だれかのための備忘録

Uさん

  1. 犬①
  2. 犬②
  3. たばこ屋のボス
  4. 転校生

犬①

放し飼いの犬が、当たり前にまだいた頃。
犬は、私の恐怖の対象だった。

毎週水曜に通っていた書道教室へ行くには、放し飼いの大型犬の横を通らなければならなかった。
目を合わせず、決して走ってはならない。
数メートル前から長い毛の大型犬が電柱の下に佇んでいるのが見える。小学校低学年の私には熊のように大きく獰猛に見えた。
しつけがされていたらしく、大型犬の行動範囲はきっちり決められていた。見えないラインの外には出ないらしかった。
私は、横を通る度に心臓が縮まる思いで見えないラインの内側をやり過ごし外側に出ると走る。

毎週水曜が憂鬱だった。

犬②

私の住んでいた団地の近くには小さな公園があった。すべり台と砂場と、他にも何か遊具があったのかもしれないがあまり覚えていない。
四、五人のいつものメンバーで遊ぶ私達が常に警戒する危険なものは「放し飼いの犬」だった。あの当時、さすがに野良犬はもうほぼいなかったと思うが首輪を着けていたり着けていなかったりする犬がいた記憶がある。
おそらく同じ犬ではなかった。たまにやってくる犬は、公園で遊ぶ私達を見つけると決まって走ってやって来た。
今思えば、ただ遊びたかっただけなのだろうが、追い回される私達はひたすらに恐ろしかった。

「来た!」

いち早く気づいた誰かが声をあげると、皆急いですべり台の階段を駆けあがる。
すべり台の一番上は安全な場所だった。犬は上を眺めてくるくると回り、やがて諦めて公園から出ていく。
私達は、すべり台をおりて再び砂場で遊んだ。
いつでもすべり台の上へ避難できるように、砂場でしか遊んでいなかったから他の遊具があったかどうかの記憶がないのかもしれない。

ある日、いつものように犬に気づいた私達はすべり台の一番上に避難して、さっさと公園を出ていってくれるように願いながら上から犬を眺めていた。

すると階段側にまわった犬は、階段を一段ずつのぼり始めた。
「犬」は階段をのぼれない、と思い込んでいた私達は驚いて叫びながら各々すべり台をすべりおりて走って逃げた。
振り返って見た、追いかけてくる犬の躍動感溢れる画像が思い出される。一番年下で足の遅い私の横を犬が抜いていった時、私の恐怖は薄れはしたが家に逃げ帰ってドアに鍵をかけて敷き布団の下に隠れた。

そういえば、すべり台の階段をのぼる犬にはそれからは遭遇していない。

たばこ屋のボス

近所のたばこ屋には、番犬がいた。
名前は「ボス」だった。ボスは、焦げ茶色の柴犬のような見た目の雑種で、吠えたり暴れたりはしなかったが、あまり近づくと唸る犬だった。
たばこ屋のおばちゃんは、人間が怖いのよと言っていたから、たばこ屋に来るまでに人間が怖くなる何かがあったのかもしれない。
犬が苦手なくせに私はランドセルを背負ったまま、よくたばこ屋の犬を見に行っていた。
一定の距離で眺める分には、大人しい静かな犬だった。皆ボスには近寄らなかったが、私はボスの賢そうな目が結構好きだった。

一度だけ撫でさせてもらったことがある。

私は、ある日話しかけた。

「あの、ちょっとだけ撫でてもいい?」

すると、ボスは顔を背け背中をこちらに向けてピタリと動きを止めた。いいよ、と言われた気がした。
触るよ、触るからね、と呟きながら背中を撫でた。

焦げ茶の毛は、手のひらに刺さるようにかたく、触った瞬間毛皮の下の筋肉がビクリと緊張したのがわかった。

震えていたボスに不要な緊張を強いた私は、今でも大いに反省している。

転校生

通常、人生において何人の転校生と出会うかは知らないが、私は多い方ではなかったかと思う。学校が街の中心地にあったからだろうか。転校を見送ることも多かった。

私は、率先して転校生に話しかけ、学校案内と称して校内を一緒に歩いたりした。途中まで一緒に帰ったり、お節介の域に入りながら「転校生を放っておかない」ことに力を費やしていた。

なぜなら、私も「転校生」だった。

私が転校してきたのは小学生の時。同時にもう一人転校生がいた。
東京から来た転校生だった。
県内から引っ越してきただけの私よりも東京からの転校生に皆の目が行くのは当然のことで、特別目立ったところもなかった私は「転校生」であることを忘れられる存在になった。
校内の諸々の場所は教えてもらえなかったし、更衣室の場所がわからなくて隣の人に聞くと「ああ、そういや転校生だったね」と言われる始末だった。

私は、校内案内に皆喜んで連れて行ってくれるものだと思い込んでいた。今思い出しても恥ずかしいが、転校生は皆にチヤホヤされるはずだと完全に期待していた。

私は勇気を出して言ってみることにした。
「校内を案内してくれない?」
あの時の女の子のなぜそんなことをする必要があるのか、本気でわからないという顔を覚えている。
途中ですれ違った人に、なにしてるの?と言われて、なんかね校内を案内しろって言われて、と答えているのを聞いて居たたまれなかった。案内しろ、と言ったつもりはなかったがその女の子にはそう聞こえたのかもしれない。

私はそれから、転校生には親切に、をモットーに小・中学生を過ごした。
私がして欲しかったことを押し付ける稚拙なやり方だったからもちろんうまくいかない場合もあって、最初こそ仲良くしていたものの段々離れて全く話さなくなったこともあった。
本当にただの自己満足だった。

中学生の時に、親の仕事の都合で転校を繰り返している女の子がやって来た。
いつも通り何かと話し掛けていると、この学校の人は今までで一番親切だと言われて本当にうれしかった。仲良くなったところで引っ越すと悲しいから、あまり仲良くならないように気をつけていると言っていた。

かわいい子だったけれどそれを少しも鼻に掛けない明るく楽しい子だった。何度か一緒に下校もした。

ある日、学校に行くとその子は引っ越して転校した後だった。

「本人からの希望で、お別れを言うのがつらいので何も言わないまま転校したい、との事でした」

私は最後に何を話しただろうか。

だれかのための備忘録

だれかのための備忘録

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-01-14

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