんねふりして、ほがのやろによじゃぐれる。

　ババは自分達の故郷の話をする。海を越えた北の大地シルベはモンゲ族が支配している。モンゲは大陸や半島と戦い続ける騎馬民族である。彼らは大陸中央の草原から遥か北方のカチャ半島まで侵攻していた。○○の港から海を越えカムイのサカツの港に渡るのである。この航行で様々な文化と技術が伝えられる。モンゲは遥か西の国とも盛んに交易している。モンゲの若者のアルカンは鉄の技術に秀でていた。

　さっそく、アテルイは偵察隊を急派することにした。命じられたのは、腹心イチノセキを長とする五名である。全員が狩りの名手で、それぞれが特別な技量を備えている。彼らは一日で一〇〇キロを移動できる。山野に雌伏し疲れを知らない。聴力、視力は獣にも勝る。
　彼らは二昼夜の行程で戦いの最前線に辿り着いた。イワシロの霊山で熾烈な攻防が繰り広げられていた。天然の要害の絶壁に立てこもり倭軍と対峙しているのは、イワシロ族の残党の一部である。断崖への昇り口は倭軍によってことごとく閉ざされ、兵糧も絶えた。
　イチノセキ達は倭軍の背後に回り込んで、戦力を詳細に見極めた。
　残るイワシロ族の全てはクニミ峠に結集している。シノブ川を塞き止め堀にして、最終決戦を図る作戦だ。

　アテルイ伝については高橋克彦氏の秀作があるから、それに譲ろう。と言うより、小品はその秀作に想を得たのだ。記して感謝する。

-福島の分裂-
または地政学の福島

　田村市、かつては田村郡が長い。この地名は田村麻呂に由来すると、聞いた。地名に残すほど、都びとに心服したのか。権力になびく風土なのか。反逆者の私などには理解が及ばない。その中心は三春だ。後の三春藩で伊達と結んだ。

　前９年や後３年の役の時、奥州反乱軍の第１次防衛線は、国見だった。阿武隈川から導水して水濠とした。エミシの反乱者達は、国見、すなわち、福島以南を中央ヤマト政権の絶対的支配地と認識していたのだろうか。福島は、既に別視の対象だったのか。

　将門の反乱は福島にも、少なからず、衝撃と影響を与えたと、私は考えている。

　奥州藤原は、義経の家臣に飯坂の佐藤兄弟をつけた。鎌倉との最前線との認識があったのか。

　伊達政宗は伝えられる様に、奥州の独立と全国制覇を本当に夢想したのだろうか。いずれにせよ、政宗は米沢から東征して福島を制圧して、相馬と激突した。飯坂の猫姫は側室だ。南下しては会津から須賀川、石川までを征服したが、諸家の対応は二分する。会津の芦名、須賀川の二階堂は戦い撃滅された。ちなみに、須賀川には出雲大社に繋がる諏訪大社に由来する諏訪神社がある。この地は言葉も気質も異質な香りした。
　三春藩は相馬藩や磐城藩と対立していた利害で、政宗に愛姫を差し出して共闘した。石川藩は伊達家臣団の筆頭の地位を獲得している。

　会津と白河の地政学的見地は重要だ。秀吉にすれば会津は上杉と伊達に対する防衛線だ。徳川もそうだ。
白河は奥州の関門である。会津も白河も徳川の治世で、中央の直接支配にくみされた、と言うより松平家、すなわち徳川そのものだった。
だから会津や白河にとって明治維新は、自らの体制を死守する戦いだった。
維新後、会津は廃藩置県の一時期に新潟県だった。福島と郡山は県庁を取り合った。そして福島や郡山は、殖産興業の申し子だ。
　敗戦で福島県、とりわけ、南会津は中央に対して水力電源の基地となる。

　そして、原発だ。そもそも、相双はいわきと相馬に挟まれて開発の後塵を拝していたから、原発は打出の小槌だったのだ。ところが、誘致をめぐって分裂した。そこに、この爆発で、原子炉同様に粉々に核分裂したのだ。実に哀れな風土ではないか。

　今日、福島県は、浜通り、中通り、会津の３地域に大別される。さらに、浜通りは、相馬、相双、いわきに区分される。
中通りは、北部、中部、南武だ。会津は、若松と南会津だ。
　すなわち、会津、福島、郡山、須賀川、白河、相馬、いわきなどは、それぞれが地理や気候、歴史的に特異な風土を形成している。
　衆議院の選挙区は今は３だが、かつては５選挙区だった。だが、これは福島に限った事ではない。
　徳川の治世は３００諸侯と言われる。これがこの国の風土や統一、統治の根源なのではないかと考える。

　私は仕事で県内をくまなく歩いた。選挙運動もした。底辺から状況を把握したつもりだ。そして、風土や気風の違いを実感した。組織の統治にも、その地域性の違いで随分と気苦労した。
　会津は独自路線だ。三泣きの人情と言うが、感じた事は殆どない。労働組合の基本は義理と人情だと公言していた私は、会津の非人情の実態を随分と皮肉り批判した。むしろ会津モンローや独善の印象が、私には強い。
　福島は県庁にあぐらをかいている。軽薄で卑小な都びとの傲りと偏頗な理屈を振りまく。粘着質だ。私はどうしても馴染めなかった。
　明治になって発祥した郡山は独自の産業化政策を推進した。寄せ集めで雑然として、極端な経済合理性の気風だ。エゴと孤独の集合体だ。何でもあるが何もない。内紛が激しく、いわゆるよそ者が市長になる事態が続いた。私は長く住んでいるが、しっくりしない猥雑な街だ。
　白河は名代の関所で関東に向いている。新幹線開通後は、いっそう東京に近い。企業誘致が活発で都内への通勤者すら現れた。那須下ろしを受けて、松平定信の昔から南に開いているのだろう。国政を担ったという自負があるのかも知しれない。
　常磐線で相馬は仙台、いわきは東京を見ている雰囲気がある。福島や郡山の新幹線には、むしろ、交通の便が悪いのだ。そして、そもそも海の国だ。
　石川以南は言葉も気風も、茨城や栃木の風情だ。私などは石川の寒村の出だから、かの国の人と会うと同国人の実感がある。組織化や争議指導も随分したが、淡白な県南の気分は自分でも驚くほど楽だった。
　この様に、被爆直後に喧伝された福島魂などというものは、到底あり得べくもないし、幻想の無惨な感傷なのである。

　今や地獄絵図と化した相双の地は、相馬といわきの谷間で孤児の様だったのだろう。だから原野の中に忽然とそびえた原発という麻薬をしゃぶった。原発の建設そのものに反対した私は、異人を見る目で、かの地の、とりわけ賛成派の人々を見ていたものだ。
そして、ついに、交付金で麻痺し中毒を享受してながら栄華の果てに爆発を迎えたのだ。政治家を始めとする指導者はもちろん、賛成した地域住民の果てまで、被害者だと言い募っているが、決して共犯を免罪される筈もない。が、同時に、これは紛れもなく国家を主犯とする無差別の犯罪なのである。相も変わらぬ奥州支配で、繰り返されるエミシ略奪ではないのか。

-避難所-

　引退した筈のその女優が、公共放送のCMに出ていた。やつれて見える。加齢のせいばかりではない。隠蔽しきれないほどの凄惨な残滓を、人生の格闘で纏ってしまったのかも知れない。
初演の女優は、スクリーンの中で煌めいていた。決して芳醇ではないが、若さの特権の堅固な重量感のある乳房を揺らしていた。やがて、韓国の母と呼ばれた実在の日本人を熱演した直後に引退を宣言した。女優は自分と同じく朝鮮半島の血を引いているのではないか、何気なく男はそう思った。その前後に、あるプロレスラーとの艶聞が報じられた。男の疑似恋愛が終焉した。
　その避難所に、その女優に酷似した女がいた。
　ベンチの３月の日溜まりで、紙コップのコーヒーを冷たそうな女の両の手が包んでいる。自分でも思いがけなく、男が無作法に声をかけると、四十半ばに見える顔を気だるく向けた。ふくやかだが、もはや、過去の朧の様にいかにも避難民の愁いの表層だ。
　若気の暴走の傷害事件で服役の果ての爛れた漂白のあげくに、２０年も働いた、まさしく、爆発したあの原発から逃避した自分も、こんなありようをしているのかと、男は呆然とした。
例え似ているばかりとは言え、初演の暫く後には、男の好きな匂いの独特な妖艶な風を会得した、あの女優の雰囲気は毫も感じられない。女は、海子だと投げやりに、変な名前でしょと重ねて呟いた。
　それから、しばしば、二人は無目的に話した。もとより、避難所でする精神的な営為は、それ以外には何もない。だからこそ、女も受容したのだ。世間話に被爆の共通体験という劇甚な不条理をまぶした、ぎこちない時間だ。
　５月になって、避難所の沈殿した苛立ちから脱走する目的だけで、二人はドライブに出た。
そして、新緑の森の深奥で、侘しい会話の句点の様に、無自覚に抱擁した。
　やがて、二人は濃密な大気との化学反応で愉楽の新元素に変幻して、素裸になってしまう。女の裸体が固有の生理で息吹き始めた。
　二人は、精神の欠乏から発火した疎ましい欲情だけを、互いに冷淡に貪る。

　あの時、あの地震の最中に、児童養護施設で育ちあの地に流れ着いた女は、爛れた関係を２年間続けた、あの原発で働く漂泊者の様な、離別を拒絶し強引に抱こうとする泥酔した男を突き飛ばした。転倒してテーブルの縁に頭を打ち付けた男はたちまち死んでしまった。その瞬間に、テレビが津波の襲来と避難を絶叫したのである。女は何も考えなかった。方途も知らず女はただ逃げた。そして、あの侘しい集落の一切が流されて荒野になったと、翌日に知った。天恩の完全犯罪だと、女は確信した。膨大な死者の中で、あの様な死はあれだけだったのだろうかと、思いながら、女は千年に一度という震災のひとくくりの膨大な死に、あの死を訳もなく混入させた。
そして、お互いの来し方は未だ何も話していない、漂泊者たる避難民であるだけのこの男との刹那の交接も、たとえ森に響く嬌声を漏らしたとしても、放射能の汚濁にまみれて生きなければならない明日のさしたる展望になるとは、女には、さらさら、思えないのである。

　 -終-

草也

労働運動に従事していたが、０３年に病を得て思索の日々。原発爆発で言葉を失うが１５年から執筆。１９４９年生まれ。福島県在住。
筆者はLINEのオープンチャットに『東北震災文学館』を開いている。
２０１１年３月１１日に激震と大津波に襲われ、翌日、福島原発が爆発した。
　様々なものを失い、言葉も失ったが、今日、昇華されて産み出された文学作品が市井に埋もれているのではないかと、思い至った。拙著を公にして、その場に募り、語り合うことで、何かの一助になるのかもしれないと思うのである。　
　被災地に在住し、あるいは関わり、又は深い関心がある全国の方々の参加を願いたい。