ペニス・サックは彼(あるオネエの独白)

 少し汚れた窓ガラスに映るあたしに話しかけてみる。
いろんな事情でフライトの遅延ってけっこうあるけど、今日は特にイラつくから。
今の空港の保安検査スキャナーは「ミリメイタ・ウエイブ」だからバンザイして通り抜けるだけ。
おちろん、荷物に怪しいものはなし。
それでも不安になる。
あたしの行こうとしているとこは30日以内の滞在ならビザはいらないし、フィジーを経由しても40時間そこそこ。
海面の上昇で沈もうとしているその国は、なんとなく、あたしに似ている。
だから、そこを目指すのね。

 あたしってひと言で言えば不思議ちゃん。
子供の時から、ちっちゃな物、やわらかなもの、優しいモノが好きだった。
クレヨンよりパステル、油絵より水彩画、デッサンよりクロッキーかな。
エレガントでキュートで、ちょっぴりキッチュなニュアンスを含んで…。
そう、完璧優美や耽美なものじゃなくて。
不安定で微妙で幽玄で、よろめいたら堕ちるような危うさが好き。

 でも、それだけじゃない。
強いもの、猛々しいもの、激しいもの、荒れ狂うものもいい。
低くても落ち着いた、硬質だけど柔和で、内側に力と抑制と均衡と破断を秘めて。
そう、うねり寄せる潮のような、本震を越える余震のような、抗い難い圧のささやきに似てる。
そんなものに惹かれるの。

 だからこそ、あたしは何者なのだろうっていつも考えてた。
女の子より、男の子のほうが好き。
もちろん、女子もいいわ。
決して嫌いじゃないし、むしろ羨望でジッと見ちゃう。
でも、異質。
華奢な肩やきれいな高音。
無邪気な笑顔に、しなやかで屈託のない動作。
あたしにはないし、どんなに焦がれても絶対に得られない、言わば天上の美、能天気な天国の明るさなのよ。
天真爛漫でも軽薄、透明でもどこか生々しく濁ってる、媚びる心の癒着と打算。
見えないどこかにきっと堕天使が潜んでる、危なくて怪しい魅惑。

 ふふっ、ゴタク並べてるあたし。
宣揚してからコキ下ろすのは、ホントは弱い証拠。
憧れてるのに。手に入れたいと願ってるのに、どうにもならない現実を腐して、踏みにじって、貶めて良しとする賤しい心根。

 そりゃ、あたしは美醜で言ったら醜よ。
心とおんなじ、まさに相似形。
眉も髭も脛毛も脇毛も胸毛も尻毛もバッチリ繁茂してる。
ガサツだし、性格悪いし、アタマだってそんなによくないわ。
悪い?
だからこそ美しいもの、荒ぶるもの、崇高で善に満ちたもの、危うい破壊力を理性と自制で制御したものを手にしたい。
見果てぬ夢よね。


          * * * *
    


 だから、何だって言うのよ?
ホテル経営はあたしにとって、ただの金稼ぎ。
ビジネスだわ。
男同士お断りって、当然じゃないの。
男女のカップルの数十倍、部屋を汚すのよ。
茶色い、臭っさいモノでね。

 わかる?
時間内の回転がすべて。
掃除に時間をかけていられないってコト。
経営のイロハでしょ。

 男性愛者なんてエッチ漫画やアニメみたいにロマンティックなものじゃないわよ。
汚ったなくて、キモくて、ゾッとするくらい変態だわ。
だから、ホテルで男同士を受け入れるトコなんか数える程よ。

 じゃ、なんであたしがオカマ・バーのママもしてるのかって?
言ったでしょ。
あたしはゲイなんかじゃないし、オカマも違うわねぇ、強いて言えば「心のオネエ」かしらね。
もっちろん、お化粧も女装もするわよ。
フェミニンなもの、ジェントルなものに触れていたいから。

 バー経営は例えれば、ええと、そう、あたし好みの洗練された優しさと力を兼ね備えたターゲットをハントする蜘蛛ね。
「ばぁ・かめ」は張り巡らされた罠の網。
あたしは自分の美意識にかなう意識を切望してるだけ。
だって、プラトニックだもん。
厳密に言えば見ているだけでいいの。
つまり、あたしはノンケ。
ね?わかった?

 
          * * * *



 いや~ね、まだ言ってるの?
あたしの「ばぁ・かめ」の店名がアレって。
亀の頭じゃないに決まってるわよ。
「ばぁ・かめ」はフツーに「馬ぁ鹿め」ってこと。
だれでも入れるお気軽ショーパブよ。
1Fのチャージ、つまり席料は¥3,000.
お酒は¥1,000から。
あたしが言うのも何だけど、けっこうリーズナブルじゃないかしら?
これでカラオケでキャスト指名してデュエットも出来るし、ディスコ・ダンスもチークもOK。
ショー・タイムにはオカマ・ダンスにコント、高座に座った猥談落語だって出る。
マジックや声帯模写もうちの子の芸で、なかなかのものよ。

 でも、2Fは会員紹介限定の社交クラブだから、個室制でお高いわ。
90分座っただけで¥60,000は下らない。
でも、いい意味でラウンジ風。
人間って相性が大事だもの。
だから、クラブだけど指名もちゃんとできる。
ここは基本、だれでも、どんな嗜好でも受け入れてるから。
ゲイも来るし、レズさんもOKよ。
ホストも女装趣味も、オネエもね。
おとこおんなはダメとか、おんなおとこは来るなとか、陰でとんがる人もたま~にいないわけじゃないけど、もともと同じ日蔭者同志よ。
みんなおんなじ混沌とした倒錯の坩堝(るつぼ)だわ。

 で、ね。
あたし、さ、ここで恋しちゃった。
自分の店でよ。
2Fに来るストレートの青年実業家。
27~8じゃない?
もろ、ド変態のオヤジと来るの。
そのオヤジ、彼が起業する時、大枚貸したみたいよ。
自分でペラペラ自慢げにしゃべってんだもの。
それで上手く恩着せて、スポンサー面で纏わりついてるみたい。
タイム超過でどんどんかさむチャージ料とかの支払いはみんな彼に任せてさ。
いやよね、50面下げていけすかないヤツ。

 彼が先生って呼んでるから、なにかの先生なんでしょ。
それ以上は知らないわ。
この稼業はね、客の詮索は厳禁なの。
ソイツ、彼のこと馴れ々しく「コウ(昴)ちゅわん、コウキ(昴輝)ちゅわん」って呼ぶ。
独特の抑揚付けてね。
それでホモオヤジが彼を狙ってることがわかるの。
彼、それを避けるために、ここに連れて来てるのよ。
自分はそのテの趣味はないから、代償行為ね。
あたしも店の子もその気持ちがわかるから、思いっきりオヤジの気を引いて見せる。
馬鹿オヤジ、もう有頂天よ。
そう、それでいいのよ。
そうしていれば、彼は無事。

 彼、あたしたちの気遣いを知っていて、お金を使ってお返しをしてくれている。
2Fはけっして安くないのに、ボトルをボンボン入れたり、シャンパンを振るまったり、閉店までいてくれたりね。
チップだってみんなに出すから、一晩で他の上客の倍は使うわ。
それをさり気なく、すっごく爽やかにやるの。
フン、若造の癖にさ。
でも、ステキ。
彼って、フィギアの高橋って子を若くした感じかしらね?
男っぽくてスマートでエレガントで陽性。
でも織田なんとかって子みたいにかわいくドジ。 

 客に惚れるってタブーよ。
でも、あたし、心底好きになってた。
あたしの理想の美意識がそこにあったの。



          * * * * 



 あたし以外の店の子も多かれ少なかれ、彼にホレていたんじゃないかな。
彼が来ると2Fが色めきたったもの。
そうよ、みんな彼に指名してもらいたくてね。
でも、客が望まない限り、あたしたちからのモーションもアタックもなしよ。
客には手をつけないのが原則。
あたしたち、この道のプロ、つまり、一応商売人だから、トラブルやゴタゴタは禁じ手だもん。
倒錯者ってけっこう嫉妬深くて陰湿だから、泥沼になりやすいのよ。
世間で言われてるコトってホントのホントよ。

 ほんとに幸せだったわぁ。
彼が来ていた1年足らず。
あたし、心のオネエで良かったって心底思えた。
女の気持ちで、女性に成りきって、異性として見ているだけで十分満足だったもの。
彼、アスリート系の均整のとれた伸びやかな身体に年齢相応のスーツをまとって。
服飾小物も華美でなくて、小ジャレた一点ものね。
地に足がついた感じで、キザでも生意気でもないの。
好きだったわ。

 でも、幸せって長く続かない。
忘れもしない、3連休前の金曜日だったわ。
いつもどおりの21:00~0:00までの営業よ。
ホモオヤジがみんなの前でポロッとバラしたの。
「コウキ(昴輝)ちゅわんは結婚するよ」って。
あたしを含めて、侍っていたのは4人だったんだけど、みんな息を飲んで鎮まり返ったわ。

 ま、彼はストレートなんだから、いづれこうなるのよね。
わかっているけどショックだった。
ホントに悲しいとね、涙って流れないのね。
ジ~ンと目頭が痛熱くなって、目が真っ赤になってそれで終わり。
鼻水がやたらに出るだけよ。
汚いったらありゃしない。

 店の子と一緒になって、余計なこと言ったオヤジを罰として酔いつぶしてやった。
ヘロヘロになってやんの、ざまぁ。
ううん、普段はこんなこと絶対にしない。
お客様はお客様なんだから、この時は特別の特別ね。
アウターがなければ閉店時にタクシー呼んで、同方向の子が西新宿までオヤジを大事に送って行くのもいつもと同じ。
もっちろん手間賃はいただくけどね。

 あたし、チャンスだと思った。
今夜こそ、彼のタクシーに同乗しようって。
だって、彼をこのまま帰したくなかった。
どこの馬の骨ともわからない女に彼を取られたくない。
だれにでもある嫉妬。
それが、これでもかこれでもかって、あたしの中から噴出してくるの。
もう、怨念よ。
ドロドロのグッチャグチャ。
怒りと哀しみと震えるような切なさ、恨めしさと執着と無念と勝手に傷ついたプライド。
そして焼きつくような憎しみね。
それが瞬間的にすべて彼に向かったの。
人間って恐ろしい。
愛憎って些細なきっかけで、紙の裏表みたいに変化する。
善悪なんかない。
ただただ、ひたすら、憎くて愛しい彼をだれにも渡したくなんかないエゴ。
あたしって、こんな低級な人間だったんだ。

 そして、あるトコロにTELした。
この決断にためらいはなかったわ。
とりあえず店の売り上げと釣銭をすべて持って、駅前まで彼と一緒のタクシー。
車の中でささやいたわ。
「コウ(昴)ちゃん、ご結婚おめでとう。あたし、あなたが好きだった。この思い出を失いたくないから、あたし、あなたのイニシャルをくるぶしに入れたいの。ううん、名前だけでいい。苗字まで聞く気はないから。ね、お願い。彫り屋までついて来て。すぐそこなの」
彼は「こんな時間に?」と聞き返したけれど、ついて来てくれた。
彫り屋って、深夜の開店ってけっこう多い。
みんなヘタレだから、酒を浴びるほど飲んだ勢いで刺青を入れるのね。

 わざと駅の南口で降りて、北口の路地裏に向かう。
狭い雑居ビルの1階の店。
2重ドアの1枚目に白抜きで「彫」とだけある黒い扉。
そこを入って、もう1枚のドアをたたく。
「予約してた、ばぁ・かめのママよ」
「オーライ」
すぐに返事があったわ。



          * * * * 



 あたしはためらうフリをした。
「コウ(昴)ちゃん、やっぱコワイわ。入って。中からあたしをエスコートして。彫り師さん、連れが先に入るわ」
彼は疑うことなくちょっと微笑んでから、ためらわずに入ってくれた。
そして倒れた。
ブラック・ジャックを握ったフィリピン系の浅黒い肌。

 「とりあえず売り上げと釣銭よ。たぶん500万は下らないわ。残りはあたしのうちにキャッシュで3,000万あるから、明日、必ず払うわね」
「OK。ママさん、信用してる」
白い歯をむき出して、相棒と手際よく運び出す。
彫り師の本業はこれ。
彼の処理は別の場所だから、感情のない手慣れた仕草。
その時になって涙があふれたわ。
彼、痛かったろうな、ごめんなさいって。

 3連休前日だから火曜日以降までは絶対に足は付かないわ。
彼の親兄弟・友人知人や関係者が騒ぎだすまでどれくらいの猶予があるかはわからないけど、刑事がかぎまわったって駅前でタクシーを降りてるもの。
ふつーにエントランスを上がったから、運ちゃんは終電に間に合ったと思ってる。
うふふふ。

 あたしは彼を永久に手に入れたわ。
彼の加工は3~4日で終了するから、捜査の手が伸びる前にきっと高跳びできる。
世界が一挙にバラ色になった気がした。
あたしがちっちゃい時から不思議ちゃんだったのは、きっと彼を手に入れるため。
やっと長い夢がかなった満ち足りた喜び。
胸いっぱいの幸福の中でチークのステップを踏むの。

 ねえ?
彼がどうなったか知りたい?
行方不明者?行路死亡人?
あはは、そんなに単純なものじゃないわ。
あたしの一部になったのよ。
あたしを荘厳する装飾品になったの。
そして常に、あ・た・し・自身に触れてる。

 南米や東南アジア、インドやアフリカ、ヨーロッパにあった呪術。
相手の圧倒的に優れた能力と超常的魂を専有するための永遠呪縛の呪い。
昔はサボテンの棘で目や口を縛ったりしてた。
これでもう、わかるかしら。
そう、彼は「干し首」になったのよ。



          * * * * 



 21世紀の今の技術は長足の進歩。
人文博物館にあるような、あんなチープなものじゃない。
手のひらより小さくても、肌の色、質感、髪、生きていた時のまんまに加工できる。
軽くて中は空洞。
頭蓋骨も軟骨も肉も脂肪も、皮だけ残してなにもないのよ。

 だから、あたしは彼を「ペニス・サック」にしたの。
通常時のあたしは15センチくらいだから、ぴったりだったわ。
これって角や骨を使う南米やアフリカの蛮族の風習みたいだけど、常に彼を股間に感じるの。
その至高の時にあたしは酔い痴れる。
初めて装着した時、射精しちゃった。
あたし、やっぱり♂だったんだって哀しかったけれど、彼がそうしてくれたんだと思えたら、心が震えるほどうれしかった。
間違いなく彼の魂を得たんだなって。
いつも彼が見つめてくれてる果てしない幸せ。
あたしはもう、ひとりじゃないの。

 店の子にはシレッと「失恋旅行でもしよ」って連絡して、火曜から臨時休業にしたわ。
ホテルは支配人にまかせた。
いづれくれてやるつもりよ、惜しくないもの。
笑っちゃうのは、だ~れも疑わないの。
それどころか同情してくれた。
世の中甘いわよね。

 資産は以前から海外バンクだし、国外に出ればあたしはただの旅行者。
そしてひっそりと世間から消えるの。
すべてを忘れて、彼とともにだれも知らない別の人生を生きる。
ステキよね。
あははは。


          * * * * 


 でも、遅いわね。
なに手間取ってんのかしら、この飛行機。
出発前に足止めなんて幸先悪いわ。
ほんと、心配になっちゃうじゃない。
遅延理由のアナウンスもないなんて、この会社、もう利用してあげないから。

 小さな窓からのぞいてみる。
前方に主翼の一部、その後ろに見える地面には牽引車が動いてるだけ。
機体トラブルかしらね?
このごろ多いわ。
とにかく、あたしには関係ない。

 あっ。
でも、待って。
ミリメイタ・ウエイブって服を貫通するわよね。
確か有機体は薄いオレンジに表示されるんだっけ?
あたし、彼を股間に着けてる。
つまり、証拠を持ってる。
スキャンして拡大したら、その正体がわかっちゃうかもぉ?
いやだわ、天網恢恢。
いけないものを持ってるあたしが、赤裸々に曝されちゃうじゃない。

 やっぱり、プライベート・ジェットにすべきだったかしら?
でも、木は森に隠せよ。
大衆にまぎれていたほうが、目立たないのも事実だわ。
って、いうか、あたしは手を下していない。
だから、罪にはならないのよ。
それが刑法よね、たぶん。
 
 あらら、ドアの方が騒がしいのはなに?
心が波立つのはなぜかしら?
ふふっ、いいわ、あたしのクソ度胸。
見事にあしらって見せるわよ。
こっちよぉ。
あなたの目的のあたし。
カァマ~ン、ディテクティブ(刑事)さん。

ペニス・サックは彼(あるオネエの独白)

ペニス・サックは彼(あるオネエの独白)

題名そのままのお話です。 「え~?おれってこんなの書くのぉ」と、自分自身がびっくりした作品です。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • サスペンス
  • 青年向け
更新日
登録日
2020-01-15

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