幻茸城5―松露
鼠と茸のファンタジー、縦書きでお読みください。
「姫様、きょうはどこぞへ行きますかな」
大黒鼠の爺が赤鼠の姫に尋ねている。
「爺、今日はついてこないでよいぞ」
赤鼠の姫は横をむいたまま返事をしている。
「そうはいかんですぞ、亡き殿に、この城の城主としてお育てせよと、遺言されておりまするぞ」
「大丈夫じゃ、私も少しは大きゅうなったし、よい友達もおるし」
「女郎蜘蛛や鬼蜘蛛たちですな、あれは友達とはいえませんな」
「蝙蝠もおる」
「悪い奴らじゃないことは分かり申したが、何せ品がない」
「品とはなにじゃ」
「生まれでございますじゃ、姫様は鼠の殿のお子様、殿が亡くなられ、姫が鼠たちの上に立つようにならねばならないのです」
「それが、品と申すものか、よく分からぬの」
赤鼠の姫は珍しくちょっとふくれっつらだ。
「ともあれ、悪いことに巻き込まれないようにしなければ」
「女郎蜘蛛の姉さんたちは私を守ってくれます」
「まあ、そうじゃが、黒鼠の兵を二匹お連れくだされば、爺はまいりませぬ」
「仕方ないのう、それじゃその者をよこしてくださいな」
「そうしてくだされ、すぐ来させますでな」
ということで、赤鼠の姫様は城を出ると、二匹の大きな黒鼠を伴って、池の辺にやってきた。
池の辺では女郎蜘蛛と鬼蜘蛛がいつものように、唐笠茸の下で待っている。
「おや、お嬢さん、今日はごっついお供を連れて来ましたね」
「爺が連れて行けと申したのだ」
「黒鼠の兄さん方、遊びに行くのに腹ごしらえだ、ちょっと旨いものを持ってきたので、一緒に食わねえかい」
鬼蜘蛛の兄さんが、糸でくるくる巻いた荷物を紐解くと、中から、黄色い茸が転がり出てきた。
「この茸は旨いんだぜ」
鬼蜘蛛は二匹の黒鼠に渡した。
黒鼠は姫にお伺いを立てた。
「姫様、いただいてよいのでございますか」
「もちろんじゃ、遠慮するでない」
との姫のおことば。
喜んだ黒鼠はいさんで黄色い茸にかぶりついた。甘い汁がじゅうと出て、その美味しいこと。
「これは旨い茸だ」
二匹の黒鼠はまたたくまに食べてしまった。
すると、あっというまに二匹は鼾(いびき)をかきだした。
「ほほ、眠り茸さ、さて、我々は遊びに参りましょう」
「今日はどこへ」
「さあて、そろそろ、呼んでおいた者が来るはずだが」
女郎蜘蛛が空を仰ぐと、南の方から黒い点が近づいてくる。
それは大きな羽を広げた鬼蜻蜒(おにやんま)であった。
女郎蜘蛛が手を振る。
三匹の鬼蜻蜒が池の畔に降りてきた。
「鬼蜻蜒の兄さん方、よくきてくれた」
「いいや、かまわねえさ、なに、その赤鼠のお嬢さんを連れていきゃあいいんすな」
「ああ、よろしく頼むよう」
「それで、どこへ行きやすな」
「ちょっと遠出だけど、海に行ってみないかえ」
鬼蜻蜒はちょっと驚いた。
「そこまで行くには山越え山越えまた山を越えなきゃあなんねえ」
「大変かい」
「飛ぶのは大丈夫だが、姉さん方がどうかね、上がって下がって、繰り返しだよ、蜻蛉(とんぼ)酔いになるかもしれねえ」
「大丈夫さね」
「その赤鼠のお嬢さんはどうだね」
「あい、大丈夫です」
「そうか、じゃあいくか、背中にのんなせい」
赤鼠の姫と二匹の蜘蛛はそれぞれ鬼蜻蜒にまたがった。
鬼蜻蜒は空高く舞い上がった。
姫は「あれー」と、声をあげ、すごいすごいと喜んだ。
池の辺が小さくなると、鬼蜻蜒はまっすぐに山に向かった。
林や畑がどんどん後ろに飛んでいく。遠くに見える山がもう近づいて来た。
山の木々が目の前にくると、鬼蜻蜒はスイーッと上昇をし、山の上に出た。
「きれい」赤鼠の姫様は鬼蜻蜒の上から、次々に迫ってくる山の緑を楽しんだ。
鬼蜻蜒は山の天辺の上空に昇った。
遠くに山がいくつも見える。
しばらく飛んでいくと、きらきら光る緑色の大きな池が見えた。
「大きなお池」
赤鼠の姫が声を上げると、並んで飛んでいる鬼蜻蜒の上から、女郎蜘蛛が叫んだ。
「あれが海ですよ」
「海は大きな池なのね」
鬼蜻蜒が笑った。
「はは、まあ、そうでしょうかね、でも違うんでやんすよ、着いたら、教えてあげやしょうね」
「おりゃあ、松の木に巣を張って、砂浜にすむ奴らをみんな食っちまうんだ」
鬼蜘蛛は舌なめずりをした。
「全く、意地汚い、海に何がいるのさね」
女郎蜘蛛の姉さんが鬼蜘蛛に言った。
「初めてだから知るわけないだろう」
「なんだいおまえさん、知らないで巣を張ろうって言うのかい」
「おうよ、海の向こうの国から旨い虫が飛んでくるかもしれん」
それを聞いた鬼蜻蜒が背中を揺すった。鬼蜘蛛が驚いてかじりついた。
「おい、鬼蜘蛛、やたらと虫を食うんじゃない、蜻蛉を捕るなよ」
「おい、あぶないよ、落ちるじゃないか」
「虫を喰う奴なんか乗せるんじゃなかったよ」
「へへ、蜻蛉は喰わねえ腹下す」
「なんだい、それは、そいじゃ、喰ったな」
「あの小さい奴さ、池にうじゃうじゃいる糸蜻蛉、旨くねえ上に、腹が悪くなった」
「そうかい、そういやあ、俺も最近、蜘蛛を喰った。あいつは旨かった」
「おいおい、鬼蜻蜒の旦那は虫を喰うのかい」
「そうだよ、あんたらと同じだ、蜘蛛も喰う」
「あー、おっそろし、鬼同士で仲良くしようぜ、蜻蜒の旦那」
「そうだな、まあ、今日の所は、あんたらのお供だ、仲良くしなきゃ、赤鼠の姫さんが泣き出すからな」
「そうだよ」
などと、他愛ないようで、赤鼠には恐ろしい話をしていると、だいぶ海に近くなってきた。
風が強くなり、大きな鬼蜻蜒も飛ぶのに一苦労。
それでも、向かい風に立ち向かって、鬼蜻蜒は力強く飛んでいく。
やがて海の白波が目で追えるところまできた。
「白い泡が立っている」
赤鼠の姫様は目を見張った。大きな池どころではない。水しか見えない。
鬼蜻蜒たちは最後の丘を越して、松林がはっきり見えるところまできた。
「もう少しだ」
鬼蜻蜒も大分疲れた。
砂の上を飛んでいくと、強い風で鬼蜻蜒が揺れた。
「おっと、あぶない」
鬼蜻蜒は低空飛行に変えた。砂山の上をすれすれに飛んでいく。
「すごい砂原」
赤鼠の姫はこんなにすごい砂山を見たことがなかった。
「ほんとにすごいねえ、この砂は」
女郎蜘蛛の姉さんも、鬼蜘蛛の兄さんも初めてだ。
「海ってところは、虫なんぞすめねえな」
「うまい虫にありつこうっていうわけにいきそうもないね」
「そうだなあ」
鬼蜘蛛の兄さんは気持ちの切り替えは早い。
「松にでっかい蜘蛛の巣を作って、海にすむ奴らを驚かせてやろう」
別の楽しみをもう見つけている。
鬼蜻蜒は松林にはいると、勢いを増し、一直線に松林を突っ切って、海の上に出た。
大きな波がザブーンと飛沫をあげて押し寄せてくる。
鬼蜻蜒は海の上で、空中停車をした。
「海の波を見てごらん」
下をみて、びっくりして何にも言えない赤鼠のお姫様は、鬼蜻蜒にかじりついた。
飛沫がかかり、毛が濡れた。
口の中に海の水が飛び込んだ。
「きゃ、塩辛い」
「海の水は塩辛いのさ、あたしも聞いて知っていたが、初めてさ、こんなに塩辛いなんてねえ、鬼蜘蛛」
「確かにそうだ、すごく塩辛い」
「海にだれかが、お塩をいれたのね」
赤鼠の姫様がそう言ったから、みんなが笑った。
「一体誰だろうね、塩をいれちまったのは」
女郎蜘蛛が言うと、鬼蜻蜒が「塩から蜻蛉さ」と答えたものだからまたみんな笑った。赤鼠の姫様だけがわからなかったようだ。
鬼蜻蜒は海の上から砂浜に戻り、松林の袂にあった大きな石の上に着陸した。
「さー着いた、今度は歩いていって、海をじっくり見てくるがいいや」
「あい」
赤鼠は鬼蜻蜒から降りた。女郎蜘蛛も鬼蜘蛛も降りた。
「おれたちゃ林の中で羽を休めているから、遊んどいで」
三匹が降りると、三匹の蜻蜒は林の中に飛んでいった。
女郎蜘蛛と鬼蜘蛛は石の上から海を見た。
赤鼠の姫様は目を丸くしている。
海の水が盛り上がって、砂浜にやってくると、さーっと砂の上をすべってこちらにくる。と思うと、さーっと引いていってしまう。
「海って生きてる」
「うーん」
蜘蛛たちも初めての海である。
「確かに、動いている」
「さー、お嬢さん、海の水の近くに行ってみますかえ」
女郎蜘蛛はそう言うと、石をするすると滑りおりた。鬼蜘蛛も同じように降りた。
赤鼠の姫様はぴょーんと下に飛び降りた。
「ほ、お姫様といえど、さすがに鼠、度胸があるな」
鬼蜘蛛の兄さんにほめられて、ちょっと嬉しくなった赤鼠の姫様は、先に立って砂の上を歩き始めた。
風で砂がしょろしょろと飛んでくる。それをよけながら、赤鼠と蜘蛛たちは波打ち際に向かって歩く。
「これはなに」白くて堅いものが砂の上に転がっている。
「これが、貝殻だよ」
鬼蜘蛛が珍しく優しい声で説明をした。
「白くてつるつるしていて綺麗」
歩いていくと巻貝の殻があった。
「あ、海にもにでんでん虫」
「それも貝よ、カタツムリも貝なのさね」
女郎蜘蛛が説明する。
「ふーん」
「旨そうなものはないな」
鬼蜘蛛は周りを見渡して言う。
やがて、波打ち際にきた。波が寄せては引いていく。
「すごい」
赤鼠のお姫様は、波によって砂や貝がころころところがっていくのに目を見張った。
見慣れない植物が、三匹の目の前に打ち上げられた。
「おや、これは海綿というものではないかい」
「そうだな、あ、ここにも蟹がいる」
「海にも蟹がいるの」
「海は広い広いところ、蟹もいれば魚もいれば、妖怪たちもうようよいるのです」
「妖怪、ってなに」
「はは、長く生きすぎた生き物が行き着くところは妖怪なんだよ、姫様」
「あたしも長生きすると、妖怪になるの」
「そうなって、頭領になるのさ、姫様の運命はね」
さて、三匹はしばらく波打ち際で波の踊りを見ていたが、鬼蜘蛛のお腹がぐーとなったことで、松林に戻って食事と相成った。
「赤鼠のお嬢さんは、松の木の下の砂を掘ってごらんよ」
「どうして」
姫様が不思議な顔をしていると、
「ほら、ここら当たりがいいよ」
女郎蜘蛛が松と松のあいだの砂地を赤鼠に示した。
赤鼠の姫様は鼻を砂に潜らした。
「ほほ、違う違う、前足でかいたらいい」
赤鼠のお姫様は自分で土を掘ることをしたことがない。
言われたとおりに前足で砂をかくと、確かに掘れていく。
「面白い」
勢いにのって、砂の穴が広がっていくと、ころっと丸いものが足下に飛び出した。
「ほら、出た」
「ほんとだ、おいらも初めて見るね、噂にゃあ聞いて知っていたが」
「これなあに」
赤鼠の姫様が女郎蜘蛛に尋ねる。
「松露(しょうろ)つうんですよ、お嬢さん。茸さね、あんたのお昼、昔松の木で生まれた蜘蛛が、風に乗って飛んで城にきたときに聞いたんですよ、松の木の下を掘るとあるってね」
「え、これが茸」
「おいしい茸だそうだよ、もっと掘るととたくさん出てくるよ」
「そいじゃ、おいらは、松林の中に巣を張ろう」
鬼蜘蛛は松の木に登ると、尻から糸を吐き出した。
「あたしも張るよ」
女郎蜘蛛も松の木に登った。
赤鼠の姫様は一生懸命掘った。
足下に三つも松露がころがった。
巣を張った蜘蛛たちが松の木から降りてきた。
「おいらたちは虫がかかるまで、ここで待ってやすから、お嬢さんはお食べやす」
「あい、兄さんたちはどうです」
「あたしら、そういうのは食べないよ」
赤鼠は松露の砂を払うとかじった。
「あ、おいしい」
「ほー、城の茸とどっちが旨いかい」
「不思議な味、お城に生える茸とは違う」
鬼蜘蛛の巣が揺れた。
「お、きた」
鬼蜘蛛は糸を伝って、松の木の間に張った大きな蜘蛛の巣に登っていった。
「でっかいな蠅が引っかかったぞ」
鬼蜘蛛は青い大きな蠅を糸でくるくる巻きにした。
女郎蜘蛛の巣にも獲物がかかった。
「金蠅じゃないか、海の蠅は肥ってるね、きっと魚を喰っているからだろうね」
女郎蜘蛛も鬼蜘蛛も鱈腹旨い汁を吸いとって大満足、木の下に降りてきた。
「お嬢さん、どうだい、松露は旨かったかい」
「あい、おいしゅうござんした」
「その松露もってくのかい」
赤鼠の姫様は小さな松露を一つもっていた。
「あい、爺やにお土産」
「あの爺さんかい、そいじゃ、あとで、酒をとどけてやろう」
「そりゃあ、喜びます」
そこに、三匹の鬼蜻蜒が戻ってきた。
「でっかい巣を張ったね、鬼蜘蛛のあんさん」
「おーよ、世界で一番でっかい巣を作りてえのよ」
「そいで、何がかかった」
「青蠅が何匹もかかって、旨かったぜ」
「おー、そりゃよった。おれたちも青蠅、金蠅、いろいろ食ったぜ、みんな肥っててよ」
「そうーよな、海の蠅は魚ってえ栄養のあるやつにたかって、肥っちまったんだ」
「赤鼠のお嬢さんはどうでしたかい」
「海も面白かったし、松露も美味しかった」
「そりゃあよかったじゃないか」
「さて、帰るか」
三匹の鬼蜻蜒は石の上に着陸した。
赤鼠の姫様たちが背中に乗ると、鬼蜻蜒は一気に空に上昇した。
陸に向かって吹く海風に乗って勢い良く飛んで行く。
しばらく飛んだところで、姫様が言った。
「ねえ、長く生きていて妖怪になった虫に会いたい」
鬼蜻蜒はびっくりした。
「だれでえ、姫さんにそんなこと教えたのは、まだ早ええじゃないか」
「あたしだよ、教えたのは、このお嬢さんは、お城の主になるんだよ、いまでも肝はすわってるさね、わっちらについて来ようってんだから」
「ちげえねえ」鬼蜻蜒も頷いた。
姫が、
「妖怪はどこにいるの」
と聞いた。
「ほほ、妖怪はそんなに簡単には顔を見せてくれないのさ」
「そうさね、あっちらだって、会ったことはねえ」
と鬼蜻蜒の兄さんたちが口をそろえた。
強い風のおかげで、帰りはすごい速さで戻ることができた。
あと、山を二つ超えれば城に帰ることができる。
日が暮れはじめ、あたりがぼんやりとしはじめた。逢魔が時だ。
鴉が群をなしてこちらに向かってきた。家路に向かうのだろう。
数羽の鴉が悪戯(いたずら)に近づいてきた。
「お、鼠と蜘蛛を乗っけた鬼蜻蜒が飛んでら」
鴉はひゅーっと、鬼蜻蜒の前を横切った。
蜻蛉の中で一番大きな鬼蜻蜒でも、鴉にはかなわない。
「お、あぶねえ」
鬼蜻蜒たちはよろよろと揺れた。
また、違うところから鴉がひゅーと飛んで空気を乱した。
また鬼蜻蜒が右左に揺れた。
蜘蛛と赤鼠は鬼蜻蜒にかじりついた。
「乱暴なやろうたちだ、ばかやろう」
鬼蜘蛛が怒鳴った。
「蜘蛛のくせに生意気なやろうだ」
群の中の一羽の鴉が、鬼蜻蜒にぶつかる擦れ擦れのところを飛んだ。
鬼蜻蜒がぐらぐら揺れ、鬼蜘蛛が振り落とされた。
「あ、鬼蜘蛛」
女郎蜘蛛が叫んだ。
「助けてくれー」
下を見ると、鬼蜘蛛が落ちていく。
一羽の鴉が、「喰っちまえ」と急降下した。
「鬼蜘蛛の兄さんが食べられちゃう」
赤鼠のお嬢さんが大声を上げた。
そのとたん、夕闇が一気に迫り、あたりは真っ暗になった。と思うと、バサバサバサと闇を押しつぶすような音を立てて大きな鳥が浮かび上がった。
大きな鳥がばさばさばさと羽を揺らすと、鴉たちは空中でくるくる回り、仲間とぶつかって目を回し泡を吹いた。羽は抜け落ち、あたり一面に黒い羽が散った。
鴉たちはみな「禿鴉」になってしまった。
大きな鳥の赤い大きな目が鴉どもを見た。
禿げた鴉たちはその恐ろしい目に身震いをした。
大きな鳥が口を開けるとするどい牙が飛び出した。
「お、お許しを」
鴉たちは縮み上がり寄り集まった。
「もう、するでない」
「へえ、もう、金輪際いたしません」
「いずれ、羽は生えてくる」
鴉たちはよたよたと帰っていった。
暗闇にぼんやりと明かりが戻った。
夕日に赤く照らし出され、大きな鳥がみんなの目の前に浮き上がってきた。
「大きな鬼蜻蜒さん」
赤鼠のお嬢さんが叫んだ。
彼らの前には山のように大きな鬼蜻蛉がゆったりと翼を広げて浮いていた。
大きな鬼蜻蛉は赤い目で赤鼠の姫を見て笑った。
三匹の鬼蜻蜒が同時に叫んだ。
「蜻蛉(とんぼ)鬼(おに)様だ」
蜻蛉鬼は低い声で言った。
「鬼蜻蜒よ、ご苦労じゃ、赤鼠の姫はいずれ我々の頭、大事に扱うのじゃ」
蜻蛉鬼から一匹の鬼蜻蜒の背中に黒いものがぽとりと落ちた。目を回した鬼蜘蛛である。
「あ、あんた」
隣の鬼蜻蜒にいた女郎蜘蛛が言った。
鬼蜘蛛はその声で気が付き、目を開けた。
「俺は助かったのか」
鬼蜘蛛は女郎蜘蛛を見た。
「よかったねえ、あんた」
赤鼠は蜻蛉鬼に頭を下げた。
「蜻蛉鬼様、ありがとうございました」
「なんの、赤鼠の姫、会えて嬉しかったぞ」
頷いた蜻蛉鬼はすーっと黒い霧となって消えていった。
鬼蜻蛉たちは溜息をついた。
「蜻蛉鬼が現れるとは思っていなかったな、俺たちも会うのは始めてだ、蜻蛉鬼は鬼蜻蛉が千年生きてなった妖怪蜻蛉だよ、赤姫のお嬢さん」
「妖怪に会うことができたのね」
「そうだねえ、これも赤鼠の姫様がいたからだろうよ」
女郎蜘蛛が感慨深げに呟いた。
「鬼蜘蛛の兄さん、助かってよかった」
赤鼠が鬼蜘蛛に声をかけると、やっと元に戻った鬼蜘蛛は鬼蜻蛉の背の上に立ち上がった。
「おーよ、有難てえこった、あの妖怪はすごいね」
「ねー、おまえさん、蜘蛛の妖怪にも会ってみたいね」
「うーん、いつか出てくるだろうよ、この赤鼠のお嬢さんと付き合っているとな」
「そうだねえ、さーお嬢さん帰りましょう」
三匹を乗せた三匹の鬼蜻蜒は黒鼠が寝ている池の畔に急いだ。
お日様がもうすぐ山間におちてしまう。
「この松露、爺にあげなきゃ」
赤鼠の姫は、まだ片手に松露を握りしめていた。
「幻茸城」(第一茸小説)2016年発行(一粒書房)所収
(短編を一つの物語に編纂)
幻茸城5―松露