幸せのありか

mitsuki

幸せのありか

 この中で結婚してないの、私一人になったなぁ。
 高校時代の仲良し四人組でごはんを食べたとき、ふゆはふとそう思った。
「女の子は赤ちゃんの頃から女の子だよ。父親は言いなりになるって、もうわかってる」
 大学卒業直後に結婚した友達は、五歳になる娘のことを苦々しげに話す。
「女の子が生まれるのはわかってるの。今はただ元気に生まれてくれればって思う」
 去年結婚して、妊娠七か月の友達は、とにかく生まれてくる赤ちゃんの健康が心配そう。
 二人の話を聞いていた、もう一人の友達がつぶやく。
「子どものことを言われると、重たい……」
 実はこの中で一番早く結婚した友達は、子どもができないことがつらそうだった。
 先の二人は、触れてはいけない話題だったという顔をして黙った。
 ふゆも困って、運ばれてきたピザを無言で切り分ける。
 ふゆはアドバイスできる立場にないから、何も言う気はなかった。
「子どもは授かりものだから。気長に待とうよ」
 最初の友達が、一児の母として無難なことを言う。
「できるときは案外できるよ」
 二人目の友達も、慰めになるかわからない言葉をかける。
「……そうだよね。今を楽しまないとね」
 悩んでいる友達も、一応うなずいてピザに手を伸ばした。
 仲のいい友達同士なのだから、お互いの折り合う場所もよくわかっている。
 よかったと思いながら、ふゆは豆乳鍋の取り分けを開始した。
 今年で全員三十歳になった。毎年、年末頃に予定が合う。この集まりももう十回以上になる。
 職業もばらばらだ。公務員、美容師、主婦。ふゆは会社員だ。
 けれど何かしら共通点をみつけて、四人で話してきた。引っ越しとか、家事とか、おいしいランチ。
 それが結婚のときもあったけど、今はもう三人が終えてしまったので、話題にはならない。
 その方がいいなぁとふゆは思う。
 気持ち悪くない人ならつきあうくらいでいなきゃ。いつかこの中の誰かにそう言われて、ふゆはげんなりした。
 結婚は夢ではないと言うけど、その出発点から歩いた先に幸せはないと思った。
「他にも何か頼む?」
 夢見がちでもそれが私だから。今もそう思ってる。
 鍋を取り分け終えてふゆが一同に問いかけると、問い返された。
「ふゆは何がいい?」
「みんなが選んだものでいいよ」 
「それじゃだめなんだって」
 みんなにちょっと厳しく言われる。
「本当は何が好きなの? ふゆ、好みを言わないと食べられないよ」
 きっとその通りだった。
 ふゆは取り分けるのは好きだけど、自分ではめったに注文しない。でもそれは、優しい性格だからじゃない。
「私たちが選んだもの、結局ほとんど食べないじゃない」
 人が選んだごはんは、胃もたれするから。自分の体を守るために、食べない。
 ずるい性格だと思いながら、ふゆは苦笑する。
「そっか。だめか」
 反省するそぶりも見せないのが、せめてもの友情のような気がしていた。




 女子会の帰りの電車の中で、友達の一人と窓の外を見ていた。
「座って」
 大きな駅で人がだいぶ降りたから、席が一つ空いた。ふゆは彼女に席を譲って、庇うように自分が前に立つ。
「ごめんね。ふゆ、今日も仕事帰りで疲れてるのに」
 優しいというなら、妊娠七か月の友達が、たぶん四人の中で一番優しい。周りを柔らかい空気にしてくれる。
「そう? もう十年近く働いてるから、今更」
 ふゆが思ったままを答えると、彼女はおっとりと笑う。
「ふゆはえらい。私、子どもができるまで散々仕事をやめたいって愚痴ったのに、ふゆからそんな言葉は聞いたことない」
「そうだっけ?」
「うん。私たち、集まるといつも愚痴を言い合うのに、ふゆは言わない」
 そういう分け方もあったのだと思って、ふゆは彼女の優しさを感じる。
 同時に思う。結婚で人と線引きをした自分は、だからこそとても結婚を気にしてるのだろうと。
「だんなさん、元気?」
 久しぶりにふゆは、彼女に紹介した元同僚のことを切り出す。
「うん。この間カレーを作ってくれたよ。私、つわりがひどくて全然食べられなかったけど」
 一度は好きになった人を、紹介した。他の友達も、ふゆが素敵だと思った人を勧めて、結婚した。
 そんなふゆの内心は、誰にも言えなかった。
 今でも好きだとは、思っていないけど。いつか見送った感情は、時々胸を刺す。
「よかった」
 つり革をつかみ直して、ふゆは夜に浮かぶ町明かりを見やる。
 ふゆが結婚していない理由は、いろんな言われ方をした。
 理想が高い。不倫しそう。実は男性に興味がないんじゃない?
 ふゆは、どれも違う気がしている。
 いっぱい人を好きになった。不倫はいろんなものを失くすのでしない。ちなみに今まで性的に興味を持ったのは異性だけ。
 でもいちいち違うって怒るのもね。今はそういう感じで、いろんな理由を聞き流している。
「お腹いっぱい。おいしかったな」
 友達が満足げに言うのを聞いて、ふゆはちくっと心が痛む。
 みんな、あれもこれも足りないと愚痴を言いながら、ぽろっと「よかった」と口にする。
 ……私もお腹空いたな。
 言わなくてもいいことだから、今日も言わないだけ。
「よかった。がんばってお店を探したかいがあったよ」
 窓の外から目を戻して、ふゆは笑った。




 飲み会の帰り、いつも寄るところがある。
 最寄り駅で降りて家とは反対側に十分。住宅街の中にある小さなケーキ屋さんの前を通る。
 当然そんな時間には、開いているはずもない。店内にインテリアとして飾ってある明かりだけが、青い天使のオブジェを照らしている。
 その前で立ち止まって、少しの間だけ明かりと天使を眺める。
 マッチ売りの少女みたい。そんなことを思ったところで、二階の窓が開いた。
「腹減ってる?」
 顔を出して声をかけたのは、同い年の幼馴染だった。
 ひょろっと背が高くて、いつも声がかすれている。彼の黒目がちの目を見ると、ほっと安心した。
 うん、とふゆが小声でつぶやくと、彼は部屋に引っ込んで階下に降りてきた。
 彼は中から鍵を開けて、電気をつける。ふゆが足を踏み入れると、彼は奥の厨房に向かった。
 二席分だけのイートインスペースで座って待つ。こうして飲み会の帰りにここに寄るのは、もう数えきれないくらいになったと思う。
「売れ残りしかないけど」
 彼はお盆の上に、売り物の余りを乗せて持ってきた。
 売れ残りといいながら、いつもきらきらしたケーキを出してくれる。季節の果物のタルト、ベイクドチーズケーキ、紅茶のシフォンケーキ。
「ありがとう」
 そしてふゆがいつも手に取るのは、ケーキではなく、その脇にちょこんと置かれたもの。彼がまかないで作っている自家製食パンなのだった。
 バターもジャムもつけず、八つ切りのパン一枚をちぎりながら食べる。
 ひと口、ふた口目。
 遠ざかっていた空腹に追い付かれて、じわっと目がにじむ。
「……おいしいなぁ」
 目じりに浮かんできた涙を手の甲で拭って、ふゆは泣き笑いの顔になる。
「おいしい。明日死んでもいい」
「死ぬなって」
 彼は苦笑して、隣の席に座る。
「また飲み会で嫌なことでも言われたのか?」
 窓越しに、ぼんやりした宵闇を見ながら二人で話す。
「私に何も言わなくなるのも、そろそろかなぁ」
 また目がにじんできて、ふゆは手の甲でそれをぬぐう。
 テーブルに置いてあるティッシュ箱を引き寄せて、彼はふゆに渡す。
 でもその必要はなかった。涙はまもなく止まった。
 ふゆはよく泣くけど、仲のいい友達でもあまりそれを知らないのは、たいていすぐに泣き止むからなのだった。
 本当にひどいふゆの泣き顔をよく知っている彼には、今更涙を隠さなかった。
「ごちそうさま。おいしかった」
 一枚のパンを完食して、ふゆはぺこりと頭を下げる。
 顔を上げたとき、幼馴染の苦笑と出会った。
「また来いよ」
 あたたかい宵闇のような黒目がちの目が、ふゆを見ていた。
「パンならいつも残ってるから」
「……それじゃだめだよ、悠太」
 ふいに胸をついた感情が、ふゆに言わなくていいことを言わせた。
「パン、残してるの知ってるよ。私の分は、要らないよ」
「ふゆ」
 悠太はかすれた声で言った。
「いつか泣いてたな。早くしないとあなたの分はなくなるって、みんな脅すって。まるで椅子取りゲームだって」
 ふゆがうつむくと、悠太は続ける。
「こうも言ってた。私の分なんてものが、本当にあるのかなって」
 悠太は黙って、ついと踵を返す。
 厨房に引っ込んで、悠太は何かを持ってくる。
 それはパンではなく、ふゆが一番好きなブルーベリーラスクだった。
 不意をつかれた思いがして、ふゆは息を呑む。
「あるんだ」
 悠太はラスクの詰め合わせをふゆに渡して言う。
「ふゆの分は、ちゃんとある。用意してる」
 ふゆはこくっとうなずく。また目がにじんできていた。
 もしかしたら、と思う。
 私、最後の一人なのかもしれないけど。でもこれでよかった。最後の席には、私が欲しい幸せがある。
 ぽろぽろ泣くふゆの頭をぽんと叩いて、悠太は泣くなよとつぶやいた。
 一人同士の二人を取り巻く宵闇は甘くなく、ただ静かに見守っていた。

幸せのありか

幸せのありか

結婚していない最後の一人になった彼女の、幸せのありか。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-01-12

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