師走、極月、十二月

 都会にみちている、だれかのかなしみが、空虚、を生んで、ぽつり、ぽつりとあいた、ちいさなあなに、そこそこしあわせなひとたちは、たぶん、きづかないで、かなしみにとらわれているひとだけが、あなからふきこんでくる、すきま風、みたいなものを、感じている。
 たぶん、いつかくるよ、氷河期とか。
 きいろい花が、海面を埋めつくして、なにもしらない子どもたちが、ふねにのって、わたってゆくの、きいろい海を。花をかきわけて、うわさによると、楽園、と呼ばれるところがあるという、あの、海の向こうに、果たして、楽園、という場所で、しあわせをみいだせるのかは、わからないけれど。アップルパイが美味しいなら、それで、せかいは、うまくまわると思う。ともだちから送られてきた、おとなのパンダの写真、あんまりかわいくなくて、なんだかな、って気分になった。パンダが無条件でかわいいのは、にんげんとおなじで、子どものときだけなのかも、と考えながら、カフェオレをのんだ。年の瀬は、どこもかしこも、ひとまみれで、せかせかしていて、ぴりぴりしていて、しぜんとこころが、ざわざわしてくる。
 きみにあいたい。
 あいたいって、つよく願うほど、すこしずつ、なにかが、ゆがんでいくきがする。いいあらわしようのない、なにか。たとえられない、なにか。漠然としていて、不透明で、輪郭のない、なにか。
 十二月三十日の、にぎわう商店街で、わたしだけがなんだか、そこに、立ちすくんでいる。

師走、極月、十二月

師走、極月、十二月

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2019-12-30

CC BY-NC-ND
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