ラビアタを追って

書肆彼方

ラビアタを追って

 おそらく、過去には空を映すほどコバルトブルーだったであろう塗装も今では色あせ、剥きだしの木が所々ささくれていた。錆びついてざらざらのドアハンドルを握り、左右二枚の板をゆっくり引くと、老人が腰を上げる時の悲鳴のような音を立て、こちら側に開いたのだ。
『それが扉である』と形容しがたいのは元来、扉というものが囲われた空間の裂傷、建物あるいは部屋に出入りしたいという欲求とまではいかないまでも好奇心のあらわれで、もし貝になりたければ単なる箱の中にでも一生こもっていればよい。しかし、ここに現存する真鍮で装飾が施された長方形の板には、そうした要素が一切なく、ただ庭の真ん中にぽつりと構えて、何がしかを満たすわけでもないということだ。
 門ではないか、という答えに関してはノーと言っておく。なぜなら庭の周囲がヘデラでびっしり覆われた高いレンガ壁で囲われており、後に門扉と呼ばれるものは発見できなかったからだ。それを知るために半年近くかかったことも付け加えておこう。
 幽閉されている感覚はなかった。むしろ囲いの中で草を食む羊、もしくは牛といったところか……いや、彼らより厚遇されていたのかもしれない。何か制限されていたわけではなかったからだ。庭に生える滋味豊かで多様な果物はひとつとして同じ味はなく、いくら口にしても尽きることはなかったし、好きな時に好きなだけ食べることができたのだ。
 園内は裸でいてもちょうど良い湿度と温度が保たれていた。そもそも衣服を身につける、という概念はなく、羞恥などもってのほか、着衣の必要すら感じなかったわけだ。高尚な意味においての芸術、装飾としての裸体あるいはヌードと呼ばれるものは、おそらく後代の人類が抱えることとなった理性への矛盾だろう。こうしたことについてとやかく述べると、あらゆる憶測や議論を生むため、これ以上は控えたい。ただ事実として初めからそうであった、というのが正しい答えである。もちろん、裸ゆえに病気で苦しむことなどない。
 壁について話を戻すと気になるのは——あの時は皆無だが——庭の外はどうなっているのか、ということだろう。これについてはある程度推測することができた。五、六メートルのレンガ壁の向こうは緑の山で囲まれていたし、扉から少し歩いたところにはモニュメントのごとく一〇メートルほどの渦巻状の巨大建造物が聳え立っており、そこを登ると庭の外を自由に眺めることもできたからだ。この庭が監禁目的でないことはわかってもらえるだろう。不都合な真実を隠すためのトリックではなく、ある種の領域に一時的に保護しておく、といった具合か。実のところ理由は知っているのだが、あえて伝えることはしない。
 庭園について簡単にまとめてみる。庭の真ん中、整然と刈られた柔らかな芝生に件の扉がある。そこを囲むように色とりどりの花が芳香を放ち、絶えず果実を生む果樹園が広がっていた。湧き上がる甘い水を源流とする川が一本流れ、温暖な気候が適度に水分を蒸発させることで温室のように庭全体をいつも湿らせていた。
 川を下っていくと高いレンガ壁に鉄格子がつけられたトンネルへ水が吸い込まれて、その先はわからない。ツタに覆われたレンガ壁は庭園全体を取り囲んで外界から遮断しているが、庭で一番高い螺旋状のモニュメントの突端から壁の外を見渡すことができる。遠くには峰々が望めるので、庭はおそらく標高の高い場所に位置しているものと思われる。
 植物を分類し事細かに記すならば、非常に分厚い書物が天へと重なるほどになるであろう。長い年月をかけてできる限り多くの種や属に触れたり口に含んだりもしたが、多種多様という言葉しか見つからない。変形菌類・甲虫類・鱗翅類・爬虫類、水棲生物など、庭を住処とする生物も同様である。
 全て完璧なまでに制御され循環したシステムによって調和よく管理されており、かつ驚くほどの多様性を有した園内は探究心を絶えず刺激し、得られた知識や智恵を深めるにつれ新たに沸き立つ種々の疑問が知的好奇心を、といった具合に精神の向上サイクルが促されたのだ。
 時間に関して後の人類が感じるような死へ向かう距離と速度に基づく単純な概念などではなく、自身の外側、庭そのものにとうとうと流れる現象だった。この点に関する明快な説明は非常に困難に思える。人がイチイの年齢を優に超えるなら、あるいは理解に近づくのではないだろうか。
 圧倒的なまでの自由。いま振り返ればむしろそれがきっかけだったように思える。満足感といえば、そもそも不足を補う必要性はなかったわけだし、先に述べた能動的な思考が行動と視野を支配していたため、退屈などという精神的欠陥もないのだから。
 では扉はどうだろう。存在意義が初めから喪失しているようにすら思える2枚の板はどうして存在し、何を求めているのだろうか。仮にもしここにないのであれば、否、断じてそのようなことはない。多年の観察によって微細な生物から巨木に至るまで、園内にあるものは因果関係にある。ゆえに扉であっても庭の連鎖から外れていないはず。
 いくら考察しても、明らかに扉はなんでもなかった。〝なんでもない〟ことがどれほど不可思議であったか。庭園の中心部、もっとも目につく場所にあえて配置し、なるほど扉を中心として庭が広がっているようにもみえる。にもかかわらず、他のものとは全く別個で切り離され、あたかも無視されているとは。
 営みの輪と別個であること自体、目的ではないだろうか。渦巻型モニュメントは〝外の展望〟という目的があり、周囲のレンガ壁は〝庭の外縁〟を意識させると仮定すれば、扉から認識できることは〝独りである〟ということか。
 飛躍した解答であったものの、内奥からふつふつと湧く同情。孤独な扉に対し自然と充足が促され、何かしらの価値を持たせてあげたい、と感じるようになったのだ。もしかするとその時初めて涙を流したかもしれない。
 さて、冒頭で扉の意義について語ったが、この時は扉に関して全くの無知であったため、家を建てるなど頭にのぼることはなかった。もっとも、たとえ許されていることとして、完全な芸術作品とも呼べる庭のコンポジションに手を加えることがどれほど愚かなことか。
 扉の価値を生む。これはやってくる生き物にそれぞれの名を付すよりも困難を極め、時を要した。名前を付与するならばそのものの特徴や役割を明示したり、時に他のものと区別することはあるだろう。しかし、名によって新たな次元に進化するわけではない。ただし親近感、愛着などという主観的価値はわきに置いてもらいたい。
 これは笑止の至りであるが、扉に対して最初に起こした行動とは草花で飾ることだった。一日かけて扉の上部をドラセナやモクレンなどでせっせと覆い、満足げに眺める様子を想像して欲しい。なんと知性に欠け、滑稽なのだろう! 敬愛する画家の描いた幽玄な絵画を必死に模写する凡庸な弟子と言われるなら少しは慰められる。とにかく、日の終わりには充実して床についたのである。
 長い眠りに包まれ、いく日も過ぎた夜明け、深い霧の中から嗅いだことのないエキゾチックな甘い香りが鼻腔を優しく撫でて目を醒ます。ゆっくりまぶたを開くと誘われるように体を起こし、まどろみつつしじまが支配する蒼い森、湿った苔を踏み進む。忘れもしない神秘の香りは高貴なバラ、いやユリなどよりもとろけるほど甘美で内奥を満たす。朝霧によって遠くに立つ飾りつけられた扉の形だけでなく、そばには滑らかで優美な曲線をぼんやり象る。高鳴る鼓動、恍惚となり瞳がそれを捉えて放さない。
 それはしなやかにこちらへ近づき、「あなた」。
 初めて聞いたさえずり。耳に残る高い音は全身をびりびり駆け巡って名付けた鳥たちの鳴き声を思い起こす。もちろん、どれにも当てはまらない。動物達の言語をも。わたしは喜びの赴くまま彼女に簡潔な詩を捧げ、それまで一度も発したことのない「わたし」という言葉を音声によって表現し新たな自己認識を獲得したのだ。そして後代多くの子供たちが自身を表すために使うこととなった。
 絹のような長い黒髪の女はすぐ伴侶となり、彼女に庭園で得た知識を余すことなく伝え共有した。庭は人が増えたことで窮屈になるどころか豊潤で一層魅力的な居場所となった。彼女は同じ人であったが外見は異なっていたし、観点や心の機微に相違もあった。〝わたし〟は仕組みや成り立ちについてよく語っていたが、彼女は感情に重きを置いていた。例えば〝わたし〟は動物を従わせることを得意としていたのに対し、彼女はあたかも長い友人かのごとく接し、彼らは見たこともないような安堵の表情を浮かべていたのだ。そう、庭園には様々な表情があることを彼女を通して知ることができた。木々と戯れ、草花を愛で、近寄る生き物から温度を感じることも。
 扉にしてあげたかったことはまさにこれではないだろうか。価値の創造などという傲慢でうがった見方をするのではなく、存在に新しい理解を示し受容すること。そもそも庭の真ん中にある、というだけで良いのではないか。そう思うと扉は庭の一部になり、以前のような関心は失せてしまった。
 しばらくして、彼女は庭に慣れるとひとりで歩き回るようになった。好物の果実や摘んだ花を持ってきてはこれを見たとか、こう思ったなどと身振り手振り交え話し続けていた。彼女の説明通りに庭を散歩すれば点になるゆえパズルのように組み合わせる必要があったものの、彼女なりの法則があるみたいだし、音楽の構成として聞いていたので心地よかった。
 彼女も扉を気にして、質問されたことがある。経緯や考えを包み隠さず、上部のウィッグについてユーモアを交えると、腹を抱えて笑っていた。それから時々彼女も扉を眺めるようになり、ウィッグの種類の変化は彼女が庭の真ん中を歩いた証拠となった。
 黄昏時にふたりでよく渦巻型モニュメントに登った。琥珀色に染まった山々に藍色の幕が降りてゆく。
「外には何があるのかしら」彼女はいつもボソリとそう言う。好奇心ではなく願望に近いニュアンスで。
 何も答えず静かに彼女を見つめる。そよ風に吹かれきらきらと輝きなびく髪、遠くに焦がれる黒褐色の瞳、なだらかな丘のような眉。彼女は外の世界に想いを馳せ〝わたし〟はただ目の前にいる妻がそばにいるだけでよかった。
 知らない歌を聞くようになったのはそれから少し経てからのことだ。初めは庭の片隅のイメージを個性的に表現しているだけかと思ったが、明らかな新種が口に上った刹那、確信へと変わった——彼女は庭の外に出かけている。
 どうやって外へ? 彼女にそう問い尋ねることはしなかった。繰り返すが庭の外はどうでもいいことだったからだ。いずれ壁が朽ちて壊れでもしたら裾野を広げれば良い。それに等分の自由が与えられているはず。彼女の意思や決定権を侵したいとも思わない。こうして渦巻型モニュメントで夕景を眺めることは減り、やがて役割を果たしたように遺物と化したのだ。
 庭に漂う甘美な香りが途絶えた日、とてつもない寂寥感に襲われた。このままでは彼女がいなくなってしまうのではないか。初めて感じる不安、恐れ。いつまでも彼女は戻って来ず、庭を遍く探したがその姿は見えなかった。失意のうちにエニシダのそばで横になっていると、突然目の前に立っていたのだ。
 力強い抱擁で心情を吐露する。もう離したくはない、と。そんな気持ちをよそに、彼女は嬉々として腕を掴み走りだす。困惑しつつ連れて来られたのは庭の真ん中にある扉だった。
 彼女は手を離し扉へ近づき、ためらうことなくドアハンドルに触れた。背徳の波が押し寄せる。扉が開くことをこの時初めて知った。そして外へつながっていたことも。
 消えゆく妻の背中を見つめていると、上部に飾られた花がそよ風に揺られ彼女の頭にふわりと落ちる。
「ラビアタ」
 わたしの言葉に彼女は振り向き、顔を綻ばせる。その後の行動は迷わなかったし後悔もなかった。
 何が起きたのか言うまでもあるまい。

ラビアタを追って

ラビアタを追って

南の島のボタニカルガーデンに思いを寄せながら. 『Sonata 2050: Andante calmo』Giovanni Sollima

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted