川渡 際

川渡 際

由来

川渡 際
今日はペンネームを変更したので由来を気が向いたので少し語るとしよう。
せっかくだから私の昔のペンネームについても触れておこう。
「心季」と書き「うらすえ」と読む。勿論造語だ。これを考えた頃の私は(この頃の一人称は、僕だったのだが)ありふれた物や流行り物が苦手であたらしい言葉をペンネームにしたくて考えた物だった。名前には意味や願いを込めたい気持ちが強かった。それにも理由があって実は私の本名には意味が無いらしいのだ。母や父に意味を聞いても「意味は無い。」の一点張りなのだ。私は、あまり自分の名前に愛着がない。だからこそもう一つの名前には意味をしっかり意味をつけたかったのだ。習い事をサボって真っ暗で寒い農道で一生懸命考えた結果、言葉を繋げることにした。「心」はまんまなのだが、自分の心を映すと意味を込めた。普段の私は誰にも弱さを見せたく無い人間だった。(今もそうなのだが)理由は長くなるので省くとして、きっと私は弱さを見せたく無いが誰かに気付いて欲しかったのであろう。私は作者と作風は別物と考えていたので、もし詩を読まれて心配されたならば、「作品は作品」と言って[if]を用いて悩みを打ち明けるつもりだったのだろう。
「季」は「季節」の「季」である。俳句では無いのだが季語を入れると世界観を分かり易いと思い「季節」と「心」を一つの詩に込める事を作風にし名前に込める事にした。
それで今回の名前を考えるに至った経緯は、最近の詩を読んでもらえれば、分かると思うが一言で言うなら「情緒不安定」そう思う人も居ると思う。それもその筈、私は軽度の自殺志願者なのだ。本当ならば今この瞬間消えてしまいたいくらいだ。臆病な私が自殺する度胸などなく、ただ死を神に祈っているだけだ。(無神論者なのだが)初心を汚したくなくて名前を変えたのだ。
勿論名前のテーマは「死」である。名前を考えのメモ書きを見せようと思ったのだが、人に見せるのがおぞましいから辞めた。「川渡」は死ぬ時は三途の川を渡る所から取り、自殺志願者は死の際に立っている所から「際」と、取り「川渡 際」が生まれたのだ。きっと読んでくれてる人は驚いている事だろう。だがこれは残念ながら本音である。

川渡 際

川渡 際

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-01-03

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