せかいのはじまり

 沼にすむひとびとが、沈む太陽を指さす頃、腐りかかった町のかたすみから、かなしみをとかしたような歌が流れてきて、刹那、空の色が、目覚めはじめた濃紺から、すべてのおわりを告げるみたいな深緋に変化する、ということを教えてくれたのは、美術の先生でした。深緋がどういった色なのかを、説明してくれたのですが、すべてのおわりを告げるみたいな色、というものが、ぼくにはうまく、想像できませんでした。おそらく、たぶん、それに近いのだろうと思いながら、幼い頃に祖父母の家がある田舎でみた夕焼け空の色を、パレットにつくりました。ひつような絵の具をしぼり、筆でねりまぜました。沼にすむひとびとには、みんな、なまえがなくて、なまえのかわりに、番号で、個体を判断していると、きいたことがありました。たとえば、三番は、こども、八番は、おばあさん、十七番は、パンやさんで、二十三番は、あかちゃん、とか。沼のことは、じつは、あまり知れ渡っておらず、町のひとたちにも、美術の先生にも、わからないことが、たくさん、あるのでした。先生があたえた図鑑の、写真の宝石を模写した女子のひとりが、さいきん、すこしだけ、おかしなことになっていて、ルビーや、ダイヤモンドや、エメラルドのような石を、きまぐれに、ぽろんぽろんと、吐きだすのでした。でも、ざんねんながら、それらはきれいに洗っても、まぎれもない、にせものの宝石、だったのです。
 冬なのに、ひまわりの花が咲いています。
 学校の、あちらこちらに、咲いていて、夏のひまわりとちがうところは、冬のひまわりは、黒い花、なのでした。
「ぼくはこの花が、せかいでいちばん好きなんだ」
 美術の先生は、嬉々として話していました。沼にすむひとびとには、はっきりした性別がないので、ある日とつぜん、男の人が、女の人になったりするのは、わりと有名なうわさでした。ぼくは、先生が描いた、せかいのはじまり、というタイトルの絵が、とても好きでした。まっしろいカンヴァスを、じっとみつめていると、すいこまれそうな感覚に、おちいるのでした。
「なんだ、なにも描いてないじゃない」と言い放った、せんぱいは、にせものの宝石を吐きだす女子のように、すこしだけ、おかしくなって、先生曰く、すばらしい芸術作品となって、町の美術館に、おります。

せかいのはじまり

せかいのはじまり

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2020-01-02

CC BY-NC-ND
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