READY to CHANGE
僕には友達がいない。
早野沢中学校3年C組の男子十八人、女子十七人の中で僕はいつも一人だ。三年生になり、秋風が吹くような季節になっても僕は友人と呼べるような存在に未だ出会っていない。
とは言っても、中学校の中で僕が一日中黙秘を貫いているのかと問われればそうでもない。忘れ物をしてきた隣の席の同級生に頼まれれば教科書を見せてあげることはあるし、消しゴムを落としたら拾ってくれる女子もいない訳ではない。しかしそこから放課後の遊びの誘いをかけられる事は一度だってないし、消しゴムから恋が生まれるなんて事は夢物語だ。
そもそも、小学校の卒業と共に親の仕事の都合で転校し、生まれ育った町と友人たちに別れを告げた時点で僕に新しく友達作りをすることなんて無理なんだ。あのとき無理にでも地元の中学校に残っていれば僕もこんな状況にはなっていなかったのに。
おかげで中学校の皆は入学から三年目の今でも、僕の事を名前ではなく「笠原くん」と苗字で呼んでくる。恐らくクラスの多数は僕の下の名前が「和樹」ということすら知らないのではないのだろうか。
しかしそんな悲惨な中学生活を送っている今現在までには、わずかながらチャンスはあった。二年生の頃の文化祭、入学してすぐのレクリエーション、その他諸々。それらのイベントの中では僕に話しかけてくる人もいたのだが、その人たちも通常の授業期間に戻ると次第に僕に話しかけることは無くなり、僕はいつものように一人になってしまうのだ。あのとき、僕に社交性がもっとあれば良かったのに。
授業が終わって、一人で早々に下校し自分の部屋にいる時は大抵このようなことを考えてしまう。そして「明日こそは友人が出来ますように」と願掛けをしてその日も床についた。
次の日、いつものように無言で教室のドアを開くと、目の前には生徒指導の先生が立っていた。僕は驚きのあまりその場から数歩後退ると、強面で有名なその先生は僕に何も言わずに指導室に向かっていった。すぐ後ろには茶髪でパーマのかかった女の子がいた。彼女はこちらを一度見たあと、僕に向かって微かに笑顔を見せた。
「早く来い!」と指導室のほうから怒声が聞こえ、肩をびくりと震わせたその子は小走りで指導室の中に入っていった。僕はその顔に見覚えがあったのだが、誰だか思い出せずにいた。
改めて教室の中に入ると、クラスの中はいつも以上にざわついていた。皆小声で話していて内容までは掴めないが、皆今連れて行かれた女の子について話しているみたいだ。それもそのはず、僕の学校では染髪行為はもちろん、パーマを当てるような事は校則違反に当たる。恐らくあの子は時期はずれの転校生なのだろう。前に居た学校は校則の緩い中学だったのかもしれない。先生に見つかり、指導室に連れて行かれるまではさぞかし浮いた存在になっていたのだろうな、などと勝手に想像しながら他の人の自分の席に座ると、ちょうど担任の国語教師が教室に入ってきて、朝のHRが始まった。そのとき、ふと僕の頭の上にひとつの疑問が浮かんだ。
転校生って、HRの時に初めて教室へ入ってくるものじゃなかったっけ。
疑問は、四時間目が始まる前の休み時間に解決した。僕が机の横にかけてある鞄の中を覗き込みながら次の授業の準備をしていると、急にクラスの中が水を打ったように静かになった。僕が異変を感じて教室の中を見渡すと、先ほどの少女が教室の中に入ってきていた。こっぴどく絞られたのだろう、目の下は赤らんでいて、茶髪だった髪の色は墨汁でもかけられたかのような真っ黒になっていた。彼女は騒然となっているクラスメイト達や僕の視線は全く気にせず、僕の座席のすぐ横を通り過ぎ、すぐ近くにある机に学生鞄をかけて、その席に腰掛けた。
たしか、その席はクラス委員長の席のはず――
その瞬間、僕の脳内データベースにある委員長の顔と、今まさに僕の斜め後ろにいる女の子の顔の情報がピタリと一致した。
三年C組の学級委員長、若月直子にキャッチコピーをつけるならば「委員長をやるために生まれてきた女」といったところだろうか。髪の毛は三つ編みお下げ、眼鏡はいまどき珍しい銀縁フレーム。制服のスカートの丈だって膝下五センチ、授業態度もいたって真面目で、「委員長」とインターネットで検索すれば真っ先に出てきそうな風貌であった。
そんな彼女は過去の存在となり、三つ編みはほどかれて肩ほどまでの緩いパーマがかかり、銀縁メガネもその顔からは消え去っていて、スカート丈も随分短くなっていた。これで朝までは髪の色も茶髪だったのだから、僕が朝の彼女を委員長だと見抜けなかったのも仕方ない。
「おはよう、笠原くん」
急に変貌を遂げた彼女の顔を無意識のうちにまじまじと見つめている僕に対して、委員長……いや、今となっては彼女にその呼称は似つかわしくない。若月さんは挨拶をしてきた。
「あっ、いや……ごめん」
急に現実に引き戻された僕は気が動転してしまい、顔も真っ赤にして無様な返事をしてしまった。意識してみると、こんなに長い間女の子の顔を見つめていたのは実に久しぶりのことだった。
「なんで謝るのよ、私は挨拶しただけじゃない」
若月さんはクスリと笑いながら僕に話しかけてきていた。口調は以前のままのハキハキとした委員長のままだった。
「い、いや……ごめんなさい」
若月さんの顔をあんなにまじまじと見てしまって、と二の句を繋げることはできなかった。というかそんなこと僕に言える訳がなかった。結局、さっきとほとんど同じ台詞を若月さんに返すかたちとなってしまった。中学に入った頃から、特に女の子と会話をするときには不思議と頭の回転が鈍くなって、唇が上手く動かなくなってしまう。こんな体質じゃなければ今だってウィットの効いた返答ができただろうに。
もう、と彼女がため息をつくとほぼ同時に授業開始のチャイムが鳴った。僕は逃げるようにくるりと体を反転させ、背を向ける。彼女から視点を外すと、クラス中の視線がこちら側に集まっていた。もちろんその先にいるのは僕ではなく、後ろの席に座る彼女なのだけど、何故だかとても恥ずかしい気持ちになってうつむいてしまった。
***
今日は人に会いたくないな、というときに限って道を歩くと友人に出くわすことがよくある。とはこの前放送されていたTV番組で出演者が話していたことであり、僕は出くわす友人が居ないから、その時には、話を聞いていた他の出演者のように「あるある~」と感じることはできなかった。
でも今の僕になら少しだけその気持ちがわかる気がする。
久しぶりに他人と二言以上の会話をした。それも相手は急にクラスの注目の的となった女の子。今日のところはもう人と話さなくてもいいかな。というときに限って、僕は若月さんと一緒に掃除をすることになってしまった。考えてみれば、今週の掃除当番は僕たちの班の担当だし、僕の班には若月さんがいるし、ごくごく当たり前のことなのだけれど、なんでったってこんな時に……と僕は運命を恨んだ。
教室掃除があらかた終了したときには、僕の学校では「ゴミ捨てじゃんけん」というものが行われる。このじゃんけんで敗れた二人は、校舎の一階の端っこにある処分所まで、クラスに設置されているゴミ箱を抱えて一緒に行かなければならないのだ。
今日の勝負は一発で決まった。僕と若月さんがグー、他四名は一様にパーを繰り出し、今僕は彼女と二人でゴミ箱を抱えながら階段を下りながら、TV番組の一場面を思い出しているのであった。
あの後、教室に帰ってきた彼女に話しかけてくる人は誰もいなかった。誰もが遠巻きに彼女を眺めて怪訝そうな瞳をしながら他の友人の耳元でひそひそと話すだけで、授業に来ていた先生方も、彼女をまるで腫れ物に触れるかのように扱っていたのだが、彼女はそんなこと気にも留めないかのように淡々と一日を過ごしていた。
「なんだか、今日は笠原くんとしか話してないなあ」
彼女は、明るい調子で横目で僕の方を見ながら話してきた。
「そ、そうなの」
「あ、生徒指導の山崎先生はノーカンね。わたし、あんなに怒られたの初めてよ。見てこれ、せっかく染めたカラーが台無し。パーマも明日までにはストレートにしてこいだってさ。酷いわよね。ほかのクラスの目立っている子なんてもっと強いデジパ当ててるのに」
時折、生徒指導の先生の物真似もしながら若月さんは頬を膨らまして不平を訴えた。
「若月さんも、十分、目立っているけど」
僕が深く考えずに放ったその言葉で、彼女の顔が不意に曇ってゆくのがわかった。
「私のは、今のところただの悪目立ちよ。」
処分場からの帰り道、教室へと続く廊下を二人で歩いている時に、若月さんのその一言によって沈黙が破られた。
「私は、お世辞にも友達が多いと言える人間じゃないわ。それでも、クラスの中には一人ふたりくらい、友達って呼んでも差し支えない存在の人もいたの」
僕は、委員長スタイルの時の若月さんと、その周りにいた何人かの女子の事を思い浮かべていた。ちなみに彼女たちも以前の若月さんのように、スカートの丈も長く、飾り気のない眼鏡をかけているような人だった。
「でもね、こうやって眼鏡を外して髪を染めた途端、その友人たちは私の近くに来てくれなくなったわ。そう、まるで腫れ物に触れるかのように急によそよそしい態度をするようになったの」
腫れ物、という言葉に、僕は心の中を読まれたような気がして背筋がゾクリとした。実際のところ、彼女もクラスのそういった雰囲気は肌で感じ取っていたのだろう。まるで気にしていない態度を取っていても、それはあくまで表面上のものだったみたいだ。
「でもね、私は後悔していないわよ、そりゃあ、友達を失ってしまうのは少々ばかり辛いけど、今までの私のまま、地味でつまらない日常を送り続けるよりは全然まし。だから、そのうち今の三倍の友達を作って、”あの時変わっておいて良かった”って未来の私が言える様にしたいの」
それとも、今の髪型似合わないかな? と眉尻を下げて照れくさそうに尋ねてくる彼女は、非常に個人的な感想だが、反則的なまでに可愛かった。
しかし、彼女のその決心とは裏腹に、高校受験が近づき空気の張り詰めてきたクラスの中での彼女は浮いた存在になり続けていた。彼女が軽い調子で他のクラスメイトのグループに話しかけても、どこも一様に苦笑いをして、曖昧な返事をしていた。そういった空気の変化に反応して、結局若月さんは自らそのグループを離れて、一人でいることがどうしても多くなっていった。
僕だって人のことを言える立場ではないのだが、彼女のように、ほぼ確実に失敗することを敢えて挑戦するほどの無謀さは生憎持ち合わせていないので、その分ショックを受けることも少ない。
でも、なんだか彼女を見ていると、心の奥底を揺さぶられてしまうような感覚に襲われることがある。そんなときのある日曜日、僕が一人で出かけた本屋で偶然若月さんと出くわしてしまい、一緒に帰ることになってしまった。
「覚悟はしていたつもりだったけど、やっぱりちょっときついわね」
彼女が取り繕った明るさで、自分のつま先を見ながら呟く。
「でも、僕は君がうらやましいよ。僕も若月さんみたいな勇気があれば良かったのに」
励ますつもりで僕はそう言った。
「へえ、笠原君も友達が欲しかったりするんだ。そういうの、全然興味がない人なんだと思ってた」
彼女は驚いたように顔を上げて僕を見た。
「どうして?」
「だって、友達が欲しそうに見えないもの、あんまり人に話しかけているところ見たことないし」
「それは……僕に勇気がないからだよ。小学校のときはそんなじゃなかったんだけど、転校して、それまでの友達とは皆離れ離れになった中学校で、勇気を無くしちゃったんだ」
初めて自分の事をクラスメイトに話したかもしれない。なんでだろう。
「そんなに転校したこと、後悔しているの?」
彼女の質問に僕は軽くうなずき
「僕だって、転校さえしなければ今だって幸せだったんだ」
と愚痴をこぼした。途端、若月さんは歩いていた足を止めて真剣な面持ちで僕のほうを見つめてこう言った。
「だけど、そんな笠原君は笠原君じゃないよ、転勤しない仕事をしている両親の元に生まれた他の人。税金があって、悪人がいて、戦争があるこの世界に生まれたのが笠原君。生まれてから今までに存在した偶然や選択が笠原和樹を構成している全てなんだよ。それに、過去を嘆いていても未来は変わらないでしょう? 未来を変えるためには今変わらなきゃいけないって私は思うのよ」
彼女は言い終わったあと、説教くさくてごめんね。と僕に苦笑いをしながら手を合わせた。
「だから、三年のこの時期に?」
僕がそう尋ねると彼女はうれしそうにニコニコしながら
「そう、今変わったのよ」
と答えた。ちなみに「僕の名前、知ってたんだ」との問いには「そりゃあ、委員長ですから」と今はない眼鏡をクイ、と持ち上げるジェスチャーをしながら答えてくれた。
彼女と別れて、一人で家までの道のりを歩きながら僕はさっきの彼女の言葉を思い出していた。そうだ。確かに僕は今までの過ちや選択の結果を後悔しているばかりで、友達作りだって、今日の自分じゃなく、明日の自分に託すようにしてきた。でもそれじゃなにも変わらない。明日の自分は明後日の自分に変わることを求め、結果として僕はずっとこのまま変わらずに生きていくことになるんだ。心の中では多分気付いていた。だけど、それには気づかないふりをしてずっと後ろばかりを見ていたんだ。彼女は「今、変わった」と言っていた。そんな彼女を僕は憧れていたのだと、今になって判った。僕も彼女みたいになれたら、と僕は思い続けてきたが、それじゃ何も変わらない。僕は彼女みたいに、なる。
***
あれから一ヶ月が経ち、グラウンドの隅にある広葉樹が赤く染まる頃には、若月さんの状況は一変していた。最初はクラスの中で浮いていた彼女の存在もいつの間にか受け入れられ、前とは違う、もう少し明るい女の子たちの輪に彼女は溶け込んでいた。クラスの中の噂話に聞き耳を立ててみると、若月さんに告白してくる男子も現れたらしい。でも、今の彼女はそれも納得できるほどに快活で、素敵な人になっていた。
そんなある日の放課後、僕たちの班では、おおよそ二か月ぶちに掃除当番の役が回ってきた。一通りの清掃を済ませ、最後に待ち構えるゴミ捨てじゃんけん。じゃーんけーん、という掛け声のあと、ポイっと僕と若月さんはパー、他四人はチョキを繰り出し、いつかのように二人でゴミ捨てに行くことになってしまった。
しかし、あの時と違って僕は今、彼女に話したいことがあった。そう、どうしても伝えたいことがあったのだが、なかなか糸口が見出せず、結局教室に戻ってきてしまった。他の班のメンバーは既に下校したようで、夕焼けに焦がされた教室の中には僕と若月さんしかいない。所定の位置にゴミ箱を戻した彼女はこちらを振り向いて、開口一番、
「変わる決心、できた?」
と聞いてきた。さすが若月さん。何でもお見通しなんだな。
彼女の長い睫毛を見つめながら、僕もなるべく不敵な笑顔を作りながら「うん」と力強くうなずいた。
その日の帰り道、僕の手には立ち寄ったドラッグストアーで購入したヘアブリーチが握られていた。
READY to CHANGE
最後までお読みいただきありがとうございます。
この作品はサークルの機関誌10月号に投稿したものです。
若月さんは、某アイドルプロデュースゲーの眼鏡さんをイメージして動かしていました。
こういったモノを書いているほうが性に合っているな。と思いました。
もちろん満足する出来ではないですが、前ほどではないかな。と。
これから11月中に一本、12月、2月にも各一本書いていく予定です。
右肩上がりに成長できればいいのですが。