艶ぼ~い(後編)
「艶ぼ~い(前編)」からの続きになります。
(1)すれ違い
長州の間者さんに古高さんを支えてもらって縄を切る。
「何故、来はっ、たんや、」
喋るのさえしんどい癖に阿呆なことを言い出すつもりの古高さんに
「抜け出すまで静かに。」
と黙らせる。大八車に古高さんを乗せて蓙を被せて屯所を抜け出す。
責任追及をされるから、間者さんにもついてきてもらった。新撰組への密偵はもう必要無いはずだから。
古高さんの店の舟はもう使えない。藍屋さんにも慶喜さんにも今は頼れない。
山の中の毘沙門堂に連れていく、それしか道はなかった。
「奏音くん!」
「翔大!」
山道を登っていると、翔太と土佐藩の人達にかちあった。
「翔太、毘沙門堂は覚えてるか?」
中学時代に修学旅行で行ったはずだ。
「うん、解る。」
「古高さんを連れていってほしい、頼む。」
「あ、かん、」
息も切れ切れに古高さんが引き留める。
「結城、はん、止めたっ、て。新撰組の、狙い、は、奏、音はん、や」
全身に見られる打撲傷、切り傷は化膿して酷い状態になっている。おそらく手足の骨は全て折れているだろう。
「奏音くん、」
翔太が俺の顔色を伺う。
「古高さんは無事だ、と。あの短気な人達に伝えに行かないと。せっかく上手く行ったのに新撰組にぶつかられては困るんです。」
「それに、僕が行こうか?」
「会えるか? だいたい何処に居るか見つけられるか?」
「難しい、かも。」
「俺は会える。付き合いが深いから、な。やっぱり俺が行くしかない。」
古高さんが必死に俺を引き留めようと手を伸ばした。俺はその手をとって柔らかく握り返す、古高さんには物を掴む力さえ残ってない。
「俺は、貴方が雇った伝令役です。そして薬屋だ。必ず生きて戻ります。その怪我を治療しないと。」
翔太に持ってた分だけの薬を渡して何が入ってるかの説明をすると、
「こんなに? 材料とかどうやって手に入れたの?」
「それはそこの金持ちの旦那に聞け。お前も契約するといいかもな。」
ニヤリと笑って俺は走り出した。
策を練りながら、情報を集め、高杉さんたちの合流を待つ間、
ひとり野宿を繰り返している時に、俺は古高さんの無事を祈ってはいたけれど。
同時に古高さんに拷問をしている土方のことを考えていた。
「パミュパミュさん、花札は出来ます?」
「いや、やったことないですね。」
「なんだ、残念だなぁ、そういうの強そうなのに。」
「強そうな人とやりたいんですか?」
「はい、剣術もどんなことも、強い人と戦って、その人より強くなるのが楽しいんです。」
「剣術では敵無しですもんね。」
「そんなことは、ないですけど……」
「トランプなら持ってますよ? 今、置屋で流行っているんです。」
鞄の中に入っていたトランプ。使うことはないだろうと、無造作に部屋に置いていたら、花里ちゃんに見つかったのだ「奏音はん、これ、なに?!」
そして、置屋でめちゃくちゃ流行った。あの藍屋さんでさえ夢中で、俺との打ち合わせが終わると「奏音はん、とらんぷやろうや。」とねだるのには笑ってしまった。
「強いんですか?」
目を輝かせて聞く沖田さんに土方が呆れて笑う。
「勝てるわけないだろう、将棋で何回負けてるんだ、頭を使う勝負で医者に勝てるか。」
「トランプは運が強い方が勝てますよ。」
「本当ですか? 私、運なら自信ありますよ!」
「ほう? 花札に似ているのか。」
「多分、似てますね。」
不器用で意地っ張りで。
けっこう仲良くなったのに、いまだに俺のことをフルネームか、お前、としか呼ばないし。
だけど、
「総司がこんなに病気をしないのは珍しいな。」
直接ではない分かりにくい感謝を伝えてきたりする。けっこう子どもの面倒見が良かったりもする。
「お前、歌は分かるか?」
「いや、さっぱりです、俺は理系なんで。」
「詠めないのか。」
え、誘ってんの? 短歌の会に? じじいか、あんた。
…………
本当は、優しい奴なんだ、俺は、それを知っている。
けど幕府の命令なら、絶対に遂行する、そういう奴だ。
「もう少しだったのに。」
あと少しで、慶喜さんが幕府を説得出来れば、俺達は味方になれたのに。
(2)鬼の涙
俺は池田屋に忍び込み、高杉さんが仕込んだICレコーダーを回収した。ICレコーダーにこよりが巻き付けてあり、結びをほどくとキジの形の切り絵だった。
キジ→生地。なるほど、呉服屋か。
長州間者の商人さんの家に待機しているようだ。
カタンと、背後で音がして、俺は焦って振り返った。
「奏音はんか。」
池田屋の主人だった。何度か店の客を診察したことがある。
「すみません、勝手にお邪魔して。」
「そんなことはええ。なんでこんなとこに戻ってはるんや、はよ逃げなあかんやろ。」
「え?」
「いや、その格好は不味い。医者の姿は目立ちます、着替えていきなはれ。」
「……何故、助けてくれるんですか?」
京の人は新撰組を嫌いな人が多いけれど、それでも荷担したら捕らえられる可能性がある。知らぬ存ぜぬ関わらずを通した方がいいだろうに。
「知り合いが、何人あんさんに救われたと思うとるの。」
「風邪の具合を診た程度でしょう。」
ものすごい大病を治したことなんてないし、大怪我は治せない、せいぜい応急処置だ。
「風邪をこじらせて死んだ人は何人もいましたえ、あんさんが来はる前は。」
俺に出来ることは何も無い、そんな風に思ってた。
「みんな、あんさんに感謝しとる、死んでほしくないんや。」
けれど、こんな風に回りまわって誰かに助けられる。
情けは人のためならず。
誰かの為に懸命になることに、無駄なことなんてひとつもないんだ。俺に出来ることは、いろいろあったんだ。
「……なんで女装がそんなに板についとるん。」
いや、女だからね。最近忘れられがちだけど。
感謝してる近所のお医者さま
から、
感謝してるけどおかまの医者
に主人の中で格下げになった空気をひしひしと背中に感じながら、俺は池田屋をあとにした。
旦那に隠れて自分の着物をこっそり質屋に売りに行くけなげな奥さん、という設定で俺は夜道を歩いていく。
こうして設定しとかないと、つい男歩きになってしまうのだ、というか現代人では女もみんなそうなのだが。
モデルウォークなんてもっての他である、なんやその大股開きは、はしたない!と藍屋さんに扇子で叩かれる。
内股で歩幅を小さく、しゃなりしゃなりと歩かないとならない。
急ぎたいのは山々だったが、バレたら不味い。俺は内股で歩幅を小さく、けどなるべく急いで歩いた。
「道理で見つからないはずだ、まさか女に化けているとはな。」
建物の影から不意に土方が現れた。
「やはり、敵だったな、カナタ=パミュパミュ」
スラリと刀身が抜かれる。俺は身構えなかった。得物も出すつもりはない。
「どうした、短剣くらい持ってるだろう? 勝てぬから、と諦めたか。」
「俺は、土方さんの敵になったつもりはありません。」
「敵だ!」
「いいえ。」
まっすぐに土方の目を見つめる。
本当は土方だって解ってるはずだ。新撰組は幕府に捨て鉢にされるだろう。自分達で命令を出しておきながら、いざ薩長同盟が実現し、朝廷での立場をますます強めたら、おそらく簡単に寝返る。
薩摩や長州がいままで幕府に殺された者のことで責めたらこう言うだろう。あれは下級武士が勝手にやったことだと。行き過ぎた采配をした近藤の責任である、近藤の首を差し出すから、赦せと。
そう、釈明するはずだ。
だから、慶喜さんが幕府に強気に出られないのだ。薩摩、長州との軋轢の責任を追及しても、実際に命令を下していた幕府のお偉方は逃げ出す。それを被らされるのが、会津公と新撰組だから。
仲間として、古高さんを救出した。
けれど、これは新撰組の為にでもある。
薩長の敵にはさせない、和解させる、慶喜さんが必ずやってくれる。
これ以上決定的な軋轢を作ってはならない。古高さんを殺してしまったら、絶対に和解は成立しなくなってしまう。
「抜かぬなら、斬り捨てるまでだ。」
土方が刀を構えて走ってくる。
抗わない、引かない、目をそらさない。
俺は、あんたを信じてる。
刀の切っ先が月明かりで煌めくのが見える。振り上げられた刀は下ろされることなく、俺の肩口で止められている。
「……阿呆、何故、逃げない。」
辛そうに眉尻を下げる。古高さんに拷問をしていた時も、表向きは般若の面を張り付けながら、心でずっとこんな顔をしていたのだと思うと、胸が締め付けられてたまらなくなった。
なんて、不器用で優しい男なんだろう。
(3)拒絶
「今回の件、土方さんはどう思ってるんですか。何の証拠もない、ただ武器があったというだけで、拷問を命じられたでしょう、おそらく、長州勢を誘き寄せる為に殺さない程度に、とも言われていたはずだ。」
だから、高杉さんたちの合流を待てた。殺されはしないだろうと予測出来たから。逆に言えば高杉さんたちを討ち取れれば古高さんは即座に殺されたはずだ、死人に口無し。全ての冤罪を着せられただろう。
「まだ、幕府に疑問が持てませんか?」
「俺は、そんな考えなど、」
「考えなど持たないなんて嘘だ。なら何故、芹沢を暗殺したんですか、近藤さんの為ですよね? 今回の件、もしあのまま古高さんを殺してしまったら、薩長同盟が成立した途端、幕府は手のひらを返しますよ、近藤さんが腹を切らされることになってもいいんですか?!」
俺は土方の肩を掴んで瞳を覗き込む。
「俺と、俺たちと一緒に外国と闘いましょう、新撰組を立派な武士の組織にすること、それが土方さんの望みですよね? 従うのは会津公でしょう。尊敬しているのは近藤さんでしょう? 会津を見放すつもりの幕臣の命令なんか、聞かないでください、会津のこと、民のこと、いちばんちゃんと考えているのは慶喜さんだ、お願いだから、慶喜さんに味方してください。」
涙が出た。
「俺は、貴方に死なれたくないんです!」
土方の目が泳ぐ。やがて、察する、気付く。
「お前、まさか、」
「好きなんです、」
恐る恐る、頬に手を伸ばした。お願いだ、どうか、振り払わないで。
「不器用なとこも、意地っ張りなとこも、頭が固いとこも、妙にじじくさいとこも、ぜんぶ、話すたびに、優しい人だって気づかされて、いつの間にか好きになってた。」
頬に触れた手とは別の手で、指先で唇をそっとなぞる。
「だから、一緒に居たい。一緒にこの国をよくしていきたい。隣に居たいんです。」
じっと見つめる瞳の奥に拒絶はなかった、少しずつ、顔の距離を詰めても、離されることはなかった。でも、恐くて。目を閉じれない。表情を最後まで確認したまま、触れるだけのキスをする。
「土方さんが、好き。」
ぐっと腰を抱き寄せられて、足が宙に浮いた。片腕で抱きかかえられながら深く唇を吸われる。頭がじんわりと痺れて、土方のこと以外なにも考えられない、そんな束の間の幸せ。
一瞬あとにドンと突き飛ばされて、俺は地面に落とされた。
土方は呆然とした表情で俺を見たあと、自分の腕を見て、自分の唇に手をやる。
自分が何をしたのか、信じられないようだった。
主君に忠誠を誓い、命じられたら赤子でも斬る新撰組の隊長。
なのに、敵と通じてしまった。そんな風に思ってたのかもしれなかった。
手の甲でグイっと唇を拭い、唾を吐いた。
「穢らわしい。」
後頭部を殴られたような衝撃。ボタボタと涙が落ちる。
そんな俺を見て、一瞬だけ動揺した顔を見せたが、すぐに般若の顔つきに戻り言い捨てていく。
「二度と、俺の前に現れるな。」
そして、振り返ることなく去っていった。
…………。
なにしてんだ、俺。早く立ち上がれよ。
古高さんの無事を知らせなきゃならないんだ、早く呉服屋に行かないとならないんだ。
俺の役目は密偵で、伝令で、今は、すごく大事な局面で。
泣いてる場合じゃないのに。
「ふっ、うっ、えっ、ひっぐ」
泣き止もうとしても、抑えようとしても、嗚咽が止まらない。
心臓が壊れそうだ、苦しくて、息がうまくできない。
何度も自分を叱咤したが、俺はしばらくの間、うずくまって動くことが出来なかった。
(4)変動
池田屋事件とは、古高さんの捕縛、拷問をきっかけにして、長州の過激派がたくさん斬られた、というのが流れだ。
それを恨み敵討ちに出兵、久坂さんは自害したのが禁門の変。慶喜さんを指揮官とした一橋家、会津藩、桑名藩の連合と長州藩の戦争。戦場は京都御所。敗走した長州藩は京都に火を放ち、どんどん焼けと呼ばれる大火事になった。
高杉さんは無謀だと止めたが久坂さんを制止出来なかった。2人は8歳の頃からの学友である。
薩長同盟はその3年後にようやく結ばれた。
これが俺の調べた史実だ。もともと歴史は苦手だったから、今まではまったく知らなかった。
薩摩藩は長州藩と同じく外国に攻撃を受けていた。同じような立場の地理的にも近い藩の関係が悪化したのは八月十八日の政変がきっかけだったが、
幕府体制を変えたいというのはどちらの藩も一緒で、性急で過激派が多いのが長州藩、穏便に幕府を懐柔していこうとする派が多かったのが薩摩藩で対立してしまった、要は内輪揉めがこじれたのだ。
やがて幕府体制がまったく変わらないことにしびれを切らしたのが薩摩藩の過激派で、一藩ではとても勝てないと考えた長州藩とお互いに歩み寄った、それを仲介したのが土佐藩の龍馬さんである。
激動の時代だ。きっかけ次第で昨日の敵は今日の友になる。
薩長同盟は幕府の攻撃に備える為の不可侵条約のようなものだ。幕府の長州征伐で薩摩藩が出兵を拒否したのは同盟の条約通りを実行したからだ。
だから俺はきっかけを早めた。危険な賭けだったが中川宮の幽閉に成功した。そこで薩摩藩の政治力を奪い、過激派に同盟を申し込む。倒幕ではなく、外国を打ち倒す為の同盟。
古高さんを救出し、久坂さん達は出兵しない、禁門の変は起こらなかった。
そして、龍馬さんの尽力で薩長同盟は結ばれた。薩摩藩、長州藩、土佐藩の3藩の同盟という形で。
有栖川宮様の働きかけで、外国へ反撃の許可を取ると、案の定、幕府の態度は一変した。遅れを取るわけにはいかなくなったからだ。
そこで元々、外国へ対抗する為に軍事に力を入れるべきだと論じていた勝海舟さんが発言力を強めた。神戸に新設していた海軍操練所、史実では反幕の巣窟になっているとして取り潰しになった組織。
それを主体に幕府が中心となり薩摩、長州、土佐を従えて戦おう、と。
この流れは予期していたことだ。薩摩藩や長州の過激派も前もって高杉さんや龍馬さんたちが説得済みである。戦力は増えたほうがいいのだ。
ただし条件を提示した。
総大将は一橋慶喜殿に委ねたい、と。
「ついにここまで来たね。」
「お疲れ様でした、説得大変だったでしょう。」
「まあね、でも薩摩と長州の連中を巧く扱えるかたが他に居るのなら役目は譲ると言ったら、誰も手をあげなかったよ。」
「あはは」
「何を笑っとるんや、2人とも。」
室内に入ってきた藍屋さんが顔をしかめて苦言を呈する。
「だいたい、その格好はなんや、慶喜はん。」
慶喜さんは西洋の軍服を身に纏っている。
「似合うだろ?」
「似合いますよね、金髪だし。」
「奏音くん、そここだわるよね。」
「ちょっと、Hey,you!って言ってみてくださいよ。」
「へいゆう?」
「イントネーションが違うな。」
「英語解らないってば。」
「あんたら緊張感なさすぎちゃいまっか。」
船の上に居るのだ。幕府が長州征伐の為に造った船で、今は長州を救出する為に下関を目指している。高杉さんたちも別な船に乗ってともに航海中だ。
池田屋事件は6月。
長州がイギリス・フランス・アメリカ・オランダに下関砲台を占拠されたのが8月。
今は7月だ、なんとか間に合う。
さあ、気合いを入れよう。
この国は必ず守る。この連合軍なら行ける。
呆れ顔の藍屋さんに慶喜さんと2人でニヤリと笑って言い切った。
「余裕の笑みってやつです。」
「お手並み拝見しまひょ。」
芹沢計画の時と同じ台詞を口にして、藍屋さんも笑った。
(5)作戦会議
軍会議が始まった。下関に設置した作戦本部で高杉さんたちが外国に対抗する為に長年かけて作った海図を広げてみんなで頭を突き合わせている。
「やつらが停泊しているのはここだ。」
「下関砲台から砲弾が届かない位置なんです。」
「その代わり奴等の船の砲弾も届かないが。」
「脅しのつもりなんだろうね。」
「なめやがって。」
「頭数は揃えたし、船も揃ったのだからこちらが沖に出て応戦するのはどうだ。」
「一戦交えてないからそんなことが言えるんです、性能が違うんですよ。」
「なんだと?」
「まあ落ち着きなはれ。」
「奏音くん。」
みんなの討論を聞きながら海図をじっと眺める俺に慶喜さんが聞いてくる。
「お前はどう考えてる?」
「よく出来た海図ですね、すごいな。作るの大変だったでしょう。」
え、そこ? という空気になったが、俺は感心していた。携帯電話の地図アプリとほぼ変わらない出来。ここに来て思うのはアナログだというだけで、人々の知恵や技術力は昔も未来もあまり変わってないということだ、日本人の勤勉さ、器用さはずっとずっと太古から練面と受け継がれたものなのだと実感する。
俺はこの戦いの突破口はそこだと思ってる。
「ここに、渦は無かったですか?」
地図アプリに気象庁アプリを連結させて潮の流れを見る。古高さんに携帯電話を嵌め込める辞書型の入れ物を作ってもらったのだ。
指でタップして画面を切り替えると、ページをめくる音がする設定にしているから周りには本を読んでいるように錯覚させられる。
海図を指差し聞く俺に長州藩の軍師、大村さんは頷いた。
「ええ、あります。潮の流れがぶつかって波も荒れてますね。」
「そこに人は潜れますか? 海女さんとか漁師さんとか。」
「潮の流れがぶつかるほうが魚は多く獲れるからな、よく銛を持って潜っているようだが……それがなんだと言うんだ?」
身分にとらわれない倒幕組織、奇兵隊を作った高杉さんは漁師とも交流があるようだ、説得は高杉さんにお願いしよう。
「船底に穴を開け、奴等の船を沈めます。」
「あほか、銛で開くわけなかろう。」
「銛ではありません。」
ずっと考えていた。イギリス・フランス・アメリカ・オランダの四国の連合艦隊。攻撃力も防御力も勝る相手をどうやって打ち倒せるか。
数を揃えて自滅覚悟で特攻させれば追い返すことくらいは出来るだろう。
逆に言えばたくさんの犠牲を出して追い返すことしか出来ないということだ。それでは意味が無い。すぐに奴等はやってくる。
奴等は上陸はしない。本土決戦ならこちらの数に勝てないからだ。あくまで海の上で遠隔攻撃でこちらをいたぶり、降参するのを待っている。
それを利用する。海の上、全てを海に囲まれた地理を利用する。
戦国時代、同じく外国船が攻めてきたとき、起きた自然現象で二度も攻められずに済んだ。
神風、と呼ばれ、未来にもたとえとして未だに残っている。
あれと同じようなことを、今度は意図的に起こす。
「これを見てください。」
ゴリリと音をたてて鉄板を引きずる。持ち上げようとして持ち上がらなかったので高杉さんが持ち上げてくれる。それを机の上に置いてもらう。
その上に風呂敷包みを置いて結びをほどく。中から器具を出した。
テコの原理でぐるぐると取っ手を回すと、ガリガリ、ゴリゴリと音がして。
およそ30秒で鉄板を丸く切り抜く穴が開いた。
医療器具に同じような頭蓋骨に穴を開ける為の器具があるのだ。古高さんのつてで刀鍛治職人に作ってもらった。
「鉄板を持ち上げられない俺でも簡単に穴が開けられます。つまり、」
「銛を持って潜る男衆ならば」
「はい、海の中でも穴が開けられると思いませんか。」
絶句して俺を見つめるみんなにニヤリと笑って言った。
「身分にとらわれず、協力体制で。外国を打ち倒すんです。藩を越えて協力するだけじゃなくて、商人と職人と漁師と百姓と。日本人全員で手を組むんです。この器具は刀鍛治職人が作ってくれました。資金を用意してくれたのは俺が診察した商人たちです。潜るのは漁師。作戦を考えるのは薬屋の俺。」
海図を指差し宣言した。
「今度は武士の出番です。奴等をここに追い込み、銛漁師が船底に潜れる為の戦術を考えてください、お願いします。」
(6)船上の攻防
夜襲を仕掛けることになった。地理はこちらが知っている。船の大きさや武器は外国船が圧倒していても夜ならなんとかなりそうだ、と大村さんは言った。
壮観な眺めだった。未来の将軍徳川慶喜と生きていれば間違いなく総理大臣になっただろうと言われている吉田さん、高杉さん、そして、初代総理大臣の伊藤博文さん、坂本龍馬さんたちが、顔を揃えて、
みんなで、日本を守る為の会議をする。
こんな凄いことがあるだろうか。未来の大学の同期に歴史が大好きな友人が居た。あいつだったらもっと興奮していたんだろうな。
高杉さんが銛漁師を何人も連れてきてくれた。その中でも名人と呼ばれている5人に役目を頼むことにした。三分半も息を止められるらしい。
まずは外国船に夜襲を仕掛けて交戦を開始する。逃げたり追ったり、大砲を撃ったりしながら、渦の方へ誘導する、そして小舟を出して、気づかれないように引き付けながら、漁師が穴を開けてくれるのを待つのだ。
「舵を右に切れ!」
「海に落ちるなよ!」
「砲弾が来ました!」
「全員船首に避難せよ!」
「撃ち返します!」
「距離を取るぞ、急げ!」
怒号と報告と指示が飛び交う。暗闇の中でどこから攻撃が来るか判らない状態はめちゃくちゃ怖かった。
「奏音、危ない!」
グイッと腕を引かれて、後方に尻餅をつく。船上の床に叩きつけられるように腰を打って痛みに顔をしかめていると、目の前に砲弾が撃ち込まれて折れた帆の破片の塊がグシャリと落ちた。こんなの頭に当たったら即死だ。
「お前は船室に居ろ。」
その命令口調に違和感。あれ? この声って。
「秋斉さん?」
背中を抱き止めてくれていた人を振り返ると、やっぱり藍屋さんだった。
「早く船室に。」
「あの、」
「なんだ?」
「なんで京都弁じゃないんですか?」
「そんなこと気にしてる場合やない、はよ隠れなはれ。」
指摘したら京都弁に戻った藍屋さんに抱き起こしてもらいつつ、
「嫌です、自分だけ隠れるなんて。」
と反論すると子どもを抱くように抱き抱えられて無理やり船室に運ばれた。
「ちょっ、秋斉さん、嫌だって言ってるのに!」
船室の中に下ろされて、なおも反論しようとしたら、口を手で押さえられてもう片方の指で黙れという仕草をされる、その美しさに見とれて一瞬呆けると、
「あんさんのことは、ちゃんと認めてる、邪魔になんて思ってへん。」
「でも、」
口を押さえていた手で頭を優しく撫でられる。
「頼りにしてるのはこの頭の中身や。誰も替わりは居ぃひん。腕っぷしは他の人らに任しとき。」
「うう、」
「みんな、そう思っとる。だから、ここに居なはれ、ええな?」
悔しい、庇われたくないのに、一緒に戦いたいのに。
「ええな?」
「……はい。」
不服顔で頷く俺に藍屋さんは苦笑した。
「しかし、長いな、持つやろうか。」
渦周辺にはもう誘導済みだ。小舟はだいぶ前に出している。
失敗だろうか? 途中で気付かれて撃たれたのだろうか? それとも、渦に巻き込まれて上手く泳げなかった? 器具を回せなかった? 器具を海底に落としてしまった?
船上は砲弾を何発も撃ち込まれてボロボロだ。他の船も同じだろう。このまま外国船が沈まなかったら、全滅だ。
それでも俺を信じて作戦を実行してくれた、命を預けてくれた。
俺のせいで、仲間が死んでしまうかもしれない、その恐怖に手が震える。
「うおぉぉぉ!」
外で叫び声が聞こえると、それを合図にしたかのように一斉に皆が騒ぎだした。
「沈む! 沈んでるぞ!」
「よし、よし、よ~し!」
「やった! やった!」
「我々の勝ちだっ!」
藍屋さんと顔を見合わせる。2人の顔に笑顔が広がって健闘を讃えて抱き合った。
「奏音くん、沈んだよ、やったよ!」
そこに慶喜さんが興奮して入ってきて
「なに、いちゃついてんの!?」
とか言うから。
「いや、いちゃついてません。」
「誰も、いちゃついてへん、あほでっか。」
と返答が重なって、俺と藍屋さんは同時に吹き出したのだった。
(7)分け隔てなく
船はゆっくりと沈んでいく。完全に沈没するのには時間がかかる。構造上そうなっているのだ。
外国船の甲板では大混乱が起きていた。もう夜襲の意味は無いので、合図をして全ての自国船でかがり火を煌々と焚いていた。
敵軍はまさか船が沈むなんて思ってなかっただろうし、日本人に自分達が負けるなんて想像もしていなかったんだと思う。
甲板を右往左往し、こちらへの攻撃は止み、どうにか船が沈まないようにする手立てはないか模索しているようだ。だが一度沈み始めた船が立ち直る術など無い。
ゆっくりと確実に沈んでいく船とひたひたと近づく死神の足音に恐怖心を煽られる頃に、自国船上で横断幕を広げた。
『武器を持たずに海に飛び込めば救助する』
と英語で書いてある。
もちろん、最初のうちは誰も飛び込まなかった。罠だ、捕らえられて殺されるのだ、と考えたのだろう。彼等は日本人を解ってない。そんなことを日本人がするわけないと、世界が理解するのはもっとずっと未来の話だ。
沈みゆく恐怖に耐えられなかった一人が海に飛び込んだ。それを銛漁師たちが助け出して小舟に乗せる。事前の打ち合わせ通りに俺の乗っている船に連れてきてくれた。
『こんばんわ。服を脱がせます。そのままでは風邪を引いてしまう。』
相手は目を見開いた。英語で話しかけられるとは思ってなかったらしい。
俺は甲板上のかがり火の下、敵側からもっとも見える位置に立って相手の上半身の服を脱がせて、肩口にあった傷を治療し始めた。消毒し、傷薬を塗り込み、包帯を巻く。
『あんた医者なのか。』
『いや、薬屋です。』
『俺は捕虜になるんだろう? 何故治療する?』
『捕虜になんかしませんよ。国に帰ってもらうだけです。』
『えっ、俺は国に帰れるのか?』
『はい。』
治療されながら、話をし、捕らえられも殴られもしない様子を見た何人かが海に飛び込む。それをまた救助し、船に引き上げ治療する。それを繰り返していると、あとは芋づる式に次々と飛び込んだ。
全員の救助を終え、ゆっくりと沈んでいく外国船を尻目に作戦本部へと引き上げる。慶喜さんの部下や伊藤博文さん他数名と俺と翔太しか英語を解する人間が居ないので、言葉は交わせないが、食べ物や飲み物を分け与え、黙々と応急措置の治療をしていく日本人たちに彼等はただただ呆然としていた。
強きを挫き、弱きを助ける
困ったときはお互い様
ずっと昔からあることわざ。日本人の資質は変わっていない。
作戦本部に着いてからは大忙しだった。敵側と味方側の怪我人の治療。慶喜さんが手配してくれた医療班と一緒に敵味方は問わず重症の患者から処置を施していく。
治療に収拾がついた頃には夜が明けていた。敵側の見張りを頼んで、俺と翔太と医療班は泥のように眠った。
そして一夜明け、城の座敷に各国の代表を座らせた。座敷の前方には白い砂利でしつらえた闘技場がある。コロシアムのようなものを想像でもしているのか、自分達は今から処刑されるのだろうな、と身体を細かく震えさせ、顔面をひきつらせていた。
代表者の周りには高杉さん、久坂さん、吉田さん、龍馬さんが銃を構えて立っている。
二本の刀を彼等の目の前に運び、鞘から刀身を抜き出させると後退りした。上層部の人間だ、日本の切腹文化も知っているのだろう。
『いまより、余興を御覧いただく』
俺の口から出た言葉も自分達に向けられたのではなく、自分達の処刑が余興扱いされているとでも考えていたにちがいない。
二本の刀を藁でこしらえた土台に挿し込み固定して、闘技場に持っていく。
そして高杉さんたちが刀を狙って銃を撃った。
高杉さんと龍馬さんの顔がマズイ、笑いすぎだ、楽しんでるな、あれは。この2人に銃を持たせるのは危険だ。
その後、バラバラに二分された薬莢をわら半紙の上に乗せて彼等の目の前に置く。
『見てください。まったく刃こぼれしてないでしょう。』
キラキラと耀きを放つ刀身を見せると、堪らず「オマイガッ」とこぼし涙目になっていた。自分達の首を落とす刀の切れ味を見せられたとでも思っているらしい。
そんなことはしない。ただ別なものを目に焼き付けてもらう。
「御二人、頼みます。」
新撰組の隊服姿の土方さんと沖田さんが座敷に入ってくる。
2人に刀を差し出した。
古高さんの一件以来、2人には会ってない。不安はあった。けど、慶喜さんの働きかけで2人とも戦いには参戦してくれた。
今は味方だよな? そう思っていいんだよな?
「奏音さん。」
沖田さんがパミュパミュではなく、名前を呼んでくれる。
「どうしたらいいんですか? 土方さんを倒します?」
「え?」
「だってたくさん意地悪されたでしょう? 私が仕返ししてあげますよ。」
「阿呆、そんな狙いじゃねえだろう。」
新撰組の屯所に剣術を習いに行っていた時と同じような態度。沖田さん、やっぱりあんたが一番大人かもしれないな。
土方さんが少し気まずそうにしながらも聞いてくれた。
「奴等にどう思わせたいんだ?」
嬉しくて2人に飛び付きたくなるのを我慢してお願いをする。
「剣術の強さと美しさを見せつけてください。」
「承知した。」
「お安いご用です。」
重なる2人の返答に俺は堪えきれずに嬉しさで笑ってしまった。
(8)侵略には屈しない
砂利を踏みしめる音を鳴らしながら土方さんと沖田さんの真剣勝負は白熱していた。
剣術は最近習った程度だが2人のレベルがとても高いことだけはよく判る。
高杉さんや久坂さんや吉田さんや龍馬さんも悪童と呼ばれ鬼神の強さだと謳われた沖田総司の剣技に見いっていた。
それと互角に勝負している土方さんも相当な強さだ。俺、あの2人に命を狙われてよく助かったよな。
つばぜり合いのあと、ガキンと刀を打ち付け合い、双方間合いを取る。しばしの緊張、土方さんがザシュッと踏み込み沖田さんの懐に入った。そのまま刀を横に振り切るが、沖田さんは高く跳躍し、刃を避けた。そのまま刀の柄で土方さんの肩をドスッと打ち付ける。膝をついてうずくまった土方さんの首にヒュッと刀を降り下ろし寸止めした。
「勝負あり!」
「ふふ、私の勝ちですね。」
「剣術でお前に勝てる奴なんざいねえよ。」
沖田さんが土方さんに手を貸して立ち上がらせる。お互いに礼をしたあと、座敷に向かって一礼した。俺は拍手を贈る。高杉さんや龍馬さんたちからも拍手が贈られ、座敷に座らせられた各国の代表者はぽかんとしていた。
『仕合と言います。殿様や客人に見せる為の武士のおもてなしです。』
『もてなす? 我々を?』
『ええ、あなたがたをもてなしてます。』
『何故……?』
『日本人の意志を示す為です。』
俺はにっこりと笑って次の準備にかかった。
「秋斉さん、お願いします。」
藍屋さんが座敷に入ってくる。花里ちゃんや菖蒲さんもだ、置屋は店仕舞いをし、女の子も全員連れてきた。菖蒲さんたちの舞が始まると秋斉さんは彼女たちが身に纏う艶やかな着物の説明を始めて、俺はそれを通訳した。
『日本の着物です、素晴らしい出来でしょう?』
着物の刺繍に見惚れて溜め息をつく彼等に俺はきっぱりと言う。
『あなたがたは何か大きな勘違いをしておられるようだ。
日本を何だと思っておられた? 鎖国が続き、文化レベルの低い、知恵もない野蛮人が住む国だとでも?
こんな小さな島国、簡単に占領し搾取できるとでも?
武力が無いから、外国に抵抗しないとでも?
そんなふうに思われていたのなら、
勘違いも甚だしい。我々をなめないで頂きたい。』
ドンドンドン!と和太鼓の音が聞こえ出す。
俺は各国の代表者に外に出るよう促す。
城の庭で馬揃えが始まっていた。
慶喜さんが呼び寄せた会津藩の軍勢。一糸乱れぬその整列に時の帝が惚れ惚れとして、会津藩は京都守護を任されたのだ。土方さんと沖田さんが眩しそうに誇らしげな顔でそれを見つめる。
『先ほど仕合をした2人のお仲間です。』
あの剣術を見せた2人の仲間が大勢居る、という事実を知らしめて、度肝を抜くと同時に。
そこに飛行機が降りてくる。
人力飛行機。代表者たちが口をあんぐりと開けた。
ライト兄弟が人力飛行機の飛行に成功し、世紀の偉業だともてはやされる数年前に江戸で人力飛行機は既に造られていた。江戸っ子には「空なんか飛んでどうすんだい、走ったほうが早ぇじゃねぇか。」と見向きもされなかった偉業。
日本人はアピールをしない。江戸時代、完璧な上水処理施設を造っていた文明は世界のどこにもない。
飛行機から降りてくるのは、もちろん目立ちたがりや、美味しいとこどりの幕末戦隊ゴールド。金髪美男子、慶喜さんだ。
『あのかたが我々のトップです。』
通訳しながら、ちょっと笑いそうになる、耐えろ、俺。もう少しの辛抱だ。
『長年鎖国し、交流が無いから、あなたがたの言葉を解する人間は少ないでしょうね。だが我々の技術はなんら外国より劣っているものなどない。船が沈んだのは偶然ではない、我々の技術です。
国に帰って伝えられよ。我々は誠意を示して、交流と貿易を望む国であれば真心をこめておもてなしをする。
ただし侵略の意志や、不当な条件で貿易を求め搾取の意志を察した場合、ただちに叩き潰す。次に大砲を積んだ船で来てみろ、今度は助けぬ、一隻残らず海の藻屑にするぞ。』
謙虚なのは日本人の良いところだ。
だが、侵略者相手にも礼儀を通しもてなす必要はない。
誰にでも判りやすい言葉と態度で自らの意志を世界に伝えること。
それが外交だ。
(9)宴のなかで
「奏音殿!」
「はい。」
「奏音殿!」
「なんですか?」
「感激しました! 感動しました!」
久坂さんに手をがしっと握られ熱く語られる。嬉しいが、こうエンドレスだとさすがに暑苦しい。
完全に酔ってるな、このおっさん。
高杉さんの1つ年下だから23歳の筈だが、この時代は平均寿命が50歳だから、なんだかおっさんに見える。
高杉さんが俺の事を14、5の子どもだと思ったのも、男にしては華奢な体つきだけじゃなくて、はだ艶のせいもあるんだろう。
そういう高杉さんは俺が調合しているサプリメントでだんだん肌が綺麗になっていて若返っているから、
俺に若返りの薬を依頼してきたり、禿げを治してくれ、とか言ってくる輩が増えているのだが、ふざけんな、器具も材料も少ない中で沖田さんと高杉さんの薬と患者の薬で手一杯だ、大量生産なんか出来るか。
「すみません、ちょっと俺、慶喜さんのところへ行きます。」
とその場を抜け出そうとすると、
「やや! 軍師奏音殿が総大将慶喜様の元へと参られる! 道を開けろ!」
と叫ばれる。あぁ、酔っぱらいはうぜー。
が、しかし、気分の高揚は抑えられない。
城中でどんちゃん騒ぎの最中だ。藍屋の女の子全員でおもてなし、舞い、演奏し、酌をしてまわっている。
琴を演奏している花里ちゃんと目が合ってクスクスと笑われた。俺は苦笑を返す。
慶喜さんのもとに行くと
「俺の登場、すごく格好よかったよね? いや~飛行機の乗り心地、最高だったよ。」
と自慢に付き合わされている会津藩武士と近藤さんが困っていた。やれやれ、こっちもエンドレスか。
不意に足をがしっと掴まれて
「うおっ!?」
と転びそうになる。酔っぱらって寝転がっていた藍屋さんだった。うわ、珍しい、藍屋さんまで酔っているとは。
「奏音はん、」
「はい?」
「すぴーどやろ。」
「はぁ!? トランプなんて持ってきてませんよ!」
「なんでや! 船にはあったやないか!」
「みんなで宴会するのに持ってくるわけないでしょう、船に置きっぱなしです。」
「ほうか。」
眉尻を下げて残念そうな顔をする。うっ、可愛い。
「江戸への航海中にたくさんトランプしましょう、新しい遊び方も教えます。」
「約束してや。」
指切りをして約束をすると、そのまま眠ってしまった。ツキンと胸が痛む。約束。守れるだろうか。
「まっこと良い眺めじゃのう。」
龍馬さんに後ろから声をかけられる。
「奏音、あれ見てみい。」
新撰組の沖田さんと長州藩の吉田さんが腕相撲をしていた。新撰組対長州藩で勝ち抜き戦をしているらしい。土方さんが腕捲りして自分の番に備えて楽しそうに笑っている。
「斬り合いやのうて、腕相撲じゃ、仲良きことは良きことじゃのう。」
「本当ですね。」
本当に、その通りだ。
「日本の夜明けは来ましたか?」
「うん?」
「龍馬さんがそう言ってくれないかなって。」
「わしがそう言うと、未来に伝わっとるんか?」
「……翔太から、聞いたんですか。」
「日本の夜明けはとっくに来とる。」
「え?」
「中川宮計画の時に集まったじゃろう、長州藩と幕府が。あの時から夜明けなら来とった。"ひわたりかなた"とは良く出来た名前じゃ。おまんの名前が引き寄せたんかもしれん。」
「俺の名前?」
「未来の彼方から来て、皆に灯を渡しおった。日を渡って現れた。音を奏で、大勢の心に響かせ、陽を渡らせる。夜明けはおまんが引き寄せたんじゃ、まっことおまんは大した男よ。」
目頭が熱くなる。
「誉めすぎですよ。」
顔を反らして照れる俺に、かっかっか、と龍馬さんが笑う。ちくしょう、不覚だ。なんなんだ、この人は。人をその気にさせる天才だな、だから薩長同盟も成功させられたんだろう。
「仕返ししますからね。」
「おおっ?!」
「龍馬さんが滅茶苦茶恥ずかしがることをさせますから、覚悟しといてください。」
そう言い捨てて立ち去る俺の背中に
「おまん、何するつもりじゃ!?」
と焦っている龍馬さんに笑ってしまう。まあ本人は嫌がるとは思うが、反対する人はこの時代にも未来にも居ないだろう。俺はこの人を初代総理大臣にするつもりだ。
(10)別れの予感
「なんだ、奏音、何処に行くんだ?」
龍馬さんのもとを離れ、座敷を出ると、廊下で高杉さんに声をかけられる。
「高杉さんこそ、ここで何してるんですか?」
「目の前に酒があると呑んでしまうからな、避難だ。」
「え、呑んでないんですか?」
「お前が呑むなと言ったんだろうが。」
「控えてくださいとは言いましたけど。」
「一滴呑んだら止まらんのだ。」
あんなにお酒好きだったのに。どうしたんだろう、まさか、まさか労咳にかかったんじゃ、
「俺はお前に会って考えが変わったんだ。」
「え?」
「いつ死んでもいいと思っていたんだが。俺はお前と共に永く生きたくなった。」
高杉さんがめずらしく柔らかく笑って俺の頭を撫でる。
「お前の寂しさは少しは減ったか?」
「寂しさ?」
「家族に会えない寂しさは埋められようもないが。俺は、俺たちは、お前の寂しさを軽く出来ているか?」
想いは繋がる。たとえ会えなくなっても、寂しくても、出会った結果の別れが寂しいのは愛された証だ、哀しくはない。
高杉さんに言われた言葉。
腹から熱いものがせりあがり堪えられなくなって口を抑えた。
「うっ、」
「おい、どうした?」
「呑まされすぎました。」
「気分が悪いのか?」
「ちょっと外に行きます。」
「ついててやろう、歩けるか? 運ぶぞ?」
「いえ、吐いてるのを、人に見られたくないです、」
「そうか、気をつけろよ?」
心配する高杉さんを置いて廊下を歩き、中庭の井戸へと向かう。
「うっ、ううっ、」
堪えられない。
「ふっ、ううっ、」
涙があとからあとから零れて止まらない。
着物の袖をまくりあげる、自分の左腕を確認する。やはり変わってない、見間違いや、錯覚じゃない。
肘の周辺が半透明になり、地面が見える。俺は消えかけている、いつ消えるのかも解らない。
歴史に関わり、変化させ過ぎた結果がこれだろうか、どこに居るかも定かじゃないが、これが神の采配なのかもしれない。
「奏音くん。」
幼なじみが俺を呼ぶ。
振り返ると、切なそうな顔で笑って
「やっぱり、奏音くんもなんだね。」
そう言って着物の片側だけを下ろすと、右胸が透けていた。
「歴史を変えすぎたんだな、俺たち。」
「うん、そうかもね。」
「けど、まだ消えかけてるだけだ。」
「うん。」
「でも、たぶん、俺が今からやろうとしていることで。消えちゃうと思う。」
「うん。」
「翔太、お前が嫌なら、俺はやらない、だから、」
「奏音くん。」
翔太がニッコリ笑って首を振った。
「おなじなんだ。」
「翔太。」
「僕も。奏音くんと同じことを考えてると思う。」
「けど、お前は、一回消えてるじゃんか、今度は、しなくていい、選ばないことだって出来るんだぞ?」
「選べないよ。僕、頑固なんだ、知ってるでしょ?」
知ってるよ、産まれた時からずっと一緒に居たんだ。
「それに僕は消えてないよ。奏音くんが残してくれた。消えたのは奏ちゃんでしょ。」
「消えてないよ。俺は言葉遣いだけ変えただけだ。もともとこんな感じの性格だっただろ。」
「そうかも。ふふ。」
「翔太。ほんとにいいんだな?」
「うん。」
「俺と一緒に消えてくれるのか。」
「うん。一緒に未来を変えようよ、奏音くん。」
「ありがとう。」
ギュッと翔太の胸にしがみつく。
「お前が幼なじみで良かった。」
決意は出来た。覚悟も出来た。なのに涙が止まらない。
ずっと慶喜さんの手伝いをしたかった。秋斉さんとトランプがしたかった。土方さんの為に短歌も覚えようと思ったんだ、古高さんと新しく商売を始めてめちゃくちゃ儲けてやろうかな、とかさ。
高杉さんに英語を教えて、高杉さんの夢の海外留学も手伝いたかったし。
この時代に生きるのが楽しく思えてきてて、やりたい事や夢がたくさん出来て、仲間が増えて寂しさなんて時折思い出すくらいだったんだ。
なのに、もうすぐお別れだ。
寂しい。
寂しい。
哀しくはないよ、俺はあんたらが大好きだ、みんなみんな愛してる。
神様、もし居るのなら、願いを聞いてくれるなら、あと少しだけ。
俺の理想を叶えられるまでの猶予をください。
(11)告白
高杉さんや龍馬さんたちは下関に残り、外国船に対抗出来る船造りが研究され始めた。
薩摩藩は自国に戻り、銛漁師を従えて交戦の準備に入ったが、外国船は既に撤退していたと知らせが届いた。
俺は会津藩や藍屋さんと江戸に向かい、慶喜さんは京都に戻った。
江戸の瓦版屋の協力で今回の戦闘の詳細を刷りあげ、飛脚に依頼し全国に届けた。
将軍の家茂公が亡くなると、下関での功績が讃えられ、慶喜さんが将軍になった。
慶喜さんは持ち前の政治手腕を発揮し、幕府が結んでしまった不当条約を次々に撤廃、真っ当な貿易が出来る条約を結び直した。
そして、その作業が終わってから、大政奉還をする。
世論は長州、薩摩が幕府と手を結んだことで倒幕の流れの勢いは落ちていた。そこに大政奉還が来たものだから、皆大層驚いた。
それも瓦版で流布する。
徳川家、長州藩、薩摩藩、土佐藩、会津藩、桑名藩が一体となって、朝廷の命を受けて、みんなで政治を行いましょう。
慶喜さんの思い描いていた、龍馬さんが夢見ていた、理想が実現したのだった。
そして、江戸城において法律制定の会議が始まった。
政治家になった皆は洋装のスーツを身に纏い集合する。
俺は慶喜さんの政治秘書として参加していた。
藍屋さんの秘書は菖蒲さんだ。うわ、スーツにメガネの菖蒲さん、めっちゃ綺麗だな。なんとなく藍屋さんっぽい、深い意味はないけど。
この日の為に書き貯めていた法案を全員に配る。
「総理大臣を……国民が選ぶ?」
「いずれ、です。10年後を想定しています。政治塾を開いて、その門下生から立候補を募い国民に投票をしてもらいます。」
「党政治にはしないのか?」
「癒着と票集めで無駄金が動くのを避けます。国民全員の票を金で買える人は居ないでしょう、居たらすごいですが。そこまですごかったら総理大臣になってもらってもいいだろうし。任期は3年ですからね。」
「身分は問わず、優秀であれば誰でも立候補可能……」
「はい。」
「最初の10年はどうするんだ?」
「ここに居る政治家のかたで回しましょう、話し合いで選びますか、俺は、初代は龍馬さんが良いと思ってますが。」
ぶふっと龍馬さんが飲んでたお茶を吹き出す。咳き込んでるあいまに理由を説明してしまう。
「国民には、幕府でもない、倒幕派でもない、まったく新しい政治だと思われたいんです。ですから、薩長に手を組ませ、幕府の佐幕派ではない勝さんの部下で、身分も普通の龍馬さんがなるのが一番良いと思うんです。」
「奏音。」
高杉さんが挙手する。おかしな人だ、礼儀正しいんだか乱暴なんだかわからん。まあ育ちが良いから、か。
「その意見はもっともだし、坂本殿で異存はないが、俺はお前がなるのが一番良いと思うんだが。」
「賛成。」
慶喜さんがニヤリと笑って手を挙げる。
「わてもや。」
続いて藍屋さんが、立て続けに全員が、俺を見つめて、ニコニコしながら手を挙げていた。
泣いてしまいそうだ。
でも耐えなきゃならない。決意は固めた。何度も何度も泣きはらしたんだ、そろそろ涙枯れてくれよ、頼むから。
「俺ではダメなんです。」
「何故だ?」
「3年も持ちません、俺には時間がありません。」
皆、動揺した顔をする。
「病か?」
「あんた医者だろう?」
俺は袖をめくって、みんなに消えかけている左腕を見せた。その場の全員が息を飲むのが聞こえる。
「俺は間もなく消えるのかもしれません。いつかは解らない。」
「どういう、ことだ? なんだ、それは?」
動揺が広がるなか、以前に異世界から来たと話した高杉さんは静かな口調で尋ねる。
「異世界に戻れるかもしれないのか?」
そんな展開だったら、寂しくても笑って見送ってくれるんだろうな、この人は。
そうやって嘘をついたほうがいいのかもしれなかった。
けど、もう遅い。俺はあんたたちに心を許しすぎている。嘘はばれるだろう、騙し通せる気が全くしない。
だから、辛いけど、寂しいけど、本当のことを打ち明けよう。
「俺は、俺と翔太は未来から来たんです。」
龍馬さんと翔太以外の全員が凍りついた。
「西暦2018年の日本から来た日本人なんです、俺たちは。あなたがたの子孫なんです。」
(12)決意
「西暦と言うと、今は何年だったか?」
「1865年ですね。今から150年後の未来から来ました。」
「150年……」
「想像つかないですよね。まぁ。」
俺は携帯電話のカメラでカシャッと皆の写真を撮るとそれを見せてみせる。
「こういう機械を国民全員が持ってるような時代です。」
「未来から、」
「未来から来たから、だったんだね。日本語が巧すぎるはずだよ。」
慶喜さんが納得した、という顔で頷く。
「あんさんが妙に物知りな割には常識はずれだったんはそのせいやったんか。」
すみません。居候のくせに常識はずれで迷惑かけて。
「未来から来たのは解ったが何故消えかけてる?」
会津公の秘書で来ていた土方さんが聞いてくる。俺は泣き出してしまわないように大きく息を吸い込んだ。
「ここに居る人たちの半数以上は大政奉還の前に亡くなっていたんです。それが俺の知っている歴史です。」
「歴史を変えたっちゅうことか?」
「はい。」
「それで奏音殿が消えるのは何故なんですか?」
「解りません、神様の気まぐれですかね。」
「消えないかもしれんのやな?」
「そうですね、このまま体が透けてるだけでずっと居るのかもしれません。」
不安感を顕にしながらも、幾分、空気は和らいだ、だが。
「けど、俺にはどうしても変えたい未来があります、それを変えたら、俺と翔太は消えると思うんです。」
「自ら消える道を選ぶのですか、何故!?」
皆が俺を見つめる。迷うな。決めただろ。翔太も同じなんだ、叶えたい希望がある。
「第2次世界大戦に参戦しない未来を創りたいんです。」
「え……?」
「今から60年後、昭和に入った頃から、日本の周囲で世界的な戦乱が起きます。多くの文化人が絶対に参戦してはならないと訴えていたのに思想弾圧が起きて反戦派は迫害を受けます、非国民と呼ばれ、虐げられる。
伊藤博文さんが忠告をしていた。北に関わるな、と。南アジアの国と仲良くし、日本には素晴らしい風土があるのだから、なにも、ただ広いだけの枯れた大地など植民地にする必要はない、どこの国も攻める必要はなく、国土を守れば日本は沈まない、そう言っていたのに。
戦争に参加し、枯れた大地、満州を手に入れ、浮き足立ち、考えもせず、ひた走り、軍の内部にも、この戦争に意味はない、と訴える人間が何人も居たのに口を封じ、その結果、
原発を落とされて、町が二つも滅びました。何もない荒野になったんです。沖縄は侵略され、植民地になった。」
「じゃが、奏音、おまんのいた時代は平和だったんじゃろう? 翔太やおまんを見てたら判るが。」
「そうですね、平和でした。」
「じゃったらなんも自分が消えてまで変える必要なかろ?」
「そうだぞ、奏音。お前のせいではないんだぞ? 何故お前が自分の身を犠牲にする必要があるんだ。」
高杉さんが目を赤くして説得にかかる。
「あなたがたに出会ったからです。」
皆を見回す。尊敬してる、愛してる、大好きな、俺の仲間。
「皆が意見を出しあい、誰にも弾圧されず、皆で仲良く政治をする世界。せっかく、その理想が叶ったのに。あんたたちが命懸けで守ったこの国を、風土を、景色を、人びとを、たった60年で焼け野はらにするなんて、侵略されるなんて、俺は我慢がならない!
ここに来る前は、あんたたちに出会う前は、そんなこと考えたこともなかった。歴史なんてよく知りもしなかったんだ。
けど、俺は解ったんです。俺は12歳の時にめちゃくちゃデカイ地震と津波で友人の半数を亡くしました、家も思い出の品も全部波に流されて、遊んでた公園とか学校とか全部瓦礫になったんです。
そんときに政治家の誰かが言いました、日本人は贅沢をし過ぎたから、天罰が下ったんだって。俺は幼くて自分の言葉でその時の怒りを説明出来なかった。
けど、今なら解る、言える。人が大勢死ぬことに
"あって良かったなんて絶対に無い"
なのに未来の俺たちは戦争があったから今の経済発展と平和があるんだとか平気で言いやがる。きっと俺も言ってた。あの震災が無かったら平気な顔で、そう言ったと思う。
そんな時に。ここに来て、俺は、あんたたちに出会ったんだ。
それで解ったんです。日本人は昔から日本人で。日本人の良い所は、あなたがたの時代から、ずっと引き継がれたものだ。未来の日本には江戸時代の文化が色濃く伝わってる。江戸時代の文化は本当にすごいんだ、世界中どこを探したって、こんなに優秀な文化は無い。なんでそんなにすごいのか、解ったんです。
250年。俺が居た未来よりももっと長く、日本人は戦争をせずに平和に過ごした。明治時代も大正時代の文化も江戸から引き継ぎ素晴らしいものがたくさん残ってる。
不幸でなんか人は変わらない。
人間を豊かにするのは平和なんだ。」
(13)仲間
「戦争や災害が生み出すものなんか何もない。ただ人がたくさん死に、大切なものや場所が無くなって踏みにじられるだけだ。絆の再確認? それは最初から持っていたものを、失ってから気付いただけだ。そんなものあらためて気付く必要なんてない。そういうものは穏やかに日常に落ちてるからこそ、価値がある。
あの戦争で何十万人も人が亡くなりました。俺はそれを無くしたい。それがもし叶ったら、死んでた筈の人がたくさん生き残る結果になったら、戦争で好きな人と結婚出来なかった人が好きな人と結ばれるようになる。そうすることで、俺の両親や祖父母の誰かが生まれない結果になった場合、俺も生まれないことになります。
俺や翔太が消える確率が格段にあがる。そういうことです。
俺は、あんたたちが大好きです。出来ることなら、ずっと、ずっと、一緒に居たいです、
でも、でも、命懸けでこの国を守ったあんたたちに、子孫として、仲間として、友として、誇りを持って、胸を張って対峙するには、起こる不幸を未然に防げるかもしれない立場にあって、見てみぬふりをする俺じゃダメなんだ。
それじゃ、あんたたちの仲間じゃない。俺がそんな自分を好きになれません。そして、きっと、こういう時にこの道のりを選ぶ俺だから、みんな俺を好きになってくれたでしょう? 違いますか?」
涙なんてとっくに枯れたと思うほど、別れが寂しくて泣きはらしたのに、ボタボタと勝手に落ちてきて鼻水もだらだらと出てくる。
「馬鹿野郎、お前は本当に馬鹿野郎だ、」
高杉さんまで泣いている。みんな泣いていた。
「ずるい人や、そんなん言われたら何も言えへんやないか。」
すみません。最後まで叱られてばかりですね。
「頑固だよねえ、奏音くんは。」
あんたは人のこと言えないと思いますけどね。
「お前が居なくなったら、俺たちは仲が悪くなるぞ。」
不器用だなぁ、寂しく思ってくれてるのは伝わるけどさ、あとちょっとそれあり得そうで心配なんすけど。
「お願いします。俺を仲間として、男として、友として、認めてくれるのなら。俺の理想を実現する手助けをしてください。一人じゃできないんだ、頼みます。」
「のう、翔太、奏音を止めてくれんか。奏音は頑固じゃき一度決めたら動かんが、おまんが消えとうない言うたら考えなおすじゃろう? わしは翔太と離れとうない、消えんでくれ、頼む。」
龍馬さんが翔太の肩を掴んで懇願した。
「ごめんなさい。僕も奏音くんと同じ考えなんです。」
「なんと!?」
「龍馬さんに会ったから、龍馬さんと過ごしたから、龍馬さんの理想を一緒に追いかけたから。だから、僕もあの戦争を無くしたい。龍馬さんが目指した理想の日本を創りたいんです、奏音くんと一緒に。」
翔太。
俺の自慢の幼馴染み。
生まれたときから一緒だった。隣り合わせた家に住み、家族ぐるみで兄弟のように育った。
12歳の時に、東北大震災があって、仙台市に住んでいた俺たち家族は津波に流された。
その時に翔太の2つ上の姉、万宙(まそら)ちゃんだけが亡くなった。鉱物学の研究をする俺の父と宇宙工学を研究する翔太の父は幼馴染みで同じラボに勤める研究員だった。だから2人とも宇宙に由来する名前をつけられている。
翔太の母親は気丈な態度を貫き、翔太の前では決して泣かなかった。ずっと笑ってた。けれど陰で泣き続け、だんだんと衰弱していった。食べることが出来ないみたいで何を口に入れても吐き出す。点滴で栄養補給はしていたが、生気が無くなっていくのは止まらなかった。
だから俺と翔太は計画をたてたのだ。
翔太が万宙ちゃんの真似をし、俺が翔太の真似をする。
もちろん最初は怒られた。そんなことしちゃダメよ、と諭された。
けれどこれは黄泉送りの儀式なのだと言い張って続けた。どこかの外国の文化でそんなのをテレビで観たことがある。小さい子どもが亡くなった場合、その子どもが満足するまで、その子どものおもちゃを部屋に飾り続け遊んであげるのだ。
万宙ちゃんが天国に行けるようにする為だと言って続けた。万宙ちゃんに接するみたいにお母さんも協力してよ、と翔太がねだった。
それを何年も続けて、翔太のお母さんは少しずつ、少しずつ回復していって。
翔太のお母さんがようやくご飯を食べれるようになった頃には、俺たち2人はすっかり以前の言葉遣いを忘れてしまって、真似だったはずの言葉遣いがそのまま素になったのだ。
俺たち2人は似た者同士で、頑固者なのだ。
一度決めたら動かないのは翔太も一緒だった。
(14)穏やかな波の上で
「奏音さん、すごいですね。なんであんなに英語お上手なんですか?」
「阿呆、外国で育ったからだろうが。」
「ええっ?! 土方さん、異国人のフリをしてるだけだって疑ってたくせに!」
まぁ正確には2人ともハズレなんだが。
俺はちょっと特殊な傾向の能力を持っている。
絶対記憶とは少し違う。絶対記憶を持ってる人は観た映像、文章、聴いた音、嗅いだ匂い、あらゆる感覚の全てを記憶して忘れることが無い。
俺はそこまでいかない。覚えておけるのは言葉だけだ。一度読んだ文章とか言葉、聞いた言葉を忘れないだけ。英語は元々読み書きだけは得意だった。外国との戦いに備えて毎日携帯アプリでネイティブ英会話を聴いてヒアリングと発音を鍛えていた。
「まあ、言葉を知っていても、あんなに堂々と対峙できる奴は少ないだろうがな。」
俺を見ずに、空を見上げながら判りにくい誉めかたをする。ほんと相変わらずだ。相変わらずになって、くれた。
カモメが船の横をじゃれるように飛んでいる。
沖田さんが藍屋さんにもらった饅頭をくずしてカモメにあげている。
今は江戸に向かっている船の上、慶喜さんは京都で将軍になる為の準備をする。その間に俺たちは江戸で新政府発足のための足ががりを作る。
船に乗った時から会津藩、新撰組隊士を巻き込んでトランプ勝ち抜きトーナメントをしていたのだ。あまりにも流行ったので古高さんに頼んでトランプカードを作ってもらった、俺、古高さんのことドラえもんみたいに使ってんな、ごめん、古高さん。
藍屋さんは順当に勝ち進み、今は準決勝あたりだろうか、しょっちゅう勝負相手をねだられていたからな、なんだかすごく強くなっていた、俺以外とも勝負していたんだろう。
早々に敗退してしまったので甲板に出て3人で話していたのだ。
「御二人の仕合のほうが凄かったですよ、綺麗でした。」
「ふふ、惚れなおしましたか?」
「え、惚れなおすって?」
「私にではなく、土方さんにです。」
「何をほざく気だ、総司。」
ニマニマといたずらっ子のように笑う沖田さんに、顔を歪めて焦る土方さん。
そうか、話したのか。
「俺が女だってこと聞いたんですか。」
「はい、他にもいろいろと。うふふ。」
意外だ。そういうの話すんだ。土方さんに目を向けると、うっすらと顔を赤くして目を反らされる。
「お前が無理矢理、聞き出したんだろうが!」
「そうかなぁ? けっこう詳しく話してましたよ?」
「てめえ、総司、いい加減なことをっ」
「あはは、」
仲が良いなぁ、ほんと兄弟みたいだ。俺と翔太みたいだ、と思ったらツキンと胸が痛くなる。俺たちもこんな風にずっとはしゃいでいたい。けど。
俺は目を閉じて思い出す。翔太との約束。もう決めたことだ。
土方さんは怒りながらも微笑を湛えている。良かった。沖田さんが発症しなくて良かった。もしかしたら感染はしているかもしれないが発症しなければ死ぬことはない。俺は居なくなるけど。
土方さんに、沖田さんや近藤さんや会津藩の名誉は遺していける。
「惚れなおすってことはないですよ、最初から惚れてるので。これ以上は惚れようが無いです。」
真っ直ぐに2人を見つめて言い切る。
「奏音さんって、大胆なんですね。」
からかっていたくせに顔を真っ赤にして沖田さんが微笑む。
土方さんは顔を抑えて目を反らす。
「では私はお邪魔虫なようですから、退散します、御二人でごゆっくり、うふふ。」
あんたはお見合いの親戚のおばちゃんか。
土方さんが顔を隠したままずっと黙っているので、俺は船のへりに歩いていって海を眺めていた。
しばらくすると隣に並ばれて、土方さんも海を眺めながら口を開く。
「あの時は悪かった、な。」
突き飛ばされて、穢らわしいと言われた時のことだろうか。
「あんな風に言うつもりはなかった。」
「突然だったんでびっくりしましたか?」
「あれは、本心じゃ、ない。」
「じゃあ、本心は?」
土方さんに近寄って下から顔を覗きこむ。口を歪ませて顔を赤くするが、今度は目を反らされなかった。
手を伸ばしてあの時と同じように指先で唇をなぞる。
「今度は突き飛ばさないでくださいね。」
そう言って顔を近づけようとして気付く。
あの時は女物の下駄を履いていたから届いた。
「土方さん、届かないから、抱っこして。」
「阿呆、こんなとこで出来るか。」
「誰も居ませんよ?」
「絶対、総司がどっかから見てる。」
まぁ見てるかもしれないけど。
「本当に悪いと思ってるなら、抱き上げてください。あの時はめちゃくちゃ泣きましたよ? すっごく傷つきました。」
「いま、それを言うのは卑怯だぞ。」
眉をしかめながらも、ふわり、と抱き上げてくれて、目線が同じになった。首に抱きついて、ちぅと唇に吸い付き、舌先で土方さんの前歯の裏をチロチロとくすぐる。
いったん離しては何度も唇を吸いあうと、だんだんと腰にまわされた土方さんの腕に力が入って強く抱き締められる。その力強さにたまらない気持ちになって言った。
「今夜、俺の部屋に夜這いに来てください。」
「……阿呆、」
睨まれたが拒否はされなかった。俺はクスクスと笑って、もう一度強くしがみついた。
(15)希望
意義を説明し、思考の経過を話し、予測を立ててもらう。慶喜さん、藍屋さん、吉田さん、伊藤博文さんと主に政策について話す。
大日本帝国憲法は伊藤博文さんが作ったものだが、その憲法のメリット、デメリット、戦争は何故起きたのかを話して、アイディアをだしあい、法案の枠組みを作っていく。
俺も翔太もまだ消えてはいない。体の一部分は相変わらず消えかけているけれど。
つまり、まだまだ戦争突入を避けるには不備が多すぎるということだ。
何かをきっかけに変わるのかもしれない。それがいつになるかは解らないが、俺は毎日懸命に法案を作っていた。
翔太には高杉さん、久坂さんと、龍馬さんに英語を教えてもらっている。伊藤博文さんが身分が低かったのに初代総理大臣になれたのは、その英語力を買われたかららしい。
「しかし、未来とはすげぇもんだな。」
土方さんがつぶやく。土方さんには俺の携帯アプリで兵法を勉強してもらってる。俺は戦術はさっぱりだからだ、シミュレーションゲームならやってたけど。
「こんな小さな箱にどれだけの本が入ってるんだ?」
「さあ? アプリ落とし放題で落としまくっただけなんで。俺もこんなの入ってるなんて知らなかったです。データ見ると1000ちょっと入ってるみたいですね。」
「短歌の本なども入ってるのか?」
「え? まさか他人の作品パクろうとしてます?」
「ぱくろ……?」
「いや、何でもないです。」
「ふむ、読み終えた。」
「早いなぁ、俺、そのページ、何が書いてあるかさっぱり理解出来ませんでした。」
「清の兵法はよく読んでいたからな。」
「武士のたしなみってやつですか。」
「しかし、こんなに軍事関係のものばかり俺に読ませてどうするんだ?」
「日本軍総帥にしようとしてるからですけど。」
土方さんが座っていた椅子からガタタッと転げ落ちそうになった。
「なっ!? 何を、そんな大役、殿を差し置いて俺が出来るか!」
「会津公には大臣になってもらうんで、軍は土方さんに統括してほしいんです。」
目を白黒させてあわてふためく土方さんの頭を撫でる。
「なにしてやがる。」
「いや、おどおどする土方さんが珍しくて。可愛いなぁと思って。」
「やめろ、阿呆。」
文句を言いながらもクスクスと笑う俺の頬を土方さんも撫でてくれた。束の間幸せな気分になったが切なさが襲ってくる。
どうしよう、俺、この人が大好きだ。
こんな時に強く思う。離れたくない。ずっと一緒に居たい。
「しかし、俺より高杉殿のほうが適任ではないか? かなり優秀な軍師だし、学問にも秀でている。」
「高杉さんは世界を見て歩くのが夢なんですよ、だから外務大臣になってもらおうかと。今、一生懸命英語を勉強してます。」
「そうか。」
「俺が目指す軍ってどんなだと思います?」
「解らん。お前はいつも、こちらの予測なんてまるで追い付かない発想をするからな。」
「地球上で初の"防衛軍"を作ろうと思ってるんです。」
「防衛軍……」
「他の国には派遣しません、侵略もしません、本土決戦もしません。」
「何をするんだ?」
「日本の海と空を守ります。他の国を絶対に攻めない、戦争には絶対に加担しない。ただ、日本への侵入者だけは徹底的に叩きのめします。」
「なるほど、それで戦争を回避するんだな?」
「できると思います?」
「さあな。解らん。解らんが。」
ふっと笑って、土方さんは自信たっぷりに言い切った。
「お前の望みなら俺が叶えてやる。」
その時だった。俺の体が淡く光り始めたのは。
「おい!?」
「あ……」
とうとう、来てしまった、この瞬間が。そして俺は理解する。
土方さんが約束してくれたから。
未来は変わったんだ。戦争の一番大きな要因は陸軍の暴走にある。それが変わったんだ。初代防衛大臣のこの人の決意で。
「奏音!」
土方さんが立ち上がって俺を抱き締めようとした。なのにその腕は空を切る。
体全体が、もう、透けていた。
「奏音!」
土方さんが泣き出しそうな顔で俺の名前を呼ぶ。
「はは、やっと名前呼んでくれましたね。」
「阿呆、名前なんて、いつでも、何度でも呼んでやる。」
「今のいままで呼ばなかったくせに。」
「頼む、消えるな。」
ボタボタと涙が落ちる。けど、頬を伝うはずの水の熱を感じない。感覚が薄れていく、景色も、土方さんの表情すら、かすんでいてよく見えなくなっている。
「その願いは、聞けそうにないです、けど、俺、土方さんが望むことを叶えたつもりです、近藤さんは生きている。沖田さんも病気になりませんでした。会津公は政治の中心に参加できるし。新撰組を立派な組織にするのが夢でしたよね? 防衛軍ですよ、すごくないですか?」
「お前と引き換えに叶う願いなど、どんなに望んだことでも嬉しいわけあるか!」
「すごい殺し文句ですね。」
ふざけろ、俺。笑え。
土方さんの最後の俺の記憶を、泣き顔になんかするな。
「めちゃくちゃ楽しかったです、毎日毎日、すげー充実してました。土方さん、大好きだ。会えて良かった。」
感触はないが、口付ける。そして俺はゆっくりと大気に溶けた、ようだ。もう何も判らない。
たとえ会えなくなっても、別れがあっても、出会えないよりは、ずっといい。
そう思わせてくれた貴方に、心から言うよ、愛してる。
艶ぼ~い(後編)
以下、blogで連載終了後に書いた記事の抜粋です。
さて、一番最初のエピソード、土方歳三編、終了しました。
なんとなく、私は奏音を消さないんじゃないのかな、と思ってたかたが、もしかしたら多かったのかもしれません。
愛着はそうとうありますからね、奏音というキャラは、自作のキャラという枠組みを越えて私も大好きです。
その愛情が伝わっていたから、消さないと思っただろうし、正直、奏音を好きだとおっしゃってくださる方々のコメントでかなり迷ったことは迷ったのですが。
消える、ことは最初から決まっていました。その為にたてたフラグ、構成、積み上げたエピソードが崩れてしまうと、物語性の強さが損なわれてしまうので、予定通りのラストシーンになりました。
奏音の名前の由来。龍馬さんの台詞で言わせたのですが。あれ、実は龍馬さんのアドリブです。
いや、びっくりしました。
私が作った設定は
音を奏でる(周囲に思想が影響していく)
と、
日を渡る(タイムスリップする)
という2つの意味だけでした。
それが書いてるうちに奏音というキャラがキャラを越えて動きだし、こちらが作った筋道すら変えて(大筋や骨組みは変わってませんが、当初より増えたエピソードが山ほどあります)、龍馬さんが、あんなことを言い出す。
小説を書いたことがある人や、作品を創ることをアマチュアでもしてる人には解りますよね、あの感覚。キャラが勝手に動き出すんです。物語が自然に動く。自分で考えたのではなく、頭に直接流れ込んでくるものを形にしていく、みたいな、あの感じ。
それを味わうことが出来ると、すごく幸せな気持ちになります。あぁ書いて良かったなぁと思いますね、しみじみと。
奏音は現代人の投影なんです。
私たちは歴史上の人物には会えません。史実で調べて親近感を持てるだけ。
一方通行なんですよね。
じゃあ、歴史なんて知っても意味ないじゃん、会話出来ない、会えない人のことなんて知ったって意味ないじゃん、
そんな考えに、そうかな? って聞いてみたい。
それがこのお話の根幹のテーマ。
歴史上の人物だけど。
日本人なんですよね。
先祖なんですよね。
歴史って連面と繋がってるんですよね。
それを考えた時に。
「ちっさい島でしょ、要らなくない?」
なんてさ。簡単に言えるのかな。どんな思いで、どんな覚悟で、何を捨てて、守ってくれたんだろう、この国を。
そんな事を考えていたら、「朝鮮戦争があったから日本経済は強くなった」とか言ってた自分が恥ずかしくなりました。
これはその戒めに書いた話。
だから結末はこうなります。
……ただ、まあ。
物語としてはこの形が物書きとしては理想なんですが。
二次創作としては、恋愛ゲームの本家に対してあまりにもひどい。
なので、分岐エンドという形にしました。
書きたかった物語は書けました、お付きあいありがとうございました。
ここからの分岐ストーリー、分岐エンドとしましては。
「どうやったら、奏音くんが消えないエンドに漕ぎ着けるか」
がテーマになります。
それを各旦那様ストーリー&エンドに散らせて、
なるほど、その理由なら消えなくて納得だ、と思ってもらえるように目指します。
どうかまたしばらくお付きあいくださいませ。