檻の中からこちらをみている

ヨゾラ

エレベーターの厚い扉が左右にスライドしていく。光沢のある廊下にはエレベーター内の灯りが映っている。

右足を負傷したのは昨日だ。ぼーっと歩いていたら躓いて右膝を打ち靭帯が少し緩んでしまったらしい。
何重にも巻かれた包帯からは微かに、あの病院独特の香りがしている。

足を引きずりエレベーターに乗り込む。
この病院の7階にある整形外科には暫く通う事になりそうだ。仕事も忙しいと言うのに…自分の不注意が情けなかった。

ゴォォ…と言う静かな音がする。
おれはオレンジ色のランプが数字の書かれたボタンをするする滑って行くのをじっと見ていた。
昔からエレベーターは嫌いだ。閉じ込められて何か奇妙な場所にでも連れて行かれる気分になるからだ。
まるで檻。おれは密輸入される動物か。

順調に1階へと向かっていたライトが2階で止まった音を聞いてハッとした。誰かが乗ってくるのだろう。
腕時計に目をやると午後7時までの面会時間ももう終了間際だ。扉が開く。なのに誰もいない。
なんだ、もうひとつのエレベーターが先に来たのだろうか?
おれは閉のボタンに手を伸ばしかけてぴたりと止まった。
心臓がドクンと跳ねて全身の血液が逆流するような、目の奥の機能が一斉に撃ち殺されたような。

別れた彼女がいたのだ。原因はおれの浮気だった。
おれは逆上するあいつを軽くあしらい、電話もメールも全て遮断し黙って引っ越した。
軽く、なんとなく交際を始めたから、あいつだっておれにそれほどの愛情を持ち合わせてるなんて思いもしなかった。
だから浮気した。あいつの投げかける愛の言葉をおれは全部踏みつぶしたんだ。食いちぎったんだ。

そんな、彼女が。

上手く呼吸ができなくなったおれは、気がつかなかったふりをして再びボタンに手を伸ばした。
だけどそれも叶わなかった。頭の中で今思い出すべきことではない「あること」がさっと蛍光に光りはじめたのだ。
そうだ…2階は…2階、は、精神科だったはずだ。

左手首に包帯を巻きつけた彼女は煌々とした廊下に直立に立ち、エレベーターの中で立ちすくむおれをじっと見ていた。
少し髪が伸びて、顔色が悪い。ああ、ああ。ああああ。

彼女がここにいる理由など考えたくもなかった。
いや、どこかで一つの可能性を見出したが、追求することはしなかった。
おれの右手がとっさに閉ボタンを押し、それをさせなかったからだ。

あの香りが閉まりかけたドアの隙間から入り込んでくる。
思わず噎せ返りそうになるほど強い香りだった。

隙間が無くなるその瞬間まで、あいつはじっとこちらをみていた。檻の中からこちらをみていた。

檻の中からこちらをみている

檻の中からこちらをみている

  • 小説
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