後ろめたい少女たち

秋津 澪

黄いろいばらの花言葉…「嫉妬」「薄れゆく愛」「不吉」「君のすべてが可憐」等

  1 唯子

 しばしば春子は私の肩に頭をそっともたれかけた。頬にはらはらと薫りのいい黒髪が落ちてきた。躰はきゃしゃでちいさかった。わなわなとふるえながら肌をよせてきた。そんなときいつも私は彼女のうすい肩をおそるおそる抱くのだった。私はいま自分が春子にいだいている感情は慈しみであろうかあるいは憐れみであろうかとかんがえた。私は自分の感情を信用することができないためにいつもそれを不審がるのだった。
「やっぱり、」
 と春子は囁いた。
「女友達が一番だね」
「また別れたの?」
 私はほんのすこしの期待をこめて訊いた。
「うん。あんな男、こっちから願い下げだよ」
 そのときふっと心に浮かんだよろこびを私はにくんだ。私は他人の、しかも大切な女友達の不幸をよろこぶ人間でありたくなかった。しかし私の感情は私の意思との疎通なくうまれるようにおもわれた。しかも私には「どうせまた男ができたら私から離れていって了う」という気力をうしなわせるような拗ねまであるのだった。
「どうして別れたの?」
「ねえ、聞いて。あいつね、三度めのデートのときに…」
 私は自分が話をひろげたのにもかかわらず三割くらいはそれを聞き流していた。どうせ話したいだけなのだろうと軽視していた。もう何度めであろうと内心脱力しながら、しかしこの愛情に飢えた弱くしたたかな友達が愛しかった。
 男ができるたびに私との連絡を一方的に絶ち、別れるたびにまた現れて私に慰めをもとめる彼女にたいし、私はつねづね愛情と軽蔑のいりまじった複雑な感情をいだいていた。私はたとえ不器用だといわれようと春子のようには生きたくなかった。しっかりしろよとこの女に言いたかった。しかし春子がこの弱さをうしなってしまえば私に頼ることもなくなるだろうと思うと、この弱さをずっともっていて欲しいという嫌な考えが浮かばざるをえないのだった。この愛嬌そのものがモテコーデに包まれたような女から私はどうしても離れることができないのである。とすると、相手に依存しているのは実は私のほうかもしれなかった。
「…なの! ねえどう思う?」
 たわいもない愚痴が終わった。世間で実にしばしば耳にするような内容の感想はいま私にゆだねられていた。
「そんな男、別れて正解だよ。春子には、もっといい男いるよ」
「そうかなあ? 唯子がそう言ってくれるなら、もっといい男探してみようかな」
 想定していた答えそのままだった。既視感をおぼえるといったほうが適当だろうか。何度おなじ会話をさせる気だろう。いつまでおなじ生き方をつづける気だろう。男から受けた傷を新しい男で癒そうとするのはやめたらどう? 独りで生きる覚悟をして、精神的に自立してから恋愛したら? そんな喉まで出かかった言葉を私は口にすることができない。その実口にする気もない。それは春子に嫌われたくないからである。こんな猫みたいな気まぐれな女はいちど私をきらえば二度と私に頼ることはせずまた別の友達に身をよせるのではないかと予想したからである。そもそも私に他人を批判する資格があるだろうか。
 彼女の純白のワンピースはわたあめのようにやわらかで、ロココ芸術の甘美なる軽薄さにも似たものがただよう。袖さきからは手入れされた白い指先がほんのすこし覗いている。その指をきちんとおりまげて袖をつかんでいるのはいかにもけなげな印象である。いわゆる、萌え袖と呼ばれるやつだ。きっと私を誘惑したいのではなくもはやその仕草が習慣となっているのだろう。フレアしたスカートの裾からは折れちゃいそうに細く白い脚がのび、その先には垢ぬけすぎない可憐なヒールシューズが履かれている。春子が私を見た。猫のように大きくそれでいて微睡んでいるかのようなかたちの眼が私を見つめかえした。吸いこまれそうな瞳だった。透明な湖のみなものようにうるんでいた。無垢で、あたかも「可愛いと思われたい」という感情単体しか存在していないかのような。その子供らしい感情が私には愛しかった。それが錯覚であると知っているのにもかかわらず。
 春子には、女友達がすくない。それも春子に相応のことだろうと思う。しかし彼女の女友達の乏しさは私に「ほんとうに頼れるひとは私だけではないか」という期待を起こさせる。彼女に接近する男はみな下心をもっているのではないかと私はうたがっている。そんな男をよせつける雰囲気がまちがいなく春子にはあるのだから。それが彼女の恋愛が永続きしないひとつの原因ではないだろうか。私はそれを、教えてあげる気はない。
「ねえ、」
 と私は春子の眼から意識的に視線をはずして言った(そうせざるをえなかったのだ)。
「これから彼氏と会う約束なの。言ったでしょ? そろそろバス停に行かなきゃ」
「えー、」
 と春子は腕にしがみついた。白いワンピースのなかにある腕のか細さが愛おしく、にくらしかった。
「やだ。春と一緒にいよう?」
 くやしいことだけれども、こういった態度はたしかに私をしても可愛いとおもわせるのだ。しかしこの態度を男たちにも向けているのだろうという意識が私をいらだたせるのだった。こんなにも彼女を愛しく思っているのにもかかわらず、その腕をひきはがすことができたのはこの意識があったからである。
「約束してるから」
「次はいつ会える?」
 たとえ約束をしようと、この女は男ができれば連絡もなしに待ち合わせに来ないような人間なのだ。そして再び現れた日にはそれをなかったことのようにして振舞い、愛嬌によってそれを許すことを強いるのだ。許す私も私なのだろう。しかしお生憎さま、私はきちんと、貴女を軽蔑している。
「またラインするから。じゃあね」

 待ち合せより早くついていた。そのカフェは居心地がわるかった。椅子が硬い。周囲の客は騒がしい。私は声が大きい人は苦手だ。遠くの席のコップが倒れた。ばたばたとスタッフの走る足音。身丈は167センチあるのにもかかわらず、私は周囲と乖離したちいさなちいさな自己を意識した。そもそも私はべつに彼氏が来るのを楽しみに待っているわけではなかった。なんなら早く家に帰ってフランス詩でも読みたかった。
「お待たせ」
 彼があらわれた。顔は別として、非のうちどころのない服装と髪型。カッコつけるべきところはきちんとカッコつけている。トレンドもほどよく加味している。しかしキメすぎていない印象である。ネイビーのニットジャケットに、ナチュラルな印象の白いシャツ。シャツからタンクトップの色が透けていないのは流石といっていいだろう。一人として満点をいただくことは望めないけれど、九割の女子が九十点前後をつける、そんな服装。私は彼の服装をどうこう批判するつもりはない。しかし彼の言葉の薄っぺらさを感じるたびにこのある種完璧な身なりに腹が立つ。
 交際して三か月、私はまだ彼になんの愛の贈り物もあたえていなかった。やがて彼は私に冷たくするようになった。愛の贈り物をすることをしない恋人にたいし、男はまず不安を感じるようになり、やがて憎しみをもつようになるらしい。私は男女とも数人ずつ交際したことがあるのでそれなりの統計・比較ができるつもりだ。肉体的にうけいれられることで男たちは愛を実感するのだろうか。なにか私と決定的に恋愛観が乖離している気がする。まず私の恋愛観をうけいれてくれたら、そのあとで肉体関係を私から求めるようになるかもしれないのに。私は信頼の上でないと躰をゆだねる気にはなれない。まあ、私が世間とずれているのだろう。脱力、脱力。脱力は、私たちの処世術である。何事も本気でとっていたら、私たちは世界に轢き殺されてしまうだろう。
 彼とのお喋りはちっとも愉しくなかった。なぜこんな男と交際しているのだろうといぶかりさえした。そしてそんな酷いことを考える自分を嫌悪した。話している間いま春子はなにをしているだろうとよくかんがえていた。またあたらしい男友達と遊んでいるのだろうか。いったい私と男友達どちらと遊ぶほうが春子は好きなのだろうか。そもそもが別物かもしれないけれど。
「ねえ、聞いてる?」
 私はわれにかえり彼の顔を見た。
「ごめん、考え事してた」
 彼は不満を顔にあらわしてこう言った。
「そろそろ、じゃない?」
 私はけがれのない清楚な少女を演出しようとしてそれがわからないふりをした。これはほとんど自動的に私の肉体がおこなった演技であった。そんな自分のあざとさに負い目を感じたが、しかしこれは女ならみんなやっていることだと自分にいいきかせた。実際これはたいていの場合正しいことだと思うし、そもそもこうすれば男は悦ぶからしているのだし、種類がちがうものであれば男だってやっているに違いない。いったいどこのだれが自分自身として生きているであろう?
「えっちだよ」
「ああ…」
 私はまよっている態度をとった。それによってつくりあげた隙間時間に思考を逡巡させた。どうしよう。あたえようか、あたえまいか。しかしあるとき私は考えることをやめたのだった。そして勢いによってこう伝えたのだった。
「いいよ」
 私はいま唇からもれた言葉がなにか信じられないような気分だった。これは私の言葉であろうかといぶかった。しかし後からこの言葉にいたるまでの心理の筋道を予測することはできた。私たちにはこの能力をしか神からあたえられていないのではないだろうか? それはあまりにも不完全な能力であるけれども。
 すなわち私は考えてばかりいたらそれが堂々巡りとなるだけでやがて彼に愛想をつかされるだろうということはわかっていたのである。私には彼が必要であった、べつに彼でなくてもいいのだけれども、それは女であってもいいのだけれども、私には恋人が必要なのだ。なぜといい、私は孤独で弱いから。私は彼がべつにきらいではなかったし、たびたびそれを感じるとはいえふだんは肉体に拒絶感があったわけではなかった。そして人間関係とは与え合う関係であると私は思っているし、いつも私にいろいろしてくれる彼は他でもない私の躰を求めているのだ。私に愛されているという実感をもちたいのだ。彼はいま不安なのであろう。とすれば、私は彼の不安に貢献すべきなのだろう。ならば寝てやるのが道理だろうといささかの彼への同情をこめて思ったのだ。
 しかしこの心理描写を信じるのはやめていただきたい。自己認識こそあてにならないものである。私さえも信用できない私のみずからへの心理描写を、いったい誰であれば信じるに足るだろうか? そして断じてこのような心理が女性一般にみられるものとみなすのはやめてほしい。私は女を描写したのではない。私はあくまで自画像を描いているのだ。
 こんなふうに自分を分析してみようと、それがたとえ的を得ていようと、私のまえに厳然としてある事実がある。それはいつも私の生きる気力をうしなわせる。
 たとえ自分の汚さ・醜さを把握しようと、それでも唯子は唯子でありつづけるじゃないか。
 私のつたない心理分析は、積み上がる敗北をしか残さない。
 私は彼と、寝た。
 その行為のなかに特筆すべきエピソードや感情はなにもなかったけれども。二十歳の美しくもないが魅力のあるふりをしている専門学生が、平凡な年上の大学生と寝た、ただそれだけである。なにか書くことがあるとすれば、それは事後のなにとも知れない後ろめたさである。
 処女でなければならないというのは男たちの欲望の投影に過ぎない。女への貞操の強制はすべて宗教的概念を用いなければ成り立たないため、宗教の不在したこの国でそれを説く男はただおのれの欲望を叫んでいるだけである。犬が吠えるのと同じことだ。とるに足らぬ。
 そうであるのに、私はプラトニックな愛の欠けた行為に及んだあと、どうしようもない後ろめたさに苛まれるのである。

 私はつねづね後ろめたさを感じていた。生きているという事実の背後にはいつもそれがあった。いわば私は反省ばかりしていてそのたびに自分を批判し攻撃していたのだ。小学校の頃から教師は「自分を顧みて反省しろ」といっていたけれど、そんなことを言うから私はこうなったのだと醜い考えさえ浮かんだ。私は自分のこころのなかにある自分のイメージにふりまわされていた。それは気分によって美しくなったり醜くなったり、その映像はいつも私を一喜一憂させた。私は自分が自分であることに疲れていた。しばしば朝おきると春子になっていたという妄想で遊んでいた。自分のイメージに不安をおぼえる、そんなとき私は自撮りをした。私はそれによって自分が美しいことを確認し、それを自分に示して美しい自己イメージをとりもどそうとするのだ。映りがわるいものは見て見ぬふりをし、奇麗に映ったものだけを自分とみなしこっそりフォルダに保存した。私の顔はこの映りのいい自撮りフォルダのなかにしかなかった。しかし春子よりも美しくないという厳然たる事実は私をいつも落ち込ませたのだった。

 春子に飲みに誘われてうきうきしながら行くと男が三人いた。聞いていなかった。私にはいちおう彼氏がいるのだ。なぜこういう配慮ができないのだろうとはらわたがにえくりかえる思いだったが気づくと私の表情筋は愛想のいい微笑をかたちづくっていた。もっと素直に生きられないものかとつい思ったが得意技の脱力で対応した。
 男たちは折にふれて私の肌に指を置いた。嫌悪。セクハラだと思ったが私は空気を壊したくないのと男たちの逆上が怖いのでやんわりと笑っていた。なぜ男はあきらかに女よりも力が強いのにもかかわらず、それをがっしりとした大きな肉体でしめしているのにかかわらず、こういったことを配慮しないのだろう。私は女の権利どうこうにはそれほど関心はないが、女のなにかに侵食しようとするのならまず自分の恐怖性を払しょくさせ女を安心させてほしい。私は男が怖いのだ。男に突っかかれる女に私は憧れる。殴り返されたらどうなるだろうと考えないのだろうか。
 私は自分の臆病さが大嫌いだった。私はよく「サバサバしている」と女友達ならびに春子から評されるが、なぜ自己のイメージと他者のイメージはこんなにもズレているのだろうと思っていた。きっと私の顔も、秘密のフォルダと他人が見ている顔はまったく違うものなのだろう。私は一度でも他人になって私と話せば、きっと唯子として生きていくことはできなくなるだろうと思う。きっと私の内面は私の表情を醜く見せるにちがいないだろう。…
 春子を横目で見る。可憐だった。私はその瞬間春子が大嫌いになり、その感情がわきあがる自分のことはさらに大嫌いになった。
 私の肌に触れるくせに、男たちは春子のことばかり構っていた。なにか春子が幸福の王女であるかのように褒めたたえていた。こいつらは春子がどんな人間かわかっているのだろうか。私はいまにも立ち上がって春子との嫌な思い出を発表しようという衝動にかられたが幸い私の臆病さがそれをさせなかった。
「唯子ちゃんってさ、」
 と前髪がいい感じにくねくねしている男が話しかけていた。
「春子ちゃんほど可愛くないけど、なんとなく男ウケよさそうだよね。モテるでしょ?」
「えー、モテないよ。モテたいよ」
「嘘だあ」
 …惨めだった。私は女としての魅力を他人と比較されるのが大嫌いなのだ。それが男からであれば猶更だ。なぜ嫌というほど自分でしている苦痛なことを他人にもされなければならないのか。しかも比較対象が春子だなんて。私が下に決まっているだろう。下? 上? なぜこんな軽薄な男たちの評価に私は憂鬱を感じているのだろう。どうでもいいではないか。しかしどうでもいいとは思えなかった。
「…ねえ」
 春子に小声で話しかけた。
 彼女はにっこりとほほ笑んだ。この場の疎外感にさいなまれていた私はちょっとその可憐さに撃ち抜かれそうだった。
「…帰ってもいい?」
「えー、帰っちゃうの?」
 春子は私に帰ってほしくないのだろう。それは私が好きだからではなくもしかすると自分より下の人間を横におきたいかもしれないが、それでも春子に必要とされているのはなんだか嬉しい。
「いいよ」
 私はあぜんとした。
「ねえー、唯子帰るって」
「え? 帰っちゃうの?」
「ライン教えてよ」
「今度また飲もう」
 いまにも泣きじゃくりたくなるような感情をおさえた。帰ったら絶対泣いてやろうと決意した。泣き終わったら彼氏に電話しよう。すくなくとも彼氏は、私が好きなのだ。
「ラインは春子に訊いて。じゃあね」
 店を出る。すると三人のなかで最も容姿にめぐまれていない男が追ってくる。彼氏がいるからと断る。
「なんだよ、」
 と吐き捨てられる。
「なら来るなよ」
 私は決意を破った。泣きながら走って帰ったのだ。そのなかで「三人で一番容姿がわるい」だなんて思ってごめんねと誰にともなく謝っていたのだった。

 走っているあいだ私は真夜中の街灯の白い灯に照らされ影をなげる石ころを見た。私も、私の存在をこんな風に思いたいと思った。ただ外界の一部として存在するもの。それ以上もそれ以下もないもの。私はこの世界に在る、なぜこれだけでいけないのだろう。私はなにをしたでもないのに、いつもなにかに許しを乞うているのだ。

 彼氏は電話に出なかった。
 私はベッドに崩れ落ちてあの子の名前をしずかに叫んだ。声はかすれてほとんど言葉にならなかった。春子という名の響きは、私の喉にはあまりにも素直で、可憐すぎた。

 私は春子に別れを告げることした。だって私には彼氏がいるのだ。下心をもって春子に会うなんてしてはならない。そもそも私は春子みたいには絶対に生きたくないのだし、彼女から変な影響だって受けたくない。春子を拒絶するのは私の義務であろう。こうは書いたけれど実質の理由は春子のことを忘れないかぎりは自分が苦しいだろうと考えたからである。私は醜い、エゴイスト。
 電話をかける。発信音。胸が高鳴る。春子の少し高めで透明感のある声を想像している。
「唯子? どうしたの?」
「あのね、」
 なんて可愛い話し方なのだろうと思う。私の話し方はなんてたどたどしく調子っぱずれに響くのだろうと思う。
「明日、駅前に来てほしいの。話があるから」

 駅前で待っていた。また早くつきすぎた。私の悪い癖。待たされるのはいつも私。それを許してしまうから春子のような友人がつけあがるのだろう。私だってたまに怒ってみたい。けれども怒っているときの動物じみた自分を思うとそれができない。
 待ち合わせ時間を過ぎた。春子の平常運転である。彼女は平均で一時間遅刻するから、二、三時間は許容範囲である。
 …やがて私の影は長くなった。空は赤くなった。待機している私をつねづねさいなんでいた懸念はおそらく現実のものであるようだった。
 春子、男ができたんだ。
 その場にしゃがみこんだ。両手で冷たい頬をおおった。躰はふるえはじめた。周りの人間はみんな私と乖離していた。私の苦しみなんて誰も知りもしなかった。私はいつも疎外者だった。それでも好かった。もっと春子から大事にされるならそれでも好かった。誰もから軽視され嫌われようと、あの子から愛されるならそれで好かった。私はついに泣きじゃくりはじめた。ひとびとは色彩の醜い私を一瞥さえもせずに通り過ぎていった。
 だれか私を肯定してください。生きていても好いと太鼓判をおしてください。私は私を批判するのに疲れちゃいました。もう動けません。こころのカロリーは0です。私のぶよぶよと余剰に膨れ上がった脳にはさまった、思考にいやおうなしに介入してくる黒いゴミを取り除いてください。私は綺麗なものが好きです。汚いものが嫌いです。こんな汚れのたまり肥りすぎた赤黒い肉片のような頭のなかは大嫌いです。私には思想はありません、そんなものはありません、私にあるのは嫌悪です、届かぬものへの憧れです。けれども嫌悪と憧れは、すべての哲学にもまさる強いものではないかしら。というよりも、個人の哲学は、かれらの嫌悪と憧れに追従するのではないかしら。
 そんな甘ったれたことを思いながら、いつまでも春子を待ち続ける。彼女は私を忘れているんじゃないだろうか。いつか私のことを思い出して、猫のように気だるそうにそして愛らしく私の前に現れるんじゃないだろうか。「まだ待ってたんだ」そう言って微笑んでくれるんじゃないだろうか。
 別れを告げるなんて目的は忘れて了っていた。ただ春子のすがたを見て、いちどでも肩にそっと頭をのせてくれたら。また会いたい。春子、春子。なんど言っても声がかすれる。私は春子とは色彩が違う。流暢に名を呼ぶことさえもゆるされない。春子といると、孤独が深まる。美しい印象画に一点だけ醜い黒々とした傷跡があるような、そんな風に自分を思う。春子、こい焦がれるひと、可愛いひと、なにも考えていない愚かなひと、快活なひと、欲望に忠実で、しかもそのようすが清々しいひと。
私は春子みたいに、可憐に生きてみたい。

  2 春子

 私は嘘つきだから、私の唇はいつも私を裏切るから、書いているときだけ、本心に近づく。けれども私は、言葉じたいを信用することができなくなってきた。けれども、私はこの紙に、決して伝えることのできない本心を書きつけようと思っている。書き終わったら、燃やしてしまおうと思っている。
 私が唯子に恋しているのは、彼女は私にそっくりで、まるで私の分身のように弱いひとで、けれども私とちがい、可憐であるから。
 唯子は弱い、そして、その振る舞いは泥臭い。というのも、彼女は虚勢を張った道化のひと、何重もの線に輪郭を線描された、詩のように悲しいピエロ、自分の弱さを覆い隠して、あたかも強いふりをして、まるで盲目であるのに目が見えているふりをしているかのような、視力のない目をかっとみひらいて、内心苦しみにもだえているかのような、そんなひと。けれども私は思うのだ、虚勢を張るのがダメなことなら、私たちはどうやって強さへ向かえばいいだろう。唯子と春子に共通する弱さなど、なんら特異なことではない。
 私は、他人の感情が、怖くて怖くてたまらないのだ。私のぶりっ子の原因は臆病だ。臆病なのにひとに気にいられたがる、そのための処世術だ。なぜ感情を解りあうことなんてできっこないのに、ひとはひとと交流しなければならないのか。ひとと交流しないと、寂しくて寂しくてたまらなくなるのか。私たちは不連続な存在である。心と心をつなげるなんて、不可能である。私は特に、女が怖い。男のひとは、私に下心をもって近づくから、楽である。だって他人の欲望は、あるていど論理的に把握ができるし、男のひとって、慣れてしまえば、扱いが楽。どうせ私と男に、信頼関係なんて皆無であるし、それは私の人格が負っている責任であるかもしれないけれど、しょせん、私たちはうつろいやすい欲望だけでつながっているんだから、あとぐされもない。けれども寂しさを、処理することくらいはできる。そう、私はエゴイスト、しかし私だって、ときどきくらいは、躰を与えているのだ。

 私が唯子と出会ったのは、あれは、高校に入ってすぐでした。春でした。かの追憶には色彩はなく、陰影のほかありません、桜が散っていました。鳥が歌っていました。ひとびとの顔は喜びに充ち、風はここちよく、そして私はそのなかで、初対面の方ににっこりとほほ笑みながら、その愛らしさを十分に自覚しながら、死ばかりを想っていました。
 すなわち、私たちは同じクラスだったのだ。私の唯子への第一印象、寂しそうなひと。にっこりと笑っていても、なんだか目の奥に引け目があるひと。ああ、あのひとは私とおなじ後ろめたさを持っているんだ、私はそう気づいた。だから近づいた。みなさん、メンヘラにはお気をつけください。彼女たちの嗅覚を、舐めちゃ駄目ですよ。ちなみに私、メンヘラという言葉、だいっきらい。
「その髪留め可愛いね」
 と、私は唯子に話しかけた。唯子はショートカットで、色も当時黒かったから、ソフトボール部って感じの雰囲気。だから、逆に女の子らしい部分を褒めてみたのだ。
「え、そうかな」
 唯子は頬を赤らめた。私はその可愛らしさにぽーっとなった。
「ありがとう。あなたは、顔がすごく可愛い。芸能人?」
 それは知っていた。褒め方からして不器用。視線はきょろきょろ。どこかお姉さんな雰囲気。私は、高校三年間、ずっとこの子の隣にいようと決意した。
「可愛くないよー。でも可愛いひとからいわれると嬉しい!」
 私は口をひらくたびに、自分の言葉ががらんどうであるという意識にさいなまれる。
「え、私は可愛くないけれど…」
 唯子は、たぶん自己評価が可愛いと可愛くないを行ったり来たりしているタイプだろう。ならば私が、唯子の可愛さをたくさん伝えてあげねば。
「んーん。とっても可愛いよ。春の名前はO…春子だよ。春子って呼んでね」

「春子っていいよね、」
 と、だいぶ仲良くなってから、唯子にいわれたことがある。次に放たれた言葉を、私は一生忘れないだろう。一生恨むだろう。この言葉ゆえに、私は生涯唯子に愛憎なかばの感情をいだき、そして、私たちの関係性に安堵するだろう。
「春子って、なにも考えてなさそう。悩みがなさそう。そういうところ可愛いよね」
 ああ、私は。クラスで一番仲が良くて、世界で一番大好きなひとに、こんなにも理解されていないんだ。私はあなたと一緒だよ。しかも私とあなたの共通する弱さは、多かれ少なかれたいていのひとが持っているんだよ。そんなこと言えるはずもなかった。唯子は、自分の弱さに選民意識を持っているひとだったから。そんなことを言うと、彼女は怒るかもしれない。それが、怖かった。
 私はこれからも演じつづけようと思った。唯子が言う、なにも考えていない、バカで可愛らしい女の子を演技しつづけようと思った。それはなぜ? 唯子が、そういう私を求めているから。そういう私を、彼女は好きだということに、気がついたから。私は知っていたのだ、唯子が、私に恋しているということを。
 けれどもそれは、私になんの喜びもあたえない。もしあなたが女優だったとして、あるいは俳優だったとして、「あの映画の役であなたに恋をしました」といわれ、いったいあなたは嬉しいだろうか? 役はあくまで、役である。私ではないのだ。
 なんで、喜びもないのに、私は偽りの私で唯子に好かれようとしたのだろう。それはたぶん、私の自己犠牲フェチというか、それは全然自己犠牲でも何でもないんだけど、いわば、可哀想な自分萌えともいうべく私の気質が、そういういたましい状況へ自分を持って行ったのだと思っている。
 私のそれを考えるうえで、やはり幼少期の自分を想い起こす必要があるだろう。幼少期、私には友達がいなかった。強いて言うなら、だんごむしが友達。かれらは私が手で壁をつくると、迷いもせずに右か左に行く。どちらか決まっていた記憶があるけれど、どちらかは忘れた。私はついに両手で丸をつくり、かれらを牢獄へ収容した。かれらはよたよたと行き来したあと、みな丸くなった。なんだか、みじめったらしい生き物。かれらは卑怯で、根性がなくて、可愛かった。
 家ではいつも、本を読んだ。それのせいか、勉強だけはできた。それにくわえ、私は容姿にすぐれていた。美しかった。おとなしく、暗くて、勉強ができるために教師から気にいられ、しかも美少女であった私は、むろんいじめの標的となった。
 私は殴られている間、自分はだんごむしであると妄想していた。あるいは革命で殺されるお姫様であると想像した。なんだか楽しかった。虐待を受けている自分ほど、奇麗なものはないだろう。私は本気で、そう思う。私は頬を棒で打たれる。嬌声にも似た声をあげて、美しい私は倒れ込む。いまの私は、きっと、とってもセクシー。姿態を丸まらせる。土に横たわる私は、この世でもっとも悲愴で、いたましいだろう。私のいまの眼差しは、まるで殺される王女が、卑劣な憲兵を見上げるときのそれのようだろう。憲兵は、その美しさにはっとなり、さらなる嗜虐を無我夢中でくわえるにちがいない。そのいたましい頬の傷は、私の美貌にさらなるアクセントをくわえるだろう。私は、いじめられている自己に、欲情した。この性癖は、後年、私を極端に多い性経験に導いたように思う。たいてい相手はひどい男で、ほとんど暴力とみまがうほどの行為で、周りはみんな、「もっと自分を大事にしなよ。自分を愛しなよ」と言っていたけれど、私は逆に、可哀想な自分を愛しすぎているから、こうなったのだと思う。
 初めて友達ができたのは、中学に入ってから。みんな、ガラが悪かった。不良の男って、可愛いひとが多い。私はそのなかで、初めてひととのコミュニケーションを学んだ。私は頭がいいから、すぐにそれは巧みになって、暗い自分を覆い隠し、明るくふるまうすべを学習した。バカなふりをしたほうが愛されるということに気がついた。巧いことやれば、可愛いと思われてさえいれば、ある程度の傍若無人さは魅力になるということに気づき、そう振舞うことにした。だって、そっちのほうが、多少のワガママが許される、たしかにこの傍若無人さが許容されるのは、若くて可愛いうちだけだと知っていたけれど、私はそもそも、二十くらいで死ぬ予定だったので、問題ないのである。
 そうして、試験はわざと手を抜いて、頭が悪いふりをして、だから県内屈指の進学校に受かった時、友達からすごく嫌味をいわれたけど、もはやこのひとたちと交際する気はなかったので、連絡先を全員消すことで対応した。すっきりした。人間関係が清算される瞬間って、爽快。私の後ろめたい過去が、すべて消えた気がする。私はそのたびに新たな自分をつくろうとし、毎度失敗して、嫌になって、また同じことを繰り返す。そうして、あのひとの元にだけ、帰ってくる。こころで泣きながらごめんねと謝り、表では適当で傍若無人なふるまいをし、そうして、私が実はすごくひとに気を遣っているということを、誰も知らない。
 昔、飯島愛ってタレントがいたけれど、彼女の可愛らしい横柄さ、必至で気を遣いながらの失礼極まりない態度に、私はおのれを見出し、彼女の悲惨な死に方に、ああ、やっぱりそうだよね、と、共感した。私、飯島愛となら、解りあえると思う。太宰治は、嫌。私は、アンチ・太宰です。私は誰よりもかれの悩みを理解しているから、かれの言葉を手ばなしに肯定できない、しかし否定さえも、やっぱりしたくないのです。かれの勧めた生き方と、かれ自身の生き方は、まるで矛盾しているように、私には思えるのです。

 古代ギリシャのひとびとは、ある種の後ろめたさをもっていなかったらしい。らしいというのは、私にはその状態が一切想像できず、ただいろいろな本にそう書かれてあったからにすぎないから。私はそれに憧れる、ただ現在が苦しいがゆえに。
 彼らは造形美の専門家であったが、それは心の中、自我なんて信じていなかったからで、ただ外へ表出するものを美しくすることに渾身していた。最も大事にしていたのは表面、つまり形式だった。心中が醜い、汚いなんて後ろめたさがなかった。それは彼らが、反省をしなかったということでは、決してないけれど。彼らにとって、自分が存在するということは、道にしろじろとした石版が土に影をなげているのと、おなじことであった。ただそこに在る、それだけで好かったのだ。
 大理石のように、美しくなりたい。欲情さえもひきおこさないほどに、完全で冷たい裸体を持ちたい。純粋な魂は、そこにこそ宿るようにおもわれる。
 純粋な魂、それは、愛するひとに、澄んだ気持ちで愛を注ぐであろう。奉仕、私は二十歳になっても、この観念に憧れるのだ。それはこの時代にあっては、かならずや悲劇を導くであろう。純愛は、いつも、むっと死の薫りがする。道端に投棄された、あまりにも豊かにすぎる美に耐えかねて、悲しいほどに精緻に整ってしまった、いっぽんの真紅のばらのように。

 高校二年生の時に、私はある男と恋人関係にあった。いいえ、私は唯子に恋しつづけていても、ほとんど彼氏を切らさなかったのだけれども、わざわざ彼の話をするのは、彼が、ある種忘れられない男であるから。酷い女だと思うでしょう、そうです、私は酷い女です。どうぞ軽蔑してください。しかし私は、心は唯子に向かっていても、他の男に、胸が高鳴るのだ。頬が、赤く染まるのだ。私のういういしい赤面、これは私の、本心である。頬の紅潮は、嘘をつかない。私だって、ときおりくらいは、正直になりたい。私は本心のままに言葉を放ったり、行動をすることに、幸福を感じる。だから大好きな唯子を、褒めるのが好き。私はわが頬の、かわいらしい赤いろに、正直でありつづけたい。でも、唯子の肌に、うっすらと浮かぶ蒼いろ、くすんだ頬の色は、もっと好き。
 彼は、三十代だった。美男でもなんでもなくて、腕がみょうに毛深くて、デリカシーがなくて、でもとても、かわいらしいひとでした。臆病なひとでした。だんごむし、私は内心そう思っていました。おなかも少し、出ていたし、フォルムだって、ちょっと似ていた。
 彼は口癖のように私に問いかけました、「僕を愛してくれている? 僕といっしょに死んでくれるくらいに」
 ああ、私は、あなたを、愛してなんかいない。
 あなたは、私の頬の紅潮に、奉仕するためにあるのだ。あなたの愛は、私の頬にひざまずき、私の病んだ頬を真紅に染めるために、犠牲となるのだ。自分では奉仕をしたいと願っておいて、それをするにはあまりにも弱くて、しかも他者に、恋愛感情を利用して、奉仕を強要する。私は、そんな人間だ。しかし彼だって、好きな人といられるのだから、いい思いはしている。
 美しく生まれなければよかった、と、ときおり思う。そうすれば、独りで歩く決意が、できたかもしれないから。
 私が彼の問いに、どう答えていたかは、秘密。すべてをさらけだしてしまうのは、エレガントじゃないから。
 そして、最近、彼とふたたび邂逅したのだ。
「奥さんとお子さんは元気?」と訊くと、
「いまその話はしたくないな、」と言う。
 彼はまた私と恋愛したいのだな、と気づく。自分の肉体が、私の意思と関係なく、男に、魅惑を売っている。男の視線は、露骨である。それに慣れてしまったのは、いったい、いつの頃だったろう。ところで私は、前の彼氏と、別れたばかり。
 交際を、その日のうちに決めた。彼と接吻しているとき、唯子のことを、思った。後ろめたい気持ちでいっぱいになったが、私はもはや、自分に絶望していたから、私の人生なんてこの程度だと諦めていたから、キスの最中は、それほどに苦しみはなかった。けれど、私は、本当は、唯子のために…、これ以上は、書けない。
 そして、彼と寝て、自分の人生について考えて、不安でいっぱいになって、寂しくて、苦しくて、私は唯子に会いに行って、そして、ひさびさに、唯子の肩に、頭をもたれかけたのだ。唯子は私を好きなのに、私はこんな状態で、唯子に、甘えている。躰が、震えた。こんな生き方をしている私が、それでもなお唯子に甘えているという事実が、後ろめたくて、自分を壊してしまいたくて、けれども、唯子の肩は、愛しいひとの肩は、あたたかくて、私にそれに幸福を感じる資格はなくて、本当は、いまにも抱き着いて、愛しいさくらの実をおもわず唇に挟んで、衝動のままに慈しみもみくちゃにするような、烈しく奇麗な接吻がしたくて、けれども、私は、唯子に躰を寄せているとき、自分の、あらゆる意味で汚れた肉体ばかり、意識していたのだった。

 人間はみな弱さを持っている、そうであるならば、私は、虚勢を張ることこそが、強さであると思うのだ。覆い隠した弱さを、叩いて、叩いて、強いふりをして、一途に他者のために踏ん張って、死に物狂いで強さへむかって、虚勢を張って、そんな道化を演じているのが、その意欲をもちつづけられるひとが、強いと思うのだ。それが、「可憐」ということだ。私たちは、人間に共通する弱さを憐れむことによって、ひとに「可憐」を見出すのだ。
 唯子は、たまにそんなひとである。
 彼女のそれを説明するうえで、ひとつの挿話を思い出し、紙に書きつけようと思っている。それはきっと失敗し、私はこれまでのように、紙を放り投げて、また遊び人の世界へ戻るであろう。いや、これだけは、これだけは書く。私にだって、美を表現してみたいという、意欲がある。
 唯子の両目が、見えなくなったことがあるのだ。高校時代。原因は、ストレスであるらしいけれども、ストレスで声が出せなくなったり、耳が聞こえなくなったのは耳にしたことがあるが、目が見えなくなるとは、珍しい。
 教室で、私はそれを知って、
「ずっと見えないの?」
 と訊くと、
「時と場合によるかな。ふだんは、見えにくいって感じ」
 と、重くたれさがった瞼をしめしながら、言う。
「私の可愛い顔見える?」
 と、あえて冗談のように言ったが、
「この期におよんでも、そんなこと言うんだ」
 と、唯子、苦笑い。私は、会話のあとの習慣、「さっきの会話反省会」にいそしむ。どうでもいいひととのそれのあとでは、しないのだが。
「春子の顔は…、」
 と、唯子は、すごく、すごく申し訳なさそうな顔で、
「はっきり見えるよ。うっとうしいくらい、可愛い顔がはっきり見える」
 と言った唯子の視線は、私のいるところから、九十度は、離れていた。
 なんで嘘をついたのだろう。しかも完全犯罪とは程遠い、不器用な嘘を。私は唯子を、はじめ憎んだ。自分の不誠実を棚にあげて、唯子の嘘を、内心でなじった。唯子だけは、彼女が辛いとき、私に嘘をついては、いけなかった。唯子は私に、頼らなければならなかった。私に泣きついて、愚痴を言って、涙をながしながら苦しみを吐き出して、けれども、そんな私のきもちは、唯子への優しさのためではなく、私のため。
 帰ってから、「心因性視覚障害」について調べて、唯子のきもちに、気がついた。この病気は、ストレスや、緊張の対象に、もっとも強く反応し、見えづらくさせるらしい。唯子が、私をストレスだと思っていたのかは、決めつけてはいけないから、わからない。けれども、唯子は、私に負担をかけないように、嘘をついたのだ。私は、自分の不甲斐なさと、情けなさに、泣けてきた。
 つぎの日、学校へ行くと、唯子が、独りでぽつんと、教室という圧迫された空間に、さみしげな白い羽がふわとうかんでいるように、座っていた。目を、閉じていた。オディロン・ルドンの絵画のように。美しい。私は心から、そうおもった。目を閉じた唯子の、その静けさ、外界との遮断、その瞑想しているような表情、それは、祈るひとの手のかたちの、祈りが淡い澄んだ空気となって、空高く昇り、天上の砂に沈んでいくような、そんな美しさにも似ていた。
 唯子が、ボールペンを、落とした。私はそれを拾おうとした。このくらいの善意には、私みたいな人間であっても、べつに、下心はなかった。けれども、
「取らなくていいよ、」
 と唯子は言い、埃の積もる床に、傷ついた蛾のように這いつくばって、うろうろと腕を幽霊のように漂わせ、ああその惨めったらしい姿の、なんと美しいことだろう。生活者の美。一途でひたむきな、生活と自立への愛。私はそれを見て、こころが傷ついた。後年たびたびそれを想い出し、苦しみに身を折った。その傷は、いまでも、私の神経を這い、折に触れて、私を苦しませるのだ。
 くだらない男子が、不格好な唯子の悪口を言い、そして私は、彼に言い返さなければ、勇気をもって、彼に注意をしなければ、そう思っていたが、私は、つくづく臆病だった。
「言い返せなくて、ごめんね」
 と後で言ったところ、
「そんなこと春子にしてほしいなんて思ってないよ」
 という言葉が、一番、辛かった。
 私は、勇気を、期待されていないのだ。私はただ道化と、かわい子ぶりっ子と、天真爛漫で傍若無人な、本当の私とは似ても似つかぬキャラクターを、求められている。けれども、知ってほしい。私は誰よりも、この大嫌いなキャラクターを演じぬいたと。義務を、必死の思いでこなしつづけたと。

 私は自分の役が大嫌いで、ほんとうは、無垢なほどにやさしいひとになりたくて、純粋な魂にあこがれていて、肉体が憎くて、エゴも性欲も、食欲でさえも腹ただしくて、気味が悪くて、人間の有機性、どろどろと内部でおこなわれる生きるための細胞の運動がこわくてこわくて、なんで私は生きていたくないのに、勝手に私の有機性は生きようとしているのだろう。こんなことになるのなら、肉をもって、産まれてきたくなかった。美しくて硬い、人形になりたかった。痛みさえも拒絶する、無機物になりたかった。
 私にだって、ほんとうは、こんなふうに生きたいという理想があるのだ、しかしそれは、あまりにも私には高級で、もう、私はそれに向かうには遅すぎて、純粋な魂、それのさせる美しい奉仕、そんなのは、もう、いい。私は、庶民的な美、生活者の一途な態度、それがときおりきらと反映させる奉仕のひかり、これに、いま憧れる。けれども私は、それに、届かない。届こうとする、意欲も、もはやない。生きる意欲が、ない。私の自殺願望、これに、思想など、ない。あるのはあらゆるものへの嫌悪、憧れに届かない自分への失望、そして、そもそも私には、生きたいという欲求が、ないのだ。生きていたく、ないのだ。ただ在るだけで、苦しいのだ。
 恋人から、メールを拝受いたしました。私は彼の要求を、うけたまわりました。こころでは唯子に恋い焦がれ、唯子に憧れ、けれども、私は、好きでもない男と一緒になり、唯子を、唯子への恋を、裏切ることにいたします。ひさびさの、唯子からの「話がある」という電話、私は必至の形相で、命からがら(これは皮肉である)、逃避いたします。きっと、いいお話ではないのでしょう。唯子の声の、トーンで解る。私は裏切る、せめてもの救いは、唯子が、私の恋を、知らないことだけでございます。
 人間は、逃げなければそれで好いのだ。逃げても、また立ち上がればそれで好いのだ。そう思ってはいるのだけれど、私はすべてから、唯子から、逃げつづけてしまう。唯子といると、私は辛いのだ。なにか唯子のひかりが、私を責めたてているように感じるのだ。後ろめたいのだ。
 私は唯子を、憎んでいる。逆恨みである。このただ苦しみのままに書き散らした文章、唯子へ送ってしまおうか。唯子に、私の恋と、憧れと、届かないからこその苦しみを、知らせてしまおうか。唯子は身をよじって苦しむだろう、そして、私と両想いだったことに、ほんのすこしの喜びと、それを伝えたのちに死を選んだ私に、痛ましさと、軽蔑を感じるだろう。復讐、そうだ、これは、可憐な美への復讐だ。私は唯子に、罪悪感を与えたいのだ。罪悪感を与えること、これは、恋人どうしになるよりも強烈で、永遠で、むっと薫る椿のように甘美だ。紅いろの椿の花びら、血のように落つる、さみしく、はらはらと落つる。唯子よ、とわに私のことを、忘れることなかれ。本当の私を、偽りの私に恋した貴女に、突きつけてやる。私は貴女を憎み、そして愛した。そもそも私ははじめから、誰にも見せないと書いておきながら、唯子へ向けて、ペンを走らせてはいなかっただろうか。唯子にだけ、唯子にだけは、私の気持ちをわかってほしいと、思っていなかっただろうか。私は死の間際まで、唯子に甘えるつもりなのだ。
 さようなら。私は娼婦、既婚者の愛人、けれども娼婦の、なにが悪い。自分の躰を犠牲にして、ひとに奉仕することのなにが罪だ。
 されど私、奉仕をしない娼婦、自分のためだけに躰を差しだす愛人。
 私はいちどでいいから、貴女のように、可憐に生きてみたかった。

   返信
 恋するひとよ、亡きひとよ。
 醜くも汚くもない貴女は生きていて好かった。生きていて好かった。この言葉はあらゆる意味で貴女にははや届かないけれども。これはただ私がかけられることを希み、そして私のいっさいを救わない言葉であるけれども。貴女は生きた、ただそれだけだ。どこにこころが純粋で美しい人間がいるであろうか。
 幸福な私はただ追憶のなかでのみ貴女と相思相愛である。私の唯一の理解者は貴女であって、貴女こそ理解者なきひとであった。貴女は教えてくれたのだ、たとい無神経で生き易そうな人間に見せかけていようと、すべての人間の心には砂の舞う空白があるということを。それは神経のかそけき糸を弾き散らしいたみを与えるということを。それを為るのはただ音もなく立つ淋しい風であるということを。
 春が美しく朗らかでなければならぬだなんて、もはや私はだれにも言わせない。人格に寄与されたあらゆるレッテルこそもはや私にはにくたらしい。そうだ春こそ、春こそもの狂おしい季節であるかもしれぬのだ。
 私がかの棺に捧げる花はもはや真紅のばらではない。春に咲く黄いろのばらである。その花言葉は悲劇にさだめられている。
 なぜといい恋愛は、太陽とおなじ色をしては不可なかったのだから。

後ろめたい少女たち

後ろめたい少女たち

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日 2020-01-09

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