【胎児の記憶】

立津 てと

「昨日もね、ルカが色々話してくれたのよ」
 はぁ、またその話か……妻の嬉々とした表情とは反対に、私は内心うんざりしていた。そして、湧き上がる軽いデジャヴ……顔に出さないように気を付けつつも、今のこの感覚に、確かに覚えがある。いや、その答えも知っている。そう、昔の恋人、アキと会う度に感じていた感覚だ。

 アキは、私との交際が始まり程なくして、非科学的でスピリチュアルな話に熱中した。オーラの色がどうのとか、持って生まれた星が……など、非科学的な話にのめり込んだのだ。それだけならまだしも、聞き齧った半端な知識ですぐ私のことを診断しようとしたり、分析したがったのだ。最初は、「おぉ、当たってるね!」と話を合わせてあげるゆとりもあったが、本音では馬鹿馬鹿しいと思っていた。なので、会う度にそういう話ばかりされると、私にはただただ面倒臭いだけだ。いつしか会うことさえ億劫になり、気持ちも離れていった。しかし、私の心離れとは裏腹に、彼女は私に執着した。それこそ、オーラの波長が合うとか、前世からの導きとか言って。なので、別れ話は最悪レベルまで拗れた苦い思い出がある。
 結局、アキとは強引な手段で別れることになったのだが、数年間は後味の悪さに苦しめられたものだ。その時の初期段階と似た感情が、最近の妻に対して芽生え始めていた。良くない兆候と言えよう。

 それでも、「へぇ、そうなんだ」と適当に相槌を打つゆとりはあった。妻という存在は、もう恋人ではなく、娘の母という感覚が強い。当時のアキとは、流石に対応も違ってくるのは当然だろう。夫婦という形態を築いたからには、社会的責任もある。お互い我慢すべきこともあるだろうし、私も当時よりは幾分か大人になった。何より、娘のことを何よりも優先に考えるぐらいの良識を、いつしか持ち合わせていた。これが、父親の自覚なのだろうか。
 ともあれ、妻がたまたま観たテレビ番組に感化され、「胎内記憶」とやらに興味を持ち始めて数週間になるのだ。 いや、具体的には「胎内記憶」の存在を信じるようになり、と言うべきだろう。そして、連日帰宅するなり、待ってましたとばかりに胎内記憶の話を聞かされるのだから、少しうんざりしてきたのも無理はないだろう。まさに、アキとの交際と同じような雲行きなのだ。
 妻によると、赤ちゃんには生まれる前のこと、つまり、母親の胎内での記憶が残っており、幼少期には時々それを思い出し、知らないはずのことを話し出すことがあるらしい。もっと言えば、胎内に入る前の記憶が残っているケースもあるそうだ。妻はそこから更に踏み込んだ「赤ちゃんはお母さんを選んで生まれてくる」という説を頑なに信じてしまい、娘のルカから毎日その時の話を聞き出そうとしているのだ。いや、強引に誘導して聞き出していると言うべきなのか。帰宅するなり、娘が話したことの報告を聞かされることが日課になっていた。

 しかし、私には、どうしても信じられない話だ。あまりにも、非科学的過ぎると言わざるを得ない。確かに、母親と子供の間には、神秘的で霊的な繋がりを感じることはある。父親には、絶対に越えることが出来ない、強い絆の存在は否めない。
 100歩譲って、胎内での何らかの記憶が残っているとしても、生まれる前に自分で母親を選んだなんて……いくらなんでもそれは馬鹿げている。その日までは、そう思っていた。

 その夜、私はルカと一緒にお風呂に入った。
 妻の話では、入浴中や就寝前のリラックスしている時に、胎内記憶が蘇ることが多いそうだ。だから、試してみようと思った。全く信じていなかったが、否定ありきではなく、先ずは自分でも試してみればいい……そう考えたのだ。
「ルカは、ママのお腹にいる時、何が楽しかった?」と、ルカがリラックスするのを見計らい、さりげなく聞いてみた。
 すると、「えぇとねぇ……ママがピアノ弾いてくれてた時」と、暖まり過ぎて少し逆上せたのか、やや虚ろな目になっているルカは、そう答えた。
 この回答に、私は、少し驚いた。
 私の家には、ピアノがない。だが、妻は幼少よりずっと趣味でピアノを習っていたのだ。結婚前にも、よく妻の演奏を聴かせてもらった。しかし、結婚を機に一緒に暮らし始めたマンションは、楽器の持ち込みが禁止されており、ピアノのない生活を我慢していたのだ。
 唯一、妊娠後期は実家に帰していたので、毎日ピアノを弾いたそうだ。ルカが、その時の話をしているのだとすれば……いや、妻が、ルミに話したことがあるのかもしれない。「お腹の中にいる時、ピアノを聞かせてあげてたのよ」と。つまり、無意識のうちに植えつけられた知識が、記憶と混同しただけではないだろうか。
 そう、打ち消しす自分がいる一方で、ひょっとして、と信じかけている自分もいることに気付いていた。

 次の日も、私はルカと一緒に入浴した。
「ルカはね、なかなかママのお腹から出てきてくれなかったんだよ」と話し掛けてみた。
 湯船でまったりと微睡んでいるルカは、「だって、出たくなかったんだもん」と小さな声で言った。「どうして?」と聞くと、「クルクルって巻くのが楽しかったの」と答えた。
 私は、そのあどけない回答に愕然とした。ルナの出産は、40時間を越える超難産だった。そして、ようやく頭が出てきた時に分かったのだが、体中にへその緒が絡まっていたのだ。
 これは、ひょっとするのかもしれない……私は、もう八割方、胎内記憶とやらの存在を信じるようになっていた。

 その翌日、これからルカのお風呂当番は可能な限りは私が担当すると、妻に宣言した。胎内記憶の話を聞き出してることは妻には話していないが、特に不審がることもなく、むしろ家事が一つ減ることを喜んでくれた。
 ルカは、毎日のように生まれる前の話を聞かせてくれた。
「ママが転んだ時、すごく痛かった」、「最後の方、パパの声が聞こえなくなって淋しかった」、「パパとママが喧嘩してる時、悲しかった」、「ママの車の音の方が好きだった」、「パパがママのお腹を触ってるの、知ってたんだよ」……
 ルカが知るはずもない産まれる前の出来事の、一貫性と整合性の伴った回答に、もう私には疑念を挟み込む余地は残されていなかった。胎内記憶は間違いなくある……そう確信するようになったのだ。

 そして、更に数日が経過すると、ついに胎内に入る前の記憶も語り始めた。妻の言っていた通り、赤ちゃんは母親を選んで産まれてくるという、ほんの数週間前までは鼻で笑っていた話だ。しかし、実子のルカがそれを語ると、全てに信憑性が確保される。
 ある日、ルカが意味深な話を語り出した。
「他の子は、どのママにしようかな?って考えてたけど、ルカはね、パパに会いたかったの」
「どうして?」
「パパに言わないといけないことがあったんだけど、忘れちゃった」
「えぇ~、気になるなぁ……」
 しかし、ルカはトランス状態からハッと目覚めたような感じになり、その後は他愛もない話こそするものの、産まれる前の話はしなくなった。

 その翌日のことだった。 また湯船でまったりしている時間に、ルカは珍しく自分から昨日の続きを語り出した。
「ルカね、思い出したの。ママのところに行く前はね、アキって名前だったんだよ」
「……えっ?」
 アキという名を聞いて、心臓がドギマギした私は、必死に平静を装った。
「パパは、アキのこと知ってるでしょ?」
「知らないなぁ……」
 単純に惚けただけでなく、まさか、あのアキと関係があるわけない、と思ったのだ。
 すると、突然ルカの表情が大人びた雰囲気に豹変し、とても4歳の少女とは思えない鋭い眼光で私を睨みつけた。
「ウソ!パパは知ってるよ。パパと会う為にママを探したんだから!」
 違う、そんなはずはない……私は何かに憑かれたような愛娘に怯えつつも、努めて冷静に振舞い、聞いてみた。
「どうして、ルカはパパに会いたかったの?」
「パパ……ルカがアミだった時……」

「あなた、私を殺したでしょ?」

【胎児の記憶】

【胎児の記憶】

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2020-01-09

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