つないでゆく、ほどくこともなく

 ひまわりが、よくにあうおとこのこでした。わたしは、いつから、わたし、というにんげんを、捨てたか、という問いに、答えは、たぶん、なくって、ひるまの野原に、横たわっている、せんせいが、永遠に、わたしのせんせいであるように、だれかの言葉に傷ついている、きみが、夜ごと変化する、星の光を、数えるのとは、さもありなん。びかびかまぶしい、テレビのなかで、きょうもひとは、泣いて、怒って、笑っている。フランスパンをいれるためだけのバッグ、というものをフリマアプリでみつけて、ほしくなった、けれど、わたし、フランスパンをあまり、たべる習慣がないなと思いながら。
 雑誌のページをめくれば、かわいいおんなのこと、きれいなおんなのこであふれる現代に、わたしは、果たして、だれに、なにを、伝えたいのか、ふつふつとわいてくる単語をつなげて、数珠つなぎみたいな呟きを、SNSでしている。詩人気取りだなんて、そんな、むしろ、詩人気取りでいられたら、もっと、楽なのに、ぜんぜん、詩人になりたいわけでも、ないの、に、言葉を連ねてゆくことを、やめられないで、土曜の午後、きっと、今頃、せんせいは卓球部の顧問として、学校にいて、バレーボール部のきみも、たぶん、コートのなかで、がんばっていて、わたしは、スマートフォンとにらめっこで、おとうさんはサッカーを観ていて、おかあさんは仕事で、わたしはまた、せかいのどこかにいるであろう、ひまわりの花がよくにあうおとこのこのことを、かんがえながら、インフルエンザにはなりたくないけれど、学校はおやすみしたいと思っている。
 フランスパンをたべるならば、いちごのジャムでたべたい。ずっと。

つないでゆく、ほどくこともなく

つないでゆく、ほどくこともなく

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-01-11

CC BY-NC-ND
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