Fate/Last sin -33.5

「陛下」
 そこは戦場だった。いや、自分が戦場にした場所だった。草原と、浅瀬のある、なんのことはない都市の郊外だ。重く垂れこめた曇天と、時折鼻をつく血の匂いに、懐かしささえ覚える。
 そうか、これは夢なのだ、と彼は思った。
「陛下。恐れながら申し上げます」
 そう言って足元に跪く兵士の姿もよく知っていた。息を切らせ、馬から降りてそのままに自分の足元に駆け寄ってきた哀れな男の名前も憶えていた。
 低い声が零れ落ちる。
「申せ、イルサン」
 男は小刻みに震えながらも、よく通る声で報告した。
「弟君、ディートヘア様とアルテラ王のご子息が戦死なされました」
「――――」
 それからの光景を、生涯忘れたことはない。
 俺は剣を抜き、不備を犯した部下の首を刎ねた。
 私は馬を走らせ、その浅瀬へ急ぐ。
 そして二度と戻らない自分の兄弟と、恩人の息子たちが、無残に斬り殺されているのを見る。
 視界の端に、一頭の馬に乗って逃げていく、裏切り者の背が映る。
 俺は激昂する。
 私は復讐する。
 炎が心臓を灼いているようだった。絶対に奪われてはならないものを奪われたことに対する憤怒と、彼の王への悔恨と、反逆者に殺された若い弟と友人達への嘆きが、一様に身の内を埋め尽くして気が狂いそうだった。
「私と戦え、卑劣で、臆病な裏切り者!」
 俺と戦え。その身の髄も残らないほど焼き尽くしてやる!
炎と共に、喉から絞り出すようにして叫んだ声は逃げる男の背に届いた。だが男は止まらない。声を詰まらせ、
「殺さなければ、私が死んでいた。お前とは戦いたくないんだ。頼む。許してくれ。頼む」
と叫ぶのだ。
 思考が、一瞬停止する。
 許す?
 何を?
 弟を殺したことを許すのか。彼の王の息子を殺したことを許すのか。貴様の為したことで、許しに値する行為がひとつでもあっただろうか。泣いて詫びても、命を懸けても、死んだ弟と王の息子は還ってくることはない。その空々しい嘆願を聞き届ける自分の耳を切り落としてしまいたいとすら思う。
「地の果てまで追い詰めてやる。待っていろ、その首を刎ねても、心臓を抉っても、手足全てを奪っても、まだ足りないほどの苦痛と悔恨を貴様に与えてやる! 逃げられると思うな。絶対に、絶対に逃しはしない!」
 激昂のままに、槍を放った。唸るような風と共に槍は男の背を狙い澄ましたが、寸前で躱される。その間も、男は涙を流して手綱を握っている。
 燃えるような金髪を疾風になびかせ、煮え滾るようなグレーの瞳を爛々と輝かせながら、その王は心臓に刻み付けるように怨敵の名前を叫んだ。
「ヴィテゲ!」

 夢は、いつもそこで終わる。

  *
 
 ――さあ、もういいだろう。
 身の内で、何者かがそう言った。それが何なのかは分からない。音も無く、声もない。ただ肺の奥の方から、ふっとそんな言葉が湧いて出てきたようだった。
 ――本来の姿に戻るべきだ。君は、剣士の器に収まる英霊ではなかった。
 明確に、それは語り掛けてくる。幻聴にしては朧げで、自意識にしてはよそよそしい。セイバーはわずかに指先を動かした。体の感覚が徐々に戻ってくる。人肌程度の温もりを備えた何かに全身を覆われている。ぼんやりしていた記憶も少しずつ蘇る。そうだ、楓の手を掴んで、そのまま泥の中に引き込まれたのだった。楓はどこに行ったのだろうか、とうっすら考える。思考が上手く回らない。剣を握ろうと腕を動かそうにも、なぜだか体に上手く力を入れることが出来なかった。
 ――恐れることはない。生まれ変わるだけだ。
 生まれ変わる? 闇の中で、セイバーは眉をひそめる。それを見ているかのように、音のない声は訴えかけてくる。
 ――君はここに召喚されてからずっと、本質を奪われたままだった。君はただの剣士ではない。望みは無い、民の幸福だけが願望だなどと王の顔をしてみせても、それは空虚な殻でしかない。思い出しただろう、今、この場所で。君の本性は何なのかを。
「……」
 あの男の顔が、鮮明に脳裏によみがえる。
 内臓が次々に締め上げられていくような圧迫感と共に、頭痛が始まった。何かがおかしい、と理性が警鐘を鳴らし始める。それと同時に、何がおかしいんだ? と、本能に近い部分が理性に逆らっている。
 ――君には死ぬほど殺したい相手がいたはずだ。仇の名分のもとに罰を下したい人間が。それの何が悪い。罰を与えることの何が悪い。君は国を奪われ、弟を奪われ、信頼も奪われてきた。今こそ生前遂に成しえなかった望みを果たす時だ。
 その望みは召喚された時から、君の身体に根づいていた。君が忘れていただけで。
 言葉は甘く囁きかけてくる。剣を握ろうともがく手を止めた。見開いていた瞼も閉じる。そうか、と悟りに近い理解を得た。そうか。俺はこのために呼ばれたのか。頭痛が激しくなり、食い縛った歯がギリギリと音を立てる。
 楓に、聖杯にかける望みを尋ねられた時から、ずっと胸の内に巣くっていた違和感が正体を現し始める。自分はずっと、何かを忘れていたのだ。それは復讐だった。それは怒りだった。俺が持っていて当然のもの。彼女が怯えた顔をしないように、出来る限り押し殺してきた、過去の願望。それを清算できるのが聖杯の奇跡のはずだ。
 血が潮騒のように暴れだす。泥が、激痛を伴って皮膚に染み込んでくるようだった。
 ――そのままでいい。そのままでいい。そのままで、君は構わない。
 声が煩い。耳を塞ごうと腕を動かして、細かな針を無数に血管に流し込まれたような痛みに慄いた。荒くなった呼吸と潮騒のような血流の轟音の中で、必死に声を探す。もう一声掛けられれば、完全に身を委ねられる。このまま自分の復讐願望のためだけに生きられるように、あの音の無い声が欲しかった。
 けれどセイバーの耳元に飛び込んできたのは、なぜだか無性に聞き慣れた、弱々しい少女の悲鳴だった。


「――セイバー!」


「……ッ!」
 悪夢から醒めるように、我に返った。
 体が重い。辺りは完全な暗黒で、光は無い。立て、と自分に言い聞かせるが、それすらサーヴァントの身を以てしても困難だ。うつ伏せのまま、身動きが取れない。重力が果てしなくその身に掛かっているようだ。
 だがセイバーは、這うようにして右手に剣を取った。すぐさま、身体を締め付ける泥の群れが生き物のように跳ねまわって纏わりつき、皮膚から入り込もうと隙を伺ってくる。少しでも気を抜けば、細胞単位で呪いに侵されるだろう。
「……退け……」
 セイバーは歯を食いしばった。やっと片腕を冷たい地につき、身体をわずかに起こす。脊髄が、体中の筋肉が軋み、今にも押しつぶされそうだ。
「……退け……!」
 悪い夢を見ていた。もしかしたら、そうなっていたかもしれない結末。いや或いは、既に現実として何処かで選ばれていた結末だろう。その隙に付け込まれた。聖杯の泥は油断なく、そのセイバーの隙を見つめていたのだ。過去の妄執を見せつけ、それが己が本性などと謳い、自分を自分ではない何かに変えるために。
 だが今は違う。
 俺ははっきりと選んだ。復讐者ではなく、剣士として。報復に心を奪われ放浪する王ではなく、民の為に最後まで武器を取り、遂に勝利した騎士として。
 俺は俺のやるべきことをやるまでだ。そしてそれは、復讐ではない。
 セイバーは渾身の力をかき集めて、遂に両脚を地について立ち上がった。吐く息が燃えるように熱い。銀色の籠手を嵌めた指先から、握られた剣先から、深く吐いた息から、金色の火花が散って、あたりを黄金色に染める。暗闇の中で、泥が怯えたように一斉に引いた隙に、セイバーは赤く燃え滾る剣を振るった。
「――――――!」

 魔力放出によって放たれた恒星の如き炎が、頭上に広がり身体にのしかかっていた泥の海を切り裂いて、焦がし尽くしながら進んでいく。断末魔のような音のない叫びがセイバーの耳に届くと同時に、炎が果てに辿り着き、セイバーの視界に青い夜空が映った。

Fate/Last sin -33.5

Fate/Last sin -33.5

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
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