どこかから借りてきたようなことばたち
シボウコウハ、マズヘンサチデエラブンダ。
先生は、きっと、先生になるための試験の際などに、ほんとうのきもちを語れない魔法をかけられたのだ。
消防士の父のことをコウムインハアンテイデスネといった近所のオバサンは、サイレンのたびに命がけの父をみおくって泣いてる母のこと、しらない。
ぜんぶにはむかっていたら、ばかで愚かなこどもだというレッテルを貼られるし、ぜんぶにうなずいていたら、優等生のレッテルに苦しむし、もう、だめだなとおもう、と、なぜだかそれを察知して、夜になるとぺんぎんのぬいぐるみが話しだす。
おまえ、信じたいひとのことばだけ、信じればいいのに。
教科書的でも、模範的でも、良識的でも、ない。ぺんぎんと仲よしの微生物たちが酸素をわけてくれて、それで、ちょっと、ねむりやすくなる。
ぺんぎんと話せなくなるのがこわくて、苦しいふりをしてみたりする矛盾、苦しみたくない、でも、苦しんでいる夜には、ぺんぎんと、話せる。
ありきたりでもいいから、ほんとうのきもちだけで、叱ってほしいという、一世一代の、人類最大の、おそるべき願望を、叶えてくれるひとをさがす旅にでれば、たぶんぼくは、南極まで、でむくことになる。
どこかから借りてきたようなことばたち