大滝の曼陀羅
大滝の曼陀羅
暴れ川の大川は、反目するイワキのクニとイワセのクニの境界だ。時おり、切り落とされるカズラ橋が架かっている。イワキの側に川床の巨岩の落差がうんだ滝がある。人々は大滝と呼んだ。滝壺にはまだ誰も見たことのない巨大な鯉が棲息していて、人すら飲み込むと信じられていた。
カズラ橋のイワキ側の付け根に、滝口と呼ばれる温泉が湧き出していて、寂れた湯治宿が一軒だけ建っていた。そこから東に切り立った山は石山で、滝根という一軒家だけが代々、細々と石材を切り出している。滝口の分家が一軒、石山から南を開拓して貧農を営んでいる。滝口と滝根は婚姻を重ねてきた。
ある時、滝口に何人目かの狂人が産まれた。
カズという色情狂の女だ。
17歳のカズは、旅籠に一夜を求めたヤマトから来た旅の僧と、瞬時に紊乱な恋に落ちた。
カズは許嫁の滝根のイシとも、幼い頃から性交していた。直感で気に入った者とは、誰とでも交わりたい、持って生まれた性サガなのだ。
そんな汚濁の現場を、何の因果か、目撃してしまったイシが、真裸の僧を殴り殺して大滝に投げ込んだ。すると、即座に幻の大鯉が現れて、僧の頭を呑み込んでしまったのである。
そんなことがあったからといって、カズの狂気は生涯に治まる事はなかった。カズは4人の子を孕んだが、産まれるとすぐに、イシがことごとくを大滝に投げ入れてしまった。そして、この時以来、両家の縁組みは途絶えたのであった。
時は数百年も下り、1943年の盛夏。和枝と草生、勝彦の物語が、その地で始まろうとしていた。
出征を三日後に控えた二十歳の草生と同い年の滝口和枝が、大滝に臨む朽ちた社の月明かりで、狂おしく抱擁していた。草生はイワキのある部落の男だ。二人は国民学校の同級生だ。19歳の盆踊りの夜、二人は邂逅し、劣情の赴くまま、異様に蒸す熱気に絆ホダされながら交わった。戦時下の草生の行く宛もない貪欲な情欲は、遠くの紡績工場で働く和枝の、幼時の面影とは、すっかり、変容した、淫潤な姿態の虜になった。そして、まとわりつき吸いつく媚態に耽溺した。和枝の甘酸っぱい乳房に唇を這わせながら、草生はある記憶を辿っている。
あの時、身体が臭い、と、囃し立てられていた和枝をかばって、級友達を一喝したのであった。爾来、草生を見詰める和枝の瞳は潤んだのである。そして、女になった和枝の体臭は、オスを呼ぶ悪徳の媚薬に変じたのだった。
この無自覚に残虐な女は、幼なじみの滝根勝彦とも早くから性交していて、もはや、その性感は爛熟していたのである。
戦争が終わり、シベリアに抑留されていた草生が48年に帰還した。その時には、既に、和枝は勝彦と結婚していた。草生は言い訳をする和枝を抱いた。戦後の女の姿態は、さらに淫楽に変容していた。嫉妬で狂乱した草生は、勝彦を呼び出して、忽ちの内に撲殺したかと思うと、大滝に無造作に投げ捨てた。
その日のうちに草生と和枝は出奔して、戦後の模糊とした闇の果てに消えて行った。そして、勝彦の遺体は、決して、浮かび上がる事はなかった。しかし、人々は誰しもが、あの戦争で死についてあまりに無頓着になっていたから、こんな些細な出来事はすぐに忘れてしまったのである。
ー終ー
草也
労働運動に従事していたが、03年に病を得て思索の日々。原発爆発で言葉を失うが15年から執筆。1949年生まれ。福島県在住。
筆者はLINEのオープンチャットに『東北震災文学館』を開いている。
2011年3月11日に激震と大津波に襲われ、翌日、福島原発が爆発した。
様々なものを失い、言葉も失ったが、今日、昇華されて産み出された文学作品が市井に埋もれているのではないかと、思い至った。拙著を公にして、その場に募り、語り合うことで、何かの一助になるのかもしれないと思うのである。
被災地に在住し、あるいは関わり、又は深い関心がある全国の方々の参加を願いたい。
大滝の曼陀羅