子猫

子猫

 おや、先客がいるようだ。やあ、これはかわいい子猫ちゃんたちだ。四匹いるのかい。
 こんばんは、ちょっとお邪魔させてもらっていいかな。おやおや、そんなに怖がらなくてもいい。僕たちは君たちの敵じゃない。危害を加えるつもりはないよ。もちろん、捕って食ったりなんて滅相もない。とはいえ、無理もないかな。こんなごつい大型犬がいきなり九頭も入って来たんだからね。びっくりさせちゃったなら、ごめんよ。
 僕たちはただ、この洞窟で少し休憩させてもらいたいだけなんだ。ほら、この後大雨が降ってくるだろう。君たちもそれでここに雨宿りに来たんじゃないのか……ふうむ、そうじゃないのか。なになに、地震の気配がしたから思わず逃げ込んだってのかい。でもあの地震は小さいとすぐわかるものだったし、大きい地震だったらこういうところに逃げ込むのはかえって危ないものだ。えっ、どうして地震が大きくないとか、大雨が降るのがわかるのかって? そりゃ地震は土から聞こえる音の具合でわかるし、雨は風の匂いでわかるだろう。ああ、でも、この雨は匂いが薄いからわかりづらいかな。僕たちは特別に訓練を受けてきたし、いくつもの危険な修羅場も潜り抜けてきた経験があるからわかるんだけどね。僕たちは人間たちの軍隊で働いていたのだ。そこらのごろつきの野犬どもとは全然違うのだよ。
 なんだい、興味が出てきたのかい。まあ、ここでこうしてじっとしてても暇なだけだし、僕たちのことを少し話そうか。

 まず、僕の名はジョルジュ。仲間たちはこちらにいるのが右から順にヨナタン,アレクサンドル,ジュリア,シンイェン、こちら側が左から順にケン,アズハール,ソヨン,アールシュだ。よろしく。
 実は僕たちは、とても遠い国から海を越えてやって来た。実際は飛行機で来たから、空を越えて来たといった方が正しいかな。その遠い国で僕たちは人間たちの軍隊にいた。軍用犬というやつだ。普通、軍用犬の仕事といえば、警戒、探索、検知、偵察、運搬だろうか。人間というやつは手先はとても器用で知恵も働くが、五感が絶望的に鈍い。たとえば、敵の兵隊が物陰に潜んでいる時、僕たちは匂いや息の音で気づくことが出来る。だが、人間は耳も鼻も鈍いから敵が見えてからはじめて気づくといった按配なんだ。それに、連中は霊が全然見えないらしい。ほら、さっきもその入口のところを白いのが二つ横切っていっただろう。ああいうのすら見えないんだ、人間には。
 そこで僕たちの出番となるのだが、それだけじゃない。僕たちの仕事はそれに加えて撹乱、陽動、掠取、戦闘そして暗殺。ときには前線で戦うこともあった。敵の兵隊たちは人間だから光線銃やレールガンなどの武器を持っているが、僕たちにはほとんど効かない。そういうのは当たらなければどうということはないのだが、気の流れや風の匂いでどっちに撃ってくるかわかってしまうので、僕たちは全部よけてしまえるからだ。だが、人間たちはそういう気の流れや意識の動きにほとんど気づかないから、敵が撃って来る方に向かって平気で突進して行ったりするんだ。戦場で味方の兵隊がそういう行動をとるのを見るたびに、本当に不思議に思ったよ。
 人間たちはそういうのを動物的な勘と言っている。僕たちはそんな勘が特別に鋭い。そして、戦う力も強い。僕も戦場では何十人もの敵兵を倒している。そっちのソヨンなんかは百人以上やっつけたんじゃないかな。シンイェンは難度の高い敵の高官の暗殺に成功しているし、アズハールは別の仲間とたった三頭で敵の研究施設に潜入し、新兵器の情報掠取と設備の破壊に成功している。なになに、どんな訓練をすればそんなに強くなれるのかって? 残念だけど、これは訓練だけじゃない。遺伝子ってわかるかな。僕たちは生まれる前から特別に遺伝子をデザインされ、操作・合成・組換えして生まれてきたんだ。

 僕たちが生まれる前のことなので、先輩たちから聞いた話だが、三十年ほど前に隣の国で一つの研究が始まった。犬だけじゃなくイルカやネズミ、鷲や蜂などいろいろな生物を軍の戦力として活用するための一大研究プロジェクトだ。だが、わりと早い段階でプロジェクトチーム内で意見の対立による衝突が起こった。遺伝子の組換えによる方法を推す派と、薬物投与やサイボーグ化による強化を目指す派だった。
 遺伝子派の言い分はこうだ。遺伝子のデザインや組換え・操作・合成はたしかに研究費や時間はかかる。だが、一度手法を確立してしまえば、将来長期にわたって戦力を確保することが出来る。つまり、子供や孫もその影響を受け継がせることが出来る。結果としてコストパフォーマンスに優れている。薬物や機械化に頼る方法では、強化は一世代に限定される上、継続した薬物の投与を欠かせない上、機械部品のメンテナンスコストもかかる。短期的にはよいが、中長期的な継続は難しいのではないか。
 対する薬物・機械化派の意見はそのまま逆になる。とくに実用化までの時間を問題視していたという。両派の対立は政治的な思惑や金銭の流れ、人間同士の複雑な関係のもつれも絡んで、次第に泥沼化していった。それでどうなったか。結論から言うと、薬物・機械化派が勝った。派閥の人脈がメディア関連に恵まれていたのだ。それを最大限利用して、自然の摂理に反する遺伝子操作は悪であるという世論の形成に成功した。一方、遺伝子派もがんばったが、薬物・機械化派はうまい作戦を立てた。それは、病気の動物を治療する薬品を改良と称して改造し、戦闘力強化の成分を追加したり、事故などで四肢を失った動物の義肢と称してサイボーグ化したのだ。そうして、獣医学の方面から巧みに攻めて技術を積み重ねていった。
 こうして主流派となった薬物・機械化派は、メディアや世論さらに政治力をも活用して、敗北した遺伝子派を虐げ、迫害し、徹底的に潰しにかかった。だが遺伝子派も黙って負けていたわけではない。なんと、プロジェクトの関係者一同、みんなそろって当時関係が悪化しつつあった隣国に亡命してしまったのだ。亡命先の政府高官たちは、チームが持ち込んだ研究資料を見て戦慄した。この分野で自分たちがいかに遅れているか、いや、相手がいかに進んでいるかを知ったためだ。そして、亡命者たちを優遇して多額の研究費を与え、遺伝子操作による生物兵器の研究開発を推進することになった。
 迫害から一転して主流派となり、重要な役目を担うことになったチームは、「やつらに復讐してやる」「これで勝ったと思うなよ」「目にもの見せてくれる」などといった言葉を口々につぶやきながら、地道にコツコツと研究を続けた。そして十年ほど前、とうとう軍犬による初代の特殊部隊が編成された。僕たちの大先輩でもあり、ご先祖にもあたる犬たちだ。なので、こちらのチームの亡命先の国が僕たちの祖国ということになる。
 その間、両国の関係は日ごとに悪化の一途をたどり、ついにある日、操作ミスでコントロールを失ったドローンが国境を越え、学校のグラウンドに墜落したとかなんとかいう事件を理由に、戦争状態に突入した。その戦争の中、わが国の軍犬の特殊部隊は実践に投入され、相応の成果を挙げた。一方、相手の国で研究・開発が進められていた薬物投与と機械化による動物兵は、実践ではほとんど成果を出せなかった。薬の効果時間の制約から長期間の作戦に投入することが出来ず、機械部品の動作環境の制約から投入できる戦場も限られることになった。戦いの全体から見たらごく一部の限られた話に過ぎないのだが、それでも亡命してきた研究チームのメンバーは「敵国(このときには既に故国のことをこう呼んでいた)のマヌケども(主流派のチームのことだ)にようやく一泡吹かせてやれたぞ」と言っていたそうだ。
 結局、戦争はこちらの勝ちで終わったが、これには軍犬は関係なく、単純に物量と作戦の巧拙、それといくつかの偶然によるものだった。こちらの国は技術的には遅れていたものの、数はそろっていた。そして、その数を活かした作戦によって緒戦で優勢を確立できたことが勝因だった。敵は緒戦の劣勢を最後まで引きずり、どんどん攻め込まれて荷電粒子砲とかグラビトン爆弾などで次々と破壊され、国土は焦土となって敗北、いや、滅亡した。

 さて、本題はここからだ。
 僕たちが生まれる少し前、僕たちの国はまた戦争になった。これは地域の複数の国が複雑に入り乱れた地域紛争に巻き込まれたものだった。先の戦いで滅びた敵国の関係者が裏で糸を引いていたという噂もあるが、定かではない。いずれにしても、この戦いの途中で僕たちは生まれ、訓練を経て特殊部隊に配属された。
「戦争になるとメシが美味くなる」
 古株の先輩たちがよく言っていた。なんでも、平時に比べて戦時はメシが格段に美味いのだという。さらに、
「後方よりも前線の方がメシが美味い」
 という話も聞いていたが、果たしてその通りだった。

 ある夜、敵の仮設前線基地を奇襲する作戦があり、僕はそれに参加した。人間の兵隊たちと先導するように森の中を進み、敵の基地を背後から急襲した。作戦は見事成功し、敵兵は全滅したのだが、翌日の昼ご飯がとても美味いものが出て驚いた。これは、それまでに食べたどんなものよりも美味かった。いや、普段食べているものも美味いのだが、これはそれをそのまま何倍か美味くした感じだった。普段食べているのは、きっとこれを保存用に加工したものなのだろうと思えた。
 これはきっと敵国の食べ物ではないかというのが僕の推測だった。実はわが国よりも他国の方が食べ物が格段に美味く、戦争になるとその敵国の食べ物が手に入るためなのだと考えるとつじつまが合うだろう。だが、これは間違っていた。
 本当のことを知ったのは、その半年後、僕たちの国が戦争に負けた後のことだ。僕たちのいた基地にも敵兵が踏み込んできて、味方の人間たちは勇敢に戦い、全滅してしまった。
 だが、僕たちはおとなしく敵の捕虜となった。敵兵たちは僕たちのことを「戦利品」と言っていたな。敵は僕たちを“調教”して自分たちの軍で使うつもりだったようだ。そして僕たちは軍の輸送機で敵国に運び込まれた。そう、その敵国というのはこの国だ。そして車で山奥の小さな基地に運び込まれた。来る途中、僕たちはメシが美味くなることを大いに期待していた。ところが、実際に来てみてびっくりした。
 メシがまずい。
 とんでもなくまずい。
 どうやら元の国で戦時に食べていた美味いメシは敵の食べ物ではないかという仮説は間違っていたようだ。では、あの美味いメシは一体何だったのか?

 美味いメシの正体がわかったのは、この国に来て三ヶ月目のことだった。
 僕たちは敵の捕虜になったときの行動について、訓練で学んで知っていた。まず、敵を安心させ、警戒が緩んできた頃合を見計らって一斉に逃亡・撹乱を図り、敵のリソースを削るのだ。僕たちはおよそ四十頭ほどいたが、無警戒な敵の人間たちは迂闊にも皆同じ部屋に入れていた。そのため、逃亡の計画は難なく立てられた。粗末な鉄格子の檻は普通の犬だったら歯が立たないかもしれないが、僕たちにかかれば簡単に壊せた。後は簡単な話で、片っ端から敵兵を殺し、手当たり次第に基地の設備を破壊して出口を目指した。計画ではこのまま敵基地を脱出し、山野に潜んでゲリラとして戦う予定だったが、ここで想定外の事態が発生した。
 敵兵の中に一人、手ごわい猛者がいて、そいつを倒したときのことだ。倒したのはそこにいるアールシュと別の二頭の仲間だった。仲間の一頭がそいつの腰に付いた武器を噛んで壊そうとして飛び掛ったのだが、敵がよけようとしたため脇腹に噛み付き、そのまま腹の肉を喰いちぎった。そのとき「わかった! これだ!」と叫んだのだ。何事だろうかと集まった仲間たちに、こいつを喰ってみろと言うではないか。それで事情もよくわからないまま死んだばかりの敵の肉を喰ってみて、気づいた。
 そう、あの美味いメシは敵兵の肉だったのだ。
 僕たちは戦時には死んだ敵兵の肉を与えられていたのだ。
 前線の方が美味いというのは、新鮮な生肉だったからなのだ。
 わかってしまえば、今まで気づかなかったのが本当に不思議だ。だってそうだろう、これまでも敵の体に噛み付くことはあったのに。まあ、味わっている余裕なんてそうそうあるもんじゃなかったという事情もあるけど、もっと早く知っていればよかったと思ったよ。
 そして僕たちは少し予定を変えて、ひたすら敵兵を殺して食べていった。それは本当に美味かった。そこは小さい基地だったので人間の数も少なく、一晩で喰い尽くしてしまった。僕たちは基地の外に出て、一週間ほど森の中に潜んでいた。いずれ基地の異変を察知した別の兵隊たちが来ると踏んでいたからだ。案の定、散発的に敵兵は来た。それらを僕たちは喰った。だがある日、危険を感じて僕たちはそこを離れることにした。翌日、ミサイルが落ちて小さな基地は消滅した。敵は基地ごと完全に放棄することにしたようだ。
 しばらく山の中を転々としていたが、港の方を目指すことにした。やはり僕たちは軍犬だ。少しでも敵を撹乱し、可能であれば自軍の拠点に戻るのが役目だ。人間の文字はほとんど読めないけど、施設の種類とかは匂いや気配でわかる。敵の軍事拠点を襲撃し、外国に行く船にもぐりこむのだ。だが、どうしても人肉の味を忘れることはできなかった。僕たちは話し合ったのだが、やはり人肉の誘惑には抗えず、全員一致で人間を無差別に襲撃し、喰うことに決まった。だが、あくまでも軍務としてだ。これは敵国の人的リソースを減らし、国力を削ぐという戦略的な活動の一環なのである。
 そんなわけで先日、山の中腹にあった十戸ほどの小さな集落を襲撃して次のターゲットを探そうとしているところなんだ。僕たち九頭はその先遣部隊でこちらの様子を見に来て、この下の方に二十戸ほどの集落を見かけて次はあの集落にしようと思ったのだが、仲間のところに戻る途中で雨の気配がしたからここに来たというわけなのだ。
 おっと、君たちなんだか目がキラキラとしてきたね。えっ? その人肉というのを一度食べてみたいって? なるほど、ここであったのも何かの縁だ。それなら、どうだい、僕たちと一緒に来るかい? おっ、四匹とも二つ返事で頷いたね。そうだ、よかったら仲間も大勢誘ってみんなで行こうよ。なに、人間なんてコツさえつかめば簡単に殺せるよ。君たちにも人間との戦い方のコツを教えてあげるからね。そうしたら、一度といわず、二度でも三度でも人肉を食べることができるよ。本当に美味いんだ、人肉は。君たちもきっとやみつきになるよ。
 雨が上がったら行こう、人間を喰いに。みんなで喰って喰って喰いまくろう!

子猫

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  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2019-12-30

CC BY-NC-SA
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