そこにいた僕の回顧録

桧野 陽仁

  1. ある逸れ者の回想
  2. 2
  3. 3
  4. 生まれたとき
  5. 5
  6. はじまり
  7. 7
  8. キョウ-響-
  9. 9
  10. キョウ-叫-
  11. 11
  12. キョウ-梗-
  13. ペンネーム-生延-
  14. みちしるべ
  15. 15

この話は妄想日記のようなフィクションです。

ある逸れ者の回想

 人を信じることは難しい。
 おそらく過去には、無心で信じられる相手というものが存在していたんだろうとは思う。

 いまの僕には、人を疑うことしか満足にできない。
 自分も含めた、すべての人を。
 その行為や言葉の裏にある直視しがたい側面を、想像せずにはおられない。

 言葉がありました。

 ありがとう、と。

 顔を見れば、不快を表現していました。
 つまりその意味は、皮肉だったということでしょう。
 僕はどこで間違ったのでしょうか。
 何もするべきではなかったのでしょうか。

 それを問うても赦されるでしょうか。
 誰か正解を、教えてくれますか?

 かけられる言葉のすべてに裏を探して、怯えて過ごすうちに言葉が判らなくなりました。
 本当の意味は一体どれなのでしょう。正しい意味を、僕は伝えられる自信がありません。
 言葉にしても誤解を伝えるだけなのならば、何も伝えないほうが幾分かマシであるような気さえしてしまいます。

 僕は声を忘れました。

 使わないものから忘れてゆくのが記憶というものです。
 思い出すことは難しい。

 いまの僕は声を持っています。
 言葉はぎこちなくしか出てきませんが、会話というものを滅多にしないので、それでも何とかなります。

 疑うために人と過ごすのは苦しいです。人と過ごして、相手を疑わないことはできません。
 誰かを信じていられた僕は、どこかに眠っているでしょうか。そのうち起きてきてくれるのでしょうか。

生まれたとき

 僕が生まれたのは、肉体の年齢でいうと10歳ごろのことだったように思います。
 それ以前の僕は今の自分と同じものであるという実感がありません。記憶の中にある物事は、いつかどこかで読んだ本の内容と同じように感じられます。

 その頃の僕は学校へ通っていました。家からさほど離れていない、公立の学校へ。
 教師が黒板の前に立って何か言うのを聞き流して時間をつぶし、休み時間に外へ出ることを楽しみにしていたように思います。
 校庭の芝生の上を駆けたりヤマモモの木の下にひそんだり、池に浮かぶ蓮をつついたり、そんなことをしていました。
 外に出られない掃除の時間だったと思います。ふと窓の外を見ました。
 こちらを向いて、太陽が輝いていました。
 僕の存在が、そこで初めて定まったような気がします。
 それが僕の初めて得た生の実感です。

 どこかはっきりとした視界を得て、物語がそこにあると気付きました。
 書店へ能動的に足を運ぶようになったのは、その頃です。
 それ以前はたまに連れてゆかれることはありましたが、用がないので好んで近づくことはありませんでした。

 以降は暇があれば足を運び、棚を眺めて惹かれたものを求めて物語に触れてゆきました。

はじまり

 そのうち、この目に見える、この体が感じる物語を、外に出そうと思うようになりました。
 誰に見せるでもなくそこにいる彼らの物語をノートに書きつけて、確かに彼らはいるのだと実感するようになりました。

 この世界のどこかにいるのかもしれないし、違う世界にいるのかも、本当はいないのかもしれないけれど、僕にとって彼らはただそこにいて、彼らの生活を営んでいるのでした。
 それをただ描写するだけです。
 僕の作った物語上を彼らが動くのではなく、彼らが動いた軌跡を書き記すだけなのです。

 ピアノが好きでした。
 グランドピアノのある音楽室が好きでした。
 日差しの差し込む窓から外を見ると、そこは校舎の3階なのでグラウンドの芝生が見えました。築山も見えた気がします。少し向こうにある、町で一番高い山も。
 ピアノが日陰にまどろんでいて、イスが整然と並ぶさまは今思い返すとまるで墓石のようです。
 楽器が準備室の棚に押し込められていました。

 授業中に響く歌声も放課後に響く楽器の音色も好きでした。
 その空間でただ一つ、好きになれないのは視線だけでした。

 僕を見ないでください先生。
 名前を呼ばないでください。

 静まった部屋の中で、時々歌うテストがありました。
 人の前に出ると僕は声が出ませんから、先生に困った顔をされました。
 ごめんなさい先生。歌うことは嫌いではないんです。冗談でも貶された記憶が離れないんです。

キョウ-響-

 響くという漢字を書いてキョウと読みます。
 そんな名前をもつキャラクターが、いつしか出来上がっていました。
 キレイな歌声で、人を惑わすのです。
 いつまでも頭の中を響く過去にとらわれて、現在や未来を見つめることができないのです。

 誰に告げることもなく、それまでの自分だったはずの何かの行いを真似て過ごしているうちに疲れてしまいました。
 ある日ぷつんと、糸が切れるように何かが変わったような気がします。
 気付けば叫んでいました。
 自分だったはずの何かを呼ぶ呼称を、僕は嫌っていたのです。それを打ち明けてしまいました。
 数人で集まって遊んでいたときのような気がします。
 僕とその人たちの関係は、何と表現すればいいのでしょうか。
 家が近い、クラスメイトやその友人たち。他に適当な言葉は思い浮かびません。

 そこから少しずつ周囲の態度が変わっていったように思うのですが、僕の心境の変化でそう感じるようになったのやもしれません。
 いまも付き合いのある相手はそこにはたしていたのでしょうか。
 ひとりだけ、引っ越していったことは知っています。他の人はいまどうしているのでしょうか。もとより連絡先は知りません。学校の連絡網に記載されていた家の番号が今も変わっていないのなら、連絡を取ることも可能かもしれません。その必要性はありませんが。

キョウ-叫-

 叫ぶ、と書いてキョウと読むキャラクターが、いつしか出来上がっていました。
 過去に囚われまいと叫んで追い払うのです。いつも何かに怯えていました。
 いつも支える誰かがいました。叫び疲れた喉を休める、一時の安寧を与えるものが傍に這いました。

 記憶を封印してもなお残っている不快感は、憎悪は、時折顔をのぞかせました。

 僕の記憶にある中で最も古い、名のあるキャラクターです。

 偽ることを諦めた僕は気分が良かった。
 それを受け入れてくれる新たな理解者もいました。
 いまは付き合いがないけれど、その時があったから僕は今こうしていることができます。

キョウ-梗-

 桔梗の花が咲きました。紫色の花です。
 それを名にもつキャラクターがいます。
 桔梗と、梗一郎。今日を生きてほしいという願いのこめられたこの二人は、今も動いている人物です。
 特別な能力はないけれど、ただただ日々を生きてゆく、それだけの人たちです。
 時折不安に押しつぶされて強行に及びますが、周囲が受け入れて、被害は心理的なものにとどまります。
 昨日(過去)でも明日(未来)でもなく今日を生きるから、なまえはキョウ、なのです。

ペンネーム-生延-

 少しだけ、悩んでいた時期がありました。
 なぜ生きるのかと。
 生き延びる必要がどこにあるのかと。
 辛いことばかりではないか、悲しいことばかりではないかと。
 泣いてばかりいる日々を、なぜ続ける必要があるのだろうかと。

 生き延びる、と書いて生延(みのべ)と読みます。時々、そう名乗っていました。
 生き延びることは、悲しく、時には発狂しそうになるほどに辛いものだと、思っていた時がありました。
 悲しく叫ぶ、と書いて悲叫(ひきょう)と読みます。あるいは悲しく泣くと書いて悲泣(ひな)と読みます。
 生延悲叫、と漢字で書くとあからさまに中二病と呼ばれるやつですから、それを名乗ったことはありません。
 生延ヒナ、と名乗ったことはあるかもしれません。
 そこに込められた意味が絶望に近いものだとしても、この字面だけではそうとは断定できない、だからこの名前を、実は気に入っていたりしました。

 いまの僕は少し前向きです。
 生き続けることに理由は要りません。
 周りの誰も亡くなっていないのに、自分だけ生き延びるなんて表現も適切ではありませんし。
 だからこの名前とは、暫しのお別れをしています。

みちしるべ

 道を作るのは難しいのです。
 どこに作るか、どこから作るか、何を使うか、どのような形にするのか、多方面から考えねばなりません。
 まず、何のために道を作るのか。作りたいから、でも一応の理由にはなるけれど。
 もちろん作るだけではいけません。作った道は、何に使うのか。使わなければ、ただ地形を改変しただけになってしまいます。
 どう管理して、整備していくのか。そこも考えなければなりません。
 一人で考えていても埒が明かないのですが、僕には相談できる能力がありません。誰ぞかが手を差し伸べてもそれを振り払うことを咄嗟にするような性質を持っているので、難しいのです。
 同じ道を求めている人を見つけることができたなら、共に道を拓くことができるでしょうか。

 道があれば歩ける気がしました。

 どこから作り始めるのかは決められません。
 どの作り方をすれば使いやすいのか、長く保てるのか、考えることは僕には難しすぎました。
 誰かに頼ってもいいでしょうか。
 きっと考えることが得意な人がいるはずですから、お願いしましょう。

 僕はその道を使いましょう。
 しっかりと、道であることを(あか)しましょう。
 その先にあるはずの光景を、見つめましょう。

 僕は考えることが苦手です。
 考えるために必要な知識を持ち合わせていないことは解っているのですが、それを補う行動を起こすことがとても苦手です。
 ない知識は深めようもありません。何の手がかりもない興味をどう表現するべきかもまだ解っていないのです。
 順序立てて探してゆくことが苦手です。そもそもどんな規則に則った順序に並べれば、納得のゆく答えへとたどり着くことができるのでしょうか。その規則はどこにあるのでしょう。自分で作るのでしょうか。
 きっと経験が助けてくれるのでしょう。ずっと考えることを避けてきましたから、僕には経験というものが不足しています。

 声が聞きたくなります。
 けれどいざ、顔を見たら。僕は一目散に逃げてしまうのです。心の準備ができていなくて。

 曖昧に首を傾げるくらいのことがかろうじてできるでしょうか。
 話しかけられると嬉しいのです。
 涙が出るのは、嫌なことが今あったわけでは無いのです。だから心配しないで。
 あなたの曇った顔は、僕の心も曇らせるから。
 この涙は、溜まってしまった凝りがあなたに浚われている証拠ですから。

 話しかけてくれて、ありがとう。
 社交辞令でも、嬉しいのです。
 短い挨拶だけでも、ただそれだけのことが、僕にはたまらなく幸せなのです。

そこにいた僕の回顧録

ただそこにいただけの誰かのことを、時々思い返してやってください。

そこにいた僕の回顧録

人付き合いが苦手な僕はただそこにいただけの、物語の世界なら脇役の知り合いの同僚くらいの脇役でした。 何の波風も経たない日常が、ただ送れればそれでよかった。 作者自身の、過去と妄想の区別がつかなくなった回顧録。

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-01-16

CC BY-NC-SA
原著作者の表示・非営利・CCライセンス継承の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-SA