故郷の小さな神社の境内、篝火の前、昔なじみの「親友」と。
年も明けて日も過ぎた、一月も半ばを迎えたある日のこと。普段は人気のない小さな神社も、その日は、役目を終えたお神札や正月飾りを燃やして宿った神さまを天に帰す、そんな神事が執り行われるためだろう、境内で甘酒が無料で振舞われ、それなりの賑わいを見せる。
使い終わった正月飾りを紙袋に入れて、神社に足を運んだ柑渚は、そこに見知った顔を見つけて声をかけようとして。ふとその表情を見てほんの少しだけためらいを覚え、足を止める。
――足を止めた柑渚の視線の先には、高校の頃からの親友「君津 海」が、紙袋を手に、境内の中央で焚かれた篝火の前で、燃え上がる炎をじっと見つめるように立っていた。
◇
地元の高校を卒業して、地方都市に本社を置く、程よい大きさの商社に就職した柑渚。家を出て、会社が借り上げたアパートに引っ越した彼女は、片道二時間という微妙な距離のせいだろうか、いつでも帰れるからと帰省するのを先延ばしにし、結局、七年もの間、ほとんど帰ることなく日々を過ごす。
そんな柑渚が、去年の年の瀬に、誰にも相談しないまま会社を辞めて。突然、実家に帰ってくると言い出した彼女を、祖父母や両親は何も言わず、暖かく迎え入れる。
そんな家族の暖かさに感謝しながらも、彼女は、久しぶりの実家に、どこか居心地の悪さを感じていた。
(……別に、邪険にされてる訳じゃないんだけどなぁ)
祖父母も両親も、昔と同じように接してくれている、そのことは柑渚にも十分に伝わってくる。だから、変わったのは自分の方で。それは、高校生から大人になったとかではなくて。きっと、故郷を顧みずに過ごしてきたことで、どこかがズレてしまったのかなぁと、そんなことを彼女は、心の片隅で考えながら。
――久しぶりの故郷や実家にいまいち馴染めないまま。それでも、柑渚は生まれ故郷で、都市の喧騒から離れて、静かな毎日を過ごしていた。
◇
(でも、なんで海がここにいるんだろ? 仕事あるはずだよね)
正月を締めくくる神事を迎えた境内で。まだ一月とはいえ、正月休みはとっくの昔に終わっているはずなのにと、柑渚は、自分と同じように故郷を離れ、遠く東京で生活しているはずの「海」の顔を見る。
(まあ、私も海のこと、最近はメールでしか知らないんだけどさ)
なんだかんだでたまにやり取りしているメールの文面に、いつまでも変わらないなんて気もしてたけど。まあ、でも、こうやって見るとなんでだろう、ほんの少し変わってる気もして。不思議だな、変わろうがなんだろうが海は海なのになんで気になるんだろうと、そんなことを考えたところで、ふと気付く。
(あれ? マフラーは?)
高校の頃から、冬になると毎日のように首に巻いていたマフラー。もはや青嗣と海のトレードマークと言ってもいいお揃いのマフラーが無いことに違和感を感じて、柑渚は軽く首を傾げる。これだけ寒い日なのにあのマフラーをしていないなんて海らしくないなぁ、そんなことを思いながらも、彼女の元へと歩み寄ろうとした、その時。
――海が、手にしていた紙袋を、篝火の中へと放り投げる。
篝火の中で炎を上げる紙袋。燃え崩れるその紙袋からちらりと覗かせたその中身に、柑渚は歩き出そうとした足を止め、再び立ち止まる。
――海が大切にしていたマフラーが。篝火の中で、紙袋に入れられたまま、ぱちぱちと音を立てて、燃えていた。
◇
初めてそのマフラーを見たのは高校の頃。青嗣と腕を組んだ海が自慢気に、お揃いだよと嬉しそうに話していたことを思い出す。その時の海の表情は、今でも忘れられない。それは心に響く、悔しいくらいの笑顔だった。
――篝火が炎を上げる。マフラーが炎に焼かれ、赤い炎を上げ、篝火の炎とまじりあう。
高校を卒業して、家を出て。
あの二人に、海に会わなくなって。
仕事や日々の生活に追われ。
生まれ故郷のことも忘れ。
加速した時間の中で、繰り返しの毎日を過ごす。
海から毎年送られてくる年賀状。
そこに写るマフラーに心をざわつかせ。
――炎が瞬く。マフラーが赤い炎をちらつかせ。光と熱を踊らせて、込められた想いを空に還す。
ある年に、海の住所が東京に変わり。
一通の年賀状に二人の写真、差出人は青嗣と連名で。
その頃には、あの二人のことは遠い世界のお話で。
高校時代の親友という名のか細い縁がなんとか残ってる、たったそれだけのはずだった。
その年賀状に写る幸せそうな海の笑顔に少しだけ痛みを感じながら、それでも何事もなかったかのように毎日を過ごして。そのうち同じ苗字になるんだろうなぁ、あ~あ、なんてことを、こっそりと考えたこともあったっけ。
――懐かしく、どこか落ち着かない生まれ故郷。何度も足を運んだ神社の風景。役目を終えたお神札が、正月飾りが燃え上がり、宿した神が空へ帰る。
会社のセンパイくんと親しくなって。
距離が縮まって、想いを振りはらって。
センパイくんと気まずくなって、職場にも居づらくなって。
別にあの会社に執着もなかったし、センパイくんもね、別に嫌いなわけじゃない。でも、何でなんて聞かれたって答えられない。本当にそれでよかったかなんてわからない。それでも、かみ合わなくても居づらくなっても、どうしてもセンパイくんに、思っていることもいい加減なことも言えなくて。だから何も言わずに振った、ただそれだけ。
結局は、七年間お世話になった会社も辞めて、次の職も決まらずに、一度実家に帰ろうと決心して。
傷だらけの心が休息を求めていることに、ようやく気付く。
――炎が揺れる。遠い昔の思い出が、空に還る。それはきっと、海がずっと抱えていた想い。
あのマフラーが燃えるたびに。
もう、とっくの昔に慣れたと思っていた過去の傷から、今までと違う痛みがにじみ出て。
それはきっと、もう過ぎてしまった何かで。
それはきっと、たった今終わった何かで。
それはきっと、いつまでも続く何かで。
――その、大切な何が、瞳に涙を誘いだす。
自分が涙目になりかけたことに気が付いて、とっさに「アカン、海に気付かれたらマジアカン」なんて心の中でツッコミを入れて、深呼吸をして。何事もなかったかのように、海に声をかける。
――あっれぇ、海じゃん、久っさしぶりー、と。
◇
「げっ、『柑』じゃん、マジかよー」
大げさに驚きながら声を上げる海。その声を聞いた柑渚は、一見すると昔と変わらないままの姿に、それでも少し違う何かを感じながら、昔と同じように親しげに話しかける。
「帰省中? どうですかな、東京暮らしは」
「どうもこうもない、都市部なんてどこも似たようなものでしょ」
そんな、他愛のない話をして。
「はぁ!?、帰ってきた!? カレシは!?」
会社を辞めて帰ってきたって言ったらひどく驚いて。
「彼氏? ああ、あのセンパイくん? あれ、違うから」
「いやだって、超優良物件だったじゃん! 柑もまんざらでもなかったでしょ!?」
「まあね~。でもさぁ、言葉にはできないけど、色々あるじゃん?」
うん、言葉にできない。センパイくんにもできなかったし、今も無理。あぁあ、何やってるんだろうね、私。そんな私に海は、「……ま、しゃあないこともあるね、うん。こればっかりは理屈じゃないし」なんて言って。そうそう、こればっかりは理屈ではないのですよ。すれ違いに悲鳴を上げる心をそのままに、うわべの私がそんなことを思いながらウンウンと頷く。
そのあと、境内で配っていた甘酒をもらって。そうそう、海がなんでまだここにいるのかだけど。妹が今年成人だからって、わざわざ東京から戻ってきたんだって。いやぁ、凄くね? そう思ったんだけど、「当たり前でしょ、家族なんだから」とか言われて。海、すげーと、そんな世間話で盛り上がって。甘酒お代わりして。家から持ってきた正月飾りを篝火にくべて。
「温いのぉ、ホカホカじゃあ」
「……ばあさまか! ……ホカホカじゃのぉ」
篝火に手をかざしながらこぼした台詞に笑われて。続くノリのいい言葉に笑いあって。
しばらくして、綺麗な衣装を身にまとった神主さまが登場して。篝火の前で、小声でモゴモゴと「りん・びょう・とう・じゃ・かい・じん・れつ・ぜん・ぎょう」と呟きながら両手を動かすのを眺めて。イマイチだなぁ、照れちゃうあたりが田舎だなぁ、衣装が泣いてるぞと二人で笑いあって。
「じゃあ、また今度!」
「今度!」
そう挨拶して、その場はお開き。おお、寒い寒いなんて言いながら、家路につく。今頃、青嗣はどこで何をしているのかねぇ、きっとあの野郎も変わんないだろうなぁと、そんなことを考えながら。
――あのマフラーに込められた海の想いが空に還って。きっと青嗣の想いも空に還って。それでも、私があの日感じた痛みと悲しさと悔しさはそのままで。
ざまあみろ。心の中で、そっと青嗣に憎まれ口を叩く。アンタは海と終わって、マフラーと共に想いも思い出も燃やされて、遠いお空に還されて。そうして心の整理がついたことにされて一件落着。もう二度と海と並んで歩くことはない。でも私は違う。これからも、今までと同じように海と笑いあって、今までと同じように生きていく。
私はあのマフラーが燃やされたくらいで、何も変わったりしない。あのときの痛みも悲しさも悔しさも全部、全部私のものだ。これからもずっと、海と何度も会って、一緒に笑いあって、前を向いて生きてくんだ。どうだ青嗣、羨ましかろう。
――だから私は、さっきも今もこれからも、いつものように笑い続けるんだ。ほんの少し海と歩みが重なった時、海と同じものを見て、海と一緒に笑いあうために。
そんな、いつもと変わらない決心をして。ふとさっきの海との話を思い出して、少し笑みがこぼれるのを自覚する。あ~あ、やっぱりあのセンパイくん、ちょっともったいなかったかな、うん、海の言う通り「超優良物件」だったのは確かだったしねと、そんなことを思いながら、いつもの道を歩く。
――こんな親友との再会があるのなら、たまには故郷に戻るのもいいですなと、そう自分に言い聞かせながら。
故郷の小さな神社の境内、篝火の前、昔なじみの「親友」と。
本作品は、「小説家になろう」からの転載です。
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