幻茸城7-蘇り茸
鼠と茸のファンタジーです。
城に住む赤鼠の姫がどこぞに遊びに行けないかと天守閣から外を見ている。
その時、裏窓から、女郎蜘蛛の姉さんが顔を出した。
「姫さん、どうです、今日は、東のはずれの山に行ってみませんかね」
「あい、嬉しい、爺に言ってきます」
「ああ、それがいいよ、女郎蜘蛛が迎えにきたと言っておくれな、それから、これを持っていってくださいな」
女郎蜘蛛は瓢箪に入った酒を姫に渡した。
「あい、爺も喜びます、最近は年を取ったせいか、昔のようにお池にお弁当持っていくこともしません」
「はは、あの爺さんは年取ってみえるが、妖怪に近い鼠さね」
「え、妖怪」
「いや、最近知ったのさ、赤大山椒魚が言ってたじゃないか、大黒さんのそばにいた偉い鼠だよ。妖怪ではないけどね、私らのことは前からわかっていたくせに、しらばっくれていたのさ」
「そうなの」
「それにね、すごいらしいよ」
「なにが」
「子だくさん、いろいろなところに、子供がいるのさ」
「それじゃ、奥さんもたくさんいるの」
「はは、そういうことになるね」
「それを渡して、地獄巡りをして来ると言っておやりな」
「あい」
赤鼠の姫は瓢箪をもって爺の部屋に行った。
まもなく、姫が爺を連れて戻ってきた。
「女郎蜘蛛、酒はありがたく頂戴した。姫様をたのんだぞ」
いつもとは違った物の言い様に、女郎蜘蛛は目を丸くした。赤鼠の姫様も驚いている。
「はい、大黒鼠様」
「爺さんでいいよ」
「へ、お見通しで、爺さん」
「遠慮のない蜘蛛だ、お前さん、いくつになった」
「女子(おなご)に年を聞くなんて、野暮ですよ」
「なに言っとる」
「まだ、八十九歳で」
それを聞いて、赤鼠の姫様はまたびっくり。
「まあ、姫様をたのんだよ」
「はいよ、爺さん、地獄巡りをしてくるよ」
「このあいだは闇の大王、今日は地獄の閻魔か」
「爺、夕刻までには戻ります」
「姫様、よく見ておいでなさい」
「あい」
「そうじゃ、姫様、もし、鬼火が必要になったら、鬼火よ来ておくれと念じてくだされ、そうすると、すぐ姫のもとにまいります」
「あい、聞いています、では行ってきます」
「危ないことはしないでくだされよ、姫様」
爺は頷きながら自分の部屋に戻って行った。
「あの爺さん、早く部屋で酒を飲みたいのさ」
女郎蜘蛛が陰口を叩くと、聞こえたと見えて、爺やの大きなくしゃみが聞こえた。
そこへ鬼蜻蜒が飛んできた。
「久しぶりだな、お嬢さん」
「あ、鬼蜻蜒の兄さん」
赤鼠の姫は袋を首にくくりつけると、鬼蜻蜒の上に乗った。
「その袋はなんだい、姫様」
女郎蜘蛛が不思議そうに袋を見た。
「井守の黒焼きの霊薬に醍醐」
「それは準備がいい、姫様もすこしゃ大人になったね」
「今日は、地獄に行くんだとな」
もう一匹の鬼蜻蜒が飛んできた。
「女郎蜘蛛の姉さんは、こっちだ」
「すまないねえ」
女郎蜘蛛も鬼蜻蜒の上に乗った。
二匹の鬼蜻蜒が飛び上がると、どこからともなくたくさんの鬼蜻蜒たちが現れて、二匹の後を飛び始めた。
「今日も豪勢だね、みんなおでましかい」
「ああ、あの連中も地獄巡りしてみたいとよ」
「鬼蜻蜒のみなさんも物好きだねえ」
「退屈してんのさ」
「そうだね、このあたりにゃ、遊ぶ相手が少ないからね」
「鬼火城はもう朽ちるだけだろうかね」
「そりゃあ、わからないさ、人間の世界はね、このあたりに興味のある侍が、城に住み始めるかもしれないじゃないか」
「そうなりゃ、面白いね、いろんなことが起きる」
「赤鼠の一族にゃあぶないけどね」
「さて、どの地獄に行こうかね」
「どこでもいいが、任せてもらえるかい」
「もちろんさあ、地獄任せさ」
鬼蜻蜒が急上昇した。青空高く高く舞いあがる。
山が下の方に見えるようになってきた。お城が小さくなる。
「鬼蜻蜒の兄い、ずいぶん高くあがるね」
「今日は遠出だ」
「どこまで行くんだい」
「この国の北の果てだ」
鬼蜻蜒はどんどん上にあがった。
「青森というところがある、冬になると雪で覆われるところだ。そこに、地獄がある。地獄というのはいろいろなところにあるが、青森の地獄に閻魔がいる」
「だが、その青森という森はどのあたりなんだい」
「森じゃあない、日本の北の果ての地のことだ、その海を渡ると北海道という大きな島だ、寒い島だ」
「冗談およしよ、遠いんだろ、何年もかかるんだろう」
「人間が歩いて何ヶ月もかかるところだ」
「そんなに遠くじゃ、行けっこないじゃないか」
「鬼蜻蜒の力をお見せしようじゃないか」
鬼蜻蜒の集団は、ぐんぐんと空の上に上っていった。
「すごい、お山があんなに小さく見える、お城がもう見えない」
赤鼠のお嬢さんが目を丸くする。
「さて、お二人さん、しっかり?まっていてくれよ、目を瞑ったほうがよいかもしれんな」
鬼蜻蜒は急上昇すると、日本の北の果てまで吹いている、早い早い空気の流れに乗った。
あまりの早さで、地上を見ても何も見えない。
「これはな、蜻蜒(やんま)気流と呼ばれていてな、俺たちしか知らない空気の流れなのだよ」
鬼蜻蜒の兄さんが説明してくれた。
「こりゃすごいやね、いい経験だねえ」
女郎蜘蛛の姉さんは、お尻から一本の糸を出した。
「うわー」姉さんは叫んで、鬼蜻蜒にかじりついた。
糸が引っ張られて、姉さんが落ちそうになったのだ。
糸がぷつんと音をたてて切れて飛んでいった。
「おー助かった」
「女郎蜘蛛の姉さん、糸だしちゃ危ないよ」
「ああ、恐ろしかったよ、もうしないよ」
赤鼠のお嬢さんは目を瞑っている。
ほんの一時も経っただろうか、鬼蜻蜒たちは蜻蜒気流から外れると、ふんわりと宙に浮かんだ。
「すごかった」
女郎蜘蛛と赤鼠は周りを見た。
風が冷たい。
「もう、北の果てかい」
女郎蜘蛛が聞くと、鬼蜻蜒は頷いて、ゆっくり降下した。
遠くに煙の上がっている禿げた山が見えてきた。
「ほら、あれが地獄の山だ」
近づいていくと、岩肌が黄色くなっており、至るところから蒸気が上がっているのが見えた。
「すごい匂い」
「これはな、硫黄という物質の匂いなんだ」
鬼蜻蛉が説明をする。
「硫黄ってなあに」
「黄色い石の仲間でな、火山の奥のほうで作られるんだ」
「火山てなあに」
「火を吹く山のことだよ、火山の地下では土も石もみんな溶けて、真っ赤に焼けて燃えている、時々それが山のてっぺんから噴き出すのさ、そのときゃあ大変だ、空一面に真っ黒な煙が上がり、熱くなった石が降ってくるし、ひどい時には溶けた石がどろどろと流れ出るのさ」
「火山の地下が地獄なの」
「いや、地獄に似ているが、それが地獄ではない」
「地獄はどこ」
「地獄の山に入口がある、その中だ、地獄は死んだ者が行くところで、我々は行くことができない、悪いことをして死ぬと地獄に落とされ、責められる」
「痛いの」
「頭の奥が苦しくなる」
「地獄には行きたくないわ」
「そうだねえ、でもあたしゃ地獄だよ、いろいろ悪いことをしているからね」
「でも、私にはいいことをしている、合わせると何も無くなって、地獄には行かなくていい」
「お嬢さんは頭がいいね」
「ほんとだな、女郎蜘蛛の姉さんは、このお姫さまに助けられるぞ」
「そうだね」
そう言っているうちに、硫黄の匂いが強くなってきた。
「降りるぞ」
鬼蜻蜒の大将の合図で、一斉に鬼蜻蜒たちが、地獄の岩の上に降り立った。辺り一面、鬼蜻蜒だらけだ。
そこへ、どこからか一羽の鴉があわてて飛んできた。
「おい、この地獄の山に誰の許しを得て入ってきた」
「地獄の山にくるのに、許しがいるとは知りやせんでした」
鬼蜻蜒の大将が頭を下げた。
「すぐ立ち去れ」
「せっかく、遠くからきたので、ちょっくら見せてはいただけませんかねえ、あたしからもお願いしますよ」
女郎蜘蛛が鴉に声をかけた。
「蜘蛛など口出しするな」
女郎蜘蛛の姉さんはカチンときた。
「なんだい、えばって、いったい誰に許しをこえっていうのさ」
「閻魔鴉の親分さんに、貢ぎ物が必要だ」
「おーあからさまに、賄賂かい、地獄の頭領は閻魔だろう」
「我々閻魔鴉が入り口を守っている」
「馬鹿おいいでないよ、そんなことしてると、閻魔様にしかられるから」
「つべこべ言わずに、よこせ」
「なにが欲しいのさ」
「地獄茸を採ってこい」
「なんだいそれは」
「地獄の道には必ず地獄茸が生えている、それを採ってくれば地獄に入れてやる」
「地獄に生えているなら入らなきゃ採れないじゃないか」
「地獄茸は地獄の入口に行く穴の天井に生えている、その茸を入り口にいる閻魔鴉の使いに渡すのだ、そうすれば地獄に入れてやる」
「ふーん、何で自分たちで採らないのさね」
「我々閻魔鴉にその茸は見えない」
「それでどうして、私に見えるのさ」
「いや、お前は見えない、そこにいる鼠には見える」
「その茸は何の役に立つのさ」
「それを煮立てて死体に振りかければ生き返る」
「ふーん、怖い茸だね」
「それで、誰にかけるのさ」
閻魔鴉は、ちょっと言いよどんだ。
「閻魔鴉の親分のお嬢様がご病気で、明日にも死ぬ、そのとき生き返らせなければならない」
「そりゃ、可哀想だけど、こんな頼み方はないだろう」
閻魔鴉は俯いた。
「ともかく、地獄茸を採ってくれれば、地獄巡りをさせてやる」
「もし、茸がなかったらどうするね」
「帰ってもらう」
「冗談じゃない、せっかく来たのだから、入れておくれな」
女郎蜘蛛の姉さんがつめよった。
そこに、赤鼠の姫様が言った。
「その茸を使わなくても元気にしてあげましょう」
「どういうことだ」
閻魔鴉の使いは赤鼠を見た。
「私が直してさしあげます」
女郎蜘蛛と鬼蜻蜒たちは驚いて姫様を見た。
「私にはその力があります」
赤鼠の姫の顔は自信に満ちていた。
「ほんとうか、その通りなら、もちろん、地獄の案内は任せてもらおう、閻魔鴉の親分も喜ばれる」
「それじゃあ、お嬢さんのところに案内してください」
「かしこまってござる」
うってかわった閻魔鴉の使いが翼を広げ岩山に恭しくお辞儀をした。
そのとたん、硫黄がかぶって黄色くなっている大きな岩が動いた。
真っ黒な地獄の入り口がずーんと開いた。
入口の奥は、もっと黒い、真っ暗闇である。
こうして、閻魔鴉を先頭に、赤鼠の姫と女郎蜘蛛、それに鬼蜻蜒の集団は地獄の穴に入って行った。
閻魔鴉の目が赤く光り、洞窟を照らした。
ごつごつと岩が飛び出しており、その明かりが無いと岩にぶつかって怪我をする。
地獄の入り口から少し進むと、脇道があった。脇道の入り口にも閻魔鴉が立っていた。
案内をしてきた閻魔鴉はことの次第を話すと、その閻魔鴉が頷いた。
その閻魔鴉は優しい声で、「私がご案内します」と言った。雌の閻魔鴉だ。
雌の閻魔鴉の目が赤く光った。
みんなは鴉の後について歩いて行った。
しばらく歩くと、一つの部屋に出た。
ほとんど明かりのない部屋の真ん中に、寝床がしつらえてある。
その上には痩せた閻魔鴉が寝かされていた。
寝床の脇には大きな鴉がいた。閻魔鴉の親分だった。
「娘を助けてくれるとな」
「あい、お助けしましょう」
赤鼠の姫様が言った。
「お嬢さんの周りから離れてください」
赤鼠の姫が言うと、閻魔鴉や鬼蜻蜒たちは壁際に寄った。
女郎蜘蛛は心配そうに「手伝うことはないのかい」と赤鼠に声をかけた。
「では、手伝ってくださいな」
赤鼠の姫が女郎蜘蛛に手招きをした。
赤鼠の姫様はいつもとは違って、大きな声を出した。
「鬼火、出ておいで」
姫が言うと、鬼火がふわっと宙に現れ、病気の鴉を照らし出した。
痩せた鴉の娘の目が開いた。
赤鼠の姫は皮袋を取り出し、女郎蜘蛛に手渡した。
「この薬をお嬢さんに飲ませてくださいな」
「口の中に入れればいいのかい」
「はい、その前に、この薬をクモの糸で包んでください」
「そりゃたやすいが、どうしてだい」
「お腹の中でゆっくりと薬が効きます、そのほうが効果があります」
女郎蜘蛛は黒い粒に糸を巻いて、病気の鴉の口に押し込んだ。七色井守の黒焼き霊薬である。
「鬼火、体を温めておくれ」
鬼火は宙から降りてくると、病気の鴉を包みこんだ。
すると、ほとんど息をしていなかった閻魔鴉のお嬢さんの胸が大きく膨らみ、大きな息を吐き出した。
「おお、娘が息を」
閻魔鴉の親分が近づこうとしたが、赤鼠の姫は押しとどめた。
「もう少しです、近づかないでください」
閻魔鴉の親分はあわてて戻った。
息を吹き返した鴉のお嬢さんが目を開けた。
「さー、もう大丈夫です」赤鼠の姫が閻魔鴉の親分に声を掛けた。
閻魔鴉の親分は寝台に駆け寄った。
娘鴉は閻魔鴉の親分を見た。
「お父様、とても良い気分です」
「おお、娘が口をきいた、奇跡だ、早く死んでしまった母親と同じ病気になり、もうあきらめておった」
「この醍醐を少しずつ食べてください、そうすると、からだに力がつき、元に戻るでしょう」
赤鼠の姫様は持ってきた醍醐を閻魔鴉の親分に手渡した。
「これはかたじけない、なにからなにまで、このお礼は何でもして差し上げますぞ」
「地獄を見せてください」
「容易(たやす)いごようじゃ、地獄の中を案内させよう、お前様はいったいどなたじゃ、このようなことをできる者がこの世にいるとは思うておらなかった」
「これは、鬼火城の赤鼠のお姫様ですよ」
女郎蜘蛛が閻魔鴉の親分に説明する。
「おー、聞いたことがある、赤鼠一族のことは、もしわしらが役に立つことがあったらいつでも馳せ参じよう」
「ありがとうございます」
「それでは、地獄を案内しよう、本当の地獄じゃ、日本のいろいろなところに入り口があるが、この地獄の入り口はもっとも閻魔様に近いところなのだ、出雲の国にある入り口より近いのだよ、北海道の登別の地獄、秋田の地獄といろいろある、そこでは閻魔鴉の一族が入り口を守っておる。
赤鼠の姫にはいつでもそこを通れるような手形をお渡ししよう」
「あい、ありがとうございます、私の仲間にもお願いできませぬでしょうか」
「よいとも」
閻魔鴉の親分のお嬢さんが起きあがった。
「ありがとうございました」
赤鼠の姫様に向かって頭を下げた。
「元気になられましたら、鬼火城にお遊びにおいでください」
「はい」
「さて、地獄を案内させますぞ」
そこに、地獄茸を要求した閻魔鴉の使いがきた。
「先ほどはすまぬことを言った」
「慣れてないと思ったよ、あんな脅しじゃ、だれも貢ぎ物なんかよこさないよ」
女郎蜘蛛の姉さんが笑った。
「初めてでござる」
「そんなことだろうと思った」
閻魔鴉の親分が頭を下げた。
「こやつは忠義者でござる、許してやってはくれまいか」
「もういいさね、お嬢さんが元気になったお祝いさね」
「それでは、私たちは地獄を見てまいります」
姫様は閻魔鴉の親分に挨拶をした。
閻魔鴉の親分と娘は、
「このご恩は一生忘れませぬ」と深く深くお辞儀をした。
閻魔鴉の使いは、皆を案内して来た道を引き返した。
「今日は、地獄の中をしっかり案内いたしまする」
「頼むよ、また、東の国の高尾山まで帰らなきゃならないんだ」
「ずいぶん遠いところから来たものだ」
「この鬼蜻蜒の兄さんの一族がすごい能力でね、空の上の上の方の気流に乗ってあっと言うまさ」
「ほー、そりゃすごい、鴉も使えるのかね」
「後で、乗り方を教えやしょう、ちょっと狭いが、乗っちまえば、あっと言うまよ」
「そりゃありがたい、さて、こちらです」
赤鼠と女郎蜘蛛、それにたくさんの蜻蜒たちは地獄の扉の前に立った。
門番は鬼ではなかった。真っ白な閻魔鴉がいて、岩の扉を開けた。
「おやま、簡単に入れちまうんだ」
女郎蜘蛛は驚いた。
案内の閻魔鴉は頷いた。
「入るのはいいが、案内人がいないと出ることができない、だから死にたい者は入れるが、地獄の中で死ぬまで生きていくのはつらいぞ。わざわざ地獄に来たい奴もいまい。これから中を覗くとその意味がわかる」
女郎蜘蛛はつぶやいた。
「焦熱地獄、針山地獄、飢餓地獄、熱地獄、楽しみだねえ」
地獄の中に入ると岩だらけの世界が目の前に開けた。
どこまでも続く地平線、一面の岩の世界。大きな岩と岩の間は底知れぬ深い谷。皆が思っていた火がめらめらと燃えている地獄とはだいぶ違う。
案内の閻魔鴉が言った。
「鬼蜻蜒の大将、また、この二人を乗せてくれまいか」
「いいとも」
赤鼠の姫様と女郎蜘蛛は鬼蜻蜒の背に乗った。
閻魔鴉の合図で宙に舞った鬼蜻蛉たちは眼下の岩の世界に向かって飛んだ。
降りて行くと、岩岩の上で何万の人間が、ぼーっと立って宙を見上げている。死んで地獄に来た人間たちだ。
「あの人間たちは何をしてるのでしょう」
赤鼠の姫は不思議そうな顔をした。
「ここへ来た人間は何もすることがないから、日がな一日ああしているしかない」
「それは恐ろしいことです」
「だから、地獄なのだ」
「そうだね、あたしゃな何もやることがなくなったらおっちんじまうよ、退屈でね」
「人間は特にそうなのだ、ここは本当の地獄なのだ。地獄の釜ゆでなんて人間の作ったこと、何もすることがないところ、眠ることができないところ、それが地獄だ」
「ほんとうだねえ、ところで、人間ばかりじゃないか、私ら動物がいないね」
案内の閻魔鴉が説明をした。
「地獄だ、天国だなんて、人のためだけにある。我々動物は、煉獄と菩薩地獄だけだよ」
「でも、あんたは、人の地獄にいるじゃないか」
「閻魔様を手伝うのが我々の使命だからな」
「鬼ってやつもいないんだね」
女郎蜘蛛は鬼に興味があるようだ。
「ああ、鬼は人間の地獄にいるものではない」
「何処にいるんだい」
「知らぬ、俺もまだ会ったことがない」
「突っ立っている人間を見ていてもしょうがないね、ぐるーっと回ったら帰ろう」
女郎蜘蛛はため息をついた。
「あい」
赤鼠の姫様も相づちを打つ。
ほんの一時も地獄にいる必要はなかった。
「あの人間はいつまでああしているんだい」
女郎蜘蛛が尋ねると、閻魔鴉は「本人たちがいい人になるまでだ」と答えた。
「いい人って」
「地獄に落ちた人間は、もっと良いところに住みたいとか、もっと良いものが欲しいとか、欲を持った者たちだ」
「でも、誰でも欲があるし、欲があるから進歩するのではないかしら」
「姫様は頭がいい、その通りだ、だから人間は死ぬとみんな地獄に来る、しかし、自分がいた世界が一番いいと悟ったものは地獄から出ていく、平和な欲しかもっていなかった人間はすぐそれに気付くものだ、欲もなくなり他人に悪さができなくなる人間がいい人なのだ」
「なるほどね、あたしゃ欲しかないよ」
「私、閻魔様に会いたい」
赤鼠の姫様が思い出したように言った。
「あたしゃ、会いたくもないが、姫様は閻魔様に会ってどうするの」
「閻魔様は人間のことをよくお知りでしょう、きっとそれだけではなくて、動物たちのことも知っているに違いないわ、いろいろお知恵をお持ちのことと思います」
閻魔鴉が赤鼠の姫様に念をおした。
「ほんとに閻魔に会いたいのかね、閻魔が喜ぶな、閻魔に会いたいなんてやつはいないからな」
「ええ、会いたい」
閻魔鴉は閻魔と呼び捨てにした。
女郎蜘蛛は「閻魔様と言わないと怒られないのかい」と心配した。
「そんな細かいことにとらわれないのが閻魔だよ」
閻魔鴉は言った。
「どんなやつなんだろう」
女郎蜘蛛はちょっとばかり会ってみたくなった。
「それじゃ、付いてきてくれ」
閻魔鴉は地獄の底の人々の上を滑るように飛んで、大きな岩山にあいている大きな穴の一つに入っていった。そのあとを赤鼠と女郎蜘蛛を乗せた鬼蜻蛉たちが続く。
穴に入ると、閻魔鴉の目が赤く光り、あたりを照らし出した。
奥深い穴の先に着陸すると、大きな扉があった。閻魔鴉が大きな声を出した。
「閻魔様、お客人にございます」
扉がぎーっという音と共に開くと、部屋の中では、閻魔とはとても思えないような、白髪の小さな老人が笑窪を寄せて待っていた。
女郎蜘蛛の姉さんは想像と余りにもかけ離れていたのでびっくりした。
「来たね、赤鼠の姫さん」
人懐っこそうな老人は、赤鼠たちのところにやって来た。
「あい、閻魔様」
「地獄はどうだい」
「あい、いろいろな色が渦巻いています」
「おー、よく見えるね、その通りだよ、それは欲望が地獄に堕ちた者たちのからだから離れて出てくるのだよ。早くそれがでてしまうと、あのものたちは本当の天国に行くのだよ、私はそれを見ているだけなのさ」
「あい、大変なお仕事です」
「おお、賢いな」
「俺たちが知っている地獄は誰が創ったのだろう」
鬼蜻蜒の大将がつぶやいた。
「そりゃあ、宗教を創った奴だろう、地獄に堕ちると大変だから良いことをしなさい、悪いことをしないようにしなさいってね、教えるためさ」
女郎蜘蛛の姉さんが言った。
「その通りじゃ、そこの蜘蛛のお女中は良くわかってるな」
閻魔様はニコニコして女郎蜘蛛を褒(ほ)めた。
女郎蜘蛛は閻魔が好きになったようだ。
「閻魔様は褒めるのがおじょうずです」
姫様が言うと、閻魔様がうなった。
「うーん、賢いどころではないな、赤鼠の姫は」
「さすが閻魔様です、人間を改心させるには、良いところを褒めて、自信を持たせるのが大事だと思います」
「その通りじゃよ、先に立ち、まわりりをまとめる者は、皆それぞれの良いところを認め、力を発揮してもらわにゃならん、それには、それぞれの者に自信を与えなされ」
「はい、大事なことを閻魔様から教わりました」
「赤姫になって、地の上の世界を良いものにしなされよ、わしはたまに地上に行くから、また会うこともあるだろうね、そのときには姫は大きくなって、あやかしの頭領になっていることだろう」
閻魔様が真っ黒な茸を懐から取り出した。
「これが、地獄茸じゃ、お前にやろう、大きくなったら使うことがあるだろう、よく考えて使うことだよ、この茸を漬けておいた汁を飲ますと、死んだ者が生き返るのじゃ、蘇(よみがえ)りの茸とも呼んでいる」
「はい、ありがとうございます」
姫様は茸を受け取った。
「これからもいろいろお教えいただきとうございます」
「いつでもおいで」
「はい、閻魔鴉の親分さんから自由に入れる手形をいただきました」
赤鼠の姫と女郎蜘蛛は鬼蜻蛉の背に乗った。
鬼蜻蜒はすーっと舞い上がった。
「元気でな」
閻魔様が手を振った。
「ありがとうございました」
赤鼠の姫も手を振った。
閻魔鴉に案内されて、鬼蜻蛉たちは地獄の出口に向かった。
出口につながる洞窟に入ると、閻魔鴉の親分が、元気になった娘と一緒に待っていた。
閻魔鴉の親分が赤鼠の姫に言った。
「どうでしたな、地獄は」
「怖いところです」
「そうですな、だが、ああやっているうちに、気持ちがきれいになって、人として回復すれば消滅することができます」
「え、天国に行くのではないの」
「そうなのですよ、消滅し無になる、そこが本当の天国です」
「でも、生き返るのでしょう」
「姫は賢い、そうです、いつの日かわからないが、また、その時に、その者にふさわしい生を受け継ぐのです」
「あい」
閻魔鴉の娘が赤鼠に言った。
「こんなに元気になりました。お友達になれると嬉しい」
「あい、わたしも嬉しい」
赤鼠の姫も頷いた。
「それでは、まいります」
赤鼠の姫が鬼蜻蜒に声をかけた。
閻魔鴉の親分と娘が手を振った。
鬼蜻蜒は一気に洞穴から抜けて外に出ると、上空にのぼり、蜻蜒気流に乗った。
帰りもあっと言うまであった。
「地獄ってなあ、やなものだねえ」
女郎蜘蛛は思い出しながら言った。
「はい、人間は可哀想です、死ぬと必ず地獄に行きます」
「そうだね、姫様」
「あい」
「姫様、この旅で、大人になったね、でもね、あたしゃ、鬼ってやつに会ってみたかったんだよね」
女郎蜘蛛が言った。
城につくと、赤鼠の姫様は、
「ありがとうございました」
と鬼蜻蜒と女郎蜘蛛に挨拶をした。
「やだねーかしこまっちゃ、またいっしょに遊んでくださいな」
「そうだなー、もっともっと遊ばなきゃ」
鬼蜻蛉も相槌をうつ。
「あい、また、遊びに行きたい」
「それじゃよくお眠りなさい、姫様」
鬼蜻蜒たちは帰って行った。
赤鼠は天井裏の自分の寝床にはいった。
赤鼠の姫は、地獄の人間たちのあの、ぼーっとなった顔を思い出し、身震いをした。
なかなか眠ることができず、夜が明けてしまった。
「幻茸城」(第一茸小説)2016年発行(一粒書房)所収
(短編を一つの物語に編纂)
幻茸城7-蘇り茸