マンホール
ある町にこんな噂が立ちました。
五丁目の角を曲がって三つ目のマンホールに幽霊が出るというのです。
実際、それは本当のことでした。
夕方になるとマンホールの下から、赤い服を着たずぶ濡れの女が現れるのです。
でも、それだけでした。
幽霊は特に何をするわけでもなく、ただじっと、道行く人を見つめているだけなのです。
そこは通学路でしたので、わりと頻繁に学生、とりわけ小学生たちに目撃されました。
住民たちには幽霊に関する心当たりが何もなかったので、最初のうちは気味悪がっていましたが、何もしてこないのがわかると皆だんだん慣れてきて、現れても無視したり、ひどいときには石を投げつけたりする人なんかも出始めました。
ある日の夕方、ひとりの女子高生がこの道を通りかかると、数人の小学生が何やら騒いでいるのに気が付きます。
見ると、例のマンホールの幽霊に向かって、小学生たちがサッカーボールを投げつけているではありませんか。
しかし相手は幽霊なのでボールは当たらず、体をすり抜けては後ろの壁に跳ね返り、またすぐ手元に戻ってきます。
小学生たちにはそれがたまらなく面白い様子でしたが、女子高生は見ていてだんだんと腹が立ってきました。
「こらぁっ!」
思わず声を上げると、小学生たちはビクッしてその場に固まります。
そうして、つまらなそうに黙りこくると、どこかへ走って行ってしまいました。
彼らはきっと自分たちが怒られたのだと思ったのでしょう。
でも実は、女子高生はどちらかといえば幽霊の方に怒鳴ったのです。その日は友だちとケンカをして、元々ちょっぴりむしゃくしゃしていたのです。
女子高生は幽霊に向かって言いました。
「あんたさあ、そうやってさあ、いっつもいっつも何も言わないでジッとしてて、そんなんで楽しいの? 何なのそれ? ってか何でそんな濡れてんの?」
しかし幽霊は黙ったままです。
「ああもう!」
怒ってその場を離れる女子高生の後姿を、幽霊はじっと見つめていたのでした。
次の日、再び女子高生がその道を通ると、あの幽霊がいました。
無視して通り過ぎようとすると、何と幽霊の方から声をかけてきたではありませんか。
「あの、こんばんは」
女子高生はちょっとビックリしました。
幽霊が話せるとは思わなかったからです。
「あんたしゃべれたの?」
「なんかしゃべれました」
幽霊はそれまでだれとも話そうとしたことがなく、初チャレンジだったのです。
それからちょっとの間、女子高生は幽霊と話をしました。
幽霊は生きていた時の記憶がおぼろげで、どこかで車か何かにぶつかったことは覚えているらしいのですが、そこから前後のことは定かでなく、何だかずっと眠っていたような気がするといいます、そうしてあるとき目を覚ますと、頭の上に蓋があり、顔を出したらここだったというのでした。
女子高生は話を聞いても何だかチンプンカンプンでしたが、幽霊もそれは同じでした。
でも話しているうちに何となく気が合うことがわかったので、女子高生は幽霊と友だちになることにしました。
それから時々、夕方になると女子高生は幽霊の所へ行って、流行の服や音楽やテレビの話をしたり、携帯電話でネットしたりして過ごしたのです。
そんなふうに幾日かが経ち、いつものように女子高生が幽霊に会いに行くと、通りには人だかりができていました。
何事かと思い人をかき分けていくと、例のマンホールが、カメラや照明やらの物々しい機材に囲まれています。
「ちょっと、何よコレ?」女子高生は幽霊に尋ねます。
「はあ、どうもテレビみたいです」
どうやらだれかが幽霊のことをテレビ局に知らせたようです。
しばらくすると、地面の下から、
「あった! ありました!」という声が響いてきました。
マンホールの下の下水道から死体が見つかったというのです。
女子高生が「え?」と思って顔を上げると、そこには幽霊の姿はもうありませんでした。
その後、ある大雨の日の夜、会社帰りに車にはねられた女の人が、運悪く開いていたマンホールに落ち、大水によってこの隣町まで流されてきたことがわかりました。
それを知った町の人たちは、きっと幽霊は自分の居場所を知らせたかったんだろうね、と口々に噂し合いました。
実際そういうことだったのかも知れません。
でも、本人にその自覚はなかったことを、女子高生だけは知っていました。
女子高生は女の人のお葬式に参列させてもらいましたが、特に何も起きませんでした。
それから女子高生はその道を通るたびにあの幽霊のことを思い出し、
「ここでちゃんとしたお別れをしたかったな」と思うのでした。
マンホール
これは、とりあえずこの世に幽霊というものがいた場合、それらはどの程度「幽霊としての自覚」を持って行動しているのだろう?
という長年の疑問から生まれた作品です。